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コラボレイト・チョコレイト

全体公開 幻水 11519文字
2025-08-08 23:06:33

パークリ。ふたりで一万文字使ってチョコレート作るだけの話。今や目も当てられない甘さです。

 バレンタインデーは愛と誓いの日。
 恋人に心からの贈り物を渡し、互いの愛を確かめ合いましょう。

 起源は忘れたが、今はこんな記念日を作った誰かを呪い殺したい。

コラボレイト・チョコレイト

 重い足取りでゼクセの市場を歩く。二月のゼクセは寒い。コートやマフラーをしっかり身につけても、冬の空気は袖や裾の隙間から入り込み、容赦なく体を冷やす。
「寒っ……
 不意に強い風が吹きつけてきた。思わず足を止め、その場に立ち竦む。
 市場方面は港に面していることもあって冷え込みが特に厳しく、時折こうして強い風が吹く。紙袋を抱える両手もすっかり冷えて、指先にはじんじんと痛みのような感覚が宿り始めていた。
 自然と指先が強張り、抱えた紙袋がガサリと音を立てた。その小さな衝撃のせいか、袋の中から甘い匂いが漂ってくる。冷気を伝ってきたため、香りは甘くも冷たく、鼻の奥をすっと通り抜けていく。
 匂いの正体はすぐにわかった。袋の中から顔を出す、銀紙に包まれた板状の物体。
 ――それが、憂鬱の元凶。
「まったく……
 銀の板をじっと見つめ、恨めしげに呟く。
「なんでこんな日があるんだか……
 寒さで縮んだ気分が、更に小さく落ち込む。
 何も語らない銀の板にぼやくのも空しくなり、空を仰ぎため息を吐いた。曇天の空からは今にも雪が降り出しそうで、まるで今の自分の心そのもののようだ。
「はぁ……
 沈んだ気持ちのせいで鉛のように重くなった足をどうにか動かし、家路を急ぐことにした。

 市民に声をかけられて足止めを食らわぬよう、人通りの少ない道を選んで帰宅した。こんなものを持ち歩いているのを目撃されようものなら、どんな騒ぎになるかわかったものではない。
 出迎えてくれたじいに纏っていた防寒具一式を預け、紙袋は自分で抱えたまま、台所へと向かう。
「お嬢様……
 ふと、じいに呼び止められた。振り向くと、心配そうな顔でこちらを見つめるじいの顔。その顔を見ているだけで、なんとも申し訳ない気持ちになる。
……大丈夫」
 返す言葉に力はない。我ながら、実に説得力のない「大丈夫」だ。その自覚があるからこそ、居たたまれなくなってくる。
「じい、朝も言ったけど――
「承知しております。今日はすべておひとりで、ですね」
「うん、頼む。心配かけてすまない」
 そう告げて、再び台所へと歩き出した。じいは最後までじっと私を見つめていた。相当に心配なのだろう。無理もない。

 台所に入り、紙袋を調理台の上に置いた。ひと息ついて周りを見渡すが、どことなく落ち着かない。
 自分の家ながら、これまで台所に足を踏み入れることは滅多となかった。
 台所の管理はずっとじいに任せていて、昔からじいの聖域のように思っていた。成長した今もその認識は変わらず、今、自分がここに立っていることにもとてつもない引け目がある。
 そこらのシェフにも負けないような料理が、日々ここから生まれている。それは、自分にしてみれば信じられない奇跡だ。考えようによっては真なる紋章の力すら凌駕する神秘に思う。そんな場所で自分がここに立つのは、聖域を侵すに等しい行為だ。料理が苦手どころか作ろうとも思わなかった人間が、この神聖な場所で菓子作りをするなど、野蛮人の侵略行為でしかない。
 すべてを終えた後、この場を無傷のままじいに返せるかも怪しい。それでも、私は誰の手も借りず、ひとりで菓子を作らなくてはならない。これは一種の使命だ。自らの望みではなく、他者の――いや、世の中の残酷な風習が自分に与えた使命と言えるだろう。

