@twirl_rabbit
いつもならたくさん食べているはずのその手の動きが鈍い。確かに食べてくれている。膳に乗せたものは全てなくなっている。しかしほんの少しだけ、苦しそうだった。
どうしてなんだろう、と何度も考えた。苦手なものでもあっただろうか、体調が悪いのだろうか、おいしくなかったのだろうか。分からないモヤモヤが胸の中から腹の奥底にまでじとじとと溜まっていく。
そのモヤモヤが解決しないうちに、状況は悪化した。なんでだろう、どうして君まで。腹の奥に溜まっていたモヤモヤが、トゲトゲしいものになって喉から飛び出ていこうと必死になる。しかし、胸のところでつっかえてしまって、小さな痛みを何度も何度ももたらしてきた。
どうしてだろう、どうしてだろう。何が原因なんだろう。考えてもキリがなくて、だからいっそ、聞いてみた。
「ねえどうしたんだい。食欲がなさそうだけど、具合でも悪い?それとも、美味しくなかった?」
「!そ、そんなことはありません!」
食後に話しかけた粟田口の反応は、酷く動揺しているのがよくよくわかった。こちらが首をかしげて、明確な答えを待っていると、目が右に左と答えを探す。ちら、と見上げてくるその鳶色は困惑を隠すことができないままで、なんとか言い逃れようとしている気がした。そんな視線で、いまさらたじろぐこともない。まっすぐに見つめ返せば、やがて彼は教えてくれた。
どうして箸が鈍るのか、その原因を。
「……えーと、」
そこまで話して、ようやく一息。目の前にいる女性は、あのとき問いただした短刀のように、困惑している。
薄暗闇の広がり始める、一歩手前。空気は橙色に染め上げられて、まもなく夜が始まることをその色で伝えてきてくれている。本来ならば、厨に行って他の仲間たちと夕餉を拵えなければいけない時間だ。だが今日は違う。少しやりたいことがあるんだ、と言えば快く了承してくれた。もとより、下拵えもほとんど終わっているような状態だ。そこから手を加えることもなく、後は手順に則って焼くなり煮るなり蒸すなりすれば、今日の夕餉もとびきりおいしく出来上がるだろう。
彼女は、縁側に座る自分の側に膝をついて、座るでもなくそこにいた。手にしていた盆に乗っているのは、小鉢と湯のみ。本当に、彼の言ったとおりだった。
「……それで、その……どうして、ここに?」
「うん?僕も、味見したくなって。」
ニッコリと笑う刀剣の目が、あまり笑っていない気がする。
こうして直接会話をしたのは、きっと初めてだ。いやこの本丸にいる大体の刀剣と直接会話したことなどないのだ。「どうぞ手入れ部屋に」とか、「手入れが終わりました」とか、そのくらいの事務的な言葉しかかけたことがない、気がする。記憶が曖昧なのは、それくらいに気遣いがなかったことの現れだろう。本当に、己に嫌気がさす。
眼帯で右目を覆った刀剣…燭台切光忠は、突然やってきた。
いつもの時間より少し遅め、だけれど障子戸の腰板を軽くノックされる音に、私はいつもどおりの準備をした。今日はラタトゥイユ。量を多めに作ってそこにコンソメを少しと鶏の胸肉をゴロゴロと入れてある。明日これにペンネでも加えようかと思っていたところだ。ズッキーニが手に入らなかったけれど、玉ねぎがたっぷり入っているからトマトの甘みと酸味、玉ねぎの旨みがぎゅうと詰まっている。あ、お米とチーズがあればドリア風にしても美味しいんだよなぁ、と今の現実から逃れたい私をよそに、彼は「良い匂いがするね」と言っている。
彼の料理の腕前はよくよく聞いている。食べたことはないが、三日月も薬研もたまに食事時の話をしてくれるから知っているのだ。彼の前の主…眼帯をつけていたという武将も料理が好きだったと聞いているし、きっと上手なのだろう。だからこそ、料理上手な人に食べさせるのは、気が引けた。
「……多分、貴方が作るよりは美味しくないと思いますけど。」
「そんなことないよ?むしろこれ、どういう料理か教えて欲しいな。」
これトマトかい?なんて尋ねてきながら、彼は箸を持った。黒の革手袋に包まれた手が器用に箸を操る。塗り箸だと手で滑らないかな、なんていらない心配だったと思うくらいだ。
箸が、持ち上げる。あ、茄子だ。トマトと茄子の相性っていいんだよな。ぼんやりと考えていると、彼は一口、それを食べた。こく、と私の喉がなるのは、緊張からだ。なんだろう、先生にレポートなりなんなりを提出して、その場で目を通されている。その感覚にとても近い。
「……美味しい。」
