@remuremuremm
ファーストキスは結婚式で
アズールに意中の人物がいるのを想像しただけで、胸が締め付けられるようだった。そのくせ、恋心を打ち明けるつもりはなかった。何と子どもじみた独占欲だろう。
でも、あと半年でイデアはインターンに行き、それが終われば卒業だ。なりふり構っていられなかった。
「アズール氏ってさ、今付き合ってる人とかいる?」
思い切って放課後の部室で尋ねてみたところ、彼はチェスの駒を握ったまま固まった。ぽかーんとするアズールの姿は、他では見られないだろう。
彼はため息をつくと、盤上に駒を置きながら応えた。
「何ですか藪から棒に……恋人という意味ですね?特にいませんが」
「勉強やラウンジで忙しそうですもんな。今はうつつを抜かす暇なんかないって感じ?」
「まあ、そんなところです」
アズールに恋人がいないのは予想通りだった。恋愛に興味がある様子もなかったし、彼が取り巻きの双子を含めて恐れられているのはリサーチ済みである。仮に、一方的な好意を抱いた人物がいたとて、それが明るみに出れば何を要求されるか。
NRC生たるもの、誰だって人に弱みを握られたくはないし、それがアズールともなればなおさらだ。彼を恋愛対象とするのは自分くらいなものだろう。
とはいえ、男しかいない環境を脱した瞬間、彼は引く手数多となるに違いない。みすみすチャンスを逃してなるものか。今しかない。
「あのー、もし将来パートナーを考えることがあれば、その……拙者も候補の1人に加えていただければと」
もし、イデアが同時に2人存在していたとしたら、”何を口走っているのだ”と慌てて口を塞ぎにかかるところだ。だが、ユニーク魔法でもない限り、リアルで分身の術など使えるはずもなかった。
自分で言っておきながら、目をぎゅっと閉じてしまう。そのとき、不意に耳元をくすぐるような柔らかい吐息が落ちた。
「いいですよ」
「ヒッ、断るならひと思いにしてくだされ……え、本当に?」
「あなたから持ち出した話ですよね?」
「それはそうだけど」
了承されてもなお困惑するイデアに、アズールは”いいですか?”と念押しした。
「僕はこれからやりたいことが山ほどあるんです。そんな時期に、根も葉もない噂が立つのはデメリットでしかない。せっかくパートナーのお申し出を頂いたのですから、今喜んでお受けしますよ」
アズール曰く、「お互いに有益な関係ですね」とのことだった。なんだかビジネスパートナー、あるいは契約結婚のようにも聞こえたけれど――卒業後も彼と一緒にいられるなら、どんな形でも構わなかった。
こうして2人は、恋愛という段階を飛び越えて、そのまま結婚したのである。
***
迎えた結婚式。イデアにとって、人前に出るなどまっぴらごめんであった。一方で、アズールにとっては自身の名を売り込み、ラウンジの評判を上げるまたとない機会だ。
終始顔を隠すなら、という条件で承諾した結果、2人ともヴェールを被ることになった。普通はどちらか一方が被るものでは?と怪訝な表情を見せたが、イデアのほうが、どうしても彼にヴェールを被ってほしいと譲らなかったのだ。
「それでは、誓いのキスを……」
「おい、そんなの式の予定には……んっ、」
神父役を買って出たジェイドに焚き付けられ、自分のヴェールごとたくし上げて、目の前の彼と唇を重ねた。紛れもないファーストキスだった。
アズールの唇には桃色のリップが薄く塗られていて、とてもやわらかい。ふにふにっていう表現は、こういうときに使うんだなとぼんやり思った。
そんな彼は、口づけの瞬間から、ただただ顔を真っ赤にするのみだった。
***
「あれはどういうことですか!?」
「いや拙者も知らんが!?」
式後の控え室で、イデアは案の定質問攻めにあっていた。段取りにないことをされ、計画が全部崩れたという言い分である。そんなもの、イデアだってあの場で初めて聞いたのだ。文句を言うのはお門違いだろう。
「でも、あそこで拒否るのも変じゃない?ムードを崩さなかっただけナイスアシストでは?」
「まあ、確かにそうですね……」
変に悪印象を抱かれるのは本意ではないですし、と案外あっさり納得してくれて、こちらが拍子抜けしてしまう。
「ところで、キス自体に抵抗感なかったの?」
「まさか!いきなりされて驚きはしましたが、本当にそれだけですよ。強いていえば、ジェイドに焚き付けられたことに腹が立ちました」
1度きりのファーストキスなのに、と拗ねているアズールを見て、恐る恐る聞いてみた。勘違いじゃなければ、彼も僕のことを――――。
「え、もしかして、僕のこと好きだったりする?」
「当然です。キス以前に、好きでもない相手と結婚するわけがないでしょう」
思えば、あのアズールが対価もなしに結婚を受け入れた時点で、結果は明らかだったのだ。
何だ、最初から恋愛結婚だったんじゃないか!
