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キリシタンすり抜け主と刀剣男士〜葬送〜

2025-02-09 14:14:51

1p 長義と葬送
2p〜3p ラストエピソード
4p〜5p 崩壊
6p 本科と主の春の日
7p 鎖国と開国(和泉守兼定と陸奥守吉行)
8p 加州清光の決断
9p 勝手な愛(大倶利伽羅)
10p 山姥切国広
11p 行き着く先

12p 部屋の位置について(設定)
13p まんばとちょぎの写し問題について(設定)
14p 加州清光と天然理心流〜柄砕き〜
15p 斬らない刀たち
16p 加州清光〜オーダーメイドの愛〜
17p こぼれ話〜彼女と苺〜
18p こぼれ話〜三日月と彼女〜

素敵挿絵イメージイラスト:Yukino様

来るべき日が来るべくして来た。そんな冬の日のことだった。

定例通りの時間に、彼女は嬉しげに長義を出迎え、やってきた長義の顔を見てすぐ、彼女は大きく目をみはった。
「レディ?」
黙り込んだ彼女はすぐ振り返り、きょろきょろと視線を彷徨わせ「鶴るん、鶴るん!」と声を上げた。
鶴丸国永はすたっと降りて来た。
「どうしたんだい?」
彼女は鶴丸に急に遠出の用事を頼んだようで、彼は「え」という顔をした。
「今からかい?」
「うん、今すぐ」
「その、だな、きみの頼みだ、もうちょっとばかり後ならいくらでも」
「今」
「別のやつに頼むんじゃだめかい」
「だめ」
……
おまけに「かしゅー」と初期刀まで呼んで、用事を頼んで二人とも手元から離してしまった。後ろ髪引かれるように加州清光は立ち去って行った。

「近侍も初期刀も人払いとは、何があったんだい?」
「ちがうよ、わたしじゃないよ」
ととと、と彼女は長義に駆け寄った。
「何かあったのは長義せんせーだよ。元気が無いから
長義は黙り込んだ。
「わたしに何か、できることないかな」
……気のせいでは? レディ」
「わたし、長義せんせーの『優秀な教え子』だもん。そう言ってくれたよね。だからね、わかるよ」

長義は、いつも通りの冷静な横顔に、一瞬だけ痛みを走らせた。

…………古い友人を見送ってきたところでね」
……そっかぁ。長義せんせーの、大事な、大事な人だったんだね」
「ああ」
「わたしも一緒にお祈りしていい? 長義せんせーの大事な人のために」
「彼なら喜んだことだろうね」

彼女はロザリオを懐から取り出して、言葉の通り、冥福を祈り始めた。
「神の母聖マリア、罪深い我らのために、今も死を迎える時もお祈りください」
臨終の祈りだった。
彼女が、長義の隣で繰り返し唱える心からの祈りは、長義の胸の内を春風のように優しく揺らした。
「恵みあふれる聖マリア、主は貴方と共におられます──……

どうか、どうか安らかに。
長義せんせーの大事な人が、安らかに天で過ごせますように。

ただただ、それだけを願う手向けの祈りは、すぐ隣で耳を傾ける長義の胸をひどく慰めた。
政府で行われる葬儀は、確かに彼を悼む者も多かったが、同時に聞くに耐えない我欲の願いの坩堝でもあったから。彼には味方も多かったが敵も多かった。


静かな葬送の祈りは、本丸に静かに沁み渡って
唯一、途中で、いつも長義が稽古を付けていた国広の気配だけが微かにしたが、すぐに踵を返して行った。
結局、授業の時間が終わるまで、彼女の祈りを妨げる者は現れなかった。



※最終話ネタバレ、他の話を読んでからどうぞ



※主が守り通され、ついに天寿を全うする時のこと

◇ ◇ ◇

ラストエピソード《山姥切長義》

「結局、きみは最後まで、なんだかんだと理由を付けて、自分の山姥切長義を迎えることは無かったね」

長義は、彼女が身を横たえた布団のそばに正座したまま、そう口にした。

「レディ、理由を訊いても?」
「笑わないでね」

皺の刻まれた彼女は、あどけなく微笑んだ。
握った手は細い。長義が彼女の元に派遣されるのは、恐らく今日が最後となるだろう。

「いつの間にかね、大好きだったから。わたしの大事な刀たちと比べられないくらい。だから、新しく来る山姥切長義を、同じくらい大事にしてあげられないかもしれないと思って」

ああ、そうだろうね、と。
長義は胸の内だけで答えた。知っていたとも、と。

「でも、そう言ったら、いつか長義せんせーのいちばん大事な人のために、私を切り捨てなきゃいけない時に困らせると思ったから」

少しだけ目を見張った長義は、長い銀のまつ毛でぱちん、とひとつ瞬きすると、穏やかに微笑んで「馬鹿だね」と言い添えた。

「そのぐらい、両方とも守れないなまくらではなかったさ」
「ありがとう、長義せんせー。たくさんたくさん、わたしとまんばちゃんを助けてくれた貴方が大好きだった。愛するわたしの刀たちと同じくらい」
「さて、きみならともかく、奴を助けてやった覚えはないがね」
「ふふ、説得力無いよ、長義せんせー」

笑った彼女は、こほこほ、と咳をした。
長義は彼女の掛け布団を引き上げた。彼女は「ありがとう」と微笑んだ。

「あのね、長義せんせー、お願いがあるの」
「なんだい」
「わたしがいなくなった後、一度だけでいい。わたしの愛したものを助けてあげて。愛する彼らと、それから彼らが、……新しく迎えた主を、わたしと同じくらい愛せたら、その人を」
「引き受けよう」

りん、と約束の証の鈴が鳴る。
彼女は目を見開いた。

「約束しよう」
「約束、までしてくれなくて良かったんだよ」
「優秀な教え子のたっての頼みだ。一度くらい贔屓したって許されるさ」

彼女は、花が綻ぶように微笑んだ。

「いつだって、何度だって、あんなに贔屓してくれてたじゃない」
「さて、覚えがないな」
「ふふ、ふふふ。長義せんせーのそういうところ、大好きだったよ」
「知ってたさ。ずっとね」


◇ ◇ ◇

ラストエピソード《山姥切国広》

「お前はずっと、オレの物語そのものだった」
掬い上げた皺だらけの手を頬に擦り寄せ、涙を堪えながら、国広はこう訊ねた。
「オレは、お前の物語だったか?」
「もちろんだよ、まんばちゃん。わたしたち、ずっと一緒だったじゃない」
「そうか、そうか
唇を震わせた国広は、耐え切れずに落涙した。
「オレはもう大丈夫だ。お前がくれた物語が、オレを支え続ける。だから、安心しろ。お前が愛した物語は、オレが護り続ける。あいつらと共に」
「うん、うん」
彼女があどけなく腕を広げた。彼女を抱き寄せるように、国広は彼女の腕の中に身を寄せた。
いつだって国広をかけがえないと笑ってくれたあの日と同じ、あたたかな両腕だった。
「だいすきだよ、まんばちゃん。幸せでいてね」
「オレもだ。かけがえのない物語をありがとう、主」

◇ ◇ ◇

ラストエピソード《物吉貞宗》

「みんなに幸運を運ぶなら、まず自分が幸せでなくちゃダメだからね、物吉っちゃん」
「はい、あるじさま。心得ております」
物吉は穏やかに微笑み、心優しい主人の手を握り続けた。体温を分かち合うように。
「幸運を分け合えることこそ幸福、ですよね。忘れた日はありません」
「うん、うん、たくさん分け合ったね。幸せだったなあ」
「僕もですあるじさま。貴女と過ごせて、僕は本当に、途方もなく幸せな刀でした」
「だいすきだよ、物吉っちゃん。幸せでいてね。あなたが幸運を分け合いたい相手と、ずっと幸せでいてね」
「はい、あるじさま。僕、絶対に幸せでいます。大丈夫です、心配いりません。僕は、他ならぬ貴女に出会えたほど、こんなにも幸運な刀ですから」

◇ ◇ ◇

ラストエピソード《大倶利伽羅》

「伽羅ちゃん、本当にありがとう。私の願いを叶え続けてくれて」
彼女は大倶利伽羅に向けて嬉しげに微笑んだ。
「最期まで護り切ってくれたね。わたしの愛したものたちを」
「なんだ、俺はお役御免か?」

大倶利伽羅は、背筋を伸ばしたままじっと正座で側に控え、やがてこう口にした。

……不安なら、命じてもいいんだぞ。この先も、お前が愛したものを護り続けろと」
「ふ、ふふ、伽羅ちゃんはカッコイイね。本当に、ずっとずっと、カッコイイね」
彼女は華が綻ぶように笑った。
「伽羅ちゃん、大好きだよ。だからね、その命令はしない。伽羅ちゃんが心から護りたいものだけを、護り続けて欲しいから」
「なら、結局は、同じことだ」
「ふふ、ふふふ。本当に、伽羅ちゃんはカッコイイや。幸せでいてね」

◇ ◇ ◇

ラストエピソード《火車切》

「火車ちゃん、ふわちゃん、だいすきだよ」
「ん、俺も」
ふわふわの毛玉が、彼女の首に擦り寄って、ざらついた舌で彼女の頬を舐めた。彼女はくすぐったそうに笑って、大事にふわふわを撫でた。
「大丈夫、ちゃんと送るから。灯篭で道を照らして、悪いモノは寄せ付けない。迷わずにいけるよ」
「ありがとう。おかげで怖くないよ」
彼女は大事に護られた嬰児のように、とろけた安堵の微笑みを浮かべた。
「火車ちゃん、幸せでいてね。ふわちゃん、幸せでいてね。怖いモノ全てから遠ざけてくれてありがとう。いつだって安心していられたよ」
……お礼を言うのは、こっちの方」
正座から擦り寄って、距離を縮めた火車切は
「もう一度だけ、呼んでいい?」
と指を絡めた。
「もちろん」
「ありがと、ねえさん。俺たちずっと、貴女の愛情で護られてた」

別れを告げる火車切の横で、カリカリ、と毛玉が、床に伏せた彼女の小指を切なそうに甘噛みする。
火車切が「こら、だめだ、ふわ」と鋭く咎める前に、彼女がひどく優しく微笑んだ。

「ごめんねふわちゃん。『これ』はあげられないや」
ぴしり、とヒビが入るみたいに固まった火車切が、あぜんとしたまま、顔を上げた。
愕然とした表情が彼女を見返して、唇が戦慄いて、掠れた声を絞り出す。
……知って、たの」
「うん。びっくりさせてごめんね」
ぐしゅ、と泣き崩れた火車切が、フードを深く引っ張りながらぼとぼとと涙を落とした。
……知ってて、最期までそばに置いてくれたの」
「大好きだよ、火車ちゃん、ふわちゃん。ほんとはね、すこうしならいいかなって、それで二人が寂しくないなら、いいかなって、思ったんだけど」
優しい手のひらが、火車切のフードの中をそっと撫でて、涙を拭う。
同じ手のひらが、火車切を愛おしむのとおんなじ温度で、ふわふわの毛玉を優しく撫でた。
「でもね、ごめんね。わたしが天国に行ったら、埋葬の仕方は鶴るんに任せるって言っちゃったから」

火車。この国に古くから言い伝えられる妖怪。この言い伝えには大きく分けて二つある。
有名なのは地獄へ悪人の死体を運ぶ火の車。だが、これは仏教用語。この国古来の妖では、ない。

「大好きだよ。大好き。どっちかが上なわけじゃないよ。でもね、『これ』がないと、鶴るんがもう、生きていけないところまで来てしまったから」

火車、またの名を、化車。
葬儀場に忍び込んで死体を食う、その正体は猫又の化け猫と言われている。

それは時に善人の死体すらも奪って喰らうが、一説には恩義ある人間のためならば自ら弱点を明かして返り討ちにあって退治される、という話も今日に伝わっている。

「だから、ごめんね。あげられない。あなたのお腹の中で一緒にはいてあげられないの。ごめんね、ふわちゃん。許してね」

ふにゃあ、と腹の底から切なそうな鳴き声をあげたかと思うと、毛玉はペとんと耳を落として、彼女の小指をぺろぺろと舐めた。
くすぐったそうに彼女は少し肩を揺らして、ふわふわの毛玉を撫でた。

「大好きだよ、大好き。いっぱい一緒に遊んだね」
愛おしそうに、愛おしそうに、指先が柔らかい毛並みをすく。
永い眠りが近い彼女には、黒い毛玉の先に、虎縞の長く美しい二股の尾が見えている。ゆら、ゆら、と揺れるそれが、別れを惜しむように頬を撫でるのも。彼女は無邪気に頬を擦り寄せた。
「元気でね。幸せでいてね。火車ちゃんだけじゃないよ。あなたもわたしの大事なこ。幸せになってね」


