こちらは7月13日東京ビッグサイト【星に願いを 2025 -day2-】にて配布予定のゲタ水本のサンプルです。
こちらの内容は前編となっております。
イベント当日はこちらの内容に後編、エピローグを追加したものを頒布予定です。
CP名:ゲタ水(市役所勤めの完全パラレル世界線。このゲタ吉はNot成長鬼太郎です)
年齢指定:なし(4/29時点)
販売価格:未定
あらすじ:
ある日、会議に出席した水木は盛大に腹の音を鳴らした青年、『田中ゲタ吉』に出会う。
昼食時、偶然ゲタ吉と再会した水木は、彼から自身が自炊が出来ないことを聞いて——。
@muisan18
序章:はらぺこゆうれいとサラリーマン(前)
きゅるるるるぅ。
誰も居ない公園に切なく腹の虫が鳴り響く。誰もが浮足立ちそうなほど春らしい陽気の中、ゲタ吉はひとり空しく、公園のベンチに座り、菓子パンの袋を開けようとしていた。
ゲタ吉も、好きでこんなことをしているわけではない。できることなら菓子パンひとつという質素な食事ではなく、バランスの良い健康的な食事にありつきたい、そう思っている。しかし、彼にはそれができない理由があった。ゲタ吉は——壊滅的に自炊が出来ないのだ。肉を焼かせれば、焦げて真っ黒か生焼けで真っ赤の二択になり、米を炊かせてもべちゃべちゃにしてしまう。そんな腕前の彼にバランスの良い食事は、夢のまた夢の話だった。
ゲタ吉は幽霊族であるので、人間とは違い、半月くらい断食しても生命活動に支障はない。だが、腹が減っては戦は出来ぬ。と、先人が遺した言葉通り、空腹だとやる気が出ないのが現実だった。自炊が出来ないのであれば外食やレトルト食品で済ませてしまえばいいではないか、そう思われるかもしれない。しかし、それにも限度がある。有体に言ってしまえば、ゲタ吉は長期間の外食やレトルト食品での食生活に飽きていたのだ。温かいご飯、特に他人が自分の為に作ってくれた手作りの料理や弁当が恋しくてたまらないが故に、普段の食事をおなざりにしている。それがゲタ吉の現状だった。
「はあ……。サッサと食っちまおう」
ないものねだりをしてもしょうがない、と自身に言い聞かせ、ゲタ吉が菓子パンにかぶりつこうとした。その時だ。
「おい、お前『田中ゲタ吉』だったよな」
ゲタ吉はふいにベンチの後ろから声を掛けられる。身をよじって後ろを振り返れば、そこには保冷バッグらしきものを持った見知らぬサラリーマンが仁王立ちしていた。服装を見るに同じ職場の別部署の人間なのだろう。ゲタ吉はそう推測した後に、気だるげにサラリーマンへ声をかけた。
「えっと、そうですケド……。どちら様ですか?」
「俺は商工観光文化部所属の『水木』だ」
これが幽霊族の『田中ゲタ吉』と人間のサラリーマン『水木』の最初の出会いである。
第一章:はらぺこゆうれいこと『田中ゲタ吉』について
「ああ、『はらぺこゆうれい』のことか」
「『はらぺこゆうれい』だァ?」
陽春が心地よいとある昼下がり。同僚が口にした単語に水木は怪訝な表情を見せた。何故、彼がこのような単語を聞くことになったのかというと、今から十分ほど前に出席した会議にある。
水木が務める市役所では、社内での横の繋がりを深める一環として行われる共同プロジェクトがある。水木はそのメンバーに選ばれ、顔合わせも兼ねた会議に出席していた。
各々が当たり障りのない自己紹介を終え、さて本題に入ろうという時、
ぐうぅ……ぎゅるるるるぅ……きゅるる……くぅ。
途轍もなく大きな腹の虫の音が鳴り響いた。それはなんともタイミングの悪い腹の虫で、無論、水木のものではなかった。
「だ、誰だね! こんな重要な時に!」
出鼻をくじかれたリーダー格の男性が声を荒げる。誰が見てもそれは完全に八つ当たりだった。男性が声を荒げたせいで周囲では犯人探しが始まったが、水木にとって、いい迷惑でしかなかった。
——お前か?
失礼ね、私じゃないわ!
あーあ。アイツ、プライドだけは一丁前だから長くなるぞ。
でもさっきの音、流石に大きすぎない?
