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キリシタンすり抜け主と鶴丸国永〜祭囃子よ、さあ、驚きの詩を歌え〜

2025-05-21 22:26:48

※葬送後(三代目時代)
※たづがね、白鞘辺りの設定を継いでます

白鞘→ https://privatter.net/p/11330710
たづがね→ https://privatter.net/p/11469698

祭囃子よ、さあ、驚きのうたを歌え



《Prologue〜愛の後遺症〜》

快晴の空、軽やかに近付きつつある初夏の気配が滲む。
泥だらけで畑仕事を終え、粟田口の短刀たちと共に玄関を潜った彼女は
「ただいまぁ、鶴るん。豊作だよ〜」
と向日葵のような笑顔で笑いかけた。

玄関で何をすることもなく、ただじっと寄り掛かって彼女の戻りを待っていた鶴丸国永は
軽装の白の両裾に手を入れ、片眉を落とすように、無言で微笑みながら迎え入れた。
「ほら、いっぱいだよ! あのね、歌仙が美味しいスープ作ってくれるって! 楽しみだなぁ!」
丸々と肥え太ったトマトを籠いっぱいに抱えて笑う彼女へ。
鶴丸はかすかに頷きながら、一歩踏み出して出迎えて

おかえりと、言おうとして
喉が、凍り付いた。

…………?」
はく、はく、と音にならない声に
鶴丸は表情を凍らせて、片手で自分の喉に触れたまま、かく、と膝を折った。
……? ……?」
唇をぱくぱくさせたまま、声の出ない自分に困惑するように、青ざめたまま崩れ落ちた鶴丸に、玄関を潜った光忠が青ざめて「鶴さん!?」と肩を支えた。

はくはく、と唇だけを動かす鶴丸に、光忠が顔色を変えた。
「鶴さん、声が?」
「鶴るん!?」

彼女が慌てて触れたところから、まるで雪が氷解するみたいに温かさがなだれ込んで、こわばりを溶かしていく。
…………
「鶴さん、どうしたの、なにが」
「鶴るん!」
……けほっ……じょう、ぶだ」

掠れた喉が、声を徐々に取り戻していく。
だいぶ時間は掛かったが、次第に元通り声が出るようになった鶴丸は、心配を掛けたことを静かに詫びながら、自分を案じる二人へ首を左右に振ることを繰り返した。

彼女はひどく心配そうにしながら、黙ってぎゅっと鶴丸を抱きしめた。
そうして鶴丸は、心配げに寄り添う彼女と共にやがて玄関を後にした。


燭台切は立ち尽くしたまま、彼らの背中を見送って、その背にゆっくりと追い付いた加州清光が、横で黙って靴を脱いだ。

「加州くん」
「ああ」
加州清光が、自分の頭をもどかしそうにぐしゃりと掻き回した。
「あいつ、まだ一度も、あるじにおかえりって言えてないんだ」


あの日
ただいまと笑った彼女に
おかえりと言ってしまったら
受け入れてしまったら
また、見送らなくてはならない。彼女を天寿で喪う日を。



「この大馬鹿がぁ!!! 俺は! お前を! 金輪際! これっぽっちも! 信用せんからなァ!!」

あれは、鶴丸が掘り起こされて間もない頃。
最低限の手入れを終えたばかりで、床に伏せたままの鶴丸のもとを訪ねて、長谷部はそう声高に怒号を上げながら、鶴丸にビシッと指を突き付けた。
「番長命令だ、ぜっっったいに目を離さんからそのつもりでいろ!! 既に輪番体制は組んだからな! まかり間違っても撒こうなどと思うなよ、逃げたが最後、監禁も辞さんからな、いいな本気だぞ、分かったな!?」

長谷部の不器用な本気の心配の叫びは、できれば鶴丸国永のふざけた笑みで返されるべきものだった。それこそが、何よりこの場にふさわしいはずだった。

そう、たとえば。
おいおい監禁たぁこいつは驚きだな、そう期待されちゃあ、驚きの逃走経路の一つも披露するべきかい?
そんなふうに軽やかに笑い声を上げて、のらりくらりとかわすのが、かつての鶴丸だった。
だが、鶴丸国永は、今はただ黙って儚げに苦笑するだけだった。


墓土から掘り起こされた今の鶴丸国永は、衝動的に自らの喉を突きかねない危うさを纏っている。

春の暖かさに、ようやく解凍され始めた鶴丸国永の心の半分は、まだ。
彼女を喪った土の中から抜け出せていないのだ。



鶴丸国永は彼女を愛している。身を焦がすほどに、その心鉄が焼け落ちて擦り切れるまで。
だが、今もなお愛している彼女の隣だからこそ、一度焼け落ちた心の臓が痛むのだろう。

愛にもリハビリが必要なのだ。
喪うということの味を、こんなにも思い知った後には。


仕様が無い、無理もないだろう。
鶴丸を深く知る連中は皆、心配げに胸を痛めてそう口を揃えた。

いつか最愛を喪う鶴丸国永から
一度最愛を喪った鶴丸国永になったのだ
後遺症の一つや二つ、無い方が不自然ってもんだろ、と。





「おやすみ、鶴るん、貞ちゃん」
「ああ」
「おやすみ、主。良い夢見ろよな」
布団の中で、にぱっと二振りに向けて笑った彼女は、間も無く、すやすやと寝息を立て始めた。健やかで寝付きの良い彼女の眠りを見守る。

女人の寝所の警護では、不寝番の短刀だけが枕元に付くのが慣例だ。
打刀以上の刀種は寝屋ねやに入らず、襖の向こうに控えるのが本来の習わしだった。鶴丸も以前は、襖の向こうで一晩中控えていた。

だが、布団の中にいると、晩年伏せっていたのを思い出すらしく、寝室から頑なに動こうとしないので、彼女は、仕様が無いなあ、という顔をして、鶴丸が布団脇でうずくまることを許した。
一晩中、手を握りながら。短刀の不寝番の隣で。

