カルみと 酒に酔う話
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
終業後、鞄の中を覗いた神無は、縞斑に渡し忘れてしまった書類があることに気がついて思わず顔を顰めた。
「うわ、やっちゃった……」
昼間にスパローのアジトで情報共有をしたときに渡すつもりでいた報告とデータは、おそらく明日から捜査に協力してくれる縞斑にとって絶対に欠かせないものだろう。
すっかり渡した気になって帰ってきてしまった。慌ててメッセージ画面を起動して縞斑にその旨を伝えてみるが、珍しく音沙汰がなく既読すら付かない。
「うーん……データ送るわけにもいかないし……」
スパローとの情報共有は、履歴が残らないように紙媒体だけでやりとりをしている。
万が一データが漏洩した際、神無に疑いの目が向けられないようにと縞斑が考えてくれた配慮だ。
自分の身を守るために作られた取り決めを破るのも忍びない。縞斑の手が空いていなかったらアサギリに預けて帰ろう。
返事を待たずに押し掛けたことと書類を渡し忘れたことへの説教は甘んじて受けるしかない。そう考えた神無は、これから届けに行く、とだけメッセージを送ると席を立ってジャケットを羽織るのだった。
※
そうして一時間後。
押し掛けたスパローのアジトにて、神無は困惑の表情で立ち尽くしていた。
「アサギリ……これは一体……」
神無をここまで案内してくれたアサギリに尋ねれば、彼は深いため息を吐くと部屋に足を踏み入れる。
「アレはマスターですよ」
「いや……それはそうなんだけどさ……?」
見慣れた縞斑の私室にいるのは、当然のことながら縞斑だ。しかし、いつもなら笑みを浮かべて出迎えてくれる彼の姿は見る影もなく、ベッドに突っ伏してピクリとも動かないのである。
酒の匂いが充満する室内に足を踏み入れた神無は、縞斑が珍しくスーツに身を包んでいることに気がつく。
「返事なかったからひょっとしてと思ってたけど……出掛けてたの?」
「えぇ。本日は夜から商談があったのですが、お相手に随分酒を勧められたそうです」
「それにしたって酔いすぎだろ……」
商談の相手ともなれば、勧められた酒を断って機嫌を損ねるわけにはいかないだろう。
もともと酒には強かった縞斑だが、スパローの活動を始めてから酒を飲む機会が減ったため以前のように飲むことはできなくなった。
そんな縞斑は断り切れずに酒を飲まされ続けて、ついに酔い潰れてしまったらしい。それでもスパローの面子を保つために、アジトまでは自力で歩いたのだと言うのだから立派だと神無は感心する。
「こんな状態のだらだら先輩初めて見る……大丈夫かな」
「急性アルコール中毒に関しては常に警戒しておりますので、有事の際は無理やり吐かせます」
「た、頼もしい……」
縞斑の補佐役として相応しいその対応に神無が思わず呑気に拍手を漏らしていれば、アサギリはふと神無が仕事帰りにここへやって来た理由を思い出して頭を下げた。
「……マスターはこの状態ですので、来て頂いたのに申し訳ございませんが私が書類を一時的にお預かりしてもよろしいでしょうか」
「あ、うん!俺こそ渡し忘れてごめん。先輩にもあとで謝っとくからさ」
書類を両手で丁寧に受け取ったアサギリはこくりと頷くと、部屋の中で小さく呻き声を上げている縞斑の方を見やってため息を漏らす。
「……水を持ってきますかね」
「あ、じゃあアサギリが戻るまで俺が見とくよ」
この状態の縞斑を一人置いていくのは心配だろうと神無が提案すれば、アサギリはぱちりと目を瞬いてから僅かに目を細めて笑った。
その表情は実に自然なもので、彼が実験で感情を植え付けられたアンドロイドであるなど全く気にならない。
「ありがとうございます。何かありましたらすぐ教えてください」
「うん!」
礼を言って扉を閉めるアサギリを手を振って見送った神無は、ベッドに倒れ込む縞斑の元へ歩み寄る。
声は頭に響くだろうと口を噤んだままそっと顔を覗き込めば、青白い顔の縞斑が苦しそうに眉を寄せて目を閉じていた。
縞斑より力のあるアサギリがどうにか部屋まで運んだらしいが、体格差のある彼を着替えさせることまでは叶わなかったのだろう。
商談用に袖を通したスーツは堅苦しく、体調の悪い彼には少し息苦しそうだと考えた神無は、せめて彼の首元だけでも緩めてやろうとネクタイに手を伸ばす。
「っ、」
