さめしし+かずにき。つき合っているさめししが、かずにきと三人でビアガーデンに行って、笑って語り合うお話です。礼二は後半から出てきます。
@5_bluedaisy
「いやぁ、毎日暑いよねぇ! 敬一君、変わりなかった?」
「はい、オレは別に。一希さんこそ大丈夫ですか?」
ざわめく人々の、楽しげな声。幾つもの皿やジョッキを手にして、足繁く行き交う店員たち。
真夏の夕暮れ時のビアガーデンで、オレは一希さんと向き合っていた。街中の商業施設の、屋上で開かれているビアガーデンだ。
オレたちのテーブルにも店員がやってきて、注文した皿とビールのジョッキ二つを手際よく並べていった。キンと冷凍庫で冷やされたジョッキは白く曇って、泡立つ黄金色の液体をなみなみと湛えている。今にもこぼれんばかりに盛り上がった細かな泡が、絶妙なバランスで形を保っていた。
太陽はもう少しで沈んでいこうかという頃合いだったが、一日中炙られ続けた街の空気は、まだ十分に暑い。もう少し風が出てくれるといいんだけどなぁ、と呟きながら、一希さんはシャツの襟元をパタパタと動かし、首筋の汗をハンカチで拭ってから、感じの良い笑顔をオレに向けた。
「すいません、なんか……オレだけ先に来ることになっちゃって」
反射的に、オレは謝罪の言葉を口にしていた。
本当は休日の日直を終えた村雨と落ち合って、一緒にここへ来るはずだったのだ。が、例によって仕事が立て込んだ村雨は、まだ病院を離れられないらしい。兄を独りで待たせるわけにもいかない、あなたは先に行っていてほしい、と言われて、オレはちょっと緊張しながら、こうして単身やって来たというわけなのだった。
「えぇー、謝るコトじゃないでしょ⁈ ひとりで待ってるほうが寂しいじゃない? 敬一君が先に来てくれてよかったよー」
村雨が仕事で遅れるのには、慣れているのだろう。一希さんの口調は軽やかなものだった。加えて、オレと二人の今の状況を明らかに喜んでいるニュアンスがある。オレとしては、自分は村雨のオマケでついて来ている程度のつもりだったので、少々意外な反応ではあった。
オレの感じた疑問は、そのまま顔に出ていたのだろう。
「ウチに来てくれた時ってさ……敬一君、どうしても子供たちの相手してもらっちゃうことになって、なかなかゆっくり話せないだろ? だから嬉しいんだよね、こういうの」
一希さんはそう言うと、にっと唇の端を持ち上げて笑った。
似てるな、と改めて思った。もちろん、村雨に。
笑顔自体は一希さんのほうが屈託がないし、目つきもずいぶん穏やかだ。でも、見た瞬間の印象、得意げといってもいい感じなんかはよく似ている。
やっぱり、兄弟なんだなぁと思う。
村雨がとても大切にしている、お兄さん。
「ほら遠慮しないで、好きに飲んで食べてね。今日はオレが奢るからさ」
「いや、払いますよ」
「いいってー。こういう機会も、なかなか無いからさ。オレに、お兄さんらしいコトさせてよ」
一希さんの笑顔は変わらなかったが、にこやかな眼の奥には強い光が見て取れた。決して無理難題を押しつけるわけではないが、ここは譲らないぞ、という明確な意思だ。
そういうところも、村雨に似ていると思う。
ただ、一希さんのほうが抜群に、笑顔のオブラートで包むのが上手い。意思の見せ方と隠し方を、よく心得ている。そこはやはり、会社をひとつ動かす経営者ならではのスキルなのだろう。
ともあれ、これ以上押し問答をしても仕方がないので、素直に引き下がることにした。
「わかりました。ご馳走になります」
「オッケー! じゃあ飲も!」
オレの前に置かれたままのビールジョッキに、ごん、と一希さんが自分のジョッキをぶつけてくる。そのまま嬉しそうに口をつけて、ごくごくと黄金色の液体を喉に送り込んだ。
