パークリ。発売20周年Webイベントの展示に書いた話。エンディングから2年後、ふたりである人の墓参りに行く話。
@kazane_noname
「その採決には納得できません!」
そう声を上げながら頑丈なつくりの円卓を叩いて立ち上がったのは、会議の最終議案の採否が決まったそのときだった。
会議に出席していた議員たちはぎょっとして目を丸め、一斉に視線をこちらへと向けてきた。
そこで初めて、私は自分が反射的に上げた声が場違いな声量であったことに気がついた。
「……失礼。ですが、予算の大きさと比べても、今回の企画は実施する必要性を感じません。検討をし直すべきだと思います」
気恥しさを押し殺しながら着席し、平静を心掛けて意見を述べる。すると、こちらを見ていた議員たちの緊張がたちまちに和らいだ。彼らの間に浮かぶのは微笑みとも苦笑いともつかない生ぬるい笑みで、なんとも肌触りが悪い。
「わ、私の意見は間違っていますか」
「いいえ、クリス様。あなたのご意見を否定するつもりは毛頭ありません。ですが、本件についてはご覧のとおりあなた以外は全員が賛成しております」
議長を務める議員は極めて穏やかな口調で語る。春先の選挙で抜擢されたばかりの彼は、貴族階級を持たずしてその地位を手にした努力家で、評議会ギルドのしがらみに囚われず、ゼクセン騎士団の立場や意見にも理解を示してくれる聡明な人物だ。それがわかっているからこそ、彼の意見に耳が痛くなる。
「本件に関しては資金を投資する意義も明確に示されており、市民たちも開催を心待ちにしています。それは、他でもないクリス様が一番わかってくださっていると認識しているのですが」
議長の言葉には毒など一切ない。前任の議長から受けていた理不尽な押しつけも、騎士団を蔑む暴言もない。彼が私に投げかけているのは、ごくごく真っ当な、筋の通った「説得」だ。周りの議員たちも誠実な面持ちでこちらを見つめ、私が答えを出すのを待っている。
状況はあまりに劣勢。――しかし、私にも意地がある。ここでやすやすと身を引くわけにはいかない。
「……それでも、私は反対です」
絞り出すように意思を示すと、議長は表情を動かさないまま瞼を伏せ、ゆっくりと頷いた。それまでの間は十秒もないはずだが、やけにゆっくりと感じられ、息を呑んでしまう。
「……分かりました。ですが、私たちとしてはなんとしても成し遂げたいと思っている件でもあります。本件についてはまた三日後に席を設けて協議いたしましょう。その際は、ぜひサロメ殿のご意見もうかがいたい」
議長はやはり私の反対を否定することなく、新たな提案を上げてくれた。その機転とスマートな対応も、過去の議長にはなかったものだ。建設的で大変ありがたいが、心なしかこちらのバツが悪いのはなぜだろう。
「クリス様、いかがでしょう?」
「……わかりました」
決して無理強いをせず、あくまでこちらの意向を尊重してくれる。その姿勢には、大人としてもはや頷くほかない。
「ありがとうございます。それでは、本日はこれにてお開きとしましょう」
言って、議長は手元の小槌を二度鳴らし、会議の終了を告げた。
会議室の壁時計の時刻は、ちょうど正午を指していた。
◆◆◆
精神的な疲労感でぐったりしながら会議室の扉を押し開くと、すぐそばの柱に背を預けて佇む男と目が合った。同行したとき、奴はは決まってそこで待っている。
「お疲れ様です」
男は――パーシヴァルは柱から背を剥がしてこちらに歩み寄り、預けていた私の剣を手渡しながら労いの言葉をかけてくる。張り詰めた気がすっと抜けて「あぁ」と力なく応えると、愉快寄りの苦笑いが返ってきた。
「その様子だと、どうやら惨敗のようですね」
「……見てのとおりだよ」
ことの顛末を思い返し、盛大なため息を落とす。採否を先送りにできたとはいえ、今回だけで意見を覆せなかった落胆は大きい。
「例の件ですか?」
「そうだ。三日後、サロメを連れてもう一度会議を開くことになった。こうなるんだったら、最初から来てもらえばよかったよ」
「それは後の祭りですよ。『今回は私だけで大丈夫』と宣言して出てきたのはクリス様じゃないですか」
「う……」
痛いところを突かれる。確かにそうだ。今回の会議のひとつである「あの件」については、自力でなんとかするつもりだった。根拠はないが、なんとかできる自信もあった。だから、同行を申し出てきたサロメにもきっぱりと断りを入れたのだが、この始末。思えば、あのときのサロメのなんとも言えない微妙な笑顔は、こうなることを予期してのものだったのかもしれない。――そして、眼前にいるこの男も。
「……もしかして、こうなるってわかってた?」
尋ねると、パーシヴァルは少しだけ考えるような仕草を見せたが、それは間を持たせるフェイク。ほどなくして返ってきたのは――
「まあ、なんとなくは」
「くぅっ……!」
分かられていた。分かっていなかったのは自分だけだった。その事実が悔しい。騎士団長に就任してはや二年。数々の壁を乗り越えて、それなりに人間的な成長も遂げたつもりでいたのだが、まだまだ努力が足りないらしい。
「はぁ……」
「ずいぶんな落ち込みようですね」
「落ち込みもするよ……。『あんなこと』やらされるなんて、あり得ない」
