絶望と高揚が混じり合った美しい地獄
長義と若き日のサーバー長(新米役人)が段々と戻れなくなるまで
前作→ https://privatter.net/p/11389581
若干ラフプロットなので都度追記します
@fu_re_re_ra
こうして新米役人の彼と長義は、気の置けない友人となった。
これは、そんな折の話だった。
小さな子供を助けようとした彼が、代わりに事故に遭いうっかり死にかけることとなったのは。
「ふっっっっざけるなよ」
ぷらん、と片手で成人男性一名と抱えた子供を宙吊りにした長義は、歩道橋の天辺からそう悪態を吐いた。
間一髪、幼子を抱きしめた長義の友が、両足を完全に宙に浮かせたまま、「ひえ」と短く悲鳴を上げたきり無言で固まっている。
たまたま運良く長義がその場に居合わせたお陰で、奇跡的にかすり傷で済んだが、あと二秒遅ければ墜落死待ったなしだったのは、火を見るより明らかだ。
友人が潰れた肉塊と化す事態を紙一重で防いだ長義は、激怒が一周回って沸点を通り越し、スン、と真顔になった。
「びっっくりしたぁ。ありがとう長義、助かっ…」
子供を抱えたまま、ほっとした顔で振り返った彼は、驚くほど真顔の長義にビクッとした。
「え、長義が見たことない顔をしてる? ごめん、怒ってる!?」
「…………あきれてるんだ」
そう答えた長義の声は、自分でも驚くほど平坦で温度が無かった。
たまたま長期出張の帰りに出くわさなければ、どうやら自分は彼の訃報を聞いていたらしい。
事なきを得た彼は、子供を母親に引き渡し、しきりに頭を下げられながら、善良そうな優しい笑顔で幼子に手を振っている。たった今死にかけたというのにあまりに暢気だ。
感情が抜け落ちた表情のまま、長義は思った。
こいつ、オレが助けてやらないと、途中で野垂れ死ぬのでは??
一旦冷静になろう、と片手で銀の前髪をかきあげ、長義は何もないところで首を左右に振った。
(待て待て待て、人間相手にそう過干渉するものじゃない。まあ親しい友人関係ではあるが、彼は俺の主でも何でもないし)
そう、だからその場合、彼に何かあれば
全て終わってから周囲に聞かされることになるのだろう
家族が並んだ弔問の後ろに、ただ有象無象の知人の一人として線香を上げる程度の────………
長義は顔を片手で覆って項垂れ
(嫌な想像をしてしまった)
と少し食欲が失せた。
横には、助けてもらった礼に自分が払うからと、おでん屋で楽しく呑んで酔っ払って気持ちよさそうに口を開けて寝る、そんな呑気で人の善い、笑い上戸な、長義の友。
主人と関係なく、ここまで人間を気にいるのは幾年ぶりか。
まあ、少し、ほんの少しなら……
潰れて寝ている彼に、本当に少し、加護を残した。
友の額に、ちょん、と小さく触れ、誰にも見えない程度の、少しの加護を。幸あれ、と。
すると翌日、何故かこいつはあろうことか、派手に大怪我をして出勤してきたのである。
昨夜長義が加護をやったばかりだというのに、頬を派手に擦りむき、骨折した左腕にギプスをはめ、あははと苦笑している。
まるで大したことなさそうに、ああよくあることなのだと、のほほんと笑った友に
「……は?」
と長義は、周囲の気温が五度は下がるような声を出した。
「大したことない???」
「いや、ほんとに、ちょっとヒビ入っただけで」
「は?? 大したことか決めるのは俺だが??? 今すぐキリキリ吐いてもらおうか」
「ひえ」
胸ぐらを引っ掴み、鬼の形相で締め上げてよくよく話を聞けば
どうやら、むしろ自分が加護をやっていなければ、恐らく死んでいたのではないか、と推測し得る状況が判明した。だが、偶然にしては出来すぎている。
長義は顔色を変え、顔を顰めた。
(明らかにおかしい)
そう判断した長義が徹底的に調べ上げた結果、やがて発覚したのは、どうやら彼には危険な粘着霊が取り憑いているらしい、という由々しき事態だった。
宅飲み会を口実に無理やり彼の家に上がり込むと、真夜中をとうに過ぎた丑三つ時、『ソレ』は姿を現した。
