展示:リヌ ツッコミ不在の不動産屋
@kiyu_spring
その日、彼は人生の岐路に立たされていた。
商人の家に生まれて早幾年、叩き上げの知識と経験だけを武器にこの不動産激戦区のフォンテーヌ廷で不動産店を営むに至った。こじんまりとした店舗は決して華美ではなかったが、アットホームでお客様に寄り添った接客が好評価を得て今ではそれなりの人気店として名を連ねている。そんな彼は特に野心があったわけでもなく、商人としての道を自由に歩んでいるだけだったのだが、その気さくさと裏表の無さを買われてそれなりに貴族階級のお客様なんかも相手にする機会も増えていて。それ故に彼は例えどんなお客様が来ても必ず平等に接し、プライバシーの遵守を絶対の信条として掲げることで、秘密を抱えてやってくる上流階級の貴人たちのお気に入りとなっていた。
「…どうせなら庭は広い方がいいだろう?」
「池や泉があるとより良い環境ではないか」
「おいおい、まさか泳ぐつもりじゃないよな」
「…別に泳ごうとは…思っていないが…」
そんなこんなでこのフォンテーヌで数多の貴人たちと対等に渡り歩いていた彼は、現在動悸息切れ目眩などなどの諸症状に襲われている。彼の目の前に広がるアンティーク調の家具で整えた店舗には優雅なオルゴールが静かに鳴り響き、テーブルには先程淹れて出した紅茶のカップがふたつ湯気を立てて甘い香りを漂わせているという絵画のような景色が広がっていて、その中にふたり、ゆったりとした来客用の椅子に横並びで腰掛けて掲示されている不動産を眺めて論を交わしている。彼の極度の緊張の理由は、そこに腰掛けているのがこのフォンテーヌの最高審判官であるヌヴィレットと、治外法権であるメロピデ要塞をその手腕だけで統治する公爵ことリオセスリのふたりだったからに他ならなかった。
「流石にあんたが庭で泳いでたらまずいだろ」
「見えないくらい深ければ良いのでは」
「それはもう池でもないんだよな」
自国の重鎮ふたりが和気藹々とお喋りしているのを前に、彼の脳内ではひたすらこのふたりが一体何を探しにこんなところまで来たのか、本当は何か監査でもあって物件探しなんて建前でしかないのだろうか、なんていろいろな可能性が頭を過ぎる。別に悪いことはしていないはずなのに、大体人間というのはお偉い方々に囲まれるとなんか自分悪いことしたっけと思ってしまうものである。おまけになんかさっきから庭の池で泳ぐか泳がないかというどうしてそんな方向に進むのかすらわからない話しまで小耳に入って来るので彼のキャパはわりと限界だった。
「だったら海が近ければいい」
「それだとパレ・メルモニアが遠いだろ」
「別に私は距離などそこまで…」
「どう見ても気にしてるじゃないか。何なら俺が下手に要塞からもパレ・メルモニアからも離れる位置だとそれも面倒だから位置取りが怠いんだよ」
結局泳ぐ方向性は変わらないまま、池ではなく海が近ければという妥協案に落ち着いている様子のふたりの会話を聞いている限りは、どうにも本当に物件探しに来ている気配が強い。とりあえずやって来て物件一覧を見せてほしいと言われたことに甘えて黙っていた彼だったが、聞き慣れた物件漁りの会話に少しだけ気持ちを取り戻してふたりが口にする条件を整理していく。お客様のさり気ない会話から最良の物件を提案していくことこそが、この仕事の最も大切なことなのだ。
「ペットがいたらわりと頻繁に行き来してやらないといけなくなるし、移動量ってのは結構大事なとこになる」
「…リオセ…いや、リオ…その…ペットというのはどういったものを考えているのだろうか…」