許された最期の逢瀬の時間が終わり
ぱたん、と後ろ手で襖を閉じた火車切に、抱えられた毛玉が名残惜しそうに襖を引っ掻いて「ふみゃあ」と哀しく鳴いたが、火車切はそれを固く掻き抱いた。
「だめだよ。食べちゃだめ」
そう抱きしめて、崩れ落ちて、ぼろぼろと泣いた。
……俺だって、離れ離れは、すごく寂しい。でも、だめだよ。だめ」

だから、ちゃんとお別れしよう。
俺もお前も等しく、恐ろしい逸話ごと深く愛してくれたあの人を。

もう二度と俺たちの手の届かない、綺麗なところまでちゃんと送ろう。


◇ ◇ ◇

ラストエピソード《へし切長谷部》

「本当はずっと」
長谷部は、ついに決壊するみたいに口を割った。
「貴女の一番の臣下となることが望みでした」
「長谷部たち一振り一振りが何より大事だったよ」
「ええ、ええ、馬鹿なことを申しました。貴女はいつだって、俺たち一振り一振りを、いっとう愛してくださった」

主の細い手を取り、頬に擦り寄らせながら、長谷部は泣いた。

「主命を」
ぼろぼろと涙を流しながら、その手を離すまいと。長谷部はそう乞うた。
「貴女を見送っても立っていられるよう、消えぬ主命を、どうか」
「長谷部、幸せでいて」
「っ……
「絶対だよ。ぜったい、幸せでいてね。長谷部ならきっとできる。大好きだよ、長谷部」
「っ確かに拝命いたしました」


◇ ◇ ◇

襖の向こうに控えた二振り
泣き続ける加州清光と、目を閉じたままずっと天を仰いでいる鶴丸国永が
一振り一振りに宛てた最後の言葉を、胸に刻み続けた。

◇ ◇ ◇

最期の言葉を、祈りを、別れを。
一振り、また一振りと。
彼女と重ねた。

ついに最期の日が来たことを。穏やかに微笑む彼女も、そこにいた全ての者も、分かっていた。

布団の周りに集まった皆に見守られながら
ひどく幸せそうに、彼女は静かに息を引き取った。
彼女の魂が旅立ったのを、残された体のそばでそのまま見送った刀も、しばらくの間だけ黄泉路へ着いていった刀もいたが
彼女はとてもすんなりと、迷いに足を取られることなく、幸福な嬰児のように、あっけなく美しい場所へと旅立った。

誰もが黄泉路を着いて歩けるわけではないから、一振り、また一振りと、名残惜しそうに神送りの列から離れていく中で

最期の最期まで着いていった刀は二振りだった。
彼女の遺体と魂を誰にも盗ませないように、黄泉路の果てまで着いていく力をその名に持っていた火車切と。

危うく黄泉路におぼれて戻れなくなりそうな瞬間を何度も何度も何度も繰り返しながら、どうしても黄泉路を引き返すことを拒んだ鶴丸国永だけ。

古くは持ち主と埋葬されて墓の下で一度眠るも暴かれた逸話を持つ鶴丸は、他の刀よりはまだ適性があったが、火車切と金の美しい猫又が、道行きで何度も泥から引き上げなければ、そのまま黄泉路の泥におぼれて戻れなくなってもおかしくはなかった。

あるいは、そうして。
そのまま二度と戻らないことをこそ、望んでいたのかもしれないが。
けれども、薄々そうと感じながらも、火車切はそれを許しはしなかった。彼女の望みではないからだ。
それが彼女を惑わす未練になってはいけないから。

そうして、ついに辿り着いた黄泉路の果てで。
もう誰も手の届かない美しい場所へと、彼女の魂を送り出した火車切と鶴丸国永は。しばし立ち尽くし。
崩れ落ちたままその場を動こうとしない鶴丸を、やがて、首根っこをぐいっと噛んで子猫を運ぶようにした猫又と共に、黄泉路を後にした。

やがて、火車切が現へと戻ると、気を揉みながら鶴丸を待っていた一同が、一様にほっとした顔をした。
鶴丸がこのまま足を取られて戻らないのではないかと懸念していた刀は一振りや二振りではなく、なんとか無事に連れ戻してくれた火車切に繰り返し感謝を述べる刀たちの中で、鶴丸は魂が抜けたみたいに傍らに座り込んだまま、冷たくなってしまった彼女の手をただ握っていた。

葬儀は、粛々と行われた。
すすり泣きの絶えない式だった。
愛し愛された彼女らしい、涙の点々と続く切なくも優しい式だった。

出棺の折
特に鶴丸は取り乱すのではないかと、状況によっては取り押さえたり気絶させる必要があるのではないかと、実のところ多くの刀が懸念し身構えていたが、鶴丸はどこか望洋とするばかりだった。

ただ、箸渡しを終えて骨壺を閉じる前、ふら、と前に出て、もう箸では摘めないほど小さな骨片を、埋火の中に素手で手を入れて必死に掻き集めてそっと入れると、その場で泣き崩れた。




火葬を終えた、その翌朝のことだった。

厨の暖簾をゆっくりと潜ったその白銀の髪に
ここ数日ずっと何も喉を通らない様子だった彼を見つけて、光忠は、ひどくほっとした顔をした。

「鶴さん」
「光坊。一杯、頼むよ」

そうして鶴丸は、光忠に用意してもらった汁物を。
最後の一杯を。

ゆっくりと飲み干して、しみじみとこう口にした。

「あの日、きみを彼女に語ってよかった」

鶴丸は深く懐古するように、そう穏やかに告げた。

「覚えておくよ、この味を」
「鶴さん?」

そろそろ時間だ
約定を果たそうか



時間だ。
約定を果たしに行こうか


裏庭の見事な一本桜の木の下が、大きく掘り起こされて、見知らぬ政府の人間がずらりと並んでいた。

鶴丸に政府の封印が施されることが発覚し
愕然とする加州清光たちが取り押さえられて

鶴丸の体に、封じの霊符が貼り付けられていく。
縛り上げるように紐状の霊符に全身を巻かれた鶴丸は、抵抗しなかった。彼女の骨壷を抱いたまま。

だめだ、そいつは
あるじが残した、あるじの宝だ
取り押さえられながら、加州は、折れんばかりに抵抗した。

だめだ、そいつは! あるじの、彼女の──!!

彼女が残した、彼女のいちばんの宝物なんだ
離せ、離せよ! 鶴丸ッ!!鶴丸国永ッ!!

地べたを這ったまま、手を伸ばした先で
鶴丸国永は、彼女の骨壷を抱いたまま、眉を落として笑った。

「すまんな加州清光。最期の我儘だ。許してくれ」

ゆっくりと静かに振り返って、鶴丸はひどく綺麗に笑った。

「加州清光、本丸を。彼女が愛したものを頼む」

鶴丸の両眼を塞ぐように何枚も、封じの札が容赦なく貼られた。


加州清光たちは、鶴丸国永と政府、そして立会人山姥切長義の間に結ばれた密約を知らなかった。
知った加州は、本当に怒った。ずっと自分たちが鶴丸の盟約に護られてて、なおかつ鶴丸はこのまま墓で朽ちる、墓で朽ちることを条件に自由が許されてたってことで、それをみんな知らなかったわけだから。
でも、儚く笑った鶴丸国永に、それがずっと望みだったと最期に言われたら。
とてもじゃないが止められないよなあ。
加州清光は、最後の最後まで、折れんばかりに抵抗したけど。

鶴丸が主の骨壷と共に埋葬され、全てが終わってしまった後、加州は長義を殴り飛ばす。
一発だけは抵抗せずに食らってやった長義は、加州の腹を容赦なく蹴り上げる。
崩れ落ちた加州を前にして、ペッと血反吐を吐き出した長義から、政府と鶴丸国永の密約を聞かされる。
「なんでっ!!」
「彼は政府の二級危険指定物だ。彼女を自由にしなければ『鶴丸国永』の本霊を祟って永久に瑕疵を与えてやると政府の重鎮を脅した」
愕然とする皆は、揃って言葉を失った。
「彼女の自由および俺の派遣は、彼と政府の契約の対価だった。政府は『鶴丸国永』の本霊を保護するため、危険思想を持つ分霊を本霊に還すことを禁じ、その対価として本丸の維持を────」

……そういうことかよ」
加州は仲間に、国広に止められながら、暴れた。
「よくも、よくも!!」
長義に対して、加州は血を吐くように叫んだ。
「てめえを受け入れたのは間違いだった!!」

「主が、あるじがあんなに、あんなにお前を信じてたのを知ってて、よくも!!」
「勘違いするな。彼女は俺の主人ではない」
長義は冷徹に言い放った。
「そんなことは最初から分かっていただろう。自分の無力を他人のせいにするな」

獣のように叫んだ加州を、国広が必死に羽交締めにして止めた。
「頼む、やめてくれ加州清光」
縋り付くように国広は、苦渋の声を絞り出す。
「後生だから

長義が立ち去った場所で、加州は慟哭した。



深い深い、地上の光ははるか遠い。
墓穴の底は冷たい。

「小さくなっちまったなあ、きみ」
鶴丸は幼子を抱きしめるように、彼女の骨壷を大事に抱え込んだ。
「きみの望みは、きみの没後もオレが皆と生きることだろうが、……すまんなあ、オレはもう、二度ときみの側から引き剥がされたくないよ」
「きみをこの手から離すくらいなら、ずっと墓の中がいい。オレのわがままを許してくれよな」
「きみと一緒に眠らせてくれ。すぐには朽ちれん体だからな、ゆっくり錆びて風化することとするさ」

「たまにな、きみの初期刀殿が神気を送ってくるんだ。放っといてくれて、ゆっくり寝かせてくれて構わないってのにな、心配性というか、面倒見が良すぎるというか、……まあ、ぜーんぶあいつに押し付けて来ちまったのは悪かったと思ってるぜ。けど、ま、許してもらおうぜ。きみがいない本丸が時を重ねるのは耐え難い」

「ようやく少し錆びてきたかな。ここには時間の感覚が無いから、時の流れを実感するのはこれだけさ。……永いなあ。いつになったらきみのところへ逝けるやら」
「なんてな。最初からわかってるんだ。オレは朽ちてもきみと同じところへは逝けない。だからこれは無意味なことで、……ただの感傷なんだ。けど、それでも、きみを手放すのが嫌だったんだ」




鶴丸を政府に問答無用で埋められ
この本丸は、愛する主人に続き、『近侍』という、本丸最大の支柱を唐突に喪った。
「俺、止められなかった」
加州は顔を覆い、絶望的な後悔に溺れた。
「誓ったのに、お前のことは、俺が止めるって!」
顔を覆ったまま、ぐしゃっと潰すみたいに、加州は絶望的な声を上げた。
「主に合わせる顔が無い。あるじの望みは、誰よりも、誰よりも、あいつの幸せだったはずなのに!」
指の合間から涙が伝う。
「馬鹿だ、あいつ。あんなに主が幸福を願ってたのに、あるじが居ないなら不幸になりたかったんだ。ずっと、ずっと、そのつもりで、あいつ」
「知ってたのに! あいつは、誰の言うことも聞かない。誰が止めても聞かない。自分で勝手に決めて、勝手に背負って、勝手に選ぶって」
「だから、だから! 俺が、止めてやらなきゃいけなかったのに!!」

「僕たち結局、ずっと鶴さんに護られてたんだね……
光忠のひどい憔悴は、ボロボロで見ていられないほどだった。寝込んだ燭台切光忠が、傍らに座る太鼓鐘へ、あまりに深い後悔を吐き出した。
「少しでも支えられてたかも、なんて、とんだ思い上がりだった。僕は結局、何もできなかったんだ。はは、なんて無様なんだろう」
……みっちゃん、みっちゃん。それは違うぜ」
「違わないよ。僕ら、鶴さんの犠牲の上に立ってたんだ。僕、なんで笑っていられたんだろう、そんな資格、無かったのに」
絶望に溺れる光忠に、貞宗の声は届かなかった。

鶴丸国永は、愛する主人の後を追って、副葬品として共に埋葬されることを選んだ、
加州清光は、金打の誓い「お前は俺が止める」を果たせなかった。
燭台切光忠は、心折れ、ボロボロになるまで憔悴して寝込んでしまった。そうした形で、主を中心とした近侍、初期刀、最古参刀の三本柱が一気に全部折れた状態となる。

光忠は、最初こそ、みんなのために無理した笑顔でご飯を作ろうとしたが、無意識に手が動く料理が全部、主と鶴さんの好物で、それを自覚した瞬間に、ボキッと心が折れてしまう。
(だめだ、作れない)
作っても、作っても、誰よりも食べて欲しかった二人には、もう食べて貰えないのだと。
彼女と彼の「おいしい!」「美味かったぜ!」の笑顔が二度と見れないのだと思うと、厨で崩れ落ちて涙が止まらなくなって、立てなくなってしまう。