ゆら、と彼の体から揺れる気が、鬼の形相の老婆の形を取って膨れ上がる。
彼が気持ちよさそうに酔潰れた中、襲いかかってきたそれを、一刀両断、ぶった斬った。
人を害する異形、老婆の姿をしていたモノが、砂と化すようにサラサラと消えていく。
キン、と刀を鞘に納めた長義は、鋭く闇を睨んだ。
「成程、誰か祖先が怒りを買ったな」
聞けば、どうにも短命の家系のようだ。彼の伯父も祖父も曽祖父も事故で死んでいる。
今斬ったのは情念のようなもので、本体ではない。恐らく家全体に乗っている霊障だ。
巧妙に血に織り込まれていて切り離せない。その家に生まれた男性だけをくびり殺す性質のものだった。
よくも山姥切が近くに居るのに祟り殺そうなどとするものだった。
全くもって、呆れて物も言えない。
(いや、逆か)
長義は考え込んだ。長義がいるから迂闊に手が出せなくなってしまい、いよいよ痺れを切らして本格的に祟り出てきたのかもしれない。
だとすると、この先ほどなく激化する恐れすらある。
「まずいな」
審神者ではない彼には、霊視の才が全く無い。
だから、まるで危機感を抱かず、単なる事故や不運だと思っている。
本人曰く、もともと子供の頃から、何もない所で転んで怪我するようなことがしょっちゅうある、うっかり者なのだと。
そう、のほほんと笑って、口を開けてテーブルに突っ伏して寝る呑気な友人のシャツを捲り上げれば、そのひょろい背中には複数の大きな縫い跡がある。外傷から来る手術痕だ。
怪我にまるで頓着しない友は、どうやら幼少期から続く不幸に感覚が完全に麻痺してしまっているらしい。
冗談じゃない。
「しらみ潰しにやるしかないか」
舌打ちして深く嘆息した長義は、こうして長期戦を覚悟し、しばし彼の家に泊まり込むことを決めた。幸い、友は至って善良で素直で呑気だ。口実は何とでもなる。
しかし、その日を境に。
どれだけ斬っても斬っても斬っても斬っても次々と、怒涛のように友に降り掛かる厄災に、長義はひくひくと顔を引き攣らせる羽目となった。
「いい加減にしてくれないかな…!?」
事故に事故に事故に事故。道を歩けば居眠り運転のトラックが突っ込んでくるわ、酔っ払いに橋から突き落とされそうになるわ、梯子を登れば頂点で足元がいきなり折れるわ、少し寄り掛かった窓辺の螺子が外れて九階の高さから墜落しそうになるわ。
終いには、乗ったエレベーターのワイヤーが突如として千切れ飛び、地上数百メートルから真っ逆さまである。
「お前ほんっっっとふざけるなよ…!」
「あははは…ご、ごめん…」
友を宙吊りにしたまま辛うじて鉄骨にしがみつき難を逃れた長義は、暢気に首を傾げる危機感の無い友人の頭を本気でぶん殴ってやろうかと思った。
「えーと、長義サン、ひょっとして僕、なんかこう、呪われてたりとかする…?」
「今さら気付いたのかこの阿呆! そのやたら優秀な頭脳は飾りか!?」
月が変わって間もないというのに、今月だけで死にかけたのも既に七回目だ。
自分と出会うまで、よく生きていたなコイツ、としか言いようが無い。
「ごめんよ長義。最近になるまで、ここまで酷くは無かったんだけど……」
「はー、まったく、苦労させてくれるね」
「きみに怪我がなくてよかった」
「こっちのセリフだが? 刀剣男士と違って人の子は簡単に死ぬんだ、もっと危機感を持って欲しいね」
「ねえ長義」
「やれやれ。なんだい? 礼がしたければいつもの安酒で手を打ってやってもいいよ。俺の寛容さに心から感謝するんだね」
「もちろんお礼はさせて欲しい。ただ、その、言いにくいのだけど、」
へにょ、と眉を落として物憂げに、彼はこう切り出した。
「きみまで怪我をさせてしまっては心苦しいから……泊まり込みまでしなくても」
「はぁ? 馬鹿なのかい? 俺が居なかったら今月何回死んでた? むざむざ目を離すのは馬鹿のやることだよ」
「でも、ずっとというわけにもいかないだろう? だいじょうぶ、今までも何とかなっていたし」