彼女が深く寝入った側で、眠りを邪魔しない密やかな声で、太鼓鐘はささやいた。
「大丈夫だぜ、鶴さん。俺らの主は、今ここに居るじゃねえか」 
膝を抱え、いつか再び来る喪失に怯え、膝に顔を埋める鶴の隣で、繰り返し太鼓鐘は、鶴の背をさすった。

襖一枚隔てた向こうで、刀を抱いた大倶利伽羅が、無言で目を閉じ、控えていた。
帰って来た主人に命じられるでもなく、自主的に。

夜が明けるまで三振りは、ただただ、時を重ね続けた。
主が目覚め、再び時が動き出すのを待ちながら。



頬に入った錆びた斜は、手入れでも消えず
彼の手を引いて政府に向かえば
フードを深く被ってもなお、好奇の視線が刺さる

ひそ、ひそ、と。
そう、あれは、余程、虐げた証のように見られる

「すまない、きみ。オレのせいで、きみに余計な視線が行く」
「大丈夫だよ、鶴るん。わたしがちゃんと、分かってるからね」

ぎゅ、と手を繋いで、熱を分かち合いながら。
ただ、ただ、心の底から慮る優しさだけを返して、安心させるように笑いかけた彼女に、鶴は申し訳なさそうに、眉を落として控えめに双眸を緩めた。

今から一世紀以上も前のこと。
天寿を全うした主人の骨壺を抱き、心から愛した者と共に、鶴丸国永という刀は、冷たい土の下を寝床に選んだ。
主の骨と共に朽ちる望みは叶わなかった。だが、彼女の跡を継いだ二代目の尽力によって、輪廻した少女は再び、奇跡的にこの本丸の敷居を跨ぐことになる。

「ごめんねえ、鶴るん。あのアホみたいな量の霊力が今もあったら、治してあげられたかもしれないんだけど」

繋いだ手が、
指を絡め、固く握り合い、熱を分け合う。

「わたし今回、霊力も成績も落第ぎりっきりなんだよねえ。うーん、今思えば、もしかして前ってだいぶチート??」

明るく笑い飛ばしてみせる彼女のぬくもりに、鶴丸が拙い微笑みだけを返す。
ぎゅ、と強く握り返す手のひらの温かさが、冷たく血の気の引いた白い手に伝わるように。

「まあ、前みたく切り札は無いけど、それでもやってみるよ。みんながいるから、きっと大丈夫」



傷付けたくて一緒にいたんじゃない
苦しめたくて戻って来たんじゃない
愛しているから戻って来たの
大切だから帰って来たの


置いていかないでくれ
耐えられない、二度きみを喪うことだけは

愛している
愛しているよ





◇ ◇ ◇


「ご苦労だったね。今日はこれで終いにしよう」
山姥切長義は、ボードを構えてチェックリストを全て確認すると、定期監査の終了を告げた。

……鶴るんの状態は、どう?」
「解除した封の術式の痕跡に問題はない。反応も安定している。……ただ」

即答の中に、冷静な肯定。
一時的に顕現を解かれた白銀が、政府の検査室の刀掛けに剝き身で静かに置かれている。

政府に古くから所属する山姥切長義は、かつてと同じく、鶴丸の封蝋処置の終了と経過観察の役目を果たしている。
長義はこう診断を下した。

「やはり当分は、白鞘がこのまま欠かせないだろうね」

白鞘とは、刀剣男士が拵えを外し、手入れでも容易に直らない、年単位の回復を要する場合に使われるものだ。
握りどころか鍔すらない、無垢の白木の鞘の中に丁子油を引かれて収められた刀剣男士は、深い休眠に入る。
本来なら鶴丸も、最低でも数年、あるいは数十年に渡って休眠に入るべき状況にある。

だが、鶴丸自身がこれ以上の眠りにつくことを拒んでいる今、彼の眠りは酷く浅い。故に回復もひどく鈍い。

かつては見事な誉れ傷三つの他に傷なく、完全無欠の美とも称されるほど美しい白銀だったその細い刀身には、今や遠目から素人が見ても分かるほどくっきりと錆が侵食していた。
幸い、芯までは届いていないものの、下手に無理をさせれば脆くなったその場所から、ボッキリと真っ二つに折れかねないほど深い錆だった。

命はあるが、戦えない。刀剣男士としては致命的だ。
一世紀以上の刻を墓土の下で骨壷と過ごした、副葬品として容易には消えない痕跡だった。

「引き続き、拵えは全て外して、武装は強制解除したままにしておくことだね。見ての通り、下手に戦闘に出せば容易に折れかねない。回復には時間がかかるだろう」
「あのね、長義せんせー」
「なんだい」
「やっぱりこんな心許ない霊力量じゃ、鶴るん治してあげられないかな」
「まあ、厳しいだろうね。だが、言い換えれば以前が多すぎたんだ。あれには弊害も多かった」

長義は背筋を正したまま、カリカリと静かにペンを滑らせた。
チェックリストの最後に書かれた日付の欄に、きっちりとした筆致で署名を記す。
手つきはどこまでも確かで、迷いない。