ワンライお題:結婚式
「僕、結婚式がしたいんです」
「ファ!?本気で言ってる?」
2人が交際を始めてから5年。つい先日籍を入れた2人は、大きな喧嘩もなく穏やかな日々を過ごしていた。そんななか、イデアを見つめる瞳が欲望でギラギラとしていて。
何を企んでいるのかと自室で問いただしたところ、先の返答が寄せられた。
「ええ!ナイトレイブンカレッジのみなさんはもちろん、モストロ・ラウンジの取引先、経済界の著名人……。ますます人脈を広げるチャンスですから」
「ヒッ、大勢の前で見せ物にされるとか無理なんだが……まさか、それが目的?」
想像するだけで地獄である。ただでさえ青ざめている表情は、カタカタと震えて血色を失っていた。
脳裏をよぎるのは、死者の国に攫われかけたあの事件。アズールたっての願いとはいえ、無理なものは無理だ。
「イデアさんがそうおっしゃるのを見越して、プランを練ってきました」
これ見よがしにデスクに置かれたのは、分厚い紙の束。プレゼン資料にも抜かりはなかった。
「僕たちの場合、エタニティ・フロートを行うことも可能ですが、あなたは大々的な式は望みませんよね?そこでです。現代にはメタバース結婚式というものが存在するそうではありませんか」
「まあ、僕の手にかかればできなくはないけど……そこまでして開きたいんだよね?」
イデアが人前に立つのを嫌がるのは、今に始まったことではない。それを最初から計算に入れての提案である。だが、アズールにとっては対面の方が目的を果たしやすいはずだ。口には出さないものの、イデアに譲歩しているのは明らかだった。
彼の主張は嘘ではない。でもその奥に、”人脈を広げる”以上の大切な何かがあることには、とっくに気がついていた。
「ただでさえ、帰省の頻度は少なくなっているんです。それに、僕の家族は陸に上がったことがほとんどない。あなたのご家族も、普段は嘆きの島を離れられない。結婚式は、またとない機会になると思いまして」
大切な人を想う眼差しに、イデアは弱かった。目に浮かぶのは、大事なパートナーと弟の笑顔。結婚報告に臨んだ際、オルトが心から喜んでくれて安堵したものだ。そんな彼は、”いつか結婚式に参加してみたいなぁ”と純粋な願いを口にしていた。無下にできるはずもない。
イデアは覚悟を決めた。
「いいよ。やろう、結婚式」
途端に、アズールの目がぱあっと輝いた。
「本当ですか!では早速、契約書にサインを……」
「待って」
ペンを握ろうとするアズールをそっと静止する。話にはまだ続きがあった。
「せっかく提案してくれたところ悪いけど、式は仮想空間じゃなくていい」
「つまり、対面で行っても?」
本当に?やっぱ無理、は無しですよ?と、念を押して確かめる。イデアの決断に揺るぎはなかった。
「あー、その代わり、招くのは知り合いだけ。あとはリモート対応。これでどう?拙者をよく知りもしない人間からの視線や噂話には耐えられんのですわ」
「あなたの懸念するようなことは起きないと思いますよ……と言っても難しいですよね。わかりました。その方向で進めましょう」
「フヒ、さすアズ〜。任せたよ」
双子の襲来、家の敷地をゆうにオーバーする、アジーム家からのご祝儀……。様々なイベントが発生したのは、また別の話。
当日はどうなったかというと、涙を浮かべながらはにかむ2人の表情が、すべてを物語っていた。