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ハッピービュッデヒュッケレストラン

全体公開 幻水 4 20977文字
2025-07-27 18:22:41

Webイベント「星の祝祭2」に展示作品として書き下ろした話。六騎士と六騎士ではないキャラがビュッデヒュッケ城のレストランでお茶したりご飯を食べたりするだけの小咄短編集。全7編。CP要素なし。

一組目

「お待たせ、ピリ辛貝スープとカラヤ風焼き鳥とリザードコースだよ」
「ありがとうね。――うん、香りも火加減も申し分ない。さすがあの城主殿が見つけてきたコックだ」
「どうもありがと。スープは熱いから気をつけて」
「ああ、わかったよ。デュパ、そっちのを持ってくれるかい?」
「うむ、わかった」
 カウンターから出された料理の皿を手に取ったカラヤクラン族長のルシアとリザードクラン族長のデュパは、すぐ傍のテーブルにそれらを運び、丁寧に並べた。熱々の料理はどれもレッドペッパーをはじめとしたスパイスをきかせた一品で、香りだけでも胃袋をツンと刺激する。
 ルシアとデュパは椅子に腰を下ろし、さっそくその料理を食べる――のではなく、先に席に着いていた男の方へと差し出した。
「これで全部だ。遠慮なく食べるといい」
「どれも体の芯から燃えるように熱くなる品だ。ゼクセンの味付けとはかけ離れているだろうが、味は保証しよう」
……
 カラヤクランとリザードクランを束ねるふたりの族長は、嬉々として料理を男に勧めた。
 ぐつぐつと煮えたぎる料理の湯気は、男の鼻どころか顔面すべてを覆って熱気を主張する。辛みを含んだ香りは食欲をそそるが、そんな中でも男はナイフとフォークを手にしようとはせず、困惑した面持ちで料理と族長たちを交互に見つめた。
「なんだ? 腹が減っていないはずはないだろう? あんたが朝からパン一枚しか食べてないのは知ってるんだよ」
「そうだとも。満腹とは言わせんぞ」
 現在の時刻は午後六時を回ろうというところ。日没も迫り、レストランを含めた城全体が夕闇に染まり始めている。夕食のためにレストランにやってくる住人や兵士も増えて賑やかになる頃合いだ。
「さあ、早く食べな。冷めちまうよ」
……あの、状況がまったく飲み込めないのですが」
「何がだ? 我らがお前に夕食を手配した。それだけのことだぞ、サロメよ」
「ですから、なぜおふたりが私にご馳走してくださっているのかがわからないと言っているのです」
 料理を差し出すふたりの意図を理解できずに困り果てているのは、ゼクセン騎士団副団長のサロメ・ハラス卿である。長いこと対立し合っているゼクセン連邦とグラスランドの要となる三人が武器を収めてレストランの一角で料理を囲むことなどそうそうあり得る光景ではないが、打倒ハルモニアを掲げて一致団結をした現在は、こうして現実となっている。ひとつの城に滞在することになってから一か月ほど経過した今では物珍しさも薄れ、レストランに訪れた人々も特にテーブルに目をくれることはない。
「会議が終わってすぐさま引っ張って来られたかと思えば料理を出されて――いったい、どういうことですか?」
 本当にまったく意味がわからない、といった様子で尋ねるサロメに、ふたりの族長は顔を見合わせる。それから、無言のまま再びサロメに向き直り、いたって真剣な面持ちで口を開いた。
「簡単な話さ。働きすぎのあんたを見ていられなくなったんだよ」
……はい?」
 ルシアのぴしゃりとした回答に、サロメは目を丸める。デュパはルシアの言葉に深々と頷きながら、更に続けた。
「"炎の運び手"の兵の配置や資材の管理、鉄頭――いや、騎士団の庶務に果てはこのビュッデヒュッケ城の資金繰りまで……お前は朝から晩まで働きどおしではないか」
「それは、それが私の務めであり役割ですから――
「当然のことです」と言いかけるサロメだが、ルシアはそれに被せるようにして言葉を連ねた。
「務めも役割もわかるけどね、物事には限度があるって話だよ。食事もろくにせずに延々と働いてたら体も壊すし、頭もおかしくなるってもんだ」
「そのとおりだ。我らもお前を見ているだけで疲れてくる。だから、強引にでも食事をさせようと連れてきたのだ」
「おふたりとも……
 腕を組み、じっとサロメを見やるふたりの視線は鋭く、強固な意志を放っている。しかし、かつて敵対していたときに感じられた殺気は微塵たりとも含まれていない。それどころか、厳しくもどこか温かなものを宿しているように感じられてしまい、サロメは思わず、ごくわずかにだが顔を綻ばせた。
「どうやら、心配をかけさせてしまったようですね」
「心配、か。ふふ、そうとも言うかもしれないね。あんたはできる男だ。大事な戦いを前に倒れられても困るからね」
「ずいぶんと買い被られたものです」
「何を言う。お前の頭脳が我らリザードクランの戦士たちを再三苦しめてきたのは紛れもない事実だろう」
「それはお互い様ですよ。おふたりの勇猛さに、どれだけ頭を悩ませてきたことか」
 ははは! と弾けた笑声が響く。食事にやってきた客たちで混雑し始めたレストランの中では、その笑い声も喧騒の中に溶け、誰も気にかけることもない。レストランの「日常」として、ごく自然な景色の一部となっていた。
……それでは、今回はお言葉に甘えてありがたくいただくとしましょうか」
 言いながら、サロメはようやくナイフとフォークを手に取った。料理は運ばれてきた時点よりはその熱気を鎮めているものの、それでもなお、刺激的な香りを漂わせている。
「これは……かなり辛そうですね」
「刺激の強いのがカラヤの味さ。リザードの味とあわせて、存分に楽しむといい」
「ええ、どちらも初めての味なので楽しみですよ。では、いただきます――
 サロメの静かな「いただきます」に、ルシアとデュパは勝ち誇ったように笑んだ。温かなテーブルは、食後も談笑が絶え間なく続いたという。

 ――なお、これは余談だが、その翌日はピリ辛貝スープの効果で覚醒したサロメ卿が、いつもの三倍のスピードで三倍の量の仕事をこなしてしまったという。それを見た族長ふたりは彼の仕事の虫っぷりに呆れつつも、彼が健在である限り、ゼクセン騎士団は強敵で在り続けるであろうことを悟ったのだとか。