知るかよンなこと。どうせ朝飯食いっぱぐれたんだろう。
ひそひそ、ざわざわと。犯人を邪推するひそひそ話はもはや普通の雑談と大して変わらない声量で広がっていた。勘弁してくれ。そう、水木が心底あきれ果てていると、隣に座っていた青年がすっと手を挙げ、自白した。
「スミマセン。さっきのはボクの腹の音なンで。皆サンは気にしないでください」
それよりも、サッサと進めちゃいましょう。この現状を作り上げるきっかけになった男は、いけしゃあしゃあと宣った。誰もがお前が言うな、と思ったが、青年が言うことも一理ある。そのため、彼が反論される瞬間は訪れることはなかったのであった。
青年の面の皮の厚さに少しばかり興味をそそられた水木は、彼の首にかけられた社員証を覗き込む。
地域民俗学保護グループ 田中ゲタ吉
それが、この騒動の中心となった青年の名前だった。
「だから〈地域民俗学保護グループ〉の〈田中ゲタ吉〉だろ? だったら間違ってないぞ」
そもそもあんなけったいな名前、間違えたくてもできるもんか。大げさに肩をすくめた同僚は、話を続ける。
「知り合いから聞いたんだが……なんでもソイツ、腹を空かせているワリには飯を食ってる姿を誰も見たことが無いらしくてな。いつも昼休みになるとふらっと消えちまうらしい」
「それがまるで幽霊みたいだから『はらぺこゆうれい』ってか」
「ご名答」
一部の女性社員にはミステリアスだとかでウケがいいらしいぞ。なんて至極どうでもいい情報を聞き流しながら、水木は思い出した。確かに、隣に座っていた筈なのに、彼が手を挙げるまで犯人だと気付けなかったくらいには、田中ゲタ吉という青年の存在感は薄かったのだ。成程、だから誰も分からなかったのか。水木は当時の状況に納得した。
納得している水木とは反対に、同僚はゲタ吉に対し首を傾げる。理由は件の『はらぺこゆうれい』の由縁についてだ。
「しっかし、なんでそう毎度腹鳴らしてるんだか」
「さあな」
「給料日前ならそれなりに覚えがあるからわかるんだが……。物欲ありません、ってスカした顔してるワリには案外パチンカスだったりするのかね?」
「――お前、あんまり好き勝手言って、本人に聞かれても知らないぞ」
これ以上は興味が無い。と水木は昼食を取るべく、持参した保冷バッグを手に立ち上がった。この場を立ち去ろうとする水木を同僚はそういえば、と呼び止める。
「例の件、考えてくれたか?」
それを聞いた途端、水木は露骨に眉間に皺を寄せた。だから長居したくなかったんだ。そう胸の内で悪態をついた彼は、ため息と共に以前と同じ回答を返した。
「……、弁当食わせてくれってことなら断ったはずだぞ」
「そうなんだけどさー、水木の弁当、美味そうなんだよ。な、隣の席のよしみってことで。このとおり!」
「駄目だ」
「ちぇ、水木のケチ!」
好きに言ってろ、とぶうたれる同僚に言い捨てた水木は、額に手をやった。弁当を余分に作ることが面倒なわけではない。だが、水木にはどうしても他人に料理を振る舞いたくない理由があった。
「話はそれだけだな」
「お、オイ!」
早々と話を強引に切り上げ、水木は逃げるようにその場を後にした。
建物を出て、水木は先程からじくじくと痛んでいた胸の痛みを逃がすようにため息を零した。これが初めてではない。先ほどのように自身の料理を振る舞う話題になる度に、水木は胸の痛みに襲われるのだ。その痛みは、未だ癒えていない水木の心の傷、そのものである。
幼い頃の水木は手のかからない子供だった。聞き分けが良く、小学校にあがる頃には一通り家事もこなしていた。子供らしからぬ子供、それが世間から見た水木の評価だった。何故、水木がそこまで努めたのかというと、彼の母親のためだった。夫婦間の不仲によって離婚した彼女の手助けになれば。そう、幼い水木なりに考えたのだ。しかし、彼の母親は自分の子が手のかからない子供だと理解した途端、育児放棄をし始めた。
間違った。そう悟った水木は、今度は料理を極め、母の気を引こうとした。美味しいご飯があれば。食事が用意さえできれば。きっとお母さんは自分を見てくれる。そう、信じた。
「そういうのウザいから要らない」
