柳生篇のはじまる少し前。近藤の女の趣味について話している土方と沖田の話。
@bbbcde519
助手席の土方がいつもよりもずっと長く、具体的に言えば三秒長く煙を吐き出した。ハンドルを握っている沖田は、それが土方の何か言いたい時の癖だと知っていた。土方が意識的にやっているのかどうかは知らない。これ見よがしにため息をつくなんてわりと構ってちゃんなんだよなァこの人と思いながら、沖田は「どーしたんですか」と訊いた。ちょうど大きい交差点の信号待ちで停車したタイミングだった。
問われた土方はチラリと無線機を見て電源が落ちていること、それから沖田が何も怪しい真似をしていないことを確認するように視線を動かした。盗聴を警戒しているのか、そこまで気にするなら何も話すんじゃねェよと思う。だが沖田の気持ちとは裏腹に土方はようやく口を開いた。
「昨日近藤さんととっつぁんに呼び出されてたろ」
「ああ、そうでしたねィ」
「その帰りにな、近藤さんが通りすがりのパンチパーマの婆さん見てカワイイって言い出したんだよ」
土方の深刻な声と内容のギャップに沖田は吹き出した。「なんですかそりゃ。そんな真剣に言うことですかィ」
笑い事じゃねえよと土方は断固として言い張った。近藤さんの目は本気だった、アレは俺が止めなきゃパトカーから飛び出て口説きかねない目をしていたと主張する。
「俺だって女に惚れるなとは言わねえよ。だがもう少し立場ってもんを考えて欲しいもんだ。十も年下の女に入れ上げているのだって世間体が悪ィってのにそいつにフラレ通しで、次は婆さんを嫁にするとか言い出したらどうすりゃいいんだ」
言ってる内容は大変ばかばかしいが土方は真剣だから更におかしい。沖田はハンドルを握ったまま、くつくつと肩を揺らして笑い「土方さんいけねえや、婆さんだって相手を選ぶ権利はありやすぜ」と返した。土方も鼻を鳴らす。
「もっともだな」
「それに近藤さんの女の趣味が悪ィのは今に始まった話じゃねえでしょ。昔っから近藤さんってキツい女好きだったし。ほら、アンタが近藤さんにあんな女やめとけって言って喧嘩したこともあったじゃねーですかィ」
「お前よく覚えてるな」
土方に渋い顔をさせることができたので沖田は気分が良かった。機嫌を写しとったかのように信号が青に変わったのを見て取り、ゆっくりとブレーキから足を離してアクセルに切り替える。
その昔、沖田がまだ十に満たない頃のこと、近藤と土方が喧嘩をして三日ばかり口を聞かなかったことがあった。当時近藤は街道向こうの茶屋の女に熱を上げていた。土方はその女のことが気に入らず、近藤に忠告して喧嘩になった、らしい。沖田はその場面を見ていないが、近藤から愚痴られて聞いている。トシがさあ、頭ごなしにあんな女やめとけって言って聞かねえんだ、ひでえと思わねえか総悟と、縁側で寂しそうに背中を丸めて語る近藤の情けない横顔を、沖田ははっきり覚えている。俺がそんなん聞けねえって言ったら殴るんだぜと、近藤は頬の湿布をさすりながらため息をついていた。近藤の愚痴にイミわかんねーですね土方のヤローと同調しながら、幼い沖田は不思議な満足感を覚えていた。怒りが持続しない近藤があっという間に仲直りしてしまったのが癪なほどだった。
あの時はいつもとは違う頼られ方が嬉しいだけだった。だが、長じた今になって見えることもある。沖田はハンドルを握ったまま尋ねた。
「土方さん、なんであん時いちゃもんつけたんですか。それまで近藤さんが誰に惚れようが我関せずって感じだったのに」
土方は既に短くなった煙草をくわえたまま返事をしなかった。窓の外の道路を見て鏡越しにも目が合わないようにしている。沖田は気にせずに続けた。
「あんたがあの女に言い寄られたんじゃないんですかィ」
「……忘れた」
沖田はうっすらと唇をつりあげた。嘘が下手にも程がある、土方が近藤を怒らせた理由を忘れるはずない。自分の推測は当たっているのだ。土方も青かったんだなあと沖田は他人事のように思った。女は近藤に勝手に惚れられた訳で、振った男の親友だろうが好みの男に粉かけて何が悪いんだと言いたい向きもあろう。だが若い土方の目には忌まわしく映ったわけで。
「土方さんて意外と潔癖だったんだなァ」
まともに揶揄われてもう少し怒るかと思ったが、土方は怒らず「今だったらなんにも言わねーよ」と低い声で返した。土方は若い自分の行動が恥ずかしいらしいと、ちょうど昔の土方の年になった沖田は気がついた。
「てめーの大将が口説いていた女に袖を引かれるのはどんな気分なんですかィ」
なんとなく口をついで出た沖田の問いに、またも土方はすぐに答えなかった。新しい煙草に火をつけ、煙を吐き出す。その時間をたっぷり稼いで、ようやく吐き出した答えは。
「志村妙に色目使われるの想像してみろ」
沖田は顔を顰めた。あの志村妙がそんな真似をしているところは想像はできなかったが、付き纏ううっすらとした厭さは分かった。
しばらく土方は黙って煙草を灰にしていった。沖田は巡回ルートから外れず黙々と運転した。大通りを右折した時、男は突然「もうちっとなんとかなりそうな相手なら、気を揉まなくて済むのにな」と呟いた。
「難しいんじゃないですか、近藤さんMだから」
「だからってなあ」
沖田はちらりと横目で土方を見た。良識ある大人の顔をしている。大人の口ぶりで、真っ当に手前の大将のことを心配している、そうとしか見えない声音と顔だった。
この人も仮面を被るのが上手くなった。近藤をうまく説得できずにすぐ手が出ていた昔とは大違い。
「土方さん、それマジで言ってるんですかィ」
「あ?」
土方は煙草を灰皿に押し潰しながらこちらに目をやった。
「たとえば近藤さんに新しく惚れた女ができて」
「ああ」
「その女が、まあ最初は袖にしてたんだけど意外と押しに弱くて、だんだんあの熱烈な求愛に靡いていって、何回目かのプロポーズにウンって言っちまってめでたくゴールイン。俺たちゃ親族席で白い紋付袴のあの人を眺めるんですぜ」
沖田は一度言葉を切る。土方は新しい煙草を箱から出しかけたままで動かない。
沖田はゆっくりと訊いた。
「アンタ本当に結婚する近藤さん、見たいんですか」
見たくないんでしょ、とは声に出さなかった。沖田は普段は気が合わないこの男と、これだけは絶対に意見が一致することを知っている。近藤に幸せになってほしいと思ってはいるが、本当は一生誰かの尻を追っかけて、手ひどく振られては自分たちの元に帰ってきてほしいと、自分も土方も、思っている。
叶わない望みかもしれないと思うけれど。
「総悟、お前な……」
案の定土方は唇を真一文字に結んで、ひどく渋い柿を食べさせられたような顔をしている。後の言葉も続かないようだった。気に入らない男の図星をつくのは本当に気持ちが良い。また赤信号になったので沖田は丁寧にブレーキを踏み、土方に向かってにこりとしてやった。
「土方さんがつまんねえ嘘つくからァ」
「近藤さんには言うなよ」
言いませんよと沖田は返した。いつもの平坦な声を作れたと思ったが、おそらく土方には沖田の本気が伝わったらしくようやく煙草を咥える。ライターに照らされたその顔は諦めたようにも安心したようにも見えた。