さめしし。ワンドロのお題「ひかり」「禁欲」で書きました。多忙のさめ先生と会えなくてもだもだするししさんが、さめの存在と愛をかみしめるお話。
素直に伝えてくれた、そのことが嬉しい。
@5_bluedaisy
『すまない、獅子神』
電話の向こうの村雨が、疲れた声でそう言った。
「……わかってるって。今夜も、来られないんだろ?」
できるだけ明るく聞こえるように気をつけて、オレは言葉を返した。仕事が大変なのは村雨のほうなんだし、会えないのを本当に残念がっている。それはよくわかるから、わざわざ不満を滲ませて村雨の負担になるようなことはしたくなかった。アイツに対してオレが感情を隠しきるのはほぼ不可能だけれど、だからといって努力しない理由にはならない。
『……ああ』
「オレんちに来られなくてもさ、帰れるなら家に帰って寝ろよ。無理せず、ちゃんと休んで」
『帰れるなら、あなたの家に行く』
言い終わらないうちに、即座にぴしゃりと返事が来た。
オレはそれ以上言葉を続けられずに、黙りこくる。スマートフォンのスピーカーからため息が響き、すまなかった、と小さな声が続いた。
「いや……うん。わかってるから」
『私も、早くあなたに逢いたい』
「……ん」
『もう行かなければ。あなただけでもゆっくり休んでくれ。愛している、獅子神』
「お前、また職場でそんな」
ふふっ、と少し調子を取り戻したらしい笑い声が流れて、電話は切れた。
オレは通話終了の画面を消してから、どさりとソファーに腰を下ろした。スマートフォンを放り出し、背もたれに体重を預けて眼を閉じる。
村雨と、もう何日も会っていない。
当然ながら、ソッチのほうもご無沙汰だ。今日こそあなたの家を訪れたい、と村雨は何度も言っていたし、だからオレも期待してしまっていたけれど、仕事なんだから仕方がない。
だからといって、ひとりで抜く気にもなれなかった。
もちろん、ヤれば多少はスッキリするだろう。村雨と会えないからって、完全に禁欲しなきゃいけないってコトもない。でも何となく気が乗らなかった。
どうせ気持ち良くなるなら、村雨と一緒がいい。
キスして、抱き合って、あちこちに触れられて。全身で村雨を感じて、熱を分け合う。迎え入れて、奥まで突かれて、受け止めたい。オレの中で果てる村雨の、あの時しか見られない堪らなく色気のある顔を見つめながら、わけがわからないほどの快感と幸福に包まれて、オレも果てたい。
——自然にそこまで想像して、ため息をついた。
「変わっちまったんだなぁ、オレ……」
以前の、ひとりぼっちだった頃のオレなら。
自分の快楽を他人に委ねるなんて、考えられなかった。世界には自分が踏みつけていいものと、自分を踏みつけようとする敵しかいなかったから。
だけど、真経津と戦って、負けて。
村雨に出逢った。アイツらと友達になった。
今のオレはもう、誰かと一緒に楽しむことを知っている。美味いものを食って、楽しく話して、笑って。
愛しい相手と触れ合って、抱き合って、深くキスをして、そして——
「だーっ! ヤめだ、ヤめ! もう寝るぞ!」
思わずまたその先を考えそうになって、慌てて頭を振って追い払った。これ以上ムラムラしてしまったら、面倒だ。
こういう時は追加でトレーニングでもして、体を疲れさせて寝るに限る。
「よし、やるぞ……明日は寝坊してもいいんだし、普段やってない筋トレとかも挑戦すれば……」
きっちり着替えて、準備運動をして、ストレッチから始めていく。時間を使ってあれこれ試していたら、結構汗をかいて、いい鍛錬になった。
心地良く疲労した体をシャワーに打たせていたら、また村雨のことを思い出した。でも、疲れの方が勝ってくれる。
髪を乾かして、戸締まりを確認して、ベッドにもぐり込んだ。もっと悶々として寝つけないかと思ったが、意外にすとんと眠りに落ちていた。
