桜の木と🐸さんのお話。🐍くんもいます。CP無し。
ネタバレは特にありません。
@rikka_trpg801
花細し
「ここは……?」
気付くと、見覚えのない場所にいた。それどころか、見渡す限り闇の広がる空間は現実かどうかすら怪しいと、帰代のこれまでの経験からくる勘が囁いている。
「また何かしらに巻き込まれたのか?」
溜息を吐きつつ、直前の記憶を探る。
国際的な人身売買組織に関わりがありそうだということで、帰代は捜査一課と合同で誘拐事件を追っていた。共に行動していたのは安定のというべきか、日計ジャノメだ。
拠点の一つと思われるアパートに乗り込んで被害者女性を一人保護したところまでは覚えている。その後の対応を女性警官に任せ、アパートを出て――次の記憶ではもうこの場所に立っていた。
悲しいかな、このような超常的な出来事には慣れ始めてしまっている。取り乱すことなく周囲を観察してみるが、ひたすら闇色が広がるばかりで目ぼしいものは見当たらなかった。
「どうしろっていうんだ」
苛立ちを滲ませて吐き捨てる帰代の背後で、からんっ、と軽い音がした。
はっとして振り返り、思わず目を瞠る。
いつの間にか、そこには一人の女が佇んでいた。黒地に桜柄の振袖を纏い、射干玉の髪を結い上げ桜の生花で留めている。足元は漆塗りに紅い鼻緒の下駄で、先程聞こえたのはこの下駄の音だろう。
女は白い面を帰代の方へ向け、淡く微笑んでいる。思わず息を呑むほどの美貌であるが、人形めいた生気の無さに背筋がぞっとした。
「お巡りさん、助けてくださいな」
硝子細工の鈴を転がしたら、こんな響きになるかもしれない。そう思わせるような高く澄んだ声だった。
「……俺は、お巡りさんじゃない」
人の姿をしているが、目の前の存在はヒトではない。直感的に悟り、帰代は慎重に言葉を選んで返した。
人外に下手な嘘は危険だろう。帰代は公安刑事であり、所謂お巡りさんと呼ばれる交番勤務の警察官とは仕事の種類が違うので間違いではない。
しかし、女は気にする様子もなく紅を差した唇で言葉を紡ぐ。
「私、攫われてきてしまったの。お巡りさん、あの娘さんを帰してあげたでしょう? 私も帰りたいの」
女が言っているのは、おそらく誘拐事件の被害者のことだろう。まるで現場を見ていたかのように言う女に、帰代は警戒を強める。
「勝手に帰ればいいだろう?」
ぱっと見、女は拘束されているようには見えない。それに、帰代をこのような空間に連れ込む力があるのなら、自力でどうにかできそうなものだ。
だが、女は淡い笑みに悲しみの色を乗せ、緩やかに首を振った。髪に差した桜の枝から、ひらひらと花弁が散る。
「ひとりでは帰れないの。だから、送って行ってくださらない?」
「……」
安請け合いは命取りだと、帰代は黙り込んだ。
女は攫われた、帰りたいと言うが、具体的な場所や方法は一度も口にしていない。物理的に不可能なパターンも十分に考えられる。
険しい表情でじっと見つめる帰代に、女は静かに溜息を吐いた。そんな仕草も、酷く悩ましげで美しい。
「送ってはいただけないのね。では、他に頼める方を待つ間、ここに居てくださらない?」
長い睫毛に縁取られた魅惑の瞳が、ひたと帰代を見つめる。
その澄んだ瞳の奥底に吸い込まれるように頷きかけた瞬間だった。
「 !」
聞き馴染んだ声に呼ばれた気がして、帰代ははっと顔を上げた。
周囲を見回してみるが、声の主の姿は無い。そんな帰代の様子を見て、女は寂しげに微笑んだ。
「お巡りさんにはお迎えが来たのね。私にも、来てくれるかしら――――」
目を伏せる女の頭上から、はらりはらりと花びらが降る。徐々に数を増していくそれは、やがて花吹雪となって帰代の視界を桜色に染め上げる。
咄嗟に腕を翳して目を庇う帰代が最後に見た女は、ただ寂しげに微笑んでいた。
「おい……!?」
思わず声を上げ、しかし続く言葉を見つけられなかった帰代に向かって、女は小さく手を振る。その姿すら花吹雪の向こうへと消えて行き、舞う花弁の勢いに帰代は目を閉じた。
