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Through the Painting 【再録】

全体公開 奈落の大穴 7164文字
2025-02-16 09:51:17

リコとプルシュカのちょっとふしぎなはなし。ゴシックホラー風味アリスパロ。

'Twas brillig, and the slithy toves
Did gyre and gimble in the wabe;
All mimsy were the borogoves,
And the mome raths outgrabe.

 ―――Lewis Carroll “Jabberwocky”
         Partial quotation






 リコが七歳半の冬のことでした。
 リコは両親に連れられて、街の美術館に行くことになりました。外国のめずらしい絵があらたに展示されるから見に行こうとお父さんのトーカは云いました。お母さんのライザはあまり乗り気ではないようでしたが、お父さんがランチは美術館の近くのピザが評判のレストランにしようと誘うと、喜んで張り切りました。
 リコは実のところ、ピザの方につられたのですが、お父さんがたまに見聞を広めようと連れていってくれる場所は、一概に嫌というわけではありませんでした。恐竜博物館は骨格標本の前をなかなか離れませんでしたし、科学館ではあちこちに地球の気象を再現する設備のボタンを片端から押す楽しさも覚えています。ただ、美術館はどこもひっそりとしていて、人物画であったり風景画であったり、よくわからない絵をたくさん見るのは少しだけ退屈でした。
 くだんの美術館はバスと電車を乗り換えて四十分ほどのところにありました。白い円形の建物です。敷地はくるぶしほどの浅い堀に囲まれていて、水の中には小さい魚が泳いでいます。夏になると水遊びができるのでしょう。堀は飛び石と、石造りの橋で渡れるようになっていたので、リコは飛び石を選んでジャンプして行きました。
「リコ、うろちょろしないの」
「はぁい」
 敷地内は季節の花を咲かせる庭園になっていて、広いところでの気分のままに走ろうとしますと、さっそくお父さんに止められました。
 朝方に雪がちらついていたからでしょうか、芝生にうっすらと白い雪化粧がされています。通路に沿うようにある鉢植えの、赤いおおぶりの花をつける低木を指差すと、お母さんが花の名前を教えてくれました。
「あれはツバキだな。天ぷらや酢和えにするとうまいよ」
「ライザったら。地べたに咲き終わった花がころんと丸ごと落ちてるでしょう? ああやって、花首から落ちるのがツバキ。花びらだけ落ちていたらサザンカ」
「茹でてから水にさらして、衣をつけて揚げるといい酒のつまみだ。花びらを煮詰めてジャムにするのもいいぞ。ちなみに、生で食うとちょっと酸っぱくて苦みがあって、たまに虫の毛が痺れるからやめたほうがいい」
「もうライザ、リコに変なこと教えないでよ。真似するから」
 もう少しでリコは落ちている花を拾って食べてみるところでしたが、残念なことにお父さんに阻止されました。手を引かれて美術館の入口に向かいます。
 リコは子供用のチケットを渡されました。正面ホールを通り過ぎ、入館のスタンプを押してもらうと、まもなくおめあての展示室でした。
 展示室の最初のボードには、ある海外の蒐集家のコレクションの一部を競り落としたと書いてあります。蒐集家は長年、有名無名にかかわらず、空想的な絵画を集めることに熱中しましたが、死後は相続する者がなく散逸したようです。そうした遺品のうち五点を美術館が入手し、さらによその美術館から二十点ほどを借り、同時代の類似作品を合わせて、特別展がなされたのでした。
 リコはお父さんといっしょに鑑賞して回りました。
 最初の絵は逆さになった森の風景画でした。天井から木が生え、滝が逆さに落ちていきます。
 リコは首をかしげて訊ねます。
「どうして逆さに生えてるの?」
「どうしてかなあ。重力が逆さになってるんじゃないかな」
「じゃあ、地下にある世界なのかも! 地上と逆方向が空で、そこに住んでる人は、おんなじ地面に反対側からぴったしくっついてるの」
「リコは想像力豊かですごいねえ」
 二枚目は、一風変わったかたちのメイド服の女の子の絵でした。パニエでふくらませた青い衣服で、男の子のように髪を刈りこんで、ヘッドドレスを身に着けて箒を持っていました。
「女の子だよね? 可愛い」
 リコは云いました。女の子は笑っているようですが、なんだか悲しそうにも見えました。背後に幽霊のような大きな影が写っているからかもしれません。
 リコとお父さんは回廊をゆっくりと進みました。意外なくらい、見学客はまばらでした。巡礼者たちが切り立つ山を越えてゆく絵や、真白い洞窟を切り取ったような絵、群青色のコウモリのような生き物が飛行している絵もありました。あまりまとまりがないようで、どれもこの世のものではないような絵画であることが共通点でした。
 点数がずいぶん多かったためでしょうか。美術館の静けさに当てられたように、リコはだんだん無口になっていきました。ずいぶん真剣に見入っているので、お父さんは感心していたほどでした。
 突き当たりの壁に肖像画が飾ってありました。リコの身長ほどもあるでしょう。遠目からでは仲のいい親子のように見えましたが、近づいてみると、親と思われる燕尾服風の衣装の人物はおかしなことに、縦に紫色の光がさす黒い仮面をかぶって立っていました。
 上品に椅子に浅く腰かけた女の子には仮面がなく、それだけ見ればごく普通の肖像画です。リコと同じくらいの歳で、くるりと外側にカールした白っぽい髪に、おしゃれに緑色のメッシュが入っています。衣装は髪色と同じ白と緑のエプロンドレスです。そして、庭園で咲いていたツバキの花色のような赤い瞳で、にっこりと笑っていました。
 リコはまばたきをしました。女の子と眼が合ったように思ったのです。
 もう一度見上げてみても、絵の女の子は、正面に向かって変わらず永遠の笑みを浮かべるばかりです。
 また、女の子の隣には奇妙な空白があって、一見黒い壁のようですが、よく目をこらすと、ぎょろりと大きな眼玉がたくさん描きこまれていて、それらを上塗りするように黒い絵具で塗りつぶされているのでした。
 この親子の肖像画には『夜明けの花』というタイトルが付けられていました。作者や成立年代は不明で、タイトルの意味もこの親子についてもほとんどなにもわかっていないのだ、というような解説が添えられていました。
「怖くないかい?」
 リコが黙り込んでいるので、お父さんが訊ねました。リコは首を横に振ります。
「ううん――怖くないもん」
 強がりではなく、ほんとうに恐ろしいとは思っていませんでした。女の子が心底幸せそうに笑っているからかもしれませんし、その後ろに立つ仮面の親も優しそうに思えたからかもしれません。
 次の部屋で展示は終わりでした。最後にマントを目深にかぶった少年ロボットの絵を観て、そしてみやげ物屋をひと回りしました。
 お母さんは早くも外で待っていて、リコとお父さんを見つけて手を振りました。
 ランチのピザがおいしかったことは、云うまでもないでしょう。