「却下。不可だよ不可。根拠の無い過信は自滅の元だ」
「でも…」
「はぁ、いったい何が不満なんだ?」
「不満じゃないよ、ただ、きみを巻き込んで怪我でもしたらと思ったら心配で」
「俺が遅れを取るとでも?」
「そうじゃないよ、そうじゃなくて」
善良そうな琥珀色の瞳をゆらゆら揺らして、長義の友は言うに事欠いて、こんなことをほざいてみせた。
「きみが怪我をしたら僕のせいだ。でも、僕が怪我をしても長義の責任じゃないよ。だから」
ぴきり、と長義は青筋を立てた。
「はぁ???」
「えっと、そうだね、明日にでも休みを取ってお祓いに行くよ。少しはマシなんじゃないかな」
「そんな効くかどうかも分からない不確定な相手を頼るより、先に確実な俺を頼るべきだろうが。馬鹿じゃないのかな」
「第一、俺が真っ先に目を掛けてやってるっていうのに、ぽっと出の他の神社仏閣を頼りにするかな普通。俺はそんなに頼りにならないと? コケにしてくれるね」
「え、っと、そんなつもりじゃ」
「ならいいだろう。はい終わり終わり」
しかしその後もキリの無い現状が続き
ぶちりと堪忍袋が切れる音がする。
「は? ふざけるなよ、まがいなりにも山姥切が加護した人間が山姥に憑り殺されるなんてあってたまるか」
そんなことは矜持が許さない。
これは宣戦布告だった。
山姥切の本分に泥を塗る行為に激怒した長義は、最終的に、怒りに任せて凄まじく大量の加護をぶち込む。
そして、加護をぶち込んでから、少し顎に手を当てて考え込んだ。
「…………少々やり過ぎたか?」
この馬鹿を絶対に死なせてたまるか、必ず100%安全圏に押し込む
という長義の執念が形になった付与は、なんというかこう、主張が激しかった。
長義の執着の度合いが反映されてしまったのか、やたら重く激しい加護を与えられ、呑気に酔って寝る長義の友は、どうにも直視を躊躇うほど眩しくびっかびかに光っている。
見鬼の才能が全くない本人はまるで気付いていないが、刀剣男士からすればどう足掻いても一目瞭然だった。
「…………まあこのぐらいしておかないとこいつ野垂れ死ぬしな。必要に駆られてだ」
自分に言い聞かせるように長義はしきりに頷いて、最終的にこう結論を出した。
「諦めてもらうことにしよう」
視察先の燭台切光忠は、長義と共にやって来た新米役人に乗った長義の加護が、びっかびかに光っているのを見て
「うわ、すっっっごいね」
と思わず口にするが、自分に与えられた加護が見えない彼は困惑して首を傾げた。
「ええっと、長義サン、僕は今何に驚かれてるのでしょうか」
「えっっ、長義くん、ちゃんと同意取ってないの!?」
「取ってるよ。まあ、だいたいこれでもかって酔ってる時だけど。彼、記憶飛ぶタイプなんだよね」
「わーーーー」
どうしていいか分からないような顔をした長船の祖が、いかにも善良そうに困惑したまま、うろうろ、と両手を彷徨わせた。
「えっと、長義くん、あの、僕が口出して良いことか分からないけど、そういうのはもうちょっと紳士的にね…?」
「祖が言うと妙にいかがわしいからやめてくれないか。まあちょっとやりすぎた気はするが、別に後悔はしてないんだ。放っておいてくれ」
「待って長義、僕に分からない会話しないで、なんか怖いからやめて、お願い! 説明して!」
「たいしたことじゃないよ。下級霊や霊格の低いものぐらいなら素足で逃げ出す程度には、山姥切長義の加護がきみに乗ってるってだけの話だ」
「初耳ですが長義サン????」
宇宙猫顔する彼
「長義サン、あの、聞くの怖いんだけど、加護ってナンデスカ」
「ふむ、一概に説明するのは少し難しいが、この場合は『こいつに余計な干渉したらぶっ殺す』みたいなやつだね。良くも悪くも」
「良くも悪くも!?!?」
「あの、役人くん、彼ね、多分悪気は無いんだと思うんだ。その、ちょっと、だいぶ、確信犯なだけで……」
「ねえお願いどういうことなの一から十までぜんぶ説明して長義、お願い! ねえ!」
「別に隠してたわけじゃないよ、素面の時に聞かれなかったから教えなかっただけだ」