二組目

「はい、ホットのブラックコーヒーふたつね」
「待ってました! ひと仕事の後はこれに限るってね。いつもありがとな」
 コックに軽く礼をしながら、ハルモニア神聖国特殊工作員のナッシュはコーヒーがなみなみと注がれたふたつのマグカップを持ち、レストランのカウンターから少し離れた席に向かった。
「はいよ、おじさんからの奢り」
……いったいどういう風の吹き回しですか?」
 ぐったりしきった面持ちで椅子に深く腰かけていたゼクセン騎士団パーシヴァル・フロイラインは、カップを差し出すナッシュに疑心たっぷりの眼差しを向けてその意図を尋ねた。
「やだなあ、そんなに邪険にしないでおくれよ」
 手厳しい反応に苦笑を浮かべつつ、ナッシュはふたつのカップをテーブルに置いて椅子に腰を下ろし、さっそく湯気の立つカップに唇を当てがった。ゆっくりと啜るコーヒーは苦味の中にほんのりとした酸味が混ざり合い、程よい口当たりとなって口内に広がっていく。
「ふぅ、落ち着くな」
 ほっと息を吐きながら空を仰ぐと、巨大な白色の竜が悠々と青の中を駆っているのが目に留まる。先日「炎の運び手」に合流した、竜洞騎士団のフッチの相棒ブライトだ。竜こそこの地域では珍しいが、ゆったりと空を愉しむ姿は戦時を忘れさせるような穏やかさを感じさせてくれる。
「勝手に落ち着いてないで説明してもらえませんかね」
 すっかりリラックスモードに切り替わっているナッシュに、パーシヴァルは抑揚のない声色で問い詰める。ハルモニア神聖国の工作員とゼクセン騎士団が誇る誉れ高き六騎士のひとりという、現在の特殊な状況下でなければお目にかかることのない取り合わせだが、ピーク時を過ぎて閑散としたレストラン周辺で彼らに注目する者はいない。レストランの主であるメイミも、夕食に向けての下ごしらえに入り、このテーブルだけが空間ごと切り取られているかのようだった。
「説明って、何の説明が必要なんだ?」
「あなたに奢られる義理はないと思うんですが」
「へえ、そういうの気にするタイプだったんだ。ちょっと意外だよ」
「相手があなただからですよ」
 ああ言えばこう言う、といった調子で飛び交う言葉はなかなか柔らかくはならない。未だテーブルの上のカップに手を伸ばそうとしないパーシヴァルの態度に、ナッシュはやれやれと頭をかきつつ目許をうっすらと細めた。
「どうもこうも、さっきの舞台の苦痛を共有できるのは共演者しかいないと思ってね。"ヒツジさん"」
 それで、訝しげだったパーシヴァルの表情が渋く歪んだ。
 ――ビュッデヒュッケ城の酒場に併設されている劇場では、ナディールという仮面の男が支配人に着任してからというもの、毎日のように演劇が上演されている。演者はこの城に詰めている者すべてが対象で、「炎の運び手」のリーダーや城主が独自の目線で演目と配役を決めている。
 今日も今日とて幕は上がり、つい先刻に上演されたのが『オオカミ少年』。その中でふたりにあてがわれた役が、人外のオオカミとヒツジだったのである。評価は一部からは謎の歓声が上がったものの、全体としては大ブーイングで、踏んだり蹴ったりという結果だ。
「いやあ、ロミオ役で喝采を浴びた次がヒツジ役なんて、君も存外運がないな」
「あなたに言われたくない、と返したいところですが、確かにくじ引きの結果ですからね……
 人間にとってはいわゆる"はずれ"にあたるオオカミとヒツジ役は、上演の際はいつも候補者の中からくじ引きで決めることになっている。誰もやりたがらないならそもそも演目から外せばいい、というのが多数の意見だが、支配人の謎のこだわりから不定期に上演されているというのが現状だ。
「ま、そういうわけで軽く打ち上げでもと思ってね。そういう理由のコーヒーなら、悪い気はしないだろう?」
 軽く頬杖を突きながら、ナッシュは手付かずのマグカップに視線を傾けて口端を上げた。それで、パーシヴァルはようやく怪訝一色の表情を崩し、観念したような笑みを浮かべた。
……そういうことなら、労いとしてありがたくいただきますよ」
「ああ、どうぞ召し上がれ」
 互いにコーヒーで喉を潤し、ふう、と息をひとつ。上空を舞うブライトの心地よさそうな雄たけびが、キュイイインと響いた。
「にしても、君があんなに不機嫌を顔に出すとは思わなかったよ。ヒツジのカチューシャをつけて、ひと笑いもせず舞台を横切ってさ」
 思い出し笑いをしながら語らうナッシュに、パーシヴァルは眉間に皴を寄せつつ、反撃の一手を打つ。
「あれのどこに笑える要素があるのか、ヒツジ常連のナッシュ殿にぜひ教えを乞いたいものですが」
「これは手厳しい。いや、勝手な先入観で申し訳ないけど、ああいう場面でも君は涼しい顔をして演じきると思ってたんだよ。だからちょっと意外でね」
「時と場合と場所によるでしょう。私とて、嫌なものは嫌です」
「なるほど、わかりやすくて結構だ。でも、俺は普段のすかしてるあんたより、そっちの方がとっつきやすくてずっと良いと思うよ」
 ――と、滑らかに発せられたナッシュの発言に、パーシヴァルの表情がピシリと固まる。
「なんですか、いきなり気味の悪い」
「いや、変な意味じゃなく……ってこら、引くな! 椅子ごと物理的に引くな!」
 距離を取ろうとするパーシヴァルに、ナッシュは慌てて弁明する。
「"カミさん"がカモフラージュではという噂は耳にしましたが、まさかそういう意味での偽装ですか?」
「だから違うって! ――だけど、そういうところだよ。今と騎士団の連中といるときとじゃ全然違うだろう」
 指摘は当たらずも遠からずか、パーシヴァルは言葉を返さず、曖昧に視線を逸らせた。そこに隙を見たのか、ナッシュは距離感を測りつつもうひと押し踏み込んでみせた。
「君らが信頼し合って結束してるってのは端から見てもわかるけど、もうちょっと手の内を見せてもいいんじゃないのかい? って、余計なおせっかいかもしれないけどさ」
――人生の先輩からのアドバイスとしては受け止めさせてもらいますよ」
 少し含みを持たせた言葉に、両者は同じくその下に何かを潜ませた薄い笑みを象る。それから、もう一度カップを口許に運び、残るコーヒーをすべて飲み干した。
 再び空を見上げると、ブライトの姿がない。存分に空を愉しみきったのか、広場にでも降下したのだろう。今は薄色の青だけが広がっている。
 空になったマグカップを先に置いたのは、ナッシュだった。
――ところでなんだが、ちょっと腹も減ってないか?」
「そうですね……夕食には少し早いですが、それなりには」
「じゃあさ、コーヒーだけでもなんだし、一緒に少し早めの晩飯なんてどうだい?」
 先ほどまでよりも少しばかり親しげな口調で提案するナッシュに、パーシヴァルは一瞬、本当に一瞬の間を置いた。それから、これまでの会話の中では見せることのなかった余裕めいた笑みを浮かべて言葉を返した。
「おや、ナッシュ殿にコーヒーだけでなく食事まで奢っていただけるとは光栄の至りです。遠慮なく、ありがたくごちそうになりますよ」
……かわいげのないモードに戻りやがったな」
 一変した態度に苦い表情を浮かべつつながら財布の中に入っている札の枚数を思い出すナッシュだが、パーシヴァルはまったく意に介さぬ様子で貼りついた笑みを浮かべ続けている。
……ったく、絶対財布は出さない顔してんな。そっちの方が高給取りなのは知ってるんだぞ」
「おや、ハルモニアでは食事に誘った相手に奢らせる文化がおありで?」
「いや、だけど、せめて割り勘とかさ……ってああもう、言ったが負けだ! メイミ、メニュー表を持ってきてくれ!」
 やけっぱちになったナッシュの呼びかけに、メイミは「はいよ」と短い返事とともに、メニュー表をテーブルに運んだ。
 ナッシュ全奢りとなったその日の夕食は、それはそれは豪勢なものとなり、彼の財布に大打撃を与えつつ、それなりの親睦を深められたという。