がっくり項垂れて見下ろす足元には、会議室からエントランスまで続く深紅の絨毯が広がっている。その重厚な深い色に、気持ちは更にどんより沈んでいく。
「――クリス様、この後は暇ですか?」
下降し続ける気持ちを引き上げたのは、パーシヴァルの一声だった。面を上げると、先ほどと変わらない涼しい瞳とかち合った。
「え……あ、あぁ、今日は会議のためだけに来たし、予定はないけれど」
「それなら、ランチの前にちょっと付き合ってもらえませんか。行きたいところがあるんです」
「それは、構わないけれど」
「良かった。では、さっそく」
「長居は無用」と言わんばかりに、パーシヴァルは颯爽と踵を返してギルドホールの出口に向かって歩き出す。その背は、不思議と自分に落ち着きを取り戻させてくれる。
こうして落ちかけたところで手を引かれるのは、一度や二度ではない。初めこそ気を遣われる申し訳なさが勝っていたが、今では「今日はどこへ連れて行ってくれるのか」なんて、うっすらとした期待までしてしまう。それは、言葉で表すのなら「甘え」の一種で間違いない。
理解してもなお誘いに乗ってしまうことに罪悪感を抱きながらも、やはり胸を弾ませて一歩を踏み出してしまう。その足取りは、先ほどよりもずいぶん軽くなっていた。
◆◆◆
ギルドホールを出ると、澄んだ秋の空が視界いっぱいに広がった。ごく薄い青の空には雲ひとつなく、ビネ・デル・ゼクセの街を一面に覆っている。高い空に向かって思い切り伸びをして息を吸うと、すっと抜けるような空気が体の中を巡っていく。会議室の重苦しさでまとわりついた重みが一気に薄れていくのを感じた。
「うーん、やっぱり甲冑を外して正解だった。体の重さが全然違う」
「そりゃあそうですよ。あんなものを身に着けて会議をする方がどうかしてます」
「『騎士たる者、常に鎧に身を包んで行動すべし』というのが暗黙の規則だからなあ。まあ、平時の今なら問題ないと思うけど、みんな真面目だからな」
「おや、真面目組の筆頭だったお方がずいぶん大らかになられたことで」
「誰かさんのおかげでね」
いたずらっぽく笑ってみせると、不真面目代表の共犯者はたっぷりと自覚した悪い顔で口端を上げた。「甲冑は騎士団の象徴ですが、その格好で会議するのはただの苦行では」出発前にそう指摘され、戸惑いつつも団服のみで会議に出席した。確かに、甲冑は正装であるものの会議には不向きだ。そんな簡単なことに、疑問を持ったこともなかった。
「評議会からも特段お咎めはなかったし、今後はこれで出ることにしよう。……で、どこに行くんだ?」
「ああ、ちょっとそこまでなんですが、その前に少し仕入れるものがあるんですよ。市場に行きましょう」
「ああ、わかった」
横に並び、歩幅を合わせて並んで歩き出す。
真昼のビネ・デル・ゼクセは明るく活気に満ち溢れている。気持ちの良い晴れ日ということもあってか、いつになく人の出も多いようで、市場に近づくほど雑踏の賑わいが大きく響いてきた。
「あっ、クリス様にパーシヴァル様!」
道中、行き交う市民にいつものごとく声をかけられた。軽く挨拶すると、彼らは目を輝かせ、その場で手を振り返してきた。そのリアクションに、一抹の疑問が沸く。いつもならばこちらの都合などお構いなしに道をふさいで取り囲み、あれやこれやと語りかけられ立ち往生するというのに、今日はずいぶんと遠慮がちだ。
「……なんだ?」
こちらとしては足止めされずに済むので助かるが、行動が変化した理由がわからないのは気持ち悪い。結局、市場の中心地まで進んでも市民たちの反応は変わることはなかった。
「……変なの」
「何がですか?」
「いや、なんでもない。それで、仕入れるものって?」
「まずはここです」
立ち止まったパーシヴァルは、す、と目の前にある建物の看板を指差した。
「……酒屋?」
そこは、ゼクセでも有数の酒屋だった。あまり酒に詳しくない私でも知っているほどの名店で、「ここの店主に手に入れられないワインはない」とワイン通のボルスが豪語していた記憶がある。
「昼間から酒盛りか? 珍しい」
「まあ、それも悪くはないですけどね。あぁ、ご主人、こんにちは」
店の奥から現われた店主に気さくに声をかけたパーシヴァルは、そのまま店内のカウンターまで進んでいく。親し気に言葉を交わす雰囲気からはそれなりに交流があることが垣間見え、ちょっと意外な心境だ。自分で酒を買う印象などなかったが、こうして仕入れることもあるのか。思いがけない側面を知り、少し得をした気分になる。
「では、こちらをどうぞ」
店主はいくらか雑談を交わした後、カウンター奥に置いていたボトルを持ち、慣れた手つきでパーシヴァルに手渡した。そのラベルを凝視したパーシヴァルは、少し難しい顔をした後、ぱっと表情を明るくさせた。
「確かにこのラベルだ。探していたものと間違いない」
「本当ですか! 良かったぁ……違っていたらどうしようかとヒヤヒヤしていたんですよ」
「こっちが曖昧な情報しか持っていなかったんですから、気にしないでください。探し当ててくださって助かりました」
聞くに、何か特別な酒を頼んでいたらしい。やけに嬉しそうだが、探し求めていた酒だったのだろうか。
「何か欲しい銘柄があったのか?」
興味にそそられるがまま店内に入って声をかけると、こちらの存在に気づいた店主はぎょっとして身を跳ねさせた。