澄ました顔をした長義が、まるで聞き分けのない子供に教えるが如く、はーやれやれ、といったような態度で言うには、つまりこういうことらしい。
「えっ…? つまり僕、今、長義のおかげで危ないものが寄って来ない代わりに、『こいつに手ぇ出したらぶっ殺すのでよろしく、山姥切長義』ってプラカード首から下げたような状態ってこと?」
「まあそんなところだね」
「まあそんなところだね!?!?!?」
悪びれもしない長義に、彼は遅まきに状況を理解して絶望したような顔をした。
「うっそだろ、これから仕事先の本丸を回るたびに、彼らから『あっこいつ長義の名前書いてある』みたいな目で見られ続けるってこと!?!?!?」
「大事なものに名を書いておくのは大事だろう」
「僕は冷蔵庫に入ったプリンか!?!?」
青ざめた顔で長義の襟首を引っ掴んで
「ねえ長義、僕それ社会的に死んでない!? ねえ!? どうすんの!? ねえ!?」
とガクガク揺さぶる役人くんと、されるがままだが完全に開き直っている長義を見て、長船の祖が、無言で「おわあ」という顔をしている。
両腕を組んで澄ました顔を崩さない長義に、光忠は心配げに声を低めた。
「あの、長義くん、大丈夫? 自覚ある? 僕ら、銘を切られるならまあともかく、僕ら自身で銘を切るって大事だよ?」
「最低でもこれぐらいしないとあっさり死ぬ家系なんだよ彼。よりにもよって俺の前で山姥に祟り殺されるなんて山姥切の名折れもいいところだ。オレは諦めたし彼にも諦めてもらう。そう決めた」
「……わぁ……」
そんなこんなで1ミリも相談せず勝手に全部決めていた長義に対し、良心的な苦言を呈せるのが、なんだかんだと長船派の祖だけだったので
(他の連中はどいつもこいつも遠巻きに三度見して「ヤッバ関わらんとこ」という空気だった。彼はますます泣いた)
その後も彼は、その本丸の燭台切光忠に泣き付いてはまあまあ仲良くしていたわけなのだが
この本丸がやがて、ブラック化して崩壊する。
彼と長義がそれを知ったのは、何もかも取り返しがつかなくなってからだった。
ある頃を境に、部屋に篭って一切出てこなくなったまだ年若い審神者。
顔一つ見せないそんな主人を、光忠が近侍としてひたむきに支えている本丸だった。
「顔は見せてくれないけど、食事は取ってくれてるし、指示は端末を通して出ているから」
前線任務もこなせてるし、内番もちゃんと回せているんだ、だから
無理に中に踏み込むのは、もう少し待ってあげてくれないかな
待ってあげたいんだ
彼のこと、僕らで支えていかなくちゃね
光忠は、そんなふうに言っていた。
優しく目を細めて微笑んだまま。
来訪した自分たちが目の当たりにしたのは、崩壊した本丸、焼け落ちた蔵、刀剣男士を閉じ込めた跡。
炎の中で苦しんで折れた光忠の、砕けた刃、遺骸に。
彼は愕然として崩れ落ちた。
どうやら、刀剣男士は皆、様子のおかしい審神者の手で強制的に顕現を解かれ
その状態で全ての刀が蔵にぶち込まれて
蔵に油を撒いて審神者が火を付けたらしい。
焼死体となった審神者の遺体と
動けない状態で焼け落ちて苦しみ、砕けた光忠の遺骸が残っていた。
審神者の部屋は、壁や天井までびっしりと意味不明な言葉が墨で書き付けられていて
常軌を逸した状態だった。
「精神を病んだのだろう。戦の最中では良くあることだ」
と長義は淡々と口にした。
「残念だが、本丸で発生する放火殺人の内、最低でも二割程度は精神を病んだ審神者が自ら引き起こしたことだと分かっている。悠長に待たずに、中をこじ開けて精神病院にぶち込むべきだったな。一度でもこの水準の状態になったことが表沙汰になれば、たとえ後で正気に戻ったとしても、政府の審神者欠格事項に引っかかる。光忠が待った主人が戻る道は最初から無かったのだろうね」
その凄惨な異常さを、残酷さを、無情さを。
長義は、さほど珍しくもないとばかりに酷薄に舌に乗せた。
長義や彼の視察は、所詮はごくごくたまに発生する散発的な仕事だ。
