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呪術探偵は推理しない

全体公開 10 28851文字
2025-08-16 11:37:29

【必読】五夏/if
主要人物とそれに関する人達がタヒんでいない世界なので、諸々の設定が違います
記憶の一部が欠けている天内理子が、勝手に動くぬいぐるみの所長「マサミチ」と、推理しない探偵の夏油と共に、記憶を取り戻しに行く話
お好きな方はどうぞ

【目次】
第一話 嘘つきなカーナビ
第二話 戻ってくる人形
第三話 失せもの探し
オマケ 呪術探偵は推理しない(同人誌のみ)

8月17日 俺達最強11 で頒布予定です
ご興味がある方はイベントでお会いしましょう

Posted by @itou_888

第一話 噓つきなカーナビ

 探偵と言われて、真っ先に思い浮かぶのはどんな姿だろうか。世界的に有名な顧問弁護士、編み物と詮索が好きなレディ、鳥の巣のようなボサボサ頭をしたフケ症の男、ぴんと跳ね上がった口髭の小柄な紳士など、人によって様々だろう。
 間違っても、黒い長髪を頭の高い位置で一つにまとめ、福耳に大きなピアスをはめた背の高い男ではないはずだ。
「理子ちゃん、すまないが事務所のドアを開けてくれないか」
「世話がやける副所長じゃの」
 磨りガラスが中央に大きくはめられた引き戸を開いてやる。両手に抱える二箱の段ボールと、屈強な両腕に二つずつ掛けられた大きなビニール袋。ありがとう、と眉を下げる男こそ、当探偵事務所の副所長であり、探偵の夏油傑だ。
「すっかり何でも屋さんが板についておるし。探偵はどうした、探偵は」
「まあ、私、探偵って言っても推理ができるわけじゃないからね。こういう依頼の方が自信があるのさ。今日も沢山お礼を貰っちゃった。理子ちゃん、いくつか持って帰るかい」
 よいしょ、と来客スペースにあるローテーブルへ荷物を置いた夏油を、仕切りの向こうにある事務スペースから労う音声が聞こえる。それは、端末に文字を打ち込めば自動的に読み上げてくれる機能を使用したもので、音の発信源は所長である。
『ご苦労だったな、傑』
「ただいま戻りました」
『補助監督から連絡が入っているぞ。三十分後に此処を訪れるそうだ』
「ああ、分かりました」
 ウチの所長は話せない。というか、声帯がない。いや、まずもって生き物じゃない。ぬいぐるみだ。そう言うと、五人中五人が私の頭を心配するが、事実そうなのだ。向かい合った事務机のうち、一つが私の席で向かいが副所長の席。その側面に配置された所長席に座るのは、両手にグローブをはめたクマのぬいぐるみだ。胸元にはプラスチックで作られたネームプレートが刺さっており、所長マサミチと書かれている。
 推理が得意じゃない探偵と、生き物じゃない所長。そんな普通じゃない探偵事務所で働いているのは、私にも普通じゃないところがあるからだ。
 私には記憶が抜けている時期がある。
 確かに、幼い頃、事故にあった経験がある。それが影響しているのかもしれないと医者は言った。それだけならそんなものかと納得していたかもしれない。
 けれど、時々、夢を見るのだ。深い海の底を再現したかのような、青く巨大な水槽の前に立ち尽くしている自分を、後ろから眺めている夢。水槽には何か生き物が居たはずなのに思い出せない。思い出そうとすると、いつの間にか隣には白い髪をした人が立っていて、小さく首を振るのだ。いつもそこで目が覚める。
 ただの夢だと割り切ってしまえばいい。割り切れたら、どれほど楽だっただろう。失った記憶の欠片を、どうしても知りたいと思ってしまうのだ。知らなければならないとも。
 とはいえヒントになりそうなのが、その白い髪の人物だけなので私の記憶探しは難航していた。にっちもさっちもいかなくなったいた私は、半ばやけくそで探偵事務所を探し、めぐり逢ったのがここだったというわけだ。
 過去の思い出に浸りながら、お礼の品をより分けている夏油を眺めていると、事務所の戸が控えめに叩かれた。
「すみません、遅くなりました」
「いらっしゃい。今日は伊地知なんだね。お疲れさま、胡瓜いるかい」
「えっ、あ、えっと、いただきます。ありがとうございます」
『よく来たな』
「が……所長もお疲れさまです」
 ぬいぐるみにもぺこぺこと頭を下げる腰の低い青年は、伊地知だ。彼は私と一つくらいしか年齢が変わらないはずなのに、妙に草臥れた雰囲気を纏っている。
「夏油さん、早速ですが」
「呪霊かい? それとも呪詛師か」
「どちらの可能性もあると考えています。あ、お水いただいていいですか」
「ほれ」
「ありがとうございます、沁みるなあ……
 客人のはずなのにウォーターサーバーから自分で水を汲もうとしている伊地知より先に、水を注いで手渡してやる。たかが水ごときで感動しながらも、伊地知は話を続けた。
「被害者はドライブの最中、山で失踪しました。直前にカーナビが故障したこと、親切な地元民が裏道を教えてくれたことを家族に連絡していますが、以降の消息は不明です」
「発生時期は」
「二日前です。連絡がとれなくなったことを心配した家族が警察に届けを出しています。その山が有名な心霊スポットであることから、呪いの被害を考慮し、二級術師が派遣されました、残念ながら発見には至っていません」
「山での遭難は日が経つにつれて生存率が下がる。被害者がどんな状況に晒されているか分からない以上、早めに動かなければならないだろうね」
「申し訳ありません。一級術師も出払っていて、夏油さんにしか頼めず……本来ならこちらの管轄なのですが」
「明確な線引きをしなくてもいいよ。必要な時に連絡してくれ」
 資料を覗き込みながら頭をつきあわせて会話を続ける二人は、着々と被害者救助の計画を立てており、今にでも出発しそうな勢いだ。
 呪霊、呪詛師、心霊スポット、呪い、術師。何も知らず生きていれば耳にすることもなかっただろう言葉たちが、ちらちらと話に出てきている。ここは探偵事務所ではあるが、夏油は探偵兼呪術師として活動している。呪術師とは、幽霊を祓う霊能力者みたいなものらしい。いわば二足の草鞋というやつだ。
 こういう特異な環境だからこそ、夢の出来事を否定されないと思ったし、実際そうだった。真剣に話を聞いてくれた夏油は、記憶を取り戻したくなったらいつでも依頼してくれと名刺をくれた。ついでに私の就職先も。だから安心して働いている。
「理子ちゃん、私たちはそろそろ出るよ。終業時間になったらタイムカードを切って帰っていいからね。所長をよろしく」
「うむ。任せよ」
 所長と並んで二人を見送る。その姿が磨りガラスの向こうへ見えなくなってから、小さく息を吐いた。
「また暇になっちゃった」
 欠けた記憶の中の自分は、どんな話し方をして、どんな人生を生きていたのだろう。それが分からなくて、つい、人前では演技じみた話し方をしてしまう癖が抜けない。
「野菜もらって帰ろう。あ、ゴーヤもある」
 そういえば今日は夕飯係だったと、献立を考えながら段ボールとビニール袋の中を覗き込んだ。私の隣では、持ち帰り用に出してくれたのか、丈夫そうな布の袋を広げて所長が待機してくれていた。

     *

 東京都立呪術高等専門学校。呪いを祓い、対処する術を学ぶ専門的な教育機関であると同時に、呪術師たちの活動拠点となっている要の施設。そこからやってきた伊地知は、補助監督と呼ばれ、術師のサポーターを担っている。
「改めて任務の詳細を説明します」
 伊地知が運転する呪術高専の車に乗り込んだ夏油は、先ほど渡された資料にもう一度、視線を落とした。
 ことのあらましはこうだ。
 自動車販売店で展示用として置かれていた新古車を購入した被害者が、家族にドライブに行くと告げてから帰ってこなくなった。特に計画を立てて走っていたわけではないらしく、要所要所で家族には写真付きのメッセージが送られてきたそうだ。日も暮れてきた頃、帰宅の遅さを心配する家族へ被害者から道に迷った旨の連絡が入ったのを最後に、消息が掴めなくなっている。
 直前の連絡は『カーナビに道が映ってない。壊れた? でも、親切な地元の人に裏道を教えてもらったから、もうすぐ帰る。バッテリーが切れそうだから、近くなったら連絡する』だ。
 けれど、翌日になっても帰ってこない被害者を案じた家族は、早々に警察へ捜索願を出した。