見かねた歌仙が、燭台切に強制休息を申し渡して、燭台切は部屋で寝込む形となり、歌仙が厨で食事を作る。
歌仙は、「彼女が居なくとも、僕は番長補佐だからね。彼女が残してくれたお役目だ、変わらず果たすさ」と、しゃんと立つ。
塞ぎ込んで食事を取ろうとしない刀も少なくなかったが、歌仙は一人一人の部屋を訪れては引っ張り出し、時には叱りつけ、時には寄り添い、食事を取らせた。
歌仙は、三柱が欠けた中で、表立って皆を支えた。

最初に鶴が欠け、加州が崩れ、燭台切が寝込む。それは、連鎖する負のドミノのようだった。最初の三振りが三者三様に崩れ落ちた中、最も古い四振り目として残された太鼓鐘は、みんなにしきりに「大丈夫か」と訊かれるが、太鼓鐘は哀しく笑う。
「オレ、いつかこうなるんじゃないかって、思ってたんだよな」
貞宗は唯一、彼女の心の傷の形を直で見聞きし、それを包み込んでいた鶴の傾倒の深さを知ってたから。
「鶴さん、主のこと、愛しすぎてたからさ。俺、そばでたくさん見てたから」
そんな太鼓鐘を、物吉が抱きしめ、亀甲が肩を叩く。
この本丸に残った、最初の六振り。三本柱が崩れた中、残った貞宗三振りが、互いを支え合いながら。


「三日月、あんたは知ってたのか」
「いいや」
静かに三日月宗近は、首を左右に振った。
「だが、あやつが身を滅ぼさんほどに深く、主を愛しておったのは、知っていたとも。そうか、そうか、俺が来た時にはもう、その覚悟を固めていたか」
三日月は美しいかんばせを月光に晒しながら、夜空を見上げた。
「嗚呼、遣る瀬無いな。この身、還る日が来ても、あやつはいない、か」

目を閉じ、この本丸に呼ばれた日のことを思い出す。
無邪気に笑った主人の背後で、安堵と申し訳なさをない混ぜにしたような、複雑な表情で眉を下げて笑っていた、あの日の鶴丸のことを。数十年前など、昨日のことと変わらない。

なぜ鶴丸が、一向に三日月をこの本丸に招こうとしなかったのか、謎が氷解した。
あれは、いつか必ず来る友の喪失を慮ったのだ。だが、他ならぬ愛する主のために、三日月を呼ばざるを得なかったことを、内心で詫びていたのだと。

ままならないものだ。
謝る必要などありはしなかった。行き着く先が美しい地獄だとしたら、それでも共に歩くのが、友というものだろうに。

「最愛を亡くした悲嘆に、何日でも付き合ってやる心積もりだったんだがなぁ。いささか予定が狂った」
奥から一瓶、強い酒を出してきて、三日月は裾を払って座った。

「この老いぼれの弔い酒に、付き合ってはくれんか」



長谷部が、鶴丸が欠け、燭台切と加州清光が倒れたこの本丸を何とか維持せねばと、政府の書類やら制度やらを纏めた資料庫をさらうと、鶴丸が残した、鶴丸にしか分からなかった仕事の引き継ぎ書が出てくるわ出てくるわ。
これさえあれば、鶴丸が欠けても早々仕事には困らない、そういう類のものだった。

主の晩年、奴がこの手のものを作っていたのは知っていたが、あくまで主の側に控える時間を無為に削られたくないがためだと思っていた。
「馬鹿者が」
長谷部は書庫で一人、そう吐き捨てた。
らしくもなくこんな退屈なものを逐一作っている暇があったら、泣き言の一つも漏らしてみせれば良かったものを。




《本科と主の春の日》

主の生前、床に伏せた彼女の元にも、本科は幾度も訪れていた。
政府の仕事や任務で多忙を極めているはずと知っている彼女はしきりに長義を気遣っていたが、そんな彼女に本科は澄ました顔で
「その程度、とっくに終わらせてきたよ。女性とのわずかな逢瀬の時間も作れない甲斐性無しのように俺が見えるのかな、レディ?」
とクールに笑っていた。

微笑む長義の瞳の奥にあった確かな慈愛の色を、彼女もオレも知っていた。
今、彼女がここにいたら。きっと頷いて笑ってくれたと思う。

彼女の葬儀には、本科も参列していた。
葬儀の夜まで、いや、火葬の朝までは。長義は、この本丸に受け入れられていた。

事が起きたのは、彼女の火葬が終わり、彼女を見送った朝のこと。
鶴丸の封印を告げ、長義が本丸中から目の敵にされてしまったのは、その後。


どうして、こんなことになってしまったのだろう。

本科には、本当に感謝していた。
彼女の望みのために強くなってみせる。国広の決意に実行力を与えた、長義の尽力はとても大きかった。

山姥切長義という刀の在り方を、彼女は心から美しいと信じていたし
そんな彼の写しであるということを、引け目でなく揺るがぬ誇りに彼女が変えてくれた。

そう。写しであることにすら、彼女が誇りをくれたから。
幾度となく自分を鍛え上げてくれた本科に、感謝こそすれ、含むところなど何も無かった。

この本丸が歴史修正主義者の罠に掛かった時も、鶴丸国永が呪符で暴走した時にも助けてくれた。幾度となくこの本丸を助け、自分が絶えず彼女の物語でいられるくらいの実力をつけさせ、彼女の笑顔の一端を担ってくれた。

その全てが偽りだったなんて思えない。だから。

そうだ、今思えば、鶴丸国永が呪符で暴走した時、長義の立場なら折ってしまった方が都合が良かったはずだ。だから。

国広は、唇を震わせ、声にならない空気だけ吐き出した。

…………言えない)

国広は、自分の喉を掻きむしって両膝をついた。
言えるはずがない。長義は悪くないと擁護して、気が楽になるのは自分だけだ。
鶴丸の犠牲を、やり場の無い怒りを、苦しみを、ただでさえ追い詰められた加州清光を、仲間たちを。
本科は悪くない、悪いのは何も出来なかった自分たちの方だと、どの面下げて言えるのか。

ああそうか。恐らく本科は、何もかも理解して、憎まれ役を買って出てくれたのだ。
なら、オレにできることなど何も無い。何も無いのだ。


鶴丸を失った本丸が、長義を憎んだことが。
こんなにも耐え難く、苦しい。


苦しかった。彼女を見送っても、歩いていける。でも。
彼女と長義のあの時間が、偽りだと断じられてしまったことは。

彼女が愛した物語を、仲間に否定されることだ。

「すまない」

お前の物語を護り続けると、確かに誓ったのに。

奥歯を割れるほどに噛み締めて、固く瞼を閉じる。
すると、国広の瞼の裏に広がったのは、泣きそうなほど平和な春の刻だった。

桜が散る縁側で、主と長義が笑っている。

暖かな春の陽射しが降り注ぎ
きらきらと彼女と本科を照らして
嬉しそうな主の笑顔と、澄ました顔で笑う長義の

あの穏やかで綺麗な時間が
国広の希望だった。

ああ、オレは
あの時間がこんなにも好きだったのかと
自分が愛していた光景の美しい輪郭を、今さらになって、思い知る。

もう二度と戻れない。

心から嬉しげに笑った彼女が、微笑んだ長義と時を重ねる
あの穏やかで綺麗な時間が
ここにいる山姥切国広という刀の希望を形作る、かけがえのない無二だった。


思えば自分は長義に貰うばかりだったが、代わりに自分は何をしただろう。
思い返せば返すほど、ただ与えられてばかりだった。

大事な物語を嘘にされることが、こんなにも苦しいなんて知らなかった。
どうして、もっと早く気付かなかったんだろう。本科には、オレを憎んでもいい理由があったんだと。
でも、あいつは、嫌味こそ口にすれど、自分の功罪に無頓着すぎたオレを、本気で厭ったことは一度も無かった。
それどころか、何度も何度も助けてもらった。彼女と一緒に。

それは、それは。
どれほど難しいことだっただろう。

「あんたは、哀しい物語は、好きではなかったよな」
国広は、泣き崩れたまま、今はいない彼女に語りかけた。
「あんたなら、どんな哀しい物語にも、優しい意味を見出しただろうが、……すまない、オレにはわからない。どうすれば、あんたが笑ってくれるような結末にできるのか」
額の鉢巻ごとぐしゃりと握るみたいに、国広は泣いた。
「わからない、わからないんだ、すまない、すまない」



昔は、和泉守兼定と陸奥守吉行の折り合いはいささか悪かった。
憎み合っているわけでは決してなかったけれど、どうにも反りが合わず、意見の衝突が絶えず、殴り合いの喧嘩が絶えないような間柄だった。
恐らくは、互いを意識することをやめられなかった、要は意地になっていたのだろうと思う。

そんな二振りに、堀川たち新撰組の刀も、肥前たち土佐刀もたびたび頭を悩ませていたが
そんな二人の裾を引いて、穏やかに静観していた彼女はある日、笑ってこう言った。


あのね
兼さんもむっちゃんも言ってたよね

兼さんの元の主も、むっちゃんの元の主も
この国の未来が良いものになるように、って
戦った人たちなんだよね

歴史は勝者だけじゃない、勝者と敗者が居て初めて作られるって
だから、歴史に勝ち負けや人の過ちがあっても、歴史が歴史である以上、間違いはどこにも存在しないって

その人たちが戦って掴んだ先の未来が
私が生まれた時代なんだよね

あのね、私が生まれたことが間違いじゃないのなら
それは、その人たちがどっちも間違ってなかったってことになるんじゃないかなあ
そうだったらいいな、って、わたし思うんだ






そんな中、初盆も明けてない状態で、いきなり政府の役人が連れてきた、子供。
要人警護本丸としての責務を果たせと。

この子はお前らの元主人とは到底比べ物にならないほど重要な要人、だから絶対護れ、などと宣われて
いくら温厚で優しい付喪神たちの集まりでも
「さあ今からこの八歳の見知らぬ子供を主人と仰ぎ、折れてでも護れ」などと急に言われても、いささか承服しかねる。
しかも子は八歳。七つまでは神の子、それ以降は神の子ではない、この辺りの感覚は彼らにとって物凄くシビアで、冷遇こそしなくとも『幼いから無条件で助けてやる』なんて話にはならない。

怒り心頭で政府の役人を追い払った和泉守兼定は、割れんほどに奥歯を噛み締めて、消えない怒りを震えながら吐き出した。
「政府の連中、よりによって、嬢ちゃんを『間違い』扱いしやがった!!」


本丸は、鎖国派と開国派に分かれて
和泉守と陸奥守が殴り合いの大喧嘩をすることとなる、

怪我をした二人は医務室で、薬研藤四郎の前で宥められ、なお、決裂することとなる。
「おいおい、大将が残してくれた霊力は、こんなことに使うためじゃないだろ?」
そう薬研がたしなめる一方で、薬研はふっと遠くを見た。
……いや、案外、こういう時のためだったのかもな。理由の如何を問わず、どんな小さな怪我でも治したがるお人だったから」
ぐっと言葉に詰まった和泉守は、黙って素早く立ち上がり
「霊力を消耗したことは謝る。だが、間違ってるとは思わねえ」と背を向けて立ち去る。
その背に陸奥守が「和泉守!!」と叫ぼうと、和泉守は振り返らず
これ以降、陸奥守がどれほど前に出ようと、直接ぶつかることもなくなり、冷戦の様相を呈するようになる。



陸奥守吉行はこう言った。

いくら主の残した霊力が膨大でも、長くても十数年、短ければ数年もすれば枯れるぜよ。あっちゅーまじゃ。先は見えちゅう。
政府と戦えばそれだけ手傷も増える。時はますます早まるぜよ。
それどころか、政府の要請に応じんかったのを理由に、いつこの本丸ごと隔離いて放棄されゆうかも分からん。
そがなんになったら、残るがは顕現できんなった鈍が累々と積み重なる未来だけぜよ。

そがなんになったら、誰が嬢ちゃんの生きた証になっちゃれる?
本霊にも還れず、語り継ぐこともできず、ただ死するように止まる。
そがな『退屈』は、近侍殿がいちばん嫌がっちょった。