役所の繁忙期を過ぎて数ヶ月ぶりにこの本丸の視察が発生した時には時既に遅く、光忠は焼け落ちて折れ、跡形もなく砕けていたらしい。
それに彼は、計り知れないショックを受けた。
長義がどれほど加護を乗せていようが、結局は友一人を助けるためのもので
周りの何かを救うものでは、なかったからだ。
下手をすると加護の影響で、光忠に迫る『危機』から自然と引き剥がされていた可能性すらあるのだと知ったのは、取り返しの付かない形で何もかも終わってからのこと。
長義の友は、気付いてあげられなかったこと、何もできなかったことを酷く悔やんだ。
光忠だけではない。彼が大切に思っていたであろう彼の仲間たち、他の同胞の刀達まで皆、一振り残らず焼け折れているのを
仕事だから、監査だから、と全て見て回って冷静に記録しなくてはいけなくて
それを書き記すたびに彼の心はズタズタだった。
「……ぅ…ぁ…」
刀剣男士の損害状況、本丸の崩壊の経緯、審神者の死亡確認。
全部、記録して報告しなければいけない。それが監査だった。
光忠の折れた刀身を目の前にして、
審神者の焼死体を見下ろして、
本丸の廃墟を回って
「おえ」
無惨な現場に胃の中身をひっくり返しながら
『仕事だから』と自分に言い聞かせながら、耐えなければならなかった。
だが、彼を最も苦しめたのは
この崩壊が、燭台切の、彼の死が
血反吐を吐きながら記録した全てが
政治的に「無かったこと」にされてしまったことだった。
「どうして…!!」
上役に受け取って貰えなかった資料をぐしゃぐしゃに握りしめながら泣き叫ぶ彼に、無言で歩み寄った長義が資料を力尽くで取り上げた。
長義は問答無用でそれをシュレッダーに突っ込んだ。
燭台切の生きた証が、死んだ記録が、粉々に抹消されていく。彼は悲鳴を上げて止めようとしたが、長義はそれを無理やり押さえつけた。
「離してくれ長義! 嫌だ、なんで、どうして…!?」
「大正12年ッ! 9月1日!!!」
長義が声を荒げた。
びくり、と肩を跳ねさせた彼に、長義は感情を押し殺すようにふーっと長く嘆息しこう続けた。
「関東大震災の名で歴史に刻まれた史上最大級の地震の日、数多くの美術館、博物館、名家が火災に見舞われた。死傷行方不明者は十万五千人に登ったと言われている。その時、数多くの名刀、国宝が焼失の憂き目にあった」
「その際、それらの国宝を管理していたのは、主に博物館が擁した専門知識を持つ学芸員や館長だ。だが、国宝が焼失した責任を取って、牢屋に入れられた者が一人でもいたか? 未曾有の大地震の最中、刀を置いて逃げ出した罪を問われた者がいたか!?」
「っ……」
「刀は少しの扱いのミスで簡単に折れる、繊細な芸術品だ。なら刀は、その過失を恨むのか? 祟るのか? 少なくとも、理不尽に折られて人を恨むような刀は、人間の顕現の呼び声に応えたりしない!」
愕然とした彼の襟首を掴み上げ、長義は声を張り上げた。
「分からないのか!? この戦の中、刀剣男士を過失で折った審神者がどれだけ居ると思っている!? そいつら一人一人を罪に問えば、この国に何が起きる!?」
「…………誰も、刀を管理しようとしなくなる。関わろうとしなくなる」
「そうだ。幾度も歴史の中で途絶えかけ、奇跡的に紡がれてきた古来の技術も伝統も、全てが灰に帰す。今やこの国の軍事力は完全に刀剣男士に依存している。それが成立しなくなるのは、この国が滅ぶこととなんら変わりない」
彼を突き飛ばして解放した長義の無情な言葉は、冷や水を浴びせかけるような残酷さを伴っている。
「いいか、どれほど心を寄せられようと、俺たちは物なんだ。しかも、ただの物じゃない、主の代わりに殺し、主の代わりに折れるために作られた武器だ」
長義は目を逸らすなとばかりに、自らの指を鋭く友の胸に突きつけた。
「歴史を護るため? はっ、違うな。俺たちは、主人の都合で折れるためにここに居るんだ。それを恨んで異形に呑まれるような奴は、もはや刀剣男士なんかじゃない!! 彼らの遺志を侮辱するな!」
