@xxxyueyunxxx
「それでは、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、ランフォード」
仕事用の鞄を提げて、夫のランフォードがゆったりと家を出ていく。
「ソレイユ! 急がないと遅刻するわよ」
「大丈夫だって、ママ! 行ってきまーす!」
ぬいぐるみだとかキーホルダーだとかをふんだんにつけたスクールバッグを持って、娘のソレイユが慌ただしく出ていった。
「全く。ソレイユは何度言ってもギリギリなんだから……お小遣い減額で脅したところで、無駄でしょうし」
ふたりを送り出した女性、サティナは小さくため息をつく。――この一家、実は全員人間ではない。その正体は、半永久的な生命を持った異種族『魔族』である。出自さえこの世界には無い。この星と並行して存在する世界『魔界』こそがサティナ達の生まれた土地だ。魔界には、この世界で言うところの宝石の類のものがふんだんに存在する。それを換金すれば、この世界の金などいくらでも手に入ってしまうのだ。
「――さて。私は私の仕事を始めようかしら」
この世界で、夫のランフォードは会社員、娘のソレイユは高校生をやっている。何もせずに滞在していたらいくら何でも怪しすぎるので、この世界の人間のしていそうなことを皆、演じているのだ。
サティナが演じているのは『主婦』である。パートにでも出ようかとランフォードにも相談したのだが、ランフォードが勤めに出ている間、家で魔界との中継をして欲しいと頼まれたので、いわゆる専業主婦をすることになったのだ。
まずは食卓の片付けだ。キッチンに立つと、三人分の食器を手際よく洗っていく。皿やコップを洗い、食器棚に片付けると洗い物は完了だ。
洗い物が終わると、洗濯に掃除が待っている。洗濯機に衣類を放り込むと、洗剤を入れてボタンを押す。これだけで洗濯が終わるのだから、正直これは便利だとサティナは常々感じている。魔界に電気があったら、これは魔界の家にも置きたかったりする。
洗濯機が回っている間に、部屋に掃除機をかけて回った。掃除機も楽に掃除が出来て、好きな道具のひとつだ。リビングと自分の部屋、あとランフォードの部屋に掃除機をかけた。ソレイユの部屋も掃除したいのだが、母である自分が部屋に踏み込むのを娘が嫌がるので、仕方がないからそのままだ。娘の部屋がちゃんと綺麗に保たれているのか、気がかりで仕方ないというのがサティナの本音である。
掃除機を片付けて洗濯機を見に行ったら、洗濯は終わっていた。今日は良い天気だったので、乾燥機を使わずに洗濯物を外に干す。これで夕方になる頃にはすっきりと乾いているだろう。
一仕事終えたサティナは、一度ここで休憩を挟んだ。リビングのソファに座ると、スマートフォンでチラシをチェックする。
「今日は彩花商店街で鶏もも肉と、あとはアジの開きが特売ね。――野菜は何が安いかしら。出来れば生姜が欲しいんだけど」
一通りチラシに目を通し終わると、サティナは立ち上がる。そして財布とエコバッグを入れた買い物バッグを用意すると、家に鍵をかけて出かけていったのであった。
商店街ではチェックしていた鶏もも肉とアジの開きを購入して、あと生姜と、タイムセールをしていたキャベツを購入した。エコバッグがずっしりと重くなる。何せ食べ物も三人分だ。普通に買っただけで、それなりの量になる。
洋菓子店の『ウィスタリア』の前を通ったとき、ケーキがあったらランフォードが喜ぶだろうかとふと考える。――気付けば店に入っていた。どれにしようか迷った末に、チョコレートのケーキを三つ、購入する。ランフォードは甘いものが好きだから。
ふと商店街の三番街の方に目線をやると、見知った姿が立ち話をしているのが見えた。ランフォードの友であり、やはりその正体は魔族であるジェフが、商店街の人間と話をしている。あれは文房具屋の店主だっただろうか。サティナの姿に気付いたジェフが目礼してきたので、サティナも小さく頭を下げた。
ジェフはこの商店街で骨董品屋を経営している。――そういえばチラシに『季節限定、茶器柄マスキングテープ入荷』と冗談のようなことが書いてあったが、一体ジェフはどんなものを作ったのだろうか。
またそのうち、尋ねてみようと決めて、サティナは商店街をあとにしたのである。
買い物を冷蔵庫におさめ、簡単な昼ご飯を終えた。サティナはひとりだとそこまで手の込んだものは作らない。手軽にさっと作れて、後片付けが簡単なものを作るのがもっぱらだ。
洗い物を終えると、夕飯の支度までサティナの仕事はひとまず無い。魔界から連絡が何かあるかと思ったら、今日はそれも無かった。
ここからは、私のお楽しみの時間ね――サティナはひとり、笑顔になる。
冷蔵庫を開けると、隅の方から小箱に入ったチョコレートを出した。これはデパートで購入したちょっと値段の張る、サティナお気に入りのチョコレートなのだ。
チョコレートを皿に乗せ、この世界で気に入ったハーブティーを淹れる。リビングのソファでくつろぐと、テレビをつけた。ランフォードにも内緒でこっそり加入しているサブスクリプションの、気に入りのチャンネルをつけると、視聴しているドラマの続きを見始める。
これはサティナの、ささやかな幸せの時間。人間の世界には慣れないこともたくさんあるが、サティナなりに好きなものも多く存在する。そんなものをこっそり楽しむのもまた、悪くない。
ソレイユが学校から帰るまでにも、まだ時間はたっぷりある。
サティナは自然と笑みを浮かべながら、お気に入りのチョコレートをひとつ、口に放り込んだのであった。