 翌朝、リコは夢を見たような目覚めでした。
 お父さんが作った朝ごはんを食べ、仕事に向かうお母さんを見送り、リコはそそくさと出かける準備をしました。
「お出かけかい?」
「うん。行ってきます」
 リコは靴を履くと、自分の足で玄関を出てバス停に向かいました。バスに乗り、電車に乗り換えて、昨日たどった道をひとりで歩いてゆきます。美術館に到着すると、リコは子供ひとり分のチケットを買い、展示室前でスタンプを押してもらいました。
 朝いちばんだからでしょう。見学客はリコひとりでした。昨日とおなじように絵は並んでいて、リコは脇目もふらず回廊の奥へと駆けていきました。不思議と誰もいないので、リコは注意されることもなく、『夜明けの花』の絵の前にたどり着きました。
 白と緑の女の子は昨日と変わらない笑顔で迎えました。
「こんにちは」
 リコはきょとんと目をまるくしました。
 女の子は軽やかな仕草で立ち上がると、スカートのしわを払い、ひとっ飛びにジャンプしてリコの前に降り立ちました。リコが一歩下がると、女の子が一歩前に出ます。かかとの低いブーツを差し引いても、リコと同じくらいの身長でした。
「こんにちは?」
 リコも挨拶しました。絵の中から飛び出してきた女の子は、嬉しそうに握手を求めました。
「あたし、プルシュカっていうの。あんたは?」
「私――私はリコ。よろしく」
「そう、リコね! よろしくね!」
 その笑顔がとても可愛らしかったので、リコもほっぺたをほころばせました。握った手は手袋越しでもわかるほど暖かくて、冷たくて香ばしいような匂いがつんと鼻をくすぐりました。
「おいで! あたしが案内したげる」
 プルシュカに手を引かれて、リコはどぷんと絵の中に沈みました。
 まるで泥に浸かっているみたいでした。胎児が感じる世界に似ています。空気がほんのりぬるくてなめらかで、ゼリーのようにねっとり吸い付くのに、ちっとも息は苦しくありません。ひらひらと花びらが舞い散っています。花びらは一枚いちまいに写真を切り取ったような風景が描かれていて、驚くほど速く過ぎ去っていくのです。
 しばらく泳ぐと、プルシュカは手を伸ばして花びらを一枚つかみます。
 いっせいに天上の照明がついたようなまぶしさに、リコは目をつむりました。ふたたび視界を開けたときには、周囲はがらりと変化していたのです。
「ここはあたしのお気に入りの遊び場所よ!」
 暖炉がパチパチと火花を散らしていました。薄緑の花模様の壁紙と茶色いカーペットが敷かれ、座り心地のよさそうな古典式の肘掛け椅子がふたつ、鎮座しています。その間にはきれいに整列したチェスボードが円卓の上に乗っていました。
 チェスだけでなく、バックギャモンもトランプもそろっていました。庭にはしゃべるオニユリとバラとヒナギクが咲いていて、丘にはクロッケー場があります。
 リコとプルシュカは昔から見知っている友達のように親しく遊び始めました。ふたりで遊ぶならば、バックギャモンもババ抜きもクロッケーも楽しいことでした。なにより、リコが気に入ったのは、冒険ごっこです。屋敷中の扉を開けたり閉めたり、地面が逆さになったりバルコニーから羽根のようにゆっくりと飛び降りたりすることは、非常におもしろい遊びでした。
「ねえ、プルシュカはいつもひとりで遊んでるの? さびしくなぁい?」
 リコとプルシュカはひととおり屋敷を駆け回ると、最初の談話室に戻ってチェスに興じていました。プルシュカが優勢で、リコはほとんど負けかかっていましたが、えいやっと赤のナイトをe7へと動かします。プルシュカは白のナイトで赤のナイトを倒しました。
「ときどきはグェイラやメイニャとも遊ぶけど、あたしにはパパがいるもの、さびしくなんかないわよ」
「プルシュカのパパって、絵に一緒に写ってた仮面のひと?」
「そうよ。パパはキマエラ研究をしていて、とっても尊敬されてるの。リコにも家族がいるの?」
「んーと――私のお父さんはレストランで働いてて、お母さんは犬のブリーダー。あと、レグっていう犬飼ってるよ」
「すてき! あたし犬は飼ったことないの――メイニャはパパが誕生日にくれたんだけど」