呟かれた言葉が、本当にポロッと口から飛び出たような音に聞こえた。良かった、と胸を撫で下ろすものの、その次の動作に彼は移らない。箸を置くわけでもない、次を食べるわけでもない、さらに何かを言うわけでもない。本当にピタリと、動きが止まってしまった。
何かを考えているのだろうか。膝立ちに近かった状態から、私はその場に正座する。カアカアと、カラスが鳴いている。羽音は聞こえない。巣へと戻るのだろうか、それともどこかへ何かをしにいくのだろうか。見えない、わからないその鳥の行動と、目の前にいる男が被って見える。
彼は何をしに来たのだろう。先程の説明だと、夕飯の食いつきが悪い短刀を捕まえて事情を知ったからここに来た、という風に解釈できる。そして私の料理に興味を持った、と。確かに辻褄は合っている。合っているはずなのに、消化不良感が否めない。
そんなことを考えているうちに、彼がまた動き始めた。箸が、動く。茄子を、玉ねぎを、形の崩れたミニトマトを、次々と口に入れて、咀嚼していく。
「……これ、炒めてから煮ているのかい?」
「え…あ、はい。そんな感じです。」
「不思議な香り。にんにくと…」
「バジルとか、オレガノとかを入れてます。」
「ふーん…聞いたことないや。」
何かで代用できるかな、と口元に手を当てながら、彼は悩み始めた。
ああ、もしかして、と私の思考には拙い推理結果がぽんと浮かび上がる。
「…もしかして、」
「うん?」
「知らない料理のレシピ、聞きにきたんですか?」
かち、と。
箸が、小鉢の底を突く音がした。
こんこん、と腰板を叩いた。返事がくるわけでもなく、しかし中から音が聞こえる。そうしてさも当然と言わんばかりに、彼女は盆に小鉢とお茶を乗せてやってきた。その時の彼女の驚いた顔と言ったらなかった。目をまんまるにして、こちらを唖然と見てきたのだ。それがなんだか、滑稽だった。
いつも、そうやっているのかい?、と短刀…前田藤四郎に尋ねた時に、彼は一つ頷いた。大倶利伽羅のときも?とさらに言葉を重ねると、そうだと思います、と言葉と目で答えてくれた。
そのときの感情は、醜いものだった。
完璧が、好きだ。格好良く決めるためには、何事もそつなくこなしていかなければいけない。一つでも小さな失態があると、とてもみっともなく見えるのだ。戦場での殺し合いも、本丸での生活も、刀剣達の面倒を見るのも、掃除や洗濯も、そして料理も。見目も行動も、基礎から応用まで全てを完璧にこなして初めて、「己は格好がついている」と思うのだ。そうして、周りからも褒めそやされて、頼りにされて、そういうのがとても楽しかった。自信がついた。
そんなところに、点のような染みができた。前田藤四郎の食欲がたまに、落ちていることに気づいたからだ。体調が悪いことを見抜けなかった?嫌いものに気づけなかった?味付けが悪かった?今回も「完璧」を目指したはずなのに、前田藤四郎の食事への食いつきの悪さで「中途半端」になってしまった。
それが一度だけ、ならばまだいい。何度か続いた。何度か続いた「中途半端」という染みは、やがて「汚点」になって、拭っても取れないものになった。なぜだろう、なぜだろう。原因がわからないうちに、今度は大倶利伽羅までもがそういう状態になった。決して、食が細いほうではない。それなのに、いつもよりも食べる量が少なかった。全て膳を平らげるのに、少しだけ苦しそうなのだ。
どうしてだろう、なぜだろう。小さかった「汚点」はやがて大きな染みに変化していった。拭おうにもとれないそれは、消化しきれないもやもやになって腹の中を何度も何度もぐるぐると駆け巡っていくのだ。そしてそれを我慢できなくなってとうとう、前田藤四郎に原因を訪ねたのだ。
原因を知って、腹の底に何かうねるものがどすりと居座った。もやもやが、はっきりとした形になって、質量と重量のある感情になりかわって、己の腹の中に鎮座する。
審神者は…彼女はいまさらになって、どうして彼らの心をひっつかんでしまったのだろうか。ずっと、みんなのために美味しい料理をと思って作り続けている己よりも、それは素晴らしい料理を作っているのだろうか。そんな疑問を、腹の奥に居座ったものが吐き出した。
そう思ったら、食べてみたくなった。己よりも美味しいのか、己よりも素晴らしいのか、己よりも完璧なのか。衝動に近いものにゆすられるようにして体を動かして、そうして彼女の部屋に来た。
いざ、食べてみればそれはどうだろう。
普通の、味だ。自分が作るよりも雑味があるし、コクも薄い。もっとここをどうすれば、もっとそこをああすれば。次々と改善案が頭に浮かんだ。
