三日月と審神者が現世での一日を楽しむ話
@fu_re_re_ra
<展望台と三日月〜月高く〜>
「わっ! 今日はみかちゃんが一緒にいてくれるんだ!」
主は嬉しげに表情を綻ばせ、両手をぱちんと打って小さく跳ね、ひどく喜んだ。
そんな彼女に、リビングで跪座して主人の目覚めを待っていた三日月宗近は、ゆったりと微笑んで「うむ、そうだな。今日は俺が警護に当たるぞ。よろしく頼む」と応えた。
この本丸では、ひと月の大半を現世で過ごす必要がある主人のため、刀剣男士が交代で警護を行っている。
主人が眠る夜の間は短刀や脇差、時に打刀。外出する日中は太刀といったように、細やかに刀種を入れ替えながら、最大限、主人の安全を図る。歴史修正主義者による襲撃を防ぐための措置だ。
その指揮を全面的に担っているのは、彼女が信頼する近侍、鶴丸国永。
第一部隊を率いる加州清光、遠征指揮の燭台切光忠、内務を調整するへし切長谷部。
本丸と彼らの状況を全て俯瞰し、最も適したその日の警護刀を決める。鶴のその判断を、彼女は全面的に信頼している様子だ。
自ら帯びる刀を選ぶ時もあるが、概ね主は近侍に選定を委ねている。
それは、現世で唯一の命綱を、鶴に全て託して構わないと、無言で語っていることと同義だった。
驚き好きの鶴の方針で、その日の警護に当たる刀剣男士は、当日の朝まで伏せることも多い。
朝早く起きてきて寝室のドアを開けた彼女が、三日月を見つけて嬉しそうに笑った。
「みかちゃんだぁ、嬉しいな。ちょっと待ってね!」
極めてすぐ、慣らしのために現世で主と簡単な用事をこなしたが、三日月が本格的に警護に当たるのは今回が初めてとなる。
彼女はすぐに寝室へとんぼ返りして、引き出しの中を漁ると、何冊も仕舞ったノートの内の一冊を、パッと嬉しげに掲げた。
「見て見て! みかちゃんと行きたいとこ! いっぱい書いたの!」
兎のようにぴょこぴょこ跳ねながら居間へ戻ってきた彼女が、嬉しげに持ち帰ったノート。
表題に『みかちゃん』と、あどけない愛称が書かれている。
楽しげに広げたノートには、茶屋や食事処らしき名や、現世の遊技場と思われる場所、旅行先と思しき各地名、共に食べたい名産品まで、ずらりと書き込まれていた。
横から覗き込んだ三日月は、ゆったりと視線を滑らせると「ふむ」と思案しながら唇に指を置いた。
「これは、皆に書いているのか? 一振り一振り、全員?」
「うん!!」
軽やかに笑って頷いた主は、三日月の問いを、本当に当たり前のように、こともなげに肯定した。
それを受けて、三日月は頬を綻ばせ、ゆるりと微笑んだ。
「うむ、そうか、そうか」
三日月はしきりに頷いた。
子供のように無垢で愛情深く、一振り一振りを大切にする気性の主。
愛情を言葉で伝えることを躊躇わない彼女の振る舞いは、いささか面映いが、そんな彼女を皆が愛している。
「えへへ、どれにしよっかなあ」
楽しげに、指でなぞると
途中、その指が、止まった。
主は、幼いわらしのような笑みを急にやめ、真顔になった。
「……主?」
「あのね、みかちゃん」
すっと顔を上げた主は、訝しげに覗き込んだ三日月を、まっすぐ見つめ返した。
ぴょんぴょんと跳ねる小さな蹴鞠のような無邪気さはなりを潜め、銀鏡の池を思わせる静けさを纏った視線が、まっすぐな瞳に満ちる。
「行きたいとこあるや。みかちゃん、一緒に来てくれる?」
「もちろん。どこへなりとも」
三日月は凛と答えた。
主はふわっと花綻ぶように微笑んで、そうしてまた、子兎のようにぴょこぴょこと「美味しいものもいっぱい食べよーね!」と嬉しそうに笑った。