 ――今日はバレンタインデー。大切な人に愛情を伝える日とされている。
 ゼクセンでは恋人や夫婦などの男女間ではもちろん、日頃から仲の良い人間同士で贈り物を渡し合うことも多く、広く親しまれているイベントのひとつだ。昔はさほど知られていない行事だったが、儲けの機を得たいギルドの策略が見事にはまり、現在はすっかり一般化している。
 自分とて策にはまった人間のひとり。毎年、信頼する仲間や部下にささやかなプレゼントを贈り、相手からも菓子や花を貰い、互いに温かい気持ちになることに喜びを感じていた。

 ――しかし、今年は少し違う。

……
 調理台の上に広げた商品の数々を見下ろし、眉間に皺を寄せる。銀紙に包まれた板状のチョコレート、瓶詰の生クリーム、ミディアムテイストのラム酒、ココアパウダー。それから、「はじめてのお菓子作り」とタイトルの入った本。それらが台の上で乱雑に散らばっている。
 これから、この材料を使ってトリュフを作らなくてはならない。
 ――なぜなら、自分に恋人と呼べる人間ができたから。そして、その恋人ができて初めて巡ってきたバレンタインデーだからだ。
 バレンタインデーの贈り物は人によって様々だが、チョコレートを代表とした菓子が一般的とされている。なぜチョコレートなのかはわからない。ギルドと菓子屋の策によるものなのかもしれないが、その追及はさておき。
 これまで、仲間内には大箱のクッキーやキャンディを小分けにラッピングしたものを毎年贈っていた。同様の方法で配り歩く人間は大勢おり、それを狙いに大箱の菓子詰めを目玉商品にする店も多い。どちらかといえばポピュラーな渡し方と言えるだろう。去年までは奴もその「大勢の中のひとり」に過ぎず、特に問題なく二月十四日を過ごしていた。
 問題は、ゼクセン内で定着しているもうひとつのバレンタインデーにおける認識だ。

 ――女なら、愛する男性には手作りのお菓子を贈るのが常識。

 料理が苦手な連邦内の全女性を敵に回すような風習だ。誰だ、こんなものを定着させた奴は。菓子で儲けたいのなら既製品だけを売り込めばいいだろうに、なぜいきなり手作りに話が飛躍するんだ。
 しかも、わざわざ「女から男へ」と渡す性別の方向を固定しているのも気に食わない。男の方が料理達者な場合だってあるじゃないか。この風習によって、料理下手な女がどんな劣等感や苦悩を抱くのか……発案した人間の胸倉を掴んで訴えてやりたい。
 いっそ、「お菓子など作れない」と開き直れたら楽なのだろう。機転を利かせて菓子以外のものを贈ったっていい。自分が包丁もろくに握ったことがないのは相手だってよくわかっているし、こちらの気持ちも汲み取ってくれることだろう。その辺は聡い男だ。
 しかし、引っかかるのは今回が「初めてのバレンタインデー」であることだ。最初から世間一般の流れから外れて裏技に出ることは、自分には逃げにしか思えなかった。実際に苦手なことから逃げるのだから、後ろめたさはただならない。
 ――逃げてはいけない。そんな頑固な性格のせいで、体当たりせざるを得なくなった。我ながら、手先だけでなく内面もつくづく不器用だと思う。

 バレンタインデーの今日を迎えるまでにも、それなりの苦労があった。
 菓子作りのためにブラス城からゼクセの生家に戻れるよう、一週間ほど前から仕事の量を調整してきたし、公私混同と自覚しつつ、「今回だけは」と奴をゼクセへの同行者に選んだ。
 奴には生家の客室で寝泊りしてもらい、今日は計画を悟られぬよう外出を促した。そして、予定通り奴が出払った隙に買い出しを済ませ、現在に至る。
 じいには台所を借りる名目として「騎士団のみんなに菓子を作るから」と説得した。じいが疑問を口にすることはなかったが、恐らく、こちらの本心など軽く見透かしていることだろう。
 奴と恋仲と呼べる関係になってからというもの、ふたりでゼクセに戻ったときはいつも自宅に泊めているし、自分が家に招く騎士など奴しかいない。普段の会話を聞いていても、じいが気付かないはずがない。何も言わないでいてくれるのは、年長者の優しさに他ならないだろう。
 そんなじいになら、素直に「奴のために作る」と言っても差し障りはない。……が、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。恐らく、そんな自分の気持ちすら、じいにはお見通しなのだろうが。