彼女はその様子を、じっと見つめていた。
厳しい現実を誤魔化すことなく、ただ事実だけを告げる彼の横顔を。

「まあ、地道にやる他ないだろうね。何年掛かるか定かではないが」
「ん、そうだね。やれることから諦めずに頑張ってみるよ」

にぱっと彼女は明るく笑ってみせた。

過去に二級指定危険物の認定を受けた鶴丸は、封を解かれても政府の監視下にある。

必要以上に向けられる厳しい視線を、逆風を、懐疑を、侮蔑を、嘲笑を。
その全てを、彼が防波堤になってくれていることを、彼女は知っている。

一見すると冷たく感じるほど、隙の無い淡々とした態度を崩さないのも、敵の多い自分たちを思ってのことだと、かつて共に在った今の彼女には正しく理解できた。

ほら、その証拠に。
ほんの少しだけ和らげた声音で
深いアイスブルーの瞳が、ほんの少し眩しそうに、柔らかくたわむ。

「さ、余計な連中が来る前に、早く帰ると良い」
「本当にありがとう、長義せんせー」
「礼には及ばないよ、レディ」


長義が検査の機材を完全停止させると、彼女は手早く刀身の茎に目釘を通し、白木の拵えに入れ、油を塗り、鎺を通し、ゆっくりと白鞘に彼を収めた。

「鶴るん、……鶴丸国永」

名を呼びながら、両手でゆっくりと白木の鞘を抜刀していく。

心許ない霊力を精一杯流せば、ようやく目覚めた鶴丸が、ゆらりと白鞘の中から姿を現した。

まだ夢を見ているかのような望洋とした瞳が光を取り戻すまで、彼女は、辛抱強く微笑みかけ続けた。

…………きみ」
「おはよう、鶴るん。帰ろ、みんなが待ってる」





「そうだな、かなり厳しい」
古くから医務室を任されている薬研藤四郎は、古い文献から最新の論文まで手当たり次第に調べながら、主の問いに難しい顔をした。
「知っての通り、大将の霊力を俺たちが刀身へ最も吸う瞬間っつーのは、最初の鍛刀と顕現の刻だ。そして次いで、刀身にヒビが入り心鉄が剥き出しになるその刹那──つまり、お守りが発動する瞬間にある」

ぺらり、と古い書物の頁を捲る。
薬研が、刀剣を輪切りに描いた解剖図を指で示した。

「固い刃と地鉄の部分は、心鉄に比べて圧倒的に霊力が通りにくい。なんとかそこを超えて、心鉄に大将の霊力を通したい所だが……
……今の私の霊力量じゃ」
「ああ、ただでさえ尋常じゃない量の霊力で常に飽和させないと難しい。霊力過多症だった前の大将ならいざ知らず、今の大将じゃ、その前にぶっ倒れるのは間違いないな」

それに、そんな無茶を目の前で何度も繰り返しちゃ、かえって鶴丸の旦那の寿命が縮んじまう。

薬研は少しだけ苦笑を織り交ぜて、重々しく首を横に振り、無策で掛かる無謀をやんわりと諌めた。
こくん、と暗い顔で頷いた主人の背を、励ますように二度叩く。

やがて薬研は顎に手をやって、厳しい顔で考え込んだ。

「かといって、お守りの発動を待つのは下策だ。何せ、あれだけ派手な錆だ、錆には霊力が通らないからな。鶴丸の旦那は、下手をすると、お守り発動時に流し込まれる霊力を体が上手く受け付けないかもしれない」

……つまり、お守りが発動失敗して、そのまま折れてしまうかもしれない、ってことだよね」
「可能性はかなり高いな」

焦燥を噛み締めて唇を噛む主に、薬研がそっと肩を叩いた。

「大将、あんま焦るな。俺たちが付いてる」
……うん」





「ごめんねみかちゃん、わたし、肝心の指揮の仕方、前のあんまり覚えてなくって

長谷部の助けを借りながら古い資料に目を通したようだが、成果は芳しくなかったらしく、彼女はしょんぼりと肩を落とした。

「覚えてたら、みんなをもっとちゃんと護れたのにみんなを護る大事なものだったのに
「よいよい。前のお主は少し優秀すぎたからなぁ。うむ、一から振り回されるのも楽しいものよ」
三日月がそう、鷹揚に笑った。
「そら、じじいをたんと困らせておくれ」

両腕を広げ、いかにも彼らしいおおらかさと寛容さで笑った三日月に、触れることなく優しく抱き留められて、彼女はふわっと綻ぶように双眸を緩めた。

「ありがとう、みかちゃん
「うん、そうだ、良いことを思いついたぞ。此度は俺が主に将棋を教えようか」
「将棋を?」
「うむ、実はな、これは内緒事なのだが、前におぬしに将棋を教えたのは鶴なのだ」
三日月は口許を裾で覆い、内緒話の証に主の耳に小声で囁いた。

かつて審神者としての教育を何一つ受けることなく本丸に放り込まれた主に、己が心血の全てを注ぎ、軍略を教え導いたのが鶴丸国永だったと聞いている。
それは、鶴丸とかつての主、そして三日月の間の秘め事だった。

どうやら彼女は、鶴に与えられた神の叡智を引き継がずに輪廻を渡ったらしいが、なに、新たに与えてやれば良いだけの話だ。

「俺が顕現した頃にはもう、おぬしは素晴らしい腕をしておってなぁ、後ろで鶴がそれはもう自慢げにしておったものよ」
うんうん、と三日月はしきりに頷いて
「うむ、俺も主に一から教えてみたかった」
と裾で口許を隠して悪戯っぽく笑った。

そうして三日月は、目を細めてひどく優しく微笑んだ。
「今は、あやつには少し時が必要なのだろう。だからそれを待つ間、俺と将棋を覚えよう。そうして、あやつが今より少し未来に目を配れるようになった頃……驚かせて、悔しがらせてやろう。此度も自分が教えたかったと、地団駄を踏むに決まっておるからな」

そう、つまり、抜け駆けというやつだな。

悪戯めいたウィンクを一つ。
軽やかで少しお茶目な三日月の提案は、ほのかに翳った彼女の表情をぱっと明るくさせた。

「鶴るん、びっくりするかな」
「きっと、たいそう驚くだろうなぁ。うん、そうに違いない」
「嬉しい、嬉しい、みかちゃんがせんせーになってくれるの?」
「うむ、そうだとも。此度は俺が師になろう」