「ぷはーっ、沁みるねぇ……夏の夕方のビアガーデンで、キリッと冷えた生ビール。最っ高に、美味いよなぁー」
「飲む環境って、やっぱ大事ですよね」
「そうそう。誰と飲むかも、ね。だから今日は、本当にバッチリだよ」
さらりとそう言って、一希さんはまたビールを呷る。こういうコトを照れずに言ってしまうのも兄弟で似てるんだな、と思いながら、オレも自分のビールに口をつけた。とりあえずひと口飲んで、テーブルの上を見渡す。
枝豆、フライドポテト、鶏の唐揚げ。ドイツ風が売りのビアガーデンとあって、数種のソーセージとザワークラウトの盛り合わせなんかもあった。はいどうぞ、と促されて、白いソーセージに粒マスタードをつけて齧り、ザワークラウトをつまむ。それなりの味だが、まあ悪くない。
今までに何度か一希さんの家にお邪魔したことはあるし、三人で会って食事をしたこともある。でも、村雨のいない場でこうして向かい合うのは、実は初めてのことで、何から話すのが無難なのか、正直なところよくわからなかった。
共通点といえば経営や経済の事だろうが、いきなり株価の話なんかするのもちょっと違う気がする。そうしてオレが悩んでいるうちに、一希さんは一気に半分ほどまで減らしたジョッキをテーブルに置いて、快活な眼でこちらを見つめてきた。
「……でさ、敬一君」
「はい」
「どう? 礼二は?」
丸テーブルの向こうからぐっと身を乗り出してきて、これを聞きたかったと言わんばかりに、一希さんはわくわくと目を輝かせている。何と答えたものか迷いながら、オレは急いで頭を巡らせた。
「どう、って……」
相変わらず仕事は多忙にしているし、メシはよく食うし、我儘も言う。叶や天堂と張り合えば、お互い煽りまくって毒舌合戦になるし、負けず嫌いはオレ相手でも天井知らずだ。つまり、変わりなく元気にしている。
銀行や賭場のことを言うわけにはいかないし、説明するとしたらそんなところだろう。そう思って無難な答えを返そうとしたら、一希さんがにっこり笑ってつけ加えてきた。
「かわいいでしょ? ウチの弟」
「あー……」
そういう方向か、と思わず苦笑した。
同時に、何となく気持ちが楽になる。
「そうですね。かわいいです。オレが言っていいのか、わかんないっすけど」
「えっ何で?」
「いや、オレのほうが年下なんで……」
「いいでしょー、恋人同士なんだから。それにどう見ても敬一君のほうが、礼二の面倒みてくれてるじゃない?」
我儘な弟でごめんねー、と軽くつけ足しながら、一希さんはフライドポテトに手を伸ばした。
細長い一本を持ち上げて、さくりと端を口に入れる。ゆっくりと食べ進めながら目を細めて、視線を夕暮れの空に向けた。
「アイツ、あのとおりだからさ……まあオレや両親からしたら、かわいい弟で甘えっ子の次男坊なんだけど。真面目で頭が良くて論理的なぶん、外には当たりがキツイっていうか」
わかります、と言っていいものか迷って、オレは黙ったまま話の続きを待った。
ただじっとしているのも申し訳ない気がして、枝豆の皿を引き寄せる。豆が三つ入っている莢を取って、きゅっと噛んだ。つるんと豆が飛び出してくるのと同時に、じゅわりと汁が湧いて出て、唇から塩気が染み渡っていく。流れで自分のジョッキを掴んでビールを飲むと、軽やかな苦味と泡が塩味を包んで、ひんやりと喉を潤していった。
こういうビアガーデンとか居酒屋とかでしか口にしない組み合わせだったが、まだ十分に暑い夏の夕暮れ時の今、青さのある塩味の効いた豆と冷たいビールはとても美味く感じられた。今度皆で集まって飲む時には、家で枝豆を茹でてみるのもいいかもしれない。
