@xxxyueyunxxx
楽器店の部屋のひとつから、ピアノの演奏が聞こえている。
その部屋を覗いたとしたら、背の高い男がピアノを一心不乱に弾いているのが見ることが出来ただろう。
ウェーブした艶のある腰までの長さの黒髪に、白い肌。鋭いシトリンの瞳にすっと通った鼻筋、そして形の良い唇を持ったほっそりとした男――ジェフは気分が晴れないとき、よくここに来てピアノを弾いていた。
彼にとってピアノは、気分転換の手段のひとつであった。過去訪れた土地でたまたま習った楽器であったが、思いの外気に入り、彼の本来の住処、魔界には自分のピアノまであったりする。調律もジェフ本人が行っている、気に入りの一品なのだ。
今弾いているピアノは、この楽器店の貸しピアノだが、悪くない音をしているとジェフは感じていた。しっかり調律されたこのグランドピアノの音色は、そこそこに自分の好みでもあるし、ペダルや鍵盤のタッチもまあまあだと。
だから、ジェフがここでピアノを借りるときは、この今弾いているピアノを指定して借りることにしていた。ピアノは一台一台、音やタッチが微妙に異なるものだから。
今日は新しく買った楽譜の練習を主にしていた。たまたまテレビで聴いた曲が気に入って、楽譜を探して買い求めたのだ。
最初はなかなか上手に曲を奏でられなかったが、そのうち手が馴染んできて、動くようになってくる。今日はこれで三時間ほど練習しているのだが、弾き始めたときよりはだいぶ滑らかに演奏出来るようになっていた。
「合唱をつけたいところだが、流石にな……」
ジェフが今日練習している曲は、この国では合唱曲として有名な曲なのだ。シューマン作曲の、少し物悲しいメロディが有名な混声四部合唱。
合唱にはならないが、これでもいいか――ピアノを弾きながら、ジェフは歌い始める。声の高さを考えると一番歌いやすい、二つある男性パートの下のメロディを。別に本来の言語でも歌うことは可能だが、今回は今滞在している国の言葉で歌ってみた。その詞も、悪いものではなかったから。
歌をつけると、更に曲に色が加えられた気がしてくる――だんだん気分が良くなってくる。
最後まで弾けたところで、時間を確認したらあと少しで退室の時間であった。――あともう一回くらいなら弾けるか。そう判断したジェフは、最後の一回を弾き始めた。
弾きながら、また歌う。ひとり分しかパートが無いが――と思った瞬間、重なってくる歌声があった。男性パートのもうひとつを、歌う声。
目線だけで歌声のする方を確認したら、そこにはランフォードがいた。ふたりの歌声が作るメロディが、重なり合っていく。曲の色が、更に豊かになる――
誰かと共に作るメロディは、こんなにも良いものなのか。息ぴったりに重なり合う歌声は、最後まで朗々とその曲を歌い上げた。
「――ラン。お前、どうしてここが分かった?」
「君が店にいなかったからね。ここかも知れないって、思ったんだよ」
ふたりで部屋の片付けをして、鍵を返して楽器店を後にした。
「君、ますますピアノの腕を上げているよねえ。どこかで演奏会をしてはどうだね?」
「断る。俺様の演奏は、そういうものではないからな」
ただ、好きなときに自分の好きなように弾いているだけ。それがジェフの、音楽だから。
「そうなんだね。……私がたまに聴きに行くのは、構わないよね?」
「――好きにすればいい」
「ありがとう、ジェフ。――はじめてやったけど、合唱っていうのも、楽しいものだね」
それは否定出来ない。ランフォードと共に曲を作ったのは――存外、悪くなかったから。
「あの曲は確か女性パートもあるよね。今度サティナとソレイユを連れてきて、歌ってもらおうか」
「ソレイユはともかく、お前の奥方をか? 流石に迷惑だろう。――そこは、朝恵ちゃんに歌ってもらうさ」
「朝恵ちゃんかね? この曲はさすがにまだ、難しいのではないかな」
「朝恵ちゃんは賢い。あの子ならこれくらい、教えれば出来るはずさ……」
そんな日が来たら、どんなに楽しいだろうか。あの曲が、混声四部合唱として完成する日が。
ふたりで帰り道を歩きながら、そんな未来をジェフは少し、夢見るのであった。