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手を染めし者

全体公開 幻水 14 3419文字
2025-05-29 21:30:27

6月発行予定の六騎士全コンビ短編集「断章・ゼクセン史」サンプル②
サロメとロラン。

 ゼクセン連邦首都ビネ・デル・ゼクセとゼクセン騎士団の居城ブラス城を繋ぐ森林、通称「ゼクセンの森」。ゼクセン連邦の建国前より切り開かれているこの森は、評議会の管理のもと、定期的に道の整備がなされている。両地点間の距離もさほど長くなく、ある程度の年齢の子供でも迷うことはまずない。
 しかし、ひとたび道を外れて深いエリアに立ち入ると、森はその表情はガラリと変え、旅人たちを惑わせる。特に深夜ともなれば月や星も木々の葉に隠れて方向感覚が狂い、慌てている隙に魔物に襲われ、真新しい行き倒れのできあがり――といった事件もないわけではない。そのため、森には日中にのみ入るよう喚起がなされている。
 また、最近では深夜になると魔物が狂暴化する傾向が高まっている。つまり、この森に深夜に訪れる者がいるとすれば、よほどの愚か者か、この時間と場所を選んでやってきた事情がある者のどちらかだ。
「これで問題ないでしょう」
 人々が往来する道からかなり外れた森の深部に佇む男――サロメ・ハラスは何の変哲もない草むらに視線を落として頷いた。
 何も特筆する要素のない草むら。しかし、その土の下にはあるものが埋まっている。精巧に埋め立て修復され、この暗がりの中ではまったく目立たず景色に溶け込んでいるが、確かにそれは――男の亡骸は、この大地の下に葬られている。
 ――グラスランドのシックスクランとの休戦協定が相手方の奇襲によって破談となり、その際の戦いでゼクセン騎士団は多くの有能な騎士たちを喪った。その前の戦でもガラハド、ペリーズという大きな柱を失ったばかりの騎士団にとって、それは大きな痛手だった。誉れ高き六騎士の存在感は民に安堵を与えども、組織は不安定な状態と言わざるを得ない。新たな団長となったクリスのもと、みんなどうにか心を奮い立たせているといったような状況だ。それはサロメ自身も、例外ではない。
 そして、残念なことに不安定な組織には、不穏な因子がまとわりつきやすい。弱ったところを狙うのは戦いの定石でもあるが、それは政治面でも例外ではない。埋められた男も、その火の粉のひとつだ。
「おふたりとも、ご苦労でした」
 踏み固めた土の感触をブーツの爪先で確かめながら、サロメは夜陰に紛れるふたりの男女に目線を配った。
「後は街に散り、彼が『北方に行方をくらませた』と流してください」
「承知しました」
「私はこのまま戻ります。定期連絡はいつもどおりに」
「はい。サロメ様も道中お気をつけて」
 夜闇に溶けるような闇色の外套を纏ったふたりは、サロメの指示に短く答えるのと同時にその場から姿を消した。
 しん、と静けさだけが森を包む。ひとりその場に佇むサロメは、もはや森の一部と化したように立ち尽くし、小さく溜息を吐く。
 ――配下に置いた者たちの仕事は正確。すべての処理は速やかに、滞りなく済まされた。ただ、このひと仕事すら、これから為さんとする策の小さな一手でしかない。捕らえた男がサロメのかけた拷問の末に吐き出したのは、評議会の悪辣な企み。これが思いどおりに進んでしまえば、騎士団どころかゼクセン連邦そのものがあるべき姿を変えてしまう。そうなる前に、手を打たなければならない。
「誰か、そこにいるのか」
……!」
 漏れかけた声を、ぐっと呑み込む。返事をしてはならない。少なくとも、まだ見つかっているとは限らない。動くな。気配を殺せ。頭の中を巡る警鐘に従い、サロメは押し黙る。
「迷い人か? 夜の森は危険だ。ブラス城までで良ければ送るが――
 声には心当たりがあった。ありすぎるほどにあった。であれば、尚更反応してはいけない。
 その意思に反して、声の主はがさがさ、と草むらをかき分けてこちらに向かってくる。どうやら、完全にこちらの影を捉えてしまったようだ。
――サロメ殿?」
 背後から、ランタンの光を向けられる。――ああ。諦めたサロメはわずかに嘆息し、観念して振り向いた。
……ロラン殿」