……よし」
 着慣れないエプロンを装着して、気合を入れる。ここまで来たらうだうだしていても仕方ない。本を開いて目的のページに折り目をつけ、じっくりと読み込む。
……ふむ、まずは材料を計るか。計量カップ……はどこだ?」
 台の上にはまだ材料しかない。本の中の「必要な道具」という項目を見ると、色々な道具が必要のようだ。まずはそれらを捜索することから始まりそうだ。
 道具を保管していそうな戸棚を片っ端から開けて、覗き込む。「じいの聖域」という意識がどこかにあるので、行動ひとつにも慎重になった。
「これが絞り袋……かな? でも、計量カップはどこだろう」
 戸棚の奥まで手を伸ばしてみるが、それらしきものは見当たらない。
 あまり荒らしても迷惑になる。本人に聞いた方が安全と考え、顔を上げて「じい」と呼びかけた。
 ――しかし、声は第三者によってかき消されることとなった。
「計量カップならここですよ」
 声とともに透明なカップが視界に入ってきた。カップには目盛りが入っており、それが探し求めていたものであることがわかる。
「ついでにボウルがそこ、ヘラはこっちです」
 みるみる内に器具が並んでいく。棒立ちになっているだけで、気づけば必要なものはすべて出揃っていた。
「道具はこんなところですね。では、始めますか」
 そこで、ようやく隣に立つ声の主を見やった。しかし、奴はこちらを見るでもなく、台に載せた本に目線を落として作業行程を読み始めている。
「作るのはトリュフ……か。じゃあ、初めはチョコレートを刻んで、生クリームと混ぜるところからですね」
……
 平然と腕まくりをして、当たり前のように、パーシヴァルはそこにいた。
……聞いていいか」
 ようやく口を開けた。無意識だったが、声のトーンはいつもより幾分か低い。
「なんですか?」
 目線が合う。平然とした顔で、自分を見つめる目。

 ――どこかで何かが、ぷつんと切れる音がした。

「どうしてお前がここにいて、どうしてお前がうちの調理器具の収納場所を知っているんだあああ!」
 突然叫んだのと、予期せぬ事態に動転しているせいか、妙な疲労感に襲われ肩で息をする。それでも、奴はつらっとしていた。
「ここにいるのは執事さんからあらかたの話を聞いたからです。今年は親しい騎士たちに自分で作った菓子を贈りたい。誰の手も借りずにひとりで作りたいから、俺が戻ってきても台所に入れないように頼まれている、と」
 じいの奴、全部喋ったのか……! 途端に裏切られたような落胆が込み上げる。
「執事さんのことは怒らないであげてください。ちゃんとクリス様の言いつけを守ろうとしていたのを俺が無理に聞きだして、押し切って来てしまっただけなので」
 話を聞きながら、ふと出入り口に人影が見えた。扉から体を半分だけ出したじいが申し訳なさそうな表情で立っている。今にも泣き出しそうな顔。とても責め立てる気など起きず、私は「気にするな」と小さく首を横に振り、許容の意を示した。
「で、事情はじいから聞いたとして、なぜ調理道具の場所まで知っている」
「実は、先日ちょっと台所をお借りしまして」
「借りたって」
「もちろん、執事さんの許可は頂きましたよ」
 家の主である自分ですらほとんど立ち入らない場所に、客人である彼が出入りした事実に絶句した。「家の物は好きに使って構わない」とは言ったものの、驚きは隠せない。なんだ、小腹でも空いていたのか。
……まあ、道具を並べてくれたのには感謝する。だけど、話を聞いたのならここからは……
 察してひとりでやらせて、と目で訴えるが、それは許されなかった。
「初めて作るんでしょう? ひとりで作るのはなかなか骨が折れますよ。良ければ一緒に作りましょう」
……
 雰囲気は柔らかいのに、自分より強い意思を持った瞳に押し切られる。「一緒に作りましょう」と言うのがまたずるい。「手伝う」と言えば自分がへそを曲げて拒絶するのをわかっているからだ。
……ほんとに、嫌な奴」
 悪態をつきながらも、ここから彼を追い出せない自分が一番、憎らしかった。
 ――こうして、ひとりで行うはずだったトリュフ作りは、なぜかパーシヴァルとの共同制作に変更となってしまった。