怒気でビリビリと大気が震える。
愕然とする友を前にして、長義は深々と息を吸い、嘆息した。
「…………大震災の際、銘は光忠、号は燭台切と名付けられた名刀もまた、焼失の憂き目に遭っている。それでもなお、この泥沼の戦に身を投じた刀だ。彼が主人に理不尽に焼かれたことを恨むものか。彼が悔いるとしたら、主人が焼死体になるのを防げなかったことだろう。分かったか、記録に残すべきは『戦死1名、原因は近侍の判断ミス』だ」
長義はあえて悪辣に聞こえるようにこう言った。
「飲み込め。それができないなら、この仕事を今すぐ辞めろ。──……わかっただろう。きみには向いていなかったんだ」
長義が友に与えた加護は、危険から彼を遠ざけこそしたかもしれない。
だが、そのせいで彼は、結局は何もできない『安全圏』に押し込められてしまった。
友が生き残った場所は、安全な地獄だ。
長義の友は、この政府の中にいる限り
この先、何度でも、繰り返し、こういった地獄を目の当たりにすることになるだろう。
(視察先の刀剣男士に、個人的に肩入れさせるべきじゃなかった)
苦々しげに何度も指で机を叩き、ぐしゃっと銀髪を握りしめて長義は舌を打った。
迂闊だった。このような事態が起こりうるなら、いかにも善良で感受性が強く心のまろい友人を、『個刃』として刀剣男士を認識できる場に連れていくべきではなかった。
あれは、仕事を続けられなくなっても到底致し方ないショックを受けていたし、心折れたとしても無理もないと長義は充分に理解していた。
突き放した自分を恨むなら恨んでも仕方が無いと思えたし、きっとその方がいい。
仮に二度と自分と共に笑って酒を呑み交わすことが無くなったとしても、長義の加護は彼を未だ護っている。
ならば、この残酷な役目から、この地獄から。
壊れる前に解放してやることが、友として自らに残された役目なのではないかと長義は考えた。
だから突き放した。
彼はまだ出勤して来ない。
デスクは空席のままだ。
《共に堕つ》
こうした経緯で、目の当たりにした本丸の悲惨な崩壊にショックを受けた彼は、数日仕事を休んで家に引き篭った。
心優しい彼のことだ。きっと食欲なく寝込んでいるんだろう、と考えた長義は、しばし逡巡したものの、最終的には仕事上がりに彼の家を訪ねることにした。病人の胃に優しそうなものを買って、励ましの声を掛けてやろうと思ったのだ。
コンコン、とノックし、インターフォンを鳴らすも出ない。中に気配はある。
メモでも残してドアノブに袋を引っ掛けて置いていくかどうか逡巡した長義は、触れたドアノブに片眉を跳ね上げた。
(? 鍵が空いている)
几帳面なはずの友の不用心さに違和感を持ち、長義は眉を顰めると同時に素早く中に踏み込んだ。もしも倒れて動けなくなっていてはまずい。
最悪の事態を考慮し、靴のまま素早く踏み込んだ長義は、がさ、と何かを踏んだ。
「……?」
一瞬、何か分からなかった。
それは、まるで海原を作るが如く広げられた、膨大な紙の海だった。
彼の部屋は、廊下まではみ出すほどの、びっしり文字の書かれた紙で溺れるほどに埋め尽くされていた。
「これは……」
そこには、彼の『計画書』があった。
長義は拾い上げたその断片から、それがどれほど危険で途方も無いものか素早く理解した。
「…!!」
長義は顔色を変え、ドアを開け放って部屋に踏み込んだ。
ドン、とこじ開けた扉の向こう
そこに在った光景に、長義は大きく瞠目した。
カーテンの隙間から光の差し込むその光景は
長義の眼に、あまりに美しい宗教画のように映った。
「長義、僕は決めたよ」
そこには、寝込むどころか、目を爛々とさせ、瞳孔を開いた
本気を出した友が居た。
「僕は、終わらせようと思う。こんな理不尽で救いようの無い結末ばかり生まれる、そんなこの国の仕組みを」
「なあ長義。きみが友として、僕の行く道の茨を、共に歩んでくれるのなら」
ためらわず手を伸ばした友に、長義は、ぞくりと興奮した。