 ひどい顔をしていたのだろう、ロラン・レザウルスはらしくもなく、灯りに照らされたサロメの顔を見るなりぎょっと目を見開き、その双眸を凝視した。
「こんな時間にどうされたのです」
「そういうロラン殿こそ、どうしました?」
 明らかな意図を含んだ質問返しに、ロランは複雑な表情を象る。踏み込むべきか、一旦引くか、迷っているのだろう。悩ませてしまっている事実に、申し訳なさが込み上げてくる。
……夜の警備で森の入り口まで回った際、雰囲気がいつもと違うように感じまして」
 結果、一旦引くことにしたらしいロランは、深夜の森に踏み入るに至った経緯を述べた。それは、ロランとしては何とない理由だろう。だが、サロメにとっては違った。ロランの答え。それは、サロメ自身の予測の外にある明確な「誤算」に値するものであった。
「雰囲気、ですか」
 噛みしめるようにつぶやき、サロメは反省することを止めた。己の行いで森の空気が変化するなど、わかるはずもない。まして、それにロランが気づくことなど予想できるものか。エルフの特性か、それとも森での生活が長かったという彼自身の習性なのかは定かではないが、この事象を先読みして回避するの到底無理なところだ。
……冬眠し損ねた熊でも出てきてはまずいと探りに来たのですが……要らぬ心配だったようですね」
――ええ、先ほどハイエナを一頭見かけましたが、問題ありません」
 ロランは「そうですか」と感情ひとつ見せずに頷いた。どうやら、これ以上の追及をしてくることはなさそうだ。サロメが不自然にこの場にいることの意味を、何通りか想定して納得したのだろう。そのあたりは、聡い男だ。
「サロメ殿、戻りましょう。深夜の森は冷えます」
「ええ、そうですね」
「こちらです、私の馬を待たせています」
 淡々と言葉を交わし、ロランは踵を返して整備された森の道に戻る道を歩き出した。サロメもそれに続く形で歩みを進める。
――サロメ殿」
 整備された森の道に戻り、ロランの愛馬の元まで辿り着いたところで、ロランは馬の鼻を撫でながら口を開いた。
「どうしました、ロラン殿」
 出方を窺うように、そしてけん制するようにサロメは返した。なんとも言えぬ張り詰めた空気が流れる。その空気に触れたのか、ロランの愛馬はぶるる、と鼻を鳴らした。
「あなたが騎士団としての裏の仕事をすべて背負う必要はない、と私は考えています」
――
 唐突に、そしてあまりに真っ直ぐな言葉がロランの口から発せられた。完全に隙を突かれたサロメは、目を見開いて言葉を失う。
「私は傭兵から正式な騎士に拝命を受けた際、ガラハド様の心遣いでゼクセン人としての籍と家名を与えられました。ひとりのゼクセンの貴族として、永くこの地で生きていけるようにと」
……ええ、多くの貴族はそれを団長の越権行為となじりましたが、今ではあなたを評価する者ばかりです」
「はい。それ自体は嬉しく、ありがたいと思っています。ですが、私が誇っているのは家名をくださったガラハド様のお心です。家名自体が傷つくことにはなんら抵抗はありません」
 ロランは振り向き、サロメと向き合った。森の深部で発見されてから、最も近い距離で見据える金色の瞳は、感情の読み取りが難しくも、真摯にサロメの双眸を覗き込んでいる。
「私の手はいつでも空いております。そのことは、どうか心に留めておいてください」
 ――その言葉が、緊迫し、そして疲れきっていたサロメの心にどれほど染みわたったか。グラスランド氏族との戦いから今日まで、ひと息もつけない時間があまりに長かった。大切な仲間たちが斃れても、事態は一秒ごとに変化し続けていく。流転する状況にどうにかしがみつきもがく中、恵みの雨が降り注ぐような感覚がだった。
……ありがとうございます。頼りにさせていただきます」
「ええ。それでは、戻りましょう」
 ロランは愛馬には跨らずに手綱を握り、ゆっくりと歩き出す。サロメもその隣に並んで一歩を踏み出した。
 それきり、ふたりが森での遭遇とその場での会話を口に出すことはなかった。
 サロメはすう、と息を吸う。先ほどまでまるで感じられなかった木々の葉の澄み渡った匂いが、全身を巡る。水分を含んだ新緑の匂いが、疲れた体にわずかな癒しを与えてくれた。


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