「では、まずはこれをかき混ぜてください」
 そう言われ、泡立て器とボウルを手渡された。ボウルの中には細切れになったチョコレートと熱い生クリームが入っており、ふわふわと湯気を立てている。
 チョコレートを刻むのも生クリームを温めるのも、一応はふたりでこなした、という表現になるが、自分がしたことといえば鍋に生クリームを注いだり、チョコレートを銀紙から剥がしたくらい。要するに、ほとんど何もしていない。その現実にげんなりしながら、与えられるがままボウルの中身をかき混ぜた。
 その間、パーシヴァルは別の作業を進めている。その動きはさすがと言うほどテキパキとしていて、迷いがない。経験が身に染み付いているのがよくわかった。
「クリス様、熱い眼差しで見つめてもらえるのは大変ありがたいですが、手が動いてませんよ」
「ご、ごめんなさい」
 慌てて意識をボウル戻し、泡立て器を振り回した。視線に気付かれた恥ずかしさをかき消したくて、少々手荒な動作になる。
「乱暴に混ぜるとチョコが外に飛び散ってしまいますよ。混ぜるときは優しく」
「は、はい」
 ――この先生、意外に厳しい。
 指摘されて動作を緩めたが、何滴かは既に台やエプロンに飛び散っており、その惨状と気まずさに項垂れた。
「次はボウルにラム酒を入れてください。もう分量は測ってますから、そのまま全部入れて大丈夫ですよ」
「ラム酒? これか?」
 小さな器に入った濃い赤褐色の液体。微量だが、液体からは濃いアルコールの香りが漂っている。
 言われるがまま、ボウルにラム酒を注いだ。熱に触れたアルコールは更に強い芳香を放ち、少しくらりとする。
 それをざっくり混ぜたところで、パーシヴァルにボウルを取り上げられた。ボウルはそのまま窓の外に安置される。どうやら、少し冷やすらしい。

「ふぅ……
「クリス様、次はこっちです」
「む」
 自分にしてみれば随分な大仕事をこなしてひと息ついたところなのに、休む暇は与えられない。
「休憩するのはまだ早いですよ」
「わ、わかってる! で、なんだこれは」
 鍋でぐつぐつ煮立っている白いクリーム状の何か。香りからして牛乳か何かのようだが、見当がつかない。トリュフの製作過程にこんなものはあっただろうか?
「後のお楽しみです。この中にこれを入れてもらえますか」
 差し出されたのは、まな板の上に載った刻みチョコ。受け取り、恐る恐る湯気の立つ鍋に傾けた。
……むぅ……
 剣などよりずっと軽いまな板を持つ手が震える。困ったことに、入れるタイミングがつかめない。入れるって、どうやって? このまま流し込んでいいのか?
「そんなに迷わなくても大丈夫ですよ。ほら」
 苦笑と共に、すっと自分の手よりひと回り大きい手が被さった。恐らく火傷させまい、という意図なんだろう。こちらにしてみれば、いきなり背後に立たれて手を重ねられる方がよっぽど危険なのだが、この男、その辺はわかっているんだろうか。
 棒立ちのまま、ほとんど操られるようにぱらぱらになったチョコレートを鍋に降らせた。指にちょっとばかりついたチョコレートは、こっそり舐めた。