結局、幼い水木の懸命なアプローチは彼女からの心無い一言によって終わりを迎え、暫くした後に母方の祖母に引き取られた彼は、それ以降彼女と顔を合わせてはいない。
水木はふと湧き上がった彼女の言葉を振り払うために、頭を振った。
「……クソッ、アイツのせいだ」
そして、思い出したくもないことを思い出させる原因になった同僚に悪態をつく。そうこうしているうちに、目的地としていた近所の公園へ辿り着いていた。この公園には立派な桜の木が植わっているのだが、隣に墓地があるせいか近所の住人は勿論、子供さえ近づかない。昼時に余計なことを言われたくない水木にとって、格好の穴場だった。
「ん?」
水木は誰も居ない筈の公園にきらりと輝くものを遠目から見つけた。それは、陽の光によって輝いている銀色の髪の毛だった。水木の中で、銀髪で思い当たる人物は、件の青年、田中ゲタ吉だけである。
どおりでそう簡単に見つからない筈だ。もしかしたら、田中も昼時はひとりで居たいのかもしれない。そう、水木は少しばかり彼に対し親近感を抱いた。
さて、これからどうしよう。何時もの場所には先客がいるから使うことはできない。それならいっそのこと今日くらい、昼食を抜いて過ごそうか。そう、水木が考えている時だった。
きゅるるるるぅ。
先程ではないが、それなりに大きな腹の虫の音が響く。それを聞いたゲタ吉はほんのわずかに思いに沈んだ後、深いため息をついてぽつりとひとりごちた。
「はあ……。サッサと食っちまおう」
そして、次の瞬間。その手に持っていた菓子パンの袋をバリっと豪快に破き、かぶりつこうとする。
その光景は、水木の中に眠っていたとある記憶を思い出させる。理由は分かっていた。本当に幼くて何もできなかった頃、ひとり寂しく買い与えられていた菓子パンを齧ったあの日々を。忘れたくても忘れられない過去の自分を青年に重ねてしまったからだ。
菓子パン独特の甘ったるい味が口の中に再現され、水木は居ても立っても居られなくなった。だから、自分でも柄でもないことを起こしてしまった。
「おい、お前『田中ゲタ吉』だったよな」
やってしまった。それが第一声を発した水木の心情だった。声を掛けるにしても他にあったはずだ。そう自分を責めるが、発してしまったものは取り消せない。現にかけられた側であるゲタ吉は……訝しげそうな顔をしながら、身をよじってこちらの方を振り返っている。
「えっと、そうですケド……。どちら様ですか?」
「俺は商工観光文化部所属の『水木』だ」
水木の自己紹介を聞いたゲタ吉は更に首を傾げる。それもその筈だ。同じ部や同年代ならともかく、別の部署、一回りくらい年の離れた男性に唐突に声を掛けられたのだ。逆の立場なら、怪しさこの上ない状況でしかない。水木はそう思った。
対するゲタ吉はというと、実のところ怪しさに首を傾げている訳ではなかった。ただ、純粋に目の前の男との接点が見つからず、何故声を掛けられたのか理解できなかったのだ。なので、素直に彼に問うてみることにした。
「水木サンですか……。何かボクに用でも?」
「ああ……。えっと、お前、それだけなのか?」
そう指を指された先にあるのは、先程己が開けたばかりの菓子パンの袋である。
「さっきの会議でも腹鳴らしていただろう。それだけで足りるのか?」
さっきの会議。それを聞いたゲタ吉はようやく目の前の男性が自分に声を掛けたのか理解できた。恐らくこの人は、あの会議に出席していて、偶然見つけた自分が菓子パン一個だけで済ませようとしていることに疑問を持ったのだろう。見なかったことにすればよかったのに。何ともお人よしな人だ。そう思いながらゲタ吉は気持ち気だるげに返事をした。
「先ほどは見苦しいものを聞かせてしまってスミマセン……。お恥ずかしながら、自分で料理が出来ないんです。だからこうやって出来合いのもので済ませているんですけど……なんだか味気なくて」
「料理が出来ないって、お前、もしかして……」
「ボクの名誉の為に言っておきますけど、別に親の脛を齧ってたワケじゃないですからね? どうやったって苦手なことってあるじゃないですか。それがボクの場合、料理だったってワケなんですヨ」
