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いいね泥棒

全体公開 アルカヴェ 82 7572文字
2025-05-18 21:34:17

SNSがある謎世界観すめ~~るのアルカヴェ

Posted by @dounudon



 アルハイゼンについて、つまらない生活を送っていると評する者たちがいる。
 いわく、毎日定時退勤を徹底しているわりに浮いた噂のひとつもない。目撃情報があるとしても退勤後の酒場で親しい同性の友人たちとつるんでいるか、ひとりグラスを傾けているか、彼らしい書物を商人とやりとりしているか、あるいはひどく世帯じみた買い物をしているところくらい。なるほど、事実だ。浮いた噂が誰かの人生のなにかを示す指標になるとはティナリには思われないが、そういったものを生活を華々しく彩る最たるものだと考える人々は一定数いる。驚くのはスメールのような知恵の国であってもその価値観が現役であること、その知識の中枢たる教令院に属している者であってもそれを平気で振りかざすことだ。結局、どれだけ知識を積み重ね、知恵の高みを目指していても、ひとの本質とはそう変わらないものなのだろう。そういった人々から見れば、たしかにアルハイゼンの生活は起伏がなく退屈だ。
 草神救出の英雄(ティナリはいつもこの称号に笑ってしまう)アルハイゼンが代理賢者を辞したことでその傾向はいっそう強くなった。教令院に残って学究の途を邁進すると決めた多くの人間が喉から手が出るほど切望している最終到達点を、彼はあっさりと離れたのだ。
 もともと大賢者にと請われていたのを代理賢者で手を打ったという話が広がった際も教令院内のざわめきはすごかったが、クラクサナリデビ直々の慰留さえ歯牙にもかけずに辞任したという事実が――そう、事実だ――周知されたときの教令院はほとんど激動だった。
 地位は知識と同じく努力の結実だと見る上昇志向のつよい若手たちは「なにが不満だったんだ?」「ほぼすべての人間が一生かけても出くわせないチャンスを書き損じた論文より簡単に捨てるなんて、傲慢か無責任のどちらかだ。あるいは両方」と荒れ狂い、経験と年功に知識は堆積していると考える保守的で老練な学者たちは「やはり若さとは欠点なのだ。重責を背負いつづけるだけの胆力に欠ける未熟者。彼は研究の才はあるが、政治の素質はない」と切り捨て、陰謀論者たちは「これはある種の粛清なのでは?」「まだ大団円には早く、裏でとんでもないことが起きているのかもしれない」と疑心暗鬼になった。
 もっと身近なところでは、大賢者の失脚から代理賢者の就任・辞任のスピード感にせっかく落ち着きを見せはじめていた現場がまたしてもぐちゃぐちゃだと嘆く事務担当の実務主義者もいた。すべてを俯瞰しているつもりで腕を組み、つまるところアルハイゼンがつねに「選べる」立場にあることを嫉妬混じりに冷笑する者もいたし、はたまた、アルハイゼンの行動をことさら求道的に捉えて権力に縛られず知を追う究極のスタンスだと称賛する者もいた。
 ちなみにアルハイゼン自身はこれらの反応をすべて承知のうえで、当然のことながら一切気にしなかった。それはそうだろう、これらよりうんと率直でアグレッシブな反応を彼はおそらく同居人に真っ向からぶつけられている。そしてもちろん、アルハイゼンはそれも気にしない。
 大賢者にという千載一遇の勧誘を退け、代理賢者という願ってもない立ち位置を放棄し、一介の書記官として書類整理や申請などの地味で細々とした実務と格闘したのちに定時退勤する日々を選ぶ。アルハイゼンのことを個人的に知る機会がない人々にとって、これほどおもしろみのない生活はない。
 だが、最近、すこし風向きが変わってきた。
「書記官のアカウント見た?」
 若く甲高い声が言う。ティナリの耳がぴくりと動く。知論派の若い女学生ふたりが並んで歩いていた。
「見た!」
 話を振られたほうの学生がより興奮して応えたので、文字どおり聞き耳を立てていたティナリのほうがびっくりした。
「昨日のごはんもおいしそうだったぁ。毎日頑として定時退勤にこだわるので有名な偏屈ってきいてたけど、まさか早く帰って自炊に励んでるなんてね」