目覚めたら、いつもより早い時間だった。遮光カーテンの隙間に、うっすらと白い光が見える。
少し迷ったが、起き上がった。ハーフパンツとTシャツを着て、水分を補給してから外に出る。あいにくの曇り空だったが、初夏の今頃は日に日に朝が早くなる。この時間と天気でも、十分に明るく感じられた。
空は一面の重たい灰色で、空気もたっぷりと水分を含んでいた。いつ雨が降り出してもおかしくない天気だったが、かまわずに家を出て歩き出す。何となく、いつものペースで走る気にはなれなかった。コースも変えたくなって、普段は曲がらない角で幾つか曲がってみる。
そうして歩いていたら、知らない通りに出た。
片側二車線の、住宅街の中を抜ける大きめの道。両側の歩道に街路樹が植えられていて、新緑のみずみずしい葉を生い茂らせている。根元には植え込みが作られていて、少し伸びすぎた枝が勢いよく黄緑色の葉を広げていた。その葉と葉の間に、枯れかけたピンク色の花がたくさん残っている。
薄いピンク、濃いピンク。よく見れば、ところどころに白い花も萎れて残っていた。
「ツツジ、だったっけか……?」
確か、前に村雨がそう言っていた。子供の頃、花の根元から蜜を吸えるんだとお兄さんに教えられて、二人で花をむしっていたら怒られた、と。けっこう目立つ色だから、多分合ってるだろう。
「花が咲いてるうちに来てたら、蜜も吸えたのになぁ。そうすりゃ村雨にも」
いろいろ話せたのに。次は一緒に来てみようぜ、って言えたのに。
——そう考えかけて、はたと立ち止まった。
オレは花の名前なんて、ろくに知らずに育ってきた。もし村雨が話してくれてなかったら、このツツジにだってきっと目を止めなかっただろう。
村雨が、オレにくれたもの。形あるもの、無いもの、全て。
その大きさを思って、眩暈がしそうになった。
「村雨……っ」
名前を呼ぶと、ずくんと下腹が疼いた。溜め込んでいる熱を思い出したかのように、じくじくともどかしい感触が這い上ってくる。
でも、今どれだけ呼んでも、村雨には届かないのだった。
オレはぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばった。暴れる熱から意識を逸らし、感覚を周囲に向ける。
湿った空気、葉擦れの音、鳥の声。目の前の道を、車が一台通り過ぎていく。音からして軽トラだろう。
オレには、それくらいしか分からない。
だけど、もし今ここに村雨がいれば、きっともっと多くのことを感じ取っている。そうして自分の思ったことを、少しずつオレに共有してくれているんだろう。
マヌケだの何だのと、口では手厳しいことを言いながらも。
嬉しそうに眼を細めて、オレに微笑みかけながら。
顔を上げて、目を開ける。一面の白い曇り空が、ぼんやりと光っていた。
「はぁ……」
長く息を吐いてから、何度か深呼吸をした。
オレと二人でいる時の村雨、皆と一緒に遊んでいる時の村雨、そして賭場に立っている時の村雨。自分が知っている村雨の姿を、ひとつずつ思い出してみる。
いつだって、村雨は強くて、自信にあふれていて。オレに沢山のことを教えてくれて、オレを強くしてくれた。
我儘も得意で、言いたい放題で、でも可愛くて。オレの作った料理を美味そうに食って、甘えてくるのが嬉しかった。
お前は、間違いなくピカピカのひかり。
オレが掴んだ中でも、一等の輝きの。
だけど、人生は何が起こるかわからなくて。
何かの間違いで村雨が明日いなくなったとしても、オレはオレで生きていくしかない。
それでも、お前と過ごした時間が、オレの宝物で。
お前がオレの大切なひかり、生きていく道標だから。
出逢わなかった頃には、もう戻れない。
戻りたくも、ない。
「なんだ……オレ、やっぱり会いてぇんじゃねーか……」