三組目

 昼食の賑わいが過ぎ去って間もない湖畔のレストランは、人気もまばらでのどかな空気が漂っている。
 がらんとしたレストランの中央付近の席に座っていた若いカラヤの戦士は、困惑と気まずさをふんだんに混ぜ込んだ面持ちで、向かいの席に座る若い女と対峙する。
 テーブルの上にはフレッシュフルーツジュースの注がれたグラスがふたつ。どちらも手付かずのまま、数分が経過してしまっている。
 両者の間に漂うのは、言い知れぬ緊張感。長く続くその空気に耐え切れなくなった男は、意を決して乾きかけの唇を開いた。
……で、なんだってあんたみたいな人が俺なんかに声をかけてきたんだ? こっちからあんたに話すことなんかないぞ」
 突き放すような口調は悪意こそないものの、男の複雑な感情とも相まって鈍く刺すような重さがある。それを受けた若い女――ゼクセン騎士団長クリス・ライトフェローは、表情をやや曇らせながら、静かに頭を垂れた。
「いきなりお呼び出ししてしまって申し訳ない。……実は、貴殿に伺いたいことがあって声をかけさせていただいた」
……なんだよ」
 敵対する団の長が、一介の戦士に過ぎない男に丁重な言葉を使うことには違和感しかない。ゼクセン側の何かの企みによる尋問かと警戒して周りを見渡すが、彼女の副官や取り巻きたちの姿は見当たらず、周辺にいるといえば、種族を問わない子供たちが鬼ごっこをして遊んでいるくらい。単身で接触してきたであろうクリスの意図が一向に見えず、男は張り詰めた面持ちで言葉を待った。
「貴殿は、ジンバと仲が良かったと聞いたのだが、間違いはないだろうか」
「ジンバ? ……ああ、あいつとは長い付き合いだったが」
 男とジンバは、同じカラヤの勇敢な戦士として肩を並べ、頻繁に酒を飲み交わす仲だった。何度となくカラヤ馬でアムル平原を駆けて狩りの成果を競い、戦場を共に駆け抜けた。男にとってはクランの仲間の中でもとりわけ気の置けない、信頼できる男だった。
「今回の件は……残念だった」
……あぁ」
 向き合うふたりは、意図せずして同じタイミングで瞑目し、その姿を思い描く。
 ジンバはつい先日、ハルモニア神聖国との真なる紋章を巡る戦いの渦中の中で命を落とした。しかも、ジンバ本人が世界を象る真なる紋章のひとつの宿主であり、あろうことか、この眼前に座るゼクセン騎士団の長の父親であるという真実を最期に残してだ。その事実はシックスクランはおろかゼクセンにも大きな衝撃を与え、一週間を過ぎた今もなお、両者が集うこの城には動揺と喪失がそこかしこで見受けられた。
……で、俺がジンバの友人だったら、なんだっていうんだ?」
……その件なのだが……
 クリスはうつむいたまま、唇をうっすらと噛み、言い淀む。その姿は戦場の先頭に立ち、グラスランドの民たちを冷たく見下ろしていた鬼神のごとき団長と同一人物とはとても思えないほどに歯切れが悪い。その姿は機動性の悪そうな重い甲冑に身を包んでいること以外はそこらを歩く町娘と変わらないようにすら見える。
 そのギャップに肩透かしのようなものを感じつつ、男は腕を組み、クリスの回答を待った。
……
 無言を保つこと数十秒。ようやく意を決したクリスは、面を上げて男の目をしかと見据え、押し出すように口を開いた。
「貴殿がジンバにお金を貸していたと聞いたのだが、それは本当だろうか?」
……は?」
 男の声が裏返る。まったく想像だにしていなかった質問に、男は文字どおり言葉を失った。
「先日、ヒューゴと同行していた際、貴殿がそのようにこぼしていたと記憶していたのだが……間違いはないだろうか」
「あ、ああ、確かにいくらか貸してて、返してもらおうと思ってあいつを探してたよ」
「そ、そうか……!」
 クリスの表情から緊張が少しほどけ、微かな笑みが浮かぶ。いったいどういうタイミングでの安堵なのか。男は首を傾げつつ、問いを続けた。
「で、それがあんたに何の関係がある?」
「私は彼の娘だ。だから、父が借り逃げしてしまったものを私が代わって返したいと思っている」
