長義せんせーの指導でちゃんとした正攻法の鍛刀をしたら、うっかり物凄く神格の高い天災のような今剣を呼んでしまい、本丸の刀剣男士全員が青い顔する羽目になる話
@fu_re_re_ra
その日、不意に、本丸中に激震が走った。
のんびりと畑仕事に勤しんでいた刀も、朝から鍛錬に明け暮れていた刀も、厨で料理をしていた面々も、夜戦明けで仮眠を取っていた刀も。
全ての刀が飛び起きて腰を浮かせ、ざわ、と青い顔で騒めいた。
監査官として定期的に来訪する山姥切長義が、この日、調査の一環として主の鍛刀に付く予定であることは、総務番長の長谷部から朝の内に皆へ知らせがあった。
この本丸では、望んだ刀を一度で呼び当てられる主の異能によって事実上の指名制を敷いており、本来ランダム性の強い普通の鍛刀はまともに行ったことがない。
呼びたい刀のことを縁者の刀剣男士からできるだけ詳しく聞き取り、ありありとイメージできるようになってから臨み、長く長く祈ってから、レシピに頼らず刀種の最大資源数を豪快にぶち込んで鍛刀する。
それが彼女のいつものやり方だった。
生来キリシタンであり、政府の研修を通っていない主は、正しい奉納祈願の手順を知らないため『本来の鍛刀』を行ったことが一度も無かった。
だが、その異能は、下手に政府の上役に知られると審神者権限を取り上げられる類いのものだと判明してから、その扱いは慎重に秘匿してきた。
今日の山姥切長義の監査は、その異能のカモフラージュとして普通に、彼女に最少資源数で短刀を呼ばせる──……つまり、彼女が様々な理由でこれまで一度も行うことがなかった、本来の初鍛刀をする試み、だったはずだ。
新たにやって来るはずの短刀を歓迎するための宴の準備に勤しんでいた厨番の面々は、ぞっと青くなって全ての作業を放り出した。
鍛刀は成った。
それは。ずっと滅茶苦茶だった霊力の扱いが、長義の指導で洗練されていった結果起きた事故だった。
本来の奉納祈願の正しい手順で行われたそれは
山姥切長義を見届け人として粛々と滞りなく行われ
そして────『ソレ』は、来た。
たった50の玉鋼から。
ぞわっと青くなった山姥切長義が
蒼白で素早く彼女の頭を押さえ付けて低頭させた。
言われるがままに鍛刀した彼女は
何が起きたか判らず、血の気の引いた長義によって頭を下げさせられたまま
視線だけを上にやって
そうして、かひゅ、と息を呑んで震え上がった。
「ふふ、そんなにぼくとあそびたいんですかぁ?」
そんな言葉でふわっと降り立った『ソレ』は、その一本下駄で宙に浮いたまま、風を纏い、ズッ…と大気を重くして、圧倒的な暴風の中に在る竜巻のようだった。
ぶわ、と見えない風が本丸中に広がる。
「みてのとおり、ぼくは天狗なんですよ。ぼくとあそぶと火遊びではすまないぞって、おしょうがいってました。ふふふ」
軽やかに紡がれるその声が、限界まで引き絞られた大気をビリビリと震わせて、鼓膜が今にも破れそうだ。
立っていられない、姿勢を維持できない。
暴風の中で膝から崩れ落ちた彼女は、隣で支える長義の腕で、なんとか地面に激突せずにひれ伏した。
「ふふふ、きょうはあなたが遊びあいてですね」
だが、一度合ってしまった眼は逸らすことが叶わず
その真っ赤な目玉が、獲物を見つけてにんまりと笑ってしまった。
「それとも、あたらしいオモチャかな」
長義が決死の表情で、限界まで目を見開いたままガタガタ震える彼女の両眼を片手で塞いだ。
その瞬間、鼓膜が破られ、長義の両耳からブシュッと出血した。長義は奥歯を固く噛み締めて耐えた。
「────ッ…!!」
「じゃまですよ」
炉端の虫を潰すように、ソレが手を払った。
天狗の風だった。
たちまち長義は薙ぎ倒されて、竜巻に吹き飛ばされたみたいに壁に激突した。