 この国における怪死者・行方不明者は年間一万人を超える。その殆どが呪霊による被害であるとされることから、警察に届けられた内容は、同時に呪術高専へと伝わる仕組みになっていた。
 今回は被害者が失踪したとされる山が、地元では有名な心霊スポットであったため、呪いの被害である可能性が高いと考えて二級術師へ捜索と祓除が言い渡されている。けれど、術師は山に辿り着くも、何事もなく下山してしまった。時間帯が悪かったのかと、夜に訪れても結果は同じ。地元民から教えてもらった道とやらを見つけることはできなかったし、そもそも人とすれ違うこともなかったのだそうだ。
「伊地知、高専の車を使うのはやめよう。行方不明者は新古車に乗っていたんだろう。いつ製造されたものかは分からないが、それがトリガーの一つかもしれない。先の術師が失敗した原因にも関わっているように思うんだ。同年代に作られた車は手配できるか。難しいならカーナビだけでも同じものを搭載している車がいい」
「確認します」
 ハンズフリーで連絡を取り始めた伊地知は、すぐさま目的に合う車を見つけ出すことに成功した。
「夏油さん、ありました! 二時間後には手配できるそうです」
「よかった。じゃあ、件の山の下まで運ぶように伝えてほしい。そちらの方が時間を短縮できるだろう」
「分かりました」
 連絡を続ける後輩と同様に夏油も端末を手に取る。通話先は呪術高専に所属している同級生の一人だ。彼女の名を家入といい、反転術式と呼ばれる治癒能力を他人に行使できる術師である。今回の被害者が衰弱している場合に備えることに加え、呪いの被害に遭った可能性を考慮して、万全の体制を整えておく必要があると判断したのだ。
 連絡が済んだ二人は、目的地まで車をとばした。

 現地に配置された車は、被害者が乗っていた新古車と同じ年代に作られたレンタカーだった。車種こそ違うものの、同じカーナビを搭載している。運転席に伊地知が、助手席には夏油が乗り込む。二人を乗せた車は緑が生い茂る山中へと進み始めた。夏油は二本の指を伸ばして帳を下ろす。
闇より出てて闇より黒く、その穢れを禊ぎ払え」
「あれ、もしかして山全体に帳を下ろしたんですか」
 帳とは術師が使う結界術の一つだ。この帳の内側で起きていることは、非術師には認識できなくなる。また、帳そのものに呪いを炙り出す効果があった。
「出現場所が特定できないからね。それに、こちらの方が呪霊は出やすいだろう。幸い、私の術式は召喚した呪霊の呪力で動くからね。ここでの呪力消費はあまり関係ないのさ」
「頼もしい限りです」
「はは、それはこちらの台詞だよ。伊地知ほど頼れる補助監督もそう居ないだろう。他の術師にもよく言われているんじゃないかい」
「や、やめてくださいよお」
 和やかな会話とは裏腹に、カーナビゲーションの画面には現在通っている道は表示されておらず不穏な雰囲気が漂っている。被害者が道に迷ったのもこれが原因なのだろう。
 古いカーナビが搭載された以降に作られた新道は、被害者が教えてもらった道、恐らく旧道とは異なる地点から始まっている。他に通れるような道はなかったことから、普段は旧道自体が封鎖されているのだろう。にも関わらず、親切な人とやらに旧道を教えられた被害者は姿を消した。十中八九、呪いが関与しているはずだ。
 暫く暗い新道を進んでいると、雨が降り始めた。
 山は天候が変わりやすい。状況が悪化しつつあることに伊地知が顔を顰める。冷たい雨は行方不明になっている被害者の身体にも影響を及ぼすはずだ。焦りを滲ませた二人が窓の外を必死で捜索していると、遠くから人影が近づいているのが見えた。
……夏油さん」
「アレが、雨の中でも傘をささない英国紳士か、傘をささなくても濡れない無下限呪術使いでない限り、今回の呪いに関係しているだろうね」
「ちょっと、怖いこと言わないでください! 噂をすると現れるんですよ!」
「君は何を怖がっているんだ」
 近づくにつれて速度を落とす車に気づいたらしい人影が、勢いよく窓の中を覗き込んでくる。助手席の窓を開けた夏油は、困ったように眉を下げてみせた。
「すみません。道に迷ってしまって。ナビもこの通りなんです。山から降りたいんですが、このまま道を真っ直ぐ行けばいいんでしょうか」
 通行人はじっとカーナビを見つめると、ずぶ濡れになっているとは思えないほど晴れやかな笑顔で道の向こうを指さした。
「この道は新しいからねぇ。少し進むと分岐路があるから、狭い方の道を進むといいよ。昔の道だし、そのナビにも映るんじゃないかな」
「ありがとうございます」
 窓が閉まると同時に車体が進み始める。ぼうと突っ立ったまま車を見つめている人影を不気味に思いながら、伊地知は口を開いた。
「今のは、呪いですね」
「そうだね。その一部って感じだ。この山自体に呪いは蔓延っていて、旧道への案内人みたいなものなんだろう。時代に合わせて呪いも説明の文言を変えるらしい。昔の人はキツネに化かされるなんて言っていたが、それも呪いによるものだったのかもしれないな」
「山全体……それは今回で祓いきることが可能なのでしょうか」
「どうだろう。対処はできると思うが、実際問題、呪いは人の負の感情から生まれるものだ。この呪いを祓除しても、人々が山での遭難を恐れる限り、似たような呪いは発生するだろうね」
 悔しそうな表情になる伊地知に、夏油は笑いかけた。
「私の操る呪霊を定期的に巡回させるよ。今回で詳しい場所も分かったからね。任せてくれ」
「それでは夏油さんに負担がかかります!」
 前をしっかりと見つめながらも、強くハンドルを握りしめる伊地知は本気で夏油を案じているのだろう。いい後輩を持ったなと思うと同時に、この後輩へ補助監督になるよう助言した友人の判断が的確だったことにも感心する。補助監督となって数年とは思えない働きは、彼の真面目さはもちろん、適正能力があってのことだと思えた。
「ありがとう。さっきも言ったが、私の術式で動く呪霊はそれ自体の呪力で活動する。操るのに呪力を使うのは確かだけれど微々たるものさ。またこの山で異変があった時は連絡するから、その時は頼んだよ」
「任せてください」
 言い切った後輩に頬を緩ませ、座席に体重を預けた時だった。突然、目の前に分かれ道が現れた。コンクリートの道路とは明らかに違う砂利道。これが旧道だろう。年月が経っているからか表面の砂利が薄くなっていたり、雑草が生えて道幅が狭くなったりしている。禍々しい呪力を感じることから、わざと道が開かれたと見て間違いないはずだ。
「進みます」
「ああ」
 タイヤが砂利道を踏んだ瞬間、ポン、と場違いなほど明るい音が響いた。カーナビが道を検索し終えた音だ。走り始める前に設定した目的地は、山の反対側、つまりはここを超えた先にある。カーナビは旧道から下山するルートを発見したというのだろうか。
『二キロメートル先、道なりです』
「伊地知、合っているかい」
「どうでしょう。新道を進むとしたら八キロは道なりに進むはずです。旧道がそこまで時間を短縮できるとは思えません」 「同意見だよ。このナビは私たちを何処に連れていくつもりなのかな」
『直進です』
 雨は降り続けている。フロントライトをハイビームに変えるも、相変わらず数メートル先は真っ暗だ。夏油は手持ちの呪霊を前方に放ち、道を探らせることにした。
「冥さんみたいに視界が共有できたら、とは何度も思うよ」
「アレはすごい能力ですよね。その分、疲労もすごそうです」
「だろうね。まあ、術師には離れ業をやってのける人たちがいるものだ」
 貴方もですよ、とは口に出さず伊地知は頷いておいた。
 ここに座る夏油は、国内に三人しかいない特級術師の一人だ。呪術師はその強さによって等級が定められており、下は四級、上は一級までと厳しい基準で区分されていた。特級とは、一級よりも更に上、他校の学長に言わせると斜め上に外れた存在と称される、規格外の強さを持つ術師なのだ。
 そんなことを考えながら運転していた伊地知の名が、鋭く呼ばれる。
「伊地知」
「はいっ!」
『直進です』
「止まってくれ」
『直進です』
 すぐに速度を落として停車する。ほぼ同時に、どろりと呪霊が至近距離に現れた。いつ経験しても心臓に悪い光景だ。夏油が自身の術式である呪霊操術で使役する呪霊が、異変を察知して戻ってきたらしい。
 伊地知には何を言っているのかは分からないものの、術師本人である夏油には伝わるようだ。シートベルトを外した夏油が土砂降りの外へ飛び出していく。
「夏油さん!?」
「被害者を見つけた。呪いもだ。君はここで待機してくれ。念の為、ソイツは置いていく!」
「ええ!? ご、ご武運を!」
──ウェヨヨョ
「ひぃっ」
 頭に響くような声をあげる不気味な呪霊と二人きりになってしまった伊地知は、なるべく早く夏油が帰ってくることを祈るしかなかった。

