オールキャラ
エピローグは大倶利伽羅編が前提→ https://privatter.net/p/11275650
本編 1〜4p
こぼれ話 5p
次(本丸の春一番と春二番)→https://privatter.net/p/11402591
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いつも通りの日のはずだった。
驚くほど丸々と育った野菜の数々を籠いっぱいに詰めて、側仕えの短刀を傍らに、主は輝くような笑顔だった。
「前田ちゃん、いっぱい採れたね!」
「はい、今季も豊作です。といっても、記憶の限り、不作だったことは一度もありませんが」
「大成功だね! みんなが頑張ってる証拠だね。いつもありがとう」
「お礼を言うのは僕たちの方です。畑の収穫物は、主君の霊力量に大きく左右されますから」
前田藤四郎という刀は、多くの本丸で初鍛刀として最初に呼ばれることもある短刀だ。
だから多くの本丸、多くの主に末長く仕えた経験を有する一振りでもある。
前田の言葉に、主は、いたいけに小首を傾げた。
「そうなの?」
「はい、本丸から主君の足が遠のくと、多くの場合、真っ先に目に見えて減るのが畑の収穫物なのです。なので、多くの刀剣男士は、畑の出来を確かめる際に緊張します」
何かと理由を付けて、畑仕事の確認を嫌がる刀剣男士は多い。
丁寧に耕し、手をかけるほどに、不作であった時の落胆は大きい。
ただの不作ですらそうなのに、主の関心が遠のいた揺るがぬ証拠を突き付けられては、心持つ身にはあまりにキツイ。
「たとえ頭で理解していても、不作であれば強いストレスを感じます。僕ら付喪神にとって、主君の関心は時に生命線ですから……」
「そうなんだ、知らなかった…」
これほどの収穫量を維持できるのは稀有だった。
なにせこの本丸では、主が月に一度しか帰還しないのだ。
「実の所、主君が月に一度しかお戻りになれないと聞いた時はどうなるかと思いました。戻られた直後ならともかく、月の終わりには皆キツイ思いをするのではないか、と……しかし、蓋を開けてみればこの通りで。主君が長く不在だったあの期間ですら、最後まで酷い不作は出ませんでした」
前田藤四郎は、つやつやに肥え太った野菜たちを大事に抱え、主人を見上げて嬉しげに表情を綻ばせた。
「毎日こんなにも穏やかな気持ちで収穫物を確かめられるなんて……それは、本当に幸せなことなのです。自分たちの主君が貴女で良かったと、皆が思っております」
「そっか、みんなの役に立って良かったなあ」
「むしろ、こんなに贅沢に霊力を消費して、主君のお体に触らないか逆に心配なくらいで、……?」
主が急に、立ち止まった。
ずる、と足を引きずるように。
「主君?」
いつも通りの日のはずだった。
まるで、急に血の気が引いたみたいに
青い顔で主がふらりとよろけるまでは。
取り落とした籠から、野菜がごとごとと音を立てて四方に転がり落ちた。
ぐらん、と天井が回った。
「……あ、れ」
ふら、と頭が揺れて、そのままぐらっと主の体が倒れる。
「主君!?」
前田藤四郎は、慌ててその身体を受け止めた。
「主君!? いかがされました!? 主君!?」
反応が無い。
倒れた主人は、ぐったりと手足を投げ出したまま、気を失っている。
前田は蒼白で、切迫した声を上げる。
「誰か!」
ガタ、と物陰から音がして、ほとんど時間差なく真っ先に駆け付けたのは鶴丸国永だった。
「どうした!?」
「主君が急にお倒れに」
「何があった!?」
「わかりません、たった今まで、本当に普通に…!」
赤い顔で、ぐったりと力無く浅い息を繰り返す彼女。
額に手を当て、鶴丸は顔を顰めた。
「熱い」
「前田どうした!?」
「え、主…!?」
「大将!?」
「薬研を呼んでください!」