わしじゃってなあ、待てるもんなら待ってやりたい思っちゅう。
仲間を大事に思っちゅう気持ちは、わしじゃち変わらんきに。

けんど、その時間が無いがなら
どれほど痛うても、受け入れて前に進まんといかん。それができんと、待ちゆーのは破滅ぜよ。

ああ
あとちくっとでも、時間があったらなあ

やるせないぜよ
おんなじ方向見て前に進まんとならんこがな時に
なして内輪揉めせんとならんがじゃ

けんど、どうしても譲れんがじゃ
主たちが見たかった夜明けの先を
代わりに見届けるがが、遺されたものの務めじゃき




和泉守兼定は、仏壇の前で、こう言った。
何も答えない彼女の遺影の笑顔に向けて、とつとつと話しかけるように。

正しいだけじゃ、護れねえもんもある
なあ嬢ちゃん。最近な、同じ夢ばっか見る。
あんたもいる宴の夢だ。
おかしいか? 刀といえど今は人の身だ、夢ぐらい見るさ。
あんたがいて、連中もみんな居て、酒呑んで暴れてバカ笑いして、呑みすぎてぼーっとする次の朝に、ああ、起きて嬢ちゃん見送らねーとなって思って、現実で目が覚めるんだ。
するとよ、目ぇ覚めて頭がはっきりするまでのほんの少しの間だけな、あんたの霊力が本丸中にあんまり鮮やかに残ってるもんだからよ、まだあんたが居る、あの日の続きみてえな錯覚を起こすんだ。

それにな、実のところ
ほんの少しだけ、慰められんのさ

知ってるか、嬢ちゃん。
朝餉を食いに来る連中な、一瞬だけ、あんたの席を無意識に目で追ってる。
朝食の席に、あんたがいるような気がしちまうのさ。
どれだけ頭で分かってても、少しの間だけ夢から醒めれねえんだろうな。

わかってるさ。いくらあんたが残した霊力ったって、いつかは少しずつ薄らいでいく。
そしたら連中も、次第に夢から覚めるだろう。少しずつ現実を受け入れて、立ち直って前を向けるようになるはずだ。

だが、今はダメだ。
今この慰めを突然奪い取られたら、心が折れちまう刀がたくさんいる。

なあ嬢ちゃん。あんたと近侍は、この本丸を愛しすぎるあまり、ちっとばかし、連中を甘やかし過ぎたな。
あんたらが思ってた以上に、あんたらがいねえとダメだったみてえだ。

仕方ねえ。心配すんな、嬢ちゃん。後のことは、このオレにどんと任せとけ。

連中が、醒めたくねえ夢から醒める日まで
時間は、オレが何としても稼いでみせる。

連中が鶴丸あいつと共倒れになるぐれえなら
最悪、『政府に反抗的な処分対象』はオレ一振りで構わねえ。

負け戦は百も承知だ。
気にすんな、幕府おかみに楯突く逆賊扱いには慣れたもんさ

ああ、まったく。
なあ、今さら、土方あんたの気持ちが少しだけ分かった気がするよ。

どう足掻いても負け戦。
間違ってると分かってても、男には戦わなきゃなんねえ時があるってことをさ。
護りてえもんがあるってのは、厄介だな。
そうだろ。




だが、そんな中で
加州清光は独断で、政府に連れて来られたその子どもを、護ると決めた。誰に言い訳することもなく。誰にも弁解せず。

彼女の匂いすらまだ残った主の私室に、彼を招き入れた。みんなは愕然としたし、怒りを覚えた者も居た。掴み掛かった者もいた。加州は何も言わなかった。
言い訳ひとつ、弁解ひとつ、説明一つしないで、彼を新しく主と呼んだ加州清光は、まるで主欲しさに鞍替えしたかのようで。
いくら温厚な優しい付喪神の集まりでも、いくらなんでも、多少は、溝もできないほうがおかしい。

和泉守は加州に掴みかかり、どういう了見だと、意図を言えと迫るが、加州は何も言わない。何か考えがあるなら言えと迫るも、頑なに口を割らない。
「なんでッ! よりによって、てめえが!!」
怒りに震える和泉守に殴られ、背を柱に預けて、ずるずると座り込んで
「勝手にしろッ!!」
と言い捨てられて、仲間が去っても、腫れた頬を手の甲でぐいっと拭って、加州清光は何も言わなかった。

かつては主と鶴丸を中心に、穏やかに愛情深く一致団結していたはずの本丸には、冷たい溝が横たわり、冷え冷えとした空気が漂う。

加州は全部わかっていて、独りで全部背負うつもりだった。
だから、主人を喪ったばかりのみんなに新しく主を受け入れろなどとは言わず、鶴丸を止められなかった責任に言い訳もせず。
ただ、ただ、次代を、愛した。彼女なら、きっとそうしたから。




加州清光は、絶望の淵で思った。

こんな時、主ならどうしただろう
あいつならどうしただろう

俺たちの主は、どんな衝突にも、優しい理由を見つける天才だったから
もしここにいたら、あんな政府の連中の態度にも、優しい理由を探しただろうか。

「信じる、って魔法なんだよ」
彼女がそう笑った日をふと思い出した。

「本当はね、泥沼の戦なんてしなくても、人は過去は変えられる。受け入れがたい過去があっても、それにかけがえのない意味があると信じられれば」

「望む未来を掴むのに、本当は過去を変える必要なんてないんだ。ただ、信じることさえできれば」

「歴史修正主義者の人たちも、それに気付ければいいのにね」

加州清光の脳裏に、俯いた小さな子供の姿が過ぎった。
横柄な政府の役人の後ろで、小さく震えていた子供のことを。

加州清光は、こんのすけを呼び、調べさせた。




引き継ぎの男の子は、八歳にして優秀な先見だった。
政府で慎重に保護されるほどの。

あまりに強すぎる力を持った先見。
政府で慎重に保護される、正真正銘の『要人』

同じ先見にもランクがある。
大半の先見は、ほとんど確定した未来を少し早く夢見できる者たちだが、彼は違う。
膨大な不確定の可能性の中から、自分が手繰り寄せたい未来を掴むことができる、自他ともに『変化可能』な未来を読める最上級の先見だ。

つまり、彼の先見があれば、時間遡行軍との戦いは、著しく優位となる。彼の存在は必要不可欠と言っていい。
だからこそ、歴史修正主義者は、躍起になって彼を殺そうとしている。八歳にして彼は既に二十五回の暗殺を経験している。

彼の先見では、自分は元服を迎える前に殺される未来がほとんどを占めているとのことだ。
同時に、自分が元服を超えられる可能性があるのは、この本丸だけだという。
だから、鶴丸国永封印という、できれば触りたくない瑕疵本丸に、要人警護の任務が回って来た。

他の本丸では、100%元服前に死ぬと
生き残る可能性があるのはこの本丸だけだと、そう己の先見で出た状態でやって来た
わずか八歳の男の子、次代の主

いったいなぜ、星の数ほどある本丸の中で、ここにやって来たのだろうと
訝しく思った加州が、こんのすけを通して調べると、彼はなんと、先代の彼女が救った命だった。
まだ胎児の頃に、妊婦だった母親を主が助けた。それが彼女の仕事だった。

主が救った患者の子が、先代が天寿を全うした後、次の主としてやってきたのだ。
親兄弟も無く、母も亡くし、他に寄る辺の無い、この子供を
真に命懸けで護ってくれるような者が、ここにいるから。

「あるじが助けた赤ん坊だって。鶴丸、あの馬鹿、会ったら喜んだだろうに」
って、加州は一人で泣いた。加州は、こんのすけに固く口止めした。

(そうだ、彼女は現世でずっと助けてた)
初期刀で打刀の加州は、本丸の誰よりも多く、主が現世で人を救う姿を見ていた。

だから、現世には、彼女が遺した命が、たくさん、たくさんいるんだと
血縁者は誰一人遺してくれなかったけど、彼女が救った命は、生きた証は
現世に、未来に。たくさんいたと。
そう、彼女と鶴丸の喪失に押しつぶされそうだった加州に、その身で教えてくれた小さな命

触れると、手を握ると、未来を見てしまう次代を
躊躇わずに抱きしめてくれた加州清光

力なんて関係ない、ただ、ただ
「生きててくれて、ありがとう」って

母親を早くに亡くして
触れたら死ぬ未来を見られるかもしれないと
侍女役にも、極力触れられずに世話をされてきた、孤独な子供に

加州清光は、心から愛を注いでくれた。
彼女が教えてくれた愛し方で

「彼女はね、口癖みたいに言ってた。大事な俺たちの大事な相手なら、それは自分の大事なひとだって」

風呂上がりに幼子の髪をふわふわと拭く加州が、柔らかい髪に顔を埋めるように笑った。

「彼女が助けた命だ。あの人の大事なものが俺の大事なもの。だから、ぜったい、絶対に死なせない。俺が護ってみせるから」

まだまだ幼い子
自分が死ぬ夢を見て、震えておねしょをしてしまった子を
叱らずに、添い寝してくれた加州清光

清光のわずかな仮眠の合間に、恐る恐る、投げ出された清光の手を握る次代

目に飛び込んだ先見は、自分を庇って折れる清光の最期だった。

転げるみたいに飛び込んできた
まだ、新しい主を受け入れることに戸惑う
初盆すら迎えていない、主と鶴丸を喪ったばかりの刀剣たちの中に

やだ、きよみつ、折れちゃう、たすけて、たすけて!!!!
声を枯らして泣きながら

ぎゅってしてくれたの
一緒にお風呂入ってくれて、シャンプーしてくれたの
いいこ、いいこって、してくれたの
やだ、やだ、折れちゃやだ
きよみつが折れちゃう、たすけて、たすけて

たすけて かみさまあ!

身を切るようなその幼子の叫びに

……なにやってんだ、僕」
自分の頬をグーで力いっぱい殴り飛ばした安定が、ガッと音を立て、折れた奥歯をペッと畳に吐き出した。

泣き叫んでいる子どもの肩を持って
「大丈夫、清光は折らせない。させない」

「僕は大和守安定。扱いにくいけど、いい刀のつもり」
そう言って、名乗りを上げた。主に参じる時の名乗りだった。
「お、おい
「僕は馬鹿だ。大事な彼女に言われてた。絶対、絶対に幸せでいてねって」
皆、はっとした。
「クソ喰らえだ、あいつを独りで戦わせたままの幸せなんて! そんなの彼女はぜったい望まない、不甲斐ない、こんな分かりきったことに気付くまで、こんなに時間が掛かるなんて!!」

「新しい僕のあるじ、先見だね? 清光はいつ折れるの?」
「わ、わかんない、でも、ゆ、ゆき、雪が降ってて」
「今は春いや、現世なら秋か!? 時間が無い。あるじ、僕も視て」
「大和守!?」
「大和守さん!?」
「最上位の先見は、未来の揺らぎも見えるって。だから」
「で、でも、でも、」
子どもが、ぐしゃっと泣き顔を歪めた。
「つ、次は、かわりに、かみさま、かも」
「大丈夫、彼女が人生を賭けて鍛えた本丸はそんなに弱くない。清光の代わりに僕が折れるなら、それを止めてくれる刀が必ずいる!!!」

安定は、新たな主に、力強く手を差し伸べた。

「信じて、きみの声に応えた僕を、彼女を!!」



泣き腫らした子供は、輪をかけてしゃくりあげながら
安定に手を伸ばして、
指先が触れた瞬間に、安定は小さな主を固く抱きしめた。

「絶対、助ける。清光もきみも」

幼子は、火のついたように、声を上げて泣いた。



唖然とする皆の中から
やがて、最初に進み出たのは太郎太刀だった。

「私は太郎太刀、人に使えるはずのない実戦刀です。……ですが、かつてその私を、使いこなしてみせた者がいました。一人は大男で、もう一人は小柄な娘でした」

名乗りを上げた太郎太刀は歩み寄って、子供と目を合わせるように片膝を折った。

「彼女は言っていました。自分の大事なひとを大事にしてくれたあの男は、自分の大事なひとだと」
「き、きよみつ、も、おな、おなじこと、言ってた」
「ええ、ええ。彼女の口癖でしたから。……そんな彼女に使われるのが好きだった。だから、彼女を見送った後、他に振るわれるのを拒みました。まったく、私はあきれるほど成長が無い」

安定の手を固く握った小さな子供の手の上に、太郎太刀がその大きな手を乗せた。

「加州清光、あれは彼女の宝です。それを想って泣く貴方をどこかで彼女が見ていたら、きっとこう言ったことでしょう。自分の大事なひとを大事にしてくれた貴方は、自分の大事なひとだと」

太郎太刀が、不器用に微笑んだ。

「彼女の大事な人は、わたしの大事な者です。賭して護りましょう、加州清光も、貴方も」


……あーあ、兄貴に先越されちゃったかあ」
不器用に頭を掻きながら、どこか吹っ切れたように次郎太刀が進み出て並んだ。
「らしくないことしちゃったぁ。弔い酒より、祝い酒の方が良いって、あの子なら言うよね。アタシらに大事なものができたって、喜ぶばっかりの子だったよ」
太郎太刀の手の上に手を重ねて、次郎は泣き子にひとつウィンクした。
「何の因果か、まぁた呑めない主かぁ。ま、でも今回は、呑める歳まで護ってやればいいだけかぁ! アタシは次郎太刀。兄貴の太郎太刀同様、ま、今後ともよろしくぅ」