「か、は」
彼女は悲鳴を飲み込んだが、長義は呻き声ひとつ上げることなく彼女に黙って指で指示した。黙ってひれ伏せと。
彼女は慌てて目を閉じてひれ伏し直した。
ソレを、なんと呼べばいいのか。
妖か、怪物か、異形か、言葉を借りるなら天狗か、あるいは────天災か。
『正しい手順の鍛刀』で、彼女の規格外の霊力が呼んでしまったのは。
どうやら今剣と牛若丸の物語に付随する、鞍馬天狗の物語を中核に、古今のあらゆる天狗の物語を際限なく喰らって力をつけた、風の神通力を駆使する神格高い今剣、ということだったらしい。
本霊の力の一部を直接分け与えられた────いわば代行者たる、絶対的な神格を持つ今剣だったのだと。
あまりに格が高すぎて、本来ならば一介の審神者が目通りするような相手ではない。
そう、鍛刀は鍛刀ではなく
正しく神下ろしとなってしまい
分霊たる刀剣男士ではなく、ほとんど神そのものを相手取ることになってしまったのだ。
《呼んではいけなかった今剣の話》
さすがの長義も責任を感じるほどの大惨事だった。
事態を収めるために一度政府に戻る、と。それまで何とか持ち堪えるように、と慌てて言い置いて、山姥切長義は大急ぎで踵を返し足早に本丸を後にした。
残された者だけで、アレを相手にせねばならない、ということだった。
この本丸で最も格式の高い場所、つまり刀剣男士が一堂に会する大広間で、本来なら審神者を置く上段之間を神座として、今剣は慎重に祭り上げられた。
「おとなしくまっていれば、あそんでくれるんですよね?」
ニコニコと笑っているが、機嫌を損ねれば何が起こるかは明白だった。
みし、みし、と広間の大柱が、誰も触れていないのに軋み鳴っている。
どろりと重く粘る空気、浅い息すらも苦しい。
神の怒りを買えば、人間などたちまち内側から破裂してぐちゃぐちゃだ。
青い顔で並んだ刀剣男士たちが大広間の両脇にずらりとひれ伏して、神を呼んだ彼女は正面にひれ伏さされた。
どうやら捧げた御神酒と御馳走ではまるで満足しなかったらしく、ふわあと退屈そうに欠伸をひとつ落とすと、今剣がまるで余興でも求めるように、彼女をニッコリ手招いた。
青い顔でおずおずと前に進み出た主に、今剣は自らの唇をぺろりと舐めとると指先を伸ばした。
バチッと指先が帯電する。
皆ざわっと片膝を立てようとしたが、鯉口を切る前に全員、今剣の気にドッと押し潰された。
羽虫のように床に押し付けられた刀剣男士たち。彼らが身を起こすより、今剣の指先が主の額に伸びる方が早い。
彼女は硬直してヒュッと悲鳴を飲み込むことしかできなかった。
「あるじ…ッ」
声すらまともに出せぬ中、辛うじて加州清光だけが、潰された喉でかすかに呻いた。
その瞬間、白鶴が飛び込んだ。
鶴丸が決死で割って入り、白裾で主を抱え込む。
「御勘弁くださらんか今剣殿。これはこのたづめが庇護しております故、何卒」
「なぁんだ、五条ののお手付きでしたか。それにしてはまだてごめていないようですが」
控えている一同が一斉にヒェッという顔をした。
今剣は無邪気すぎる程にっこり笑って、極限まで張り詰めた表情をしている鶴丸国永の頭をぽふぽふと撫でた。
「赤子の玩具を壊すほど大人げなくないですよ」
「……感謝致します。酒宴を用意しております故、御寛ぎ頂ければ」
今剣が去った瞬間、控えていた刀剣男士たちは崩れ落ちた。腰が立たず手が震えて這っている者もいる。
自らの白絹で主の目を塞ぐようにして抱え込んでいた鶴丸国永が、糸が切れたようにがくりと片膝を折った。
ギリギリ倒れずに踏み留まると、どっと汗を吹き出して、慌てて振り返って主の両肩を持って項垂れた。