それでも、結構練習したンですけどネ。そう言うと、それを聞いた水木は、ほっと胸を撫で下ろす。そんな仕草を見せつけられたゲタ吉はというと、なんて失礼なヤツだ、と鼻息を荒くさせていた。
「で、話はそれだけですカ?」
サッサとこの場から離れた方が賢明だ。そう考えたゲタ吉は話の腰を折る為に水木に投げかける。きっとこの水木という男性も自身の好奇心を満足させたはずだから解放されるだろう。そう、この時まで思っていた。
「なら——これ、食うか?」
「へっ?」
ずい、と近づいてきた水木がゲタ吉の膝の上に少し重量のある小さめのバッグをポンと置くまでは。
遂に言ってしまった! 水木は心臓をバクバクと鳴らしながらゲタ吉の反応を待っていた。水木はゲタ吉が普段から空腹であることが、ただ、食事をおざなりにしているだけだと聞いて安心した。しかし、今度はゲタ吉の食生活が気になってしまう。有体に言ってしまえば、空腹であるゲタ吉に同情してしまったのだ。
だからといって! 見ず知らずのオッサンの手作りの弁当を食うか? だなんて! 水木は脳内で自分を存分になじる。だが、既に自分の弁当は彼の膝の上だ。水木は、せめて、この若者から昔の母親のような言葉を、聞くことになりませんように。そう祈った。
「——ん、ですか?」
「?」
「いいんですか……?」
ゲタ吉は水木の想像とは違い、おずおずとそう聞き返した。
「ああ。昨日の残り物の詰め合わせで悪いが、それでもいいなら」
水木は今の心情を悟られないように、少し口調を強めて勧める。それに安心したのかゲタ吉は、たどたどしい手つきでバッグの中身を開いていく。そして、そのおかずたちが顔を出した途端、ピタリと固まった。
——スタンダードな玉子焼き
鮮やかな緑が目立つ菜の花の胡麻和え
真っ白なお漬物が少し
トリのささみの照り焼きが数枚
青菜とちりめんじゃこが混ぜ込まれたご飯でにぎられたおにぎり
それらを確認したゲタ吉はプルプルと肩を震わせた。若者には向かないメニューだったか。水木はそう思い、無理に食べなくてもいいと声を掛けようとし、彼の顔を覗き込んで。驚愕する。
「ほんとうに……これ、食べてもイイんですか……?!」
覗き込んだ彼の大きな目に、うっすらと涙が浮かんでいたのだ。
「お、おう。今更駄目だなんて言わん。好きなだけ食べなさい」
水木がそう言い終わるやいなや、ゲタ吉は食い気味にいただきます、と言い、玉子焼きを口に放り込んだ。
そして、
「お、おいひいれふ……!!」
先程よりも激しく震え、それに引きずられるかのようにゲタ吉はみっともなく、べしょべしょに泣き始めた。
「こんな……ズビ、おい、しいごはん、ひさびさでェ……!」
感極まって泣いているゲタ吉を見て、水木の胸の底が温かくなる。今まで、美味しそうだと人から褒められることは多々あったけれど、ゲタ吉の美味しいは、そのどれとも違う。どこか空いていた空白を埋めるような美味しい、だった。この胸の暖かさの正体を、水木は知らない。しかし、確実になにかが満たされるような感覚は、とても心地の良いものであった。
もっと、聞きたい。そう思った水木の口からは、自ずと彼の食事を促す言葉があふれ出る。
「そうか……。 それは——辛かったな。他にもあるから、ゆっくり食べなさい」
ゲタ吉はそれにこくりと頷くと、今度は胡麻和えを口にする。言われたとおり、ゆっくりと味わうように咀嚼をし、
「菜の花がちゃんとシャキシャキしてて美味しい……。ボクこの茹で方好きだなァ」
そう零した。それからのゲタ吉の箸の進み具合は、実に調理者冥利に尽きるものだった。様々なおかずがひょいひょいと彼の口の中に放り込まれていく。だが、流し込むように食べているのではなく、どのおかずもゲタ吉は味を確かめるように食し、感想を述べていった。そして、彼の感想を聞く度に、水木の胸の底はぽかぽかと陽気にまけないくらいあたたかなものになっていったのであった。
「ごちそうさまでした」
数十分後、水木の弁当をぺろりと平らげたゲタ吉は行儀よく合掌する。きっと彼の両親が躾けてくれたのだろう。弁当箱には米粒ひとつ残っていない。清々しいまでに完食され切ったそれをみて、水木は久方ぶりに料理で嬉しいという感情を覚えた。
「お粗末様でした」