ただそれを考える自分が、本当に醜かった。なんだ、自分よりも中途半端じゃないか。自分のほうが完璧にできるではないか。そう思ってしまった心の醜さが、何よりも「中途半端」に思った。
一口、一口と箸を進める。確かに美味しいけれど、特筆すべき点は何もない。それなのに、手は止まらなかった。
ああ、ああ、なんて自分は格好悪いんだろう。
何が完璧だ。滑稽すぎる。
「格好つけたいから完璧を目指していたけれど…見た目とか、行動とか、そういうとこばっかり、完璧を目指してたんだろうね。」
目につく部分、表面だけを完璧にしていた。
心の中に居座ったどす黒いものは、いうなれば「嫉妬」なのだろうか。しかも、「自尊心」を守りたいというどうしようもないものもくっついている。
自分のほうがずっと料理が上手なのに、自分のほうが彼らと一緒にいたから彼らの好みをわかっているのに、自分のほうが完璧なのに。いまさら横からひょいと顔を出してきて、その「完璧」を崩されるなんて我慢ならなかった。己の「自尊心」を傷つけられるのも嫌だったし、「料理上手な自分」という立ち位置を取られるのも嫌だったし、なにより「自分より料理上手がいるのは嫌だ」という馬鹿みたいな感情だってあった。
「見える部分だけ、完璧にしたってどうしようもないのに。」
そうやって笑ったのは、彼女にではなく、自分に対して、だ。
こういうときに、上手い言葉をかけることができない。それがなんだか申し訳なくもあるけれど、私はカウンセラーでもなんでもない。だから何を言おうか悩んでいると、彼は小さく笑う。
「別に無理して何かを言わなくてもいいんだよ。ただ、……そうだね、誰かに、聞いて欲しかっただけなんだと思う。」
「……少しは、すっきりしましたか。」
「うん。おかげさまで。」
ごちそうさま、といって、彼は箸を置いた。盆の上に戻された小鉢は綺麗に空になっている。
そういえば、話の途中で「普通の味」と連呼された気がする。完璧じゃないとか、特筆すべき点はないとか。まあそのとおりなのだけれど、もう少しこう、物言いをなんとかして欲しかった。それでもそれが、彼が私に抱いていた「中途半端」になってしまった感情の一部ならば、仕方なのないことなのだろう。そういった感情を持ってしまった相手に対して、オブラートで感情を包んで話すことは、案外難しい。注意していても、ぽろっと化けの皮が剥がれてしまうことはたくさんある。そういうことだったんだろうと、思うことにした。
「難しいね。感情を持つって。」
そう言って、彼は立ち上がった。ずっと座っていた姿勢で固まった筋肉を解すように、ググッと伸びをする。その腕の先よりさらに高いところに広がる空に、小さな白い点が一つ、二つ、三つ。
夜が、近づいてきた。
「……完璧を、目指すのも良いですけれど。」
「うん?」
「心を完璧にするのは、大変ですよ。
貴方の生き様を否定する気はありませんが…。疲れたときは、素直に「疲れた」と口に出して下さい。私よりも貴方をよく知る皆さんが、貴方を助けてくれるでしょうから。」
まっすぐに、私は彼を見つめていった。
宵が足元から忍び寄ってきているのに、彼の片目の金色がキラと輝いて見える。そしてそれが、ふわりと弓月に代わる。
「……そうやって、人の目を見て話せるんだね。」
「え、」
「前に、お茶をここに持ってきたとき……君は、僕を見てくれなかった。」
じゃあね、といって、彼が踵を返した。
最後の最後で、ざっくりと心を袈裟懸けに切っていったのはまだ、彼の中にある何かがそうさせているのだろうか。
今日はきっと、申し訳無さで眠れない、気がする。
燭台切光忠はこの後、同じ料理をつくる。
別の機会に審神者を訪ね…このときまた審神者が何を言われるのかとビクついたのはまた別の話となる…に作る手順を聞き、必要な油や香草を手に入れて、本丸の厨で大きな鍋いっぱいにそれを作った。野菜も、肉も惜しげも無く投入されたそれは、とても美味しく出来上がった。本丸にいた刀剣たちも、満足してそれを食したという。
そして同じくそれを口にした大倶利伽羅と前田藤四郎に、燭台切光忠は尋ねた。今日の料理、美味しかったかい?その台詞は、いつも様々な刀剣に投げかけられる言葉だ。
「まあな。」
「とても美味しかったです。」
そしてその訪ねかけへの返答は、燭台切光忠の心を大いに満たした。
そして、少しだけ、傷跡も残していった。
嬉しい言葉のはずなのに、どうして痛いと思うのか。
その答えを出すためには、まだまだ燭台切光忠には時間が足りなかった。