 先行させた他の呪霊の気配を辿り、夏油は暗闇を走っていた。ぼんやりと当たりを照らすのは自身が持つ端末のライトと、鬼火と称される呪霊だ。道具は使いようである。たとえソレが憎むべき呪いであったとしても、だ。
 数分走った先、道の端に停められた軽自動車を見つけた。恐らくコレが被害者の乗った車だろう。急ぎ駆け寄り、中を覗く。被害者と思われる人物は、顔色こそ悪いものの、胸が上下に動いていた。まだ息がある。
 すぐさま窓ガラスを割って救助を始めた夏油の背後から、何者かが近づいてくる音が聞こえてくた。濡れた重いモノを無理やり引きずるような不快な音だ。
「おい、君! 聞こえるか! ここから逃げるぞ」
──ェェエエ、エエェェエ
……うっ……眩し……
「意識はあるな。助けに来た。ほら、手を伸ばして」
──ゥウェエエエ、ェエエ
「助け……ありが、っ! 後ろ!」
 手を伸ばしかけた被害者が夏油の背後を指さし、怯えた表情をして身を縮こませる。夏油は構わずに窓から手を突っ込み、ドアのロックを解除すると、戸を開けて被害者の腕を掴んだ。
 情けない悲鳴をあげたのは、どちらだっただろうか。
 よたよたと車から降ろされる被害者の視線の先。巨大なミルワームのような呪霊が、バクリと大きな口で背後に迫っていた呪霊を飲み込んだのだ。
 完全には飲み込まず、主人の指示を待つ呪霊をおいて、夏油は気絶した被害者を横抱きにすると伊地知の待つレンタカーへと戻って行った。

「伊地知、お待たせ。高専とは連絡がつくかな。さっき帳を解除したんだけど」
「問題ありません。救護班に繋ぎますか」
「よろしく頼むよ。私は呪霊を降伏してくるから。取り込めばどんな呪いか分かる。詳細は追って連絡する」
「ありがとうございます」
「こちらこそ。じゃあ、被害者を任せたよ」
 後部座席へゆっくりと被害者を横たえた夏油は、車とは反対方向へと走っていく。その姿を見送りたい気持ちを抑え、伊地知は己に任された仕事を果たすべく慎重に山道を下った。

 帳が解除された山では、木々の間から零れるような星空が覗いている。開発が進んだ街では見ることができない景色だろう。
 従順に待機していた呪霊へ指示を出し、呪いを吐き出させる。形の定まっていない、黒くぶよぶよとした呪霊だ。特定の何かに対する恐怖が形を成した呪いではない。山で迷ったらどうしよう、という漠然とした負の感情が寄り集まっている。
 手をかざし、玉の形に変わった呪いを飲み下した夏油は、その性質を過たず理解した。呪霊操術とはそういう術式なのだ。呪霊を降伏し、取り込み、使役する。
 先ほど伊地知へ話したように、この呪いをどうにかしたところで、時間が経てば似たような呪霊が湧くだろうことは間違いなさそうだ。
 呪いによる被害とまでは理解せずとも、人々が知恵を出して作った新道から、わざわざ旧道へ案内するような底意地の悪い呪いを、根本的に解決するためにはどうすればいいのか。思考を巡らせていると、声をかけられたので軽く手を上げて応えた。
「馬鹿みたいにデカい帳を下ろした術師がいるって聞いて見に来たら、オマエかよ」
「ははっ」
……なんだよ」
「来るまでもなく、分かっていたくせに」
 振り向くと唇を尖らせた友人が立っていた。色のない髪を夜に溶かし、顔の上半分を包帯で覆っているという個性的な姿だ。男の名を五条悟。現代最強の無下限呪術使いと名高い術師である。そんな五条は唇を尖らせながら、ふん、と鼻を鳴らした。照れ隠しのつもりだろうか。
 五条は生まれつき六眼という特殊な眼を持っている。これは、呪力の流れを可視でき、原子レベルでの緻密な呪力操作を可能にするという代物だ。包帯を外し、空に広がる星よりも複雑な輝きを放つ青い瞳を晒した五条は、呪霊が出現した辺りを眺めると、へえ、と興味なさそうに口を開いた。
「残穢からして、山全体が呪いの温床だった系? 放っておいたらまた発生するでしょ。山ごと消し飛ばせば?」
「悪手だと理解して言っているだろう。そんなことをすれば、今度は山が消し飛んだことによって呪いが発生する」
「あーあ。そうね。じゃあ、どうするつもりなわけ」
「一時的な対策として呪霊を放つ。新しい呪いの発生を感知したら、すぐ分かるようにね」
「それじゃオマエの負担が増える」
「あは、伊地知と同じこと言ってるよ」
「誤魔化すなよ」
「誤魔化してなんかいないさ。問題ない。君だって呪霊操術の仕組みは知っているだろう。他でも同じことをしているが、生活に支障は出ていないよ」
「ここで三十二か所目だ」
「よく覚えているな。当たりだよ」
 感心したような様子の夏油に、五条は唸りながら髪をかき乱した。それを不審の仕草だと感じた夏油は、眉をひそめて口を開く。
「私にはできないと思ってる?」
「できるから厄介なんだろ。呪術界的にはやめさせる理由がない。何年経っても術師の人手は足りないままだし、だからこんな任務が傑にまわってきてるんだ。オマエが操る呪霊が各所を監視すれば、その分の人員は削減できる」
「メリットしかないな? いてっ」
 隣に並び、五条の顔を覗き込む額を軽く弾いた。なにがメリットしかない、だ。呪術界的には良くても、友人的には良くない。自己犠牲とも違う、けれど確実に夏油を損なう行為を止められない自分に舌打ちした。
「そんなに怒るなよ。私が御役御免になるような代案を思いついたら教えてくれ」
「すぐ思いついてやるから、首洗って待ってろ」
「どうして喧嘩腰なんだ」
 まあいいや、帰ろう、と歩き始めた夏油の肩に、わざとぶつかりながら五条も足を進める。
「この暗闇の中を歩いて帰るって? どうせ補助監督に被害者を任せて先に帰らせたんだろ」
「これまた当たり。悟だってそうするだろう」
「どうかな」
「やるさ。君は優しいからね」
……
 無言で夏油の肩に頭突きをする五条を見て、夏油が楽しげに笑う。その笑い声は暫くして二人分になり、夜の空にそっと広がっていった。