「きみという最強の切り札を、この国を変える最高の一手にしてみせる」
長義という優秀な神に何も望まなかった、善良で無欲な男は
今、途方なく強欲な未来に手を出した。
「選んでくれ、長義」
差し出された手のひらは、気が遠くなるほど途方もなく長く続く、地獄への片道切符だ。
「今ここで僕を止め、平凡な道に戻すか。きっとろくでもない死に方になる、この地獄を最期まで共に往くか」
「僕は望む。この地獄を。だからこそ、今。今だけは、他の全てをかなぐり捨てて、きみの選択だけを固く信じる。今を逃したら、きっと僕は決して止まらない」
「長義、選んでくれ、僕の未来を。────それが、友であるきみに願う、僕の望みだ」
長義は、付喪神としての己の血が沸騰するのを感じながら、口角が吊り上がるのを抑え切れなかった。
迷わなかった。
たった今、長義は。この男が征く、凄惨な地獄を斬り拓く刀たると決めた。
「この俺こそが、長義が打った本歌、山姥切。────地獄を行くなら、化け物斬りの刀が必要だろう? 共に行こうか」
そうして長義は、友を平凡な道に送り返す最後の機会をみすみす棒に振って
友の前に美しく片膝を折って頭を垂れ
彼の腰に佩刀されるが如く、地獄への道往きの手を取った。
深い深い眠りから目覚め、サーバー長は、ぱち、と目を開けた。
傍らで無言で仕事をこなしていた長義が、夢の名残りから醒めるタイミングを見計らって声をかけた。
「疲れたかい」
「ん、大丈夫」
大きく伸びをする。瞬きの向こうで、夢の名残りが光に消えていく。
「昔の夢を見ていたよ」
「そうか」
静かにそう相槌を打って、長義は深くは聞かなかった。長い付き合いだ、踏み込んで欲しい時とそうではない時ぐらいは見分けが付く。
スケジュールを確認した長義が、「そろそろ時間だよ」と席を立った。
「そうだね、そろそろ御挨拶に行かなくては。影響力の広い人だから、失礼の無いようにしなくてはね」
本丸に仕事で足を運ぶのは久しぶりだった。
「うわ、すっっごいね」
視察先の燭台切光忠が思わずそう言って、彼は瞠目した。
「え、長義くん、大丈夫? これ、ちゃんと同意取ってる?」
「取ってるよ。まあ、事後承諾だったけどね。終われば同じことだろう」
「うっっわ、それはさすがにちょっと、紳士的じゃないと思うけど」
あまりに既視感を感じるやり取りに、唇が無意識に動く。
「光忠くん」
燭台切は「?」という顔をしてやおら振り返った。
「確かに僕は光忠だけど……? えっと、ごめんね、きみが探しているのは、どこの燭台切光忠のことかな?」
くしゃりと顔を歪めた彼は、泣きそうに微笑んだ。
「いえ、なんでもないんです」
不思議そうに首を傾げた、自分を知らない燭台切光忠の背中をただ見送る。
それは、彼の中に悲劇が残されていないということだ。
それでいい。それが正しいことだ。
そう、あの日決めた。
この国を、彼の悲劇が無い場所に。
長義は、肩をぽんと叩いた。手袋越しのぬくもりが、無言で自分を支えた。
「行こうか」
「うん」
歩みを止めることは決して無い。
もう居ない彼のためにも
どうか、次に彼が生まれてくるこの国が
彼を幸福にする場所でありますように
西暦22××年。
歴史修正主義者との泥沼の戦が始まったばかりの黎明期、政府の記録によれば、時間遡行軍の侵略を待つまでもなく、刀剣男士と共に無惨にも崩壊の末路を辿った本丸が相次いだ。
当時、この国には刀剣男士の権利を保障した法どころか、彼らを虐げることを禁ずる内規すら存在しなかった。それらは長らく軍事戦略的に黙殺され表沙汰になることは無かったが、ある頃を境に徒らな兵力の消耗を避けるべきだと内部運動が勃発した。
その甲斐あってか、現在は刀剣男士と審神者を巡る内規の整備は、過去に比べれば著しく進んだと言っていいだろう。
だが、その運動を巧妙に煽る影に、とある刀剣男士を供に辣腕を振るう革命家がいたことは、公的な記録に殆ど残っていない。彼が表沙汰になることを徹底的に避け続けたからだ。
