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秘密|24×36

全体公開 Ever 5518文字
2025-08-03 02:29:09
Posted by @otohitoe_



目が覚めるとクロウリーの後頭部が向けられていて、何故か妙にときめきながらその小さな頭にそっとキスをする。鼻馴染みのあるソープや洗剤やクロウリーの香りを吸い込むと次第にとまらなくなり、体を温めるためという建前でブランケットの中でクロウリーをぎゅうと包み込む。春も近いとはいえ朝晩はまだ少し肌寒い。
柔らかい髪へ擦り寄り、うなじや耳の後ろにこっそり口づける。もう一度眠るには眠気が足りない、というか、部屋の明るさ的にそろそろ昼にも近い時間だと思われる。
首筋に顔を押しつけながらじっくりと丁寧にキスを繰り返していると、寝ていたはずのクロウリーがもぞと肩を竦めた。

「くすぐったい
「起こしちゃった?」
「しらじらしい

クロウリーは艶めかしい吐息を漏らしながら頭だけで振り向いて、持ち上げた右手でアジラフェルの顔にぺたりと触れた。

「起こすならもっとがっつり襲ってこいよ
「襲ってはないだろ、別に
「むっつりめ」
「下心は無いったら」
「だからだよ

掴まれた顔を僅かに寄せられ、吸い寄せられるようにキスを交わす。

おはよう」
「ん

クロウリーは腕を引き、再びアジラフェルに背を向けてベッドに沈んだ。
持ち上げたせいではだけてしまった肩にブランケットを掛け直そうとしたとき、クロウリーの二の腕にインクを零したような痕が出来ているのに気付いた。

「クロウリー」
「んー?」
「青あざ出来てる、ここ。昨日は無かったと思うけど」
「昨日の昼間にでもぶつけたんだろ。覚えてない」
「痛そう」
「んん別に何ともない」

手のひらで痣の表面だけをそっと撫でると、そんなことよりもと言わんばかりに手首を掴まれ、クロウリーの胸の前まで引っ張られた。

「うっかり触らないよう気をつける。早く治るといいね」
「早く治す方法ってあるのか?」
「んぶつけてすぐなら冷やしたりするのもいいけど、もう熱感もないみたいだし。栄養のあるもの食べて、体に頑張って治してもらうくらいかな

アジラフェルは顔を上げて鮮やかな青紫を浮かべた肌をまじまじと見下ろす。そこまで大きなものではない。棚かドア枠にでもぶつけてしまったのだろう。本人は何ともないとは言っているが掴まれれば多少は痛むはずだ。昨夜強く握ってしまったりしていなければいいのだが。

「ビタミンしっかり摂ってると青あざ出来にくくなるよ」
「ふーん。なんで?」
「血管を丈夫にしてくれるから。これって皮膚の中で血が出てる状態だろ」
「サプリじゃだめか?」
「うーんほんとはちゃんと食べ物から摂ってほしいけど、無いよりはいいかもねでもきみの場合、血管の補強よりもまず他のとこに回されるだろうな。栄養って体づくりの大事な部分から使われるから。内臓とか疲労回復とか」
「最低限機能はしてるんなら後回しってことか」
「そうだね」

クロウリーは出会った頃と変わらず今もあちこちで様々な仕事をこなしている。時間も不規則だし、食事だって少食というわけでもないのにコーヒーだけで済ませたりするのもしょっちゅうらしい。少し心配ではあるが、働くこと自体が好きなのだろうし、第一まだ社会で働いたことのない自分が口を出すことではないからいつも何も言えないまま。
そんなアジラフェルの心境を知ってか知らずか、クロウリーがまた頭だけで振り向いた。

「わかりやすい」
「そう?」
「子供のお医者さんになるんだもんな」
「まだわからないけどね。ぼんやり思ってるだけで
「合ってると思う」
「研修期間も延びるし、もっと勉強しないといけないし」
「おまえなら何でもできるよ」

クロウリーは大人らしい優しい微笑みを見せて、今度こそ体ごと振り返って抱きついてきた。何となくだが起こされまいと先手を打っているように感じる。クロウリーは目は覚めているくせになかなかベッドから起き上がれない性質で、たぶん本当に夜型体質なのだと思う。
いつまでだってこうして抱きあっていたいのは無論アジラフェルも同じだから余計困る。今朝は何と言ってきっかけを作ろうかと考えながら薄い背を静かに撫でた。