……へ?」
「父のやり残したことはできるだけ私がやっておきたいんだ。彼が貴殿にいくら借りていたのかはわからないが――これだけあれば足りるだろうか」
 言いながら、クリスは懐から封筒を取り出し、テーブルに載せて彼に差し出した。封筒は分厚く、うっすらと開いた折り目からは厚い札束が見えている。
 その額を想像した男は、慌てて身を乗り出した。
「いやいやいや! あんたから返してもらう理由はねえよ!」
「理由は私がジンバの娘というだけでじゅうぶん過ぎると思っている。どうか、受け取って欲しい」
「いや、いらねえ」
「なぜだ」
「なんでもくそもあるか。俺は絶対に受け取らねえからな」
 頑なに拒むと、クリスは少しの寂しさと切なさを混ぜたような表情を浮かべ、静かに問いをかけた。
……それは、私が"鉄頭"だからか?」
 問いに、男はぐっと息を飲む。飲み込み、自分の中に落とし込むには、少しの時間が必要だった。
……あのなあ」
 己の声は重みこそあれど尖ってはいない。そう自覚した男は、ゆっくりと、噛み締めるようにクリスに告げた。
「あんたがゼクセンの人間だからとか、そういう問題じゃねえって。……なあ、嬢ちゃん。ジンバと俺は確かに仲が良かった。そりゃ、金を返して欲しいってボヤキもしたけどよ、それもまあ、本気じゃないっていうか……
 頭をかきながら、男は言葉を探す。自分とジンバの繋がりを彼女に伝えるに適した言葉は何か。これまで刃しか向けて来なかった相手に、できるだけの想いを伝えるための言葉を、男は必死に探り当てた。
……こうなった今じゃ、貸し逃げもあいつと俺の絆のひとつだ。……そうだな、あいつに借りた分は、俺が死んだときにあいつから取り立てることにするよ」
 戦場に身を置く者として、取り立てに行く日はそう遠くない未来かもしれない。そんなことをぼんやりと思いながら、男は筆舌にしがたい、やるせない顔でこちらを見るクリスに、初めて笑みを向けた。
 意図せず自然に浮かんだ笑みをそのままに、男は口を開く。
……だから、あんたは気にすんな」
 クリスは微かに目を見開き、ゆっくりと空を仰いで瞑目し、深く息を吐いた。何か、目に見えない荷が下りたように、男には見えた。
……わかりました。突然、不躾なことをして申し訳ない」
 札束の入った封筒をしまい、クリスは非礼を詫びて頭を下げる。団の長が敵対してきた者を相手にそう何度も詫びることは望ましくないと思いつつ、その実直さは気分の悪いものではない。
「こっちも邪険にして悪かったな。……と、そろそろ見張りの交代の時間だ。こいつは、ありがたく馳走になるぜ」
「ああ、忙しい中、時間を取ってくださったこと、感謝する」
 生真面目な感謝を受け取りつつ、男はグラスに入ったジュースを一気に飲み干した。様々な果実をミックスした甘酸っぱいジュースは緊張でカラカラに乾いた喉をうるおわせ、さわやかな満足感を与えてくれる。
 空になったグラスをテーブルに置くのと同時に、男は立ち上がって踵を返した。
……なあ、銀の乙女さんよ」
 数歩進んだ後、男は足を止めて振り返る。まだ席に座ったままのクリスは、通り名で呼ばれたことに少しだけ気恥しそうにしつつ、男を見た。
「ジンバは、いい奴だったぜ」
……そう、ですか」
「お互いに、気持ちの整理ができたら……そうさな、この戦いに区切りがついたらにしようか。そうしたら、あいつの話をあんたに聞かせるよ。俺も、あいつの友人として、できることはしておきたい」
 それを聞いて、彼女は目を見開いた。それから、嬉しいやら、切ないやら、なんとも言えない表情を浮かべ、ひとこと「ありがとう」と告げた。
 再び彼女に背を向けて、男は穴だらけの城に向かって歩みを進める。
……ったく、できた娘さんだよ。お前にはもったいないくらいだ。なあ、ジンバ?」
 男は満ち足りた思いでつぶやいた。それから、空を仰ぎ、彼女に聞かせる思い出話は何にしようか、と想いを馳せた。


