個人サイトの周年企画でいただいたリクエストで書いた話。ボルスとルース。
@kazane_noname
『運のない奴は運のいい奴を必然的に引き寄せちまうもんなんだよ。ちょうど、俺と君みたいにね。いやあ、世の中ってのはうまくできてるよなあ』
昨晩、そんなわけのわからない法則をグラス片手に語っていた男は、今。ひとりの少女を差し出しながら満面の笑みを浮かべていた。
「じゃ、そういうことで。後はよろしく頼んだよ」
「なっ、ちょっと待っ……」
一方的な押しつけに抗議しようと口を開きかけたときには既に遅し。彼の姿は地下通路の闇へと消えかけていた。足音も立てない俊敏な動きは、ああ見えてもハルモニアの特殊工作員であることを物語っている。もちろん、「さすがだ」などという感心はこれっぽっちも沸きはしなかったが。
「よろしくって、俺にどうしろと言うんだ……」
座礁した船の船室前。ボルスは気まずい面持ちでひとりの少女と向き合っていた。
肌は褐色。髪は色素の薄い金で、瞳は透き通るような青緑。衣服は茶系をベースとした生地に複雑な模様が彩られている。十歳前後の可愛らしい少女は、カラヤクランの民であることを示す特徴をすべて兼ね備えていた。
少女は口をぽかんと開け、物珍しそうにボルスの顔を見上げている。
「……」
無垢な瞳に返せる言葉が浮かばない。相手が子供である以上は邪険に扱うこともできず、ボルスもまた少女を見つめ返すことしかできなかった。
ここにやって来たのは、入浴のためだった。風呂はいつも大盛況で混雑しているが、夕方に差し掛かるよりも少し早いこの時間帯は比較的空いていることが多い。
訓練を早めに切り上げて風呂のある船へと続く地下墓地を通り抜けると、例の工作員とこの少女に出くわした。少女に引きずり回されて苦笑を浮かべるナッシュにさして同情するでもなく、無視してすり抜けようとしたところで捕まり、押しつけられてこの有様だ。
「遊び相手になってあげてたんだけど、俺も何かと忙しくてねえ」とナッシュは言うが、いつも暇そうにそこらをほっつき歩いている男のどこが忙しいというのか。ただの逃げ口上にしか聞こえなかった。
「まったく……」
深い嘆息を漏らしながら、ボルスは腕を組んだ。
「ねえ、お兄ちゃん」
「……なんだ?」
幼い少女は透き通った瞳でボルスの服の裾を握った。
ゼクセン騎士の証である橙の騎士服を、幼い褐色の指先が。――胸が、ぎしりと軋んだ。
「上にいこ!」
「上?」
「うん! 湖を見ようよ!」
少女は服をぐいぐいと引っ張って歩いていく。笑顔には屈託も敵意もなく、ただただ無邪気に綻んでいる。それを素直に受け止めることができなくて、ボルスの胸はぎしぎしと一層強い悲鳴を上げた。
戦場に出るよりも前、幼い少年時代だったなら、こんなに苦しくはならなかっただろうか。あるいは、もっと年老いた後だったなら? ――いや、それよりも、あの焼き討ちの一件がなかったら――。目の前の現実にうまく対処ができず、想像を巡らせて気を紛らわせるのが精いっぱいだった。
「早く早く!」
「わ、わかった。だからあまり引っ張るなっ」
結局どうすることもできないまま、ボルスは無抵抗に少女に引き摺られ、甲板への階段を上った。
晴天の日差しが注ぐ甲板には、柔らかな風が吹いている。少女はその風を浴びながら湖に魅入っていた。
「きれーい!」
小さなつま先を必死に伸ばして身を乗り出す少女の背後で、ボルスは呆然と同じ光景を見つめていた。
陽光を浴びてきらめく水面は止め処なく、静かにゆらめいている。穏やかだが止まることのない水の揺らぎは、まるでゆるやかに淀む己の内側そのものだ。そのせいか、少女と同じように素直に綺麗だと思うことができなかった。
「お兄ちゃん、かたぐるま!」
「……は?」
「かたぐるま、して!」
少女は両手を広げ、満面の笑みを浮かべてボルスを見上げる。
「……っ」