「なんかフルーツサンドとか食べに行く?ビタミン摂るのに良いよ、果物」
「そうだな
「少し前にも太腿に大きい青あざ作ってたね。あれびっくりしたな」
「だいぶ前の話だろそれあれだろ、レザーショップの作業台でぶつけたやつ」
「そうそう。右側よくあざ作るよね」
「右目ほとんど見えてないからな」
「ああ、やっぱり。そうじゃないかとは思ってた」

不意にクロウリーが顔を上げた気配に、アジラフェルも顎を引いて見下ろす。

「なんだ、気付いてたのか」
「なんとなくだけど」
「気を使って訊かなかったのか?」
「それもあるといえばあるけど、きみが言わないってことは、その必要がないと判断したんだろうしきみにとっては特別なことじゃないんだろうなと思って」
「自分でもたまに忘れるくらいだからな」
「だからあざ作っちゃうんだね」

手足の長さや、小柄なわけではないのにまるで子リスのようにちょこちょこ動き回るのもその理由だろうけどと思いながら、そっと目元を親指で撫でる。気付いていたとはいえきちんと教えてもらえたのはやはりうれしい。

「見た目には全然わからないね」
「そうか?」
「どっちも宝石みたいに綺麗だ」
「おれ今口説かれてんのかな」
「え」
「むっつりかと思ったけど天然たらしだったか

反論したかったもののクロウリーから顔を寄せられれば拒めるはずもなく、ゆったりと優しく触れあう唇と時折鳴る微かなリップ音にあっという間に絆される。
そんなつもりなどないのに、あんまりしっとりしたキスなんかされてしまうと本当に妙な気を起こしそうで、アジラフェルは顔を上げ、取り繕うように「起きる?」と切り替えた。

「んん

クロウリーは肯定とも否定ともとれない返事をしながら身を離し、そのかわりに長い脚をアジラフェルの腰の高さにまで持ち上げて捉えてきた。まだ起こされてはくれないらしい。

「いつから気付いてた?」
「目のこと?いつだろ付き合い出してしばらくしてからかな」
「どっちの意味で?」
「初めてご飯食べに行ってからの意味」
「訊いてくれてよかったのに。どんな訊かれ方されても普通に答えてたよ」
「きみはそう言うだろうなとも思ってたけど

遠くで見ていただけのときには気付かなかった。一緒に遊ぶようになるまでは体をぶつけたり躓いたりしているところさえ一度も見たことはなかったと思う。

「全然見えないわけじゃないよね」
「明るさはわかる。色もぼんやり」
「サングラスしてるのは?」
「掛けてると楽なときがある。左右でギャップが小さくなるから
「ああ、そっか。疲れちゃうよね」
「アジラフェル」
「ん?」
「さっきのは嘘だ」

おもむろにぎゅっと抱きつかれ、言葉の意味も理解できないものの取り敢えず抱き返す。

「えっとどれのこと?」
「どんな訊かれ方されても構わないって言ったやつ。そう思うのは、おまえが何を訊くにもちゃんと気を使ってくれるっていうのがわかってるからだ。おれが『構わない』って言うのがわかってても、それに甘えないで、おれのことを丁寧に扱ってくれるから」
………、」
「おれの言ってることわからないんだろ」
うん。ごめん
「ふふ

わからないと答えたのに、クロウリーは何故か満足そうに笑った。勿論誰にでもクロウリーと同じ接し方をしているわけではないが、クロウリーが言うほど気を使っているつもりはないし、格別に丁寧に接しようと思ったこともない。なんだかうれしそうにしている様子にズルをしたような気分になった。

「おれはおまえみたいに説明上手じゃないからな

クロウリーはふにゃりと力を抜いて、アジラフェルを見つめたまま仰向けに寝転んだ。何もかもお見通しだと言わんばかりの眼差しだった。

「他に気になってたことは?あるなら今訊いてみろ」
「あったかな
「全身脱毛してることとかは?」
「え?」
「あれ?これは言ってたっけか」
え!?」

思わずがばりと頭を上げてクロウリーを見下ろす。思いもよらない発言だった。冗談かと疑ったが、きょとんとしたクロウリーの瞳に他意はなさそうでますます戸惑う。そんなの少しも考えたことなかった。

「は初めて聞いた」
「元々こうだと思ってたのか?」
「そういう体質なのかとでも下は、その、アンダーヘアはあるし、上手に剃ってるのかもなとは
「下も一回はやったけど痛すぎてやめた。他は全身しっかりやってる」
「思いもしなかったいつから?」
「二十いくつのときだっけな。二十二か三かな」
………
「一年半か二年くらいかかった気がする。おまえと会ったのが、えーと三十二か。掠りもしてないな」
だね」