三日月が主の片手を、そっと拾い上げて微笑んだ。

「こうして帰って来てくれた、それだけでどれほどかけがえなく幸福なことか」

三日月宗近は、美しい瞳をやわらかく細めた。

「どれほど拙くとも良い、心許なくとも良い。欠けていても構わない。望む全て、俺たちが力になろう」

月は欠けても満ちるものだ。
欠けても良い。それでもなお愛おしい。

まだしばし、心が彼岸から還って来れない鶴のために。
此岸のこちら側から呼ぼう、あれが好きな驚きをたくさんこさえて。天の岩戸を宴の祭囃子で叩くように。

「主と鶴には、俺たちが付いている。何も憂うことはない、だろう?」




「見て見て鶴るん、桃のお守り!」

ばたばた、と華やかな足音を響かせながら、蔵の方角から鶴丸へ駆け寄った。
蔵の中をずいぶん漁ったのか、だいぶ服が埃っぽい。

「倉庫にあってよかった。季節終わっちゃってるから、来年まで待たなきゃいけないとこだったや」

明るく笑いながらそう話す彼女に、いささかぼんやりした調子で、鶴丸は視線だけを向けた。
彼女はそんな、らしくなく物静かなままの鶴丸にも、変わることなく笑いかけた。

「薬研と一緒に調べたんだよ。桃のお守りって、普通のとか極のやつより、流れ込む霊力の質が顕現の時に近いんだって」

桃の花を模した飾りの付いた、ピンク色のお守りの紐をぷらんと顔の前に掲げて、彼女はそう口にした。

「そーいえば使うと顕現の桜吹雪めっちゃ舞うもんねぇ。ってゆーか、だから『桃』なんだって。視界が桃色になるから。サクラよりモモの方が破邪で縁起がいいからなんだってさ。知らなかったぁ。うーん、勉強不足!」

たはは、と頭を掻いて、彼女はぼうっとする鶴丸の手を引いて、そっと手のひらの上に、そのお守りを置いた。

「だから、ほら。これを、えーっと、こう!」

指で複雑な印をたどたどしく二度切って、霊力を細く操作する。
桃のお守りの中に蓄えられた霊力の質が、ゆっくりと桃色から金色に塗り変わっていく。

鶴丸は、見慣れない光景に目を少しだけ見張って、主人を二度見した。

!」
「あっ、鶴るん、もしかして、わたしが術使うの見るの初めてじゃない? 持ってる霊力って少ないほど操作しやすいんだよねえ。前はマジで多すぎて術一つまともに使えなかったけど、今回はまあ、あれに比べたら雀の涙だし! 落第寸前の腕でもまあ何とかなるっていうか、あはは!」

いささか自虐を含む調子で笑い飛ばして、それに反して彼女はじっくりと慎重に、真剣に霊力を注ぎ続けた。

「無いものねだりするの、もーやめたんだ! 今のわたしにできること、今だからできること。一個ずつ数えていくよ」

ほら、できあがり!
そう笑った桃のお守りは、彼女の金色に仄かに輝いていた。

「鶴るんの身体に合わせて、少しずつ慣らそうね。錆が直せなくても、せめてお守りがちゃんと発動しやすいように」

優しく笑いかけ、彼女は双眸をやんわり細めた。
視線に穏やかな愛が乗る。

「毎日ちょっとずついじくれば、電池みたいにちょっとずつ貯めた霊力増やせるんだって。これから毎日やるね」

すとん、と鶴丸の背中に回って背を預けた彼女は、背中越しに「あのね、鶴るん」と不意に声を上げた。

「小学上がる頃にはもう審神者学校通ってたけど、どーも身ぃ入んなくて。うちの親、でろ甘だったからさぁ、勉強しろって言われるどころか、宿題やってたら突撃してきて一緒にゲームしよーとかキャンプ行こーとかさぁ」

今思えば、マジもーちょっとくらい真面目に勉強しときゃ良かったなーって思うけど、まあ、今から頑張っても遅くないよね。

そう言いながら笑って体を揺すった振動が、背中越しに優しく響く。

「胎児の時にもう分かった。この子は十八になったら、神様の所にやらなければならない。なら、それまで、短い時間で精一杯愛そう。めいっぱい家族の思い出で満たそう。そう二人で話し合ったって、うちの親の口癖だったんだぁ」

ふふ、とくすぐったそうに笑う。

「前のわたし、すんごく頭良かったんでしょ。十歳になる前には石に齧りついて必死に勉強してたらしいって薬研が言ってた。実はあんま憶えてないけど、わかるよ。前のわたしには、宿題中におやつ食べよって勉強邪魔してくれるよーな親、いなかったんだろーなって」

「十八年、いっぱい愛してもらったよ。にーちゃんもねーちゃんも弟もいんの。……あの幸せな家に私のこと送り出してくれたの、鶴るん達だったんだね」

「こんなボロボロになっちゃってさ。前どーだったか知んないけど、今は知ってんだからね。無理やり寿命止めたり本丸から出れないようにしたり、鶴るん達ならきっといくらでもできたって」

「でも、ただ見守って送り出してくれた。こんなボロボロになっても」

ばかだなあ、と笑う声音には、愛があふれている。
鶴丸の錆の差した手を、上からそっと握る。

「ちゃんと幸せだったよ、十八年間。だから絶対、みんなおんなじくらい幸せにしてみせるから」



「えっ!? 最前線任務!?」

長谷部からの報告に、彼女は素っ頓狂な声上げた。

「ここ、超ベテランの後方支援本丸だよね!? なんで!? ……あっ、わたしが専任審神者で入ったから!?」

声をひっくり返して、急なことに青い顔で動揺する。
彼女は、考え込みながらうろうろと意味もなく執務室を歩き回った。

「わ、わ、わ〜、いや、まあ、そうだよね、前線で戦える戦力があって、毎日指揮を振れる審神者が居たら、そりゃ前線の仕事回ってくるよねそっか前とその前が特別すぎたんだ

長谷部が深刻な顔で差し出した資料に、慌てて目を通す。

記された戦場の名称に血の気が引く。
出陣先の戦場の厳しい状況を把握すると、彼女は「よりによって一番やばいやつじゃん!」と盛大に頭を抱えた。

「落第寸前のへっぽこ審神者には荷が重いよ!」

「第一部隊、第二部隊を含め、多くは極カンストの連中です。最前線任務を最後にこなしたのは一世紀近く前ではありますが、戦力としては充分事足ります」
「問題はわたしの実力不足だね
……正直な所、あと幾許かの猶予はあると考えておりました。俺の見通しが甘く、進言が遅れ、申し開きのほどもありません」
「いや、長谷部のせいじゃない、その辺はわたしがちゃんと目を光らせてなきゃいけなかったんだ……いや、でも、ふつー、新人審神者はもっと低難度の戦場で慣らしてから最前線やるよね!?」
「山姥切長義から連絡がありました。恐らく、……鶴丸の件で目を付けられたかと」
「ああ〜! この時代でもまだそーゆーのあんの!? どーして貴重な戦力を内ゲバで危険に晒すかなあ!?」
……二代目の時代、この本丸は政治的な敵を数多く作りました。先の折は、次代の主の先見で数多くのことが回避できましたが、……今となっては」
「後ろ盾の無い落第寸前の小娘がいきなり実力派の特殊本丸を任されたら、面白くない連中がいる、ってことか……

