少し痛い表現を含みます。
単話でも支障ありませんが『或る聖域』と『或る馥郁』で出た話も少し。
@otohitoe_
「アジラフェル」
いやなにおいを嗅ぎつけて、クラウリーはじめじめした薄暗い納屋へ足を踏み入れた。いやな、というのは決して清らかなという意味ではない。如何にも悪魔の好みそうな雰囲気ではあるが、クラウリーは吹き抜ける風のある場所のほうが好きだった。
クラウリーが肌に纏わりつく不快感を厭わしく思いながらもここへ訪れざるを得なかったのは当然、例の天使が絡んでいたからだった。
「アジラフェル。おい」
足の裏に伝わる、湿った藁を踏む感触が実に心地悪い。もっと厚くするべきだ、履き物は。せめて踵だけでも厚くしてほしい。
不快感に耐え、滑らないよう注意しながら爪先で歩き、クラウリーは奥へとゆっくり進む。
「いるんだろ?天使アジラフェル」
───悪魔をつかまえた!
と声高に吹聴して回っている人間たちのせいで、町から出ようとしていたところを引き返す羽目になった。聞き耳を立ててみればどうやらその悪魔とやらは隣町の納屋に間抜けにも縛り付けられてあるらしい。いくら馬鹿な連中でもこの辺りの人間風情に捕まるような奴など…とまで考えて、天使なら捕まるかもしれない、と思い至ってしまったのが憂鬱の始まり。雨上がりのぬかるむ道を、クラウリーは急いでここまでやって来たのだ。近くに天使の気配があることはわかっていた。だから近場に滞在していたと言ってもいい。向こうからたまたま見つけられるようなことがあれば、また揶揄ったり誘惑ごっこをしたりして遊べると思ったのだ。あの天使で遊ぶのは楽しい。時々喉の奥が締まるような心持ちになることもあるが、たぶん天使の毒気の無さにあてられているのだろう。何せ自分は悪魔だから。
「アジ…、」
視界の端にちらりと映った白い光。
(……光?)
古い納屋だ、隙間から漏れ入った陽射しが天使に反射でもしているのだろう。いつも決まって小綺麗な真っ白い装いだから。
何をしでかして捕まったんだ、よりにもよって悪魔と間違われて、なんて言って笑ってやろうとこの道中考えていた。それはむしろ不安の裏返しだったわけだが。
クラウリーが嗅ぎつけたいやなにおいは予感だった。
「…アジラフェル!」
意図してあまり働かせないように努めていた想像力に全力で仕事をさせていたとしてもこんな光景は描かなかっただろう。
クラウリーはアジラフェルの傍に跳んで駆け寄った。アジラフェルは乾いた草で編んだ袋を頭に被せられ、両手は後ろ手に、両足も足首と膝をぎっちりと縛られて、おまけに何故か露わになっている白い翼は穿たれた太い杭で束ねられている。夜の食卓に並べるために仕留められた獲物だってこんな惨い仕打ちはされない。
すぐさま袋を抜き取ると、思った通り轡まで。こんな状況なら例えおれの声を聞いていたって返事できるわけがない。頭の後ろで硬く結ばれた布を外してやると、アジラフェルははあっと大きく呼吸をした。本来なら必要ないとも言えるが、クラウリーにはその気持ちはよく理解できる。
「何してんだおまえ、こんな、これ…おれにはどうしようもできないぞ」
「うん、大丈夫…」
「どこが大丈夫なんだよ!」
「え、えっと…」
一刻も早くこのおぞましい翼の拘束をどうにかしてやりたいが、妙に神聖でクラウリーには触れられなかった。それはそうだ。人間たちはアジラフェルを悪魔だと思ってこれをやったのだ。やってのけた。おそらくなんの抵抗も疑念も恐れも無かっただろう。
「何か切るものをくれないか?なんでもいいんだ、その辺に落ちてる釘とか」
「………」
「ああ、それで十分。ありが…」
クラウリーは懐から小さなナイフを取り出してアジラフェルの手を乱暴に掴んだ。自身の所持品ではない。さっき通りすがった男の腰に提げられていたのを借りておいただけだ。要らぬ用心で済めばよかったのに。
クラウリーは黙ったままアジラフェルの両手足を縛る縄を切ってやった。触れられないのは翼を束ねる杭だけ。いつだって一番望むことだけができない。