     *

 閑古鳥はどんな鳴き方をするのだろう。
 今日も今日とて暇な一日を過ごした私は、とりとめのないことを考えながら事務所の片付けをしていた。背後では所長がグローブをはめた手で器用に床の雑巾がけをしている。
 副所長は不在だった。兼業の関係で外に出ている。今日、夏油を迎えに来た補助監督は新田という女性だった。まだ新人らしく、伊地知や私よりも年齢が若いそうだ。夏油が少し席を外した間に知った情報だ。新田は探偵事務所が珍しいのか、きょろきょろと辺りを見まわしながら気さくに話しかけてくれた。そうする中で、彼女には京都で呪術師をする弟がいて、彼を支えるために補助監督になったのだと教えてもらった。
……姉弟かあ」
 窓を拭く手を止めて呟く。私にも姉のような存在がいる。家の事情で幼い頃から私の身の回りの世話をしてくれている人物だ。名前を黒井美里といい、現在は、実家を出た私と同居している。
 そこまで考えて、息を吐く。黒井のことも、一緒に生活してきたことも覚えているのに、きっかけになった家庭の事情とやらをすっかり忘れているのだ。それに気づく度に、妙な焦燥感に襲われる。早く思い出せと、誰かに急かされているような感覚。けれど、思い出してはいけないようにも思う。反する二つの感情がぐるぐると渦巻いていつまでも引かないのだ。
 私の思考を遮ったのは、事務所の戸が開く音だった。反射的に挨拶をして、げっ、と顔をしかめる。出入口に立っていたのは、長身の夏油よりも更に背が高い、白髪頭の男だ。とはいえ、歳をとっているわけではなく、地毛なのだそうだ。顔の上半分が包帯に覆われているのも、別に怪我をしているからではないらしい。何から何まで謎の多い格好だった。
「夏油なら居らんぞ」
「見りゃ分かる」
「あーっそ!」
 人が親切に教えてやったのに、と思いながら渾身の力で窓を拭く。窓ガラスと布とが擦れる音が高くて耳障りだった。
 態度を急変させた私に、心当たりなどまるでない、と言いたげな表情をしているのは、一言多い謎の男こと、五条だ。彼は、夏油の同業者である。とはいっても、探偵ではなく、呪術師の方だ。
 五条と出会ったのは、まさにこの探偵事務所だった。当時、五条の白い髪を目にした私は、夢に現れる女性との関係性があるかもしれないと、姉か妹は居ないかを質問したのだ。ちなみに、五条からの返答は「なにそれ、新手のナンパ?」だった。思わず、何だコイツ、と半目になった私は悪くないだろう。
 事務所に入ってきた五条は勝手知ったる動きで夏油の席に腰かけた。タイヤのついた事務椅子の上で器用に長身を折りたたみ、くるくると回りだす。
「本当に何しに来たんじゃ」
「傑に頼まれたんだよ。終業間際に依頼人が来る予定だから、暇なら手伝って欲しいって」
「なんじゃ、あやつ、まだ分かっておらんのか」
 この商店街で、夏油に依頼をする人間のほとんどが重視しているのは依頼が達成されるかどうかではない。夏油自身に会いに来ているのだ。推理はできなくとも、探偵らしいことはできなくとも、彼と話して一緒に行動したいのだ。
 五条が良いとか悪いとかの話ではなく、こればっかりは、地道に地域に根差した活動を続けた夏油の賜物なのである。
 そんな内容を思わず口に出してしまって、慌てて口を閉じる。いくらなんでも失礼だし、五条を不快な思いにさせたかったわけでもない。何かしらのフォローを、と思った矢先、五条が、そうなんだよなあ、と呟いた。
「アイツ、そういうところあるよな」
「お主も苦労しとるのか」
「傑のことに関して、苦労だと思ったことはねーよ」
「そうか」
 あまりにも、気負わずに答えるものだから、そういうものかと納得してしまう。自分にはそんなふうに思える相手がいるかと考えて、黒井の姿が思い浮かんだ。
「ご、こめんください」
「あ、来た」
 てっきり、依頼人は常連である八百屋の前店主だと思い込んでいたが、なんと新規客だった。近所に住む少年は、室内に夏油がいないと知るや不安げな顔つきで大人たちを見つめた。
「えーっと、君が今回の依頼人だね。はじめまして。僕は五条悟。傑の代わりに一日探偵をやってるんだ」
「すぐる? 傑って夏油さんのこと? おじさんは夏油さんと知り合いなの」
 少年の近くにしゃがみ込んだ五条は、至極穏やかな声色で対応している。その変わりっぷりに唖然としている間に、一日探偵は依頼人を来客スペースへと案内し、話を聞きだしていた。
「へえ、じゃあ好きな子が自分のことをどう思ってるかが知りたいんだ」
「しっ! おじさん、声が大きいよ」
「メンゴ! でもさ、僕にも分かるよ、その気持ち。あのね……
……えっ、おじさんにも好きな人がいるの?」
 漏れ聞こえてくる声に耳をそばだてつつ、帰りの支度を始める。なにやら盛り上がっている一日探偵と依頼人に頭を下げてから事務所を出た。ビルの階段を降り、人通りのまばらな道を抜けて、商店が連なる通りへ出た。最寄りの駅まで歩く途中、ビルとビルとの間に占い屋が出店していることに気づいた。
 今どき珍しいほどのクラシカルな占い屋だ。
 占い屋の近くに差し掛かった時、ちょうど客が占いを終えて席を立つところだった。繁盛しているのか、と思いながら歩いていると、声をかけられた。驚いて顔を向ける。そこにはヴェールで顔を覆った占い師が座っていた。
「占ってあげるよ。料金は要らない」
 怪しさが留まるところを知らなかったものの、先ほど見た五条よりは怪しくない見た目だ。パイプ椅子を引いて占い師の前に座ってみた。
 占いというものは、水晶やらタロットカードやら、竹で作られた棒やらを使って行われるイメージが強い。しかし、この占い師は、何も使わずに、こちらを眺めるだけで語り始めた。
「ふーん。へえ。大層な星の下に産まれたね。今でこそ、この世界の行先に面白みを求めていないけれど、別の時なら違ったかも。まあいいや。君さ、記憶がないだろう」
 突然当てられた内容に肩が跳ねる。どうして分かったのだろう。そんなもの外見から分かるはずがない。私の記憶が無いことは、黒井か私を採用した夏油しか知らないのだ。黒井はこんな怪しい人間に私の情報を渡さない。なんなら、過保護なくらいでアルバイトにも難色を示していたほどなのだ。同じく夏油だって、個人情報の重要さを知っているからこそ、他人にペラペラと話すわけがない。
 どこからも漏れるはずのないことを知っている。それだけで、この占い師に得体の知れなさを感じた。
「記憶を取り戻したかったら依頼するといい。解決できる人間を知っているだろう。どうするかは君が決めなよ」
 さあ、終わり終わり帰った帰った。そうして半ば追いやられるように終了した占いは私の心を大きく乱していた。ふらふらとした足取りで占い屋から離れ、振り返った時、もうその店はなくなっていた。
 キツネに化かされたのだろうか。いや、そんなキツネなんて居るわけない。居るのは、気色悪い化け物だけだ。
 思考を切り替えて足を早める。今日の夕食当番は黒井だ。彼女はよく、私が好きなものを作ってくれる。早く黒井に会いたい。その一心で、最早走るくらいの勢いで帰路を急いだ。


第二話 戻ってくる人形

 とある平日の午後。零細探偵事務所にはチャンスとピンチが舞い込んでいた。私の前に座るのは、商店街から少し離れた位置に住む女性だ。彼女の依頼は、捨てても戻ってくる人形をどうにかしてほしい、だった。
 曰く、いつ買ったか覚えのない人形が家にあったという。遊びに来た友人が忘れて帰ったのかとも思ったが、人形の類いを持ってくるような趣味の友人はいない。
 では、昔買ったものを忘れているのだろう。人形に着いているタグか何かを検索してみれば、いつ頃発売されていたものなのか分かるはずだ。そこから関連して記憶が蘇るかもしれない。
 けれど奇妙なことに、人形には一切タグがついていなかった。
「幼い頃の私が切ったのかもしれない、と思ったんです。だから、写真を撮影して親に聞いてみることにしました。でも親は知らない、買った覚えはないと」
 いよいよ不気味に思えてきた。捨てた方がいいのではないか。そんな考えが頭をよぎる。奇しくも、翌日が燃えるゴミの日だったので、ゴミ袋に詰め込んで捨ててしまった。
 それからは元通りの生活が始まるはずだった。
 ゴミを捨てて家に戻り、玄関で靴を脱ぐ。その視線の先に、さっき捨てたばかりの人形が座っていたのだ。
「何回捨てても、何回も戻ってくるんです。このままじゃ、私、頭がおかしくなりそうで。それに、人形を見かけるようになってから、肩が重たい気がするんです」
 小さく震える依頼人は、自分の肩を抱くように身体を縮めた。
「きっとその人形は帰る場所を間違えているんです。私のところじゃない、ちゃんとした居場所があるはず。お願いします。他の誰に頼んでも解決しなかったんです。この子の居場所を見つけてください」
 ローテーブルであるにも関わらず、額がつくほど深く頭を下げる依頼人。正面に座る私は、依頼人が撮ったという写真を見て、チャンスとピンチを導き出した。
 写真に写っていたのは、どこか見覚えのある顔つきのぬいぐるみだった。いや、どこか見覚えの、なんてまわりくどい言い方はやめよう。依頼人から死角になる場所で、大人しく身を潜めている所長の姿が見える。ぬいぐるみであるのに、勝手に動く特殊な人形。その風貌にそっくりなのだ。こちらが熊であちらが河童であるため、全く同じ種類ではないものの、関係がないとは言わせないほど似ていた。
 人形と所長に関係がある場合、解決は早いだろう。久しぶりの依頼だ。確実にこなせる分はこなしたい。けれど、その場合、逆に探偵事務所が窮地に追い込まれる可能性もあるのだ。どっちだ。どちらを優先すればいい。
 ぐらぐらと揺れる天秤がチャンスに傾いた瞬間、私は依頼を受けていた。