「く、クリス様!? ご一緒だったんですか!」
「あ、ああ、驚かせてすまない」
声をかけるタイミングと違えたか。驚かせてしまったことを反省しつつ詫びると、店主は「いえ、とんでもない!」と全力で声を上げ、ぶんぶんと首を横に振った。
「いやぁ、クリス様にもお越しいただけるなんて、光栄です」
「大げさだよ。私は酒に明るくないけれど、騎士団でここを利用する者は多いと聴いている。今後も大酒飲みたちに酒を提供してやって欲しい」
「それはもちろん! 二年前にシックスクランとの交易制限が緩和されたからというもの、流通が活発になって、騎士の皆さんの希望する酒も仕入れやすくなりました。これもクリス様が停戦協定をとりつけてくださったおかげですよ」
手揉みしながら語る店主は大層嬉しそうで、連鎖して顔がほころんだ。
――二年前、真なる五行の紋章をめぐる戦を終えたのち、対立関係にあったゼクセン連邦とグラスランド氏族のシックスクランは停戦協定を結び、相互の理解と共存を求めて歩み寄りを始めた。交易制限の緩和もその施策のひとつで、文化の異なる者同士の交易は物流に大きな刺激を与え、商人や生産者たちを潤わせている。
グラスランド氏族との間にある課題はまだまだ山積みだが、二年前の戦前とはまったく異なる風がこの大地に吹き始めている。辛く、厳しい戦いではあったけれど、こうした変化を目の当たりにすると、無駄ではなかったのだろうかと、慰められたような想いに駆られた。
「私はゼクセンの代表として調印の場に立っただけで、あの協定は皆でつかみ取ったものだ。それでも、良い方向に向かっているのなら嬉しく思う」
「もちろんです! 最近はめでたいことも控えていますし、市民も更に活気づいていますよ」
「めでたいこと?」
さて、なんのことだろうか。きょとんとして店主を見やると、彼はご機嫌な面持ちで笑んでいる。それは不思議と、先ほど声をかけてきた市民たちに近い毛色に感じられた。
「そうだ! クリス様にもぜひお渡ししたい一本があるんです」
唐突に声を上げたかと思うと、店主は体を軽く捻り、後ろの棚に並ぶいくつものボトルの中からそれと決めた一本を手に取って、私に差し出してきた。
「ワインの名産で名高いカナカン産のものです。祝福を捧げる意味を持つ銘柄で、私からの感謝と、お祝いの気持ちです」
「お祝い?」
オウム返しすると、店主は十分に満面の笑みを更にもうひと絞り咲かせて頷いた。下げられた顎が戻りかけた瞬間――私の中で「もしかして」と点になっていた疑問が唐突に繋がり、線になった。
「おふたりのご結婚です。本当におめでとうございます!」
「……!!」
花開くような明るい声が「もしかして」の回答となって店内に響く。すると、店先で品定めをしていた客もこちらに気づき、つられて「おめでとう」と拍手を送ってきた。
「これはカナカン産の中でも当たり年じゃないですか。なかなか手に入らない代物と聞いたことがある」
硬直する私の手の中にあるボトルを覗き込んだパーシヴァルが、驚き混じりに主人にたずねた。
「こんないいものをいただいてしまっていいんですか?」
「ゼクセンを護ってくださる誉れ高きおふたりを祝福するにはこれしかないと思いまして」
「ですが、もしかすると私が注文したものより高価なのでは」
「いいんです! これは私とゼクセの者たちの気持ちですから!」
店主は頑として譲らない。その強い意志に、パーシヴァルはそれ以上は拒むことをせず、私の手からボトルを奪い、店主に降参の意を示した。
「これ以上お断りするのは主人の顔に泥を塗ることになりますね。お気持ちも併せて、ありがたくいただきますよ。ね、クリス様?」
同意を求める声をかけられるが、反応できない。眼前には、心底嬉しそうに微笑む店主。
店先からも、祝福の声をかけてくる市民たちの声。そんな中、混乱しきった私の思考がたたき出した答えは――逃亡だった。
「わ、私たちは他に行くところがあるのでそろそろ失礼する!」
「え?」
「主人、心遣い感謝する! この礼はまた後日。では!」
たたみかけるように礼を述べると、私は隣で呑気にしているパーシヴァルの腕をつかみ、脱兎のごとく店を飛び出した。
覗き見ていた市民たちの人垣を突っ切って、とにかく人目につかないところを目がけてがむしゃらに駆け抜ける。ああ、甲冑を身に着けていなくて本当に良かった。そう心から思った。
「完全に墓穴を掘りましたね」
「うるさいっ!」
腕をつかまれたまま、抵抗もなしに引きずられるパーシヴァルの声はずいぶん楽しそうだ。立ち止まって振り向くと、ニヤリとした腹の立つ笑みを浮かべてこちらを眺めている。
「もしかして、祝われると想定していなかったんですか?」
「当たり前だっ!」
想定なんて、まったくしていなかった。
確かに、私はパーシヴァルと結婚した。紆余曲折を経てそうすることを決め、サロメに報告したのはつい一週間前。その事実はゼクセン騎士団からの公式な発表としてゼクセン連邦内に一斉に広められた。聞けば、新聞の号外まで出回ったとか。
いち騎士団の団長と隊長の結婚に大げさすぎだとも感じたが、所詮は他人の結婚。市民たちの日々の生活の中では取るに足らないニュースだろう。毎日を懸命に生きていく中で、こんな話題はすぐに流れて忘れられていくに違いない。……そう思っていたはずなのに――!