「こっちは、もういい具合かな」
 外に出していたボウルを引き戻し、渡された。冷気に包まれた金属部分が冷たい。
 パーシヴァルは私にボウルを持たせたまま、ヘラで茶色い中身を軽く混ぜ返した。固さの確認をしているようだ。
「どう?」
……うん、丁度良い固さだと思います」
「良かった」
 中身はそのまま絞り袋に流し込まれ、用意されたバットに適当なサイズに絞り出した。やり慣れない作業に動きはぎこちなくなる。形はどれも不恰好で、それが余計に焦りを駆り立てた。
「どうせ後で丸めるんですから、いびつでも大丈夫ですよ。落ち着いて」
 いっぱいいっぱいになっているのを見透かされて、笑われる。それが恥ずかしいような、心地良いような、不思議な気分だった。
 黙々と作業を進め、気付けば袋の中身は空っぽになっていた。
「このまま少し冷やします。三十分くらい経ったら、丸めましょう」
「わかったよ、先生」
「おだてても何も出ませんよ」
 くすくすと笑い合い、少しばかりの休憩が訪れた。
 台所に備え付けた木いすに腰を下ろす。慣れないこと続きで、どっと疲労感に襲われる。肉体の疲労というよりも、精神的な疲労だ。本来なら、こういう時間を利用して洗い物を片付けておくべきなのだろう。しかし、今回パーシヴァルに甘えてお任せしてしまうことにした。手際よく使用済みの器具を片付ける背中がいつも以上に頼もしく見える。そして、それを眺めることに妙な充足感があった。

「クリス様、時間ですよ」
「ん……うん」
 うとうとしていたところを呼びかけられて覚醒する。こんな短時間で眠くなるとは、どれだけ気を張っていたのだろう。
「大詰めです。丸めましょう」
「うむ」
 搾り出したチョコレートを掌に載せて、崩さないようにもう片方の手で優しく丸める。初めはかなりいびつな形だったが、二度、三度と回数を重ねると、ちょっとずつ見られるようになってくる。
 それでも、パーシヴァルが作ったトリュフと並べると形の差は歴然としていた。少しばかり落ち込んだが、奴はその方が見分けがつき易くていいだろうと笑んだ。
「きっと、いびつな形の方が人気になりますよ」
「違いない」
 話しながら作業を進め、最後の一個。気持ちを込めて丸めたトリュフは、パーシヴァルが作ったものに引けを取らない綺麗な球体に仕上がった。
「お、これは綺麗ですね。並べても見分けがつかないかもしれませんよ」
「そうかな」
「少なくともボルスとレオ殿にはわからないでしょうね。賭けてもいい」
「あんまり調子に乗せるな」
「お世辞じゃないですって。本当に良い出来です。頑張りましたね」
……
「クリス?」
……あ、ありがとう」
 褒められた。小さなチョコレートの粒を載せた掌が小さく震える。
 ……嬉しい。すごく嬉しい。思って、驚く。自分が料理をすることでこんな満たされた気持ちになるなんて、少し前まで考えもしなかった。料理をして残るものなんて、食べ物になるはずだったものの残骸と、破損した台所や器具と、空しさしかないだろうと思っていた。ひとりで作ろうと決意したときもほとんど諦め半分で、どこか「作ろうとした事実」を欲していたような気がする。
 パーシヴァルは自分が隣に立つことで、その予想を全部覆した。それは私にとって、かなりの衝撃だった。
 彼からこんな驚きを与えてもらったのは、今回が初めてではない。まして、一度や二度で片付けられる回数でもない。大なり小なりの驚きや嬉しさがいくつも重なって、今がある。そのお返しをしたかったから、菓子作りもやってみようと思えたのだ。――結局、それすらも彼から喜びを与えてもらう材料になってしまったけれど。

「では、仕上げのココアパウダーをかけますか」
 振るいの中に入ったパウダーをパーシヴァルがひと振りしたところで、その手に触れて制止した。
「私がやる。やりたい」
 パーシヴァルは一瞬だけ目を見開いて、それからゆるりと破顔した。
「どうぞ」
 そっと振るいの取っ手を渡される。粉を落とさぬよう、そっとトリュフの上に持って行き、静かに振る。ぱらぱらと、茶色の粉雪を降らせる。指先に、今の満たされた想いを込めるようにして。

