@ayame0601s
「ああほら、見て。あれは、混ざりものだ」
不意に声が聞こえ、その言葉にびくりと肩が跳ねる。辺りを見渡し、数人と目が合えば、あからさまに視線を逸らされた。
混ざりもの。
それが何を示しているのか、最初は分からなかった。
けれど、コソコソと潜めた、その声が。盗み見るような、その視線が。私へと向けられていることは、そこに含まれる悪意に似た感情から分かっていた。
声が、視線が、まとわりつく。ヒソヒソと話す声は、私へ聞かれないようにとしながら、私へ聞かせるようなわざとらしさがある。それはいやらしく、明らかに他意があるもの。
視線を感じ始めたのは、割と早い段階からだった。
政府に「霊力の底上げをせよ」と言われ、霊力を上げるために彼と身体を交えてから、最初の審神者会議では、既に視線を感じていた気がする。
その時はまだ控えめなものだった。けれど『刀剣男士と身体を交えている』という羞恥に似た感情から、まさか行為がバレているのではないかと、焦燥感に駆られた。
管狐からは他言無用と言われているし、プライバシーは守る、とも言われているのに。
どこかで情報が漏れてしまったのでは……そんな焦りと、居た堪れなさに苛まれ始めたのは、割と早い段階だった。
この時、私は知らなかった。
霊力の高い審神者には、見えているのだと。
霊力の高い彼ら彼女らには、その者が纏う霊力自体が見えているのだと、元々霊力の低い私は知らなかったのだ。
だから、情報が漏れていなくてもバレてしまう。霊力の高い審神者には、見るだけで相手がどのくらいの霊力の持ち主であるのか。または、その霊力に誰の霊力が混ざっているのか。
それは、人ならざる刀剣男士たちにも分かるようだった。
私には、髭切の霊力が混ざっている。身体を交え、互いの気を交えて気を高め合うというが房中術だ。
私には髭切の霊力が混ざり、髭切には私の霊力が混ざっている。
髭切に私の霊力が混ざるのは、普通のことだった。どの刀剣男士にも、顕現などにより、主である審神者の霊力が注がれるのだから。
けれど、髭切の霊力が混ざった状態の私が、別の刀を顕現すると、そこに与えられる霊力は私のものだけではない。
混ざりもの、と言われる所以はそこだった。
髭切の霊力が混ざった私と、房中術後に顕現した刀たち。
そこには正規ルートでは考えられない、混ざりものがある、と。
審神者間で噂となり、私は会議や演練会場などへ赴くたび、好奇の目に晒されることになった。
他意のある声が、視線が、身体に纏わりつく度、激しい羞恥と居た堪れなさに、胸が狭まって呼吸のし辛さを覚えた。
そしてその度、それを察した私の刀が、殺気を露わにしていた。
「……鶴丸、大丈夫だから。ごめん」
隣から漏れ出ている殺気に、我へと返る。鶴丸に声をかけながら彼を見やれば、彼は刀の鍔に親指をかけ、今にも鯉口を切りそうだった。
そっと、その手元に自分の手を重ねて制すれば、鶴丸はやっと私を見た。
彼は私と目が合うと、ふ、と困ったように目元を和らげる。同時に殺気立っていた気配も、すぅと消えていった。
彼は怒ってくれていたのだ。私へ向けられた悪意に。
「主、気にすることはない」
鶴丸は言う。
「俺は、きみの元に来れて良かったと思ってるぜ」
そう言って目尻を細め、ニッと口角をあげる彼は、人懐っこい笑みを浮かべた。
それは私を安心させようという、私の味方であってくれようという、彼の優しさだ。
私の刀たちは、皆、優しかった。
髭切もそうだった。
「君は君の進め方でいいんだよ」
だから無理をしては駄目だよ、と言ってくれる彼は、いつも私に寄り添い、優しくしてくれた。政府から言われた房中術の件を伝えた時も、「君の助けになれるのなら」と言った彼は、私を不安にさせないためかいつものような──いや、いつも以上に──柔らかい笑みを浮かべてくれていた。
髭切も、他の刀たちも皆、優しくしてくれていた。
けれど、私が耐えられなかった。
周りから浴びせられる、見世物のような視線に。周囲との孤立と、劣等感に。相談に乗ってもらえるような友人もいなかった。霊力をあげるために刀剣男士と身体を重ねているなんて、言えるわけがない。
人間同士のコミュニティで、常に孤独を感じるようになっていた。
それに、髭切に対する後ろめたさもあった。私の霊力が低いばかりに。人間の利己のために、本来しなくてもいい行為を、彼に強要している。
私も。私の感情も、胸の奥底で涙を流していた。