「まさか、こんなに注目されているなんて……!」
その場でがくりと肩を落とす。
店主はもちろん、声をかけてきた市民たちも、話題の新婚夫婦を見られてテンションを上げていたということなのか? 遠巻きに目を輝かせて眺めていたのも、物珍しい動物か何かを見るような気分だったと――!? そう思うと、あまりに無防備だった。ふたりで街を歩くことが、こんなに大事になるだなんて。
「もうすっかり忘れられていると思っていたのに……」
「それは考えが甘すぎますよ。みんな何食わぬ顔をしていてもゴシップが大好きなんですから」
「そんなに人の噂話が気になるか……」
「悲しきかな、それが人間ってやつですね」
などと諭してくるパーシヴァルは至って平然としている。散々見られているとわかっていて、何も思わなかったのか。どんな気持ちでここまで私と歩いていたんだ? 不思議でならない。
奴の手には酒屋の店主から受け取ったワインボトルがしっかりと握られていて、先ほどの失態が矢庭に蘇って気恥しくなる。なんだか、今日はこんなことばっかりだ。
「主人には、改めてお礼を言いにいかないとな……。失礼な去り方をしてしまった」
「あれはあれで話の種になったんじゃないですかね。照れて逃げるクリス様がかわいかったと、商人同士の間で持ちきりになるかも」
「最悪だ……」
「まあまあ、それこそ一か月も時間を空ければ落ち着きますよ。――で、げんなりされているところ申し訳ないんですが、もうひとつ寄りたいところがありまして」
そうだ、思わぬハプニングで本来の目的を忘れていた。はっとして我に返り、面を上げた。
「そうだ、すまない。次はどこに?」
「花屋です。ちょうどいいことに、あそこの店で予約をしてあります」
「花……?」
その場から数十メートル先に見える花屋を指差される。店先には秋の薄色の花が咲き誇っていて、まぶしい日差しを浴びて一輪一輪が嬉しそうだ。
店には老若問わない女性客たちが何人もいて、初老の女店主が丁寧に対応している。
微笑ましい、と思うのと同時に危機感を察知する。今回はこそは、ぬかりない。
「私はここで待ってるわ」
腕を組み、仁王立ちして宣言すると、パーシヴァルは口をぽかんと開けて軽く硬直した。それから、軽く周りを見渡す。周辺には、やはり私たちの存在に気づいた市民たちが点々としながらも嬉々とした眼差しを向けている。
ぐるりと一周して、視線が私に戻る。
「もう今更感が否めないんですが」
「……それでもいいの!」
こればかりは気持ちの問題だ。何度も自滅するような私ではない。
「ほら、さっさと行って用事を済ませてこいっ!」
買い物の邪魔になるであろうワインボトルを取り上げてさっさと行くよう促す。パーシヴァルは「はいはい」とあしらうような返事でかわし、店に向かって行った。
こういうときのあいつは、本当に逃げるのがうまい。何を言おうにものらりくらりと扱われて、気づけばペースに飲まれている。
遠巻きに、花屋の店主とパーシヴァルのやり取りを眺める。女店主はあらかじめ用意していたらしい花束を抱え、パーシヴァルに手渡した。花束は大ぶりの白の花を基調にまとめられていて、遠目に見ても美しい。酒に、花。誰かに贈るつもりだろうか?
会計を済ませ、それから更に話し込んだ後、パーシヴァルはようやく会釈をして戻ってきた。奴が女性の市民に捕まるのはいつものことだが、それは結婚の発表があっても変わらないらしい。
「お待たせしました」
「ああ、おかえり。……ん?」
ふと、抱えられている白の花束の中に、もうひとつ別の花束が埋もれていることに気づく。そちらは赤や黄色といった明るい色が基調の、華やかな印象を受ける花束だ。
「ずいぶん花束の色合いが違うようだけど」
「ああ、こっちの派手なものはサービスです」
「サービス?」
首を傾げると、パーシヴァルは待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑んだ。
「”お祝い“だそうです」
「……」
もはや、言葉を発する気力も沸かなかった。
「さて、あちこち連れ回してしまいましたが、そろそろ目的地に向かいますかね。ワインはそのままお願いしても?」
「もちろん。花はお前が持っていた方が似合うだろう」
「……それはからかいと自虐どっちですか?」
「さて、どっちかな」
軽口をかわしながら歩き出す。私たちの歩みに併せて、市民たちの視線が動くのが感じられた。
恐らく、ギルドホールを出た瞬間からずっとこのような調子だっただろう。騎士団長になりたての頃に向けられた、行き過ぎた期待の眼差しとはまったく異なる視線だが、気恥しいやら照れくさいやらで全身がむずむずとする。決して気分が悪いわけではないけれど、慣れてもらえるまでには時間がかかりそうだ。
少しくたびれた息を吐きながら見上げた空は、先ほどと変わらず高く、ごく薄い色の青だった。
◆◆◆
市場を離れ、自宅のある住宅街を歩いていく。人通りはすっかり少なくなり気も楽になるが、パーシヴァルがどこへ向かっているのかは未だ検討がつかない。誰かの家にでも訪問するのだろうか? 近しい人たちへの結婚の報告と挨拶はひととおり済ませているはずだが。