……だあ! ったく、不甲斐ねえ!」
ガリガリと頭を掻きながら、和泉守兼定が進み出た。
「カッコ悪りぃところ見せちまったな。嬢ちゃんに笑われちまうぜ」
目に鮮やかなだんだらを翻し、和泉守は小さな主人の前に膝を折った。
「俺は和泉守兼定。カッコよくてつおーい、最近流行りの刀だぜ? だから、もう安心だ、チビすけ。この兼さんが来たからにぁ、もう心配ねえ!」

「ああ見えて刀使いの荒いねーちゃんだったからな。この声が聞こえてたら、ぜんぶ丸ごと救ってやって欲しいって、無理無茶難題言ったに決まってやがる。仕方ねえ、やったろうじゃねえか」

一振り、また一振りと、握った安定の手に手を重ねていく中
小さな主は、声を枯らして泣き腫らした。


細い隙間を残して閉じられた襖に、背を預けるように。
暗い廊下で、腕を組んだまま目を閉じていた加州清光は、ふと顔を上げた。
そこには、同じく暗い廊下に佇んで、燭台切光忠が、憔悴した様子で淡く微笑んだ。
「いい子だね、きみが選んだ新しい主は」
「うん、優しい子だよ。……布団で気付いたら腕の中に居なくてさ、入るに入れなくなっちゃって」


「鶴さんがここに居たら、きっとあの子を護ったと思う」
パシ、と両手で自分の頬を張った燭台切が、濁っていた目に澄んだ輝きを再び宿した。
「あの子だけじゃない。鶴さんならきっと力を尽くしたはずだ。彼女が遺したこの本丸の一振り一振りを、何としても欠けさせないために」

「そうだ、鶴さんならきっとそうした。だから、彼女と鶴さんに代わって、僕がしっかりしなくちゃいけなかったのに。かっこ悪いな」

燭台切は、加州清光に手を差し出した。

「今からでも間に合うかい? きみと同じものを、どうか僕にも護らせて欲しい」




「はぁ!? 彼女が救った赤ん坊!?」
「そっか、だから……道理で!」
「合点がいったぜ、だから先見を辿ってここまで来たのか、縁のある守り手が他に居なくて」
「バカ、バカバカバカッ!! なんでそんな大事なこと言わないわけ!?」
「最初から知ってたら、僕たちだって」

……だって」
取り囲まれた加州清光が、正座させられたまま、目を逸らした。
「そんなこと言ったら、折れるまで戦う連中がいっぱいいるじゃんあいつの後を追いそうなのも居たから
光忠を始めとして、方々でぐっと言葉に詰まった気配がした。加州は深く項垂れて、暗い声を出した。

「だから、責任取って、俺が一人で助けなきゃって
ぐっと言葉に詰まって黙り込んだ皆の中で、真っ先に歌仙が進み出て、加州の頭に力一杯、拳骨を落とした。
「イッッっっったあ!」
「馬鹿を言うんじゃないよ。それで折れてりゃ世話は無いだろう。新しい主に感謝するんだね」
歌仙はドスを効かせた。
「ふざけるなよ。彼の次はきみか? 彼女をどれだけ哀しませれば気が済むんだ」
唖然とする加州の胸ぐらを掴み上げ、歌仙は至近距離で叫んだ。

「彼女に胸を張りたいなら! 石にかじりついてでも望みを果たせ! きみこそが初期刀だろう! きみの望みが彼女の望みで、彼女の願いは僕らの願いだ!!」

歌仙は加州を突き飛ばすと、あぜんとする加州に「ふん」と鼻を鳴らした。
「それを独占しようなんて片腹痛いね。まったく、揃いも揃ってだらしもない」




あのままなら、加州はたった独りで折れて、その後で、二代目が先代が助けた赤子だったとみんなが知ることになって、加州を喪ってから加州の気持ちを知って、後悔することになっていた。
先見に助けられたのは加州一振りだけじゃない。だから、そんな最悪の未来を回避してくれた先見の力に、感謝こそすれ、厭うはずがないじゃないか。と。
この本丸の刀達は、次代の持つ力ごと、大事にしてくれた。だから次代は、自分の異能を、こんなにも自分を殺そうとする力を、憎まずにいられた。

この力で、大事な刀たちを
誰かを助け続けようと、思えた。
それが、未来を作る。

「先代の主は俺に、幸せでいるようにとお命じになった。俺ならきっとできると。それがあの人の最後の主命だった」
長谷部は、泣く次代の前に片膝を付いた。
「ですから、小さき主。どうか泣かないでください。この長谷部が共におります。先代の主命を果たし、いついかなる時も必ずや貴方が幸福にこの本丸で過ごせるように力を尽くします」
「貴方が視る恐ろしい死が、現実になる日は来ません。この長谷部がいるからです。ただそう信じてさえくだされば、どんな困難をも押し斬ってみせましょう」
「俺にとっては、先代が絶えず信じてくださることこそが力でした。ですから、小さき主。信じる強さをどうか手放さずにいてください。自らのために信じることが恐ろしいなら、俺のために、どうか」





《勝手な愛》

鶴丸の最期について、大倶利伽羅は終ぞ、他者に何も語らなかった。
馬鹿が、と一度だけ吐き捨てたものの、奴が自ら選んだ死にざまに、それ以上、表立って口を挟むことは無かった。

『おーい伽羅坊、見てくれよ。今度のトラップは驚きの出来だぜ?』
余計なことばかりペラペラと喋る癖に、本当に肝心なことは何も言わない秘密主義者だと、嫌になるほど知っていた。

ふざけたことばかり抜かして、しでかした諸々に文句を言おうと振り返ると、ひどく愛情深く目を細めてこちらを見ているような男だった。
そのせいで喉に押し留められた文句はごまんとあって、そんな大倶利伽羅に気付いてきししと歯を見せて笑うような、狡くて憎めない奴だった。

あの当時、なあ伽羅坊、なあ光坊、なあ貞坊と、しきりに笑って跳ね回るあの男が、誰よりも寂しがり屋だと気付いたのはいつだったか。
頼んでもいないのに、勝手に助けて、勝手に手を差し伸べて、勝手に騒ぎを起こして、勝手に愛して、勝手にいなくなる。いつだって。そんな身勝手な奴だと知っていた。

俺や光忠や貞宗を、どれだけ追い払っても付かず離れず愛情ある視線で見守ってたあの鶴が、あの主をひどく愛していたことくらい知っている。
知ったことではない。あいつが何を欲し、何を求め、何を愛し、どんな破滅を招こうが。
望むように生き、好きに死ねばいい。本来、それが生きるということのはずだ。

だが、いつか置いて逝くつもりなら、心まろい者の懐に入り込んで忘れられなくするような真似など最初からするなと、大倶利伽羅が怒ったところでどうせ意味は無い。
独りで生きていくことの出来ない寂しがり屋に言ったところで、無駄で詮無いことだろう。

崩れ落ちてしまった光忠が気がかりだった。
こいつが、虐げられた分霊の記憶が濃い個体だということは聞き及んでいる。そんな光忠にとって、平穏な本丸と、愛情深い主の在り方にどれほど心を救われていたかは、想像に難くない。

鶴丸国永の葬送の舞に心から救われたという光忠が、「よりによって鶴さんに彼女の後追いをさせてしまった。彼に犠牲を強いて笑っていたんだ」と、ボロボロなるまで自分を責めたのを、愚かだと断じることなどできない。これは、鶴丸あいつの咎だろう。

大倶利伽羅は、自分が光忠の望む言葉を吐けないのを知っている。だから、余計なことは口にすまいと口を噤んだ。
奴が自分で決めたことだ、と突き放したところで、光忠は救われない。

馴れ合いを好まない大倶利伽羅といえど、光忠が戦場でもない場所で折れてしまうことまでは見過ごせなかった。
本当に崩れ落ちそうな仲間がいて、支えられるのが自分だけなら、倒れそうなところを捕まえて「折れるな」と告げることくらいはする。折れるなら勝手にしろなどとは思わない。
だから、光忠が伏せる側に、何も言わず座っているのだ。

……伽羅ちゃん……
「俺がどこに居ようが俺の勝手だ」

慰めもかけず、発破をかけることもなく
ただ、大倶利伽羅は、刀を抱え、そこに居た。

斬るべきものが無い時、自分にできることは限られているのだと正しく把握している。
だが、無意味ではないということも知っている。

柱に深く背を預けたまま、瞼の裏を見る。
愛情深く笑って「伽羅ちゃんには、本当に護りたいものだけ護り続けて欲しい」と願った主と、結果的に同じものを大倶利伽羅は護らんとするだろう。
何も告げぬ大倶利伽羅が見据える先を、いつだって同じように見据えようと目をこらす主だった。


結局、最終的に光忠は、自らの足で立ち上がった。
それを、大倶利伽羅は見届けた。

あの日、本丸が揺れるほど切実に
たすけて、かみさま と
人の子の強い願いを、久方ぶりに耳にしたあの瞬間

誰もが思い出した。
同じように、強く強く願った彼女の願いを
自分たちを揺らした人の子の願いの強さを

その鮮烈さを
破裂するような熱量を
火傷するような祈りを

自分たちは、それに応えるべきだと
目が覚める思いだったはずだ

光忠が自分で立ち上がって向かうべき方角へ向かうのを
大倶利伽羅は黙って見届け、立ち去った。彼のり役は、終わった。




「あの、あのね、その、視たの」
ある春の日、とたとたと、素足で廊下を渡ってやってきた二代目に、山姥切は片膝を折って、安心させてやれるよう、できるだけ優しい声音で訊ねた。
「どうした、何か怖いものを視たか」
「うんん、あの、あのね」

過去視をしたのだと。
未来と過去の大河を否応なく覗き見てしまう、そんな特別な眼を持つ次代は、そう拙く口にした。

そこの縁側で、先代の女性と一緒に穏やかに笑っていた
夜空の星のように美しい銀色の髪で、宝石のように美しい蒼の眼をした男の人を、見たのだと。

微笑む時の国広にどこか似た空気があるような気がした
だから、そのひとのことを、山姥切に尋ねたのだと
先代の女性を、優しい眼で見ていたそのひとのことを

「桜の下のひと以外、この本丸に折れた刀は居ないって、でも、あのひと、」
顔を上げた次代は、大きな眼をまんまるくする。

山姥切は、限界まで見開いた眼を
泣きそうに、ぐしゃっと歪めたから

顔を覆って、崩れるように泣き出してしまった山姥切に
聞いてはいけないことだったのだと悟って、次代は
「ごめ、ごめんなさい、聞いちゃだめだったんだ、ごめんなさい」
「ちが、違うんだ、あるじ」

唇を震わせ、掠れ声で山姥切は尋ねた。
「なあ、あるじ。そいつは、笑ってたか。オレがお前に微笑む時みたいに?」
「うん、優しい眼、してた。おばあちゃんのこと、大好きだったのかなって、思って」
「そうか、そうか

次代は、一生懸命に拙く頭を撫でて、慰めようとするが、山姥切は決壊したみたいにボロボロと泣き続けた。
……折れちゃったの……?」
「違う、折れてはいない、いない、と思う。あいつは強かったから、本当に強かったから、今もどこかで、きっと誰かを助けてる。オレと主を助けてくれたみたいに」
「会えなくなっちゃったの?」
「そうだな、もう会えなくなってしまった。あの頃のあいつには。だが、それ以上に、……辛かったんだ。本当だった全部が嘘にされてしまったことが」

「笑っていたんだ。あいつにできる最善で、きっと彼女を助けてくれていたと、オレは今でも信じている。彼女は本当にあいつを信じていて、きっとオレたちと同じくらい愛していて、きっと、あいつも、…………だが」

「だが、オレの大事な仲間が、あいつと主の絆を嘘だと断じてしまった。あの笑顔を知っているのはもうオレだけで、確かに本当だったはずのことが、何より大切だった物語が嘘にされてしまう、それを知っているのがオレしかいない、それが、それが、…………こんなに辛いことなんだと、オレは、知らなくて、」

山姥切は泣き崩れたまま、ひぐ、と喉を鳴らした。

「山姥を斬ったのはオレじゃない。あいつの物語を嘘にしたのはオレなんだ。なのに、あいつはオレを、嫌味一つで何度も助けてくれた。それが、どれほど難しいことだったか、……今なら、少しは理解できるのに」