その小さな両手で自分の心臓を握られたような錯覚に陥った。敵意も戦意も持たずに笑う少女。逆に彼女を“カラヤの子”とラインを引いて直視できない自分。とてつもない嫌気に襲われながらも、ボルスはどうにか少女の両脇を抱え、己の肩に乗せた。少女は、驚くほど軽かった。
「わー! よく見えるよ!」
「……よかったな」
「でも、アイラのお友達にかたぐるましてもらったときより低いなあ」
「小さくて悪かったなっ!」
「きゃははっ! 揺れる揺れるー!」
自分の頭を抱えるようにして眼前の湖に目を輝かせている少女の両足を軽く揺さぶってやる。きゃっきゃと弾んだ声が心地良い。少女から香る風と草原の匂いも、遠乗りで馬を駆ったときのそれによく似ていて清々しい。しかし、素直に受け止めてそのひとときに安息を感じることができない。
(……落ち着かない。……いや、違う。俺は……)
「メリル! あんたなんてことを!」
悲鳴に似た女の声に、ボルスはびくりと肩を竦めた。振り向いた先には、恰幅のいいカラヤ族の女性が洗濯物を抱えながら、信じられないと言わんばかりの面持ち立ち尽くしていた。
彼女には見覚えがある。いつも、風呂場の入り口のそば――そう、正にこの位置で本拠地の洗濯を担当している女性のひとりだ。ゼクセン人の姿を見れば眉を吊り上げてそっぽを向き、洗濯を頼む時だって気が気じゃないと部下たちもよく口にしていた。
今だって、この世にあるまじき光景といわんばかりの形相で、こちらを見つめている。彼女らにとってゼクセン人は憎き鉄兜で、ゼクセン人にとって彼女たちは荒々しい蛮族。憎み合うゼクセンとグラスランド。そうなったきっかけは正直なところ、よくわからない。物心ついたときには既にグラスランドは蛮族で、剣を交えることが当たり前の存在だった。
遠い遠い昔から続く憎悪の螺旋は、今日明日で簡単にほどけるものではない。手を取り合うとを決めた今だって、大小さまざまなわだかまりが本拠地のそこかしこに転がっている。
そう、例えば今だって――。
「ルース、見て見て! 湖とっても綺麗だよ!」
「そんなのはいいから、すぐに降りなさい!」
「えー、どうしてー?」
「どうしてもだよ! そんな鉄…」
言いかけて、ルースと呼ばれた女は目を見開き、慌てて言葉を萎ませた。それから軽く息を詰めて、深く深呼吸をする。その姿は、この城の中で蛮族と言いかけた自分が心を落ち着けるときの行為に、嫌というほど似ていた。
「……その人だって忙しいはずさ。邪魔しちゃいけないよ」
「えぇー」
「メリル!」
「……はーい」
ふたりの会話の流れのままに腰を屈めると、少女は軽い身のこなしでひょいと飛び降りた。その顔は大層不機嫌で、柔らかそうな頬はぷっくりと膨れて赤らんでいる。
「……お兄ちゃん、ありがと」
「ああ……」
くるりと背中を向けた少女の寂しげな背中に、一枚の思い出が重なった。どんなに駄々をこねても聞き入れてもらえず、ふてくされる子供。
その昔、父の剣に触れてみたくて鞘に手を伸ばし、まだ早いと怒鳴られた自分もこんな風にいじけたことがあった。そのときの気持ちを思い出すと、声をかけずにはいられなかった。
「……なあ。また肩車してやるから、そんな顔するな」
「……ほんと?」
少女はぱっと大きな目を見開いて振り向いた。
『次の誕生日になったら触らせてやる。だからそんな顔するな』
『……ほんと?』
――ああ。世界はどんな国でも同じ光景を紡ぎながら成り立っているんだ。
自覚して、何かが自分の中にすっと落ちる。そのときになって、ようやくボルスはうっすらと笑うことができた。
「ああ、本当だ」
「……ありがとう! 絶対、絶対だよ!」
満面の笑みで大きく手を振る少女に、こちらも手を振り返す。褐色の肌に、白い手で――。
「……ご息女に失礼をした」
「こっちこそ、わがままな子ですまないね」