「違う違う違うんだ本当に違うあの場では仕方なかったというか言葉の綾であって、オレは誓ってきみをそういう目では」
「?」
「ア゛ッ、……分かってないならいいんだ、すまんほんとすまん許してくれ何としても護るから」
ざわ、と後方でどよめきが広がった。
「か、は」
「大倶利伽羅さん!?」
「伽羅ちゃん!?」
「大倶利伽羅の旦那!?」
どさりと倒れた大倶利伽羅が、切った鯉口に指を置いたまま血反吐を吐いた。
大量の喀血で畳が真っ赤に染まる。むせ返るような血の匂いで大広間が充満した。
ゾッと青くなって鶴丸は、慌てて大倶利伽羅に駆け寄った。
「!? 伽羅坊きみ、まさかあの中で鯉口を切ったのか!?」
「馬鹿野郎! 内臓やられてるぞ!!」
「伽羅ちゃん!?」
鶴丸に抱えられた腕の中を飛び出して、主が真っ青になって駆け寄った。
「伽羅ちゃん、伽羅ちゃんッ!!」
「大将、手入れを!」
薬研が素早く大倶利伽羅を肩に担いだ。
薬研に目配せされた毛利が慌てて主を抱え上げた。
「あるじさま、失礼します!」
「どいてくれ!」
大怪我人と主を抱えて飛び出していった極短刀二振りに、愕然とした空気だけが広間に残された。
石切丸が、青い顔で鶴丸のそばに寄った。
「鶴丸さん、どうしよう」
「……どうするもこうするもないだろう。穏便にお帰り頂くしかない」
鶴丸国永は青い顔で、どっと吹き出した脂汗を拭いながら前髪を掻き上げた。
「あれは、たとえ本霊の鶴丸国永にだって手に余る。御満足頂けなければ祟られて終わりだ」
新人刀の中には、未だ起き上がれず畳に伏せたままヒューヒューと浅い呼吸を繰り返しているものもいる。
鶴丸はぐしゃ、と髪を握りつぶした。
「くそ、今ほど『きみがいたら』と思ったことはなかったぜ、三日月宗近よ…!」
彼さえいれば、悠然と笑って穏便に取りなしてもくれただろうが、この本丸に月は出ていない。
今まで幾度も呼ぶ機会はあったが、もう後の祭りだった。
「ダメだ大将、手伝い札で一気に治すと障りがあるかもしれない。じっくり霊力を馴染ませて、時間をかけて治すんだ」
薬研が診た大倶利伽羅の内蔵はぐちゃぐちゃだった。まるで幼女が手を突っ込んで臓腑を掻き回したみたいなめちゃくちゃさだった。
戦の負傷とはまるで違う。人間ならとっくにショック死しているが、刀である以上急所は外れていて、だからこそわざと苦痛を長引かせるような類いのものだ。
つまり、これは神罰の類だった。
手入れの霊力供給を慎重に終えた主がそばに控え、膝の上で固い握り拳を震わせた。
「伽羅ちゃんに、こんな…っ…」
温和な主人の怒りを感じて、大倶利伽羅は身じろぎ、低い掠れ声をあげた。
「ご、ほっ……余計な、ことはするな」
「でも…!」
「飲み込め。神格の上下は絶対だ。あの場では、礼を欠いたのは剣を抜いた俺、この現状は自業自得だ」
「でも、でもっ、伽羅ちゃんは、私を…!」
主が、わっと喉を詰まらせ、涙を落とした。
「ごめんなさい…」
「なぜ謝る」
「わたしが、伽羅ちゃんもみんなも、守らなきゃいけなかったのに…!」
「……それは、違うだろう。お前は、」
その瞬間だった。封じられているはずの使用中の手入れ部屋の封がビリッと音を立てて裂かれ、この上なく無邪気な顔で、今剣が、手入れ部屋にひょこっと顔を出した。
「────ッ!!」
「…っ…!」
咄嗟に主は両腕を広げ、怪我人を背に庇おうとしたが、大倶利伽羅は瞬時に跳ね起きて、主の口を塞いで押さえつけた。重傷に鞭打って急に動いた大倶利伽羅が、ゲホ、と血を吐く。
「んっ…!」
まだ内臓が治ってもいないのに無理に起き上がったせいで、口角からボタボタと血が落ちる大倶利伽羅が、奥歯を噛み締めながら、深々と頭を下げた。
「御目通り仕る」