 羽根が生えたピンクの生き物だというメイニャについてプルシュカは話しました。メイニャは飛べないけれど、家より大きくもジャム瓶より小さくもなるようなのです。リコも学校生活や犬のレグの話、近所に住んでいる大学生がときどき勉強を教えに来てくれることなどを話しました。プルシュカはリコの話をなんでも楽しそうに聞いてくれたので、おしゃべりに夢中になっているうちに、赤のキングはあっさり追い詰められてしまいました。
 その後ふたりはまた冒険ごっこをしました。あんまり何時間も遊んでいるのでいつの間にか窓の外は昼と夜が切り替わって真っ暗になっていましたが、暖炉がごうごうと燃えているのでちっとも寒くはありませんし、お腹が空くことも眠くなることもないのでした。
 リコがお父さんが作ってくれるごはんがどんなにおいしいかしゃべっていたとき、プルシュカは思いついたように手を叩きました。
「そうだわ! あたしたちもお食事しましょう! お客様がいるもの!」
 プルシュカと連れ立って大扉を開けると、大広間にそれまでになかった立派なダイニングテーブルが現れていました。ディナーのためのカトラリーセットも用意されています。リコとプルシュカが並んで上座に着席すると、最初にブドウジュースのグラスが飛んできました――羽もないのに宙を飛んでいるのです。それから料理の出番でした。
 スープに始まり、魚料理と肉料理と、料理たちが順番を待ちきれないとばかりに一度にコースがやって来ます。皿と皿がキンキンぶつかって料理が落ちたりこぼれたり、たいへんな騒ぎです。どれも乗っているのはツバキの花でした。花はスープに浮かんでいたり、枝ごと焼いていたり、衣をつけて揚げていたりしていました。
 リコはさっそく勇んで天ぷらを食べてみましたが、口にするなり首をかしげました。お母さんが教えてくれたような味はしなかったのです。
「水と壁の味だ」
 最後に遅刻してきたデザートは真っ赤なプティングで、ツバキの花びらで埋もれていました。プティングは花びらがぽろぽろとこぼれ落ちては悲痛な叫び声を上げました。
「どお? うまいかしら?」
「とっても不思議な味」
 リコは正直に云いました。プルシュカはほっぺたを赤く染めます。
「あたし、いつもは食べないけど、リコがいるから特別なのよ。お花はリコが持ち込んだからかしら」
 プルシュカは歌うように云って、ツバキの花に似た赤い瞳をきゅっと細めます。
「あたしのプルシュカも、花から取ってるわ。パパがつけてくれた大事な名前。『夜明けの花』という意味で、――リコは夜明けって見たことある?」
「もちろん。夜が終わるとだんだん空が明るくなって――あれ? プルシュカは、夜明けを見たことないの?」
 プルシュカはにっこりと告げました。
「こっち側にあるものは終わらない昼と終わらない夜だけよ。そうじゃないと、ずっとずうっと遊べないじゃない? あたし、リコとずっと遊んでいたいもの」
 すると、びゅうううとすさまじい風が巻き起こりました。ありとあらゆることが同時に起きました。料理も皿も全部風に吹き飛ばされ、花首がついたままのツバキが宙に舞い散りました。ビロードのカーテンがちぎれてツバキの花びらに変わります。テーブルや椅子は高速で回転して一点に吸い込まれるように消えてしまいました。
 リコはプルシュカの姿が見えないことに気がつきました。
 花柄の壁は突如緑色の毛虫になって壁だった場所を懸命に這っていきます。暖炉の火は高温の鉄が焼けたような激しい輝きを放ちました。どこからかたくさんの青いチョウが羽ばたいてゆき、鎧を身につけた騎士の頭だけが一列に床を転がっています。リコが廊下に出ると、まっすぐだった絨毯はぐねぐねに曲がっていました。プルシュカの云っていた、メイニャと思わしきピンクの羽の生物が階段を駆け上がります。めちゃくちゃになってゆく屋敷の中、リコはプルシュカを呼びながら探しました。
 リコは玄関ホールに姿見がぽつねんと置かれているのを見つけました。そこだけ湖のように静まり返っています。その中にプルシュカが隠れてやしないかとリコが頭をどぽんと沈めると、急にものすごい力で腕を引っ張られました。
「誰?」
「君は、ここにいては、だめだ」
 赤いマントをかぶった少年のようなロボットがリコの腕を掴んでいました。ロボットは鉄の腕をもってして、まるで砲丸投げのように思いっきり、リコを振り投げました。