「昨日のビリヤニ、ボリュームすごかったもんね! どうする、今日の夜はビリヤニ食べにいく? 書記官の写真にあったフォンテーヌ風のスープは無理だけど……いいなあ、私もごはん作って帰りを待っててくれる恋人がほしーい」
 夕食が決まってきゃあきゃあ盛り上がっている彼女たちの声がじゅうぶん遠くなったところで、ティナリはようやく我に返った。
 そう、これだ。
 アルハイゼン書記官のアカウント。
 いま、スメールではSNS人気が沸騰している。あの一件を受けて運用停止となったアーカーシャのネットワーク――その一部を再構成し、かの偉大なる発明の平和的再利用の可能性を模索して生み出されたプロジェクトだ。スメールに暮らす人々なら誰でも自由に参加し、短い文章と、写真機を扱える者は写真も掲載することができる。当初はさほど関心を持たれず、それどころかかつてのアーカーシャの利便性を忘れられない怠惰な学者たちには酷評される始末だったが、そのうち草神をはじめ国の要人たちが次々と投稿をはじめたことで一気に浸透した。頭でっかちの学者よりはアーカーシャの恩恵をあまり受けていなかった市民層のほうがより柔軟に受け入れていった。いまでは、大マハマトラの一日一ジョークを楽しみにしている奇特な者もいれば、ズバイルシアターの誇る踊り子の自撮りを待ち望んでいるファンもいる。
 そこで、アルハイゼン書記官のアカウントなのだ。
 それは一ヶ月ほどまえに突然誕生した。はじめての投稿は酒のなみなみと注がれた杯の写真だった。あまり酒の席らしくない、しかし学者の酒宴にはありがちな謎のメモが散らかった雑然とした卓の様子。意図的かどうかは定かでないが背景はぼやけていてそれ以上のことはわからない。人間や人間のかけらはひとつも写っていなかった。文章も投稿のカテゴリを示すタグもない。うす暗い写真一枚がシンプルに投稿された。その時間が時間だったため、一部では酔った勢いでアカウントを開設してしまったのではないかとささやかれている。
 このSNSではある程度匿名性を確保することもできるが、アルハイゼンはアルハイゼンであることを最初から隠しもしなかった。誰かが見つけ、SNSの機能で再投稿した。そのときはさほど広まらなかった。
 それからというもの、そのアカウントは時折写真のみを投稿するようになった。文章はない。タグもない。酒ですらない。いや、ときどき酒も映っていることはあるものの、はじめのようにそれが主体ではない。
 食卓の写真。それがアルハイゼン書記官のアカウントのすべてだった。
 明らかに店で提供された料理ではないとわかる、しかし誰しもが原始的で素朴な欲求をそそられる上等な家庭料理。しかも毎日ではなく、多くて週に四日ほど。それがなぜか人々の好奇心に火をつけた。
 はじめはあまりにアルハイゼン書記官らしくない内容に質の悪いなりすましを疑われていたが、英雄仲間や彼と交友があると言われる人物から軒並みフォローされていたために図らずもその真実性が立証された。そうなるともう止めるものはない。彼の投稿は最初の凪が嘘のように拡散され、ものすごい数のおおむね好意的なフィードバックを獲得しはじめた。
 ひとはギャップによわい。特に異性のギャップに。アルハイゼン書記官がこんなに熱心な自炊派だったなんて、といままで彼に目を向けてもいなかった女性たちが一斉に色めき立ち、せいぜい週に四日という頑張りすぎていないリアリティがいい、と胸を押さえた。
 匿名性という鉄壁の盾を得た人々は軽率にコメントをつけた。わけても、ふだん教令院内でアルハイゼンの姿を見かけたら反射的に身構えるであろう学生たちの異様な積極性は特筆すべきだった。
 おいしそう!
 レシピ教えてください!
 当然アルハイゼンは無視をする。無視というか、端から目を通してすらいないのだろう。だが、その徹底した無反応が人々をさらに大胆にした。絶対に返事をしてこない木の洞に向かって悩み相談をするようなものだ。向こう側に誰もいないと思い込み、あらかじめ反応がないことを知っていればなんでも言える。
 いつも一緒に食べてるのは恋人さんですか?