周囲に溶け込む現代服に着替えて歩く、現世の甘味処めぐりは和気藹々と楽しい。
普段厨番が配る菓子とはまた異なる、洒脱でハイカラな多種多様な食べ物は中々に興味深い。
様々な茶屋を梯子しながら、電車を乗り継いでずいぶん遠くまでやってきた。行き着いたのは、展望台だった。
すいすいと昇っていく、ガラス張りのエレベーター。
地上数百メートルの高さからは、街が一望できる。橙色に染まる街並みは、やがて来る夜に向けて静かに呼吸していた。
「綺麗だね。この辺りだといちばん高い展望台なんだ」
「うむ、街が一望できるな」
早朝に邸宅を出て、既に陽が傾き始めた夕暮れだ。
完全に陽が落ちれば、夜戦に必ずしも向かない三日月は、他の刀と交代する手筈になっている。
つまり、主人の旅路の目的地は、ここであるということだ。
「あのね、前に山伏っちゃんがね、山のてっぺんに連れてってくれたの」
山伏国広をいとけない愛称で呼ぶ主は、そうぽつんと口にした。
「わたしのこと軽々背負って、とっても綺麗な景色の中に、連れてってくれたんだ」
一面の雲海、美しい山の頂上
独りでは決して登れない山岳の頂きに、自分を背負って登ってくれたのだと。
絶景は美しくて、綺麗で、大きな本丸すら米粒より小さくて見えないほどで。
雄大な光景の中、自分も、どんな悩みも、ちっぽけに思えるほど、広大で美しかったと。
「その時ね、教えてくれたんだ。経験が無いことを理解するのは難しい、想像すら困難である。だからこそ修行がある、って。やまぶっちゃんはね、全てを笑い飛ばせるくらい強くなりたいんだって。そのためには、高い高い視座を持つことも大切で、だから、時々ここに来るんだって教えてくれた」
夕暮れの街並みを見下ろしながら
一つ一つの言葉を噛み締めるように、主はゆっくりと言葉を継いだ。
「エレベーターってすごいよね。スイッチ一つで上に昇ったり下に降りたり」
主は不意に、透明なガラス張りに、静かに手を付いた。
「ほら、あんなに人がたくさんいるのに。視座が高いと、簡単にひとりぼっち」
「……」
「鶴るんもね、すごく視座が高い。だからきっと、本当は簡単に、ひとりぼっちになれちゃうんだ」
夕陽に照らされた面差しで、彼女はゆっくりと振り返った。
「みかちゃん」
「なんだ、あるじ」
「鶴るんを独りにしないで。みかちゃんも独りにならないで」
真剣な瞳が、三日月を見上げる。
「月まで届かなくても、わたしもがんばって登るから。それに、おんなじものが見えなくても、手を引いてくれれば側にいられるよ」
「……主は聡いなぁ」
夕陽に照らされた真摯な面差しを、三日月は静かに見つめ返した。
三日月は、彼女に手を伸ばし、ゆっくりと、頭を撫でた。
なでなで、とされた彼女は幼気な子供のように目を閉じて、けれど、静かに三日月の手を取って、すり、と頬を擦り寄せた。三日月は静かに微笑んだ。
「そして、心優しい」
一切の見返りを求めない、透明な愛
彼女の愛は、そんなふうにひどく透き通っている。
将棋の戦略も、軍略も
本丸を率いるに必要な全てを、主へ教え授けたのは、鶴だ。
そら見ろ、たいそう筋が良いだろうと、自分のことのように喜んでいた。我が子を自慢するが如くだ。
そして彼女もまた、雛が親鳥を慕うように、心から鶴を慕っている。
この本丸で、ひどく聡明な鶴と主は、まるで親と子、師と弟子、そんな。
羽根を畳んで寄り添い合うようにして、日々を生きている。
「帰ろうか、あるじ」
優しく、あたたかな声音で。
夕陽の紅に濡れながら、三日月は微笑んだ。
「そろそろ鶴に、抹茶らてまきあーと、がたいそう美味だったと、自慢して悔しがらせてやらねば、な」