こんな形で、彼と交わりたくなった。こんな義務的で、利己的な形で。
だって私は、彼のことを──。
『お前も、行けばよかったのに』
不意に聞こえた声に、ドキリとした。
後ろを振り向けば、そこにいた刀と視線がかち合う。
『兄者』
呟いた声は、すぐそばで聞こえた。けれど、声の主は視界にない。代わりに、兄者と呼ばれた目の前の刀の、苦笑する顔が視界に映る。
『お前が行かなかった理由は、何となく分かるけど。僕が此処に残るからだろう?』
髭切は言いながらこちらへ歩み寄る。近づく彼の目線は、大体同じ高さにあった。
『ああ』と呟いた声と共に、視界がほんの僅か上下する。声の主が頷いたのだと、この時に理解した。
『兄者が残ると言うのなら、俺も残る。我らは兄弟だからな』
『気を遣わなくてもいいのに』
『俺が残りたいだけだ。それに、主が戻ってきた時に我ら兄弟がいれば、主も心強いだろう』
その言葉に。膝丸のその言葉に、胸がギュッと締め付けられた。
これは記憶だ。おそらく、膝丸の。
私が本丸を出ていった後の、彼の記憶なのだろう。
『お前がいてくれると、僕も心強いよ。僕だけだったら、毎日同じ食事になりそうだから』
髭切が言う。
『それは危ないところだったな』と、膝丸が苦笑混じりに相槌をした。
『他の刀は、無事新しい本丸に引き取られたようだね』
『ああ。鶴丸も、三日月も。無事に受け入れ先が見つかったらしい』
『それは良かった』
ふと、髭切は視線を横へずらす。視界が、同じ方向へと向けられた。視線の先は、中庭だ。
『僕ら二振には、広すぎる屋敷だね』
呟くような髭切の声が聞こえる。『そうだな』と膝丸が頷く声も、耳に届いた。
『最長で半年だって。この本丸で待つことのできる期間。それまでに、主が帰ってきてくれるといいけど』
見えている視界が、中庭から髭切へと移る。髭切はこちらの視線に気づくと、眉尻を下げて笑った。
『広い庭も、広い屋敷も、掃除するだけで一日終わりそうだね。毎日が忙しくなりそうだ』
その言葉も、困ったように微笑む顔も、何か感情を紛らわすようなものだった。
そんな髭切の顔を見て。彼の顔を見た、膝丸の感情を感じ取って、胸が張り裂けそうだった。
彼らは私を待ってくれていた。ずっと。逃げ出した私の帰りを、ずっと待ってくれていたのだ。
何年も、何十年も。もっとずっと長い年月を、この本丸で。
私のせいだ。私が彼らを捨てて、逃げ出してしまったから。
目の奥が熱くなる。
申し訳無さと、後悔と。懺悔の気持ちと。感情が絡み合い、胸を締め付ける。
泣いて済むことではないと、分かっていても。
溢れる涙と嗚咽は、どうしても我慢できなかった。
頬を流れる涙の感触と、自分の嗚咽で目が覚めた。
悲しみが肺を締め付け、呼吸が小刻みに震える。目の奥から熱いものが込み上げ、耐えるように目を閉じても、溢れる涙が頬を濡らしていく。
また、あの夢。
違う、夢ではない。あれは記憶だ。
私の、前世の記憶。
信じがたいことではあるけれど、もう否定できなかった。理屈ではない、感覚的なものだった。幼い頃の朧げな記憶を思い出す、あの感覚と似ている。
ここは、前世の私が過ごした本丸で。
ここに居る彼らは、私が捨てた刀たちだ。
一度パズルのピースをはめてしまえば、全てが腑に落ちたかのように受け入れることができてしまった。同時に自責の念に駆られ、罪悪感で胸が押し潰される。
「大丈夫か?」
突然、声をかけられ、ハッとした。濡れた目元を拭い、声の方向へ顔を傾ける。
私の枕元に居たのは、膝丸さんだった。
膝丸さんは、眉根を僅かに寄せて私を見下ろしている。その表情は、心配の滲むようなものに見えた。
「あ……ひざまる、さん……」
膝丸。膝丸さんだ。彼の顔を見た途端、胸の奥底から懐かしい気持ちが込み上げ、それと共に強い罪悪感と居た堪れなさに襲われた。
全ての記憶が戻ったわけではない。けれど断片的にでも記憶が戻れば、自分が犯した罪の重さを自覚し、彼に顔向けができなかった。彼の記憶の一部も垣間見てしまい、尚さらだ。
それでも、謝らなければ。私が、彼らにしてしまったことを。
頭を下げなければ。謝って済む問題ではないことは、重々分かっている。取り返しがつかないことをしてしまったのだから。
それでも、謝りたい。
その一心で起き上がろうと上体を起こすも、体に上手く力が入らず、少し動いただけでも目眩にも襲われた。
「おい、無理をするな。まだ寝ていたほうがいいのではないか」
膝丸さんの気遣ってくれる声が聞こえる。その優しさが、今は痛いほど心に沁みた。