四組目

「お待たせ、カレーライスふたつね」
「ふたつ!? ちょっと、人の真似しないでくれる?」
「誰が真似なんかするか! 俺もたまたまカレーが食べたかっただけだ」
「どうかしらねえ、同じメニューを頼んで私の気を惹こうとでも思ったんじゃないの?」
「それだけは天地がひっくり返ってもないから安心しろ」
……どうでもいいけど、早く持って行ってくれる? 冷めちゃうし、後ろ、つかえてるから」
 コックのぶっきらぼうな注意に促され、カウンターで騒ぐ男女はそれぞれのトレイを持ち、ちょうど全体の中央付近のテーブルに移動した。
「あーあ、疲れた! 本っ当に疲れた!」
 椅子に勢いよく腰を下ろすなり、女の方――ティント共和国大統領令嬢のリリィ・ペンドラゴンは両腕を伸ばして声を上げた。
 もうじき午後を迎えようというレストランには少し早い昼食を取ろうとやってきた客がまばらにおり、よく通ったリリィの声にくすくすと苦笑を浮かべている。
「どうして魔法を使うとこんなにお腹が減るのかしら」
「そんなの関係あるか?」
 向かい合わせに席に着いたゼクセン騎士団ボルス・レッドラムは、疲れたと言いながら元気の良いリリィに呆れ半分の面持ちで問う。
「あるのよ。じゃないとこんなにペコペコにならないもの。さ、あの子の言ったとおり冷めちゃうから早く食べましょ。いただきまぁーすっ」
 自分が一方的に喋っているのもお構いなしに、リリィは会話を区切り、スプーンを手に取ってカレーライスを口に運んだ。
「ふーん、噂には聴いてたけどまずまずの味ね。ティントのカレーにはもっと色んな香辛料が入ってるけど、シンプルなのも悪くないわ」
「そうだな、ここの食事は悪くない。ブラス城の食堂もうまいが、食べたことのない料理も多くて飽きがこないな」
 そう品評しながら、ボルスも食事を始める。同じくカレーの味には満足らしく、スプーンの進みは順調だ。
 レストランの主であるメイミの手製カレーライスはレストランの中でもとりわけ人気のメニューのひとつで、辛さの中にある素材の旨味が絶妙な味わいを引き立てて食べるものを虜にする。リピーターも多く、昼食のラッシュ間もなく完売してしまうことも少なくない。
「しかし、驚いたな。お前が剣の指導を請うてくるなんて」
 半分ほど食べ進めたところで、ボルスが口直しの水を飲みながらつぶやく。それを受けたリリィはスプーンの手を止め、得意げに言ってみせた。
「魔法剣の訓練をしたいなって思ってたのよ。あの眠そうな武術指南には『魔法剣は大して伸びないから素振りを増やせ』なんて言われたけど、魔法剣ってかっこいいじゃない?」
「かっこいいかどうかは知らんが、有用な紋章であるのは確かだな」
「でしょ? で、クリスに相談したら、あなたに訊いてみたらどうかって紹介されたの。魔法剣も使ってるみたいだし」
「クリス様が!?」
 大声と共にボルスが立ち上がる。その勢いで座っていた椅子が倒れ、ガタン! という大きな物音が響き渡った。昼食を楽しんでいた人々の視線が一斉にふたりの席に注がれる。
……
……座ったら?」
 リリィに促され、しんと鎮まり返った中でひとり立ち尽くしていたボルスは、うっすらと赤面しつつ咳ばらいをしながら、倒れた椅子を起こして着席した。
「あなたも他の騎士たちもみんなクリスのこと大好きよね。リードとサムスももっとあなたたちみたいに従順になってくれないかしら」
「お前のところと一緒にするな。それに、そっちは自業自得でもあるんじゃないか? 主がワガママだと下の人間も付いて来なくなるぞ」
「なにそれ、私がワガママって言いたいの? 私は私が正しいと思ったことを言ってるだけよ」
「いや、それがワガママって言うと思うんだが」
 噛み合わない会話にも構うことなくカレーライスを食べるリリィに、悪びれる様子はまったくない。その様子にボルスは軽く息を吐き、それ以上の追及をすることはせず食事を再開することにした。
 ほとんど同じタイミングで完食し、グラスの水を飲み干す。よく冷えた水は口の中に残った辛みを流し落とし、すっきりとした食後の感覚を与えてくれる。
「美味しかったあ。体を動かした後の昼ごはんも良いわね。訓練もまずまず楽しかったし、また教えてあげられてもいいわよ」
「それが人に物を頼む言い方か。――だが、魔法剣はさておき、剣の筋は悪くないと思う。毎日鍛錬していれば、もっと伸びるはずだ」
 思わぬ賛辞に、リリィは目を瞬かせる。
「本当? お世辞で言ってるなら承知しないわよ」
「剣のことに関してお世辞は言わないさ。本当にいい腕だと思う。うちの騎士連中でも手こずるかもしれないな」
……ふうん。そう。だったら、素直に受け止めておくわ」
「もちろん、ちゃんと鍛錬を続けていればの話だがな。いいものを持っていても続けなければ何の価値もないからな」
「そのくらいわかってるわよ。考えておくわ」
 予期せず素直に褒められると、どこか落ち着かない。そっけない返しをしながら、リリィは肩にかかった長い髪を軽く手で払う。ふと、視線をボルスからレストランカウンターに逸らすと、注文に並ぶ客の列が形成されているのが見えた。それを見たリリィは、ぱっと閃いて再びボルスに向き直った。
「ね、デザート食べたいんだけど、買ってきてよ」
「は!? なんで俺が」
「いいじゃないのよ、疲れ切った教え子が言ってるのよ。スイーツのひとつくらいご馳走してくれたっていいじゃない。私、新作のゆずのシャーベットがいいわ」
「自分で買うかお供の連中に買ってもらえ!」
 再び響く怒声に、周囲の客たちはもはや驚くこともなく「またか」と呆れた様子で食事を続けている。そんな生暖かい周りの反応などもはや気に留めることもなく、口ゲンカはヒートアップしていくばかりだ。
「なによ、成金のくせに、ケチ!」
「なっ……誰が成金だ!!」
「本当のことじゃない! 『高いワインばっかり買ってる』ってそっちの部下が言ってたわよ!」
「それはクリス様――じゃなくて他の騎士たちと飲もうと思っていいものを買っただけだ!」
「どうかしらねえ……それに、この前、お城に来たご家族なんて――
「うわー!! 言うな!!」
 やんややんやと続く言い合いは留まることを知らず続く。
 席から離れたレストランカウンターで注文を取りながらその様子を一部始終眺めていたコック長のメイミは、料理完成の呼び出し用に使う小型のメガホンを持ち、淡白ながらよく通る声で呼びかけた。
「ちょっとー。ケンカするなら他のところでやってくれない? 迷惑なんだけど」

 ――翌日、ケンカの様子を新聞記者のアーサーに目撃されたふたりは当然のごとく壁新聞のネタになり、一面記事を飾った。あることないこと尾ひれをつけた記事に激怒したふたりはアーサーを半日追いかけ回し、その噂を耳にした双方の上司とお供は、頭を抱えたという。