「うーんそうだな…犬猫も悪くないし、敢えてちょっと珍しいフォンテーヌ由来の生き物とかも悪くないと思っているが」
今のところ、庭に泳げる程度の池?か、海に近い環境でペット可の物件というのが条件らしい。距離的な部分はそれぞれの希望のエリアからあまり離れない方が良さそうだが、如何せんメロピデ要塞とパレ・メルモニアに近い物件というのがなかなか難しい。普通の人間は司法機関や監獄の付近にわざわざ定住することはないので、そのエリアに絞るだけで居住専用の物件はわりと減ってしまう。
「ははっ、そんな拗ねた顔をしないでくれ。可愛い可愛い龍を狭い家の中だけで飼うわけにはいかないだろ?雄大な海の中で泳がせてやりたいんだから、ペットはペットでいいんだよ」
いや、ペット可の物件で竜?龍?を飼うとか何とか言っているが、そんなものはペットの枠には入らないので別途保障の案内も必要になる。というかフォンテーヌの龍ってなんだろうか、お偉方はヴィシャップでも家で飼うつもりなのか。
「…その、ヴィシャップなどを飼われるのであれば彼らは温厚とは言い難いので原状復帰用の保障などもご用意した方が安心だとは思うのですが…」
「…っ、ふふっ…ははは、悪い、心配させたな。安心してくれ、別にヴィシャップなんて飼うつもりはないんだ。飼うとしても温厚で甘えたがりな…いてっ」
「リオ、店主殿を混乱させるのはいただけない」
「な、なるほど…ヴィシャップのような気性の荒い生き物でなければ大丈夫かと思われます」
流石にヴィシャップなんて飼うなら多少保障関係も充実させておかなければ、最近は大型の生き物が隣人を怪我させたなんてこともある。そう思っての提案だったのだが、どうやらヴィシャップを飼うつもりではないらしい。最近だとナタにも人が行き来出来る環境が出来ているし、もしかすると他国には温厚な竜とやらもいるのかもしれない。
「ちなみに、大型のペットを飼う場合は室内飼いであれば最初からリビングやベッドルームにケージを設置している物件もあります。竜がどのような環境で生育するのか知識が浅く申し訳ないのですか、そういったご用意も出来ますので…」
竜なんて飼ったことも見たことすらも満足にないので、提案の基準は大型犬などの物件を探しに来たお客様向けの内容になってしまう。方向性が合っているか定かではないが、わからないからと提案しないのも性に合わない。最近はペットを家族として迎え入れている人も多いのだから、ちゃんとあらゆる動物の飼い方くらいは熟知しておかなければと改めて彼が知らぬ間に決意を胸に抱いていれば、その話を聞いたリオセスリがやたら愉しそうな目で横を見ていて。
「どうする?ベッドルームに檻と鎖でも置いておくかい?」
「……別に、君は龍を飼うつもりはないのだろう?それであれば特に私に許可など得ずとも君の好きなようにすればいい」
「はは、そう拗ねることないだろ。俺が悪かったから機嫌を直してくれ、レティ?」
何故かすっかり不貞腐れているヌヴィレットと、何故か女性の愛称を呼びながらその頬を指先でつついているリオセスリという普通の人間が見ればもう家帰ってイチャつけよと言いたくなるような雰囲気の中、彼はそんなことなど気にする気配もなく真剣に思考を巡らせていた。
(パレ・メルモニアと要塞が近くて、更に海が望める場所…大型の動物を飼うためのケージも置けるスペースが必要そうだし、開いている物件のページを見る限り出来るだけ喧騒を避けた静かな場所を希望していそうだ)
お客様第一、今まで顧客を繋ぎ止めることが出来たのは彼のこの勤勉さあってこそ。例えどんなお客様でも彼は提案を妥協せず、更にどんな物件を望んでいるのかその優れた観察力で見極める。こうして脳内の算盤で弾き出された答えは全てのお客様を満足させ、それがまた彼のやる気の源になっていた。