「石切丸を…! 火車坊も呼んでくれ!」
「火車切さんは遠征に…!」
「鳩で今すぐ呼び戻してくれ!」
「僕、城下でお医者さま呼んでくる!!」
意識の無い主を、横抱きに持ち上げて、鶴丸は「道を開けてくれ!」と焦燥した顔で声を上げた。
「ひとまず横に…!」
「医務室へ!」
「どうしたの!?」
「おいおい、何の騒ぎだ!?」
「主が急に倒れた。額が火のように熱い」
「流行病か…?」
「わかりません、でも、本当に先ほどまで何とも…!」
「厨から氷嚢貰ってきてくれ!」
「第一部隊の行軍は中止だ、連絡を!」
ひとまず慌てて医務室の布団に横たえさせた頃
薬研藤四郎が飛んできて、脈を取り診察を始めた。薬研の顔付きがぐっと険しくなる。
「妙だ。額はこんなに熱いのに、手足は氷みたいに冷たい。普通の流行病じゃないぞ」
遅れて駆け込んできた石切丸が「見せておくれ!」と病魔を見極めようとすると、ゆら、と彼女の霊力が揺らいだ。
「!」
「どうだ、石切丸!?」
「病魔じゃない。これは……」
「失礼します! 火車切さん戻って来ました!」
「通してくれ!」
「見せて!」
一目散に駆け込んだ火車切が、主の額に手を置いて、その奥を覗き込んだ。
「……!」
「どうだ、火車坊…!?」
「外因じゃない。焼いてるのは……中だ」
短刀の一振りが「氷貰ってきたよ!!」と駆け込んで、別の短刀がせめてもと楽な寝巻きに着替えさせた頃には、彼女の熱はさらに高くなっていた。
はぁはぁと浅い息を繰り返しながら、ひどく苦しげにしている。意識が戻らない。
その頃には、彼女から湧き上がる霊力の残滓はどんどんハッキリしてきていた。
まるで、全身から金色の湯煙が立ち昇るようだった。
「これは、まさか霊力が暴走しているのか…?」
「恐らく……ですが」
「おい、誰か、対処法が分かる奴は居ないか…!?」
「石切丸、どうだ!?」
「すまない、病魔なら専門だが、こっちは私もあまり詳しくは……」
「失礼します! 第一部隊、帰還しました!」
「主!!」
加州清光が飛んできて、主の側に慌てて駆け寄った。
悲壮な顔の加州清光の背後から次いで飛んできたのは、同じく真っ青な顔をした山姥切国広だった。
「あるじ…!」
「主ッ!!」
「太郎太刀、参りました」
「今戻ったよ!」
「良かった! 太郎太刀さん、次郎太刀さん、見てくれ。どうも霊力の暴走のようなんだが、対処法が分からないんだ。心当たりはないかい?」
「これは……確か……ずいぶん昔、巫女の中に似たような症状を起こした者を見た覚えが……」
太郎太刀が古い記憶を辿った。
「ですが、どう対処したのかまでは。次郎、どうですか」
「ごめん、アタシもダメだ。どうだったかな……確か……霊力が足りない子は、御守りを通して神気を分けてあげたこともあったような気がするけど……その時とは違うように見えるよ」
「霊力が足りないんじゃなくて、あり過ぎるって意味か…?」
「嘘だろ、あれだけ湯水みたいに霊力使っててもまだあるってのか……!?」
「確か本科が、以前、主は通常の数百倍、下手をすると数万倍の霊力を潜在的に有している可能性があると」
「今の話、急いで書庫にいる長谷部に伝えてきてくれ」
「長谷部しゃん、政府の外部マニュアルに似たような事例が無いか探しとるばい」
「わかりました…!」
その頃になって、城下まで走っていた乱藤四郎が門を叩いた。
白衣の老人を背負っている。
「お医者さま、連れてきたよ!!」
呼んでいた薬師が到着し、長い診察を終えた頃
彼女が眠る医務室の外は、強い焦りの表情をした刀剣男士で溢れかえっていた。
「簡易検査の結果が出たそうです。やはり、流行病の類いではないようで.…」
「長谷部の方も収穫が無かった。どうする」
「政府の病院に駆け込むか……?」
「いや、だが、彼女は……」