血の気が引いて暗くなった視界が、徐々に戻ってくるのを待って、再びゆっくり起き上がった。ただ上体を起こしただけだというのに、息は上がっている。目の周りも熱っぽかった。熱があるのかもしれない。
「膝丸、さん……ごめんなさい」
整わない呼吸の合間で、何とか言葉にする。喉がカラカラに乾いているせいか、つかえて言葉が出しにくく、出た声は掠れていた。
膝丸さんは一瞬、小さく目を見開くと、ジッと私を見据えた。「その謝罪は」と口を開く。
「何に対するものだ。一人で戻橋まで行ったことに対してか? 俺たちに何も言わずに」
「……ッ、そのことについても、すみません。勝手に、出ていったりして」
言いながら、ああ私はまた繰り返していたのだな、と自覚した。
また、何も言わずに逃げ出していたのだ。彼らから。
「そのことも、そうなんですけど……それだけじゃなくて」
言葉にしなければ。ちゃんと、謝罪を。そう思うのに、せり上がってくる苦しさが喉元を締め付ける。
「わたし……私、思い出したんです。昔の、ことを。貴方たちの、ことも」
呼吸が震える。夢で見た記憶の映像が、脳裏に浮かぶ。彼らは、あんなにも優しかったのに。私を信じて、待っていてくれたのに。
自責の念がこみ上げ、目の奥を熱くする。
だめだ、泣いては。私が泣ける立場ではないのだから。泣いては、だめだ。
「わ、たし……私が、貴方たちを置いていったから。貴方たちを置いて、この本丸から、逃げ出したから」
此処は、人々に捨てられ、神ではなくなったものたちが集まる場所。
「私が、貴方たちを……すて、捨てた、から。だから、貴方たちはずっと此処に」
──格が下がり、あるべき場所へ戻れなくなったんだ。色んなモノが、混ざっちまってな。
街で会った鶴丸さんの言葉が、耳の奥で木霊する。
私が、彼らを。混ざりものと呼ばれる彼らを置いて、逃げ出したから。
私のせいで、彼らは還るべき場所へ還れずにいる。
「ごめんなさい……私の、せいで。貴方たちを裏切って、本当に、本当にごめんなさい」
後悔してもしきれない。謝って許されることではないことも、分かっている。ただただ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
感情が抑えられなかった。泣いてはだめだと自分に言い聞かせても、こみ上げてくる涙が視界を滲ませる。
咄嗟に、膝丸さんから顔をそむけた。
瞬きした瞬間に数滴落ちてしまい、急いで拭う。
「……君は、本当に思い出したのか。昔のことを。俺たちの、ことを」
膝丸さんが確認してくる。声を出せば嗚咽が漏れてしまいそうで、唇をぎゅっと噛み、ただ頷くことしかできなかった。
膝丸さんの方を見れず、沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、「そうか」という膝丸さんの静かな声だった。
「君には、君の事情があったのだろう。それは理解できる。だが、何も言わずに出ていったきりの君に、憤りが無かった、と言えば嘘になる」
膝丸さんの声は冷静でいて、淡々としたものだった。その話し方は、声を荒げて怒られるよりも堪えるものがある。
「君は俺たちを捨てた。捨てられた刀がどういう思いをするのか、君は考えてなどいなかったのだな、と。君にとって、俺たちは大切な存在ではなかったのだなと、そう思えば憤りを感じたのが正直なところだ」
「……ッ」
大切な存在ではなかった──その言葉に、違う、と否定できなかった。大切な存在ではなかった、というわけではない。ただ、否定する資格なんて私にはない。
あの時はただ、自分のことでいっぱいいっぱいで。他を考える余裕がなかっただけだった。
けれどそれは自己中心的なものだ。自分のことしか、考えていないのだから。
「だが、それはもういい」
続けられた言葉に、目を見開く。
膝丸さんへ視線を向ければ、彼の真っ直ぐとした瞳と目があった。
「あれから長いこと経ってしまったからな。憤りという感情も、今はもうない」
それは、もうどうでもいい、ということだろうか。無関心……というより、無感情になった、ということなのだろうか。
膝丸さんの言葉を咀嚼していれば、彼は鼻でため息をついた。
「どういう形にせよ、君とまた会えたわけだしな」
そう言って、彼はほんの小さく苦笑した。
その言葉は、否定的な感情というよりも、むしろ。
「……私を、恨んでいないんですか?」