五組目

……参ったなあ)
 夕食時の混雑するレストランのテーブルの一角で、ヒューゴは計り知れない気まずさを抱えながらできたてのエビチリ定食を見下ろしていた。
 いつもは込み合う時間を避けて食事を取るようにしているのだが、今日は「炎の運び手」の正軍師であるシーザーと次の進軍に向けての会議が長引いてしまい、レストランに駆け込んだときには既に遅し。現場は注文と席を確保する人々がごった返し、混沌とした状況になっていた。
 諦めて空く時間まで我慢するか――しかし、この日に限ってはヒューゴの空腹がその選択肢を選ばせなかった。慣れないリーダーの仕事に慣れない会議の後では疲労も相まって空腹も限界だ。
 意を決して列に並んでエビチリ定食を注文し、受け取ったヒューゴはどこか一席の空きがないかを探した。
 このレストランでは、一席でも空きがあれば相席を申し出て食事をするのが暗黙のルールとなっている。そうすることで、人の回転をよりよくするためだ。今日は同行者もいないので、運が良ければ誰かが席を立ったところに滑り込むことができるはず。
 そうして日暮れどきのレストラン全体を見渡すこと五分。ようやっと見つけた一席に着いたのだが――
……気まずい)
 相席でテーブルを囲むのは、ゼクセン騎士団の騎士たちだった。グラスランドの民とゼクセンの騎士が共通の目的を持ってこのビュッデヒュッケ城に集ってからもう一か月半は経とうとしている。こうして、敵対する者同士が渋々ながら相席をすることも増え、それなりの歩み寄りのようなものは生まれてきているのが現状だ。ヒューゴとて、ゼクセン騎士と食卓を囲むのは初めてではない。最初こそ複雑な感情を隠すことができずにピリピリとした空気になることが多かったが、ひとたびきっかけを持つと彼らは存外悪人でもなく、気さくに話しかけてくれるようになった騎士もいた。
 しかし、今回はかなり気が重い。なぜなら、同席する相手がエルフでありながらゼクセン騎士団に身を置く誉れ高き六騎士のひとり、ロラン・レザウルスと彼の直属の部下たちのテーブルだったからだ。
 寡黙なロランに対し、ヒューゴはどう接すれば良いのかがわからずにいた。以前、カラヤの書状を届けに向かった際にブラス城で厳しい言葉を投げかけられたことがあり、ロランがカラヤクランはじめグラスランドの民を強く敵視していることは明白だ。それに臆しているわけではないものの、いざこうして一時的ながらも「同志」として並ぶとなると、どのように付き合うのが正しいのかは難しい問題だ。先ほど席の空きを見つけてテーブルに向かい、おずおずと相席を申し出た際も「構わない」のひとことのみで、以降、会話は発生していない。
 気まずく空気の重い食卓ほど、辛いものはない。メイミがせっかく作ってくれたエビチリも、今はただただ辛い何かにしか感じられなくなってしまう。
……
 ちらりと横目にロランを見やると、彼は淡々と表情もなくカリカリグラタンを食している。周りの彼の部下たちも、静かに、物音を立てることなく食事を進めていて、非常に気まずい。
……何か、話した方がいい、よな……
 そうヒューゴが感じるのは、自分が寄せ集めの軍勢である「炎の運び手」のリーダーとなったからに他ならない。真なる火の紋章を受け継ぎ、種族を問わずに集ったこの部隊で自分ができることは、いがみあう者同士の志を一時的にでも束ねて導くことだ。そんな自分こそ、敵対してきたゼクセンの人間と向き合わなくてはいけない。そうした責任感が、ヒューゴの背中を強く押した。
……あ」
 ふと、ヒューゴにひとつのひらめきが浮かぶ。それは、ヒューゴにとって一筋の光だった。
……あの、ロラン、さん」
 たどたどしく呼びかけると、ちょうどカリカリグラタンを平らげてスプーンを置いたロランが、ちらりとヒューゴを見下ろした。
「何か?」
 金色の瞳でこちらを見るロランの表情は至って冷静で、ヒューゴの緊張を一気に高める。同席する部下たちも、静かに物言わぬ瞳でヒューゴを見やった。
 その威圧感に唾をのみ込みながらも、ヒューゴは負けない気持ちで向き合う。
「あの、少し前に目安箱に入れてくれた手紙のことなんですけど」
「目安箱? ……ああ、先日の投書の件ですね」
「はい。実は、この前モンスター討伐をしたときにこんなものを手に入れて……
 ヒューゴは箸を置き、懐から小さな皮袋を取り出してテーブルの上に載せた。ロランと、部下たちの視線が一点に集中する。
「何かなと思ってゴロウさんに聞いたら"蒼月湯の素"って言うみたいで、お風呂に入れるとお湯が蒼くなるらしいんです」
……
「ロランさんがお風呂の素のことを目安箱に入れてくれて、俺も興味が沸いたから、手に入ったのがちょっと嬉しくて……
 言葉はそこで尻すぼみ、ヒューゴは内心焦った。風呂の素を見せるのはいいが、その先に何を言いたいのかまでは考えていなかった。確かにロランは風呂の素に関する手紙を目安箱に入れてくれはしたが、だからなんだという気持ちにもなる。
……だから、その、えーと……
 すっかり迷走して困り果てるヒューゴに、ロランはうっすらと、本当に近しい者にしかわからないほどの微笑を浮かべた。
「風呂の湯が蒼く……ですか。それは興味深い」
「え……
 困り切ってうつむき気味になっていたヒューゴが面を上げると、ロランは微かに目を細め、静かながら穏やかな面持ちでヒューゴを見つめていた。テーブルを囲む彼の部下も、同じように笑んでいる。
「ヒューゴ殿さえ良いのなら、食事を終えたらさっそくその効能を確認しに行きませんか」
「えっ」
「それはいい、蒼い風呂ってのは気になりますな」
「今日は月が綺麗だから映えるかもしれませんね」
 ロランの提案に、部下たちも上機嫌に同意して空を指差した。日暮れ直前の空には、見事な満月が煌々と白い光を放っている。
 一方、ヒューゴの方はといえば、思いがけない話の流れに驚きを隠せずにいた。
「いかがですか、ヒューゴ殿」
 そう問うてくるロランの金の瞳は、いつしかヒューゴに厳しく叱責した敵対する騎士とは程遠いほどに穏やかだ。それで、ヒューゴは胸が締め付けられるような想いに駆られる。それはすべてが純粋な感情とは言い切れないものだったが、決して悪いものではないことははっきりとわかる。
 溢れる気持ちを押さえながら、ヒューゴは力強く頷いた。
……みんなが良いなら、喜んで」
「では、決まりですね」
「それじゃあ、俺、急いで食べるんで、ちょっとだけ待っててもらってもいいかな」
「もちろん。風呂は逃げませんから、ゆっくり食べてください」
……ありがとう!」
 澄み渡った声で発した礼が、賑わうレストランに響く。
 ヒューゴは再び箸を手に取り、エビチリを口に運ぶ。エビチリは少し冷めてしまっていたけれど、ほんのり辛くも、エビの甘味がぐっと引き立っていて、いつも以上に美味しく感じられた。
 日没の空に輝く満月が、美味しい食事に舌鼓を打つレストランを照らし出していた。


