風花と六花の話。六花過去話
@lianmiso
「参加しないの?」
壁に背を預ける2人の前では大勢の人間がグラスを持ち、大仕事を終えたことを祝っている。
「面倒くさそうだから」
少し観察眼が鋭い人間なら頭を下げ合いながらお互いを見上げる眼光が獲物を狙う肉食獣の如く鋭いことに気づくだろう。もっとも狙うのは肉ではなく情報や利なのだが。
「貴女こそ行かないの?夢に見た外じゃない。向こうのテーブルはうちの事務所の人たちが固まってるわよ」
「………行っていいものかしら」
六花は複雑な笑みを浮かべた。
「私は何もしていないのよ」
「ううん、1番の功労者よぉ。貴女のリークがなければ人体実験は止められなかった。望むなら今ここで発表するけどぉ?」
「それなら貴女こそ。施設の片隅から発信される何処ぞの電波を受信して信じるなんて正気を疑うわ」
ある組織の片隅で暴力の嵐を受けた後、六花は培養槽に詰められていた。
連絡が取れる事に気づいたのは数年前。
風花と連絡が取れたのは約1年前。
自分の能力で命も外部も繋いでいると言われたのは組織から連れ出されて3日後。
精密検査の後だった。
隣でグラスを傾ける風花の研究結果である。
「少なくともあそこにいる人たちより信用も信頼もできるわぁ」
「どうして?どうしてそんなによくしてくれるのよ」
「日本に来て貴女の受信を受けて楽しかったもの。お話が楽しいという気持ちは嘘じゃないわ。余計なしがらみもない。気が楽よぉ」
グラスを回しながら赤ら顔で風花が笑う。くるくると紫色の液体が渦を巻く。彼女の酔いもどんどん回っているだろう。
「飲み過ぎよ」
「貴女は呑まないの?書類上は20歳以上よ?見た目もそんな感じに調整したのだけど」
「書類上はでしょ?今も私は高校に行く時のままよ?だって、わからないもの。50年以上経ってたの?あんなガラスの筒の中に入れられて。浦島太郎みたい」
飛び交う言葉も六花の耳には馴染みがない。ネットから情報を拾って頭の中に知識が入っていてもだ。
実感が湧かないのだ。
昔の記憶も電子の海に攫われてしまった。
浮かんでいただけの脳はそんなに記憶を持てない。
もう両親も時の果てだ。
存命であっても銀髪になり、大人になった娘など受け入れてくれなかっただろう。
今の外見は成長を計算して作られた物であるが、全部風花と医者が相談しながら作った物だ。
何もかも変わり果てた。
【自分】を確認する術もない。
「女の子だから花子さんじゃない?浦島花子さん」
「あぁ、そうかもね」
軽口を叩き始めた隣の女の体温は触れなくても熱を発している。六花は逆にどんどん気持ちが底冷えしていくようだった。
電気に人の熱、帰ってくる答え。
あんなに望んでいたのに不愉快で仕方ない。
「もうほぼ機械だから酔わないんじゃないの?感覚がわからないのよ」
「ねぇ、それお酒なの?」
「違うわよ。酔っ払ってるの?」
「それ、どんな感じ?」
質問に答えず風花がわざわざ腰を曲げ、六花の持つグラスを指差した。突然の質問に六花は面食らう。
「どんな感じって?」
「熱い?冷たい?中の飲み物は?」
「オレンジジュースのこと?ぬるい?」
作られた体であれど、六花の体は若干の熱…人肌の体温を持っている。キンキンに冷えていたオレンジジュースは1時間の時を経てガラスを伝った自分の熱で口に含むとすっかり生暖かい。
機械の体あれど人のそれと変わらぬのは風花曰く『人の体って人が思った以上に高性能』との事だった。
本当にそうかわからない。
「それがぬるいってわかるんでしょ。感覚がある人間よ。違和感あるのは忘れてるだけよぉ。私、あなたより機械率が高いけど酔うのは覚えてるもの」
「私より!?」
見た目も何も六花と変わりやしない。
「人の改造する人が自分も人間なんておかしいじゃない」
「そうかしら…」
「私の故郷は水も凍る土地。お酒は水の代わり。最後にお酒を呑んだのは弟と別れた時だったからよく覚えてる。貴方は何か思い出ないの?」
そうだ、自分が最後にぬるい飲み物を飲んだのはいつだっけ。
「バスに間に合わない!遅刻!」と家から飛び出して、「これだけは飲みなさい!」と突き出されたオレンジジュース。
新聞屋さんのおまけか何かで受け取ってそのまま棚に置かれていた缶ジュースだった。帰りのバスで待っている時の生温さ。
忘れる訳がない。
人間だった頃の最後の記憶。
両親との最後の。
「それでいいのよ。頭では忘れてるけど記憶と思い出は紐付いている説がある。ゆっくりでいい。思い出さなくてもいいわぁ」
「てっきり思い出しなさいと言うのかと思ったけども」
「だって、私医者じゃないし。その人が望むなら背中を押すだけよぉ。弟で手一杯なの」
彼女の頭には弟しかいない。
研究はいつだって弟のため。
弟が人並みの生活を送れるための実験台というのははっきりと体を与えられた時に言われた。
だからこそきっぱりさっぱり言ってくれるのに六花は少しだけ救われる。
「行くの?行かないの?」
それでも悩んでいると畳み掛けるように風花が問いかける。
「でも、私は」
それでも動かない六花に風花は静かに言った。
「六花。貴女の発信に私が応えてどうだった?」
嬉しかった。
海にボトルメールを投げるようなただ一方的なものではなく、ちゃんと六花を理解しようとした風花の言葉は心から嬉しかった。
表情で察したのか風花は話を続ける。
「わからない人はたくさんいるけどお互い様。全部言わなくていいし、だからこそ言葉があるんじゃないの?」
「じゃあ、風花さんも一緒に」
「私は弟がいればいいの。弟がどんな形でもこの世に存在すれば良い。その弟に来るなって言われたから。嫌われたくないしね」
また六花に笑いかけると風花は壁に背を預けた。
「行きなさい。たまーにお節介で物好きな人はいるからさ、そんな人にあったら大事になさい。大丈夫よ」
「そうなの?」
「そうよぉ。うちの会社も他社も意外と人外だらけよぉ。ほら、あそこのテーブル」
風花が指差した先はなるほど見るからに個性的な者ばかりだ。
恐る恐る六花が一歩踏み出す。
「怖かったらまた帰ってくればいいわよ。私は弟で手一杯だけどねぇ。弟の次くらいには可愛がってあげるわよぉ」
もう一歩、もう一歩。風花から離れる。
半身を捻って振り返れば、陽気な笑顔を浮かべ、六花の新しい歩みを祝福するようにグラスを掲げていた。
「いってらっしゃい、我が娘」
六花は振り返らなかった。
風花が掛けた言葉は奇しくも実母が六花へ最後にかけた言葉と同じであった。