丁寧に保冷バッグを返しながら、ゲタ吉は感謝を述べる。そして、何かを覚悟したかのような眼差しになった彼は、バッグを受け取ろうとした水木の両手を取り、懇願した。
「あの、もし水木サンさえよければ! また、作ってくれませんか!」
「えっ」
「勿論、食費は払います! ボク、また水木サンが作ったご飯が食べたいンです! お願いします!」
水木はそれを聞いて困った。過去のこともあって、自分の料理を他人に振る舞うべきではないと思っている。それは現時点でも変わっていない。しかし、彼が美味しそうに食べる様をまた見たくはないのか、といわれたら、見たい。そう思えるほどには、水木はこの短時間で彼に絆されている自覚もあった。作りたくない気持ちと作ってやりたい気持ち。その二つが水木の中でせめぎ合っている状態だった。
だから、水木はずっと怖くて他人に聞けなかった質問を彼にして、その返答次第では引き受けようと考えついた。
「お前……、重たいって思わなかったのかよ」
「重い? ボリュームのことですか?」
丁度良かったですよ? 寧ろ少なかったくらいです。と呑気に答える彼に対して首を横に振る。水木が効きたい答えはそれではない。
「男が料理してるなんて何も思わないのか」
水木がずっと聞きたくても聞けなかったこと。それは『自分という男が料理をしている』ことそのものだった。
「それがどうかしたんですか?」
固唾を飲んで待ちわびた回答は困惑した表情で。逆に質問を返されてしまい、更に困った状況になってしまった。
「ボク、最初にも言いましたけど、料理全然できないんです。米を炊いてもべちゃべちゃにするし、肉なんて外は真っ黒、中はレアとかしょっちゅうあります。だからこそ、こんなに上手に料理ができる水木サンのこと、尊敬してます!」
「……そうか」
あなたの料理のこと。誰かに、何か言われたことがあるんですか? そう問われて水木は思わず頷いてしまった。それを見たゲタ吉は、静かに、けれどきっぱりと言い切る。それは、少しだけ怒りがにじみ出ていた。
「ボクはあなたがどんなことを言われたのか知りません。ですが、あなたはそれを気にしなくていいことだけは分かります。全然、変なんかじゃありません。他でもないあなたが、料理が出来たから、ボクは今日、満足な食事がとれたんだ」
だから、ありがとうございます。そう言われて水木は、ようやく理解した。きっとあの時、母親に言われたかったのも、あんな言葉ではなく、感謝や称賛の類いだったのだ。それがたった出会って少しの男にピタリと言い当てられ、あの時の幼い自分が、ようやく報われたような気がしてしまった。
だからこそ水木は、今まで避けていた事柄に対し、腹を括ることを決めた。
「ありがとう。……で、話を戻すんだが。——明日も作ってきてやるよ」
ひとり分もふたり分も大して差はないんだ。そういえばゲタ吉は本当デスカ?! と、嬉しさを隠さず目を輝かせて、掴んでいた水木の手をぶんぶんと振った。あまりの力強さに水木の肩が引っ張られていく。
「い、痛い! 少しは手加減しろ!」
「す、スミマセン!」
ゲタ吉の謝罪と共に水木の手は解放される。少し恨めしそうにゲタ吉を見やれば、彼の顔には笑顔がまだ張り付いていた。
「兎に角! 明日、また此処に来い! 食費とか詳しいことは明日までに考えてきてやる」
「はぁい」
ルンルンとした声音で彼は答えた。それを見て、水木は現金なヤツだと思う。でもその素直さにも捉えられるそれは、見ていて微笑ましいとも感じるほど、今の水木には好ましいものだった。
その日の定時後、水木は明日の弁当のおかずを考えながら行きつけのスーパーへと足を運んだ。誰かのことを考えて買い出しをすることなど、何十年ぶりだろうか。明日の彼はどんな感想を述べてくれるのだろう。まるで遠足前の子供の様だ。
ふと、あの時の母の声が頭をよぎる。その声に一瞬、身が固くなるのだが——直ぐにゲタ吉の笑顔が浮かび、緊張は解けていった。そうだ。今は、自分の料理を目いっぱい喜んでくれる人が居る。その事実に、水木はまた、胸の暖かさを感じた。
こうして、期待に胸を膨らませながら、水木は食材を買い物かごへと放り込んでいくのであった。