アジラフェルがはっきり覚えている一番昔のクロウリーは二十六歳のクロウリーだから、完全に知らないクロウリーだ。

「おれ昔事故に遭っただろ」
「うん

何度か話してくれたことがある、クロウリーが高校生の頃に遭ったという交通事故。その事故でご両親を亡くし、クロウリー自身も右半身に大怪我を負ったと聞いている。右目の件もこのときの影響なのだろう。
遠く離れた土地から母方のお祖母様のいるこの街に身を移したきっかけであることも聞いた。それを機に高校も辞めてしまい、お祖母様もクロウリーが二十歳のときに亡くなった。このグリーンショップも元々はお祖母様が昔花屋を営んでいた建物で、二階部分やバスルームなどは無理やり増築したという話だ。
事故がなければ出会うことすらなかったかもしれない。その点に関して、アジラフェルはなんと言っていいのか正解がまだわからない。さっきクロウリーは丁寧に扱ってくれると言ってくれたが、この件から痛感するのは己の未熟さだった。
クロウリーはきっと気遣いから、からりと明るい声色で話す。或いは本当にもう自分の中で決着がついているのかもしれないけれど。アジラフェルには想像も及ばないことだ。

「ほらここ、痕があるだろ」

言いながら、クロウリーは右腕の外側をアジラフェルに向けて上げて見せた。
肘の近くから十数センチほど、知ったうえでもよく見ないとわからないほどの薄い傷痕が浮かんでいる。

「あと右脚、脛とふくらはぎの間のとこにも。ああ、肩にもあったか」
「うん」
「言わないとわからないくらい綺麗に治してもらってんだけど、ここだけ何も生えなくなってさ。言っとくけど傷痕のこと自体は少しも気にしてない。けどやっぱそんなふうになると、ふと目に付く瞬間ってあるだろ?それで、じゃあいっそ生えてるほうを無くすかと思って」
「なんで全身?」
「それはまあ、ノリで」
待った、全身ってことはまさか顔も?」
「うちで髭剃り見たことあるか?」

無いことにはもちろん気付いていたけれど、先ほど指摘されたようにそういう体質なのだと思っていたし、大体人の家の洗面事情など無知に等しいのだから、無いなら無いで別段不思議には思わなかったのだ。

「昔は髭も生えてたの?」
「まあ、普通に」
それって、つまり、もう生えてこないってこと?」
「そうだな、たぶん」
「全部?」
「両腕両脚、顔も胸も脇も腹もぜーんぶもう何にも無い」
………、」
「あったほうがよかったか?」
「いいとか悪いとかじゃなくて

嘘ではない。いいとか悪いの話ではないのだ。問題なのはいつかの時点までは当たり前だったクロウリーの習慣、生活、その姿が、アジラフェルの人生においてはもう二度と与えられないという事実だ。久し振りに痛感したどうすることもできない年齢の差。どうやっても埋めることのできない積み重ねてきた時間の差。
本当に心底悔しいが、受け入れるしかなかった。これもクロウリーの選択だ。

「見てみたかった
「悪いな。想像で補ってくれ」
写真とかは?」
「そんなに?」

苦笑するクロウリーをじと、と見つめると、決して冗談ではないということはちゃんと伝わったらしい。

「まあ、探しといてやるよ。おれが持ってなくても誰か一枚くらいは残してるやつがいるかもしれないし」
「絶対貰ってきて」
「やっぱあるほうが好きなんだな、毛が」
「そういう言い方
「そうなんだろ」
「わからないよ。きみしか好きになったことないのに」
「そうだった」

クロウリーは機嫌よくにやりと笑った。

「きみって底なしに謎があるね」
「どうだろな。もう残り少ないかも」
ひとつ明かしてみようか」
「ふうん?」

ベッドを小さく軋ませながら、アジラフェルはゆっくりとクロウリーの体に覆い被さる。脇から潜り込ませた両腕で広い肩を抱き、鼻先が触れるほど顔を寄せる。クロウリーの瞳は少しもたじろがない。

「お腹すいた?」
………、」
「すいてるだろ」
すいてない」
「いいやすいてる」
「すいてない!」

起こされまいとするクロウリーの両腕と両脚がぎゅっとアジラフェルの体に巻き付き、全体重を掛けてベッドに留まろうとする。無駄なことだが。

「フルーツサンド食べに行こう」
「すいてないって!」

あと三秒だけ抱きしめたら、このまま抱き起こして一緒に顔を洗いに降りよう。







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