「だが、お前は言ってくれた。あいつは優しい眼をしていたと、きっと彼女を大好きでいてくれたと。……ありがとう、主。オレはきっと、もうそれだけで歩いていける」

涙声で山姥切は、何度も何度も、ありがとう、ありがとうと繰り返した。

「だから、主、頼みがある」
「うん」
「お前が見たことは、本丸の誰にも内緒にしておいてくれないか。お前が、お前だけが知っていてくれ」

「お願いだ、どうか、どうか、お前だけは、あいつと彼女の物語を嘘にしないでくれ……っ」

山姥切は、小さな二人目の主を固く抱きしめた。

「オレは、きっと、それだけで歩いていけるから」
「うん、うん、……わかった」





先代の命日には、毎年、酒を持って桜の霊木のたもとの墓の前に来る加州清光。

彼女の遺影を手に、清光は青空を仰いだ。
金色の桜は、咲かない。

「今さらだけどさ、あいつの気持ち、ちょっとわかるよ」

二代目が来た時、まだ八歳だったじゃん?
さすがに帯直しは終わってたけど、まだちっちゃくてさ
どんなにおっきくなっても、あのちっちゃい頃がまぶたから消えないんだ
あいつも、こんな気持ちだったのかなあ

あの日の幼子は守り抜かれて、気付けば幾年。


成長した彼は。自分をたくさん助けてくれた刀剣男士たちに、彼らを育ててくれた先代の主に、そして、桜の霊木の下に埋まっている鶴丸国永のために。
未来を引き寄せてくれた。

「僕を89年も助けてくれた貴方達に、僕から最後の贈り物があります」

僕の没後、24年ほど主を迎えず、霊力の定期供給を受けながらこの本丸を休止してください。
そして25年目の春に、皆で新たな主を迎えて下さい。

「それが、主の最後の先見?」
「ええ。よろしくお願いします」

老いた手が、術で封じた手紙を差し出す。
「ここに、次の主に指名する方の名が記してあります。まだお産まれになっていませんから、時が来るまで慎重に保管してください」
「分かった。任せて」
加州が受け取ると、老人は長らくの肩の荷が降りたように安堵を滲ませて笑った。

「ふふ、加州清光、最期に一つ、僕のちょっとした秘密をお教えしますね」
「ご承知の通り、僕は先見として生まれました。未来を見ることの方が得意でしたが、過去もごく稀に見えることがあるとご存知ですよね」
「うん」
「僕が生涯を通して一番多く見た過去は、この本丸のものでした。ここは今も昔も笑顔が絶えなくて、────実は、八歳の僕の初恋は、先代の女性だったんですよ」

加州清光は目を丸くした。
深い皺を刻んだ老人はまるで幼い少年のようにはにかんだ。

「恥ずかしいので、皆には内緒にしておいてくださいね」
「ん」
「絶対ですよ」

老人は穏やかに布団に沈み込んで、ひどく幸福そうに微笑んだ。

「ようやく恩返しができそうです。それでは、清光、そろそろ皆を呼んでくれますか。時間のようです」

次代は、愛を注いでくれた清光が語る「彼女」を、最初、優しいおばあちゃんのイメージでいた。実際に過去視で歳を重ねた先代の姿も見た。
そしたら過去視で、若くて綺麗な女の人を見た。愛を注いでくれたその人に、心奪われた幼い初恋だった。

皆で、次代の火葬を見送った。
「人間が作る縁は不思議だね。先代が助けた赤子が次代の主に選ばれて、次代が選んだ子がこれから産まれてくるんだろ」
「うん。何度見送っても辛いけど、受け入れるさ。彼女が繋いで、彼が託した人だ」





そうか、今年で25年目か。
資料を見ながら、そう山姥切長義が口にした。
「彼の功績は素晴らしかったからね。今でも審神者学校の教本に名前が残っているほどだ。
その彼が、全ての恩賞を返上して唯一望んだ報酬なんだ。そのくらいはね」

「それにね、先代の彼女と約束したんだ」
「約束、ですか?」
「ああ。彼女が愛した刀たちが、彼女と同じくらい次代の主を愛せたら、一度で良い、その人をどうか助けてやって欲しいとね」

気付けばもう百年以上前のことさ、と山姥切長義は感慨深げに目を閉じて、深く深く物思いに沈んだ。

「彼の封印の件で彼らには目の仇にされてしまったからね、次代が没するまでついぞ約定を果たす機会が無かったが、ようやく機会が巡ってきた」

忘れた日は無かったよ、と長義は告げる。

「次代のたっての願いだ。手助けしようじゃないか」
ぺらり、と資料を捲りながら、長義はごちた。
「さて、どんな人物が新たな主となるやら」
「────見つけたっ!」
明るい声が弾んで、光の方から駆け寄る足音、遠くから声がする。
すう、と息を吸う音が、不思議とよく聞こえた。

「長義せんせ〜っ!!」

百年ほど聞いていないはずの、あまりに懐かしい呼び名が聞こえて。
山姥切長義は目を丸くして、慌てて体ごと振り返った。





貴方たちを、絶対に誰よりも愛してくれる人に、後を託しましたからね
その人を、誰も欠けずに迎えてください。

次代の主の遺言をしかと護って、ついに来たその日

青い空が澄み渡る、穏やかな春の日
四半世紀も停止した本丸に
ゲートの開門と共に、ひどく見覚えのある黄金の霊力がふわりと流れて
加州はハッとして振り返って、泣き崩れた。

金色の霊力が、停止した本丸へと緩やかに流れていく。
加州清光が連れてくるはずの三代目を揃って待っていた皆は、待機していた大広間を慌てて飛び出し、ゲート前に駆け付けた。

他の刀たちもまた、目撃することになる。
穏やかに微笑んだ長義にエスコートされた、嬉しげに微笑むとある一人の少女を。


次代はずっと、鶴丸国永の封を開けられるように
政府と密かに政治的な駆け引きを続けていた。
自分はあの日、あの本丸の刀の全てを継承したはずだ。
だから、封こそされていても、あれは自分の物だ。
だから、自分が選んだ者に継承させる権利がある、と。

いつか、いつか。
あたたかな過去の本丸の光の中で
優しい彼女と笑い合っていた、彼の絶望を

包み込んでくれる誰かが、この本丸に現れることを。
次代は、心から、願っていた。

自分にはできなかった。どれほど視ても、自分が彼を掘り起こして、彼の絶望を癒せる未来が見えなかった。
そんな、あまりにも低い確率を
次代はずっと未来を手繰り寄せながら探して、探して、探し続けた。生涯を通して。

どれほど低い確率だとしても、彼は諦めなかった。
だって、それがどんなに少ない可能性だって。
今ここで自分が笑って生きている確率の方が、ずっっっっと低かったと知っていたから、諦めない。

どんなに絶望的な確率に思えても
自分を生かす方が、ずっと難しかったはずなんだ。自分を愛してくれた刀たちは決して諦めなかった。その結果、僕はここにいる。
なのに自分が諦めたら。彼らの愛に、合わせる顔が無いじゃないか。

だって自分は、彼らのもう一人の主なんだから。
だから。彼らに誇れるように。絶対に諦めない。

だから、ついに『その人』を見つけたことは、次代にとっても救いだった。
心から喜ぶことができた。自分がこの力を持って生まれた意味はあったと、本当に心から誇りに思えた。
ねえみんな。みんなと出会わせてくれたこの力は、やっぱり、呪いなんかじゃなかったよ。
ああ、生まれてきて、良かったなあ。


ザク、ザク、と墓を掘り起こす音がした。

ようやく少しずつ自分を覆い始めた錆びに微睡んでうとうとと眠っていた鶴丸は、長らくの泡沫から目覚め、ふと顔を上げた。
ぼんやりとした意識で、近付いてくるシャベルの音を、己を目的とした墓暴きを察した途端、ざわり、と怒りで気配を波立たせた。

彼女と自分の永い眠りを妨げた罰当たりを心底祟ってやるとばかりに、金眼を血走らせ、瞬く間に全身を怒りで満ちさせた鶴丸の、我を忘れた荒ぶる怒りの神気を。
押し返すみたいに、ぶわっと金色の霊力が雪崩れ込んできて、途端、鶴丸は怒りも忘れて音を立てて硬直した。
鶴るん、鶴るん、とあの子にしか認めてない呼び名が遠くから聞こえて

柩が開く音がする。光が。
「鶴るん、ただいま!」


封じ札を剥がし、頬に錆が侵食してる鶴丸国永を、抱きしめて彼女は笑った。
「も〜鶴るんってば、前の私がなんも知らないからって、魂に神気でベタベタマーキングしたでしょ〜。わたし今回はちゃんと審神者学校行ったからぜんぶ知ってるんだからね〜」
ぐす、ぐす
「魂に鶴丸国永の印が付きすぎてて、胎児の時点で検査引っかかったんだからね〜? も〜しょ〜がないな〜鶴るんは〜」
ぐす、ぐす
「も〜〜、わたしがいない間もみんなと幸せでいて欲しかったのにな〜〜、あ〜あ、しょ〜がないな〜〜」
「きみが、いないのに、何も幸せなことなんて」
「鶴るんのお馬鹿さん。仕方ない、わたしがもっかい幸せにするしかないか〜〜」

うっわ、錆だらけじゃん。墓守りするなら丁子脂くらい差しなよ〜 せめて休め鞘に入るとかさあ〜、も〜
まず手入れかな〜。錆ちゃんと落ちるかなあ。んもー、わたし今回、前みたく馬鹿みたいな霊力ないんだからね〜。



彼女は、どこに行っても「鶴丸国永の印が付きすぎてる」と言われ続けて「誰だよ鶴丸国永」ってずっと思っていた女子高生だった。

魂に鶴丸の印がべっとりと付きすぎて、その執着の度合いは火を見るより明らかで、普通の刀剣男士なら呼ばれることを避けるので、擬似鍛刀の試験で鶴丸国永以外を一切呼べず落第寸前だった。
これで落ちたらもう退学、というレベルで後のないタイミングで、なんとかなんとか辛うじて呼んだのは、あの日の政府の鶴丸国永で「ん? こいつぁ……」と口にした鶴丸国永を、あんぐり口を開けて「鶴るんじゃん!!!!!!」って叫んだ。このとき全部思い出した。

既にあの本丸は、真の要人警護本丸として実績がある上、鶴丸封印という瑕疵を抱えているという点においても、絶対に新人が任せてもらえるような本丸では無い。だから本来、彼女は、生涯、その本丸に足を踏み入れることは叶わないはずだった。時を越えた、次代の先見と指名がなければ。
だが、次代の指名によって、一足飛びにその本丸は預けられた。新人の少女へと。
次代から彼女へ届いた手紙こそが、未来への白紙の切符だった。


「ねえ鶴るん、後から気付いたんだけど、私のこと神子だと思ってたでしょ。前回は親に愛されたこと無かったから分かんなかったけど、今回は私めっっちゃ愛してもらったから分かるんだよね。それって今も有効?」
「きみはきみだ……
「鶴るんて思ってたよりお馬鹿さんだったんだなあ。人生一周目は気付かなかったよ」


鶴るんたちのおかげで人生一回ちゃんと人間として果たさせてもらったからな〜
今回はね、もうちょっとみんなと一緒にいてもいいかな?ってちょっとだけ思ってるんだ
……は?」
鶴丸はてきめん、動揺した。
「ど、ういう意味だい?」
「さあ、どうかな。前回と違って、簡単に言質はあげないもんね〜」

ふふ、がんばって口説いてね。

みんなで一緒に考えよ。
時間ならあるさ。一緒に幸せになろうね



こぼれ話

《まんばと粟田口の部屋について》
・刀剣男士の部屋は本丸の各方角に散在しているが、概ね刀派と希望で固められている。
・特に粟田口など大人数の刀派が生活するエリアがコ型に一箇所に分布しており、その真ん中に中庭(修練に使える広場)が存在する。
・まんばは展示会後、その中庭で常に修練するようになり、日頃そこで黙々と腕を磨いている。これは「常に空いているスペースではあるが多くの刀の目に留まる修行場」を使うことに対してまんばが一切の躊躇いを捨てた結果。
・中庭は刀剣男士たちの部屋の出口と縁側で面していて、彼らの生活動線で部屋を出ると自然とまんばと目が合う、のでそこで粟田口がまんばと目が合い、廊下を進む間延々と「ちょっといいか」「手合わせに付き合ってくれ」「少しの時間でも良い」と頼まれるので(夜中でも絶対いる)「妖怪・辻手合わせ男」のあだ名が粟田口短刀の間でついた。

《主の部屋と初期刀部屋と伊達部屋》
・主の部屋のすぐ近くに初期刀部屋があり、逆に主の部屋から非常に遠い位置に伊達部屋がある。
・これは鶴丸が主に不信感を持っていた&加州清光が鶴丸を警戒していた時期の名残りで、その位置に鶴丸が勝手に居室を構え、鶴丸を中心に燭台切と太鼓鐘、次いで大倶利伽羅が居室を構えた結果そうなった。だから、伊達の部屋が主から遠いこと(その不便さ)について話題が出ると鶴丸が苦笑する。
・主の寝室に一番近い部屋は、長らく初期刀専用部屋だったが、大和守安定が来た際に加州清光と相部屋になった。
・この部屋の位置は、次代がやってきた時のトラブルの元(※加州独りで次代を護るのに最適な部屋が先代の部屋だったため、加州が反発を承知で先代の部屋に次代を招き入れた)となり、同時に次代が皆に受け入れられた後で非常にやりやすい位置(次代は最初に受け入れてくれた清光と次に応えてくれた安定をとびきり頼りにしているので安心できた。次代は先見が出ると泣きながらこの部屋に来る)となった。