……できた」
「できましたね」
 大皿に並ぶ様々なサイズのトリュフ。完成品を眺めると、達成感で一気に気が抜けた。
「はあ……。ひと仕事だった」
「お疲れ様です」
「あとは保冷ケースに入れて終わりだな」
「いつもみたいに個別にラッピングはしないんですか?」
「詰めてる間に溶けても嫌だし、今回はひとつのケースに入れて、みんなにその場で食べてもらうよ」
 木いすに再び腰を下ろしてぐってりしていると、パーシヴァルが台所の奥に消えた。ぼんやりとその背を眺めていると、数十秒後、奴は何やらすごいものを持って帰ってきた。
……なんだそれは」
 彼の片手に載った皿。そこに鎮座するのは円形のタルト菓子。表面には桃や苺といった果物がぎっしりと敷き詰められていて、食欲をそそる。「料理は見た目ではなく中身」とも言うが、これで美味しくないわけがない、といった見栄えだ。
「チョコクリームのフルーツタルトです」
「いつの間にそんなもの」
「さっき鍋で煮てたやつですよ。刻みチョコ入れるの、手伝ってくれたじゃないですか」
「う、嘘」
「下の生地は昨日の内に作っておいたものですけどね」
「昨日? いつだ?」
「夜中にちょっと、ね。言ったでしょう、台所をお借りしたって」
 真夜中に人の家の台所でこんなものを作っていたのか、こいつは。驚きなのか呆れなのかよくわからないツッコミが脳裏をよぎるが、声にはならない。
「下ごしらえは昨晩のうちに終わらせましたが、クリーム作りと果物の盛り付けがまだだったので、執事さんからクリス様が台所にいると聞いて焦ったんですよ。さっき、クリス様が少しお休みしている隙に作れて良かったです」
 つらつらと話しながら、パーシヴァルはタルトを切り分けている。その動作もまた手際よく、流れるようだ。
 呆然としている目の前に、タルトの載った皿を差し出された。
「どうぞ。俺からの贈り物です」
「え」
「男が手作り菓子を親しい人にプレゼントする習慣はありませんが、しちゃいけない決まりもないですよね?」

 ――こいつ。

……なんて奴」
 そつがなさ過ぎて、言葉が出てこない。
「そんな顔しないで。ほら」
 パーシヴァルは苦笑しながらタルトに載った黄桃を抓み、力なく開いた私の口にそっと押し込んできた。甘酸っぱい味覚が口内に広がる。
……んまい」
「それは何より」
 本当にこいつは私をなだめるのが上手い。けれど、今回はそう簡単には収まりがつかなかった。

 ぽつんとしたトリュフと、見目も鮮やかなフルーツタルト。その間にある溝は、自分にとってことのほか深い。 菓子の見た目の差が、互いの気持ちの差のように錯覚して、惨めになってくる。
「なんだか、自分がばかみたいだ」
「なぜ?」
「この程度のものを作れただけで、浮かれてた。お前はもっと手の込んだものを作ってくれたのにな」
「この程度なんてとんでもない。せっかく頑張ったのに」
「だけど、私は一度に色んなものは作れないと思って、お前にもみんなと同じものしか作ってないんだぞ?」
 それは自分の中で、大きなしこりになっていた。彼にも騎士団のみんなにも同じものをつくること。単なる照れや、じいにはっきりと言い出す恥ずかしさから、致し方ないと納得させようとしていた。
 しかし、そんなものはただの自分の都合でしかない。実際、いざ彼と面と向かってみると、今あるのは後悔しかない。
 腹立たしいやら泣きたいやらで唸っていると、パーシヴァルは妙に嬉しそうな顔でこちらの顔を覗き込んできた。
「じゃあ、こうしましょう」
 今度は皿に並ぶトリュフを抓んで口に入れられた。自分が最後に丸めた、最も形の良いトリュフだった。果実の甘さがまだ残る口内を、今度は濃厚なチョコレートの甘味が占拠する。
 自分で作ったものを口に押し込められた意味もわからず、とりあえずトリュフを舌で転がすことしかできない。
 そうすること数秒後、不意に伸びてきた指先によって、顔を上向きにされた。
「ん」
 そのまま、唇を重ねられる。最初の触れ方こそ優しいものの、それは嵐の前の静けさに過ぎない。絡められた舌は徐々に強引な動きになり、口内を弄る。溶けたトリュフが混ざり合い、舌も唾液も甘くなる。
……ん」
 たまらず固く閉じていた目をうっすらと開けると、深い茶の瞳とかちあった。すっと細まった瞳には、自分を溶かす色気しかない。深い、情。それを他の誰にも見せたくなくて、誰も見ないとわかりながらも彼の首に両手を回し、引き寄せた。
 ――その目で見るのは私だけにして。
 激しい欲に駆られ、そこで思考は停止した。それ以上のことは――もう考えられなくなった。