六組目

「はい、アイスクリームにゆずシャーベット、ケーキ全種盛りとあんにんどうふとおかしのいえ、それから新作のピスタチオパフェとベリーのふわふわパンケーキだよ」
 カウンターにずらりと並ぶスイーツを前に、甲冑を着こんだ大柄の男は嬉しそうな声を上げた。
「おお、これは旨そうだ。毎回新作をつけてもらってすまないな」
「気にしないで。こっちも感想聴きたいし。あ、この前食べてもらったゆずシャーベットはアドバイスどおりにすりおろしたゆずの皮を足したら大好評だったよ。ありがとう」
「そうか、それは良かった。では、今日もさっそくいただくとしよう」
 大きなトレイにスイーツ一式を載せて、男は誰ひとりとしていないレストランの一席にそれを運ぶ。テーブルの上にそれぞれを載せた男はどっしりと椅子に腰かけ、満足そうにテーブルの上を見渡した。レストランのデザートメニューをすべて並べた様は圧巻で、それだけで幸せになってしまえそうなほどだ。
 時刻は夕食時もとっくに過ぎた頃合いで、口さみしい大人は酒場に足を運ぶ刻限だ。レストランは既に店じまいをしているが、ゼクセン騎士団レオ・ガランは事前の予約を経て、時間外の贅沢なスイーツタイムを過ごそうとしていた。
「では、まずは……
 レオはスプーンを持ち、アイスクリームに手をつける。当然だが、アイスやシャーベットは溶けてしまう前に食べるのが鉄則だ。
 スタンダードなバニラのアイスクリームはシンプルながらコクがあり、舌で転がすと絶妙な甘さが広がる。甘味を強調するアイスクリームはゼクセでも数多くあるが、メイミの作るアイスクリームは甘すぎず、後味もすっきりとしている。かといって物足りないこともなく、しっかりとした満足感を与えてくれる。
 お次はお客に好評だったというゆずシャーベットだ。前回の注文の際に新作として出して貰ったときはさっぱりとした口溶けであったものの、どこか物足りなさを感じた。世辞を好まないメイミにはっきりと感想を伝え、アクセントとしてゆずの皮を入れてはどうかと提案したのだが――これは想像以上の大変身だ。さっぱりとした味わいはそのままに、ゆずの皮のほんのりとした苦味と食感が加わり、口の中で混ざりあう。ゆずの渋みが程よくきいていて、何個でも食べられそうだ。これが大ヒットしたのは大いに頷ける。
 そして次は――見るからに美味しそうな新作のパンケーキにしよう。ブラス城の食堂で出されるパンケーキは両面をしっかり焼いたものだが、こちらは分厚くもふわふわだ。フォークで触れると、まるでプリンのように跳ね返ってくる。ナイフを入れるとほとんど感触がなく、生クリームとベリーのソースと共に口に運ぶと、それぞれの甘味と酸味が口いっぱいに広がった。
「これは、うまいな」
 思わずつぶやいてしまう。初めて食べる食感と味だが、文句なしのうまさだ。メイミは元々腕の良いコックではあるが、その腕前は日々確実に上達していることを実感する。たゆまぬ努力と研究が実を結ぶのは、剣も料理も変わらぬのだろう。改めて、小さなコックに感銘を受ける。
「うわぁ、美味しそう……!」
 ひと切れのパンケーキからメイミの努力を察してじんわりしていると、ふと遠巻きに囁き声のようなものが聴こえた。しかも、聞き間違いでなければ幼い少女の声だ。
 なにごとか、と声のする方を振り向くと、レストランの物陰からごそごそと人影が動くのが見えた。
「わ、わ、見つかっちゃった!」
「もうっ、セシルのばかっ! 静かにしなきゃダメって言ったじゃん!」
「そういうベルさんも声が大きいと思うんだけど……
「もう見つかっちゃったんだからひそひそしててもしょうがないでしょ! アラニスって、結構細かいところあるよね」
 人影はもはや隠れる気もなくわいわいと騒ぎ合っている。それを遠巻きに眺めていたレオは、会話の波がある程度引いたところでぽつりと尋ねた。
「なんだ、お前たちは」
 びくりと体を硬直させた人影は、観念したのかそろそろと物陰から身を表し、こちらに向かって歩いてきた。
 人影は三人。ビュッデヒュッケ城の守備隊長を務めるセシルと、からくり師のベル、そしてゼクセン騎士団に憧れ「聖ロア騎士団の銀の乙女」と名乗るアラニス。いずれも、幼い少女たちだった。
「こんな時間にこんなところで何をしている。夜更かしは感心せんぞ」
 大人と騎士の振る舞いで問うと、向かって左に立つアラニスが緊張した面持ちでもじもじとしながら、一歩を踏み出してお辞儀した。
「ご、ごめんなさい! でも、私たち、噂を聞いてどうしても確かめたくなって……!」
「噂? なんの噂だ? 城に幽霊でも出るとかか?」
「全っ然違うよ! 私たち、オッサンが夜な夜なひとりでレストランのスイーツメニューをぜんぶ頼んでひとり占めしてるって聞いたんだ。それで、まさかと見に来たら大当たりだったってワケ」
 物怖じせずはっきりとした物言いで語るベルに、レオは目を丸め、らしくもなくきょとんとしてしまった。
「俺の噂を?」
「はい!! ぜんぶのメニューなんて頼んだことがないから、テーブルにスイーツがいっぱいになってるのを見てみたかったんです!」
 元気いっぱいに話すセシルは、今もテーブルの上のスイーツたちに釘付けだ。アラニスも、目を輝かせてテーブルを見つめている。
「レオ様は甘いものが好きなんですね! なんだか意外です!」
「あ、あぁ。面と向かって言われると少々恥ずかしいが、たまにメイミに頼んで食わせて貰っているんだ。――な?」
 視線をキッチン内にいるメイミに移すと、メイミは特に表情を変えるでもなく、こくりと頷いた。
「レストランの営業時間内では他の客の迷惑にもなるのでな。こうして時間外に出してもらっているんだ」
「へぇ~……
 返事をする少女たちは、もはや話半分でスイーツたちに見入っている。立ち並ぶ大量のスイーツたちは、噂の真相などどうでも良いと思わせるほどの力があるようだ。
……は!! レオ様すみません! スイーツも見たので帰ります!」
 惚けていたセシルははっとして背筋を正し、しっかりと持っていた槍を掲げて号令を上げた。
「みんな、帰りましょう!」
「しょうがないなあ……。オッサン、邪魔したね」
「レオ様、突然で失礼しました!」
 三者三様にお詫びと礼をした少女たちは、名残惜しさを残しつつスイーツから目線を外して踵を返した。
 少女たちが城に戻ろうと歩み出したその瞬間――
「待て」
 レオは腕を組み、少女たちを呼び止めた。
 ゆっくりと振り向く少女たちに、レオは不器用ながら優しさを含んだ笑みを浮かべた。
「これでそのまま返すのは大人として恥になる。俺が手を付けたものもあるが、それでもいいなら一緒に食べないか」
 その提案に、沈みかけた少女たちの瞳がぱあっと花開くように輝いた。
「え、え、いいんですか!?」
「ああ、先日、サロメにも甘いものは控えるようにと釘を刺されてしまったしな。助けると思って付き合ってもらえないか」
「やっりぃ! オッサン、怖そうだけど気前いいじゃん!」
「レオ様、ありがとうございます!!」
 少女たちは一斉にテーブルに駆け寄り、並ぶスイーツを選びにかかる。レオは自分の腹に入る甘味が減ってしまったことに少々の悲しみを覚えつつも、目を輝かせてスイーツを頬張る少女たちにそれ以上の希望を見出し、満ち足りた笑みを浮かべた。そして、逃すまいとしていた新作のピスタチオのパフェに手を伸ばした。

 無骨な巨漢のレオを少女たちが取り囲む光景は少々異質ながら、響く笑い声やスイーツを口にした歓喜は心地よくコック長のメイミの耳をくすぐった。
 それから、メイミはキッチン内にストックしている食材を見回し、「甘さ控えめ」のスイーツ開発に思考を巡らせた。