立ち尽くすことしかできないクラウリーの前で、アジラフェルは自由になった両手を挙げ、両翼を貫いている杭をゆっくりと抜いた。いてて、などと軽い口調で言いながら。クラウリーの胸の内側のほうがよっぽどずたずたでぐちゃぐちゃだった。それが痛みなのかはわからない。ただただ不快だった。
「その、ありがとう」
「おれに礼を言うな」
「そうだった」
「いいか」
クラウリーは手に持ったままだったナイフの切っ先をアジラフェルの鼻先へ差し向けた。
「………、」
アジラフェルとクラウリーの目線がその刃先に落ちる。
クラウリーは咳ばらいをひとつして、もう無用となったそれを部屋の隅に放り、今度はぴんと立てた人差し指を改めてアジラフェルの鼻先へ差し向けた。
「いいか、天使アジラフェル。これは悪意だ。おまえは向けられ慣れてないんだろうが今日学んだな?よかったな。報告書に事細かく仔細を書いて上の連中にも教えてやれ。人間ほど純粋な悪意を持った生きものはいない」
「どうして。彼らはわたしが天使だと知らなかったんだ。悪魔だと思って…」
「相手が悪魔なら何したっていいのか?」
「それは…」
「もしこれが、」
おれだったら、おまえは。
そう言いかけて、クラウリーはぐっと言葉を飲み込んだ。
ばかげたことを。天使に何を求めてるんだ。
「…クラウリー?」
クラウリーは舌打ちをして、赤い痕がついたアジラフェルの手首を掴んだ。
「とにかく行こう」
「何処へ」
「何処だっていい。ここ以外の場所だ。じめじめしてなくて、陰気くさくなくて、おぞましい信心を持った人間のいない場所。羽を仕舞え、早く」
アジラフェルは素直に羽を閉じて仕舞い、クラウリーに手を引かれるまま納屋を連れ出された。
最近じゃ何処も彼処も我が物顔で人間が居座っていて、文字通り羽を伸ばせる場所も少なくなった。ただ夜の暗いうちだけはこぞって睡眠というのをしてくれているおかげでずいぶん静かだ。誰にも見られず移動するには夜に限る。
「森に入って夜を待とう。明るいうちは人目につく」
「森は…」
「なんだ」
「魔物がいるって」
「はあ?」
「そういう噂だ。人間たちの間で。わたしは悪魔だと思っているけど」
「地球に来たがる悪魔なんているもんか。おまえのところの奴じゃないか?」
「天使だって来たがらないよ」
「おまえは?」
「…わ、わたしは、仕事だから」
「おれもだよ」
よくある話だ。薄暗くて気味の悪い場所で何かを見て、或いは見たと信じ込んで、地獄にも天国にもいない存在を作り出しては勝手に怯えている。大抵は地獄からの使者にされるが、クラウリーにとっては都合の良いことだ。何もせずに手柄が増えることもあるし、こうして隠れ蓑になってもらうこともできる。
人間も人間のすることも嫌いじゃないが、近頃は手に負えないことが多すぎる。
森に入るまで奇跡的に人とすれ違うこともなく、クラウリーは人の気配がうんと遠くなるまで新緑の中をずんずん進んでいった。
しばらくすると小さな湖畔に出た。湿気からは逃げられなくとも目に涼やかな景色でほっとする。
「ここで夜を待とう」
「この辺り、近くに人が住んでいなかった?」
「死んだ」
「ああ、そう…」
「一応まだ形は保ってると思うぞ」
「な、」
「嫌われ者だったから、町に姿を現さなくなっても誰も様子を見に来ない」
「………」
「それで?どこからどう見ても天使のおまえは、どうしてあんなことになったんだ」
「どう見ても人間じゃないからかな…たぶん…」
「奴らは悪魔を捕まえたと言っていたぞ」
「人間では有り得ないものはすべて、その、そちら側の住人に見えるらしい。仕事で来たのに誰もわたしを天使だと信じなくて…」
「変わったんだよ。人間たちも。それがわからないおまえじゃないだろ」
「………」
「上から言われたんだから仕方ないって言いたいんだな。わかってるさ、そんなの…」
視線を落とすと、指を組むアジラフェルの手首にはまだ生々しい痕が残っている。
「…痛いのか?」
そういえばここに来るまでそこを掴んでしまっていたことを思い出しながら低く尋ねると、アジラフェルははっとしたように袖で隠した。
「彼らを責めてはいけないよ、クラウリー。もっとうまいやり方がきっとあったはずなのに、彼らの前にこの姿を晒したわたしの失敗だ」
「………」
