@ma_9n774
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少女は目の前を通り過ぎた不思議な色の手を握った。
握ったとはいってもその薬指と小指を掴めただけに過ぎなかったが、それでも僅かに手を引かれたその人物は足を止めて振り返る。
それはまだ幼なげの残る顔をした少年だった。不思議な色の手と同じように白く斑点がまばらに散った顔。そこにある妙に静かな眼差しでゆっくりと瞬きを繰り返し、握られた手を見詰めている。足を止めた少年に気付いて彼の前を歩いていた男が振り返る。
「何してる」
恐ろしいほど低く威圧的な声だった。
少女はその男に恐怖を覚え身を震わせたが、少年は至って冷静に男を見上げた。
「手を握られました」
「見りゃ分かる。振り払え」
「はい」
少年は手を自身の方へ引いた。
しかしさほど強くないその動きは少女の手を付随させたままに終わった。
少年は少し首を傾げて腕を前後に振るがやはり振り払えるほどの動きではなく、ただ少女と手を握って前後に揺すって戯れているようにも見えた。
「離れません」
「お前のやり方が悪い」
「申し訳ありません」
「……」
機械的な返答。
男はあからさまに大きな溜息を吐き、少女を見遣る。
「離れないなら好きにさせろ。着いてくるならそのまま商材行きにする」
「はい」
少年は少女をちらりと一瞥してから腕を下ろして再び男の後に続いた。
少女の手はしっかりと少年の指を掴んだまま、しかし少年から握り返されることはなかった。少年が歩き出せば自然と少女も自分で掴んだ手に引っ張られる形でついてくる。少年を見上げる少女の眼差しは、どこか物珍しいものに見惚れているような目をしていた。
「まって、どこに行くの?」
不意に背後から焦ったような声がかかる。
少年が再び足を止めて振り返れば別の少女が息を切らして立っていた。年齢は少年の手を握る少女よりも上と思われた。
「その子をどこへ連れて行くの」
その顔には恐怖が滲み、少年らを警戒しているのが見て取れる。少年はゆっくりとした瞬きを繰り返すだけで返答はせず、代わりに男が面倒臭そうに煙草に火をつけた。
「そいつが勝手に着いてきてるだけだ」
それだけ言うと男はまた歩き出し、少年はその後に続いた。男は嘘は言っていなかった。少年の手を握る少女は後ろを振り向き「おねーちゃんもいこ」とたどたどしい口調で言ってそのままついていく。
「…でかい方は上玉になる。そのガキに着いてくるようなら逃すな」
「はい」
遠ざかる三つの背中に姉と呼ばれた少女がどうしようかと迷う中、男は正面を向いたままぼそりと少年に言った。少年は短い返答と共に少し足を早めてみせた。
数秒もせぬうちに背後から走る音が聞こえ、姉の方が妹の空いていた手をしっかりと握った。妹が姉を見上げ、安心したように顔を綻ばせる。姉は不安が拭い切れないといった表情で妹の手を引いてそのまま帰りたそうな顔をしていた。しかし勇気が出なかったのか、そのまま足を進めてしまっていた。
やがて路地裏から離れたところに停められていたトラックの前で男と少年は別れた。男はトラックとは別の黒い車の方へ、そして少年はトラックの後方へ向かい荷台の中へと入っていった。少女二人も少年に先導される形でトラックの荷台に入る。すると不意に荷台の中央付近で少年が立ち止まり、後方を振り返った。それが合図のように背後でトラックの戸が閉められる。
その瞬間、少女たちの運命は決まってしまったのだ。
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「不思議な色の手だな、と…思ったの」
少女──否、彼女はすでに成人していたが少女と見紛う幼い容姿で、長い髪を三つ編みにしながら言った。彼女の隣で紅を差していた女性が彼女を見る。
「黒っぽい肌に白い点がいっぱい散っていて…とにかく不思議だと思ったの。それに何となく…この人なら大丈夫、って思って」
「……」
編み終えた髪をくるりとひと回しして輪を作り、紐で結く。鏡の中には薄化粧こそしていたがやはり少女のような見た目をした女が映っていた。
「……ごめんなさい、金烏」
「いきなりどうしたの」
「こんなに恐ろしい所に押し込まれるなんて、私、思ってなかった」
「……貴方に着いて行ったのは私の判断よ。貴方の責任じゃない」
「でも私が斑鹿様に拾って頂いて…それが原因で……」
「玉兎…」
それも違う、と言い掛けて金烏は紅で彩った口を噤む。
彼女たちは"勝手に"着いて行った。
彼らに着いて来てしまったのだ。
だから今この状況は彼女たちの自業自得であり、"拾って頂いた"などと感謝するのは見当違いだ。
実際最後まであの少年は玉兎の手を握り返すことはなく、一方的に玉兎が握り締めたままだった。しかし玉兎は何故かそれを勘違いしたまま、彼への根拠のない安心感をまるで恋心のように錯覚している。
あの日の少女達はそれぞれ「金烏」と「玉兎」の名を付けられ娼婦としてこの娼館に閉じ込められていた。そしてあの時の少年は誰もが一度は驚くほどの大柄な男へと成長し、今では彼女たち娼婦を管理する仕事も担っている。
彼の名が「斑鹿」だと知ったのは、トラックの荷台の中で待機していた構成員の男達に"身体を改められた"時のことだった。まさか他に大人の男が複数人いるとは思わず、二人して泣き叫び、逃げようと暴れたが無駄な抵抗であった。構成員らに斑鹿と呼び掛けられた少年はその騒ぎとは他人事のように荷台の片隅で身を縮ませるように膝を抱えていた。