七組目

「おはよう、今日も早いね。いつものモーニングのトーストと紅茶のセットね」
「おはようございます、メイミさん。いつもありがとうございます!」
 礼儀正しくお辞儀したゼクセン騎士団従者のルイス・キファーソンはトーストとティーカップの載ったトレイを手に取り、すぐ傍のテーブルに運んだ。
 椅子に腰かけて手袋を外し、静かに「いただきます」とつぶやいたルイスは、出来立てのトーストにかじり付いた。サクッとした食感と共に、トーストにしみ込んだバターがじゅわっと口内に広がる。その味わいにルイスは幸せいっぱいといった表情を浮かべてトーストを咀嚼する。
 日の出からそう間もない早朝のレストランは人出も少ない――と思いきや、深夜の見張り明けの騎士や戦士がまばらに休憩を取っていて、そこそこの客入りだ。その中でもルイスほどの年端の少年はさすがにおらず、ルイスはひとりぽつんと食事をとっていた。
――あ、おはよう、ルイスくん。今日も早いんだね」
「トーマスさん、おはようございます!」
 そんなルイスの元に訪れたのは、現在「炎の運び手」が拠点とするこのビュッデヒュッケ城の城主、トーマスだった。城主ながら年齢はルイスとひとつ違いであるトーマスは、朝食の載ったトレイを持ち、にこりとルイスに笑いかけた。
「朝食、一緒に取らせてもらってもいいかな?」
「もちろんです! どうぞ座ってください!」
 向かいの椅子に手を向けて促すと、トーマスは嬉しそうに微笑み、席に着いた。
「トーマスさんも今日は早いんですね」
「うん、たまには朝の散歩もいいかなと思ってね」
 少し眠そうな面持ちのトーマスはルイスと同じく小さく「いただきます」とつぶやき、ナイフとフォークを持ってさっそく朝食に手を付けた。
……うぅーん、おいしなあ。朝はメイプルシロップたっぷりのフレンチトーストとはちみつを垂らしたホットミルクが一番だね」
「ふふ、トーマスさんは甘いのがお好きですもんね」
「うん。そういえば、騎士団のレオさんも甘党なんだよね? この前、テーブルいっぱいのデザートを城の女の子たちと食べたってセシルから聞いてびっくりしたよ」
「そうなんです。味の濃いものがお好きで、騎士団のみんなはちょっと心配してるんですけど……女の子たちに囲まれたのがちょっと恥ずかしかったのか、最近は少し控えるようになったみたいです」
「あはは、そうだね。騎士様は強くてすごいけれど、健康には気をつけなきゃいけないもんね。……それにしても、騎士団とグラスランドの人たちもずいぶん打ち解けてくれたね。最初は諍いが絶えなくてどうなるかと思ったけど、最近は一緒に食事をとっている姿もよく見るよ。ロランさんとヒューゴくん……ああ、今はヒューゴ様だね。ふたりが楽しそうにお食事していたのも見たよ」
「ロランさんはぱっと見は怖そうで誤解されやすいんですけど、とても優しい方なんですよ。ヒューゴさんに伝わって良かったなあ。クリス様も、立場的に難しいところがあってもグラスランドの方たちに歩み寄られているようです」
「そうだね。僕はみんなが分け隔てなく手を取り合ってくれたらと思っていたから、とても嬉しいよ」
「僕も同じ気持ちです。サロメさんも、ルシアさんたちとお茶をするようになったそうですよ。僕もリザードやダックの人たちと話せるようになりました」
「へえ、それは素敵だね! みんな少しずつでも仲良くなってくれたみたいで、本当に良かったよ」
「僕も色んな国や種族の方と接するようになって、とても新鮮です。ボルス卿とリリィさんみたいにケンカしちゃう人もいますけど……
「ああ、先日の騒動はちょっと驚きだったね。ふたりに詰め寄られたアーサーが『僕の筆は正義の筆だ!』なんて立ち向かうものだから、ふたりとももっと怒って余計に騒ぎが大きくなっちゃって」
「お恥ずかしい限りです……。おふたりとも、あとからクリス様に怒られてたので、大丈夫だと思うんですけど……
「あはは……多少なら賑やかでいいんじゃないかなって、僕は思うけどね」
「そういえばトーマスさん、お城の運営の調子はいかがですか? この前は赤字ギリギリと困っていらっしゃいましたけれど……
「うん、今もまだ潤沢というわけではないんだけれど、劇場がとても好評で少しずつ黒字になってきているんだ」
「劇場のお芝居、好評ですもんね! 次はどの演目を上演するんですか?」
「ナディールさんとも相談してまた『オオカミ少年』をやろうと思うんだ」
「えっ、この前大ブーイングだったあのお芝居ですか?」
「うん、前にオオカミとヒツジ役をやってくれたナッシュさんとパーシヴァルさんからは『絶対やめてくれ』って言われたんだけど、今度はフーバーとブライトにやってもらおうと思って。そうしたら、迫力満点になって面白そうじゃないかな?」
「それは名案ですね! もう一度パーシヴァルさんのヒツジも見てみたかったけど、それなら絶対にお客さんも喜びますよ!」
「ありがとう! ルイスくんも時間があったらぜひ見に来て欲しいな」
「もちろんです! ――あ、そろそろクリス様の朝支度のお手伝いに行かなきゃ。すみません、お先に失礼しますね」
「うん、訓練にお手伝いに大変だと思うけど、今日も頑張ってね」
「ありがとうございます!」
 会話をしながら平らげたトーストの皿と空のコーヒーカップの載ったトレイを持ち、ルイスは深めのお辞儀をしてテーブルを後にした。
 ひとり残ったトーマスはホットミルクの入ったカップを両手に持ち、軽く空を仰いですうっと息を吸った。朝の新鮮な空気が心地よく鼻腔を抜ける。朝露と緑の匂いが、心をリラックスさせてくれた。
「うーん、美味しいご飯に美味しい空気……幸せだなあ」
「はい、そんな城主様にサービス」
「わあっ、メイミさんいつの間に!」
 いつの間にやら席の傍に立っていたメイミが、す、と小さな器を差し出した。
 突然のコックの登場にトーマスは驚きつつ、テーブルの上に載った器をそっと見下ろした。
「わあ、アイスクリーム! メイミさん、もらっちゃっていいんですか?」
「もちろん。それ食べて、またレシピ持ってきてね」
「ははは……それはヒューゴくんに頼んで欲しいかな……でも、ありがとう。今日も頑張れそうだよ」
 そう告げると、メイミは口許だけで軽く微笑み、キッチンカウンターに戻って行った。

 湖のほとりのレストランは朝も昼も夜もあたたかな食事を提供する。人種も国籍も問わず、ただただ美味しさを追及した料理たちは人々の身も心も満たし、ささやかな幸福と少しばかりの縁の橋渡しをしてくれる。
 ビュッデヒュッケ城のレストランは、本日も大盛況となりそうだ。


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