 ――リコは美術館の外に立っていました。鉢植えのみずみずしいツバキの花が咲いています。赤く白くたなびく夜明けの空がリコを迎えていました。















「リコともう会えないのかしら、パパ?」
 プルシュカは悲しそうに云いました。あんなに楽しそうに遊んでいるプルシュカはずいぶん久しぶりだったので、「私」も残念に思いましたが、番人が許さなかったので仕方ありません。
 椅子に腰掛けるプルシュカの頭をなでてやり、「私」は答えました。
「いいえ、プルシュカ。君とリコが願い続ければ、ふたたびお会いすることができますとも。願い続ければ、きっとです」








あとがき

 メイアビのコピー本でいえば三冊目です。現パロなのかゴシックホラー系なのかアリスパロなのかわからない話です。リコとプルシュカでちょっとふしぎなおはなし、を書きたかったがゆえ。
 雰囲気はかつて私が読んだファンタジーやホラーをひっくるめて様々に混ぜていますが、少なくとも後半部はルイス・キャロル『鏡の国のアリス』の構成が下地になっています。
 プルシュカは少なくとも引き込もうと思って引き込んだわけでなく、同じくらいの歳の女の子とちょうど共鳴し合っただけです。逆にリコが絵の外に引きずり出すこともできます。うまくいかないのは番人という安全装置があるせいですが、目を盗んで取り繕うこともできるはずです。
 後になってトーカとライザが確かめたときには、もうかの『夜明けの花』の絵はなくなっていたそうです。

ロンド


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