大枠の設定をふんふん練っていたもののうち、書きたいところだけを抽出したものです。
前後とか詳細を入れて繋げられる手腕はなかったねえ。
@xx_ruder_xx
朝の鐘が鳴る。余韻を残しながら音の消える丘の向こうでは深い群青が淡くなり、やがて燃えるような橙が滲む。転々とした三角屋根のシルエットの真上には、いまだ白い月が……残っているはずだった。確かに残っていた、昨日までは。
天頂から一等星を指差し確認していた男の指が月のあたりで止まり、ため息が漏れる。
「もうだいぶ旧いからな……」
男が指を振ると、何度か瞬いて月が戻ってきた。
時折、色収差のノイズを混ぜながら夜が明けていく。明けた空には『No.9 TOWER-System activated.』とメッセージが浮かんで消えた。
***
「だから早めに船に乗っテ欲しいと」
すっかり夜は明け、青空には薄い雲がたなびいている。
発光不良の月の下に脚立を運ぶのは、明け方に月に指を振っていた男だ。名はリムという。彼と並び歩くのは、管制用AIである。首元の識別コードにはNOINと記されている。リムよりも頭ひとつ程度背が低く、その髪色は明るくリムと対照的だ。もとからの色ではなく、経年による脱色だろう。適度に細かなキズの残る手には『本日のスケジュール』と表示された端末があるが、肝心の項目は空白のままだ。
「搭乗手続きはモう終わっているんですよ」
「お前勝手にやるなよ」
「手続きマではワタシの権限なのデ」
NOINが操作した端末をひっくり返してリムに見せる。今度は細かな文字で綴られた文書が表示され、リムはわざとらしく眉をしかめてみせた。文書の最後には空白のサイン欄が残されている。
「表明、乗らない」
リムが言うと、NOINは渋々という顔をつくり端末を操作する。本人表明の欄に設けられた『保留』にチェックを入れ、画面をオフにした。
「他の連中を乗せろって何度も言ってるだろ。俺はココが合ってるんだから」
「とは言えデすねぇ」
NOINの言葉途中でリムが脚立をどかりとおろす。手元のデバイスで操作を行うと脚立はするすると伸びていき、やがて身長の3倍程度の高さで止まった。リムが手を払う仕草をするとNOINも数歩遠のくが、会話を終わらせるつもりは無いようだ。
「もうこの塔の住人は皆乗りまシたよ」
「良かったじゃないか」
「だからあなたがラストなんだって言ってルでしょ!」
発光不良の月のパネルを剥がして背面を確認する。何度かオンオフを試すが、そもそもパーツが摩耗してしまっていては仕方がない。NOINに向けて点かないパネルを放ると、入れ替わりにそこそこ新しいパネルが放り上げられる。四方の接続面を何度かこすり、空いた場所へ挿し込めばすんなりとはまった。指の動きに反応して明滅する月光を確かめると、リムはそろそろと脚立を降りていった。
「今を逃したら次に乗れる日なンて、何十年先か分からナいんですよ。ただでさえあなた生身デ、さっさと老いちゃうんデすからね」
「生身なのは半分くらいだよ」
「半分生なら大体生デすよ」
「暴論だあ」
さらに言い募ろうとしたNOINが、不意に口をつぐむ。と同時に鐘の音が響いた。常緑用の樹木に備え付けられたスピーカーがかすかに揺れる。
朝の鐘と異なるそれは二音ではじまり、互いに追いかけあいながらやがてひとつの和音におさまり消えていった。鐘の音が終わる頃、空の色がかすかに明るくなる。
「正午だ、祈らないと」
脚立を再び脇に抱えたリムが、周囲を見渡す。
リムの寝起きする小さなロッジ。手遊びで作った畑は、排水孔を塞ぐなとNOINが何度か場所を変えさせた。リムの身長の3倍程度の高さで色を変えていく天蓋。遠近法とモニターで遥々見渡せるような気のする地平線。そして硝子で出来た小さな墓標たち。
「リム、もう墓標は増えまセんよ」
「増えないから置いて行けって?」
「そうではナく」
リムが墓標たちの前に腰を下ろすと、控えるようにNOINも静かに座る。鮮やかな芝生の中、硝子たちは思い思いに光を反射していた。NOINの目にとってこの光は少し眩しく、リムが目を閉じる姿に合わせてまた目を閉じた。光はまぶたの薄い人工皮膚を通してなお残る。
律儀に祈りの日課を続ける姿に、魂を信じているのかといつか問うたことがある。彼は曖昧に笑っただけだった。
祈られようが祈られまいが硝子たちは変わらず光を拡散するし、ここの何かが致命的に変わってしまうこともない。そもそも硝子の下には、遺体も遺灰もないのだ。
── 君たちがすべてやるから、ぼくらは祈るくらいしかできることがない
そう言っていたのは、何番目のグリムだっただろうか。
「ノイン、飯食ったか」
リムの声にNOINの思考が戻る。腰のあたりを伸ばしながらリムがのんきに見下ろしていた。
「イいえ、これから」
「それならちょうど良かった」
「作りまセんよ、あなたうルさいから」
「作ってやろうかって言ってんだよ」
差し出されてつないだ手は温かい。それはリムの手の温かさであり、NOINの人工体温の温かさでもある。今この塔にあるふたつだけの体温。
NOINは、硝子の底に思い出だけを埋める日々が来る前に、はやくどこかに逃げて欲しいと思う。しかしその姿を描こうとしても計算は途中で止まり、うまくいかないのだった。ずっとうまくいかないまま、しばらくはリムの作った料理を食べ、自分の作った料理に文句を言われるのだろう。
樹木のスピーカーからは姿の見えない鳥たちが鳴き、ランダムに形を変える雲の端には今日の天気予定と気温が並ぶ。
「上も片付けないとな」
「追々デすね」
声は遠ざかりながら上階へ向かうエレベーターと共に消えていった。