その目は荷台の床をぼんやりと見つめ、彼の耳には彼女らの助けを求める声がまるで聞こえていないかのようだった。そんな置き物のような姿は、今も金烏の脳裏に鮮明に焼き付いている。
「……そんなことより支度は終わった?今日は王様がいらっしゃる日よ。目を付けられないように振る舞わないと」
「あっ……うん、そっか…今日は王様が……」
"王"の名を出すと玉兎は怯えたように自身の腕を摩った。その名はあの日あの時、斑鹿を率いていたあの男のものだ。彼は少女たちの身体を部下達に調べさせ、問題はないという報告を受けるとそのままの足で彼の所有するこの娼館へと二人を売り飛ばした。
彼の見立てでは金烏は上玉に育ち、玉兎は彼女を釣るための餌であり留めるための人質だった。そしてそれは見事に的中し、金烏はこの娼館では指折りの稼ぎ頭へ成長した。整った顔立ちに豊満な肉体とお淑やかな言動で男の関心を誘う人気の娼婦。それもこれも、玉兎を守るために金烏が必死になって会得したものである。
反して玉兎は少女と見紛う凹凸の少ない身体付きでその体の小ささと顔の幼さから万人受けはせず、少女を性の対象として好む一部の客層からの支持を得る娼婦であった。ただ金烏のように仕事として割り切ることが出来ず、客に触れられるのを嫌がっては客を怒らせることも少なくない。所謂問題児だ。快も不快も素直に表に出てしまう玉兎はたびたび"仕置き"の対象となった。
彼女のように反抗的な態度を取った娼婦たちに待っている"仕置き"、その内容は罰せられる理由や程度によって差異こそはあるもののその単語を聞いて娼婦らがまず思い浮かべるものは共通している。
斑鹿。
あの大男による仕置きが何よりも娼婦達の恐怖の対象だった。折檻はもちろんのことであるが、その程度ならば娼館の主人である韓や遣り手の阿桃も行なう。斑鹿が真に恐れられるのはその後の"娼婦としての再教育"だ。
娼館に来て間もない頃は多くの女達が抵抗し、逃げ出そうとする。だから皆、斑鹿による"洗礼"を受ける。金烏も例外ではない。拾われてすぐの時は幼過ぎたので娼館の下働きで済んだが、数年後その身体が成熟したかどうかという頃合いに突然娼婦へと業務内容を変更された。昨日までは娼館の掃除と洗濯、今日から客を取って奉仕をしろと言われたのだ。金烏も当初はそれを、嫌がり、客を怒らせ、仕置きの対象となった。仕置き役として斑鹿が呼び寄せられ、鍵のかかった部屋に二人きりにされた日のことを忘れなどしない。
何を言っても無視を決め込む姿。
大きな体と力強い手。
有無を言わさずこじ開けられる感覚。
事が済めば何事もなかったかのように立ち去る足音。
あれを恐怖と言わずして何と言うか。
しかもそれが数年振りの再会の日の出来事なのだから恐ろしい。
「……王様がいらっしゃるってことは…斑鹿様もいらっしゃる、ってことだよね」
そう呟き頬紅とは別の赤みが差した玉兎の頬。
複雑そうな表情で金烏はその横顔を見た。
玉兎もまた、彼から仕置きを受けてきた。最初の仕置きではまるで裏切られたかのような顔をして泣いて帰ってきた。しかしそれも回数を重ねる毎に熱に茹ったようなどこか艶のある惚けた表情をして戻ってくるようになった。
小柄な玉兎と大柄な斑鹿だ。その体格差では身体的に苦痛を伴うはずであり、実際痛がって帰ってくることもあるのだがそれでも彼女は斑鹿の仕置きを受けることをやめなかった。むしろ、最近は望んで受けるようになってきたようにも思える。
そんな玉兎に金烏は危機感を感じていた。
例え血の繋がっていない孤児同士の仲であれど金烏にとって玉兎は可愛い妹分だ。
何よりも守りたいと、強く思う。
娼館の空気がにわかに張り詰める。下働きの少女が金烏を呼びに来て、王の来訪を告げる。上位の娼婦である金烏は恐ろしいあの男の出迎えに行かねばならない。下位の玉兎にその必要はないためいつも通り上手くやり過ごすよう伝えると、金烏は僅かな動きでも波打つ薄い布を重ねて作られた服を靡かせて立ち上がる。
斑鹿が金烏や玉兎との出会いのことをを覚えていなかったのは、仕置きのために再会したあの日から何度かの接触を以って確認済みだ。
叶わぬ恋、間違った望みだ。
目を覚ましてやりたいが斑鹿への想いが娼婦として生きることを強要されている玉兎の心の支えであることも金烏は理解していた。
溜息にも似た深呼吸をして金烏は娼館の玄関へと向かった。
やがて扉の向こうで車のドアを閉める音がした数秒後、娼館の扉が開かれる。
あの日よりも老け込んだものの鋭い目付きに変わりのない男、王。その後ろに追従する大男は斑鹿だ。
「ようこそおいでくださいました」
遣り手の阿桃が恭しく王に一礼し、金烏を含む上位の娼婦らもそれに倣い一礼する。
壮観とも言えるその景色に興味はないのか、王は一瞥もせずにただ短く「報告」とだけ言ってさっさと娼館の奥へと足を進めた。それについて行く形で慌てて主人の韓が手を拱きながら娼館の売上などを報告している。斑鹿はそんな二人の背後をただ黙ってついていく。
そんな様子で通り過ぎる3人を、金烏は頭を下げたまま横目で盗み見た。
気分屋で有名な王の前ではいつ誰の首が飛んでもおかしくはない。
今回の滞在が少しでも短いことを彼女は願った。
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