「待て、冷静に考えた方がいいんじゃないか。迂闊に検査させて、ひた隠してる主の『特別』さが露呈したらマズイだろ」
「だが、他に方法が」
「本科を呼ぼう」
先ほどまで青い顔で主の側に張り付いて離れなかった山姥切が、腹を決めたように凛とした顔で皆に意見した。
「政府の病院に連れて行くべきか、オレたちでは判断が付かない。あいつがオレたちの本丸の監査官である以上、判断を仰ぐべきだ」
「……確かに、もっともだ。だが……」
「待てよ、本当に主のためになるか? あいつは政府の監視だぞ」
「……下手をすると、情報を握られて、これ幸いと政府側に有利な既成事実を作られる可能性も……」
「もたもたしている暇は無い。できることがあるなら、今すぐするべきだ」
山姥切が重ねて声を上げた。
「みんながあいつを信用していないことは理解している。だが、こんな時、主ならきっとあいつを頼るはずだ。主の意識が戻らない以上、オレたちは主人の意向を汲んで動くべきだとオレは思う」
「……」
「決め付けるにはまだ早い。万一あいつが主に仇なすと分かれば、その時こそオレたちが一丸となって剣を取るべきだ」
「……」
「鶴さん、どうする」
「…………山姥切に道理がある。このまま手をこまねいて、主の身に何か取り返しの付かない後遺症でも残る危険性の方が、あらゆるリスクより優先されるべきだ」
鶴丸国永は、主不在の折りに判断を任された名代刀として、顔を上げ、決断を下した。
「政府の山姥切長義に今すぐ電報を」
「なるほど、霊力過剰症だね」
長義は状況を確認し、彼女の枕元に立ってしばらく診察をした後、素早くこう判断を下した。
「政府の内部マニュアルに対処法の記載がある。余剰分の霊力を吸っていた本丸中の桜が飽和したのだろう。早々起きることではないはずだが、彼女の霊力量は凄まじいな」
振り返って長義は、国広に「おい」と声を掛けた。
「彼女が最後に鍛刀したのは?」
「例の今剣の件を最後に呼んでいない。同じことが起こっては対処できないからと」
「なるほど、誘因はそれだな。慎重さが裏目に出たのか。これだけの霊力量を誇っていながら、これだけの期間、一度も鍛刀していなければ、こうなることもある、か」
長義はしばし考え込んで、汗でじっとりと張り付いた彼女の前髪を掻き上げ、額に二指を置くと、目を閉じて指先に神気を集中し始めた。
「どうするつもりだ」
「俺が彼女の霊力の一部を喰う。この本丸の刀ではない俺なら、上手くいけば、」
ズッ、と重い音がして、長義が目を閉じたままぐっと苦しげに顔を歪めた。
「くそ、さすがに、重いな。だが、これなら」
ずる、ずる、ずる、と重い音と共に、ゆっくりと時間をかけて、額から金の粒子が、絹糸のようにほどけながら抜けていく。
処置を続けてゆうに半刻は経った頃、彼女のまぶたが震えた。
「…………ん」
「主…!」
「あるじ!?」
側に控えていた初期刀と国広が揃ってホッとした顔をした。
「レディ。辛いところすまないが、起きてくれ」
「……ちょうぎ、せんせー?」
彼女の身体を支える加州清光にぐったりと身を預けたまま、熱で夢現のまま彼女がぼんやりと声を上げた。
「よく聞いてくれ。今きみは霊力の過暴走を起こしている。子供の頃、今みたいに急に熱を出して倒れたことが何度もあるね?」
「……ぁ……うん……」
「俺がリードするから、過剰な霊力を外に放出するんだ。それでだいぶ楽になるはずだよ」
長義は自らの刀を鞘ごと腰帯から抜き、柄頭を彼女に握らせた。
ズッ、と重く刀が霊力を呑む。
「落ち着いて、教えたようにやればいい。そう、手入れの要領で。ゆっくりと」
やがて、少しずつ彼女の顔色が良くなっていき、すう、と息が楽になり、疲れ果てたように再び眠りに落ちた。
「よし、余剰分は吐き出せたようだが、まだ足りない。凝っている部分を溶かさなければ」
長義は指を顎に当て、思案げにした。