口にしたら、いっそう実感が強まってきた。
会いたい。触れて、確かめたい。
この世にちゃんと、お前がいるって。
オレのことを愛してくれている、お前が——
ピリリリリ、と音がした。
自分のスマートフォンだ、と分かるのに一瞬、時間がかかった。慌てて両手でポケットを確かめて、右から取り出して画面を見つめる。
やっぱり、村雨だった。
「……もしもし」
『獅子神』
耳に当てると、すぐに村雨の声が流れ出た。
『よかった。起きていたな』
「お前、こんな早朝に……家、帰ってないんだろ。ちゃんと寝たのかよ」
『あなたは、散歩か?』
オレの言葉は全く意に介さずに、村雨はいきなり尋ねてきた。
「え?」
『雀の鳴き声がする。遠くに、車のエンジン音も』
確かに頭上では、雀がチュンチュンと飛び回っている。道の向こうから、車も近づいてきていた。
村雨は淡々と言葉を継ぐ。
『外にいるのだろう? だが、あなたは特段、息を切らせているというわけでもない。だからランニングではなく、散歩かと訊いた』
「ははっ……」
オレは半分引き攣った声で笑いながら、内心で唸った。
電話が繋がって、十秒も経っていない。それでもこれだけ的確に状況を読み取るのが、村雨だ。
本当に、なんてヤツだろう。
『……何があった』
少し間を置いて、村雨が言ってきた。オレがいつもと違う行動をしていたからだろう、心配しているのが伝わってくる。
「何でもねーよ。ただ……」
迷って、オレも間を置いた。
でも、正直に言うことにした。きっと村雨も、それで喜んでくれるんじゃないかという気がしたから。
オレの気持ちを、伝えたい。
「会いてぇな、って思っただけ。早く、オメーに」
一瞬、村雨が息を呑んだ。
電話の回線越しでも、何故かはっきりとわかった。隣に居る時と同じか、それ以上に。
直接心が繋がったみたいに、閃いた理解。パッと眩いひかりが、目の前に広がったみたいだった。
オレも、村雨に言って良かったんだ。負担になるとか、そういうことを気にするんじゃなくて。
もっと会いたい、一緒に居たい、って。
『……私もだ』
嬉しそうな声が、耳に届いた。
良かった、と思いながら、オレは続きを待つ。
『早くあなたに触れて、存分に抱きしめたい。まったく、いくら仕事とはいえ、健康な成人男子にはあるまじき禁欲生活が続いているのだからな。いい加減に勘弁してもらいたいものだ』
滔々と述べ立てられる村雨の愚痴は、本当に心底うんざりしている言い方で。
オレは可笑しくなってきて、くすくすと笑い出してしまった。
「……ほんっとオメー、そういうトコ正直だよなぁ」
『この点については、あなた相手に見栄を張っても仕方あるまい。今夜こそはあなたの家に行くから、覚悟しておいてほしい』
「覚悟、って」
相変わらず怖ぇ言い回しをしやがる、と思ったが、そんな村雨も可愛かった。
それに、オレも同じだった。
「いや、オレもお前に相当逢いてぇんだから。お前こそ覚悟しておけよな」
『……ほぅ?』
「激務で睡眠不足でお疲れのセンセイに、オレがいっぱい気持ちイイことしてやるよ。でも来たら、まずは風呂と食事と、あとマッサージな。疲労溜めたままでどっか攣ったりしたら大変だからな」
『ふふ、成程な。食事は、肉を焼いてくれ』
「もちろん、準備しとくぜ。でも野菜も食えよ。それから……」
会話を続けながら、オレは歩き出した。
早朝の職場にいるはずの村雨の状況はわからないけれど、楽しそうに話してるってことは、まだ大丈夫なんだろう。無理だったら、村雨はちゃんとそう言ってくる。だから、オレは余計な心配をせずに、今のこの時間を楽しめばいいんだ。
その方が、村雨もきっと嬉しい。
ツツジの植込みに背を向けて、家に帰る方向に角を曲がる。いつのまにか雲の一部が薄くなっていて、切れ間からあたたかいひかりがこぼれ落ちていた。