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ロランの受難

全体公開 幻水 4 2687文字
2025-07-23 21:15:55

ワンドロワンライで書いたお話。風呂イベントネタ。ロランが気の毒なだけの話。

 ロランは疲れていた。
 刻限はまだ目覚めてからそう時間も経っていない早朝。太陽の位置は天高く、このビュッデヒュッケ城を含んだゼクセン・グラスランド地方一帯を白々と照らしている。朝露で潤った緑の匂いが心地よく、誰がどう見ても「良い朝だ」と言えるような一日の始まりだ。
 しかし、ロランは疲れていた。
 前日の訓練がきつかった? 否。引き連れてきた隊の部下たちと、弓を扱うグラスランド氏族たちとの連携訓練もかなり形になり、昨日は諍いも起こることなく良い時間を過ごすことができた。訓練の疲労はさほどでもない。
 では、その後の宴会で飲み過ぎた? これも否。確かにどちらからともなく声を掛け合って開かれた初めての宴会は盛り上がり、双方の自慢の酒を煽り合って潰れる者もいたが、自分の限界は心得ている。程よいところで酒は抑え、部下やグラスランド氏族たちとの交流を見守ることに徹していたため、酔いはまったく残っていない。
 では、朝も早くからどうしてこんなにも疲れているのか――
……とんでもない時間だった……
 ビュッデヒュッケ城に隣接、というか激突して座礁した船の一部を改造して誂えられた風呂の暖簾をくぐったロランは立ち尽くしたまま独り言ち、ふううう、と盛大に深い溜息を吐いて項垂れた。

 現在、ロランの中で密かなブームとなっているのが朝風呂だ。目覚めにひと風呂浴びると、心身がしゃきっと目覚めるような感覚がして心地よく、朝一で風呂場に訪れるのが習慣となりつつあった。また、この時間帯は風呂を利用している人間も少ない。他者と接する重要性は心得ているものの、どちらかと言えばひとりの時間を好むロランにとって、閑散とした風呂で過ごすひとときは至福の時間だった。
 今日も今日とて、顔には決して出さないものの上機嫌に風呂場に向かい、番台のゴロウに軽く会釈する。脱衣所で準備を整え、浴場に人気がないことを確認し、妙な優越感に包まれながら浸かる湯船は極上の瞬間だった。
 しかし、その極上の時間は、その直後に勢いよく現れた客人により打ち砕かれた。
「やあ! 今日もいい朝だね!!」
 謎の体操好きの男、ケンジによって――
 数分前に見せつけられた“大惨事”。思い出したくもない光景だが、鮮烈すぎる有様は頭にこびりついて離れない。ロランの体力と気力を根こそぎ奪ったケンジの体操は、恐らく今もまだ浴場で繰り広げられているだろう。
 あの男の異質さは部下や仲間伝いに耳にしていた。ヒューゴが声をかけた途端にとんでもない体操の被害に遭っただとか、牧場レースの記録更新に挑んでいたパーシヴァルに自分の脚で勝負をしかけただとか、距離を置きたいと思えるようなエピソードに事欠かない男だった。この戦いが終わるまで、接する機会がなければ良いのだが、と思っていた矢先のこの事態である。一体どうしてあのような常識もマナーもお構いなしの行動ができるのか。考えるだけで頭が痛くなってくる。
……朝食を摂って切り替えるか」
 今日も今日とて訓練の予定は詰まっている。戦況は刻々と動き、いつ出陣の声がかかってもおかしくない状況だ。今日という日は始まったばかり。このような理由で気持ちが散漫であってはならない。
 城と船を繋ぐ地下の墓場を抜け、再び外に出る。この城の食事は湖畔のレストランで賄われている。店主である少女は愛想こそそっけないが、料理の腕は確かで食事の時間を楽しませてくれる。彼女の出すモーニングを口にすれば、いくらか気力も戻ってくるというものだろう。
 レストランに向かって足早に歩みを進めると、向かう先から大柄な人影がひとつ、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。
 人間としては比較的大柄な男。ゼクセンやグラスランドでは見たことのない装いで、手にした短鞭をしならせ、もう片方の手で規則的なリズムで受けて歩く男は、多種多様な人間が集うビュッデヒュッケ城の中でもとりわけ特異な人物として知られていた。度合いとしては、先ほど出くわしたケンジと同等レベルであろう。
 一日に、しかもこの短時間のうちにそのふたりと顔を合わせることになるとは、今日はほとほと運がない。占いなどを信じる性質ではないものの、そんな泣き言のひとつも思いたくなるロランであった。
……
 互いが進む方向は真逆。ゆえにすれ違いは避けられない。ロランはできるだけ自然に、しかし、決して男とは目を合わせないように努めて歩みを進めた。
 すれ違い間際、つぶやくような「おはようございます」の挨拶と共に、軽く会釈する。男はそれに反応を示し、立ち止まった。対するロランは無意識に歩くスピードを早め、遠ざかろうとする。逃げろ、と本能が頭の中で警鐘を鳴らしていた。
「うむ、お前、」
 背後から、野太い声が響く。一瞬、聞こえぬふりをして逃げに徹するべきかと逡巡したが、この耳を持つ身として、その策は成り立たない。
……何の御用でしょうか」
 観念して、振り向く。仁王立ちする男――役職係のジェファーソンは、白んだ陽光とは真逆の濃厚なオーラを放ち、太い眉毛をぐいっと釣り上げて声を張った。
「元気がないぞ“入浴エルフ大臣”!!」
……は?」
 飛び出したフレーズに、硬直する。それはもはや、質の悪い先制攻撃のようなものだった。
「騎士たるものが情けない! 明日から私の訓練に参加するといい!」
 固まるロランに、ジェファーソンはお構いなしに一方的な言葉を投げつける。
「この私が直々に指導してやろう! 騎士団よりもずっとずっと厳しいぞ! 覚悟をしておくんだな、“入浴エルフ大臣”!!」
 ひときわ威勢のいい大声と共に、手にしていた短鞭をビシッと突き出したジェファーソンは、ひどく満足げだ。
「ではな、“入浴エルフ大臣”! 遅刻は許さんぞ!」
 そう言い残して、ジェファーソンは勇ましい足取りで去って行った。後に残るのは、朝の清々しい静寂。まるで、台風が過ぎ去ったあとのひとときのようだ。
 その中で取り残されたロランはしばし思考することができなかった。立て続けの嵐との遭遇によって、体力や気力やその他諸々をごっそり搾り取られ、心身がすっかり干からびてしまったのだった。

 ――その日、ロランは初めて訓練の欠席を申し入れた。騎士団でも滅多となかった異常事態に、報を聞きつけた誉れ高き六騎士たちは血相を変えてロランの部屋に駆けつけた。心配そうに見舞う仲間たちにロランは感謝を述べるも、その状態に至った理由については、決して語ることはなかったという。


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