空気が重く澱む。
深刻な顔で血の気の引いたままの主人に、長谷部は言葉を選ぶようにしながらゆっくりと続けた。

「この本丸は、鶴丸の件で長らく瑕疵本丸扱いでした。この本丸は政治的に非常に不都合なのです。それを外から突いて派閥を切り崩したい連中がいるのでしょう」
「任務失敗しても好都合、任務成功しても向こうさんの手柄ってことだね……こういう無茶振り、これからも来まくるってことかあ……

差し迫ってくる死の気配。ぞわっと足元から粘つく重い不安を振り払うように、ぶるりと震え、首を左右に振った。

「いや、今まで長義せんせーがだいぶ力添えしてくれてたんだもんね……むしろ、これまで平和だったのがおかしいんだ」

ぱちん、と自分の両頬を張って、彼女は凛と顔を上げた。

「長谷部」
「はい、ここに」
「悔しいことに、わたしには今はまだ審神者として力が足りない。申し訳なく思ってる。だからこそ、今、みんなの知恵を借りたい」
「お任せください。皆、貴女に付いていく覚悟はできております」
「軍議を開きます。他の緊急性の低い用事は全て後回し。長谷部、必要なメンバーは遠征から呼び戻して」
「はっ、すぐさま。…………鶴丸は、いかが致しますか」
……本当なら、きっと一番力を貸してくれたと思う。でも」


視線が一瞬だけ、母屋の方角へ流れる。
執務室の対側の一番奥に、鶴丸たち伊達伝来の刀たちの部屋はある。
彼女は躊躇いを滲ませた。

確かに、この本丸では、審神者不在中の名代刀として、長年、あらゆる戦場で差配を鶴丸が振ってきた経緯がある。
この本丸の刀のほとんどは、鶴丸の差配で鍛え上げられて育ったようなものだ。
鶴丸は審神者にとって長らく最も頼れる軍師であり、経験がほぼリセットされてしまった今の自分より、万全なら余程確かな差配を振ってくれたはずだった。

だが、鶴丸はつい今朝方、周囲の説得でようやく一日半の短い休眠に入ったばかりだ。本来なら数年は休眠しなければならないところをやっとの説得で一日半だ。

まだ夢現さが目立つ鶴丸では、叩き起こして軍議に呼んでも、どれだけ状況を正しく把握できるか分からない。
加えて、この軍議では、皆に『鶴丸の封印を解いた事で、本来の道理を飛び越えて無茶な任務が回ってきた』と周知しなければならない。

それを聞けば、鶴丸はどう考えるだろう。
ただでさえ、少しの無茶で折れかねない状態なのに。

鶴丸にはただでさえ、かつて勝手に戦場に出て自傷を繰り返した前科がある。少し目を離した隙に、周囲が危惧しているように、今度こそ己を折ってしまうのでは。

政府から審神者の異能を隠し切る為に何としても折れる訳にいかなかったあの頃と違い、今の鶴丸には、それを躊躇う理由が無い。

黙り込んで苦渋を滲ませた主に、じっと黙って審神者の指示を待っていた長谷部が、やがて意を決したように「主、お聞きください」と進言した。

「奴が封印処置を受けてから、貴女の居ないこの本丸は、奴無しで八十年の長きに渡って戦い抜きました。我らがおります」

低く、迷いの無い声だった。
黙して控えていた長谷部が、背筋を凛と伸ばし、自らの手を胸に当て、前に進み出る。

「心中お察し致します。ですから、たった一言、お命じ下さい」

静かな決意をたたえた藤色の瞳が、まっすぐ己の主人を射抜く。

「あの馬鹿が真に貴女のもとに戻る日まで、奴以上に自分を勝利へ導けと」

ああ、長谷部も信じてくれているのだ。

そう、きっと戻ってきてくれる。
鶴丸国永は帰ってくると。

……ありがとう、長谷部。腹を決めたよ。鶴るん抜きで最後までやり切ろう」

長谷部が鮮やかに押し斬ってくれた迷いに見切りをつけ、迷わず顔を上げて前を向いた。

「確かに、後顧の憂いを抱えたまま差配を振れる状況じゃない。鶴るんの見張りにいつまでも人手も割けない。本丸を挙げて目の前の戦だけに集中するために、鶴るんには事実を伏せた方がきっと良い」
「はい」
「これから、私たちは、彼が動けない中でたくさんの戦を生き抜かなきゃいけないんだ。それが少し早まっただけ。やろう。……長谷部、お願い。どうか力を貸して」
「主命、確かに拝命致しました。────必ずや、貴女に勝利を」



「ふっっっざけんなマジで」

青褪めた唇を震わせて、ガタガタ震える手で必死に拙い印を切る。

「敵の規模は資料の二十倍、来るはずの五部隊の増援が一部隊も来ない? こんなん死ねって言ってんのと変わんねーだろうが!!!」

銃弾舞う乱戦の戦場のド真ん中で、必死に指印を切りながら審神者は絶叫した。

「ちくしょう、狸ジジイども、審神者あたますげ替える気だな!? 許せねえ!!」



到着した審神者が結界の綻びを修復する必要があり、戦の最前線で術式を必死に結び直しながら、再び帰還する。殉職者もかなり多い任務だった。

頼れるのは第一部隊の六振りのみ。
別働隊の第二部隊が駆け付けるまで、まだまだ時間が掛かる。

何より、主人が術で召喚経路を開かないと、本丸から増援部隊を呼べないのだ。
「あるじ! 増援まであと何分!?」
「ごめん、あと15分以上かかる!!」
戦場の1分は永遠に等しい。にも関わらず、力が足りないせいで、既にかなり霊力の消耗が激しい。
息が上がる。優秀な審神者だったらきっと五分の一の時間で術式が組めただろうに。
「大丈夫、何時間でも保たせてみせる。後ろは任せて、術式に集中して!!!」