「さて、困ったな。この本丸の刀は既に彼女の霊力で飽和している。俺もこれ以上は引けないし、かといって他のツテも……彼女の場合、政府の治療施設にはあまり送りたくないところだが……」
思考をまとめるように、組んだ二の腕を指先でしきりに叩きながら、こめかみをノックする。
その時、長義の鼻腔を、見舞いの薔薇の香りが、ふわりと漂った。
「……薔薇?」
長義が目を止めた。
短刀の誰かの心遣いなのか、医務室の隅に、薔薇が小さな花瓶で生けてある。
福島がせめてもと摘んできた見舞いの薔薇だった。
「そうか、福島光忠の薔薇園。その手があったか」
それを見て長義は、青い眼を瞬かせた。
「まだ咲いていない薔薇の球根はあるかい? あるだけ掻き集めてくれ」
薔薇園のビニールハウスの中、ありったけ集めた薔薇の球根が、彼女の体から立ち昇る金色の霊力にあてられたように震え、やがてみるみるうちに花を咲かせ始めた。
薔薇に霊力を吸わせて開花させているのだ。
「よし、栓は外れたな」
長義が再び彼女を診察してそう判断した。
鶴丸国永が横抱きにした腕の中で、ぐったりした彼女の表情は、けれども、当初比べればかなり楽になってきていた。
「どこの本丸にも、『咲かない桜』が植えられているはずだ。後はそれに吸わせればいい」
「咲かない桜?」
「どれのことだ」
「裏庭の大きな枯れ桜のことじゃないか」
「それだな。行こう」
ズッ、と重く霊力が引かれる。
まるで波立つように、触れさせた彼女の霊力が枯れたはずの桜に流れて行くのを感じた。
ぶわりと一斉に、花が咲く。
白の淡墨桜に、霊力が映り込んで
金色の桜が
ザァァァ、と黄金の風が吹いた。
「これは見事だな」
一斉に咲いた夜桜は、花弁が内側から黄金に輝いていた。
花の嵐とばかりに、金色の桜吹雪が舞う。
「凄いな……」
「こりゃあ」
「綺麗です……」
「てっきり枯れているものと」
「こういう事態を防ぐ目的で植えられている霊木なんだ。審神者の霊力に反応して花を咲かす」
長義が再度、彼女の額に指を当てた。
「よし、熱も下がったな。ここまでくればもう安心だ。念のためこのまま、あと半刻は流しておいた方がいい」
まだ後始末があるからと踵を返した長義を、主の抱き上げたままの鶴丸が「おい」と呼び止めた。
長義は無言でゆったりと振り返った。
主を抱いたまま仁王立ちした鶴丸国永が、やがて、ゆっくりとこうべを垂れた。
「主に代わって礼を言う。感謝する。山姥切長義」
長義は、穏やかな顔で「ふっ」と笑うと、背を向けてひらひらと片手を振りながら歩き去った。
薬研は医務室を預かる身として、長義にこう訊ねた。
「なあ旦那、再発防止のために俺たちできることはないか?」
「ひとまずは畑の増設が良いだろうな。一般に、桜や薔薇を始めとするバラ科の植物は、霊力消費量が多い傾向にある」
「なるほど、そういうことか」
「桜の移植は時間がかかるから、まずは同じバラ科の……そうだな、苺の苗あたりをできるだけ多く植えるといいだろう」
「合点が入ったぜ、ありがとな。さっそくやってみるよ」
厨番長として薬研から話を聞いた燭台切が考え込んだ。
「そっか、主人不在だと霊力消費が多い作物は育てないのが基本だけど、彼女の場合は逆なのか」
燭台切が、そう口惜しそうにした。
「しまったな…もっと早く気づくべきだった」
「あれだけバカスカ霊力消費してて、それでもまだ足りんとは普通は誰も思わんさ。いちごの増産、問題なさそうか?」
「大丈夫。ジャムにすれば保存も効くし、甘味にしたりサラダにしたりお酒にもできるから、使い所には困らないよ。さっそく増やそう」
「畑の増設場所はどうする?」
「蔵の近くはどうだ」
「馬遊ばせてるあそこか。いいんじゃないか」
「年中栽培できるようにビニールハウス立てちまうのはどうだ?」