「そのはずだったんだけどなあ」
 女性から依頼を受けた数時間後、彼女から信じられない連絡が届いたのだ。なんでも、人形が居なくなった、解決したので依頼は取り下げたい、とか何とか。
 そりゃ、依頼料もタダではないし、払わなくて済むならそれに越したことはないだろう。分かってはいるけれどやるせない。
 すっかり肩透かしをくらった気分の私は、事務机に頬杖をつき、ため息を吐いた。
「本当だったら、明日から調査が始まる予定だったのになあ」
 ちら、と所長を見るも我関せずといった雰囲気だ。ぬいぐるみの表情は変わらないから、本当はどう思っているのかは直接聞くしかない。
「所長。あの河童は所長のご兄弟か何かじゃないんですか」
『そんなわけあるか。アレは……
「ただいま。何かあったんですか」
 所長の自動読み上げ音声を遮って帰ってきたのは、我らが探偵事務所の探偵、夏油だ。しかし、探偵でありながら推理は苦手だという夏油には、街の何でも屋さんのような仕事しか舞い込んでこない。それだってボランティアみたいなものだから、事務所の収入は無いに等しかった。
 いつでもジリ貧な事務所が倒産しないのは、ビルのテナント料という収入があるからだ。なんでも、このビルは元々心理的瑕疵がある物件だったのだそうだ。聞きなれない言葉かもしれない。私もここに勤めるまでは知らなかった。
 心理的瑕疵とは不動産の取引にあたって、借主や買主に心理的な抵抗が生じる可能性のあることがらを指す。主には、その不動産で自殺・他殺・事故死・孤独死などがあったり、近くに墓地や嫌悪・迷惑施設が立地していたり、近隣に指定暴力団構成員等が居住していることなどが挙げられるのだそうだ。
 ここで何があったかは知らないけれど、そういう物件であることを承知の上で格安の値段で買い取ったらしい。今ではこの五階建てビルに、探偵事務所の他、カスクートというサンドイッチが美味しいパン屋と、なんとか陰流とかいう武道の道場が入っている。おかげさまで、私は給料をもらい、生活できているというわけだ。

 帰ってきた夏油は、所長から事のあらましを聞いては真剣に頷いていた。先ほどの女性が語った内容は、探偵ではない、彼の兼業において重要だったらしい。
 夏油は探偵の傍ら、呪術師という職業にも就いている。表立って活動するようなものではなく、人知れず、呪いや呪霊などといった化け物を祓う仕事だ。探偵としての仕事はほぼないので、呪術師の傍ら探偵をしていると言った方が正しいかもしれないが。
「理子ちゃん、ありがとう。おかげで重要な情報が手に入ったよ」
「それは良かった。あの人形は一体なんなのじゃ。所長に似ておったが、アレも呪いなのか」
「厳密には少し違うんだけど、呪いと関係しているのは確かだ。あの人形は、とある呪いを追いかけている。買った覚えのない人形が家にあるということだったね。それは、その女性の家に霊がいたから人形が現れていたんだよ」
 夏油が言うには、あの人形がいたから女性の肩が重くなっていたのではなく、呪霊がいたから肩が重くなっていたのだそうだ。そうは言っても、人形が動くことを受け入れられる人間など、そうそういない。女性の恐怖は最もだろう。
「人形がいなくなったということは、呪いも消えたということか?」
「いや、人形は呪いを追って次の場所へ移動したんだ」
「え?」
「恐らくだけれど、同じような依頼が来るかもしれない。その時、私がいなかったらまた対応してくれるかい」
「構わんが、呪いが祓われていないということは、被害が出るんじゃないのか」
「そうだね。一刻も早く祓除する必要がある。けれど、この呪いは力が強い者の近くでは姿をみせないんだ。だから、術師が派遣されると逃げてしまう。代わりに思いついたのが、人形に追わせることだったんだよ」
……可愛らしいぬいぐるみならば、癒しの効果もあると思ったのだが』
「どんなに可愛い見た目でも、買った覚えのない人形が家にある状況に癒される奴はおらんじゃろ」
『そうだな』
 しゅん、としょげたように見える所長を夏油が慰める。その後は特に仕事が増えることもなかったので、夏油が貰って来たそら豆を茹でて食べることにした。事務所の事務スペースの隣には小さな台所と、ダイニングテーブルが置かれている。
 そこへ大量のそら豆を広げた。立派なさやのつなぎ目から指先で押し割って開いていき、豆を取り出す。包丁で浅く切り込みを入れてから塩ゆでし、一粒ずつ取り出して二人と一体で楽しんだ。むろん、所長は雰囲気だけを味わったのだけれど。

 数日後、出勤した私を出迎えたのは、スーツを着た数人の男女だった。彼らは一様に刀を所持しており、どう見ても一般人の出で立ちではない。けれど、私は彼らに見覚えがあった。同じビルにあるなんとか陰流とかいう武道を習っている生徒たちだ。
「なにかあったのか」
 忙しそうな彼らの代わりに隅に居た所長へ話しかける。
『以前、ぬいぐるみの件で話をしただろう。あれに進展があってな。今夜、呪霊を祓うことになった』
「そうか。ここを本部にして各々出ていくんじゃな」
『いや。ここに呼ぶんだ』
「へ?」
『このビルは負の感情が溜まりやすい傾向にある。力の弱い呪いは、強くなるために群れる。追っていた呪霊は、周囲の弱い呪いを呼び込んでは群れを作り、巨大な塊になろうとしている。つまり、ここに集まる呪いも恰好の餌だ。そうなったところを、叩く』
所長の言葉に、ごくりと唾を飲み込む。今まで、夏油を始めとする呪術師の仕事は、離れた場所で行われてきた。だから、直接、呪いを祓う瞬間を見たことはない。勝手に動くぬいぐるみである所長を受け入れながらも、呪いなんていうものは遠い世界の話だと思っていた。そうだといいと、思い込もうとしていた。
「私も、参加した方がいいの」
 不安から演技じみた話し方も忘れて問いかけてしまう。すると、背後から聞きなれた声が聞こえてきた。
「理子ちゃんは参加しなくていいよ」
「夏油……
「理子ちゃんは、というよりも私以外は実際の祓除に参加しないんだ。前に、弱い呪霊だから術師がいると逃げてしまうって言っただろう。いくら群れになったからって、大勢の術師がいると霧散して逃げてしまう。だから私一人で対応する」
「刀を持った人たちは?」
「シン・陰流の人たちだね。彼らも術師なんだ。彼らは結界術が得意だから、万が一に備えて商店街の護衛にまわってもらう」
 情報の多さに眩暈がしてきた。私が知らなかっただけで、このビルには大勢の呪術師がいたらしい。何が遠い世界の話だ。ビルの階段ですれ違う彼らに何度も挨拶をしてきたというのに。
「理子ちゃんも今日は早めに退勤してほしい。時間外のことをとやかく言うのは申し訳ないけれど、商店街からも離れた場所にいてくれないかい」
「分かった」
「ありがとう。帰りは駅まで送ってもらってね。あ、そこの君」
「はいっ!」
 夏油が声をかけたのは水色の髪が目に眩しい少女だった。パンツスーツを身につけた少女は、三輪と名乗った。帰りは三輪が護衛をしてくれるらしい。刀を携えていることから、彼女もシン・陰流とやらを修めているのだと分かる。
 一度、三輪と別れて事務スペースに向かう。他に依頼の連絡は入っていないようだった。来客スペースではシン・陰流の門下生と、恐らく伊地知のような補助監督、それから夏油が話し合いを進めていた。
 探偵事務所の職員として、いつ依頼人が来てもいいような準備をしながら、彼らの動きをそっと見守っていた。

「じゃあ、理子ちゃんをよろしくね。駅まで送ったら、所定の位置で護衛を開始してほしい」
「分かりました!」
 元気のいい三輪とビルを後にする。他愛もない話をしながら歩き、ビルから距離が離れてから聞いてみたかったことを質問した。
「今回の呪いは、強い者が居ると逃げるんじゃろ」
「そうみたいですね」
「妾は夏油をそこそこ手練れの術師だと思っておったのだが、その呪いと一人で対峙するということは、そこまで強くないのか?」
「ええっ⁉」
 三輪はさも驚いた様子で一歩引いた。何に驚いたのだろう。夏油を強い呪術師だと思っていたところだろうか。仮にそうだとしても、私の中で頼りがいのある呪術師であることには変わりない、などと考えていた私は、三輪の言葉に一派引くことになった。
「夏油さんは、国内で三人しかいない『特級』を冠する術師です。簡単に言うと、めちゃくちゃ強い三人のうちの一人なんです。強いなんてものじゃないですよ」
「じゃあ、どうして」
「さあ。夏油さんのことなので策があるんだと思います。私たちは割り当てられた場所でしっかり商店街を護衛するのが任務です!」
 それを聞いて、ますます、夏油の本業と副業が逆かもしれないな、と思った。