深々と頭を下げ、主のことも固く押さえつけたまま、大倶利伽羅は畳に額を擦り付けんばかりに低頭した。屈辱的な姿勢は、正しく、腕の中の彼女を護るためだった。
「身の程も弁えず」
「だれが口を開いて良いと言いましたか?」
天真爛漫な様子でニコニコと機嫌よく笑った今剣が吐いた言葉が、ズッ……と大気の重さを増した。
霊的に極限まで整えられたはずの手入れ部屋に貼られた霊札に、ぴしり、とヒビが入る。
ぴしり、ぴしり。
霊札が焼け落ちる。
まるで、内側から膨らむ圧力に耐え切れず破裂するみたいに。
床が軋む。誰も触れていない畳がみしみしと音を立て、障子がひとりでにガタガタ震える。
霊圧で耳鳴りが激しい。
頭の中で、激しい警鐘がガンガン鳴っている。
今剣があたかも無邪気そうに、にぃぃ、と唇の端を引き上げた。
まるで虫でも摘むみたいに広げられた指先が
上からゆっくり近付いてくる。
大倶利伽羅は主人を固く固く抱き込んだまま、奥歯を噛み締める。
髪をぐいっと掴み上げられたその瞬間、主人に代わって、首を斬り落とされる覚悟をした。
「かようなところにおいででしたか、今剣殿」
ぴた、と今剣の手が止まる。
そこに気を引くために飛び込んだのは鶴丸だった。
興味を失った今剣の手から、掴んだ髪が離れる。
床に額を擦り付ける大倶利伽羅には目もくれず、まるで炉端の石であるかのように、にっこりと鶴丸国永は優美に微笑んだ。
「かような穢れの多いところでは閉口するでしょう。余計な羽虫の音など聞かれませんよう。どうぞ、こちらへ」
優雅に白絹を揺らして一礼し導く鶴丸は、最後まで大倶利伽羅には一瞥もくれなかったが、命懸けで今剣を連れ出していった鶴丸の意図は明らかだ。
大倶利伽羅は最後まで主を押さえつけ、屈辱的な姿勢を崩すことなく、息すらも抑えて、じっと、その災害が去るのを待った。主人のために。
「ことばを崩していいですよ。可愛い五条のややこじゃないですか」
「いえ、そういうわけには」
「いいとぼくが言っているのです」
「…………お言葉に甘えて」
どっと静かに圧がかけられ、鶴丸は冷や汗をかいた。
蟻を潰すより、いたいけな赤子で遊ぶと決めたらしい。主に矛先が向くよりは万倍マシだった。
「ね、ああいうのがすきなんですか? ぼくが見繕って整えてあげましょうか」
まるで本当に赤子に蹴鞠か何かでも買い与えるように、ニコニコと今剣は彼女の方を指した。
鶴丸は表情を変えないよう慎重を期しながら、内心で「勘弁してくれよ!」と絶叫した。
これはつまり、彼女を神域に「隠してしまわないのか?」と。
「今すぐ代わりに隠して、意志を奪ってあげましょうか?」と言われているに等しい。
弄ばれている。慎重に言葉を選んで「やめてくれ、そういうのじゃないんだ」とへにょりと眉を落として、幼子のようにいたいけに、本当に困っている顔をする。
嫌がっている顔はダメだ、エスカレートする。できるだけ困惑している顔がいい。少しの甘えも。その方が弄んで楽しいのだとわかる。
鶴丸は今、神の玩具だった。
そうでなくてはならない。関心を引けねば他に類が及ぶ。
「ですが、あれは神の子なのでしょう? なら隠してしまってもいいではないですか」
「ほんっっとうにやめてくれ。頼むから万が一にも彼女の耳に入るような所で口にしないで欲しい。あの子が怯えたら困る」
「ふぅん?」
ニンマリと笑った今剣に、どうやらお気に召す反応ができたことを鶴丸は知る。神経をゴリゴリと削る綱渡りだった。
「まったく、すいきょうですね」
「意に沿わないことはしたくないんだ。あの子には笑って平穏に生きてて欲しいんだよ」
「がらにもないですね。意に沿わなければ意に沿わせれば良いではないですか」
「ほんっっっっとうにやめてくれ……」
助けてくれ三日月!
