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「全部覚えてるよ」

全体公開 60 5713文字
2025-07-02 19:35:22

【必読】五夏/原作軸/海で語らう二人
「わすれてもいいよ」とリンクしていますが、単独でも読めると思います
2025年7月2日の、五夏の日によせて

Posted by @itou_888

 真上にあるらしい日の光を反射して水面が、ちかちかと輝く。寄せては返す波がむき出しになった足の甲を濡らしていた。ズボンの裾を大きく曲げて波打ち際を歩く友人の背中をじっと追う。
「はは、ちゃんと冷たいな」
 年甲斐もなくはしゃぐ夏油に、当たり前だろ、と返してやった。
「十二月なんだから」
「それもそうか」
 冬の制服に身を包んでいる夏油は、それでもなお楽しそうに足元で水を遊ばせていた。五条だって、同じくらい裾を捲りあげて砂浜を歩いているのだから、本当は呆れてやる権利などないのかもしれない。
 少し前までの自分ならば。冬の海になどわざわざ来ようとは思わなかったし、水に浸かるなど以ての外だった。単純に興味をそそられなかった。
 だというのに、今はこの友人と同じことをしたい、だなんて浮かれた考えで冷たい海水と戯れている。どちらかと言えば五条の方が呆れられてしまうだろう。
「ねえ、悟。覚えているかい」
「どれ」
 なにを、とは聞かない。これまで夏油と過ごしてきた全てを覚えているからだ。そんな意味を込めた返答は、驚きのためか丸く開かれた瞳とぶつかったが、夏油はそれ以上言及せずに話を続けた。
「私が、高専の裏庭で野菜を育てていた頃のこと」
 微笑む夏油が、あの日の姿と重なった。
 覚えている。覚えているとも。古びた学生寮の廊下から見下ろした背中。草なんかに水を撒いている姿。使用人の真似事をさせられているのだと思い、憤って窓から飛び降りた五条に驚いてホースの水を浴びせてきた少年のことを、ずっと覚えている。
「一緒に食べたスイカ、美味しかったね」
「傑ってスイカ好きだっけ」
「うーん。どうだろう。子どもの頃は好きだったかも。今は、分からないや」
「ふうん」
 夏油がスイカを好むのなら、いくらでも持ってこさせようと思ったが違うらしい。五条の返事を気にせず、夏油は続ける。
「あの時、私が種飛ばしで勝っただろう」
「は? 記憶改ざんしてんじゃねえよ。引き分けだろ」
「そっちこそ都合のいい捏造はやめてくれないか。私の勝ちだよ」
 波打ち際でしょうもない言い合いをする。鼻先がぶつかりそうなくらい近くで視線を飛ばしあい、あと少しで、と思ったと同時に夏油が姿勢を戻した。
「まあ、いいんだけど。ここで勝負の続きをしようって言いたかったのさ」
「勝負?」
「ほら」
 ひょい、と投げよこされたのは小石だ。砂だけだと思いきや、これくらいの大きさの石は落ちているらしい。
「ほら。おあつらえ向きに、いい感じの石が落ちている。水切りで勝負しよう、よっ」
 夏油が回転をかけながら投げた石が水面を何度も跳ねては遠ざかっていく。二十七回かな、と石の行先を眺める友人の隣で、見よう見まねに投げた石は二十九回跳ねて沈んだ。
「やるじゃないか」
「まあね」
「五回勝負にしよう。あと四回だ」
 再び投げられた石は、どれも小気味よい跳ね方をして沈んでいく。三十八、四十二、四十六、五十七、と以降の勝負は互いに記録を伸ばしながら続いた。
「最後は同時にやろう」
「いいぜ」
 せーの、の掛け声で投げられた石は順調に水面を跳ねて、跳ねて、跳ねて。
「あ」
 どちらともなく声が漏れる。
 二人の投げた石は最後の最後でぶつかり、揃って沈んでしまった。後に残されたのは静かな水面だけだ。穏やかな波が水面を滑っては、ほどけていく。
「引き分けか」
 自分から始めた勝負だというのに、あまり気にしていない様子で夏油が歩きだす。その後ろに五条も続いた。しばらく歩いたところで、再び問いかけられる。今度は夏祭りに行った日のことだった。
「覚えてるに決まってんだろ」
「はは。決まってるんだ」
「オマエが好きって言った」
 弾かれたように夏油が振り向く。思い描いた通りの反応に笑いかけてやり、ブルーハワイ味、と返した。
「青色が、綺麗で、好きだったんだろ」
……そうだよ。ここの海も青くて綺麗だね。十二月の海ってもっと暗いイメージがあったから意外だな」
 少し拗ねたような表情になった夏油がまた正面を向こうとしたので、その手を掴んで引き止めた。
「二人で花火を見たし」
「見たね」
「あの後、高専で花火した」
「フフッ、遊んだねえ。傑作だったな。あの、ささやかな打ち上げ花火」
 夏祭りから数日。呪術高専で花火をやろうと提案したのは夏油だった。だというのに、呪術高専で打ち上げ花火をした第一人者になるはずの記念すべき当日、夏油は二級術師になるための昇級試験に向かうことになった。長期任務になると言われた瞬間の空虚な気持ちをなんと表現したらよかったのだろうか。
 それでも買った花火に火をつけたのは、感想を聞かせてくれと言われたからだ。友人不在の一日は始まりから驚くほどつまらなくて、花火を手に持った頃なんてつまらなさの頂点だった。
 けれど夏油は間に合った。五条達は、呪術高専で打ち上げ花火をした初めての生徒になった。たぶん。本当は真偽など、どうでもよくて、なんなら花火のショボさだって関係なかった。
 当時の五条にとって大事だったのは別のことだった。
「傑とやるなら、なんでも面白かった」
 二人の関係に友達という名前をつけた瞬間だった。夏油が五条を、気の合う初めての友達だと言うから、自分もそうだと告げたのだ。
「私もそうだったよ」
 少しだけ目を伏せて言う姿に我慢が効かなくなり、掴んだ手を強く引いて腕の中に閉じ込める。夏油はもぞもぞと動くので余計に抱きしめる強さを強くしたが、逃げようとしていたわけではなく落ち着ける場所を探していただけだった。良い位置を見つけたのか、今は大人しく五条の腕の中におさまっている。
「友達よりも、もっと上ってないのかを聞いたことがあっただろう。覚えているかい」
「覚えてるよ。オマエがそれを親友だって教えてくれた」
「うん。あの時の私にとって、悟はたった一人の親友だったんだ」
「──俺は、今でも傑だけだよ」
 勢いよく顔を上げた夏油と、ついに鼻先が触れあう。視線を逸らさず見つめ続けてやると、観念したのか、目尻をほんのりと赤く染めた夏油が肩口に勢いよく頭突きをしてきた。
「格好つかないな。悟はこんなに素直なのに、私は」
「どんなオマエでもいーよ。別に俺だっていつも素直だったわけじゃない。こういうのって今だから言えること、ってやつなんじゃねえの」
 頷くように動く頭と、ぐずっと鼻をすする音。嬉しくなって頭をわしわしと撫でる。ついでに高い位置で括られている髪を解くと、黒髪が風になびいて流れるように踊った。綺麗だ、と心の内で思ったはずが口から出ていたらしく、夏油からは物好きだと笑われてしまう。
「あーあ。その姿でそんなことばかり言われると、私に都合が良すぎて妄想か現実か分からなくなる」
「どっちだっていいんじゃなかったのかよ」
 それを聞いて、少し体を離した夏油は、再び笑ってくっついてきた。
「そうだね」
 そうしてまた体重を預けてくる。しみじみと感じ入るように夏油が呟いた。
「その通りだ」