オレがもう一つ枝豆をつまむ間に、一希さんは無言でフライドポテトを三本食べ、ジョッキの中身を四分の一ほどに減らした。口元についた泡を指先で拭って、また夕焼け空に目を向ける。オレンジ色の光に横顔が照らされ、長めの前髪が淡い影を目元に落とした。
もうこれは、オレが何か言葉を発したほうが良いのだろうかと思って、ぐっと身構えた時。
「……でも、さ」
小さく、一希さんの唇が動いた。
周囲の喧騒に紛れてしまいそうな、微かな声だった。言おうかどうか、まだ迷っていたのかもしれない。
それでもオレの耳は、何故かはっきりとその響きを捉えていた。
オレに聞こえたのは、一希さんもわかったみたいだった。ちらっと横目でオレを見てから、口元を綻ばせて、穏やかな笑顔を向けてくる。
そうして、まっすぐにオレの眼を見て言った。
「優しいんだよ、アイツ」
あたたかく、限りなく愛おしむ声だった。
きっとこの人は、こうしてずっと村雨のことを慈しんできたのだろう。兄として、弟が生まれた時からずっと。
何の疑いもなく、そう思える声だった。
村雨の強さ、自分を貫ける自信、そして優しさ。
オレを鍛え、掬い上げ、愛してくれているアイツは、こうやって育まれてきた。
その在り様を今、オレは目の当たりにしている。
羨ましいとか、僻んだりとか、そんな感情は出てこなかった。
どこまでも広くて包み込むようなやわらかさに、ただ圧倒されていた。
この人が、村雨のお兄さん。血の繋がった家族。
オレの大好きな村雨の、大好きな——
「……わかります」
答えると、つっと雫が頬を伝った。
一希さんが驚いたように、目を丸くする。
「敬一君?」
「えっ? あ……」
それで自分が泣いてるのだとわかったけれど、止まらなかった。次々にぽろぽろと涙がこぼれて、シャツの襟元を濡らしていく。視界がぼやけて、テーブルの上のジョッキや皿も、一希さんの顔も、ひとつに滲んで溶けていって。
「す、すみません。目に……その、ゴミが」
我ながら下手クソすぎる言い訳を口にしながら、俯いて瞬きを繰り返して、涙を散らそうとした。足りなくて、拳でゴシゴシと目元を拭う。
そうしていたら、ぽんと温かいものが頭に乗った。
「いーよ。気にしないで」
「あ……」
「ほら、夕焼けでも見て。で、飲めそうだったらビール飲もうよ。ゆっくりね。オレは、いつでもいいからさ」
大きくて、少し骨張った手がオレの頭を撫でた。
あたたかく、愛おしむように。
「……一希さん」
顔を上げると、笑顔の一希さんと目が合った。
一瞬、間があって。
「わ、わーっ!? ゴメン敬一君! つい礼二にするみたいに撫でちゃった!」
我に返ったみたいに、一希さんは慌てて手を引っ込めた。ぱん、と顔の前で両手を合わせて、平謝りに頭を下げてくれる。
「ホントごめん! 何かこう、うっかりして!」
「いや、気にしてないんで! っつーか……嬉しかった、です」
オレが言うと、一希さんはおずおずと顔を起こした。
「……本当に?」
「はい……その、ありがたかった、ていうか。あの」
「なら、よかった……かな?」
ちょっと赤くなった頬で、一希さんは照れたように笑った。
垂れ気味の目が、優しく細められる。
「じゃ、乾杯しなおそっか」
言いながらビールジョッキを持ち上げてくる一希さんに頷いて、オレも自分のジョッキの把手を握った。
汗をかき始めているジョッキからぽたぽたと水滴が落ちて、チノパンの膝が一瞬ひやりとする。でも構わずに、掲げてみせた。
一希さんの笑顔に、応えられるように。
「……はい」
「おーっし、乾杯!」
ごつん、とジョッキがぶつけられる。予想外の勢いで、思わず腕をふらつかせたら、一希さんが弾けるように笑った。
「あーよかったなぁ! 敬一君と話せて!」