どこへ行くのかたずねても良いが、ここまできて答えを訊いてしまうのも味気ない気がする。しかし、そろそろヒントのひとつくらいはつかみたいところだ。
「こっちです」
住宅街の端に辿り着いたところで、左に曲がるよう示された。その先には石畳の長い階段が続いているビネ・デル・ゼクセのはずれにある小高い丘まで伸びる階段だ。
「……そうか」
その丘の上にあるものを察し、ようやく目的地の手がかりを得た。
長い階段を言葉少なに昇りきった先には、数えきれないほどの墓石が並ぶ墓地が広がっていた。
この墓地には生を終えたビネ・デル・ゼクセの民の大半が眠っている。葬儀や彼岸の時期は多くの人が訪れるが、今日は時期も外れ、葬儀もないらしく、人影もなく静まり返っている。
空は相変わらず晴れ渡っているが、高台のせいか吹きつける風は少し冷たく、冬の気配も感じさせた。
立ち並ぶ墓石の合間をすり抜けて、更に丘の奥へと進んでいくと、更に柵で区分けされたエリアに差し掛かる。柵の中に佇む墓石は先ほどのエリアにあったものよりも荘厳で立派なつくりのものばかりだ。
ここは、ゼクセンの中で名を上げた高名な者が眠る地。聖ロアにもっとも近いとされる場所。
その中でも特に立派な墓石の前で、パーシヴァルは立ち止まり、手にしていた白の花束を捧げた。
「……一度、ふたりで挨拶をしたいと思いまして」
切なさを含んだ笑みで向けられた声は静かでやわらかくも、胸の深いところを小さく締めつける。少し苦しくも、とても大切な感情が込み上げてきた。
「……うん」
声を飲み込むようにして頷き、一歩を踏みしめながら、パーシヴァルの隣に立つ。それから、彼が仕入れたワインボトルを花束の隣にそっと捧げた。
「ご無沙汰しております。ガラハド様、ペリーズ様」
跪き、墓石に刻まれた先代の騎士団長と副団長の名を呼び、静かに瞑目して祈りを捧げた。
そのときばかりは、肌を撫でる風の冷たさなど感じなかった。
二年前のグラスランド氏族との戦いのさなかで散ったふたりの顔を思い描く。誰よりも優しく、そして誰よりも厳しい騎士だった。幼いころから焦がれ、その背を追い、いつか追いつきたいと走り続けていたふたりだった。――なのに、二年前のあの日、その背中はそろって消えてしまった。「殺しても死にそうにない」などと本気混じりの冗談が出るくらいに強いふたりがいなくなってしまった喪失は、今もまだ消えない。いなくなってしまったたことを実感するのが怖くて足を遠ざけていたのも、ないとは言えなかった。顔を見せず、寂しい思いをさせてしまっていたかもしれない。
「……顔を見せず、申し訳ありません」
懺悔をしながら、まぶたを開く。視界に映るのは物言わぬ墓石だが、風を受け、陽に照らされるそれが、心なしか歓迎をしてくれているように感じられたのは、私の思い上がりだろうか。
「このお酒は、おふたりのためのものだったのね」
「ええ。生前、何度か酒の席を共にしたときに見たボトルのラベルの記憶を頼りに主人に相談しまして。さすがの上物でしたよ」
「お酒、好きだったものね」
「本当に。何度つぶされたかわかったものじゃないですよ」
「ああ、朝の訓練に出るとき、若い兵が城のそこらに転がっているのが名物になっていたな。『今日は第二騎兵隊の奴らか』って」
「まんべんなくやられてきましたからね。悪い人たちでしたよ」
思い出話に自然と笑い声がこぼれる。共通する思い出、片方しか知らない思い出が次々に出てきて、尽きることがない。それだけ、私にもパーシヴァルにも大切な人たちであったことを、語らいながら強く感じた。
「あれからもう二年。早いものですね」
「……ああ、本当に。早かった」
短く答える言葉には、溢れるほどの重みが詰まっている。
この二年は激動の日々だった。紛争続きだったグラスランド氏族との停戦と、他者の介入によるその破棄。そこから発生した真なる紋章を巡る戦い。終戦後もティント共和国との国境をかけた戦に身を投じ、ようやく終息したと思ったときには二年も経っていたという具合だ。
「連れてきてくれてありがとう。きっかけを失くしていたから、いい機会だった」
素直に感謝を伝えると、パーシヴァルは満足げな笑みで頷いた。作り笑いではない、私の好きな笑みだ。
「それは良かった。久しぶりにクリス様の顔を見られて、きっとおふたりも喜んでいますよ」
「私だけじゃないよ。お前が来たのだって嬉しいはずだ」
「俺はオマケみたいなものですよ。ふたりとも、あなたのことをとてもかわいがっていましたから」
「……そうだな、母が亡くなってからは、親のような存在だったから」
幼い頃に父が行方不明になり、それから間もなくして母が病で息を引き取った。心から頼れる親族のいない私に手を差し伸べてくれたのが、ガラハド様とペリーズ様だった。騎士を志す私に道を指し示し、こうしてひとり立ちできるまでに育て上げてくれた。それまでに注がれた愛情の深さは、間違いなく親子に近いものだったと思っている。
「だけど、ペリーズ様はお前のことをかなりかわいがっていたと思うけれど? 何か特別な気持ちみたいなのはないの?」
「……ないわけではないですけど、あれはかわいがっているのとはまた違ったような」