とこの本丸にいない三日月宗近に心の中で呼びかけた。
心鉄がごりごりすり減る心地だった。
るん、と機嫌良さげに歩を弾ませて立ち去った今剣を見送る。
完全に気配が去った途端、ぐらりと傾いた鶴丸を、石切丸が慌てて支えた。
「おえ、胃をやりそうだ」
「ごめん鶴丸さん……ちょっと私にも、どうにも……」
「きみは充分やってくれてる……彼女の力をまだまだ甘く見ていたオレが悪い……ほんとどうしてくれようあの政府の犬っころ……もう怒る気も起きん……」
その後も今剣は、至る所で問題を起こして引っ掻き回した。
刀剣男士たちは、必死に余興をこなして場を繋ぎ、この無邪気な厄災が満足して飽きるのを待った。
「さあ、急いでこれを」
政府から急ぎ戻って来た山姥切長義が持ち帰った富士札で、指示のままに彼女は岩融を呼ぶこととなる。
桜吹雪が舞って、顕現の霊気がぶわっと広がり、視界を覆う桃色の中から豪快な笑い声が響き渡った。
「がはははは! 帰るぞ、今剣!」
「いわとおしー!」
天真爛漫に懐くように全力でばびゅんとタックルした今剣を、容易く受け止めて岩融は豪快に笑った。
「そろそろ遊びの時間は終わりとしようぞ!」
「えー。……でも、いわとおしがそういうなら、そうします!」
「うむ!」
「して、俺を呼んだ人の子はどこだ?」
「そこですよ、いわとおし」
「おお。小さすぎて気づかなんだわ!」
大きな手のひらが迫って来て、びくっと身を小さくして固く目を瞑った彼女は、そっと頭に置かれた手に、こわごわと視線を上げた。
「よーしよしよし、怖がることはないぞ!」
わしゃわしゃわしゃ、とまるで犬か馬でも撫で回すような素振りで、岩融が八重歯を見せて笑った。
「今剣が世話になったな! 悪気は無いのだ、悪く思わんでくれ。ほら、今剣。天狗が日が暮れるまで遊んだら、なんとする」
「はぁい、麦飯をくばります!」
「うむ、飯砂も良いが、見ればこの宴、兵糧には困っていなかろう。他が良かろうな」
「うーん、じゃあ」
岩融の肩から降りてふよ、と宙を舞った今剣が、指先でくいっと虚空を引き寄せた。
風が舞って、呼応するようにそこに置かれた扇が今剣の手の中にぽすんと落ちた。
先ほど歌仙が命懸けの余興に使った鉄扇だった。
抜刀した剣がまばゆく輝き、扇と共に舞う。
自在に宙を舞ったその剣舞は
きらきらと神々しく、あまりに美しかった。
「てんぐのまい、ですよー」
天狗の舞とは。
一説に、天狗から授かった剣で四方を清めるさまを模した古い伝承に伝わる獅子舞のこと。
厄払い、無病息災、五穀豊穣などを願う意味が込められているとされる。
ぶわ、と今剣の扇が風を巻き起こした途端
光が眩いほどきらきらと煌めいて、風になって駆け抜けた。
「そぉら、楽しませてくれたご褒美ですよーっ!」
その眩しい風は本丸中を駆け抜けて
そこに居た刀剣男士すべてへ降り注いだ。
金粉が降り注ぐように
刀身にきらきらと吸い込まれた光が
身体をカッと熱くする。
「心鉄が熱い…?」
「これは…?」
「もしかして」
まるであたたかな雪のように矛盾して空から降り注ぐ美しい光に手をかざし、直感のままにぽつんと言葉を落とした。
「お守りの光に、似てる……」
「なぁんだ、知らなかったんですか? お守りは本霊が作ってるんですよー。気に入った人間がいたら少しだけ分けてやるのです」
得意げに今剣が胸を張って、ぐるんと自在に舞って笑った。
大胆に舞い続ける今剣の声は無邪気だが、その力は紛れもなく神格を帯びたもの。
無邪気さと畏怖が同居する瞬間に、今剣が舞う場の空気は神聖なものへと変わる。
魂までも震えるような美しい光が
きらきらと降り注ぎ、慈雨のように満ちる。
降り注ぐ光に、セカイが祝宴へと塗り変わる。
