カルみと マーキングの話
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
ブルーライトを浴びながらかたかたとキーボードを叩いていた神無は、ようやく書き終えた報告書のデータを青木に提出して大きく伸びをした。
「なんとかおわった……」
「お疲れ様です、神無」
「ん、ディーノもおつかれ。手伝ってくれてありがとな」
隣で作業を手伝っていたディーノはこくりと頷くと、てきぱきと神無の帰り支度を整える。
渡されたジャケットに袖を通した神無は、既に定時をとっくに回ってしまった時計にため息を吐いてからふと、机の上のカレンダーへ視線を向けた。
「明日休みかぁ……」
ここ最近、アンドロイドの関与する事件が後を断たないため、神無は非番の日も呼び出されて仕事に向かう日々が続いていた。
ようやくまともな休みを迎えたことに安堵した神無は同時に、しばらく会えていない恋人の顔を思い浮かべる。
少し前までは月に何回か顔を合わせていた上、翌日を非番になるように調整して朝まで一緒にいることもあったが、ここ最近は電話でしか縞斑の声を聞いていない。
「……会いたいな」
「誰にですか?」
「あ、あぁ…えっと、なんでもないよ」
思わず漏れた独り言に、ディーノがきょとんと首を傾げる。慌てて首を横に振って誤魔化した神無は鞄を手に取ると、部屋の外へ足を向けながらひらりと手を振った。
「じゃあお疲れ、ディーノも明日はゆっくり休めよ」
「はい。お疲れ様です、神無」
挨拶を済ませて警視庁をあとにした神無は、玄関を出て駐車場に停めた車へと乗り込む。
荷物を置いて行き先を自宅に設定すると、彼は改めて明日の予定を見直した。
足りない生活用品は前日宅配で注文したばかりだし、洗濯物も非番の日に呼び出しを受ける前に済ませてある。明日の予定は奇跡的に何も入っていない。
ふと窓ガラスに映る自分の姿に気がついた神無は、シャツのボタンを緩めて晒されたうなじを確かめるようにそっと指でなぞる。
「……もうほとんど見えないや」
仕事が落ち着いている数ヶ月の間、逢瀬に困らなかったおかげで神無のシャツで隠れた首筋には赤いキスマークがぽつりと残っていた。
縞斑と体を重ねるときは必ず、彼が痕を付け直すようにその場所に口付けを落としてくれるのだ。
消えることのないその証は神無にとってささやかな幸せだったが、会えない間に薄くなってしまったそれは今や目を凝らさないと分からない。
目に見えて縞斑に会えていないと自覚してしまった神無は、心を満たす寂しさに突き動かされるように無意識にサングラス型コンピュータを操作していた。
縞斑への通話発信画面を表示したところでようやく我に返った彼は、ぴたりと手を止めて熱の集まった頬を押さえる。
「こういうときって…なんて誘えばいいんだ……?」
縞斑に会いたい。会って話をして、手を繋いで、キスをして、抱かれたい。
けれど欲求のままに「セックスをしてくれ」と頼むのはなんだかはしたない気がして、気が引けてしまった神無は思わずその場で躊躇う。
「でも……でもなぁ……」
明日は久しぶりに迎える公休だ。
ここを逃したらきっと、またしばらく縞斑とゆっくり会う機会は訪れないだろう。
しばらく車の中で悶々と欲望と理性を喧嘩させていた神無は、やがて軍配が上がった欲望に従って通話を発信した。
数秒のコール音を緊張しながら聞いていれば、やがてぷつりと相手が通話に応答する音が聞こえる。
『もしもし?』
「あ……えと、だらだら先輩…?」
『そうだけど…何かあった?』
久しぶりに恋人の声を聞いた瞬間、神無は緊張が最高潮に達して声が上擦ってしまった。
スピーカー越しの縞斑が心配そうな声色に変わったことに気がついた神無は、見えていないと分かっていながらも慌てて首を横に振って訂正をする。
「あぁ、ううん、何かトラブルがあったとか、そういうんじゃないんだけど……」