《その他の刀たちの部屋》
・当初、和泉守の部屋は、刀派を考慮して歌仙の部屋方面に割り当てられたが、現在は堀川の都合を優先して和泉守が移動し、和泉守と堀川派の部屋はまとまってる。
・太郎太刀、次郎太刀が隣部屋。すぐ近くに日本号の部屋があり、その間の空き部屋が一つ夜通し飲み部屋として使われている。
・後に顕現する福島も本人の希望で日本号の近くの部屋となった。後に、この部屋からアクセスの良い位置に薔薇園ができる。
・最初だけ日本号が長谷部を部屋の近くに誘ったが、夜通し酒呑みどんちゃん部屋と近いので長谷部に「断固として断る」とにべにもなく断られた。
《主の考え》
・刀剣男士たちの部屋を一箇所にまとめる本丸も多い中、刀剣男子たちの私室を散在させているのは
①本人たちの希望を優先
②戦力が一極集中で偏っていると有事の際にリスク
③戦場や遠征では強制的に一緒だから、プライベートは少し距離がある方がぶつからずに上手くいくと思う
という主の考えを反映している。
だが、これは最初に「鶴丸が加州や主の部屋と遠い位置に勝手に陣取った」ことで強化された考えなので、この辺の話題が出ても鶴丸は苦笑する。
・なお、本人の希望を詳細に聞き取ってから部屋を決める形式を取らなかったのは、大倶利伽羅のみ。
・大倶利伽羅だけは、本人が「どこでもいい」と言ってすぐ、伊達部屋の近くの「鶴丸が抜け出してゲートへ向かうと必ず通る廊下に面した部屋」に主が恣意的に置いた。


《彼女と呼び方の法則の話》
彼女は、長谷部のように「こう呼んで欲しい」という要望がなければ、概ね「名前の頭+ちゃん付け」が多かったので
博多、後藤のように「ちゃん付けだと男らしくなか!」という理由で名前呼びを希望した刀以外はみんな愛称でした。
ちなみに亀甲は「呼び捨てにされたい」の要望で亀甲呼びになってます。

薬研藤四郎の場合はいささか事情が違って
薬研は早めの段階から医務室預かりを引き受けており(先に呼ばれていた乱たちが、医者の主の支えとして、医学に造詣のある薬研を早めに呼ぶことを勧めた経緯がある)
医務室の中では伝達の遅れは命のリスクに繋がることから
合理的な彼女が医務室の中では薬研をちゃん付けしなかったのが理由です。

そうして医務室を出た後はちゃん付けに戻していたのですが
それを見た薬研本人が「一々呼び分けるのはまどろっこしいだろ?俺のことはずっと薬研でいいぜ、大将」と笑ったため「薬研」です。
薬研としては、医務室の中で鋭く「薬研」と呼ぶ時の彼女の方が小気味良くて好ましかったようです。

《二代目の呼び方の話》
次代は、幼いなりに心の機微にとても聡かったので
基本的に二代目は、初代とは違う呼び方をするように心がけていました。

かしゅーは清光
まんばちゃんは国広
みかちゃんは宗近
みっちゃんは燭台切
兼さんは和泉守
名前で呼ばれる瞬間に、亡き先代のイメージが刀側に想起されないように、という配慮で
できるだけ頭文字も被らないように呼び分けています。
彼女は刀を愛称で呼ぶことが多かったので、被らないようにするのは比較的容易いことでした。



<まんばとちょぎの写し問題について>
彼女は
・見知らぬ第三者の風聞から完全に隔離
・故に、何の先入観もなく
・刀の声に公平に耳を傾けることができる
なので、まんばとちょぎの写し問題については逆にパーフェクト回答出せた。

ちょぎとしては
・先入観なく
・国広と長義の主張へそれぞれ公平に耳を傾けられる
という彼女の資質は非常に得難いものだと考えていて
故に、この本丸の「彼女の山姥切長義」の赴任は、彼にとって得難い幸運だろう、ぜひに、と考えていた。

・だが、彼女は
「頼りになる長義せんせー」
と比較して「新しい山姥切長義」に少しでも愛情が分配されない可能性の方を重く見た。

・長義はそれを正しく理解し、だからこそ最期の機会になるまで理由を問わなかったし、それもまた、彼女らしい資質と選択だと考えている。

・彼女は、逆に「自分の山姥切長義を優先すべきタイミングで、長義せんせーを優先できない」も嫌だった。
・だから、最低でも「長義せんせーの赴任が終了してから呼ぶ」心算だったが、長義は何だかんだ理由をつけて彼女の最期まで通ったので、その機会は最後まで訪れなかった。
・長義はサーバー長も見送っているので、人の子の寿命が流れ行くのは本当に一瞬だと理解していた。故に、彼女のもとへ通うのをやめなかった。

・長義にとって彼女は、お婆ちゃんになっても「優秀で可愛い古い教え子」だったし、長義はちょいちょい彼女に「少しぐらい我が儘を言ってくれた方が神座に連なる身としては叶え甲斐があっていい」「女性の願いを叶えるのも紳士の嗜み」という旨を言っていて、故に彼女の最期の願いを引き出せた。

・この本丸との縁は、任期終了で強制的に絶たれることが確実に決定している。確執が生まれることも、長義は端からわかっていた。
・彼女の見送りはタイムリミットと同義であり、だから長義にとって彼女との約束は、本丸との縁が因縁へと変わっても、彼女とのただ純粋な縁を残しておける形見のようなものだった。
・だから彼女が思っていた以上に渡りに船で、だから迷うことなく約束した。その機会を逃すはずもない長義が、素早く『約束』の形で契約を結んだのは、必然だったのだ。
・そのおかげで長義は、三代目を彼女の本丸へとエスコートする栄誉を勝ち取れたし、それは本当に長義にとって、この上なく光栄で喜ばしいこととなった。
・一度途絶えた物語の続きを歩めた経験は、長義にとって「長く在り続ければ、いつか友である彼と再び相まみえる奇縁もあるかもしれないな」「人の子はいつだって俺たちの予想を超えていくから」という優しい希望となった。



《加州清光と天然理心流〜柄砕き〜》

加州清光や大和守安定の剣術は、元の持ち主である沖田総司の影響を多分に受けている。
かつて田舎剣法と揶揄されながらも実践で無類の強さを誇った新撰組、彼らの剣術は『天然理心流』という流派の系譜を継いでいる。

この天然理心流は、江戸後期に創始された流派でありながら、古武道の系譜を受け継いでいる総合武術だ。
戦場での斬り合いだけではなく、たとえば対面に座して礼をした瞬間の敵の抜刀と奇襲などを、剣を使わず柔術と拳を用いて見事に制した『柄砕き』と呼ばれる技術を持っていたとされる。

そう、つまり、何が言いたいかというと。

「柔術、めっっっっちゃ役に立つ!!!」

今月に入って三度目の暗殺者の身柄を取り押さえながら、加州清光がヤケクソ気味にそう声を上げた。


まだ八歳の次代を護ると心に決め、誓いを立て、バラバラになりかけた自分たちは再び一丸となって動き出した。
心から愛してくれた大事な主人を喪い、振るう意味を失った鈍が並ぶ、ただの物置、土蔵、納屋と一度は化した本丸。
それが、停滞した時を再び動かし、力を合わせ、かつての主人が残した遺産とも言える次代を護るために揃って立ち上がった。
それは、彼女が残してくれた奇跡のような出来事で、再びこの剣を振るう意味をくれたこの小さな子を、誰よりも愛し守り抜くと清光は誓った。

自分の中には、彼女が生涯を通して与えてくれた愛情が、こんなにも強く確かに流れている。
だからこそ、主が教えてくれた優しい優しい愛し方で、彼女が遺した小さな命を守ると清光は決めたのだ。

だが、それは簡単な話ではなかった。
まず第一に、自分たちの剣を振るうべき場所が、あまりにも戦場と勝手が違ったのだ。

自分たち要人警護本丸は、彼女の代では実の所、要人警護本丸『もどき』と言った方が実態に近かった。
後方支援本丸の一つとして、たとえば前線本丸の補給帯域に湧く時間遡行軍を斬り伏せる任務を受けたり、前線の遠征部隊の安全を維持するために事前に露払い役を務めたり、そういった形で、最前線とは程遠い戦場で刃を振るう。
そうして実践を積み重ねてゆっくり練度を上げながら、主である彼女を生涯に渡って現世で警護してきた。

つまり、主に『戦場で時間遡行軍を斬り伏せる』という意味では
前線でやってることと、本質的には大きな違いは無く、少し変則的ではあるが慣れたものだったのだ。

ところが、次代の場合は話が違った。

先代と違って正真正銘『政府の要人』である次代を殺しに来るのは
いつだって政府に潜り込んだ『人間』だったからだ。

「手加減!! 無理!! 面倒!! 人間、マジ敵も味方もすぐ死ぬ!!」

ただ首を刎ねればいいのとは訳が違う。
政府に潜り込んだ暗殺者は、歴史修正主義者だけでなく、裏切り者に政敵に狂信者にと多岐に渡った。それだけ次代が持つ『未来視』の能力は、敵にとっても味方にとっても垂涎物なのだ。

だが、次代の身柄や命を狙ってくる連中の内訳は、政治的なパイプを持たない加州たちには見分けが付かない。

殺す前に取り押さえて拷問し背後関係を吐かせなければ敵が減らないし、そもそも加州たちには人を殺すことが無条件では許可されない。連中は殺す気で襲って来るのに、こちらは防御と自衛と拘束しか許されないと来た。こんなのはハッキリ言って泥試合だ。
殺しが禁じられているわけではないが、無条件で許されているわけでもない。
刀である自分たちにとって、敵を殺害するのは簡単だが、無効化するのは至難を極めた。

「この前なんか敵の両手を斬り落としただけでショック死されて始末書書かされたんだぞ、どうしろってんだよ!!」
「刀である俺たちに『斬るな』と来たもんだ」
「いやはや、どうしたものか」
「ははは、いや、笑っている場合ではないな。早急に何とかせねば、他ならぬ俺たちの振る舞い如何で、新たな主が早晩、後ろ盾を失うことになろうな」

まさか自分たち刀が、『殺しすぎる』なんて理由で、こんなにも真剣に頭を悩ませる羽目になるとは。
そんなのは、名刀たる刀剣男士に『斬れ過ぎるな』を要求する大無茶だ。

次代の命を護るのは絶対だが、加州たち護衛が殺しすぎるとあの子の政治的な立場が危うくなる。
そのジレンマが悩みの種だった。
だが、自分たち刀剣男士の数百年の経験と知恵は、戦場と軍略に偏り過ぎている。

「殺気を感じると反射的に斬ってしまって……
「鞘でぶん殴るにも限度が」
「昏倒させようと思って後ろ首を狙ったら敵の首の骨を砕いちまって」
「頭殴っただけで死なれちゃ、他にどうしようもねえだろうが」
「手加減するならもういっそ木刀に持ち替えた方が話が早いんじゃ」
「狭い室内だとどっちにしろ無理がありますよ」

自分たち刀剣男士にとって、斬るは本能、息をするに近い。故に自分たちの戦闘技術は、いかに殺すかに最適化されている。
にも関わらず斬るなと命じられては、それすなわち、もはや「刀以上の何かへ進化してみせろ」などと横から言われているに等しい。
つまり、あまりにも雲を掴むような話だった。

自分たちが戦ってきた時間遡行軍という名の異形の兵とはまるで異なる、殺しやすく生かすには難しい、人間という名の脆い生き物を。
刀の身でありながら、斬らずに素早く取り押さえて制圧する有効打。

皆で雁首を揃えてあーでもないこーでもないと頭を回した結果、ふと加州は思い出した。
先代の折、修行として過去の幕末に飛び、新撰組の内部に一介の浪人として潜入し、元の持ち主である沖田総司が、『加州清光』を振るう様を観察していた時のことを。

幕末は、先代が生きた時代に比べ、遥かに強盗や略奪が横行していた。
警察機構も満遍なく機能していたとは言い難く、故に当時の無辜の市民の間で、護身術として剣術を学ぶ機運に満ちていた時代でもある。

加州清光の元主が仕えた新撰組局長、近藤勇が四代目として継承した『天然理心流』は
そういった人々にも幅広く門を開き、彼女が生きた遠い未来のその先にまで、時代と共に形を変えながら数百年の長きに渡って受け継がれた。