そんなことを言いたいのではなかったが、でもじゃあ、損傷したところを握って悪かったとでも言うのか?言えるわけない。
「…責めるものか。どうして責める?悪魔のおれが、天使を捕まえた人間を」
「まあ、確かに。それもそうなんだけど。でも助けてはくれたろ」
「助けてない!」
「………」
「…助けたわけじゃない」
何の言い訳もこじつけもなしに、クラウリーはそれだけ返した。自分でも無理があるのはわかっていたが、アジラフェルはそれ以上追求せず、そう、とだけ答えた。いつもならにやにやしながら揶揄ってくるくせに、こういうときに黙る優しさにはいつまで経っても慣れない。また舌打ちしたくなる気持ちを抑えながら、クラウリーはふいと湖へ目を逸らした。
「…傷口を」
「え?」
「洗うといい。人間は体を怪我するとみんな水で洗う」
「ああ、そうだね。そうするよ」
アジラフェルは服の裾を摘みながら澄んだ水の中へ足首が浸かるまで進み、静かにしゃがんで手首も浸した。
「……あの、クラウリー?」
「なんだ」
「羽の傷も洗いたいのだけど、服を脱ぐか、濡らすことになってしまう…」
「………」
「…どうしたらいいと思う?」
ばさりと大きく翼を広げながら振り向くアジラフェル。クラウリーはアジラフェルが何を言いたいのか察知して顔を顰めた。
「おれは向こう向いてるから、服を脱げばいい」
「こんなところで裸になるなんて無理だ」
「人間みたいなこと言うんだな」
「………」
「見ない。約束してもいい」
「クラウリー」
困った顔で訴えてくるアジラフェルに、クラウリーはとうとう折れた。吐いた溜め息を了承と受け取ったアジラフェルが懐から出した手拭いを水に浸しながらぱしゃぱしゃと岸へ戻ってくる。
「…座れよ」
「ありがとう」
「それを言うならやらない」
「違う、今のは癖みたいなものだ。もう言わない」
アジラフェルはなるべく乾いた場所を探して腰を下ろし、クラウリーに背を向けて羽を広げた。
いくらなんでも無防備すぎやしないか…と呆れつつ、受け取った濡れた布切れを軽く絞り、赤い染みが出来ている翼角のあたりを見上げる。
「もう少し下げろ」
「これでいい?」
「………」
まるでクラウリーから頼んでさせてもらっているような言い方だ。溜め息すら返したくなくて、クラウリーは下唇を噛んで堪え、目の前の仕事に集中した。
赤く染まった羽を掻き分けてその出所を改めると、向こうが覗けるほどの穴が空いていたはずの傷は完全にではないもののもうすっかり閉じていた。
「もうほぼ塞がってる」
「本当?よかった」
「よくないだろ」
「まあ、その…そうだね。よくはないけど」
「どうしてすぐ逃げなかったんだ。見張りもいなかったのに」
傷口の周りの固まった血を、少しずつ、ほんの少しずつ濡れた布で拭い取る。羽の染みは取れないかもしれない。真っ白なせいで余計に痛々しい。見られていないのをいいことに、クラウリーは思いきり苦い顔をしながら慎重に傷を洗ってやった。
「彼らは善行のつもりで行ったことだし…」
「善意のつもりだったら拷問でも甘んじて受けるのか?」
「それに、こうまでされて逃げだしたらますます悪魔と思われるかもしれないし」
「おとなしく捕まったままだったら『やっぱり天使かも!』と思うと?おまえ本当に馬鹿なのか?」
「…そこまで言わなくてもいいだろ」
クラウリーはぐっと押し黙った。
天使らしくいつものように、根拠もないのに自信たっぷりな顔をして言い返してくればいいものを、そう素直にしょげられては調子が狂う。
「…もういいぞ。これ以上落ちそうにない」
「ありが…ああ、いや、うん。わかった」
「あとは生え変わりを待つんだな」
アジラフェルが言いかけた台詞は聞こえなかったふりをしてやった。
血を吸った布を濯いでから固く絞り、アジラフェルに返す。アジラフェルは羽を高く広げ、残った染みをしげしげと見上げた。
「生え変わりきらないうちに天使の仕事を与えられたらどうしよう」
「どうせ信じられないんだから羽なんか出すな」
「どうせ…」
「なんだよ。本当のことだろ」
「…どうせ白くても捕まるんなら、わたしも好きな色にしておけばよかったな。きみみたいに」
そう笑いかけるアジラフェルにクラウリーは唖然とした。全く笑えないが天使なりの冗談のつもりらしい。