「どうせ君は、ふわふわでもこもこした生き物の方が愛着が湧くのだろうから、そういう毛玉のような生き物を飼えばいいではないか」
「そりゃふわふわもこもこした生き物は可愛いとは思うがな、何でも先住のやつと折り合いが付かなければ飼えないって言うだろ?」
「では私が嫌だと言ったらその我が儘を聞き届けると?」
目の前であろうことかフォンテーヌのトップたちがしょうもない痴話喧嘩に発展しているという状況にも関わらず、自分の職務と向き合っている彼だったのだが次第にその表情に翳りが見えてきて。
「当たり前だろ、そもそも俺はペットを飼える家を探したいって言ってただけなんだ。それがいつの間にかあんたが一緒に暮らす前提の話になってるんだぞ?俺が我が儘を通さないはずないんだよ」
「………そ、それ、は……きみ、が…」
「俺はあんたを自分の我が儘に巻き込むつもりはなかったからな、一言も言ってない」
表情を曇らせる彼に追い打ちを掛けるように、どうやら単身用ではない物件を探している雰囲気の言葉が聞こえる。目の前ではヌヴィレットが見たこともないような表情豊かな顔でぱくぱくと口を開け閉めしているわけだが、それすらも今の彼には意識の範疇にはないようで。
「…あー…悪かったよ、いじめ過ぎたな。謝るからそんなに泣かないでくれ」
「…べ、つに…泣くようなこと、など…」
「外、土砂降りになってる」
「……………。」
すっかりしょぼくれてしまったヌヴィレットとそれを慰めるリオセスリの背後にある窓からは、先程まで晴れ渡っていたはずの空が曇って突然の大雨を降らせていた。フォンテーヌはこの手の俄か雨は日常茶飯事なので今更気にすることでもなく、もはや彼という第三者がいることすら忘れている可能性があるふたりがこのままキスでもするんじゃないかと距離を詰めていたその時。
「――…っ、あの!ご夫妻にお伝えしなければ、ならないことが…!」
ぐっ、と拳を握りしめて顔を上げた彼が真摯を絵に描いた表情でふたりに声を掛ける。何を以てこのふたりをご夫妻と呼ぶに至ったのか、それはふたりが互いを敢えて愛称で呼んでいたことやヌヴィレットが女性の愛称だったことからそう呼ぶに判断したわけだが、愉しげなリオセスリと僅かに驚きを浮かべたヌヴィレットの表情を見た限りわりとその判断は間違っていなかったらしい。どう見てもご夫妻ではなさそうではあるが、フォンテーヌの貴人たちを相手にしていればこういう少々複雑な関係性など星の数ほど遭遇する。今回はご夫妻ではなさそうなご夫妻だったが、前は婚姻関係があるにも関わらず他人通しと言い切る夫婦や、可愛らしい犬を連れてきて彼と同棲したいと言ってきた女性なんかもいた。それからすれば理由はどうあれ、仲良さげな関係性の彼らをご夫妻と呼ぶことくらいは彼にとってはなんてことはない接客サービスの一環だった。
「…どうぞ、続けてくれ?」
とりあえず一旦返答を待つと、リオセスリから先を促されたので見えないように深く呼吸を整える。
「大変…申し上げにくいのですが、今回お伺いした条件であるペットが飼える、単身用ではない、海が近くてメロピデ要塞とパレ・メルモニアとの距離があまり離れていない、という条件をクリア出来る建屋が一軒しか該当せず…」
現時点で認識し得る条件を丁寧に羅列し、頭の中にあるフォンテーヌ全域の物件情報をもう一度精査するも答えは先程と変わりそうもない。
「…エピクレシス歌劇場、になります…」
力無く彼が口にしたそれに、リオセスリもヌヴィレットも目を瞬かせる。暫しの沈黙の末、耐え切れなかったリオセスリの笑い声が静寂を裂いた。