歯切れの悪い返事だ。苦虫を噛んだような、渋い顔が更に複雑な心境を物語っている。――ああ、そういえばペリーズ様と接するパーシヴァルはいつもこんな顔をしていたな。確かに、ペリーズ様は飄々とした人で、目上の人間にもうまく立ち回るパーシヴァルでも太刀打ちできずからかわれていた。そんな姿が新鮮で、遠巻きながら微笑ましく眺めていたことを思い出す。
「生前のペリーズ様とはどんな話をしたんだ?」
「話というより、いじられてばかりでしたよ。人の痛いところを突く天才だったから、苦い記憶しか出てこないな」
「ふーん……。それは今度、じっくり聞かせて貰いたいな」
「……まあ、気が向いたらそのうちに」
苦い思い出に引きずられたのか、はぐらかす言葉が鈍い。自覚があったのか、その表情は眉を潜ませて渋い。過去のペリーズ様の援護があったとはいえ、この顔を引き出せたのは収穫だ。
勝ち誇った気分で立ち上がり、ふと空を見上げると、先ほどと変わらない秋晴れの薄色の空が一面に広がっている。時間の流れも忘れさせてくれるような、一枚の絵のような美しさだ。
「今日は本当にいい天気だな……」
「少しは気晴らしになりましたか?」
「ああ、おかげさまで。いつもすまないな」
「――すまない、というのはあまり好きな言い方ではないかな」
「ん?」
遅れて立ち上がったパーシヴァルがこちらに向き合い、目と鼻の先に顔を突き合わされる。
「こういうときは『ありがとう』の方が嬉しいです」
「……ありがとう」
至近距離で告げると、ふ、と眼前の黒鳶の瞳が細まり「どういたしまして」の返事とともに軽く口づけられた。当然「ガラハド様とペリーズ様の前でなにを」という気まずさに駆られるが、墓参りに誘ってくれたことに免じて、飲み込むことにした。
「……さて、おかげで心も引き締まった。評議会に負けてしょげている姿を見せるわけにはいかないものな」
改めて墓石に向き合い、気合を込める。
先代のふたりは、口の上手い評議会議員たちと対等に渡り合いながら騎士団を強化してきた。その中で生まれたのが、誉れ高き六騎士であり、クリス・ライトフェローという騎士団長でもある。彼らのお膳立てがなければ、女性の騎士、ましてやその騎士団長など誕生することはなかっただろう。
「まずは三日後の会議をどうにかしないとな。うん」
片手でつくった拳をもう片方に当てて気持ちを高める。しかし、こちらを見るパーシヴァルの視線は無に近い。先ほどの嬉しそうな顔とはずいぶんな温度差だ。
「気力十分なのは良いことですが、」
「ん?」
「ここまできてひっくり返せると思ってるんですか?」
たずねられ、眠っていた感情が足の底から頭のてっぺんに向けて一気に突き上げ、爆発した。
「当たり前だ! 人の結婚式を市民に公開する上に馬車に乗ってゼクセ一周のパレードをするなんて、飲めるわけがない!」
――そう、人の結婚を扱ってお祭り騒ぎをするなど、そんなバカな話が実現されてたまるものか。
結婚の発表をして間もなく、どこからともなく沸き上がったこの案に、評議会は誰ひとり異を述べず賛成している。多額の資金を投入しても、それを上回る経済効果があると見込んでいるらしいが、そんなそろばん勘定の損得で納得できるはずがない。
「騎士団長として市民たちの求心のためにパレードや演説に立つのはまだわかる。でも、これはそういう問題じゃないじゃないか」
「気持ちはわかりますけど、勝算はあるんですか? 新しい議長はやり手と聞きますよ?」
「ふふふ、サロメさえいれば大丈夫だ。私の力では無理だったが、サロメに議員たちを説得してもらい、なんとしても中止させる!」
強い気持ちで握った拳を空に振るう。ゼクセン騎士団の副団長であり、騎士団の脳とも呼べるサロメならば、言葉と知略を操って形成を逆転してくれるはず。今までだって、そうして何度も助けられてきた。頼ってばかりなのは申し訳ないが、今回もその力に委ねさせてもらうしかない。
しかし、勝利を確信する私に返ってきたパーシヴァルの言葉は、あまりに淡白なものだった。
「たぶん、結果は変わらないと思いますよ」
「……え?」
「なぜ」と問うと、パーシヴァルはうーん、と腕を組み、煮え切らない様子でしばし唸っていたが、やがて仕方なさそうに口を開いた。
「サロメ殿、パレードにはかなり乗り気なんですよ」
「……え?」
無言の間に、乾いた秋風がすうっと吹き抜けていく。風はいくらかの落ち葉と私の希望を巻き上げて、静かに去って行った。
「……嘘でしょ?」
「本当ですよ。パレードの企画書を見ながら嬉しそうにそろばんを弾いているのを見ましたから。下手をすると、評議会が思っているより豪勢にするつもりかも」
「な、なんで」
当然の疑問だ。騎士団長が望まない催しを副団長が率先して開催に乗り出すなど、とんでもない裏切り行為だ。
「どうしてサロメはやる気なんだ」
「うーん、例えるなら、娘を送り出す父親の心境……ってやつですかね?」
「その娘を想うというならまずは私の気持ちを尊重すべきではっ!? というか、さっきからずっと他人事みたいに言ってるけど、お前だって同じ目に遭うんだぞ!?」
この話題になってからというもの、まったく感情を上下させずに淡々と話しているが、パーシヴァルだって私と同じ当事者だ。結婚式を見られ、パレードで晒し者にされる。どうしてこうも平然としていられるのか、まったく理解ができない。