「いいかもしれない。雪下ろしと管理は手間だが、冬の間だけ当番を決めればさして難しくはないだろう。安定して栽培した方が、主の霊力負担も軽くなるはず」
「水回りは少し遠いが、井戸から運べないこともないだろうな」
「水道新しく引いちまえばいいんじゃないか?」
「それもいいかもしれない。まずは畑として使えるか、耕して土を確認しなければ」
バタバタと皆がそれぞれやれることに向かって散っていく中、国広は呼び出されて長義の近くにいた。
「……本科がここまで霊力の扱いに長けているとは知らなかった」
「無意識に押し込めて上手く働かなくなった力を再び解放する、という点では、俺ほど長けている山姥切長義もいないさ」
「……どういう意味だ?」
「さてね」
皮肉めいた口調で肩をすくめた長義は、くるりと踵を返した。
「さて、この本丸には確か、れっきとした化け物斬りの脇差がいたはずだが」
「……火車切のことか」
「さっきやって見せただろう、霊力の誘導は、怪異斬りの力の応用だからな。とにかく繊細な神気操作を要求する。似たような事態を引き起こした時に備えて、習得させておくといいだろう。お前も来い」
「…………なぜだ。化け物退治は俺の仕事じゃない。あくまで写しだぞ、こういう場面でオレが役に立つとは思えない」
「…………ならいいんだがな」
「なに?」
「何でもないよ。たまにはお前も本歌の偉大さを見習って、横で殊勝に勉強するといい」
「だが」
「ずべこべ言わずに来いって言ってるんだ」
いささか力尽く感が拭えなかったが、結果的に国広は本科に着いて行った。
結局、国広にそれを学ばせたその意図を、長義が口にすることは最後まで無かった。
まるで、何かの危機に備えさせるかのような、その振る舞いの意図を。
「あるじ〜!! 良かったあ!!」
翌朝、すっかり熱の下がった主を前に、加州清光が主の両手を握ったまま糸が切れたように崩れ落ちた。
「ほんと、どうなることかと…!! 大丈夫? もう苦しくない?」
「うん、苦しくないよ。少しだるいだけ。心配しないで」
「あれだけ高い熱だったんだ、消耗してもおかしくないさ。もう少し本丸で休んでいくといい」
鶴丸国永が傍で、心からホッとした顔を隠そうともせず、微笑んだ後、あえて明るくニカッと笑った。
「あー、まったく、肝が冷えたな! 驚いた驚いた! 念のため、後でもう一度、桜に霊力を吸わせに行こうな。次の霊力放出の指導まで、繰り返し桜に霊力を吸わせるように、と山姥切長義から言付かってる」
「長義せんせー、助けに来てくれたんだ」
きょろきょろと視線が彼を探した。
「お礼言わなきゃ。長義せんせーは?」
「政府に仕事を残してるってついさっき出て行ったぜ」
「忙しい中で来てくれたんだ。長義せんせーのこと、呼んでくれてありがとう」
「あいつを呼ぼうって言ったのは山姥切国広だ。今回の誉だな、後で労ってやってくれ」
「まんばちゃん、わたしのこと分かってくれてるなあ」
ふにゃりと笑み崩れた主のもとへ、「失礼するよ」と燭台切が盆に器を乗せて入ってきた。
「卵粥、食べれそうかい?」
「ありがとうみっちゃん、食べるね」
「無理しなくていいからね」
微笑んだ主人が、美味しそうな卵粥に嬉しそうに手を付けて、けれど上手く掬えずにスプーン取り落とすのを見て、燭台切は無言でわずかに片目をすがめた。
スプーンを持つ手に上手く力が入らないのか、利き手が僅かに震えている。床に落ちたスプーンに「あっ」と主が声を上げる。
「ごめんみっちゃん、えっと、やっぱりお腹すかないから後で食べ、」
「はい、あーん」
燭台切がにっっこりと微笑んで、配膳用のレンゲを差し出した。
主は目をぱちくりさせて、少し照れくさそうに頬を掻いた。
「あの、みっちゃん」
「あーん」
「後で自分で食べるから、えっと」
「ん???」