本物の馬鹿だこいつ。天使であることをあんなに大事にしてるくせに、悪魔と間違われて、あんな目に遭って、白い羽に真っ赤な痕を残して、どうしてまだそんなふうに能天気に、楽観的に、前向きでいられるんだ。
クラウリーはいよいよ呆れかえってしまい、今日一番の溜め息を吐く。もう怒るのも馬鹿らしい。脱力しながらアジラフェルの隣にどっかりと座り込んだ。後悔するならもっと別のことだろう。何が羽の色だ。なんで受け入れてんだ。なんで捕まったことに腹を立てないんだ。馬鹿だ。馬鹿天使。いっそその肉の体を失って上に戻っちまえ。
クラウリーが何も言わないからか、アジラフェルは落ち着きのない様子でちらちらと見遣ってくる。別に怒ってない。呆れてんだ。いや、苛立ってはいる。天使のその愚直さに。
「………」
「………」
「…ええと、クラウリー…その…」
「…何色にするんだ」
「え?」
「羽の色だよ。好きな色にするんだろ」
クラウリーは顔も向けないままぶっきらぼうに尋ねた。アジラフェルがぱっと微笑むのが見なくとも伝わる。
「そうだな…空の色はどう?飛んでるときに目立たない」
「いつも飛んでるわけじゃないだろ。それに空の色なんてすぐに変わる。一日のうちに何度も。毎日な」
「あ…そうか。じゃあ草の色?いや、草にもたくさん色があるな…土の色…木の色…花…うーん…いっそ羽の一枚ずつ…それは派手か…んん…」
「好きな色にするんじゃなかったのか?」
「でも、どんな色も好きなんだ」
「一番は?」
「難しい…」
アジラフェルは羽の色にしてもいいくらいにはどんな色のことも愛しているらしい。
(天使らしいのかその逆か…)
つくづく妙ちくりんな天使だ。
「きみはどうして黒色にしてるんだ?一番好きだから?」
「おれは黒が似合うから」
「確かによく似合ってる」
「おまえには似合わないな」
「何色が一番似合う?」
クラウリーはようやくアジラフェルのほうへちらりと目を向けた。
白い髪、白い肌、そこに落ちる影の色をした瞳。空の色だって、草木や花の色だって、本当はよく似合うだろう。
「…白だな」
でも、一番しっくりと馴染むのはやっぱり白だ。一点のくすみも無い眩しいほどの純白の翼。アジラフェルの背にある翼なら白がいい。
「そうか」
まともに取り合わず適当に答えたと捉えられてもおかしくないのに、アジラフェルは疑う素振りなど微塵も見せず、ふわりと嬉しそうに笑った。
「それじゃ、このままでいよう。白も好きな色だ」
アジラフェルはにこにこと機嫌よく微笑んだまま、乱れた羽先を悠然と整えていた。
それ以来アジラフェルの羽を見ることはなかった。ハルマゲドンの騒動のさなか、タッドフィールド空軍基地、あの止まった時の中で目にするまでは。
「…ねえ」
クロウリーのフラットにある寝室。
滑らかな黒で統一された広いベッドの中央に横たわり、体の上で手を組んだアジラフェルがクロウリーを見上げながら小さく零す。
「やっぱりおかしいと思う。普通は逆だよ」
「何が」
「きみとわたし。これじゃわたしが寝かしつけられているみたいだ」
アジラフェルにはここで先日の“貸し”を返してもらっている最中である。クロウリーの好きな日、好きなタイミング、好きな形で朝まで抱き枕になること。後から多少内容を改定はしたが、貸しは貸し、借りは借り。
クロウリーは自分のベッドの真ん中で仰向けに寝そべるアジラフェルのすぐ傍で、曲げた肘で頭を支えながらそれをじっと見下ろしていた。もちろん眠る気はある。が、せっかく天使様が悪魔の閨においでなのだから、この光景をたっぷり楽しんでおかなければ損だ。
「…寝る気あるよね?」
「ある。これで合ってる。問題ない」
「でも…うーん…どうしても逆としか…」
「よく聞くだろ?子供を寝かしつけている最中に親のほうが寝落ちしたって話」
「関係ある?」
「寝かしつけるって行為は、睡眠ってものに真剣に向き合って集中するってことだ。頭の中が寝ることでいっぱいになる。段々相手と自分との境界がぼんやりしてきて、それで自分も眠くなる。つまりこれは正しいの入眠方法のひとつで…」
「わかったよ、わかった。きみの気の済むようにする…」