思い切って、言葉にする。それは都合の良い考えだ。恨んでいないわけがない、と、そう思うのに。
彼は静かに口を開くと、「ああ」と頷いた。
「君を恨んでなどいない」
「え……」
「憤りはしたが、それは悲しいという気持ちがあったからだ。君が俺たちに相談もしなかったのは、俺たちのことを信頼していなかったのだと。君を支えられる存在に値しなかったのだと、それが悲しく、憤りに変わっただけだ」
だから、と彼は続ける
「君を恨んでいるわけではない」
彼から向けられる瞳も、紡がれる言葉も、冷静でいて真っ直ぐとしたものだった。そこに偽りはなく、本心だと窺えるもの。
言葉が出てこなかった。あんなにひどいことをしたというのに。恨まれてもおかしくないことを、したというのに。
「わたし……」
私は、彼らに償わなければいけない。
きちんと、彼らに償いたい。
「私、貴方たちを祀り直します。絶対、ちゃんと還るべき場所に、貴方たちを還します」
彼らをきちんとあるべき場所へ還したい。他の皆が還っていったその場所に。同じ場所へ、きちんと彼らも還したい。
その想いでいっぱいだった。感情が込み上げ、また泣きそうになる。泣かないようにグッと奥歯を噛み締め、頭を深く下げた。
「だから、もう一度チャンスをください」
もう逃げたりしない。頭を下げながら、強く自分に誓った。
「主、顔を上げてくれ」
膝丸さんの言葉に息を呑む。彼は私のことを『主』と、また私のことを『主』だと呼んでくれるのかと、そう思えば胸にじわりと熱いものが広がる。
ゆっくり顔を上げれば、膝丸さんの真剣な眼差しがこちらへ向いていた。
「その言葉、まずは兄者に言ってほしい。兄者が一番、君を想っていたのだから」
言葉に、胸が締め付けられる。膝丸さんの苦笑に近い顔が、涙の膜で滲み始める。
「とりあえず今は休んだ方がいい。体が回復したら、よろしく頼んだぞ」
その声色は優しく、心に沁み入るもので、同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「分かりました」と頷いた後は、溢れる涙を堪えきれなかった。
→
堰を切ったように溢れ出る涙を一通り流した後、泣き疲れたままいつの間にか眠ってしまった。
夢は何も見なかった。昔の記憶を垣間見ることもなく、ふと気がつけば目が覚めていた。
部屋の中は薄暗い。けれど、真っ暗闇というわけでは無かった。障子からほんの僅かに滲む青白い光が、外の明るさを感じさせる。
目を擦り、ゆっくり起き上がる。体は気怠いものの、熱はもう引いているようだった。目眩に気をつけながら立ち上がり、障子に手をかけ、そのまま少しだけ開ける。
外は曇りだった。けれど此処へ来てからのどの日よりも、明るく見える。いつもはどんよりと重い雲が垂れ込めているような、夜なのか日中なのか区別のつかない暗さだったのに。今日は「天気の悪い日中だな」と思えるほどの明るさがある。
──私が前向きになれたから、とか?
思って、まさか、と付け加える。けれど今の心持ちと、外の明るさが連動しているようにも思えなくもない。心がすっきり晴れ渡っている、とは言えないけれど、以前より前向きになれているその気持ちが、外の明るさを表しているようだった。
全快ではないけれど、体の調子は良くなった。それならまず、髭切さんと膝丸さんに改めて謝罪をしなければ。
しかしその前に、最低限、人と話すための身なりは整えたかった。
一体どのくらい眠っていたのか分からない。体は汗で湿り、顔も洗いたいし歯も磨きたかった。腫れぼったい目元は泣いて寝たため仕方がないにせよ、顔も体も汗でベタついている。
「お風呂入りたい……」
三面鏡に映る、浮腫んだ自分の顔を見ながら独りごちる。
まずはお風呂に入ってからでもいいか、一言声をかけよう。そう思い、屋敷内をうろつけば膝丸さんに出会った。
きちんと話したいので、お風呂から出るまで待っててもらえないだろうか。その旨を伝えれば、彼は「体の具合はもういいのか?」と気遣いの言葉をかけてくれた後、「湯浴みくらいの時間、今更いくらでも待ってやる」と真顔で皮肉のような言葉を続けた。
けれど「ゆっくりでいいぞ」と付け加えるあたり、やっぱり彼は優しい。
相変わらず広い脱衣所でいそいそと服を脱ぎ、冬の寒さを堪えながら大浴場に足を踏み入れる。湯気の立つ中、歩みを進め、体を軽く流して湯船に浸かった。
「いい気持ち……」
冷えた体が徐々に温まる。ふぅとため息をついて脱力しながら、一人には広すぎる浴室を眺めた。