にっっっこりと圧のある笑顔が、無言でレンゲを差し出す。困った顔で主が振り返ると、鶴丸と加州が何故か揃って無言で明後日の方を向いて燭台切から目を逸らしていた。
「あーん」
「えっと」
「あーん」
「…………いただきます」
ぱく、と口にした粥は塩気が絶妙で、とても優しく温かな味だった。彼女は頬をほころばせた。
「おいしい」
「それは良かった。はい、もうひとくち」
「んむ」
「はい、あーん。ねえ主」
「んん?」
「なんで朝から調子悪かったの黙ってたのかな?」
「ん、ぐ」
卵粥を飲み込んだ彼女が、愕然としたように燭台切を見上げた。
「え、なんでみっちゃん知って」
「ふーーーーーん」
光忠の笑顔が、にっこりと圧を増した。
「だめじゃないか、こんな簡単にカマ掛けに引っ掛かっちゃ」
「あ。…………え、と」
「あるじ?」
「その、みっちゃん、えっと」
「あ・る・じ?」
「…………ごめんなさい。月に一度なのに、みんなに会えなくなったら嫌で」
しょぼ、と肩を落とした主が、燭台切をおそるおそる見上げた。
「ほんとにちょっとだったから、気のせいだと思って……ごめんなさい」
黙り込んだ燭台切が、無言でゆっくりと頭に手を伸ばすので
主は反射的にぎゅっと目をつぶったが
そっと置かれた大きな手に、おそるおそる片目を開けた。
開けた目の向こうで、燭台切光忠は
仕方ないなあと言うふうに柔らかく微笑んでいた。
「こら。僕ら最初の三振りぐらい、甘えてくれないと、そろそろ拗ねるよ」
「…………ごめんなさい」
「お説教は元気になってからね」
お粥、もう少し柔らかくしてくるよ。
と言い残して医務室を去って行った光忠の足音がすっかり遠のいてから、息を詰めていた鶴丸が「ぷは!」と声を上げた。同じく息を潜めていた加州が「こっわ」と引き攣り笑いを浮かべた。
「あーあ、あれは内心相当お冠だぜ。後でこってり絞られるな。覚悟しとくんだな?」
「あああ…」
「笑った光坊が一番怖いからなぁ」
「さすが一番怒られ慣れてる刀は実感が違うよな」
「長船名人と呼んでくれ」
「なんのだよ」
ぽんぽんと交わされる軽妙な軽口に、思わず彼女がふふ、と吹き出すと、ようやく肩の力が抜けた主に、初期刀と初鍛刀は揃って愛情深い苦笑をした。
「本丸に来てから熱出すこと全然無くなったから安心してたんだ。もう少し相談しておけばよかった。心配かけてごめんね」
「こっちのセリフだ。すまんなあ、こうなるまで気付いてやれなくて」
鶴丸がほろ苦く微笑んだ。
「きみの霊力量が多すぎると分かった時点で、もっと綿密に対策を練っておくべきだった。俺たちにとっては支障がなさすぎるぐらいだったからな。油断していた」
「霊力の枯渇はいろんな場面で問題になるから常に気にしてるけど、逆はほとんど問題にならないもんな……」
「順調に回り過ぎてたあれこれに、もっと疑問を持つべきだったな」
「桜の移植手続きは長谷部と博多がやってくれてるって。力自慢の連中が今、畑を作る場所を掘り返してるから、次までには畑を増やせてると思うよ。だから安心して」
「ありがとう。みんながいてくれて、わたしは幸せ者だなあ」
ほのぼのと微笑んだ主の穏やかな笑みに、日常が帰ってきたことを強く感じ、加州も鶴丸もほっとした顔をした。
「鍛刀も再開しなくちゃだね」
「そうだね、誰を呼ぶか、みんなでまた考えなきゃ」
「……そのことだが、オレに腹案がある」
いささか思い詰めたような顔で、鶴丸国永がそう言うので、主も加州清光も、揃って鶴丸の方を振り返った。
鶴丸は何か決意をしたような目で、こう口にした。
「三日月宗近を呼ぼう」
三日月宗近は、どの本丸でも、手に入れようとしても中々手に入らない至高の月だ。
理由は複数あるが、一つは、打たれて千年をゆうに超える平安古刀であり、その別格の強さから主人に要求する霊力量が非常に多いことも一因になっている。