     *

 呪術師がその強さを等級で現しているように、呪霊も強さによって区分が変わる。まず、前提として、呪霊には呪具や術式など呪力による攻撃しか通用しない。それを通常攻撃が通ると仮定して強さを表現すると、四級は木製バットで倒せる程度、三級は拳銃、二級は散弾銃でギリギリ、一級になると戦車があっても心細いくらいで、特級を冠する呪霊の強さはクラスター弾での絨毯爆撃でトントンとされている。
 呪いというものは、負の感情から生じるため、発生した時点でおおよその強さが決まっている。では、弱い低級呪霊が力を増すには、どうすればいいのか。単純に頭数を増やすという方法が早いだろう。つまり、群れて行動するのだ。
 今回の呪霊は低級ながら、知恵がまわった。強い相手との交戦は避け、弱い者に被害を及ぼしていた。追跡の結果、傀儡操術の使い手である夜蛾が使役する呪骸に対しては、ほとんど警戒しないことが分かった。これを利用し、呪骸を放って徐々に追い詰め、行動範囲を狭めていったのだ。
 呪術高専側の意図に呪霊が気づいているのか否かは不明だが、呪骸によって追い立てられた呪霊は、更なる力を求めて、探偵事務所を構えるビルに向かっている。
 一体一体は弱い。等級で現せば四級や三級程度だ。しかし、数が多いとそれだけ厄介になる。一度、計画の一つとして、集まった呪霊を五条が術式で木っ端みじんにするという案が出た。しかし、五条の呪力は独特で、彼が祓除を行った後、呪力を恐れて呪霊が近づかなかったという逸話があるくらいなので、先んじて気づかれてしまえば、ここまでの苦労が水の泡になりかねないと却下された。
 下手に等級の高い呪術師には向いておらず、かといって等級の低い呪術師では歯が立たない。
 そこで手を上げたのが夏油だった。夏油自身の等級は五条と同じ特級だ。しかし、彼の術式である呪霊操術は取り込んだ呪いを使役するものであり、その呪いは夏油ではなく、呪霊本体の呪力で動く。ならば、対象の呪霊にも気付かれにくいと考えたのだ。
 他に有効な案が出てこなかったため、おあつらえ向きに、負の感情が集まりやすいビルの空いている階へ呪霊を放ち、餌におびき寄せられた呪いを祓除するという方針になった。
 複数の呪骸を操り、呪霊をビルへ向かわせる。呪霊が通るのは商店街の中心だ。それ以外の場所は、シン・陰流の門下生たちが守りを固めている。特殊な結界術を継承し続ける彼らは、他の呪術師と比べて守りに特化した一面がある。これまで呪術師との戦闘を避けてきた呪いだ。あからさまに結界術を展開する門下生がいない道、つまり商店街の中心を通って真っすぐ現れるはずだ。
『呪骸が呪霊を追い立てている。もうすぐ商店街に着くぞ』
「分かりました」
 夏油の側には所長が控えている。これも夜蛾が操る呪骸の一つだった。夜蛾は夏油が呪術高専に所属していた頃の担任であり、現在は呪術高専の学長を務めている。ついでに今は探偵事務所の所長も担っていた。
『二時の方向。呪いのお出ましだ』
 ビルから数百メートル離れた地点。商店街の始まりに配置されたゲート。そこへ吊るされた鈴が鳴った。控えている呪術師に緊張がはしる。彼らは準備の間に、商店街の至るところへ鈴を配置していた。これは呪いを感知すると音が鳴る呪具だ。その音が響くということは、作戦の開始を意味していた。鈴が鳴るのに合わせて、近くにいる門下生が結界術を展開する。そうして少しずつ、ビルへの道を作るのだ。
 シャン、シャン、シャン。
 鈴の音が商店街の中心路を進む。呪いは弱い呪霊を引き連れながら悠々と移動していた。目指すは呪いにとって居心地がよさそうな古いビル。一角には、群れに迎えるのにふさわしい低級呪霊が集まっている。
 シャン、シャン、シャンシャンシャンシャンシャン。
 激しくなっていく鈴の音が商店街を駆け巡る。呪霊が通った道のアスファルトはひび割れ、老朽化したマンホールが勢いよく外れて飛んだ。狂ったように鳴り続ける鈴の音が一層の盛り上がりをみせた後、唐突に騒々しい嵐のような音がぴたりと止んだ。呪いがビルの中に入ったのだ。
「帳を下ろします!」
 待機していた補助監督が数人がかりでビル全体に帳を下ろす。これで、中には呪いと夏油だけが残された。

 夏油はビルの最上階、何もないがらんとした部屋の中心に胡坐をかいていた。彼の周りには呪文が円状に描かれており、彼の存在と呪力を巧妙に隠している。
 非術師には見えないが、部屋にはいっぱいに低級呪霊が満ちており、その全てが夏油の指示を待っていた。
 照明をつけていないので、帳を下ろされた今、ぼんやりとした月光が僅かに室内を照らすのみだ。ぎい、と音をたてて部屋の戸が開く。開いた先は暗闇が口を開けている。一瞬の沈黙の後、突風が室内に吹き荒れる。夏油がまとめている髪も解け、風に舞った。
──チ、チカラ、チカラガホホホホシイ
──ヨコセ、ヨコセ
 禍々しい塊となった呪いが、部屋中の呪霊を引き寄せようとする。しかし、それは不発に終わった。
「随分とまあ、手間をとらせたものだね」
 よっこらしょ、と立ち上がった夏油はひたりと呪いを見つめた。群れを成しているからだろうか。突然現れたように見える呪術師にも呪いは怯まなかった。むしろ、どう痛めつけてやろうかと企んでいる節もある。
 夏油の正面。鼻先に近づいた呪いが彼を挑発した。その時だった。
──ケケ、ケッ……アアアアッ⁉
 呪いが身にまとっていた低級呪霊が次々に祓除されていく。更には周囲にいた呪霊たちが呪いに攻撃を加え始めていた。
「さっきまでの威勢はどこへいったんだ。早くどうにかしないと、オマエだけになってしまうぞ。はは、群れを率いて戦うのには慣れていないのかな。私が手本を見せてあげようか」
 突然、挑発する側からされる側、狩る側から狩られる側になった呪いは困惑の悲鳴をあげる。みるみるうちに纏っていた呪霊は剥がされ、元の呪いだけが残された。
「さあ、仕上げだ」
 夏油が一歩、呪文の円から足を踏み出す。その瞬間、空気が軋むような圧と共に夏油の呪力が部屋全体に満ちた。
「おおかた、目くらましの陣で格下相手だと勘違いしたんだろう。猿山の大将になったつもりで、ここまできた気分はどうだ」
 身動きが取れなくなった呪いの正面に夏油は立つ。
「何をするまでもないな」
 そう言いながら夏油が手をかざした瞬間、呪いは形を変え、しゅるしゅると玉の形をとった。祓除完了だった。

 事後処理を進めているうちに、日付を超えてしまった。事務所の奥に無理やり詰め込んだベッドへ横たわる。仮眠をとってから、報告書を作ろうと思っていた夏油の上に、巨大な塊がのしかかってきた。とはいえ、呪霊ではない。れっきとした夏油の友人だ。
「悟も今まで任務だったのかい」
……
「さとる?」
 答えない友人の髪を撫でる。夏油よりも大柄な体格をしている五条だが、その重さに耐えられないような鍛え方はしていないつもりだ。
 暫くそうしていると、胸元に埋まった五条がもごもごと何かを呟いた。聞こえなかったので聞き返す。すると、少しだけ顔を上げて、俺もここに住む、と言った。
「何を言っているんだ。こんな狭い所に大の大人が二人も住めるかよ」
……住むこと自体は否定しないんだもんな~……
 ぼそりと呟くと、五条は夏油の隣に転がった。やはり狭かったらしく、壁にぶつかって呻き声をあげている。
「あのさ」
「なんだい」
「アイツに姉か妹はいないかって聞かれたことがあってさ」
「理子ちゃんかい」
「そう。なんでだって聞いたら、夢に出てくるんだとよ」
「そうか」
 夏油は視線を友人から天井に移す。彼女がこの探偵事務所を訪れてから、ずっと〝その日〟が訪れるという確証があった。それが明日なのか、もっと先なのかは分からない。大事なのは、彼女自身がどうしたいか、だ。
「記憶が戻っても、戻らなくても、理子ちゃんには今を楽しく過ごしてほしいな」
「まあ、俺もそう思うよ」
 五条は隣にある温もりへ腕をまわした。こんなに狭い場所で、ここまで近い距離で隣り合って横になるのは、実は初めてではない。学生の頃ならば、狭いと騒いでいただろう。当時よりも体格がよくなって、余計に狭いはずなのだけれど。
「もし、」
「なんだい」
 なんでもない、と返して目を閉じる。もしも、どちらかの記憶がなくなったとして、なんて仮定を考えようとして馬鹿らしくなったのだ。先の夏油の言葉ではないが、記憶があろうとなかろうと、きっと二人で楽しくやっている。
「悟、そのまま寝るつもりじゃないだろうな」
「あ? なんだよ。今さら邪魔とか言うんじゃねーだろうな」
「邪魔っていうか、君、寝相が良すぎるんだよ。前に人を抱き枕にした挙句、全く動かなくなったことがあったんだ」
 トイレに行けなくて苦労したよ、と呑気に話す夏油を、照れ隠しついでにぎゅっと締め上げた。