昔の記憶を垣間見たとはいえ、全てを詳細に思い出したわけではなかった。この浴場も、おそらく前世の私も使っていたのだろうけれど、全く覚えていない。
夢で見た記憶は断片的だった。そのどれも、霊力不足に悩み、辛いという感情を感じる場面ばかり。
けれどその場面にも、所々──というよりも多々、彼ら刀の付喪神の優しさを感じることはあった。
皆が、私の味方でいてくれた。事情を分かった上で、私を気遣い、味方し、優しくしてくれた。
それなのに、当時の私は気付けなかった。自分のことで、自分の感情で、いっぱいいっぱいで。周りの優しさを受け取ることも出来ず、苦しい、辛いという感情に目を向けることしか出来なかった。
それは今、客観的に見ても仕方がなかったと思う。その渦中にいる間は、好奇の目や他意ある陰口に晒され続ければ、心が病んでいくのも仕方がない。
けれど彼らを捨てて、還るべき場所へ還してあげることも出来ず、この暗く隔離された世界に置き去りにしたというのは事実で。
彼らを捨てて逃げるなんて、してはいけなかったことなのに。
『人々に祀られれば神となる。だが神も、人々に祀られる事がなくなれば、神ではなくなる』
三日月さんの言葉を、再度思い出す。
彼らが神ではなくなったのは、私が彼らを捨てたからなのだとしたら。
私が彼らを捨て、神ではなくなったことで、帰るべき場所へ帰れなくなったのなら。
私が彼らを祀り直すことで、彼らを神へと戻し、この世界から還るべき場所へと還さないといけない。
それがきっと、過去に犯した罪に対する、今の私の償いだ。
もしかしたら、そのために此処へ、この本丸へ戻ってきたのかもしれない──そう思えば、此処に来たのも必然な気がした。
お風呂から上がり、自室に戻ってスキンケアをしたり髪を乾かしたりしているうちに、だいぶ時間が経ってしまった。
手は動かしていたものの、頭の中では彼らにどう話していけばいいのかシュミレーションをしながらだったため、手際が悪くなっていたかもしれない。
──膝丸さんにゆっくりでいいと言われていたけれど、これはゆっくりし過ぎたかも。
彼らにきちんと話をすることへの緊張で、体が強張る。これからはちゃんと償っていきたいという気持ちは強い。それでも髭切さんと、膝丸さんにももう一度、謝罪と自身の気持ちを話すことに対する緊張感も強かった。
けれどそろそろ、彼らに話をしに行かなければ。
と、そう意気込んだところで、ふと気づく。
「……あれ?」
無い。無かった。私の、下着が。
部屋を出る前に、せめて衣類はまとめておこうと思った。もしかすると、不意に部屋を見られてしまう場面があるかもしれない。そんな時、お風呂で着替えた衣類をそのまま放置しておくのは恥ずかしい、と、せめて下着類だけは見えないようまとめておこうと思ったのが、幸か不幸か。
お風呂に入る際、洗濯物としてまとめておいたはずの下着が無いことに気づいてしまった。
しかもショーツだけ行方不明だなんて、これはまさか、
「お、落とした……?」
ショーツをどこかで落としたかもしれない。どうしよう。私のショーツが。もし廊下にでも落ちていたら──。
サァッと血の気が引く。
彼らへきちんと話をするという緊張感は、私のショーツの安否へと変わる。まさか、こんな時に。色々考えながら行動していたことで、注意散漫になっていたのだろう。
自分の鈍臭さにほとほと嫌気がさしつつも、居ても立ってもいられなくて部屋を飛び出した。
自室からお風呂場までの道順を辿りながら、廊下を注意深く見ても探し物は見つからなかった。結局お風呂場に辿り着いてしまい、使った脱衣カゴを探す。広い脱衣所にはカゴの入った棚が並び、何度見てもちょっとした温泉施設のようで、浴室特有の湿度を感じながら足早に進む。
もし此処にも無かったらどうしよう。藁にもすがる思いで、使った脱衣カゴの中を覗いた。
「あ……ったぁ……」
ポツンと1枚残っている布を視界に入れ、ホッと肩の力が抜ける。どうやら、単に置き忘れていただけだったらしい。とりあえず見つかって良かった、と安堵した──その時だった。
ガラ、と引き戸の開く音に、肩が大きく跳ねる。
えっ? と息を呑んだ。息を呑んで、瞬時に理解し、咄嗟にしゃがんで身を隠す。
この位置では、ちょうど棚が壁になって浴場の入り口が見えない。それでも、あの引き戸の開く音は、間違いなく浴場から誰かが出てきた音で。
──膝丸さんは私がお風呂に入る前に会っているから、彼は考えにくい。それなら今出てきたのは、髭切さん……?