「ふっ…はははっ…!あんな条件に合った物件なんか存在してるのかと思っちゃいたが、まさかそんな素晴らしい物件があるとはね」
「エピクレシス歌劇場は居住には向いていないが」
「わかってるよ、店主も別に歌劇場に住まわそうなんて思っちゃいないんだ。俺たちの無茶振りに応えようと誠心誠意対応してくれた結果ってことさ」
何となく困惑しているヌヴィレットをいい感じに認識してくれているリオセスリが宥めているが、彼としてはわりかし冗談でもなくお客様の要望に合う物件を紹介出来なかった不甲斐なさを覚えていて。
「ま、俺は一度被告席から要塞に引っ越したクチなんだが」
「…リオ、そういう冗談はやめてほしいと」
「まぁそう怒ってくれるな、何だかんだ今の住処も気に入ってはいるんだ」
笑うに笑えない公爵ジョークに不貞腐れるヌヴィレットに肩を竦めているリオセスリは、同じく自分自身に対して不貞腐れている彼を見て少し冷めた紅茶を口にしながら苦笑いを浮かべた。
「悪かったな、店主。何かと考えずに来てしまったせいで実直な君にも礼を欠いてしまったようだ」
「いえ…全てのお客様にご満足いただけることが私の喜びでしたので、お応え出来なかったことがただ悔しくて…お恥ずかしい姿をお見せしました」
これ以上お客様に恥ずかしい姿を見せるわけにはいかないと慌てて背筋を正している彼にリオセスリは満足げに笑い、ヌヴィレットの肩を優しく叩いて立ち上がる。
「いや、期待通りの対応だった。実直で誠実で客を選ばない丁寧な接客…噂に聞いた以上で驚いたくらいだよ。俺らの遊びにまで付き合わせたんだ、本当に家を買う時にはまた君に世話になるだろう」
「あ、ありがとうございます!次こそはおふたりのご要望に添えるように精進させていただきます…!」
期待以上だったと労いの言葉を受けて思い切り頭を下げた彼を横に、立ち上がって窓越しに降り止まない雨を眺めているヌヴィレットをエスコートするようにリオセスリが手を差し出した。
「さて、可愛いレティのご機嫌を損ねたお詫びにドゥボールでお茶でもして帰ろうか?」
リオセスリの言葉に未だ若干不貞腐れているヌヴィレットだったが、その耳元で何かを囁かれると一瞬固まってそのままその整った表情に微かな朱を走らせながら差し出された手を取った。
「あ、もしよろしければ傘を…」
帰路に着こうとしたふたりを彼が呼び止め、突然の雨用にと置いてある何本かの傘に目を向けるもリオセスリがやんわりと片手を上げてそれを固辞する。
「気遣いには感謝するが、せっかくのいい天気なんでね。今日はこのまま散歩でもしていくつもりだから傘は遠慮しておくよ」
その言葉はどう考えてもちぐはぐで、けれど彼はその応えとして穏やかに頷くだけに留まった。
「…店主、何かと感謝する。メリュジーヌたちの中にも住処を考えている子らがいるゆえ、何かあればこちらを紹介させてもらおうと思う」
そして店を出ていこうとする前にふと振り返ったヌヴィレットが今までの表情から幾分柔らかい笑みを浮かべて礼を述べ、彼は再び深く頭を下げる。
「本日はご来店ありがとうございました、足元が悪いですので歩かれる際にはお気を付けて行かれてください」
カラン、と扉を開けてドアベルが鳴る。
降りしきる雨は打ち付けるほどではないが、柔らかく渇いた地面を潤すように止む気配はない。
「じゃあ、またよろしく頼むよ」
片方の腕をヌヴィレットの腰に回して抱き寄せたリオセスリは、もう片方の手を上げて挨拶を交わすと人の気配がなくなった雨の通りを歩いていく。
雨の中を仲睦まじく傘も差さずに歩くその後ろ姿を、彼はふたりの姿が見えなくなるまで見送っていた。