 おいしいごはん一緒に食べられるのいいなあ~
 そしてこれこそがアルハイゼンのなんでもない食卓の風景に注目が集まっている理由の筆頭だった。――彼の投稿する写真にはいつもふたりぶんの食器が写っている。
 彼の暮らす家のテーブルは大きく、家人たちはいつも対面を避けて卓の角を挟んだ斜向かいに位置取って食事を摂っている、らしい。これはアルハイゼンではないほうの住人にきいた話だ。そのほうが大皿を置くときも食事中にメモを使った論争になった際も都合がいいからだという。そういうわけで、アルハイゼンの撮影した食卓の風景にはいつももうひとりぶんが映り込んでいる。ただし、人間がそこに入り込んだことはない。生体を構成する一部が掠めたことすらない。彼は何事も一貫していた。
 それがまた人々の興味を掻き立てた。コメントでも最初は若干慎ましやかに「誰と一緒に食べてるんですか?」だったものが、段々「あの書記官が毎日一緒に食事をしているだけでなく、食事の用意までしているのだから並々ならぬ仲なのだろう」という推測になり、そのうち「恋人と一緒に生活している」という決めつけになった。アルハイゼン書記官は多ければ週四で食事の支度をしている意外な家庭人として急激に評判を上げた。
 むろん、アルハイゼンと個人的な会話を交わす機会があり、彼の人間性とその生活様式をよく知っているティナリはそんなふうには思っていなかった。あれらはアルハイゼンの手製ではない。その見解はセノとも語り合い一致していた。ティナリはアルハイゼンよりも同居人のほうとより距離が近いので、最近はアルハイゼンもなかなか料理をするということは耳にしていたし、その料理を現に振る舞われたことはないため本来断言してはならないのだが、それでもはっきりと言えた。
 あれはアルハイゼンのつくった料理ではない。
 同居人が「典型的な腹に入ればなんでも一緒教の信者」――悪徳の奴隷とまで言い切った――と嘆く男のつくったものにしては、彼の写真に表れた食卓は丁寧すぎた。アルハイゼンはべつだん粗雑な性質ではないが、香味ミートロールの皿にエディブルフラワーを添えるような気の回し方は絶対にしない男だった。食材の色味や高低差、対称性にこだわって盛り付けの意匠に心を砕くこともないだろう。丸型の皿にリース状に、八角形の皿にシンメトリーになど、配置を細かく意識することもないはずだ。毎回必ず用意されている果実やスイーツなどの甘いデザートもいよいよ彼ではない誰かの意思をつよく感じさせた。
 大盛りのビリヤニ、フォンテーヌ風のきのこのクリームスープ、目に鮮やかなサラダにみずみずしいフルーツ。
 待ち合わせの時間が迫っていた。ティナリはうっかり再度眺めてしまった昨夜のアルハイゼンの投稿を閉じ、教令院の出口へ向かって踵を返した。
 だいたい、アルハイゼンが自身のつくった料理をわざわざ記録するわけがないのだった。



「最近ずいぶんと人気みたいだね」
 いつもの酒場でいつもの友人たちと集まるのは久々だった。そこそこ時間をかけて打ち込んでいた案件の落ち着いたらしいカーヴェから誘いがあったのだ。乾杯の音頭をとったのも「今夜は僕が出すから遠慮なんかしないでくれ!」という一時的に懐があたたかく喜色満面のカーヴェだった。
「人気? アルハイゼンが?」
 ティナリは明らかにアルハイゼンに向けて話しかけたのだが、顔を上げたのはカーヴェだ。当のアルハイゼンはカーヴェが代わりに反応したからいいだろうとばかりに盃のなかの琥珀色の液体を見つめている。
「例のSNSだよ。『家庭的な』アルハイゼン書記官の人気はいまやストップ高なんだからね」
 カーヴェは露骨に顔をしかめた。
「家庭的? アルハイゼンが? それに君、SNSなんてやってたのか? いつからだ? 知らないぞ! もしかして僕だけ仲間はずれに……
「知らないはずはないだろう。俺のアカウントを作成したのは君だ」
 そんなことだろうと思っていた。ティナリは黙ってこの会話の行く末を見守ることにした。もとよりセノは手札を見比べながら熟考しており、このやりとりに割り込んでくる気配はない。
「なんで僕が」
「国の有事も一段落してせっかく顔も売れたんだからちょっとは社交的な一面を見せてみたらどうだとかなんとか言って前のめりになったのは君だろう。ちなみに、君が設定したパスワードはKaveh0709だ」
 うわあいちばん設定しちゃいけないやつ、と呆れたティナリの視線は自然とセノとかち合った。それはすなわち七聖召喚と向き合っているあのセノをも振り向かせる負のインパクトがあったということにほかならないが、どうしてかカーヴェは得意げに胸を張った。
「大小の文字種に数字も入っている完璧なパスじゃないか。君のアカウントに不正アクセスしようとする異常者がもし――もし万が一この広いテイワットのどこかにいたとして、まさか僕の個人情報をパスワードにしているとは思い至らないだろう!」
 徹夜明けの仕事終わりから夕方の集合時間まで部屋にこもって睡眠を取り返したというカーヴェは全身がつやつやと、妙にはつらつとして、どんな冷水をも跳ね返す無敵のオーラがある。