ドッ、と心臓が勢い良く鳴り始める。可能性としては鶴丸さんや三日月さんも有り得ることに気づき、誰にせよ、私が出た直後に誰かが入ったらしい。なんというタイミング。一歩間違えれば、お互い裸で鉢合わせ状態もあったわけで。危なすぎる。いやそれより、今も最悪なタイミング……。
緊張しながら耳をすませる。ヒタヒタと歩く彼の足音がこちらへ近づかないか、気が気じゃなかった。ざっと辺りの脱衣カゴを見回しても、視界に入る限りでは使用中のものは無さそうだ。
足音は、棚を挟んだ反対側で止まった。そこで布の擦れる音もし始め、少しだけ胸を撫で下ろす。
棚が並ぶような広い脱衣所で良かったと、心底ホッとした。これが狭い場所だったら、鉢合わせは免れない。
それでもまだ安心は出来なかった。彼が、出ていくまでは。けれど彼の位置なら、出口は私と反対方向だ。だから、こちらに来ることは無いはず。
衣服の擦れる音が止まる。どうやら着替え終わったらしい。ヒタヒタと歩く音が聞こえ始める。それは遠ざかって出口へ向かっていく──と思いきや、近づいてきた。ひっと息を呑み、音の鳴る方向、棚の端を注視する他ない。
そして彼は、分かっていたかのようにひょっこりと顔を覗かせた。
「ああ、やっぱり居た」
目があったのは、タオルを頭に乗せたままの髭切さんだった。
「気配がしたから。何してるんだい、こんな所で」
タオルでガシガシと髪を拭きながら、髭切さんはそのまま近づいてきた。何もやましいことはしていないというのに、隠れているのが見つかった、というだけで謎の後ろめたさが生まれてしまう。
「いや、あの……」
「もしかして、覗き見?」
「ち、ちがっ! ただ忘れ物を取りに来ただけで」
言って、ハッとした。手に握っていた下着を急いでポケットに突っ込む。
もしかしたら見えてしまったかもしれない。そんな羞恥を覚える私をよそに、髭切さんは目の前まで来ると腰を下ろした。
目線が近くなり、緊張から無意識のうちに息を潜めた。
「具合は?」
「……え」
「具合はもう大丈夫かい」
黄金色の瞳に見つめられ、気遣いのその言葉に、我に返る。
真っ先に心配の言葉をかけてくれるなんて。髭切さんも、膝丸さんも、勝手に出て行ったことを咎めるよりまず、私の体を心配してくれる。
彼らはなぜ、こんなにも優しいのだろう。
ちゃんと、謝らなければ。勝手に一人で戻橋に行ったことも、昔のことも。
「髭切さん、あの。私──」
「っくしゅ」
意を決して話そうとした瞬間、髭切さんがくしゃみをした。その随分と可愛らしいくしゃみに呆気に取られたものの、彼の髪が濡れたままなことに気づく。
彼は、スン、と鼻を鳴らした。
「ごめん。何て?」
「あ、いえ……髭切さん、早く髪を乾かさないと風邪引いちゃいますよ」
「髪? いいよ、いつも自然乾燥だから」
「えっ」
この日本家屋はとにかく寒い。いくら湯上がりとはいえ、髪が濡れたままでは一気に冷えてしまう。
「せめて少しだけでもドライヤーで乾かした方が……」
「ああ、そんなものもあったね。今まで電気使えなかったから、存在を忘れてたよ」
その言葉で、ふと思い出す。此処へ来たばかりの頃は、行灯の心許ない明かりだけで屋敷全体が随分と暗かった。電気が通り始めたのは、霊力が供給されたからだと、そう言われたことを思い出す。
あの時は何のことかよくわからなかった。今も、理屈は分からない。けれど感覚的なもので分かる気はする。
「それ、どこにしまったかなぁ。かなり昔の物だから、もう使えないかも」
髭切さんが、うーんと唸りながら言う。
「それなら、私の貸しましょうか?」
「持ってるの?」
「はい。旅行の時は持っていくようにしてて」
一度、旅先でドライヤーが無かった時から、旅行用に小さいものを入れておくようにしていた。民宿に泊まる時は尚更だ。今回も民宿に泊まる予定だった。
まさかこんなことになるとは、思ってもいなかったけれど。
「じゃあ借りようかな」と言って髭切さんは立ち上がる。私も腰を上げ──さりげなくポケットにちゃんと物が入っていることを確認してから──自室へと向かった。
「さっき旅行って言ってたけど、京都観光しに来たのかい?」
ドライヤーを貸すために自室に向かう最中、髭切さんに問われた。
彼の問いに、「はい」と頷く。けれどそれ以上続けられるような話題もなく、会話を止めてしまう。
京都を選んだのは、ただ何となくだった。
本当はどこでも良かったのだ。ただ、日常から逃げたくて。
北から南、日常から離れられるのであれば、どこだって良かった。
そんなことを言えるはずものなく、かと言って京都観光のことを事細かに話すのも今の私の立場でどうかと迷い、結局口を噤んだ。
──私は、今も同じようなことを繰り返していたんだな。
日常から逃げたくて京都を訪れた。旅行とはいえ、逃げを理由にしているところは根本的に昔と変わっていない。
「京都にはさ」私が会話を止めてしまったからなのか、髭切さんが話し始める。
「確か、僕が納められてる場所があるよ」
「髭切さんが、ですか?」
「そう。髭切は、源氏の重宝だから。どこかへ移されていなければ、弟の膝丸も京都の寺に所蔵されているはずだよ」