けれども、ひとたび手にすることさえ叶えば
穏やかな人柄を以て、千年の叡智を惜しみなく与えてくれる
そんな、人と刀の良好な関係性を象徴するような美しい月だ。
「三日月か。確かにあいつなら霊力にもあれこれ詳しいだろうし、良い判断だと思うけどさ」
いるだけで、この本丸が主に要求する霊力の量は跳ね上がる。
通常なら主人に負担を掛けかねないデメリットとして機能するものだが、この本丸では違う。
「この本丸、普通とはいろんなことが違いすぎる。確かに俺たち、色々と後手に回ってる感も否めないよな。三日月宗近、あいつ、とにかくいろんなものを見透かしてくる刀だから、俺たちとは違う視点で主を助けてくれるとは思う」
「だろ?」
加州清光は、無言で鶴丸国永を振り返った。
鶴丸は、まるで友を出迎えるのが今からひどく楽しみなように笑っている。
「……」
「ん? どうした?」
「やっぱりさ、お前と主、似てるよ」
「? 何の話だ?」
「お前がそんなだから、主が真似するんじゃねーの、って話だよ」
楽しげに笑った鶴丸が、「ん?」と首を傾げた。
それは、奴を深く知らない刀には、ごく自然なものに見えただろう。
けれども、この本丸の初期刀、加州清光には。少し違うものが見えている。
「……ま、いいけどね。お前が本音を言わないのなんて、今に始まったことじゃねーよ」
そう諦めの滲んだ溜息を吐き出して、加州清光は頭の後ろで手を組んで歩き去った。
「燭台切に三枚に下ろされねえように、ほどほどにしとけよ」
「おっと、そりゃゾッとしないな」
笑った鶴丸に静かな流し目をくれて、後は黙って加州清光は立ち去った。
加州を笑顔で見送って、鶴丸はやがて、表情の抜け落ちた顔をした。
「さすが初期刀殿は鋭くて参るな」
その声からあまりに温度が抜け落ちていたので、鶴丸は片手で目元を隠して「おおっと」と唇の端を吊り上げて、慎重に仮面を被り直した。
「ま、確かに少々苦しいよな。それだけじゃ、今さらになって呼ぶ理由に弱い」
自分の声が、軽やかで煙に巻くような、鶴に相応わしい声音に調整されたことを確認して、鶴丸は片手を外した。
「……本当は、もっと早く呼ぶべきだったんだ」
けれどできることなら、最後まで呼ばずに済むことを願ってもいた。
だからこれは、オレの我儘だ。
「許せよな、三日月」
鶴丸は、窓の外に目をやった。
美しい金の桜は、花も盛りとばかりに咲き誇っている。
さぞや月に映えることだろう。
「…………ああ、あの下なんて良いかもな」
明け方の空に残る残月と桜に目をやりながら、鶴丸はふと、美しい思い付きに目を伏せた。
桜の下には死体が埋まるというが、それは紅の桜の話だろう。ならば、黄金の桜の下に、白銀の鋼が眠るのも一興かもしれない。
この先、何十年とかけて、何十回、何百回と、あの桜を主人の霊力で満たすこととなるだろう。
たった一度の霊力補充で四年も保った珠玉の霊力だ。上手くすれば、桜の根には彼女の霊力が百年は染み込んで残るかもしれない。
それはそれは美しい揺籠になるだろう。
彼女の骨壷を抱いて眠るには。
「すまんな、三日月」
友を先に喪うことが確約された本丸に
あの優しすぎる月を呼ぶ我儘を、どうか許して欲しい。
鶴丸と政府の間に結ばれた密約を、心優しい月が知るのは最期の日になるだろう。
彼女が天寿を終える日が、鶴が桜と眠る日だ。
最期に遺す驚きが、こんな形となることを詫びながら
鶴丸は銀のまつ毛を伏せ、金色の桜の土の下に想いを馳せた。
それはそれは冷たく凍えた
安らかな寝床となることだろう
どうかその氷のような冷たさが
全て錆び付くその日まで、自分を逃さずにいてくれることを願う。
そうすればきっと
いつか見送る彼女の手のひらの冷たさが
永遠に自分を離さずにいてくれるだろうから。
《黄金の花弁に埋もれて眠れ》end.