「ちょっと待て、じゃあなんで僕は知らないんだ?」
「いくら君が知論派ではないとはいえ、手に届く範囲の言葉くらいは正しく遣ったほうがいい。あの日君はしこたま飲んでとことんいい気分になり、俺をソーシャルネットワークと勝手に結びつけたあと、教令院で最近話題の妙論派の論文に関して言い争い、形勢が悪いとみれば途端にどん底の気分になって『SNSでまで君の近況を知るなんてまっぴらだ! どうせ家に帰ればいるんだからそれで充分だろ!』と言い張って俺のアカウントをブロックしてそのまま寝た。こういうのは知らないじゃなく忘れたと言う」
 しかしアルハイゼンは冷水の専門家だった。現実を突きつける行為は時に悪意あるでっち上げよりも鋭く相手を貫く。あまりにも理路整然と、文句のつけようがないカーヴェらしすぎる経緯ならなおさら。
「う……だからって、そんなにおもしろいことになってるなら内緒にしなくたっていいじゃないか」
「お前、そもそも最近仕事にかかりきりで外出どころかSNSに浮上すらしなかっただろう」
「そうだよ。僕たちだって機会があれば伝えたさ。こんなにおもしろ……興味深いこと、なかなかないからね」
 カーヴェはため息を吐き、それもそうか、と肩を落として納得した。すこし髪が伸びている。それほどの期間顔を合わせていなかったのだ。この一ヶ月彼が教令院に出入りしていたとしても、どのみち仕事のことで頭がいっぱいになっている状態では噂話の尻尾を掴むことはできなかっただろう。ひとつのことに意識を囚われている彼は見ているほうが不安になるほど危なっかしい。
「そういうことなら、我らがアルハイゼン書記官が近ごろ巷で人気の理由を自ら見つけにいくとしよう」
 そこから三分間は穏やかな空気が流れた。アルハイゼンは今夜の琥珀色を気に入って店主に追加を頼み、セノがようやくダイスを転がしたことで場の局面にも順当な変化があった。
 カーヴェは……当初まっすぐだった首を右に傾げ、左に傾け、眉を寄せ、折った人差し指でこめかみと頬のあいだをつつき、そして、
「いいね泥棒だ!」
 と声を上げた。
……センセーショナルな表現だね」
「セノ、ティナリ、騙されないでくれ、アルハイゼンが我が物顔でアップしてる写真はぜんぶ彼じゃなくて僕のつくった料理なんだ」
 それは知っている。驚きはない。それはセノも同じだった。
「我が物顔でも構わないだろう。すべて俺のために出てきた料理だ」
「ああいいさ、その点では我が物顔でもな。でもこのいいね♡の評価とか――『おいしそう!』『レシピ教えてください!』『私も偶然昨日同じメニューに挑戦したけどこんなに上手にできなかったから尊敬です!』とか君が無限に受け取っているこれらの賛辞は、本来僕がプレゼントされるべきものだろう! 大マハマトラ大変だ、いいね横取りの現行犯がここにいるぞ」
「お前の手料理が学術的資産だと公的に認められてから訴えを起こしてくれ」
「君も対抗して自分の料理を投稿してみたら?」
 なぜか顔をあかくしたカーヴェが懸命に首を振る。
「そんなことできないよ! こんなのただの家庭料理だ、わざわざ見せびらかすようなものじゃない。だいたい君、アルハイゼン、なんだって僕がつくった日だけアップしてるんだ? 君のつくったアアルコシャリは? 肉も追加した贅沢カレーシュリムプは? どれもべつに恥ずべき出来じゃなかっただろ。それに、このあいだ気分転換に出かけたオルモス港で食べた夕食は? ああいうのこそSNS向きなのに」
「嬉々として俺のアカウントを開設しながら、記録として残したいものを投稿するといいと説明したのは君だろう」
 ちょうど喉を通り過ぎようとしていた酒が危うく気道に落ちかけたティナリは慌てて胸を叩く。かろうじて噎せる直前で我慢できたが、無茶な動きをさせられた喉はしくしくと痛んだ。
「たしかに、君は一度つくった献立ならまったく同じように再現できるだろうし、店は厳密なレシピを備えているだろうから僕の料理がいちばん一期一会ではあるけど……わかった! じゃあこうしよう、今度からは僕がつくったって生産元表記をはっきりしてくれ。それなら褒め言葉はぜんぶ僕に向けられたものになる」
「いいだろう」
 ティナリはふたたびセノと視線を交わす。セノは眉ひとつ動かさないものの、言いたいことは非常によく伝わった。
 カーヴェは話はついたとばかりに満足げだし、アルハイゼンも満更ではなさそうだ。おそろしいのは今夜のカーヴェはまだ酒に手をつけていないことで(「悪酔いしそうだからまずは腹を満たすとしよう」)、酔い任せのやけっぱちでも開き直りでもなく、しらふの本心からこれを言っている。それが見ている側にとってどういう意味を持つのかまったく考えていない。
 こんな相手と望んで一緒に暮らしているアルハイゼンがつまらない生活を送っているって? 知らないことが罪になる場面はたしかに存在する。鼻を鳴らし、ティナリは今度こそちゃんとしたやり方で酒を味わった。


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