喧嘩する話 / ineffable husbands
@otohitoe_
アジラフェルと喧嘩した。
「わかった。もういい」
似たもの同士、お互い共に頑固だが、アジラフェルはそれが居住まいにぴったり反映されて、まるで尻に根でも生えたかのように、或いは大岩のように、椅子から動く気配が無い。
仕方がないからクロウリーのほうが立ち上がってその場から去るのはいつものことだ。
「逃げるのか」
今日は相当に頭にきているらしく、引き止める気配など微塵も無い口調で言い捨てるように背中に投げつけられた声。
「そうだよ」
クロウリーはゆっくりと振り向いてアジラフェルの双眸を見据えた。上等だ。頭にきてるのがおまえだけだと思うなよ。
「何処まででも逃げてやる」
「何処へでも好きなところに好きなだけいればいい」
「もしおまえがおれを見つけられなかったら、もう二度とおまえの前には現れないからな」
「…何、」
「期限は一年」
「クロウリー、そんな勝手なこと」
「じゃあな」
ぱちんと指を鳴らし、クロウリーは地球の反対側まで“ショートカット”した。どこにいてもアジラフェルのにおいを感じ取れるクロウリーに有利すぎるゲームだった。すぐとはいかずとも一週間、いや、だいぶ怒ってたから追ってき始めるまでにひと月はかかるかもしれないな。おれを捜し当てるということはつまり、アジラフェルが折れたということだ。
(やっぱ半年はかかるかな…)
などと高を括っていたらあっという間に三六四日経った。クロウリーはこれまでに無いほどどきどきしていた。一年ここで過ごすつもりなんて無かった。なんなら追ってきたアジラフェルから更に逃げながら久し振りにあちこち旅行でもして回るつもりだった。それが、たったの一度も動かないとは。
何考えてんだアジラフェル、馬鹿天使、聞いてなかったのか? 期限は一年って言ったはずだ。それを過ぎたら本当にもう二度とおれと会えないんだぞ。頭に血が上った勢いであんなわけわかんねえゲーム始めたとはいえそうさせたのはおまえだし、乗ってこないのはマナー違反だろ。一丁前に紳士ぶってるくせに、人に恥をかかせていいのか?
クロウリーは思いがけず一年借りっぱなしになった小ぢんまりとしたホテルの部屋の中で忙しなくうろつきながら舌打ちを繰り返した。くそくそくそ。どこまで頑固なんだ。あの意地っ張りのマシュマロめ。
ひとしきり歩き回ったあと、すっかり体に馴染んだカウチソファに倒れ込むように体を預けると、クロウリーはこれ以上深くなり得ないほどの皺を眉間に寄せた。
「………」
本当にもういいのか。こんな形で終わるなら、おれは最後まで意地を張り通すぞ。おまえだってそれくらいわかってるはずだろ。おれがここまでしたんだから、おまえが折れるべきだろう。大体おまえは、天使なんだから。
「……アジラフェル」
ほぼ一年振りに口にしたその名前。質の良いとは言えないソファの肘掛けを枕に、色褪せた背凭れに向かってぼそりと呟いた。
「ようやく折れたな」
背後からの声を全く予想していなかったわけではない。ただ賭けた。そして台詞の内容がどうあれ、そのにおいと声がここに届いた時点でこの喧嘩の決着を意味していた。…はずなのだが。
「結局こうなるんだから、早く折れてくれればいいのに」
まるで悪びれる素振りがなく仕方なく来てやったとでも言わんばかりの態度のアジラフェルに、クロウリーはいらつき始めながら体を起こして立ち上がった。
「折れた?そりゃおまえのほうだろ。寝もしないくせに寝ぼけたこと言うな。ここに来たのはおまえだ」
「呼んだのはきみだ」
「そんなのルールには無い」
「そもそもきみが勝手に言い出したルールだ」
「ああ言えばこう言う」
「きみこそ」
「喧嘩の続きをしに来たらしいな」
アジラフェルは約一年前と少しも変わらない、窘めるような眼差しでクロウリーを見下ろしていた。
「………」
「………」
「何か言うことは?」
「無い」
「こんなところまでわざわざ追っかけてきておいて?」
「…だから、呼んだのは」
「おれだけど、来たのはおまえだ」
「………」
「まだ続けるってんなら、」
「わたしが悪かった。ごめん」
唇を僅かに噛み、顔をきゅっと小さく顰めて、アジラフェルは子供のような謝罪でクロウリーの言葉を遮った。
アジラフェルと同じだけ頑固なクロウリーが本当にこの約一年の間会いに行かなかったこと、その意志の固さもよくわかっていただろうアジラフェルもきっと、クロウリーのようにはらはらとした一日を過ごしていたことだろう。
クロウリーはさすがに多少は意表を突かれはしたものの、元から返事は決まっている。
「いいよ」
そう答えると、アジラフェルはゆっくりと顔を上げ、いつもの柔らかい眼差しをクロウリーへ向けた。
「ゲームはおれの勝ちだし」
また喧嘩が再開されてしまいそうな台詞でも、アジラフェルの手を取るだけでお互いにぎこちない微笑みを滲ませるだけだった。これで喧嘩はもうおしまい。
ちょうどよかった。一人で観る南十字星にも飽き飽きしてたところだったから。