淡々とした声色で詫びたルースは、抱えていた洗濯物をてきぱきと干しにかかった。なんとなくその場を去る気になれなかったボルスは、ぎこちない仕草で再び湖を見つめる。水面は変わらず止め処のなく揺れて、煌めいている。しかし、不思議と先ほどよりもクリアに輝いているような気がした。
「……あんた、鉄頭の中でも優秀な戦士なんだろう?」
不意にルースに問われ、ボルスは手探りに言葉を探した。
「……一応は」
「ってことは、私たちの仲間をたくさん殺したってことだね」
「……」
否定はしなかった。弁解する理由はない。それが自分たちを護るための手段だったのだから。それは、相手とて同じこと。奪われて、奪った。お互い様だ。
しかし、正論を掲げて開き直るのも、また違う気がした。だから、ボルスは何も言わなかった。
「あんた、子供はいるのかい?」
「……いや、まだ」
「私は多くの子供を戦争で失くした。もちろん、あんたたちとの戦でね」
パシッとシーツをしならせて、ルースは慣れた手つきでそれを竿にかけた。
「……悪いけど、私にはあんたたちを許すことはできそうにもない。例え理屈ではわかったとしてもね。子供を殺された親ってのは、そういうもんなんだよ。あんただっていつか親になったらわかるはずさ」
「……」
「でもね、あの子は何も知らない。あんたたちゼクセン人が親や友達を殺したってことなんて、これっぽっちも知りやしないんだ」
「親……?」
ボルスはそのときになって、初めてまともにルースへ視線を向けた。一方の彼女はそれに合わせることもなく、無に近い表情でシーツを見つめ、その皺を伸ばしている。
「あの子は私の子じゃないんだよ。両親ともずいぶん前に死んでしまって、私が引き取って育ててるだけさ」
「……そうか」
重々しくうつむくボルスに対し、ルースは洗濯物を持つ指先に少しばかり力を加え、空を見上げた。
「私はあんたたちを許すことはできない。……でも、あの子が大人になったとき、あんたたちのことを憎まずにすむ時代を作っていくことなら、できるかもしれない」
「……え?」
「ここに来て、あんたたちと過ごすようになって、色々と思うところもあってね。カラヤもゼクセンも、男たちはバカみたいに酒を飲んで騒ぐし、子供たちはやんちゃで外を駆け回る。生まれた場所は違っても、根っこは何も変わらないんじゃないかってね」
驚いた。自分が今感じたことを彼女も同じように感じていたなんて。人種は異なろうとも、同じ世界に生きて、笑って、命を紡いでいる。ゼクセン人も、グラスランド人も変わらない。同じ人間なのだ。
そんな簡単なことを、いい大人が今になって気付き、実感している。本当に今更だ。
――それでも、まだ、遅くはないだろうか。
「そろそろ、鉄頭だの蛮族だのなんて呼び合うのは、終わりにする頃合だと思わないかい?」
視線を意図して外していたルースが、ようやくボルスを見据えた。
――極めて薄くだが、確かに微笑んで。
「……そうだな」
それに応え、こちらも笑んだ。
“蛮族”という言葉を使うようになったのは、いつからだっただろう。敵対心を剥き出しにして、憎しみを込めて叫んだことが何度あっただろう。こうして大きな流れの中で歩み寄った今、その響きはあまりに空しい。そんな言葉はもう自分で終わりにすべきだ。次の代には必要ない。
「あの子があんたに懐いた事実を、風の精霊に感謝するよ」
「……ああ。俺も女神ロアに感謝しよう」
互いに瞑目してそれぞれの神に軽く祈る。次に目を開いたときには、もう踵を返しかけていた。
「では、俺は失礼する」
「ああ、洗濯物があるんだったら持っておいで。洗ってやるよ」
「――すまない」
それから交わす言葉は、もう何もなかった。自分が立てなくてはいけなかった、彼女から聞かなくてはならなかった決意は、もう交わせたから。あとはそれを広げてゆくだけ。
――仲間に、民に、未来に。
今度あの子を肩に乗せる時は笑って手を伸ばそうと、ボルスは肩にかけていたバスタオルを握りながら思った。
――いつか、未来にできるであろう自分の子供に、差し出すようにして。