     *

 商店街周辺に住む人々の安寧を脅かしていた呪いの対応は終わり、捨てても戻ってくる人形の被害もなくなった。呪いを祓うため、人々にはガス漏れの危険性があると伝えられていたそうだ。避難していた住民たちも全員無事に戻ってきている。
 平和が取り戻されたことで、夏油への依頼も普段通り、商店街の手伝いばかりに戻っている。今度は、毎年初夏に行われる、大福引抽選会の企画運営に呼ばれているらしい。最早、向こうも探偵に仕事を頼んでいるつもりはないのだろう。
 事務スペースにある自分の席に腰かけ、ぼんやりと天井へ視線を移す。
 上の階で、呪いと夏油との戦が繰り広げられたという。信じられないけれど、本当の話だ。探偵としてはともかく、街の人たちの仕事をこなしたり、気味の悪い呪いと戦ったりしている夏油は、自らの役割をしっかりと果たしているように見える。
 では、私はどうなのだろうか。手を伸ばして天井の照明にかざす。記憶のない私は、何かの役割を果たせているのだろうか。いつかの日、正体不明の占い師に言われた内容が頭をよぎる。
「記憶を取り戻したかったら依頼するといい。解決できる人間を知っているだろう」
 いつも財布に挟んでいる夏油の名刺を取り出した。探偵と書かれた名刺は色あせないまま、ひっそりと財布に仕舞われている。失った記憶を取り戻すために、行動してくれるような人。それはつまり、夏油のことを指している。
「ただいま。理子ちゃん、これ、八百屋の前店主から。いつもお世話になってるお礼だってさ」
「おお! 福引券ではないか。それにしても、またすごい荷物じゃの」
「当日使う機材や荷物を預かってきたんだ。今夜は雨の予報だっただろう。屋根があるところに保管しておくのがいいと思ってね」
 荷物を来客スペースに置いて整理を始めた夏油に名刺を突き出す。ぱちりと瞬いた探偵に、私は依頼をすることにした。
「私がなくした記憶を取り戻してほしい」
 記憶を取り戻したいと思っていた。同じだけ、取り戻すのが怖いとも思っていた。けれど、出会ってすぐに、夏油は言ったのだ。記憶を取り戻したくなったらいつでも依頼してくれ、と。だから依頼した。
 ここで働く間、彼の行動を目にする機会はたくさんあった。人となりも多少は掴めたと思っている。夏油にならば、任せられると思ったのだ。
 夏油は荷物の整理をしていた手をとめて、真っすぐにこちらを見つめてくる。
「いいんだね」
「うん」
 名刺を受け取った夏油は何度か瞬いた後に、来客用のソファへ手を向けた。
「ようこそ、探偵事務所へ。貴方の依頼を叶えます」
 いざ自分が案内される側になると、途端に頼もしく見えるから不思議なものだ。彼が探偵として推理をしている姿なんて見たことがないのに。
 夏油の言葉に頷いた私は、新鮮な気分で来客用ソファの座り心地を体感することになった。


第三話 失せもの探し

 高らかに鳴り響くのは、八百屋の前店主が笑顔で振りまわすベルの音だ。商店街で行われている初夏の風物詩、福引大会で見事一等を引き当てたのは、他でもない私だった。
「おめでとうございます! 沖縄二泊三日の旅、ペア二組様ご招待券です!」
 信じられない思いで、回転型抽選器から転がり出てきた玉を見つめる。金色のそれは間違いなく一等の印だ。顔を上げた先には、運営側として参加している探偵事務所の副所長、夏油の姿が見える。おめでとう、と口を動かしているのに、どこか複雑そうな表情をしていたのが妙に記憶に残った。

 さて、私は今、沖縄行きのチケットを持て余していた。一枚は私と黒井とで使うとして、もう一枚を両親に渡すつもりだった。けれど、指定された期間ではどうにも都合が悪いらしく、気持ちだけ受け取ると言われてしまった。
 他に都合がつきそうな友人を思い浮かべるも、どの子に渡してもペアチケットでは使い勝手が悪いのだ。首を捻る私の頭に、少しずつ、ある二人組の像が焦点を結んでいく。彼らに渡せばいいんだ。日頃の感謝の意味合いもあるし。私はすっきりとした気持ちで、鞄にチケットを忍ばせて職場へと向かった。

「めんそーれー!」
 白い砂浜、青い海。眩しい太陽に新品の水着。
「晴れて良かったですね」
 隣で微笑むのは黒井だ。ともすれば学生に間違われるほど童顔な黒井だが、私とは十以上も歳が離れているのだから、この世には不思議なことが山ほどある。
「前来た時とあんま変わんねーな」
……なんでお主も居るのじゃ」
 一枚余った沖縄旅行へのチケット。私はそれを副所長と所長に渡した。所長はぬいぐるみだけれど動くので、一人、もしくは一体にカウントされると思ったのだ。機内で、隣にぬいぐるみを座らせる成人男性になってしまう夏油には悪いが、仕方ないだろう。四人で空港へ向かい、沖縄の地に降り立ってすぐ、見覚えのある人影を見つけた。まあ、知り合いでなくとも目立っていたから、視界に入っていたとは思う。
 真っ白な髪をそのままに、目を覆うものを包帯からスクエア型のサングラスに変えただけで印象はがらりと変わる。無駄に整った容姿をさらけ出し、どこぞの芸能人もかくやという目立ちっぷりで五条はそこにいた。何故かそのまま観光にまで着いてくる彼に突っ込む隙がないまま、海まで来てしまったというわけだ。
「俺は任務で来てるの。遊びじゃねーんだよ。あ、傑う! あれ食お!」
「今食べたらお昼ご飯が入らなくなるよ」
「入るっつーの! ガキかよ!」
 はしゃいだ様子で海の家へと向かう五条へジト目を向ける。本当に任務なのか。任務だとして、こんなところで油を売っていていいのだろうか。伊地知曰く、五条は物凄く強いので大体の任務はあっという間に終えてしまうらしい。ならばさっさと終わらせてから遊べばいいのに、と思う。レインボーかき氷を買いに行くと走って行った背中を見送る。
「理子ちゃん」
 そうしていると、レジャーシートやパラソルの設置を終えた夏油から名前を呼ばれた。振り返ると同時に麦わら帽子を被せられる。
「本当に依頼を進めていいんだね」
 先日、私が探偵事務所の探偵に頼んだこと。自分が忘れている記憶を取り戻したい、という依頼。ここに来て念押しするのは、沖縄の地が記憶に関係しているからだろうか。
「うん」
「分かった」
 私が覚悟を決めたのと同じように夏油もなにかを決めたようだった。現在の表情は商店街で見たものとは違う。強い眼差しに射抜かれないように鋭く見つめ返す。すると、今度は不意をつくような穏やかな笑顔を浮かべるものだから、こちらの力も抜けてしまった。
「理子ちゃんの記憶を取り戻すよ」
 そういう約束だったもんね、と微笑みながら海の家へ、正確には五条を追いかけて行ってしまった。遠くで、買いすぎだの、これは絶対食べたいだのと騒いでいる声が聞こえてくる。大人二人の賑やかな様子に、所長はグローブを着けたまま器用に腕を組み、黒井は止めに入るか否かを悩んでいる。私はといえば、初めて会った時のことを覚えてくれていたことに気恥ずかしさを覚え、おろしたてのサンダルで砂を蹴ることしかできなかった。

 午前を海で過ごし、午後はフクギ並木のある場所まで移動した。先にソーキそばで腹ごしらえをして、近くにある水族館へ入る。夏休み前だからか、人でごった返しているということはなかったが、それでも多くの観光客が訪れていた。
「黒井、ジンベイザメがおるらしいぞ」
「ですね。見に行きますか」
「マップによると二階らしいが」
「ええ。こちらです」
 色鮮やかなサンゴや熱帯魚の水槽を通り過ぎ、黒井が先行して案内する。館内マップを見て動いているのかと思いきや、黒井はずっとこちらを見つめている。
「理子様。行きましょう」
「う、うん」
 伸ばされた手をとり、歩きだした。

 この水族館は三階に入口がある。四階から一階までテーマごとに海の生き物が展示されており、ジンベイザメがいる二階、黒潮への旅というエリアには、珍しい生き物をひとめ見ようと多くの人が集まっていた。
 確かに離れたところから見ても巨大な水槽だ。中を泳ぐ魚影がジンベイザメなのだろう。少しずつ前へと移動していき、思いがけず水槽の正面に立った時、私はデジャビュを感じた。
 デジャビュとは、一度も経験したことがないはずなのに、以前にもどこかで経験したかのように感じることを指す、らしい。夏油がなにかの折に解説してくれた。
 過去の実体験としての感覚が伴うため、本人は強烈な違和感を覚えるのだそうだ。その状態が今である。
 いや、本当にそうなのだろうか。
「私、もしかして、ここに来たことがあるの」
 黒井は何も言わない。言わないまま、私の手をぎゅっと強く握っている。所長を抱く夏油も、その隣に立つ五条も、無言のまま大きく深い海のような水槽を見上げていた。