隊長の加州清光が返り血まみれで声を上げ、一閃、敵を斬り伏せた。

斬っても斬っても湧いてくる時間遡行軍。だが、足手纏いを抱えた泥沼の戦は、護衛を主とする後方支援本丸の真骨頂だ。
勝てないが、決して負けない。それこそが自分たちが二百年も貫いてきた戦の本領だ。

夜明けが近い。極短刀が有利な時間がまもなく終わる。
それまでに主が何とか昼戦向きの増援の刀を呼んでくれて、戦況が傾けば。

「丑の方向に新手です!!!」
「くっそ……絶対に主は傷付けさせない。後方支援本丸舐めんなぁ!!」



すぐ耳元で風切り音がする。うなじまで迫った敵の斬撃を、ギリギリで極脇差が弾き返す高い音。
ほとんどゼロ距離で山姥切国広が斬り伏せた敵の血が、べちゃっと審神者の頬まで飛ぶ。

生温い感触を振り払って、彼女は、ガタガタと歯の根の合わないまま
仲間を信じ、振り返ることなく、必死に術式を組み続けた。

「絶対死んでたまるか、鶴るんを、みんなを幸せにするって約束しといて死ねるか!!」







鶴丸国永は、泥のような浅い眠りの中からふっと浮上した。
………………きみ?」
確かに声がしたはずだ。

刀掛けに置かれた白鞘から、ゆらりと鶴丸の影が立ち昇る。
ぼおっと思考が霞む。頭を揺らしながら、床の間にぺたりと素足を付いた鶴丸は、目の前に戦装束の光忠と大倶利伽羅が居ることに気付いた。

……おはよう鶴さん、早いね。まだ時間じゃないよ、二度寝したら?」

燭台切の声に、慎重にひた隠した緊張がかすかに覗いている。
それに、付き合いの長い鶴丸はすぐに気付いた。

珍しい。伽羅坊はともかく、皆の留守を預かり戦の第一線から引いている光坊が、こんなに緊迫した空気を纏っているなんて。

……オレが、寝てる間に重傷者でも出たのか?」
「何のこと?」
「おかしい、あの子の気配がしない」
「彼女なら、政府に呼ばれて出向してるよ」
「そんな予定は無かったはずだ」
「急だったからね」
……
「鶴さん、ダメだよ、時間までは部屋で休むって約束したよね?」
「やましいことがないなら、少しくらい様子を見てもいいはずだ」
「ダメだよ」
「離してくれ、光坊」

ぴく、と鶴丸は顔をこわばらせた。
本殿の方が明らかに騒がしい。

気配の出入りが、明らかに戦支度のものだ。

……あの子の気配がない。戦の気配。まさか」
「鶴さん」
「あの子、前線に出たのか……!?」


顔色を変え、光忠を押し退け、襖に手を掛けた鶴丸を、光忠と大倶利伽羅が同時に取り押さえた。
利き腕を後ろにねじり上げ、畳に容赦なく押し倒す。

「ぐっ!」
「動くな」
「離してくれ、伽羅坊、光坊ッ!!」
「ごめん鶴さん、そのお願いは聞けない」
「部屋から出すなとのお達しだ。大人しくしていろ」
……っ、オレに言えないくらい危険な戦場なんだな!? 最前線か!?」