この国の古き神とは恐ろしく、理不尽で、なお美しく、恵み深い。
この時、舞う今剣は、その場の全ての刀剣男士に
『一回限りのお守り』
に近似した加護を与えていたことが
後の調べで判明する。
そう、それこそまさしく神の祝福
後にこの本丸の危機を救うことになる恵みの光。
この夜、今剣がもたらした祝福は、ただの儀式ではなく、未来の危機さえも救う神の贈り物だったのだ。
「し、ぬかとおもった……」
死屍累々だった。
青い顔で舞扇を奉じた歌仙、剣舞を披露した太郎太刀と次郎太刀、腹踊りをさせられた日本号に、ダンスを披露した乱たち粟田口のメンバー、命懸けの鬼ごっこに興じさせられた和泉守たち等々、もはや動く気力も無い者たちで医務室前の廊下は埋め尽くされており、折り重なること戦場の死体の如くだった。
精魂尽き果てたという様子の面々は、体力もだが張り詰めた精神が何よりもう限界だった。
とんでもない霊圧と神気の暴風の中、自分が機嫌を損ねれば主人ごと祟られて文字通り『終わる』所だったのだ、無理もなかった。
中でも輪を掛けて一番疲弊しているのは鶴丸国永だった。
うつ伏せで屍のように倒れたまま、声を掛けようが揺すろうが叩こうがピクリとも動かない。気絶している。
古今東西、天狗は祭好きと相場が決まっている。
際限なく余興や芸を要求する今剣に対して、とっときの舞だの笛だの何差しも披露してそれでも全く足りず、立て続けに奉納剣舞に羽付きや蹴鞠の相手に鬼ごっこときて、水鉄砲を与えて気を引いて自ら哀れな的となり、山まで押し入って投石と弓矢で猪狩りに付き合わされ、戻れば即席の屋台を並べて祭りの雰囲気とお面で宥めすかし、花火の準備の合間に披露するのは大道芸人もかくやとばかりの手品の数々に傘回しに皿回しに火の輪潜り、影絵芝居に腹話術に落語になぞなぞに独楽回しにカルタに花札に声色モノマネ。
次から次へと手を変え品を変えよくやると周囲が思うほど、驚きの引き出しを駆使しては、命懸けで必死に、童の如き無邪気な天災の気を引き続けた。周囲を楽しく引っ掻き回すことはあれど、こんなに振り回される鶴丸は誰も見たことがない。
もちろん誰が見ても間違いなく鶴丸は今回の立役者だったが、疲労困憊で顔色が土気色だった。
この本丸の誰もが理解している。大倶利伽羅の二の舞になるような者が出ないように、鶴丸が皆を庇って率先して道化役を買って出たことを。
三条に縁ある五条国永の太刀であるが故に、格が違ってもなんとか大目に見て貰えたのだろう。祭の雰囲気に酔わせて何とか愉快な無礼講をゴリ押していたが、他の者ではこう穏便には済まなかったに違いない。
五条の、五条の、と赤子でも相手取るような調子で手を叩いて笑って始終機嫌良く弄んでいたが、鶴丸の方は命懸けだ。
芸の合間にも天狗の面に相応しいベク盃──つまり注がれた盃を決して置くことが許されないという意味──で樽ごと酒を呑まされるわ、話し相手という名の地獄の玩具になるわで、もう口を開くだけで内臓が出そうになるらしく死にそうな顔色で唇を固く結んでいる。というか、既に厠で散々吐いてもう中身が無いらしい。
燭台切が水と粥を持ってきたが、もはや声も出ないらしく、潰れたカエルのような呻き声をあげたきり微動だにしなかった。もう六日も寝込んで部屋から一歩も出てこない。
各々がようやく少しずつ日常に復帰し始める中、鶴丸だけが重疲労のまま全く床から出てこない。本格的に胃をやられたらしい。
心配する皆の見舞いを持って代表し、枕元で快癒の祈祷を行なった石切丸に、床に伏せたまま鶴丸はこう呻いた。
「なあ、石切丸。きみらのことは嫌いじゃないが、今だけ本音言っていいか」
「どうぞ」
「向こう十五年は三条の親戚付き合いに顔を出したくない……」
「可哀想に……」