 二人で波打ち際を歩く。先程と違うのは、五条と夏油が並んで歩いており、その手が繋がれているという点だ。
 海側を歩く夏油の足が何度も何度も波にさらわれるのを見て、場所を変わろうと言ったのに、首は横に振られるだけだった。
「古来、あの世は川で表現されることが多かったけれど、私の場合は海らしい」
 君の場合は空港だったね、と微笑む横顔があまりにも美しく見えたので、片手だけで写真を撮る仕草をする。残しておきたいと思うような景色がまだ存在していたことに、しみじみと感じ入った。
「なにをしているんだ」
「んー」
「もしかして、写真を撮るフリ? かわいいことをするじゃないか」
「まーな。でも写真はいいや」
「へえ?」
「目に焼きつけとく」
 繋いでいた片手を引いて自分の頬にあてた。つられて夏油の体がこちらを向いたので、挑発するように口角を上げる。すると友人も片頬だけを器用に上げる綺麗な笑い方で、光栄だね、と言った。
 どちらともなく歩き出すも、聞こえてくるのは波の音だけだ。こんなに静かな場所を二人で歩く日が訪れるなんて思わなかった。かつての五条達の間にも、静かな時間というものはあったし、それを共有できるから一緒にいて心地よかった。
 しかし、当時の自分達には求められることが多く、どちらかというと騒がしくて眩しい時間の方が多かったように思う。それを過ぎて、終いには共有できる時間などなくなってしまったけれど。
 見渡す限りの青い海と空。時おり平たい石も転がっている砂浜。人工的な物に乏しく、また人の気配もない。
「つーか、俺の彼岸がアレだとして。オマエの彼岸ならもっとたくさんの人間に囲まれてると思ったわ」
 握る手を緩やかに振りながら言う。しばらく視線を感じていたものの、夏油も正面へ向きなおって口を開いた。
「私と関わってきた人たちが、私と同じところに来るはずがないだろう。極楽浄土だか天国だかは知らないが、ここではない安らかな場所に行くはずさ」
「俺は?」
「君は……
 夏油が立ち止まるのに合わせて歩みを止める。夏油の視線は繋がれた手に落とされていて、それからこちらをじっと見つめた。
「君は、私のいないパライソに興味があるのか」
 いや、ちょっと恥ずかしいことを言ったね、忘れてくれと照れた友人を抱きしめる。ようやくここまで来たような、不思議な達成感に満ちていた。
「合ってるよ。合ってる。やっと分かったのかよ。おせーよ」
「ははっ」
 同じかそれ以上の強さで抱きしめられるのを甘受する。夏油の方が五条より僅かに小さく、それでいて抱きしめあうとピタリとハマるパズルのように収まりがいいのだから、初めからこうなるように誂られていたのかもしれない。
 じんわりと濡れる肩口を思う。強い奴は泣かないと思っていたけれど、それはどうやら間違っていたらしい。そっと顔を上げさせると、ぽろりと涙が頬を伝っていた。唇を寄せて優しく吸いとる。海の味がする。擽ったそうに笑う姿はどこか嬉しそうだ。
 夏油が泣くのは、強いからでも弱いからでもないのだろう。この彼岸がそうであるように、夏油という人間が海のような奴だから、ぽろぽろと溢れてやまないのだ。
 ふと、夏油の中を泳げたらどれだけ気持ちいいかを夢想した。夏油に許されて、受け入れられて、揺蕩う瞬間を静かに夢想した。