「人目に晒されて、嫌じゃないのか?」
「俺は大歓迎ですよ。ゼクセン中の男どもに『クリス・ライトフェローの伴侶は自分だ』と知らしめるまたとない機会ですから」
きっぱりと、あまりにきっぱりと明言された。その潔さに言葉を失ってしまった。大歓迎だなんて信じられない。正気の沙汰とは思えない。――けれど、その言い分を私が否定するのはおかしい。正直、悪い気もしないし……。
「男として、こんなチャンス逃すわけがない。ガラハド様もそうお思いでしょう?」
「ガラハド様に訊くなっ」
「いやあ、ペリーズ様にはあまり聞きたくなくて、思わず」
「そういう問題じゃなくて!」
噛み合わない問答だが、パーシヴァルは心底楽しそうだ。こちらといえば、ペースを完全につかまれて、ぎゃふんと言わせる糸口すら見えない。手綱を握ったと思ったらすぐに奪われる。きっと、この先もこんなことの繰り返しになるのだろう。それはそれで、悪い気はしない。――パレードを回避する策は、潰えてしまったが。
「はあ、なんだか一気に疲れた……」
「そうですね。そろそろ帰りますか。執事さんもお昼を作って待ってくれているでしょうし」
口論は負けてしまったが、その提案には賛成だ。もう一度、ガラハド様とペリーズ様の墓前に跪いて祈りを捧げる。「今度はこまめに来ます」と告げて立ち上がると、パーシヴァルは踵を返して元来た道を歩き出した。
「……あ」
その背を目にして、ふと、ある想いが宿った。
「ねえ、パーシヴァル」
考えるよりも先に名を呼ぶ。振り向く眼は、やわらかい。
「なんですか?」
「私も立ち寄りたいところがあるんだ。良ければもう少しだけ付き合って欲しい……のだけど」
勢いのままに発した言葉が、尻すぼみになる。考えなしに気持ちが走ったもので、少し胸が苦しい。
しかし、返ってきたのは嬉しそうな笑みだった。
「誘ってもらえるなんて珍しい。もちろんお付き合いしますよ。どこに行きます?」
言われ、私は無言で左腕を西の方角に向けて指差した。
「この近くに、私の両親の墓があるんだ。思いがけず花とお酒をいただいたし、良ければ一緒に、と思って」
「えっ」
途端にパーシヴァルの顔色が変わる。思わぬ反応だったが、もしや、という可能性のひとつが思い浮かび、私はすぐさま説明した。
「話していなくてごめんなさい。実は、二年前の戦後に父の墓もゼクセに作ったんだ。体は残らなかったけれど、ルシア殿からいただいた遺品がいくつかあったから、それを母の隣に収めて並べたの」
「いえ、それも大事な話なんですが、そうではなく」
「ん?」
パーシヴァルの表情は固く、重い。先ほどまでのリラックスした様子が嘘のようで、緊迫した空気すら漂っている。
「クリス様、一度、市場に戻りましょう」
「え? どうして」
「挨拶をするなら、ちゃんとした手土産を持って行かないと」
「……ん?」
至って真剣な口ぶりとその内容に、一瞬、思考が停止した。――挨拶、そして手土産。まったく予想だにしていなかった回答だ。
「そんな、生きてる人間に会うわけでもないんだしいいじゃないか。市場に戻ると時間もかかってしまうし」
「いいえダメです」
「なんだ、いきなり強情だな」
「当たり前です。ワイアット様はともかく、お義母さんに逢うのは初めてなんですよ。もらい物だけ持って行くなんてもってのほかです」
それは、今までに耳にしてきた彼の声の中でも、三本の指に入るくらいに真剣で真っ直ぐなものだった。どこからどこまでが本気なのかわからない軽口なんかじゃない。本当に、本心を訴えるときの声と眼差しだ。最後に聞いたのは、それこそ結婚の話を持ちかけられたとき。その前は、故郷のイクセからブラス城に戻る話をしたときだ。それと同列の温度で言い切る話が、これだなんて。
「……ふふっ……!」
たまらず、笑いが込み上げる。それでも、眼前の表情は変わらない。
「あはははは!」
真剣であればあるほどにツボをくすぐられ、とうとう我慢できずに噴き出してしまった。こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。それほどに、おかしくて仕方ない。
そんな私を見るパーシヴァルは不服かつ苦い面持ちだ。まるで生前のペリーズ様に何事かを言われて顔を歪ませていたときのよう。
「そこまで笑うことですか」
「だって……! 団の規則だって大して守らない奴が、そんなところで生真面目になるなんて……!」
「それとこれとは話がまったく違うでしょう」
「そうかも、しれないけど……はははっ!」
いよいよ笑いが止まらず、お腹が痛くなってくる。笑いすぎて涙まで滲んできてしまいそうだ。
憮然と腕組みする姿には笑って申し訳ないと思わせつつも、なんだかふてくされる子供のようでかわいく見えてくる。
「ふう……笑った笑った」
ようやく笑いの波が去り、呼吸を整える。怒ったり笑ったり、忙しい一日だ。
「笑いすぎですよ」
「ごめんごめん。でも、今日は本当にこのままで大丈夫だよ。父も母も気にせず喜んでくれるだろうし、私も胸を張ってお前を新しい当主だと紹介できる」