そんな天然理心流の源流とも言える稽古の中に
正座したまま敵の抜刀を無効化するものがあったのを、ふと思い出したのだ。

狭い室内で座ったまま、帯刀した敵を無効化する術。
戦場では、時間遡行軍を正座して待つことなど、あろうはずもない。そもそも、そういった柔術は、対人間を想定した理論に基づいた武術だ。
だから、不利な体勢からの抜刀術としてならともかく、その後の敵を取り押さえる手腕のことは、時間遡行軍との戦いには役に立たないだろうと判断してあまり注目して来なかった。だが、今思えば。

「あ、あ、ああ〜!」

加州清光は、慌てて記憶を辿った。

彼女のための修行の旅から戻ったのも、もう半世紀どころか一世紀近くも前のことだ。
だが、他ならぬ元主の剣術ならば、どれだけ時が経とうとも、振るわれた自分たちの身体に消えることなく染み付いている。

急に声を上げ、腕を組んで勢いよく考え込み始めた加州清光を見て、隣で安定が「清光? どうしたの?」と訝しげにした。

「そうじゃん、ちゃんと見たことあるじゃん、狭い屋内での対人間奇襲特化の護身剣法、柄砕き!」
……あ。ああ、ああ〜!!」

安定が清光を指差して、すっかり忘れていたとばかりに声を上げた。


抜刀しようとする相手を制する巻揚まきあげ
刀を奪いにきた相手を制する逆取ぎゃくとり
礼の姿勢からの奇襲を制する菱割ひしわり

これらを始めとして、天然理心流には、敵の奇襲を無効化する技術が数多く継承されている。

「確か土方さんのところでは、こう……
「いや、そこは一度内側に書き込んで関節を外した方が」
「そうそう、今みたいに素早く左手を巻き上げるように外側に回して転倒させて、そのツラに追い討ちの顔面突きをだな」
「おい陸奥守、お前の元主んとこはどうだった?」
「北辰一刀流の稽古じゃあ、確か、先手取ってこうしちょった、ほんで……

人間とは比べ物にならない腕力や握力を持つ刀剣男士の集まりだ。一度コツさえ掴めば、後は皆で学び合って、必要な水準に素早く引き上げるだけでいい。
要は関節の破壊や筋断ち、致命傷にならない位置の骨折を、瞬時にパズルのように組み合わせていけば良いのだ。

「どうしよう俺、いつの間にか、めっちゃ人間の壊し方に詳しい加州清光になってる。これ、あの子にビビられない?」
「何を今さら。僕なんて暗殺闇討ちお手のものに加えてすっかり拷問が十八番な堀川国広ですよ? 爪を剥ぐのも歯を抜くのも片眼を潰すのもすっかり慣れちゃいましたし」
「僕なんて『武器を折った回数より肋骨をブチ折った回数の方が多い大和守安定』になりそうだよ? 信じられる?」
「もう俺たちはこれでいっかぁ……




《斬らない刀たち》

加州清光は、後にこう語る。

「あ? 斬らない刀? 存在意義? 刀剣男士なのに戦場で刀を振るう以外の在り方でいいのかって?」

それこそ今さらだろ。俺たち何十年とあの人を護ってやって来たんだ。
主は平和な時代の中で生きてたんだから、そこに溶け込むのだって俺たちの任務の内だったしな。

そういう意味では、あの子が来てくれたのが今で良かった。
彼女が鍛え上げたこの本丸に、『護る戦い』を厭う連中なんて一振りもいないしな。

物足りなくないのかって?
そりゃ、護る戦いってやつがどれだけ難しいか知らない連中のセリフだな。

あの人が俺たちを使い捨ててくれる主だったら話はもっと簡単だったんだ。
けど、あの人の望みは『誰も折れずに幸せな未来に共に行くこと』だったから。
使い使われ、時には壊れる、それだって物の常だろ。俺だってちゃんと分かってる。
でも、そういうわけにいかなかったからさ。
俺たち、あの人と自分と仲間の全部を護りながら、ここまで来なきゃいけなかった。

だから、眠ってるあの人とあの馬鹿に笑われないように。
俺たち全員で、あの子を看取る未来まで行く。



《加州清光〜オーダーメイドの愛〜》



まぁた怖い夢見たの?
ほーら、だっこ。よしよし。

どんな夢見たの?
んんー、そっかぁ

怖いよな、愛してもらえるかな
どうしたら、捨てないでくれるかなって
俺、そーゆーのは、結構わかるよ

おいで。ちょっと昔話をしよっか

うんと昔、主が──うん、先代の彼女がさ、言ってたんだ。
俺がまだ、この本丸に呼ばれたばっかりで
まだ極めてすらなかったぐらい最初の頃だよ

できたての本丸に刀が一気に増え始めた頃でさ
俺、ちょっと、てか、だいぶ、不安になってたんだよね
俺、ずっと彼女の一番でいられるかなって
ちゃんと愛してもらえるかなってさ

俺より強い刀が、俺より美しい刀が、俺より可愛い刀が
増えていっても、主はちゃんと俺を捨てないでいてくれるかなってさ
青かったなぁ

彼女さ、俺をぎゅーって抱きしめて、一晩中、ずっと背中をさすってくれたよ。俺の不安が溶けるまで。
その時さ、彼女が言ったんだ。

愛情ってオーダーメイドで、分割式じゃないんだよって
だから、どれだけ大事なものが増えても
愛は増える一方で
加州のための大好きはずーっと加州だけのものだよ、ってさ

あれからうんと時間が経ったけど
俺、実はさ
本当の意味じゃ、彼女の言葉、分かってなかったんだ、ってやっと気付いたよ

どうしてかわかる?
わかんないよな。俺も全然わかんなかったもん

つい最近のことなんだ。
わかる? 彼女の愛の意味を教えてくれたのは
俺の腕の中でぺちょぺちょ泣いてる
可愛い可愛い俺のもう一人の主だよ

ずっと俺、彼女だけが一番大切な人だった
でも、新しい主を持ったからって、彼女への愛が薄れるなんてこと無かったよ
それどころか、毎日もっと愛が深くなるみたいだ

当たり前のことだったんだ、ってようやく分かった
愛って分割式じゃなかったんだな。増えてく一方だったんだなぁ
俺にもう一つ心から愛するものができて
ようやく彼女の言葉が分かったよ

あー、ほんと
彼女って、強い人だったんだなあ
まだ全然、敵う気しないや

どんなに俺が、可愛い小さな主を愛しても
どんなに俺が、彼女と過ごした日々を愛しても
どっちか片方じゃなきゃいけないなんてこと、最初から無かったんだ
愛って二つあっても、喧嘩すること無いんだよな
あったかいばっかだ

貰った愛で誰かを愛せるって、こんなに幸せなことだったんだって
二人の主に教えてもらえた俺は、本当に幸せものだよ

俺のところに来てくれてありがとう

愛し方も、心も、強さも、ぜーんぶ彼女がくれたんだ
俺が彼女を嫌いになる日なんて永遠に来ないのと同じように
俺に嫌われる日なんて来ないって、大丈夫、いつか分かる日が来るから。彼女に愛してもらった俺がそうだったように。

言われてもまだわかんないよな
大丈夫、いつか分かるよ
それまで俺が、ちゃんと護ってやるからな






《彼女と苺の話》

彼女の天寿を見送った後、通年用のいちごのビニールハウスは畳んだ。霊力消耗が激しいバラ科の植物は、彼女が残してくれた霊力をいたずらに消耗してしまうからだ。
次代は彼女みたいに莫大な霊力があったわけではない。だから、規模を小さくして旬だけ採れる程度、畑に少し苗が残っている。
その辺りは歌仙が主導して皆と作業した。彼女の不在を突き付けることは、鶴丸国永の不在を突き付けることと同義だ。それは、燭台切には酷だから。

当時、通年で栽培していた苺は、彼女の霊力の影響で常に豊作だったが、足が早いので消費を工夫する必要があった。

新鮮な苺を丸ごと使った苺大福、ホワイトリカーに砂糖と苺をふんだんに漬け込んで作る苺酒、パンに塗るジャム、凍らせて削るいちごミルクかき氷などなど、色々なメニューを試したが、中でも彼女は、いちごとマスカルポーネチーズがアクセントになったフルーツサラダが好きだった。

ふんだんに盛り込まれた季節折々の果物の甘さが、サニーレタスのほろ苦さとクリームチーズで調和して、見た目にも華やかなお洒落なサラダだ。
霊力過多の対策として通年で苺の栽培を始めた頃に、燭台切が考案して食卓に上げたメニューで、デザート感覚で箸が進むと好評だった。
夏バテで色が細い時期にも喉を通りやすく、梅雨時期を過ぎると特によく作っていた。

彼女は好き嫌いなく何でも良く食べる人だったが、一方、まだ幼い次代は人並みに野菜が苦手だった。
そこで、このサラダを出してみた所、甘くて食べやすいらしく、美味しく食べてくれた。

彼女の好物だった料理の一つ。
美味しそうに食べる次代の幼い笑顔に、彼女の笑顔が重なって見えて。
燭台切は、その日、厨に引っ込んでしばらく泣いた。

その間中ずっと、歌仙は厨の入口に立って、立入禁止の証に暖簾を下ろし、外で腕を組んだままじっとしていた。
彼女を悼む時間に、邪魔が入らないように、ずっと。



「もー、みかちゃん達のこと、覚えててほんとよかった。これでなーんも覚えてなかったらみかちゃんたち大変だったよ? まったくもー」

ぷりぷりと可愛らしく怒ってみせる彼女に、三日月宗近は、ふんわりと静かに微笑んだ。

二代目が、政府の山姥切長義に託した手紙。
前世を思い出した彼女は一も二もなく頷いて、彼と共にこの本丸に再び足を踏み入れてくれた。
だが、それは、次代という多大な功績を遺した人物による指名、見ようによっては事実上の軍令、強制招集状だ。

もしも彼女が何も覚えていなければ。
それは、落第寸前の女子高生が突然手渡された、命を奪い得る辞令書、断る自由が許されない恐怖の赤紙あかがみと化していた可能性すらあった。

だとすれば、何も憶えていない彼女に。
全て憶えている刀剣男士たちは。

厭われても、恐れられても、報われなくとも
哀しみの深い溝に橋をかける術もなく
伝わらない愛情を抱えたまま、ただ唇を噛んで耐えるしかなかったに違いない。

想像するだけで、胸の奥が冷たく疼く。

次代が、一体どこまで見通していたかは分からない。とうに火葬を見送った今となっては、もう何も聞けない。
自分たちの未来を八十年の長きに渡って導いてくれたあの手は、煙と共に青空へ還った。

だが、その異能で幾百、幾千、幾万、那由多より多い可能性の糸の中から、誰よりもこの本丸を愛してくれる後継者を探し続けた次代が、ようやく見つけ託した存在が彼女だ。

老いに倒れ、床に臥してからも歯を食いしばりながら、諦めずに遺すべき未来を探し続けた。
そんな彼が人生の全てを捧げて見つけ出した、たった一筋の希望の糸。

気の遠くなるようなその確率を。
手繰り寄せるまでの道筋が、決して容易であったはずがない。
それを、あの子の愛と共に生きた、この本丸の全ての者達が知っている。

だから恐らく、彼女の言う『もしも』は。
きっと想像以上に側にあった、指先が触れるほど近しい、鏡の中の未来だったはずだ。

「何も変わらぬよ。主が何も覚えておらず、仮に俺たちを嫌い厭う者になって帰ってきていたとしても」

三日月宗近はその美しいかんばせを、あたたかな慈愛で優しく綻ばせた。
月の浮かぶ双眸が優しくたわむ。

「それでも俺たちはおぬしを愛し、慈しんだだろうよ」

甘く優しく、まるでチョコレートが熱でとろりと溶けるように。
ぐずぐずに蕩けた声音が、いっとう愛おしい者の耳朶をくすぐる。

「んもー、めっ、だよ!」

くるっと振り返った彼女は、まるで、おしゃまな姉が弟に言い聞かすように。あるいは、幼い女の子が迷ったじいじの手を引くみたいに。
ピッと指を突き付けて「だめでしょみかちゃん!」と頬を膨らませた。

「この先ずっと一緒で、嫌になっても簡単に逃げられないような相手に、酷いことされても大事なんて教えたらだーめ!」
「おや、ふふ、怒られてしまったなあ」
口先ではそう言いながら、軽やかに声を弾ませる三日月は、咎められてひどく嬉しげだった。
「ふふ、そうか、そうか、前のおぬしは、そういった悪意の機微にはとんと疎かったからなあ。もの情趣あわれもきちんと理解できるようになって、感心感心。これでひと安心というものだなぁ」
「もー、みかちゃんは主に甘すぎっ! 砂糖菓子より甘々だよっ」
「ふふ」


息を吹き返した絆は奇跡に彩られて
今日もまばゆく鼓動を鳴らしている。



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