何の力もない新人役人だった彼は、わずか数年で中央政府の政治にまで食い込んでいく。
《山姥切長義〜共に堕つ〜》
◼︎こぼれ話
・サーバー長は、暗殺とか暗殺とか暗殺とか潜り抜けてる間に、『無二の友である長義』とは別の他の長義(しかも複数)から祝福を貰ったりしてる。長義限定のたらし込みがすごい。
・長義も最初は「まあ彼らもオレだからね。当然見る目があるということだよ」ぐらいの余裕っぷりだったが、次々にたらし込まれていくのを見て「……いくらオレとはいえ、ちょっと気に入りすぎでは??」と感想が変わっていった。
・周囲の長義は、最初の長義に敬意を払って適切に距離を保ちつつ、そのゾッコンぶりをだいぶ面白いな、と思いながら茶請けにしている。
「長義同士で取り合いなんて不毛極まりないだろう。誰もわざわざ横から掻っ攫ったりしないさ。あのオレもわかってるはずなんだが」
「わかっていても冷静になれないぐらい入れ込んでるらしいね。やれやれ」
「まあ、致し方ないさ。価値あるものはどのオレから見ても価値がある、ということだろう。その点は疑いようがないしね」
「例の件、彼が新しい法案を通したらしいよ。よく頭の硬い狸どもを妥協させたものだ」
「もうかい? あと十数年は掛かると思っていたが。今までだって似たような動きはあったが、すべて握りつぶされてきたじゃないか」
「××家の一人孫が彼に入れ込んでてね、かなり裏で無茶を通したらしいよ」
「聞いたかい? 彼の所の新しい上役、彼に入れ込みすぎて今となってはすっかり傀儡らしい」
「あれは熱病を掛けるのが上手すぎるんだ。魔性と言い換えてもいい。彼と話していると熱に感染して、すっかり盲目になってしまう」
「柔和な顔で『信じて』と言われると、いつの間にか骨抜きにされて虜にされてしまうらしいよ」
「怖い怖い」
「稀代の詐欺師と言い換えてもいいかもしれないね。まあ、傾国たろうというんだから、それぐらいは覚悟の上かな」
「まあ、一番入れ込んでいるのはあのオレだろうけれど」
「狂信者に背中から刺されないように気を付けなくてはね」
「はは、ゾッとしないな」
「彼かい? 複雑に絡んだ糸を解くのが驚くほど上手いよ。こんな権力闘争の坩堝においてすら、対立する利害関係を綺麗に調停させてしまうんだ。誰も見つけられなかったような、最良のバランスの妥協点をするりと飲み込ませてしまう」
「得をした、と錯覚させるのも本当に上手いね。真実に気付いた時にはもう手遅れ、といったところかな」
「誰しも美しいものには目を奪われるのが世の常というものだからね。あの調停は確かに美しいよ」
「狂う者が多いのも頷けるかな」
「気がついたら彼のために動いていた、とか」
「彼の信じるものを、なんとしてでも実現したくなった、とか」
「彼の言葉を聞いている内に、もうそれ以外の選択肢が見えなくなった、とか」
「彼のために、いつの間にか人生を捧げてしまったとか」
「彼の理想を叶えることが、自分の生きる目的になってしまったとか」
「そういう話は後を絶たないね」
「さすがオレだ、良いものを見つけたらしい」
「あれだけの素質を意図的に操れるなんて大したものだね」
「普通は素質に振り回されて驕って破滅するだけだというのに」
「多くの人間の人生を狂わせる業を背負うと決めたわけだろう?」
「実に面白いね」
「そうだね、あれを他人にむざむざ殺させるのは惜しいかな」
「オレたち名刀は時の権力者の側にこそ在るのが常だけど」
「その本質は、歴史の『変革の最前線』に在り続けている、ということ」
「審神者を持てば、その瞬間に歴史の変革に関わる資格を失う。審神者に革命は許されない」
「だからこそ長義たち政府刀は、審神者を持つことに慎重になる」
「あれはそれに値する器か」
「資格を有する者か」
「厳しい視線に曝されるのは当然のことだろうね」
「けれど、あれはその審査を潜り抜けた」
「ならば与えよう。惜しみなくだ」
「そう、持てる者ほど、与えなくてはね」