《こぼれ話:福島光忠と薔薇の意義》
「あのっ、福島さん。薔薇の花で香袋を作れないでしょうか。あるじさんの枕元にどうかと思って」
彼女のために薔薇のポプリを作りたいのだと。
真っ先に福島の元へと走ってきた、主人の寝床の調香役を任されている堀川国広が。
「なあ福島、物は相談なんだが、腕いっぱいの薔薇を用意できないか? なぁに、あの子専用の浴槽を花湯で埋め尽くして、あっと驚かせてやろうかと思ってな」
薔薇風呂のサプライズで、彼女をあっと驚かせたいのだと笑った鶴丸国永が。
「鶴丸の旦那に言われてちょいと調べてみたんだが、薔薇風呂には薬湯の効果があるらしいな。詳しくはこっちの書物にあったんだが」
そう言って、取り寄せた書物を開きながらやってきた、医務室を任された薬研藤四郎が。
「薔薇でジャムを作るのはどうかと思ってね。見た目も香りも華やかで雅だろう? 彼女が喜ぶんじゃないかと思ってね」
そう言って、味だけではなく目でも楽しめる料理をと相談しに来た、厨番長の補佐役を任された歌仙兼定が。
ひっそりと薔薇園を営む福島光忠のもとへ、代わる代わるやってきた、この本丸の客人たち。
彼らを送り出した後、立ち尽くす福島の背中に、のっそりと近付くようにして
「なーに黄昏てんだぁ? 福島ぁ」
と日本号が並んだ。
軽く肩を叩いた日本号に、福島はぽつりとこう答えた。
「号ちゃん。俺、自分で思ってたより、幸せものだったかもしんない」
その言葉に、日本号は、紐で吊り下げた酒瓶に珍しく口をつけることなく、ただ静かに「んー?」と軽やかに相槌を打った。
福島は、少しぼんやりと前を見たまま、こう口にした。
「俺さ、別に戦が嫌ってわけじゃないんだぜ。けど、薔薇はあくまで、そう、人の子で言えば、趣味、ってやつだろ」
「ま、娯楽ってえ奴だよな。俺の酒みたいなもんかね」
「付喪神が酒精を好むのは自然なことだけどさ。戦より花を贈るのが好き、なんてのは、戦うために呼ばれた刀剣男士としては外聞が悪いじゃないか。周囲の士気を下げかねない」
だから、あくまでひっそりと。そういうつもりだったのだと。
福島はそう言葉を継いだ。
「けど、あの子は言ったよ。『どうして?』ってな」
彼女は本当に不思議そうに首を傾げたのだと。
「誰だって、心があれば、好きなものがあるのは自然だろうって。だったら、好きなことして生きるのが一番じゃないかな、ってな」
「嬢ちゃんらしいな」
薔薇園で彼女と過ごす時間は、ひどく静かで穏やかだった。
彼女は薔薇を否定しなかったし、けれど福島が
「だが、他の連中の士気が落ちちまうだろう?」と言えば
「じゃあ、内緒だね。私と福ちゃんの秘密」と笑った。
そう、秘密にしておきたかったのは、彼女じゃない、自分の方だった。ずっと。
「そしたら、いつの間にか巡り巡って、俺の薔薇が、霊力が多すぎるあの子の助けになって。あれ以来、いろんな連中が、薔薇の花を分けてくれないかって聞きに来るようになったんだ」
不思議な巡り合わせだった。やってきた連中は、福島の趣味に眉をひそめるどころか、誰一人、刀剣男士でありながら熱心に薔薇を育てる自分に疑問を感じないみたいだった。
この本丸に当たり前のように息づいている
穏やかで受容的な雰囲気の源。
「あの子の気風だ」
福島は静かに目を細めた。
「いーんじゃねーの。お前さんの弟だって言ってたぜ。戦う以外のことがずっとしてみたかったんだってな」
さっすが兄弟、どっか似てるモンだな。
そんなふうに軽やかに口にしながら背中を叩いた日本号が、福島の肩にぐいっと腕を回した。
「そんな燭台切を重宝する主だぜ。お前さんも、好きに生きていいんだろうさ」
「なあ号ちゃん」
「んー?」
「戦うために呼ばれたはずの俺が育てた薔薇、それがあの子の助けになってさ。刀を振るうだけじゃないんだな、主を助けるってことは」
福島は手を自分の前に掲げた。
園芸用の手袋は、血ではなく土に汚れていて
そんな福島を、当たり前に受け止める主だった。
「鋼の身だけじゃ手が届かない、そういう全部に。人の身ってやつは、手が届くんだな」
刀の身でありながら趣味を持ち、それが巡って主の助けになる。
ならば『心を持つ』ということそのものが、巡って主の助けそのものなのだろう。
福島にとってこの出来事は、そんな深い感慨を覚えさせるものとなった。
「心って奴は、戦いの邪魔になると思ってたが、……人の子に望まれることもあるんだな」
「そりゃあそうだろ。付喪神はみーんな、人間って奴がそう望んだから心があるわけだろ」
「そっか。……ん、そっか、そうだよな。この体を持って呼ばれた意味が、少しだけ、わかった気がするよ」