これは心からの言葉だ。ひとり娘であるライトフェローの家を名を残すため、パーシヴァルは家に入ることを選んでくれた。彼の家の方がとても気がかりだったけれど、きょうだいと話がきれいにまとまり、自由にしろと言われたらしい。「貴族ほど家柄のしがらみはない」と軽々言われたものの、私の価値観の中では彼の選択は相当に重いものだ。だからこそ、ぜひにとも亡き両親に紹介したいと思ったのだ。
「頼りない婿入り当主ですけど、大丈夫ですかね」
「それは父も同じだったらしいから、父は何も言えないと思うよ」
「え、そうだったんですか」
「うん、じいから訊いた。それに父は家出してるしな」
軽い口ぶりで、冗談めかして笑う。こうして父の話をして笑えるようになったのも、父と対面して最後の言葉と想いを受け止めて、自分なりに昇華できたからだ。引き継がれた真なる水の紋章についてはまだ気持ちも含めて持て余しているけれど、それもいつか、パーシヴァルとなら向き合って答えを見つけていけるような気がしている。
「なんでも、うちは祖父の代から入り婿の家系らしい。しかも、毎回親族と揉めてきたんだとか」
「へえ、不思議なものですね」
「そう。だから、じいはお前が親族たちをすんなり手懐けたことに驚きだったみたい。帰ったら訊いてみるといい。色々教えてくれるから」
「手懐けたっていうのは人聞きが悪いですけど、先代や先々代の話は興味深いな。帰ったらさっそくを訊いてみますよ」
「うん。だったらお参りを終えたら街に戻って、じいにお茶受けになる菓子でも買って帰ろう」
そうと決まれば何を買おうか。じいが好きな紅茶の茶葉は家にあったから、町はずれのケーキ屋がいいだろうか。
「クリス様」
「ん? どうした?」
下手な鼻歌混じりで土産の選択肢を広げていると、ぽつりとパーシヴァルに疑問を投げかけられた。
「嫌じゃないんですか? 俺と街中を歩くの」
心配そうな、少し寂しそうな声で問われる。こんな顔も、なかなか見たことがない。らしくもなく、恐れてもいるのだろうか。思うと、なんとも言えない甘やかな気持ちが胸に広がった。
「そりゃあ、今日みたいに四方八方から祝われて眺められるのは困るけど」
「けど?」
「これからは、ふたりで歩くのを普通にしたいんだ。ちょくちょく出歩いていれば、みんなも見慣れて気にしなくなるでしょ?」
そう、変に物珍しい存在になるから気にされるんだ。私たちの家はゼクセにあるのだから、ひとつの家の一組の夫婦として堂々と出歩いていれば、見慣れておのずと気にされなくなる。現に、騎士団長になってすぐは一歩進めば囲われる日々だったが、今はさほどでもない。人の噂も七十五日。時間が解決してくれるだろうし、解決させたい。
そうひとりごちて頷いていると、不意にパーシヴァルが片手で頭を抱えて深い息を吐きながら空を仰いだ。
「ど、どうしたっ!?」
具合でも悪いのだろうか? 慌てて駆け寄ると、空を見上げる横顔からは驚きに震えているような、戸惑いに困惑しているような、筆舌にしがたい表情が垣間見えた。
「な、何かあった?」
「――いえ、そんな殺し文句が出てくるとは思いもよらなくて」
「え、何が?」
「いえ、わからないならいいんです。でも、ここ数か月で一生分の幸せを浴びている気がして、少し怖くなってきました」
「どういうこと?」
要領を得ない回答に首を傾げる。すると、前触れもなく突然に片腕を引き寄せられ、両手でしっかりと抱きしめられた。何が起きているのかまったくわからず目をぱちくりさせていると、肩越しにやわらかい声が落ちてきた。
「あなたと一緒になれて本当に嬉しくて幸せで死にそうだ、と思って」
――ああ、なんともシンプルでわかりやすい。そういうことならば、よくわかる。
「……そっか。私もだ」
両腕を伸ばして、抱きしめ返す。片手には酒屋の店主からもらい受けた祝い酒を握ったままだが、それもまた人から受けた祝福の証として、嬉しく思える。
生まれてこれまで、素直に心の底から「幸せ」を感じることは、そう多くもなかった。父も母も失い、歩いた道は険しくくじかけたこともあった。それを乗り越えた今、間違いなく満たされた「幸せ」を感じられる。失って、泣いて、怒って、もがき続けてきた中で、もしかするとほんのいっときのものかもしれないけれど。今のこの幸福をできるだけ長く紡いでいきたい。――あなたと、一緒に。
「――ところで、今思ったんですが、一緒に街を歩くのが問題ないなら、パレードをするのも別に良いのでは?」
抱きしめられたまま問われる。蒸し返されえた面白くない話に、自然と眉間にしわが寄る。
「それとこれとは話が違う」
「いや、同じだと思いますけど」
「違うったら違うんだっ! もう、そろそろ行くぞ!」
頭に疑問符を浮かべるパーシヴァルをやや強引に突き放し、ようやく目的地へと足を向ける。ガラハド様とペリーズ様の前で相当に恥ずかしい姿を見せてしまった。どこかで見ているとしたら「バカだな」と呆れて笑っているかもしれない。それもまた、悪くない。
「父と母の墓はこっちだ。行こう」
「ええ、お邪魔します」
「お邪魔って、お前……」
謎の生真面目さに苦笑うが、その奥には満たされた想いがある。
晴れ渡った秋の空の下、並んで歩む足取りは軽い。ゼクセのあちらこちらを歩む静かなふたりのパレードは、夕刻まで穏やかに続いた。晴れ渡った空は曇ることなく、ふたりも、そしてゼクセを包み込んで、広がっていた。