そして、次に目を開けた帰代の視界に映ったのは、心配そうに覗き込む男の顔だった。
手入れの不十分な長い黒髪を不格好に結い上げ、くたびれたスーツの上にコートをだらしなく羽織っている。日射しに弱い所為で白い肌にはしかし、生きている人間の熱が確かに感じられた。
「帰代くん、大丈夫?」
先程も名を呼んでいた声に、帰代は瞬いて答える。
「ジャノメ」
意識がはっきりしていることがわかったからか、ジャノメはほっとした様子で肩の力を抜いた。
帰代が視線を周囲に向ければ、そこは現場の裏手にある公園だった。
ブランコと滑り台、狭い砂場、それからベンチが一つあるだけの小さな公園だ。帰代はそのベンチに横たわっていた。
起き上がって座り直した帰代の隣に、ジャノメも腰を下ろす。
「何があった?」
「わからない。急に帰代くんの様子がおかしくなって、ふらふら~ってこの公園に入って行ったんだ。僕が追いかけて行ったら、この木の下で急に帰代くんが倒れちゃって。いくら呼んでも起きないから、何とか近くにあったこのベンチに寝かせたんだ」
非力なジャノメでは帰代を抱えて運ぶのは重労働であっただろう。衣服に着いた土埃や擦れた跡には一旦目を瞑り、帰代は「手間をかけたな」と労った。
ジャノメはふるりと頭を振り、安堵と心配の入り混じった目を帰代に向ける。
「帰代くんこそ、何があったの?」
「……怪しい女に、変な空間に連れ込まれた。攫われてきたとか、帰りたいとか言っていたが、詳しいことはわからない」
「女の人……僕、ずっと帰代くんの傍にいたけど、誰も見なかったよ?」
半ば予想通りの言葉に、「そうか」とだけ返す。
何も分からないもやもや感は残るが、この場に留まってまた謎の空間に連れ込まれてはたまらない。今度はジャノメも巻き込まれるかもしれないし、長居は無用だろう。
「行くぞ。捜査はまだ途中のはずだ」
「帰代くんが大丈夫なら、良いけど……」
「体調なら問題ない」
少々疲れは感じるが、痛むところはない。顔色を見て帰代の言葉が嘘ではないと分かったらしく、ジャノメも「うん、わかったよ」と立ち上がった。
歩き出す直前、帰代はふと自分が倒れたという木を振り返る。
桜の木らしいが、開花の時期にもかかわらず蕾はまばらだ。大きく広がった枝の内、一本だけ花が付いている。夜の帳が降りる公園で、その白い花だけが内から光るように淡く浮かび上がっていた。
「帰代くん?」
呼ばれて、帰代はその花から視線を剥がす。
「今行く」
少しばかり足を速めてジャノメに追いつき、そのまま共に公園を後にした。
二人の去った公園のベンチに、開いたばかりの桜ははらはらと散り落ち、そして花の無い木だけが残されたのだった。
後に気になって調べてみると、あの公園の桜は以前民家の庭先にあったものが、家主の逝去に伴い寄贈され移植されたという記録が残っていた。
しかし、土が合わなかったのかすぐに病気になり、年々花の数も少なくなっていたという。じきに枯れてしまうというのが樹木医の見解らしい。
「――――お巡りさんを頼っても、どうにもならないでしょうが」
資料を閉じ、帰代は独りごちる。零れ落ちた溜息は、窓から吹く春風が攫って行った。
都内では桜が見頃を迎え、名所は花見客で賑わっている。酔っ払いの対応にお巡りさんは忙しいことだろう。
そんな賑わいから遠い小さな公園には、今年最初で最後の花を散らした桜が静かに佇んでいる。
春巡る度に愛でられた記憶を抱いて、今は亡き庭に帰ることを夢見ながら――――
(あとがき)
桜の季節なので、それにちなんだ話を書きたくなりました。攫われてきた桜に助けを乞われて、でも何もしなかった🐸さん。実はちょっとだけ精気を奪われてて、桜はそれを使って最後の花を咲かせました。来年はたぶん花一つ咲かせられない。ちょっと切ない。タイトルは「はなぐわし」と読み、桜の枕詞です。
🐸さんって桜に攫われてくれなさそうなイメージがあります。あまり儚い印象がないというか、良くも悪くも地に足がついているというか……でも桜が似合わないわけではないと思います。桜の代紋を背負う人間の一人ですから。