アジラフェルは諦めたように目と口をきゅっと閉ざした。こうしているとアジラフェルの言う通り本当にクロウリーのほうが寝かしつけているようである。
楽しい玩具を手に入れた気分だった。まぬけな天使め。悪魔を相手に軽々しく約束を結んだり貸し借りを作るからこうなるんだぞ。
ベッドに寝そべる姿はもう見慣れたものだが、パジャマこそアイボリーとはいえ全く似合っていない漆黒のシーツに挟まれているアジラフェルは何度見ても新鮮でおもしろい。今度の手土産は口にするものではなく身に着けるものにしてやろうか…と考えたとき、ある意味初めて見立ててやったとも言える羽の色のことを思い出した。
そして、アジラフェルがまだその羽を白いままにしていたのを見たときは正直驚いたということも。きっと変えているだろうと勝手に思い込んでいた。もう自分の好きな色や好きな柄を見つけたのだから。あれから一度も変えていないんだろうか。
「おまえって…」
「何?」
「…白が似合うよな」
「黒が似合ってないって言いたいんだろ」
「ふふ…」
「別にいいよ。きみが眠ったらシーツを向日葵みたいな可愛い黄色にしておくから」
「はあ?やめろ」
「クッションはアーガイル、床はモンドリアン風に。壁は少しきみに合わせてあげてダマスク柄」
「どこがおれに合わせてるんだ」
「パジャマは特別にタータンチェックにしてあげる」
「まじでやめろ、絶対にするなよ」
「似合うのに」
似合ってたまるか。思いっきり凄んでやろうかと思ったのに、アジラフェルは涼しい顔で悠々と目を閉じてこれ見よがしに押し黙った。口元の僅かな緩みは隠しきれていない。隠す気なんてそもそも無いのだろうが。
「今さら抱き枕の務めに戻られても眠気は失せた。おまえが不安にさせたせいで」
「おしゃべりでもする?」
「それじゃあ約束が違う。今日はおれに借りを返す日のはずだろ」
薄らと開いた瞼から瞳が覗く。暗くなるほど青の深まる不思議なペールブルー。薄暗い室内では夜明け前の空に似た色をしている。
「きみの百年物の痕についての話だけど」
クロウリーは眉を顰めた。またその話だ。うっかり口を滑らせてしまったことをこれほど後悔したことはない。
「もう無いんだから話すことなんて何もない」
「どこにあったの?」
「忘れた」
「いつか教えてくれる?」
「さあ」
「わかってると思うけど、教えてくれるまでこの先ずっと尋ねると思うよ」
「だろうな」
「今日は朝まで問い質してみようかな」
「あ…急に眠気が戻ってきた。もう放っといていいぞ、アジラフェル」
追求から逃れるべく、上から眺めるのをやめてアジラフェルの脇腹に抱きつき目を瞑ってやり過ごす。
「きみの眠気はいつも都合がいいんだから…」
アジラフェルは小言を言いながらも肩までシーツを引き上げてくれたが、クロウリーは少しも絆されなかった。事あるごとにその話を持ち出して、おまえのほうがよっぽど都合よく使ってる。と不満だったからだ。
ゆっくりと傾く体に抱きすくめられても気は変わらず、黙って眠いふりに徹した。とはいえ、実際こうしてアジラフェルに抱かれて静かにしているとすぐにとろりと眠気は訪れるのだ。あたたかい体温と安心感のおかげで。さっきの発言だって売り言葉に買い言葉的なやつで、本当にやるつもりじゃないだろうし。
(…だよな?)
一瞬不安が過るも、せっかく微睡みかけたのが冴え始めてしまわないよう触れあう体温だけに集中しようと努めた。自分を脅かす張本人から安らぎを得ながら、クロウリーは少しずつ頭の中身を空にしていった。
その頭のてっぺんに、おそらくアジラフェルの唇であろう感触が触れる。この天使さまは人の寝込みに割とよくこういうことをする。そしてそんなのも心地よく感じ始めたら、いよいよ夢の中へ片足を突っ込んでいる証拠だ。
眠ったと判断したのか、或いはどちらでも構わないのかもしれないが、アジラフェルはぽそりと、低い声で呟いた。
「きみは何色だって、どんな模様だって似合うけど、傷の痕なんかは見たくないな…」
シーツ越しにクロウリーの腕を撫でながら、ひとりごとのように。
一体どの口が、と返したくなる言葉を飲み込んで、眠ったふりで通した。
というか、何色にも何柄にもしてくれるなよ。本当に。