鶴丸は、ねじ伏せられながら、声を上げてもがいた。
ぎりぎりぎり、と捻り上げられた関節が悲鳴を上げる。これ以上やれば腕が折れる。

「ぐ、あ」
「鶴さん、これ以上やりたくない。ここは引いて」
「だが、あの子が!」
「なら抜いてみろ。力尽くで押し通ればいい」

そう容赦なく吐き捨てた大倶利伽羅がたちまち抜刀し、取り押さえられた鶴丸の鼻先にぐさりと突き刺した。

「己の体たらくをよく見ろ。それで何ができる」

鶴丸は、ひゅっ、と短く息を呑んだ。

眼前に突き付けられた、鋭く研がれた銀の鏡。
そこに映っているのは、かんばせにはっきりと錆の現れた、刀剣男士として致命的な姿。

命はあるが、戦えない。

「戦えないお前に何ができる。足手纏いだ」
「伽羅ちゃん!」
「事実だ、目を背けて何になる」

肩を震わせた鶴丸が、畳を這いながら、震える声を漏らした。

「オレは、いったい何をしていたんだ……?」

人の子も付喪神も等しく
こんな戦の時代では、明日とも知れない身だと、嫌というほど知っていただろうに。

片腕を無理やり捻り上げられたまま、畳のいぐさを食む自分の無力さが、途方もなく呪わしい。身を掻き削られるようだ。

……ならオレは、何のために黄泉還った?」

寝ぼけ眼だった後頭部を、鈍器で殴り飛ばされたようだった。

「あの子の危機に!駆け付けられなくて!何が!」

取り押さえられたまま、限界まで反り上がって
嘆いた鶴丸の目が、絶望に染まった。

絶望を帯びたその叫びが、室内を震わせる。

「死んでるのと同じだ!」

錆だらけの片手を掲げた。

今にも脆く剥がれ落ちそうな、無様に広がる鉄錆の痕跡。
戦えない。剣を抜くことすらできない。

「こんな手じゃ! 何も!」

絶望が心を覆った時
視界に、きらりと光が煌めいた。

……!」

左手の爪。光に透ける黄金のネイル。

錆だらけの片手には、せめてもと加州が塗ってくれた、あの子の金色がある。

「! 金色あの子の

鶴丸は、はたと大きく瞠目した。


咄嗟に、首に掛けられた桃色の紐を引き抜く。
自分の目の前に釣られた、桃のお守り。ぼんやりと光るそれには、あの子の金色の霊力が満ちている。

「お守り!? 鶴さん、まさか、戦場でわざと発動させる気じゃ!」

光忠が血相を変えた。

「ダメだよ、それは彼女が鶴さんを護るために!! 危険を冒すために渡したんじゃない!!」

手入れで治らないほどの深い傷も、発動さえできれば。
今なら、彼女が毎日毎日、祈るように重ねてくれた、この金彩の霊力があれば。

分の悪い賭けだ。
だが、こんな朽ちかけの鉄屑の身でも
錆を洗い流し、往時を取り戻せるかもしれない。

血相を変えた光忠がお守りを取り上げようとするのを、鶴丸は拒んだ。
獣のように牙を剥き、噛み付かれる寸前で危うく手を引いた光忠に、目をぎらつかせ、フー、フー、と息を荒げた。

「鶴さん、お願い、分かって! 彼女だって、そんなこと決して望んだりなんか!」

悲鳴混じりで止めた光忠を前にして、不意に差し伸べられた大倶利伽羅の黒腕が、無言で静止した。

「伽羅ちゃん?」
「戦えない刀剣男士じぶんにもはや価値が無いというのなら、ひと思いに折ってやる」

落とされたのは、感情を排した、氷のような声。
光忠が隣でぎょっとした。

「伽羅ちゃん!?」
「無力を呪い、戦場に焦がれ、死ぬべき時を逃し、ただ無意味な生を重ねるのを拒むなら」

その眼は、本気だった。
大倶利伽羅が、いぐさに突き刺した刃を引き抜き、血振りする。

見上げる鶴丸の金彩の瞳の中で
白銀の龍が、ゆっくりと弧を描いた。

振り上げられた刃が、ギラリと光を受けて孤影を描く。

「好きに生き、好きに死ね。…………それが、生きるということだろう」

垂直に振り下ろされた刃

倶利伽羅龍を宿した白銀が
胸に抱いたお守りごと、鶴丸の心臓を貫通した。





震える手で最後の招来の印を切った瞬間
審神者は柏手を二度打ち、天高く祈った。助けて、と。

「誰か!」

バンッと祈りの柏手の音が、空に弾けた瞬間

大地に稲妻が落ちるように
戦場に激しい存在感が落ちた

顕現の桜吹雪が
ざぁああああ、と戦場を覆った。

ぶわりと視界を奪い去り
桃色の花弁が、戦場の全てを覆い尽くして
「これは!?」
山姥切国広が、天空を覆うほどの桜の渦に視界を押し流された。

金色の閃光が爆ぜる
夜が明けて、眩しい朝陽が

何も見えないほどの桜花弁の大洪水に
そこにいる全ての兵の視界が覆い流される中
必死に抗い目を開けた清光は、見た。

天から舞い降り、戦場を駆け抜けた
一陣の白い風に

大きく瞠目した加州清光は、ぐしゃっと顔を歪ませ「ははっ!」と声を上げた。
「馬鹿野郎、遅いんだよ!」


桜吹雪を真っ二つに斬るように
白刃の一太刀が、主人の敵を派手に切り伏せた。


シャラ、と金の兵庫鎖が重く鳴り
どこからか清らかな鈴の音が凛と響き渡って

ふわり、戦場に降り立つ。
白くまばゆく輝く、純白の鶴が

「嗚呼、どうやらオレは、────たいそう長い夢を、見てたみたいだなぁ」

白絹の裾がぶわりと舞う。

援軍の正体を知り
緊張の糸が切れた彼女の両眼から、ぼろ、と涙がとめどなくこぼれ落ちて
ひぐ、としゃくりあげた喉が鳴る。

桜の中から、美しいかんばせの口元が
振り返って、笑う

「すっかり待たせちまった。どうだ、オレみたいのが来て、驚いたかい?」

酔狂な笑みが美しいかんばせを彩り
黄金の瞳が強く煌めいて

審神者がぐしゃ、とこぼした泣き笑いに
美しい白鶴が、鮮やかに微笑んで口角を上げた。

「呼んでくれ、きみだけの呼び名を。きみの鶴を」
「鶴るん──ッ!!」

銀の髪に白絹を纏いし細い背中
金鎖を纏って、その太刀は戦場に舞い降りた。

鞘から抜き放たれた白銀が、夜明けの青空に向けて美しく弧を描く。

錆ひとつない白銀の刃を、きらり、天に掲げて
鶴丸国永が咆哮した。


「久々の大舞台だ。さあ、────きみに、驚きの結果をもたらそうじゃあないか!!」


再来した白き驚きが、勝ち鬨の雄叫びを上げた。




《祭囃子よ、さあ、驚きのうたを歌え》



「見てくれ、この餅大福みたいに腫れた顔! 加州のやつ、力一杯殴ってくれたぜ。ボッコボコだ!」

破顔した鶴丸が、焼いた餅のように膨れた頬を指さして笑った。

「長谷部と貞ちゃんが後で死ぬほど殴るってみんなと順番決めしてたよ」
「こりゃ当分は、大福丸国永だなあ」

手入れ部屋にて。

白着物の片袖を脱ぎ落として、半裸になった鶴丸の肌は、こてんぱんに殴られてどこもかしこもあざだらけだが、白い。

胸から腹にかけて、まるで斬撃のように身体に走っていた錆は、跡形も無い。

打ち粉と共に、癒えていく傷。
鶴丸は、金彩の双眸を、柔らかに緩めた。
「見ての通りだ、全部消えてる。きみのおかげだ。────心配かけちまったなあ」

着物をはだけさせ、それを何度も何度もなぞって確認した彼女は、何とかギリギリ保っていた泣き笑いを決壊させて、ぼた、ぼたた、とついに泣き出した。

……よかった、よかった……!」
「泣かないでくれ、きみ」
「バカバカバカバカッ! 鶴るんのバーカ!! うわぁああん!!」

指で透明な雫をすくった鶴丸は、泣き崩れる彼女を引き寄せて抱きすくめた。
わんわんと泣き続ける彼女の背を、ひたすらにさすり続ける。

……夢を見てたよ。彼岸花が咲く暗がりできみを探す夢だ。きみが居ないと本当はわかっていて、どれだけ歩いて探しても果てがないから、結局、赤い花を枕にして溺れて眠る夢だ」

