貿さんのベッドの下にあるもの。
@san_ph7
その人は、彼女がベッドの下に勝手に何かを置いていることに、随分前から気づいてはいた。彼の私室に、彼が仕事中にこっそりと戻る彼女の姿を何度か見たことがあったし、明け方、眠っている彼の隣をこっそりを抜け出て、ベッドの下から何かを引き出すような気配も感じたことがあった。大方、ベッドの半分を賃貸契約していることに絡めて、「ベッドの下の半分も、たぶん大丈夫」というよく分からない彼女のなりの理屈で隠しているものなのだろう。彼からすれば小癪な考えではあったが、害をもたらすことでもまして益をもたらすことでもなかったので、特に気にはしていなかった。こういう状況になるまでは。
仕事の合間に、私室に置いてある資料が必要になり、取りに戻ったときだ。中に人がいるのは何となく分かっていた。それが彼女なのも。ドアを開けた瞬間、バサバサと軽いものが落ちる音がした。部屋の中には広げられたトランクと、大慌てで小さな紙片を拾う彼女の姿があった。それに近づいて、その1枚を広いあげる。あ、と小さく制止の声が彼女から挙がったが、聞こえないふりをした。
見覚えのある文字に、見覚えのある簡単な絵が書き添えられている。彼は何か説明をするときに、そういった走り書きをすることがあった。用事が終わってしまえば必要もないので、捨てているものでもある。
彼女を見やる。
拾い集めたメモを両手で胸に抱きかかえて、床に座り込んでいる。うつむきがちではあったが、その顔は真っ赤に染まっていた。彼女の背後には、開かれたトランクがあって、その中には黒いビロードの張られた小箱がある。蓋は外れていて、そこに豪奢な石の嵌ったネックレスがあるのが分かった。それが彼女の「とっておき」で、普段は身につけず、何か特別な、例えば彼と出掛けるようなことがあったときにしか使わないものだということを、彼は知っている。きっと紙片の束とその小箱を一緒に落としたのだろう。そして彼女は真っ先に、何の変哲もない、その紙の方を先に拾ったのだ。
彼女は自分が耳まで真っ赤に染まっているだろうことに気づいていた。その人の顔を見ることができない。捨てたはずのメモを自分が持っているということは、それをいちいち拾っていることが知られてしまったということでもある。それに、今自分が大事に持っているものがただの紙切れだということも彼女はよく分かっていた。そもそも黙ってベッドの下にトランクを隠していたことも……朱に顔を染め、一連の全てが軽率な行動だったことを恥じた。もしかしたら、これを取り上げられて、軽蔑されても仕方ないかもしれない。それから、彼にとって価値のないものを大事にしている自身を少し悲しく思った。
彼はそんな彼女の様子を、手の中で紙片を弄びながら黙って見ていた。確かに捨てたはずのメモを、彼女が持っている。拾ったのだろう。別に必要なものではなかったし、それについて咎めるつもりはなかった。分からないのは、どうしてそんなものを大事そうに抱えているのかだった。見ての通りただの紙切れである。対して重要な情報が書いてあるわけでもない。本当にただの走り書きなのである。そんなものを何故? 彼には彼女のその反応は理解し難いものだった。
気まずい沈黙がふたりの間を流れた。
そうしてしばらくして、彼は紙片をピン、と指で弾いた。ヒラヒラと宙を舞ったそれが彼女の手に収まる前に、踵を返した。ドアを開けて外へ出る。彼にしては珍しく、しまった、という顔をしたのは、本来の用事を思い出したからである。再び部屋に戻ろうと真鍮の取っ手に手をかけた。しかし、中にいる彼女が、きっと安堵した表情でメモを抱いているだろう様子が有り有りと想像できて、そうして何故かそこへもう一度踏み込むことは躊躇われた。
胸がざわざわとする。
思い切り苦々しい顔をすると、彼はドアに背を向けて仕事場である船長室に戻っていった。