「さっき君が言ったことだけれど」
 どちらともなく抱きしめあった体を離し、同じように歩き出す。どこまでも果てがないように見えるこの場所は、ただひたすらに二人の存在を留めていた。
「さっき?」
「ほら、私の彼岸なら人がたくさん居ると思ったってやつ」
「ああ」
「それで考えてみたんだけど、もしもこの場に現れるとしたら、その、両親かもしれないなって」
 はたと見つめた横顔は、俯きもせず、真っ直ぐと前を見つめていた。
「愛情深い人たちだった。私にたくさんを与えてくれた。最期の最後に親不孝をしたけれど、あの人たちなら、この彼岸に現れて私を叱るのかもしれない」
「叱って欲しいの」
「どうだろう。分からないな。そんなもの抜きにして、私が、ひとめ見たいのかも。あの人たちの居場所はここじゃないけれど、親不孝な息子の前に一度くらい、いや。さすがに虫がいいな、それは。やっぱりここには誰も居るべきじゃない」
 つらつらと話す夏油の言葉に、それ以上の相槌は打たなかった。なんとなく望まれていないだろうと感じたからだ。きっと、肯定も否定も求められていない。あの空港で、五条が夏油に人生について話したように、ありのままを吐露しているだけなのだ。
 その相手に選ばれたことを嬉しく思う。
「だから、って何をしているんだい、悟」
「いや、髪型をチェックしとこうと思って」
「今さら? ここは海だから整えたってすぐに乱れてしまうよ」
「それでも、オマエの両親に会うかもしれねえじゃん」
 え、という短い呟きは聞かなかったことにする。代わりに繋いだままの手に力を込めた。
「挨拶しねーとだろ」
……なんて言うのさ。息子さんにお灸を据えましたって?」
「ちげーよ」
 空いた手で、パチンと軽く額を弾く。
「息子さんの最期の男ですって挨拶するんだよ」
「なんだそれ!」
 けらけらと笑う夏油は、恐らく本気にしていないのだろうが、余裕ぶっていられるのも今のうちだ。
 だってこれは宣戦布告なのだ。かつてのオマエが得意だったやつだ。どうしたって友人の最初の人間になってしまう存在に対して、最後だけは譲らないという宣言だ。
 もしかしたら、この魂が流転して、次があるかもしれない。その時だって容赦はしない。五条が男になろうと、女になろうと、夏油の最後は未来永劫譲らない。
 さて。もしもの話を空想する。今度出会う時には、なんと話しかけてやろうか。夏油のことだから、全部忘れてまっさらな状態になっているかもしれない。だとしたら、初めは、そうだな。スイカの種を遠くに飛ばすには体を大きく動かすといいって話がいいだろうか。それとも、屋台に並ぶ食べ物は全部濃いソースの味がするという話題でもいいかもしれない。線香花火を長持ちさせる競争は楽しいよって誘い方も悪くないだろう。
 そこまで話して、ナンパか何かだと勘違いしているはずの夏油に聞いてみるのだ。
「俺、オマエの親友なんだけど、覚えてる?」
 笑うだろうか、驚くだろうか。どんな反応を見せてくれるのだろう。どんな返事をするのだろう。
 答えは、いつか再び会う日の楽しみにしておくとして。とりあえず今は、六眼の役目を終えたばかりの瞳に遠く映る二つの人影へのご挨拶を優先することにした。
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