残り少なかったジョッキを一気に空にして、一希さんはすぐにおかわりを注文する。今日は飲んじゃうぞー、と歌うように口にしながら、ジョッキの水滴に濡れた手で、長めの前髪をかき上げた。
あかあかと燃えながら、ビルの向こうへ夕陽が沈んでいく。滴るようなオレンジの光が雫を纏った淡い色の髪を照らし、輝く一希さんの笑顔をさらに明るく、優しく縁取った。
オレも本当に自然に笑って、リラックスした嬉しい気持ちになって。
まだ泡の残る自分のジョッキをぐいと傾けて、一希さんと同じフライドポテトの皿に手を伸ばした。
* * *
結局、村雨がやって来たのは、最初の予定から一時間ほども過ぎた頃だった。
一希さんは既に三杯目のジョッキを空にしていて、オレも二杯目が無くなろうかというところだった。最初に頼んだフライドポテトや枝豆は食べきってしまって、二巡目のそれらとオニオンリング、ウィンナーの盛り合わせなんかがテーブルを埋めている。そろそろ着くという連絡を受けて、唐揚げでも追加するかと、二人でメニューを眺めていたところだった。
「すまない、遅くなった」
村雨はいつもの調子で言うと、オレの隣に腰掛けた。ビニール袋を破っておしぼりで手を拭き、メニューを覗き込んでくる。
「いいって。オレも敬一君も気にしてないし」
「兄貴。何故あなたが獅子神の分まで」
やれやれといった口調で村雨は言ったが、語尾には楽しげな響きが宿っていた。
さっとメニューを眺めると、村雨は店員を呼んで、淡々とビールと肉類を注文していく。そのラインナップがほぼ予想通りだったので、オレと一希さんは思わず顔を見合わせて、互いに笑ってしまった。
「随分と仲良くなったのだな、あなた達」
一希さんを、続いてオレを順に見渡して、村雨が評してくる。即座に一希さんがにこにこ顔で、大きく頷いた。
「そりゃあ、ね。いろいろお話しして、楽しく飲んだし!」
「……何杯目だ、兄貴」
「えーっと、次が三杯目かな?」
「四杯目ですよ、一希さん」
オレが訂正を入れると、一希さんはあちゃー、と呟き、村雨がぎっと一希さんを睨んだ。
「飲み過ぎだ。ようやくケモの副作用が抜けて、採血の肝胆道系の値も戻ったばかりだろう。少しだけというからビアガーデンで了承したのに、まったくあなたは」
「ご、ごめんって。でも、せっかく敬一君と一緒なんだし。今日だけだからさ」
「本当だな? 無茶は許さんぞ」
「しないしない、約束するって」
村雨は眼光鋭く一希さんを睨んで迫り、一希さんは笑顔を引き攣らせてたじたじとなっている。これはやはり、オレが軽率だったのだろうかと思うと申し訳ない気持ちになって、オレは兄弟を交互に見比べながら、おずおずと口を挟んだ。
「あの、すいません……オレが言っちゃったばかりに。一希さんが飲む量のコトととかも、気をつけてなくて」
ばっ、と二人が揃ってこちらを振り返った。
「いやいや、敬一君は悪くないから! オレの不注意だからね!」
「そうだ。それに、仮にあなたが兄貴と共謀して飲酒量を隠そうとしたところで、私がそれに気づかないと思うか? どのみち結果は同じだ」
「あー……いや、そうかもしれねぇけど……」
「あなたはただ、心のままに楽しんでくれればいい。獅子神。己の体調をすぐ過信して無茶をするこの男には、私がよく言って聞かせる」
そう言って村雨は再び一希さんに向き直ろうとしたが、そこへお待たせしました、の声と共に店員がジョッキを運んできた。先に頼んでいたオレと一希さんの分も合わせて、冷たいビールをなみなみと満たしたジョッキが、三人それぞれの前に置かれる。
オレは残り少なかった手元のジョッキをぐいと傾けて、中身を飲み干して店員に渡した。口元についた冷たい水滴を、人差し指の根元で適当に拭う。