『ならよかった。どうしたの?』
安堵したように小さく息を吐いて改めて要件を尋ねる縞斑に、ごくりと唾を飲んだ神無は懸命に言葉を紡ぐ。
「明日さ……久しぶりに週休になりそうで、だから…その、もし先輩も時間取れたら一緒に過ごしたいなぁと思って…」
ドロ課が忙しかったということは、縞斑たちのスパローも同様に忙しかったということだ。
久しぶりの休暇くらいひとりでゆっくり過ごしたいかもしれない。そう予防線を張るようにおそるおそる尋ねれば、縞斑は要件を把握した様子であぁと軽い声を上げた。
『いいよ。じゃあ昼くらいから会おうか?』
「昼……」
『その日は一日空けられると思うから……あ、用事があるなら夜にする?』
「んんんん"ん"ん"ん"〜…」
これまでのデートの時間を考えれば、縞斑の反応が自然なのだ。
神無がしようとしていることは、縞斑の予想を外れた大胆なお誘いなのだといやでも自覚させられた神無が頭を抱える。
突然呻き声を上げ始めた恋人に、縞斑は珍しく戸惑いながら神無に心配の声を掛けた。
『え、なになに、どうしたの神無ちゃん』
「そうだけど…そうなんだけど、でもそうじゃなくてぇ……」
『そうだけどそうじゃない?』
縞斑も縞斑で神無が望んだ答えではないことは理解できたが、正解が分からない様子で首を傾げる。
あー、うー、と何度も言葉を選ぶ神無をどうしたものかと見守っていれば、このままでは埒が開かないと考えた神無が顔を上げた。
「せ、せんぱいがつけたあとが!消えちゃいそうなんだけど!!」
意を決して口にした言葉は、半端な羞恥が邪魔をして無意識に確信的な答えを避けてしまった情けないものだ。
通話越しの縞斑から返事は聞こえない。沈黙する彼にはきっと、神無の言葉の意味が伝わっていないのだろう。
とはいえ、これ以上どう噛み砕いて説明すれば良いのだろうか。ぐるぐると混乱した神無がいっそのこと抱いてくれと言ってしまおうかとやけくそになったとき、スピーカーから深い深いため息が聞こえてきた。
『………それ、誰に仕込まれた誘い文句?』
「さそ、へ?!だれってなに!?」
『嘘だろ、それが自力で出てくるのか……末恐ろしいなほんと……』
低く警戒するような声の縞斑に慌てて尋ねれば、今度は何故か誤解が解けた代わりに怯えられてしまったらしく神無はますます困惑の声を上げる。
どうか彼が技を磨くことのないように、そう祈りながら痛む頭を押さえた縞斑は手元のタブレットを閉じると席を立った。
『仕事は終わった?』
「え、う…うん」
『わかった。俺も残り済ませたらすぐに行くから、準備して待っててくれる?』
「………、」
『意味、わかるよね?』
確認するようなその言葉を聞いた神無は、縞斑の伝えたい言葉を正しく汲み取ったものの、自分の都合の良いように解釈しているのではないかと不安になる。
「……ほんとにいいの?」
『もちろん。痕消えそうなんでしょ?』
「それは……うん。だけど…先輩だって忙しいだろうし、」
『あんな可愛いお誘いを無意識にするような子からマーキングを消すわけにはいかないからね』
「は、はぁ…」
そう言った縞斑は、一刻も早く仕事を片付けて神無の自宅へ向かうべく動き出した。
こつこつと聞こえる廊下を歩く足音や、コートを羽織る音を聞きながら、兎にも角にも神無はこれから手に入るらしい恋人との時間に安堵する。
「じゃあ……良い子で待ってるね?」
「……今のはわざとだろ」
「あ、バレた」
悪戯っ子のようにけらけらと笑った神無はきっと、その言葉が容易に口にすることがどれだけ危険であるかを分かっていないのだろう。
さっそく技を磨きに掛かった努力家で飲み込みの早い神無が自分以外を無意識に魅了する前に、消えかけたマーキングを付け直しに行かなければ。
そう改めて決意した縞斑は、今日の仕事を明後日の自分に託してバイクに乗り込むのだった。
終