アジクロ寄りのineffable husbands
@otohitoe_
閑古鳥の鳴く書店に退屈を覚える感性は持ち合わせていないアジラフェルの胸の片隅にほんのささやかな寂しさが在るのは、数日前から上で眠っているクロウリーが理由だろう。いるからといってやることは普段と変わらない。一人でいるときは何とも思わないのに、ただそこにいるというだけで大事なものを置き去りにしているように心許ない。
(…そういえば)
新しく買ったあのブランケット、見当たらないけど上に持って上がったんだっけ。
なんて、必要もない理由をわざわざ作って寝室を覗きに二階へ上がる。それはそれは寝相の良いクロウリーだが一度大きく動くとしばらくの間は静かなもので、予想通り最後に見たときと同じ格好のままぐっすりと寝入っていた。
アジラフェルはベッドの縁に腰を下ろし、今朝整えてやった前髪をもう一度撫でつけた。さっきまでの心許なさが消え、視界にいるだけで時間の流れる速さがまるで違う。見つめるほどに愛おしさが募り、目尻をそっと撫でたとき、ふ…と瞼が半分持ち上がる。
「………」
アジラフェルはぴたりと動きを止め、静かにその横顔を見つめた。まだ起きたとは限らない。ただ多少期待はした。寝顔を鑑賞するのももちろん嫌いではないが、動いているのを見ているほうが楽しい。お喋りもできるし。
じっと動向を見守っていると再びゆっくりと落ちてゆく瞼。やっぱりまた寝ちゃうか、と思ったそのとき、持ち直すようにまたふっと目が開いた。
「………」
「………」
数呼吸ののち、黄色い瞳が真上に向く。
「…アジラフェル」
「おはよう」
「…朝か?」
「いや、もう午後だけど。起こしちゃったかな」
「なにしたんだ…」
「顔を撫でただけだよ」
クロウリーはほとんど俯せだった体勢のまま蛇のように這い、積まれたクッションにぼすんと上体を放った。
「何日だ」
「七月一日」
「んあ…予定より一日寝過ごした…」
「きみは本当に眠るのが好きだね。もしかしてわたしと会っていないときはずっとそうしてたとか?」
「うぬぼれんな…」
片方だけ口の端を上げて吐息交じりにそう言い、クロウリーは例によって何も纏っていない体を脇腹あたりまで露わにしながらアジラフェルのほうへ向ける。
決して上品とは言えない姿のはずなのに、不思議とはしたなさは感じない。贔屓目もあるのかもしれないが。
「ここで寝るのが気持ちよすぎるのが悪い」
「ぐっすりだったね」
「時々おまえのにおいは感じてる」
「………、」
「おまえが寝室に入ってきたり、出て行ったり、傍で本を読み始めたりするのはわかるときがある。いつもじゃないぞ、時々な。そういえばこの頃は机に向かってなんか一生懸命やってんな。何してんだ?」
「判子だよ。最近彫るのにはまってて…本当に見てるんだな」
「寝ちゃいるが、こう…意識が…浮上するっていうか。半分寝てるけど、半分起きてる」
「で、寝てるほうに引っ張られてまたすぐ寝る」
「そう…」
経験こそ一度も無いが、眠りに波があることは知っている。こんな身近にめいっぱい睡眠を楽しむ友人がいるのだから興味が湧くのは当然で、仕組み自体は完璧に理解しているつもりだ。
「睡眠のことを浅いとか深いとか言うのは、水の中にいる感覚に近いってことなのかな」
「おまえにしちゃ悪くない考察だな」
「想像したら久し振りに海の中を見たくなった」
「行くか。夏だし」
「よく晴れた暑い日がいいな」
「パスポートが必要かもな」
「かもね」
実際に必要だとしても正規のものではないであろうクロウリーのそれをまた想像して、アジラフェルはくすりと笑う。写真はどんなふうだろう。確かサングラスの着用は認められなかったはずだが、きっと掛けている写真にするに違いない。無表情は得意だろうけど。
思い描きながらふとクロウリーの顔を見遣ると、なんだかとろりと微睡んでいることに気付く。
「クロウリー」
「ん」
「また寝ようとしてるだろ」
「ふふ…」
クロウリーは甘えた声で小さく笑った。当たりらしい。
「暑い日がきたら起こしてくれ」
「寝過ごしたなんて言っておいて…本当好きだね」
「おまえとすることなら、なんでもな…」
そう言ってクロウリーはとうとう瞼を閉ざし、あっさりと静かな寝息を立てはじめてしまった。
アジラフェルは少し面食らっていた。
そうか。きみにとってはこれもわたしとしていることなんだな。きみがいると思うとそわそわしてしまうのと同じように、きみもわたしがいると思うから寝過ごしてしまうのか。
優しい寝顔を眺めながら、穏やかに上下する胸元までそっとシーツを引き上げてやる。
わたしもそのうち一度くらいは、きみと同じ海で揺蕩う夜を過ごしてみたいな。