隣で村雨が、ちょっと驚いたように目を丸くした。
「……どーしたよ?」
「いや、あなたがそんな風に飲むのは珍しいだろう」
「ビアガーデンで飲むってのが、そもそも稀だろ。それだけで、別に」
「そういうあなたも、魅力的だ」
オレの言葉は全く意に介さずに、言いたいことだけを村雨が言ってくる。にやりと口の端を軽く持ち上げ、細めた眼で上目遣いに見つめてくる視線には、ふたりの時にしか見せないような艶っぽさがふんだんに含まれていた。
ぼっ、と思わず両の頬が熱くなる。
「お、おまっ……こういう場で、何つーことを」
「今さら何を言っている」
「いや恥ずかしくねーのかよ⁉︎ お兄さんの前だろ⁉︎」
「他の家族がいれば、流石に遠慮するが」
「……あははっ!」
いかにも楽しそうに一希さんが笑って、オレと村雨の言い合いは止まった。
「あー……本っ当に仲良しだよねぇ、礼二と敬一君。あぁよかった……嬉しいよ、オレ」
「兄貴」
「いいから、ほら乾杯しよう? お前も腹減ってるだろ?」
その言葉に合わせたかのように、別の店員が皿を持ってやって来た。村雨が追加で注文した唐揚げやウィンナーを手際よく並べて、すぐ別のテーブルへ向かっていく。
ぴくっと村雨が小さく鼻先を震わせて、唐揚げの皿に目を遣った。ウチで料理を出した時と同じで、完全に食欲十割の顔になっている。
オレは自然に手を伸ばして、村雨の背中をぽんと叩いていた。
一希さんが見てるとか、そういうことは気にせずに。
「ほら、食うだろ」
「あぁ」
「んじゃ、乾杯しようぜ」
こくりと村雨は頷いて、ジョッキを持ち上げた。オレも新しいジョッキの把手を握って、軽く掲げる。
一希さんがにかっと笑みを大きくした。
「よーし、カンパーイ!」
こつん、と三つのジョッキが互いにぶつかった。なめらかな泡に口をつけて、また冷たいビールを喉に流し込む。こんなに飲むのは久しぶりだったけれど、やっぱりとても美味いと思った。
笑って話して、楽しくて、酒が美味くて。
きっとこれが、いい飲み方ってヤツなんだろう。
村雨はごくごくと何口か飲んで喉を潤し、既に唐揚げの皿に向き合っている。一希さんはひと口だけ飲んで——さすがに今回はそのひと口の量も抑えていた——ジョッキを置き、そんな村雨を楽しそうに眺めていた。
「よかったなぁ、礼二」
唐揚げのひと皿めが空になる頃に、しみじみと一希さんが言った。
何だ、という表情で、村雨が視線を上げる。
「敬一君と出逢えて、さ。今のお前なら、わかるだろ? あの時オレが言ったこと」
「?」
「初めて礼二が敬一君を紹介してくれた時にも思ったけどさ、今日こうして敬一君と話して、やっぱりそう思うよ。ああ、礼二にもわかる時が来たんだよなぁって」
「兄貴」
村雨が素早く唐揚げを飲み込んで、一希さんを呼んだ。ちょっと早口で、制止したそうな響きで。
でも一希さんは、穏やかな笑顔でそのまま言葉を続けた。
「大丈夫だって言っただろ? だって、お前は、優しい子だからさ。ただ、自分で気づいてなかっただけだよ」
「……!」
「えっと……?」
オレは、話の詳細がわからなくて、二人を交互に見やった。
愛おしそうに村雨を見つめる、一希さん。
そして村雨は、眼を見開いてその一希さんを見返したまま、みるみるうちに頬を赤くしている。
なかなかレアな光景だった。たまにオレの不意打ちが成功すれば、村雨が動揺して赤面するのを見られることはある。でも今の村雨は、そういう時ともまた違った顔をしていた。
何というか、もの凄いきまり悪さを全然隠せてなくて、言い返したいけど慌ててしまって、言葉にならなくて。
隠し事がバレて困って、やけくそでむきになっている、小さな子供みたいで。