「目が覚めても、何度も思うんだ。本当はまだきみを探して彼岸を彷徨っていて、現実こっちが都合の良い夢なんじゃないかって」

「助けを呼ぶきみの声が聞こえて、泡が弾けるみたいに夢から醒めた。……いや、本当は夢から醒めてなんかいないのかもな。それでもいい。オレは、きみの呼ぶ側に、今度こそ居ると決めた。待たせてすまなかった」

鶴が彼女の手を握って、額に抱く。
誓いを立てるように。

「きみがいない極楽浄土より、きみのいる地獄の方が良いに決まってる。ただいま。……おかえり、きみ」

彼女は、涙でぐしゃぐしゃな顔で
鶴丸の手を握り返し、泣きながら破顔した。
「ただいま、おかえり!!」



ねえ伽羅ちゃん
なんで伽羅ちゃん、鶴るんの無茶に付き合ってくれたの?

謹慎部屋を訪れた主は、刀を抱えて座る大倶利伽羅の背に背を預け、無邪気にぐいーっと押し付けながら、肩越しに振り返るようにそう尋ねた。

正確に心鉄しんぞうを貫いた神速の一撃
お守りを貫通した大倶利伽羅の刃は、神力と共に主人の霊力を鶴丸の中に叩き込んだ。

わずかでもタイミングがズレれば鶴丸は折れていただろう。
分の悪い賭けだったことに変わりはなかった。
失敗した場合、途方も無い咎を引き受けるつもりでなければできないことだ。

主の問いに、大倶利伽羅は他の連中にしたように、何の弁明もせずにしばし黙っていたが
軽やかな態度に反してじっと大倶利伽羅を見つめたままの強い視線に、やがて一言だけ、こう口を開いた。

……お前、俺への最期の言葉、憶えているか」

たとえ、憶えていなくても構わなかったが
彼女は首をこてんと傾げて

「んーと、ごめんね、あんま憶えてないや」

とひどく素直に答えたので、まあそうだろうな、と大倶利伽羅はすとんと納得した。
むしろ、かえって記憶が漂白されていなさすぎる程なのだ。忘れていることは多い方がいい。

「でも、なんとなく想像つくよ」

ゆるり、刀越しに振り返った大倶利伽羅に
肩越しに彼女は、夏の向日葵みたいに、にかっと笑った。

「だって、伽羅ちゃんは、伽羅ちゃんが護りたいもの護ってる時が、いちばんカッコイイもん!」


────伽羅ちゃんが護りたいものだけ護って


大倶利伽羅が護りたかったのは、命より、矜持だ。
それを彼女は、わかってるとばかりに軽やかに笑った。

輪廻しても変わらないものをじっと見定めて
大倶利伽羅は、ふん、と鼻を鳴らして、抱えた刀を自らの肩に置いた。

…………わかっているなら、いい」


お前がちゃんと見ていたなら、それでいい、と。

とうの昔に、自分の強さの使い道は、お前がたがわず選んでいる。


「あのねー、実はねー、長谷部にね、伽羅ちゃんの今回の勝手の処分を決めるように言われてるんだけどさ」
「まあ、そうだろうな」
「伽羅ちゃんが斬ってくれたのは鶴るんに纏わり付いてた死の影だってわかったし、もーいーかな」

んー!と伸びをして、足を伸ばすと、反動でぴょこんと子ウサギのように跳ねて起き上がった。

「んじゃ、罰きーめたっ。わたしとウサ耳カチューシャ付けてプリクラね。デコって『馴れ合いたい』って書いて回覧板で本丸中に回しまーす」
……!?!?」
「うっそぴょーん」

ケラケラ笑って、イタズラを残して出ていった主に、すっかり足音が遠退いてから、大倶利伽羅は

腰を中途半端に浮かせた姿勢のまま、天を仰いで片手で顔を覆った。

「くそっ、前よりたちが悪いんじゃないのか」

昔からずっと、アレは自分の手には余るのだ。


◇ ◇ ◇


「知らない間にあの子の打ち筋が俺のじゃなくて三日月のになってる!!!」

穏やかな日常の中に埋められた時間差の贈り物タイムカプセルが鶴に見つかったのは、残暑の陽射しがまだまだ暑い夕涼みの頃合いのことだった。
三日月の仕掛けに気付いた鶴丸は、全力で地団駄を踏んだ。

「くっそ、抜け駆けかよ!?」
「ふふ、どれ、このじじいと今日も一局しようなぁ」
「ずるいぜ三日月!」
「いつまでも寝ぼけておるのが悪いのだ」

ほけほけと笑う三日月が、主人へにこやかに同意を求めて「なあ?」とお茶目にウィンクした。

鶴丸はひとしきり悔しがると、悪あがきとばかりに彼女のまろい両肩に手を置いた。

「なあきみ、今からオレに乗り換えても遅くないんじゃないか? なあ?」
「やーだもん、みかちゃんと一緒に鶴るん倒すって決めたもんねー」
「ちくしょう!」

あっかんべーを返事にもらってフラれた鶴丸が、小さな子供のように悔しげにジタバタと畳を転げた。

三日月は優美なかんばせを悪戯めいた笑みに変え
まるで秘め事を確かめ合うように
きししと悪戯めいた笑みを浮かべた彼女と、同じように笑い合った。

実に実に良き夜だ。
ふぅむ、と品良く口元を裾で隠し、三日月宗近はひどく美しく微笑んだ。

「げに美しき驚きの、祭囃子は今宵も高らかと」

残夏の名残り火が広がる夕焼け空には、美しい夜に相応わしい月がかかっている。


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