隣を歩く髭切さんを盗み見る。前を向きながら淡々と話す彼とは目が合わず、その横顔からはどういう心情なのか読み取ることも出来ない。
所蔵されているのは、刀本体が、ということだろう。彼らが京都のどこかに所蔵されているなんて、知らなかった。
もしかして彼らが還るべき場所というのは、そこなのだろうか。そんな疑問がふと過る。
そこを含めて色々と聞かなければいけない。私が思い出したのは、昔の私の感情ばかりで、基本的な部分が何も分かっていないのだから。
けれどその前に私は、髭切さんにもきちんと謝らなければいけなかった。
「髭切さん、あの」
「ん?」
「話したいことがあるんですけど……髪を乾かした後でいいので、聞いてくれますか?」
今度は盗み見ではなく、しっかりと顔を見上げる。髭切さんも私を見下ろすと、「うん。分かった」と頷いた。
それからさして時間もかからず自室に着いたため、ドライヤーを取ってくるから部屋の前で待っててもらうよう伝えた。返すのは明日でも大丈夫ですから、と付け加えようとしたところで、髭切さんが口を開く。
「このまま、君に乾かしてもらえると助かるんだけど」
唐突な依頼に、思わず呆然としてしまった。まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったからだ。
「私が、ですか?」
「うん。使い方分からないし」
使い方は教えますよ、と、私がそう言うより先に「駄目かな?」と問われる。小首を軽く傾げて言うのは、ずるいと思った。ぐっと言葉を呑み込み、結局「私でよければ」と、彼の依頼を受ける返事をしてしまった。
髭切さんを自室に招き入れる。衣類をまとめておいて良かった、と、心底ホッとした。
ドライヤーは三面鏡付きの化粧台に置きっぱなしだったため、髭切さんにはその前に座ってもらった。
「それじゃあ、あの。失礼します」
「よろしく頼むよ」
胡座をかいて座る彼の後ろへ回り、膝立ちになって恐る恐る髪を乾かし始める。
髭切さんの髪はすっかり冷たくなっていた。ドライヤーの位置と熱に気をつけながら、髪を優しくかき分けるように温風を当てる。
髭切さんの髪を乾かしている。この状況が何だか不思議な感じで、そして緊張も感じるものだった。
指先に触れる髭切さんの髪が、徐々に乾いていく。色素の薄いクリーム色に、ふんわりと柔らかい髪質。この髪に、昔の私は触れたことがあったのだろうか。覚えていない。
けれど彼に触れていると思うと、胸がギュッと締め付けられる。
恋い焦がれるような切なさが、胸の奥底から込み上げるような。
私は彼が好きだった。目の前の、彼のことが。
だからこそ、義務でしかない、人間の利己のために行う行為を、割り切ることが出来なかった。
それは逃げ出してしまった要因の一つであり、当時苦しかったことは、それだけではなかったけれど。
それでも彼を裏切ってしまったことが。私を待ち続けてくれるほど優しい彼らを裏切ってしまったことが、その未熟で愚かな過去の私の行動が、情けなくて、申し訳なくて、仕方がない。
一通り髪を乾かし終え、ドライヤーを切る。髭切さんは確かめるように自身の髪を触った。
「おおっ。すごい、ふわふわだ」
感嘆の声が聞こえ、こちらへ振り向く彼と目が合った。「ありがとう」と微笑んでお礼を言う彼は、どことなく嬉しそうに見える。つられて私も頬が緩み、けれどすぐ、謝らなければという感情に急かされる。
「髭切さん」と彼を呼べば、「ん?」という返事と共に、髭切さんは私と向き合う形に座り直した。
彼を前に、正座をする。
「あ、あの」
緊張から震える肺で息を吸い込み、意を決して口を開いた。
「あの、私……髭切さんたちを裏切るようなことをして、本当にごめんなさい」
頭を深く下げる。本当は目を見てちゃんと謝罪した方がいいのかもしれない。けれど、彼の目を真っ直ぐ見れなかった。申し訳なさと、罪悪感に押しつぶされ、頭を上げられない。
「私、昔のことを思い出したんです。少しだけ、ですけど。貴方たちを……お、置いて、逃げ出したこととか。貴方たちを裏切って、本当にごめんなさい」
膝丸さんは恨んでいないと言ってくれたけれど、恨まれてもおかしくないことをしてしまったと、やっぱり何度も思う。
『きみのおかげで、俺たちは此処に居るんだ』
鶴丸さんに冷笑混じりで言われた言葉を、不意に思い出した。
「昔のことを思い出して、すごく、後悔してます。私のせいで、貴方たちは此処に……謝って済むことじゃないことも、分かってます」
声が震えているのは自覚していた。膝の上で握った手も震えている。
それでも、自分の意志は伝えたい。ぐっと体に力を入れ、頭を上げて、髭切さんを真っ直ぐ見つめる。
「だから、今の私に出来ることをさせてください。貴方たちを、きちんと祀り直したいんです。必ず、祀り直します」
祀り直すことが本当に出来るのかどうか、不安がないと言えば嘘になる。けれど、何としても彼らを祀り直す、という決意が出来たのは、嘘ではなかった。
沈黙が落ちる。こちらをジッと見据える髭切さんに笑みはない。彼の返事を、固唾を呑んで待つ。
「うん、承知したよ。よろしくね」
返ってきたのは、短い、承諾の返答だった。端的な言葉には、それ以上もそれ以下もないようなもの。