とても——見たことがないほど、可愛らしくて。
「むら、さめ……?」
オレはそろそろと手を動かして、赤くなった頬に指を伸ばした。
「っ……!」
触れたか触れないかのところで、ばっ、と村雨がこっちを向く。一瞬すごい形相でオレを睨みつけたが、すぐに強い意思の力で動揺を抑え込んで、ごくごくと自分のビールを飲んでからオレと一希さんをじっとりと見渡してきた。
「……あなた達、何の話をしていた」
「いや、別に……そんな」
「そうそう、大したことじゃないって!」
オレは村雨の迫力にたじたじとなったが、一希さんはあっけらかんと笑って言った。
「ただ、オレがかわいい弟の話をして、敬一君がそうですねって聞いてくれただけだから! 礼二が心配するようなことは何もないって!」
「では何故、今あの時の話を持ち出してくる」
「えー? ただ思った通りに言っただけだぞ? お前が幸せで嬉しいんだよ、オレは。それだけだって」
村雨はもどかしそうに眉根を寄せていたが、やがてため息をつくと、矛先をこちらへ向けてきた。
「兄貴では埒が明かない。獅子神、家に帰り着いたら順を追ってつぶさに私に話せ。いいな」
「えっ、と」
オレは返事に困ってしまったが、一希さんが素早く助け舟を出してくれた。
「ダーメダメ! 今日のコレは、オレと敬一君の話だから! 礼二ももう少し我慢すること覚えようなー! あんまり敬一君を困らせるんじゃないぞ?」
「くっ……」
村雨はひくひくと口元を引き攣らせながら、からりと笑う一希さんを睨みつける。悔しそうなその様子はやっぱり可愛らしくて、オレも思わず笑ってしまった。
「獅子神。あなた」
不服そうに尖らせた唇。まだ赤みの残る、むくれた頬。
指先でその柔らかい頬をちょん、とつついて、オレは村雨に微笑みかけた。
「なぁ、本当に大丈夫だって。オレも一希さんも、お前のこと笑ったりしてねぇよ」
「……しかし」
「オレも嬉しかったよ。一希さんと、ゆっくり話せて。お前の大好きなお兄さんだもんな。だから今日はこれでよかった、てことで大目に見てくれよ」
まだ何かを言い返そうとした村雨の深紅の瞳を、オレは正面からじっと見つめた。
コイツは普段は理性的なくせに、我儘で甘えたがりで、それを出す相手をよく心得ている。オレや一希さん相手なら、遠慮なく最大限に発揮してくるのが常だ。
でも、大好きな相手を困らせ続けてまで、我を通すようなヤツでもない。
何だかんだ言って、優しいのだ。村雨は。
「……な? 村雨?」
名前を呼んで、より深く視線を絡める。何もかも見透かす炯眼のその奥まで、しっかり届くように。
大好きだよ、と伝えながら。
村雨はちゃんとオレの心を読んで、受け止めて。
かなわんな、と言う代わりに、ふっと微笑んだ。
「わかった。ここは引き下がろう」
「うん。ありがとな」
「帰ったらあなたのデザートが食べたい」
「……昨日作ったプリンあるから、それでいいか? でも、ここで食いすぎるなよ」
「善処しよう」
村雨はにやりと笑うと、ウィンナーとフライドポテトが盛られた皿を引き寄せた。割り箸を手に取り、流れるような動きでウィンナーを持ち上げて、大きく齧り取る。
くすくすと一希さんが笑った。
「あーもう……ホントに、ねぇ」
「はい」
「もう一回、乾杯しよっか。敬一君」
「そうですね」
オレも笑いながら、自分のビールジョッキを持ち上げた。隣で村雨が口をもぐもぐと動かしながら、無言でジョッキを掲げてくる。
「んじゃ、乾杯!」
こん、とまた三つのジョッキがぶつかって、黄金色の液面が揺れる。夏の長い残照に輝く酒をゆっくりと体内におさめながら、オレ達は飽きることなく語らい、笑い合ったのだった。