ところが、その手が縞斑の首筋に触れた瞬間、それまでの緩慢な動きが嘘のように彼は神無の手を掴んだ。
「う、わッ?!」
不意打ちで掴まれて体勢の整っていなかった神無は、縞斑にそのまま手を引かれてベッドへ倒される。
柔らかいマットに受け止められた体に痛みは無かったが、顔に影が差したことに気がついたら神無は慌てて顔を上げた。
「だ……だらだら先輩…?」
そこにあったのは、じっと無表情でこちらを見つめる縞斑の姿だった。
普段は開いているのか分からないほど細められている翡翠の瞳が、神無の顔を観察するように見下ろしている。
何を考えているのか全く分からないが、シーツに縫い付けられたままの手首がビクともしないため一切の身動きができない神無の背を冷や汗が滑った。
「先輩……大丈夫…?」
「……神無ちゃん?」
「え、あ、はい……神無ちゃんです……」
思わず一人称が迷子になるほど困惑した神無が縞斑の出方を伺っていると、突然その表情がふにゃりと緩んだ。
「へ、」
「神無ちゃんだぁ」
にっこりという音が聞こえてきそうなほど分かりやすく破顔した彼は、抱き締めるように神無に身を寄せると頬に口付ける。
ちゅ、と小さなリップ音を立てて離れていく柔らかな感触と強いウイスキーの匂いに、困惑と衝撃と羞恥が重なった神無はくらりと頭が揺れた。
「は……え?せんぱい?」
「ふふ、神無ちゃんかわいいね」
「ちょ……んぐ、」
「神無ちゃんかわいー」
可愛い可愛いと言いながら自分のことをぎゅむぎゅむと抱きしめて額や鼻先にキスをする縞斑を見上げた神無は、思わず母性のような何かがくすぐられて頬を微かに赤らめる。
「せ……先輩かわいい……」
普段の縞斑からのスキンシップは年下の神無をリードするもので、いつも余裕に溢れて神無を気遣う配慮まであるのだ。
そんな彼の年の功に素直に甘えていた神無は、初めて子供のように自分に甘えてくる縞斑のことを可愛いらしいと思ってしまった。
「神無ちゃん、すきだよ」
神無の声が聞こえているのかいないのか、自分を抱きしめていた彼は顔を上げて笑顔で神無の顔を覗き込む。
「神無ちゃんは?俺のことすき?」
「っ……お、俺も好きだよ」
縞斑から愛の言葉を求めることなんて滅多にない。思わず言葉に詰まった神無が慌ててそう告げれば、縞斑はますます嬉しそうに笑うと神無のことをぎゅうと抱きしめて頬擦りした。
「ふふ、うれしいな」
「んむ…っ」
「神無ちゃん、だいすき」
曇りのない笑顔で囁かれたその言葉に、再び神無の中に眠る謎の母性がきゅんと声を上げて身悶えする。
一回り以上も年上の、普段は自分のことをどこまでもリードしてくれる恋人が、素直に自分に甘えているのだ。このギャップを可愛いと言わず、一体なんと言う。
思わず神無は拘束を解かれた右手を持ち上げると、自分を抱きしめる縞斑の頭にそっと手を置いた。
「よ、よしよし……」
おそるおそる撫でて見れば、縞斑はまるで猫のように目を細めて嬉しそうに神無の胸に擦り寄る。
素面の縞斑からは想像もできないその可愛い甘え方に、神無は大きな犬を相手にしているような愛おしさを覚えて胸を押さえた。
ちらりとこちらを見上げる瞳はまるで、もっと撫でてほしいとねだっているようで、神無は思わず柔らかな笑みを浮かべる。
「先輩かわいい……」
普段なら絶対に出てこない新鮮な感想を漏らした神無は、せっかくの機会だからもっと縞斑を甘やかしてやろうとと両手で縞斑の頭を撫で始めた。
「よーしよしよしよ、」
ガチャ、と音を立てて扉が開く。
思わず固まった神無が音のした方へ視線を向ければ、そこには水のグラスを持ったままぽかんとした表情で立っているアサギリの姿があった。
そうしてようやく、神無は現在の状況を客観的に把握する。
ベッドに押し倒されて甘える縞斑を撫でる姿はまるで、夜伽の前の戯れのような甘さを孕んでいるではないか。
ぱっと顔を赤らめた神無の反応もよろしくなかったらしく、アサギリは曖昧な表情でことんとそばの棚にグラスを置いて頭を下げる。
「…………失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
ぱたんと扉が閉まった。
「待ってアサギリ!違う!違うから!そういうのじゃないから!!」
その間も相変わらず酒が抜けないのか神無に甘えてくっついている縞斑だったが、神無はそんな彼などお構いなしに閉まった扉に手を伸ばして慌てた声を上げるのだった。
終