それはあまりにあっさりとしたもので、肩透かしを食らったような気持ちになる。
「え……」
「なんだい?」
「あ、いえ。その……私を責めないんですか?」
恨まれて当たり前のことをしてしまった。自分でもそう思うのに、なぜ、私を非難するような言葉を言わないのだろうか。責められないというのは有りがたいはずなのに、全く何も言われないというのは、もう見限られてしまったのだと、それはそれで逆に堪えるものがある。
髭切さんは数回瞬きをすると、苦笑する。
ため息を溢すように微笑し、「君を責める? なぜ」と静かに言葉を落とした。
「君が此処を出ていったのは、自分の心を守るためだろう? 追い詰められて、此処から逃げる以外の選択肢がなかったからだ。そんな君を責められるはずがない」
彼の言葉に唖然としてしまった。
髭切さんは口元に微笑をたたえながら、ほんの少し目を伏せる。
「弟から、君が記憶を戻したことは聞いていたよ。ただ正直、何と言っていいか分からないんだ。君が昔、辛い思いをしていたのは、よく分かっていた。その当時を思い出したことが、良かったのかどうかも分からない」
それに、と彼は続けた。
「君が戻橋からこちらの世界へ入ってきた時も、複雑な気持ちだった。君の魂だと分かって驚いたし、嬉しくも思ったけど、すぐに『なぜ』という気持ちが強くなった。なぜ、こんな場所に。こんなに変わり果てた場所へ、なぜ今になって戻ってきたのか、複雑な気持ちだったんだ」
髭切さんは説明する。彼の気持ちを聞きながら、この世界へ来た時のことを思い出していた。
淡々としていて無機質さを感じたあの時、彼はそんな心境だったのかと、戻橋からのやり取りを思い出しながら考えた。
「ああでも、がっかりはしたかな」
髭切さんは思い出したかのように言う。
「がっかり、ですか?」
「うん。君、僕のことをすごく怯えた目で見るんだもの。がっかりというより、悲しかった、と言うべきか」
顎に手を添え、考えながら話す彼は、戻橋で出会った時を思い返しているようだった。
そして、「うんそうだね」と納得したように呟く。
「僕はあの時、悲しかったんだ。君は何も覚えていないし、僕を見て怯えているし」
「それは、その……すみません……」
「まあ冷静に考えれば仕方ないことだよ。ただ、そう考えれば、今のこの状況は嬉しいことかも」
そう言った彼は、私へ視線を戻す。
「君が僕と、僕たちと真っ直ぐに向き合ってくれること、嬉しく思うよ」
髭切さんは目尻を和らげて微笑んだ。その瞳は慈しみのこもったものに見え、胸がじんと熱くなる。
髭切さんも膝丸さんも、なぜこんなに優しいのだろう。
今は鬼と大差ない、と、髭切さんは以前に言っていたけれど。そんなことはないと思った。
「ありがとうございます……すみません、向き合うのが遅くなって」
「ふふ。改めて、これからよろしく頼むよ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
何としても、彼らを帰すべき場所へ帰したい。髭切さんと話しながら、決意がより固くなった。
「ああ、それと」髭切さんが口を開く。
「君はさっき、自分を責めないのかと聞いたけど。責めるとしたら、対象は君じゃない。僕にとって非難の対象は、政府かな」
「政府って、昔のですか?」
「そう。時の政府」
彼は私から視線を逸らす。ふっとした冷たい流し目はどこを見ているでもなく、昔を思い出しているような表情だった。
「当時は戦の最中だった。僕らが負ければ歴史ががらりと変わる。そんな重大な争いが起こっている中、綺麗事が通じないことは分かっていたけどね。だが、あまりに浅はかな部分もあったと思うよ」
髭切さんは短くため息をつく。それは嘲笑が混ざっているようなものに聞こえた。
「僕らが此処に封じられているのは、君のせいじゃない。厳密に言えば、君が僕らをそのままにして居なくなったことも要因としてはあるけど、大元の原因はそこじゃないんだ。歪みが生じ、人間の手に負えなくなったから、僕らはこの封じられた世界に捨てられている。それは、そんな環境を作った、上の問題だろう?」
髭切さんの言葉は淡々としたものだった。彼の話す内容を理解しようと、必死に咀嚼するも、まだ情報が足りていない。
私へ視線を戻した髭切さんは、困ったような笑みを溢す。
「ちゃんと話すよ。全部ね。僕だけじゃなくて弟も交えた方がいいと思うから、夕餉時にでも話そうか」
そう言って髭切さんは腰を上げる。そんな彼を見上げながら、「分かりました」と頷けば、彼は目を細めた。
「ありがとう。僕たちのことを思い出してくれて」
伸ばされた手に、ポン、と頭を撫でられる。咄嗟のことで思わず呆然としてしまった。髭切さんはそんな私へ笑みを落とし、部屋を出ていった。
障子がパタンと小さい音を立てて閉まる。それをきっかけに、はたと我に返った。
「なっ……」
撫でられた頭の感触がいまだに残っているようで、頬が熱くなる。
まさか大人になって頭を撫でられるとは思ってもいなかった。
胸がくすぐったいような。それでも確かに、心が温かくなるような、嬉しいと感じるものだった。