 チョコレートの味も薄れ、ようやく唇が離れた。満足げに吐いた奴の息が甘く鼻をつく。甘さの中に潜むラム酒の香りが意識を更に煽り、ぼうっとして身動きが取れない。
「これで特別」
……え?」
「他の連中にこんな味わい方はできないでしょう?」
……お前という奴は」
 パーシヴァルはくすくすと笑う。その顔には、もう先ほどのどろりとした色気はない。子供をあやすような、ふんわりとした表情。
 その顔も、他の奴には見せないで欲しい。ぼんやり思い、そんな自分で自分に苦笑した。こんな独占欲が自分にもあったんだ、と。
「手作りチョコを貰えたのはもちろんですが、今日は一緒に料理もできたことだし言うことありませんよ」
「え?」
 思わぬ言葉に虚を突かれる。濃密なキスの感触すら、飛びそうになった。
「一緒に台所に立つの、ちょっとした夢だったんですよ」
「どうして?」
「普段なら料理するのなんて絶対に嫌がるじゃないですか。一緒にやろうと誘っても拒否するし」
「そ、それは」
 確かに、これまで幾度となく誘われた。「簡単なものから始めればいい」「失敗したって構わない」と様々な言葉で持ちかけられた。それでも拒み続けてきたのには理由がある。
 女らしいことができない、情けない自分を晒すのが嫌だったから。できない自分とできるパーシヴァルの落差に絶望したくなかったから。それ以外にない。
……見限られると思って。本当に何にもできないんだって思われるのが嫌だったから」
「誰が見限るんですか」
 ずっと抱えていた不安をあっさり笑い飛ばされ、ぽんと頭を叩かれた。
「やってみると、案外、できるものでしょう?」
 それから、優しく頭を撫でられる。それだけでぐちゃぐちゃと考えていた憂鬱が風化して、サラサラになっていく。先ほど自分で振りかけた、ココアパウダーのように。
……うん」
 心地良さに泣きそうになるのをなんとかこらえて、頷いた。
「贈り物を渡し合うのもいいですが、ふたりでひとつのものを作って楽しさを分かち合うのも、ひとつのあり方だと思うんですよね」

 ――だから、これがふたりで確かめ合った想いの形。

「明日、みんなにおすそ分けしてあげましょう」
「そうだな。……ときにパーシヴァル」
「なんですか?」
「来年は、一緒にそれを作りたい」
「タルトを? 構いませんが、なにゆえに」
「ちょっと自信がついた。パーシヴァルとだったら、楽しい、し」
 詰まり気味になって呟いた。顔面が熱を上げる。耳の先がかっと熱くなるのがわかった。
 しばらく返事がなく、恐る恐る目を見ると、きょとんとした男の顔があった。
 じっと見つめていると、奴はやがて今日一番の幸せそうな笑みを浮かべてみせた。
「な、なんだっ。ニヤニヤして気持ち悪いっ」
「いやはや、料理のできる男で良かった」
「嫌味かっ」
「滅相もない。わかりました。今回よりもレベルが高いですが、作ってみましょう」
「できるかな?」
「諦めない根性があれば」
「多分、その辺は大丈夫」
「ですね。頑張りましょう」
 笑いかけられ、声に出して笑い返す。

 何とない、普通の女ができるようなことをふたりでできる幸せ。ひとりでは何もできない出来損ないだけど、今日、初めてそれも悪くないと思うことができた。
 こうして、一年の楽しみがひとつひとつ増えていく。ふたりで作っていく喜び。これからも、少しずつ増えていくといい。

 バレンタインデーは愛と誓いの日。
 今はこんな記念日を作った誰かに、少しだけ感謝したい。


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