 水族館を出て、宿泊先のホテルへ移動した。やはり五条は着いてきた。
 ロビーでチェックインを待つ間、そっと近くに寄り、気になっていたことを聞くことにした。五条の任務とやらは、私の記憶を取り戻すことなのか、と。
「だったら?」
「え」
「だったらどうすんの」
「どうも……せんの」
「だろ。あんまり考えすぎないでさ。せっかく福引で一等を当てたんだ。もっと気楽に楽しめよ」
 夏油に被せられた麦わら帽子の上からぽん、と頭を軽く叩かれる。叩かれた箇所に手をやりながら、五条に言われたことを反芻した。
 そうだ。確かに、私は記憶を取り戻そうとしている。けれど、だからといってこの沖縄旅行を楽しまない理由にはならないのだ。たまには五条も良いことをいうじゃないか。そうと決まれば、のんびりチェックインを待ってなんていられない。
「黒井!」
「っ、はい!」
「散歩に行こう! 日が沈む前のビーチを歩くのがオススメらしい! 白い砂浜と東シナ海に沈む夕日は格別だそうじゃ」
 突然の宣言に、目を白黒させていた黒井だったが、私が手を引いてロビーを飛び出ると、自然と笑顔が戻ってきた。この数年間、私が近くで見てきた笑顔だ。
 黒井が私の世話係を始めたきっかけについての記憶はない。けれど、今日まで過ごしてきた記憶はある。商店街のケーキ屋で黒井の好きなケーキを買って帰ったとき、黒井からおさがりでもらったワンピースを着てみせたとき、好物ばかりの料理で黒井の誕生日を祝ったとき。誰よりもその笑顔を見つめてきたのは私なのだ。
 ここにない記憶だけじゃない。今ある記憶だって、人生の一部だ。それならば、沖縄旅行を名一杯楽しまなければ損だろう。繋いだ手は温かく、そして共に過ごしてきた月日を感じさせるくらいに柔らかかった。

 東京都、筵山。その麓に、話には聞いていた東京都立呪術高等専門学校がある。広大な森に囲まれ、いくつもの鳥居をくぐっていった先が呪術高専の敷地内だった。
「お疲れさま。ここが呪術高専だ」
 長い階段を汗だくになりながら、ようやく上り終えた私たちは夏油の労いの言葉に体の力を抜いた。黒井から手渡されたハンカチで汗を拭う。
 それにしても、夏油も五条も全く呼吸が乱れていない。日頃から鍛えているのだと気づいて、なんとなく悔しい気分になった。
「天元様のいる薨星宮へは特別な行き方をするんだ。しっかり着いてきてほしい」
 ここまできたら、あとはなるようになるだけだ。普段通りに踏み出した一歩が急に重たく感じた。
 薨星宮のある最下層までは昇降機で移動できるのだそうだ。流石に、四人と一体が乗り込むと、大型の昇降機といえども威圧感があった。ゴウンゴウンと響く機械音以外は、沈黙が箱の中に満ちていた。
 昇降機の下り場からは無数の通路が伸びていたが、夏油は迷わずに一つの通路を選んだ。黒井と手を繋いだまま歩く。先頭には夏油、後方には五条が歩いていた。
「到着だ。薨星宮の本殿だよ」
 だだっ広い空間が目の前に広がっている。その中心には御神木なのだろうか、巨大な樹木が地下を貫いていた。見るものを圧倒する、不思議な光景だった。
「このまま真っすぐ下りて大樹の元まで行けば、天元様という術師がいる。あの日、記憶を消したのは天元様だ。交渉は本人と行うのがいいだろう」
「分かった」
 緊張しながら階段に足をかける。天元様とやらは、私の願いを聞いてくれるのだろうか。そのまま次の段を下ろうとしたところで、声がかけられた。
「天内理子」
 驚いて振り向く。聞いたことがある声だった。知っている声だった。あまりにも勢いよく振り向いたために、私は階段から足を滑らせて、そして、そして。

 遠くで複数人が話す声が聞こえる。
 薄らぼんやりとした意識の中、聞こえてきたのは若い男の「記憶を消すんですか」という問いかけだった。
「君たちはどのように説明されて、この任務を受けましたか」
……不死の術式を持つ天元様は、不老ではない。長い年月を生きていると術式が身体を作り変えようとしてしまう。そうして進化が促され、高次の存在となってしまった天元様には意志というものがなくなる恐れがある」
「そうなると、アンタが俺らの敵になるかもしれない」
「大体は合っています」
 初めに疑問を呈した男に加え、別の男と、穏やかな女の声が聞こえてきた。進化やら、次元やら難しい話をしているみたいだ。
「私が星漿体と同化しなかった場合、進化は進む。その時、私の存在が人類に仇なすものになっている可能性はゼロではありません。もし、そうなった場合、星漿体が自らの行動を過失と認識し、自責の念に囚われないと言い切れるでしょうか」
 女の語りに男二人は反論しなかった。彼らが何も言えないでいるうちに、女はセーラー服を着て横になっている少女に近づいた。私だった。
 私の額の辺りへ手を伸ばした女の指先に白い煙のようなものが集まっていく。それから、すっ、と手を引くとなにごともなかったかのように下がっていった。
 同時に頭の中にかかっていた靄のようなものが晴れ始める。思い出した。全部。あの日あったこと、私が経験したこと、考えてたことその全てを。

 はっと意識を取り戻す。体の節々は痛むものの、どこかを特別に痛めているというわけではなさそうだ。ほっとして、薨星宮の中心を貫く木を見上げていると視界に視たことのない異形が入り込んできた。
「おわっ! なに者じゃ⁉」
 驚いて上半身を起こすと同時に眩暈がした。咄嗟に体を支えてくれたのは黒井だ。
「驚かせましたね」
 目が四つある異形は穏やかな口調で語りかけてくる。夢の中で聞こえてきた女の声と同じだ。私の脳内で点と点が結ばれた気がした。
「もしかして、天元様?」
「いかにも」
「妾、あれ、私、記憶が」
「先ほど記憶の封印を解きました。今の貴方にはあの日失った全ての記憶が戻っているはずです」
 はっと隣を見れば、潤んだ瞳でこちらを見つめる黒井がいた。私が星漿体に選ばれ、親元を離れて暮らし始めた四歳の頃に世話係として来てくれた黒井。私の大好きな人。大切な家族。
「ッ黒井!」
「お嬢様!」
 体を捻って黒井に抱き着く。記憶を失う前も、後も、ずっとそばに居てくれた。かけがえのない人だ。そして、これから一緒にいてくれる人。ぐすぐすと鼻を鳴らしながら周囲を見まわすと、色んな意味で見知った二人と目が合った。
「お主ら……
 正直な所、不思議な感じだ。夏油や五条とは職場での付き合いが長い分、実は以前から出会っていたと告げられても、そんな気がしない。けれど、なんだか新鮮な懐かしさを覚えた。
「変な前髪も健在じゃな」
「あれ、思い出さなくてもいい部分まで思い出したのかな」
「冗談じゃ」
 夏油に向き合い、頭を下げる。
「今日まで、私たちを見守ってくれてありがとう。五条も」
「オマケみたいに言うな」
 拗ねたような五条の肩を夏油が軽く叩いて慰める。この二人も、ずっと変わらずに居たんだな、とそう感じた。
「天内理子」
「はい」
「記憶を消したのは私です。記憶を残したまま生きることは、常人には耐えられないと思っていました。その考えは今でも変わっていません。あの時、同化が行われなかった私は進化した。現在の私の意思はここだけではなく、あまねくに広がった。結果的に私はこの姿を維持している」
……私は」
 天元様と向かいあうために立ち上がる。生まれてからずっと特別だと言われ続けて育てられてきた。特別が当たり前だった。目の前にいるのは、私と同化するはずだった人。私と一つになるはずだった人。きっと彼女も特別だって言われて、今ここにいるんだろう。
 まさか、こんな気持ちで天元様と向かい合う日が来るとは思わなかった。
 でも、どうしても、まだ生きていたい。そう思ってしまったから。
「私は、私のエゴで同化を拒否しました。もっと皆と生きていたいと思ってしまったんです。それをなかったことにはしない。ごめんなさい。同化に応じられなくてごめんなさい。一緒に生きていくことを選べなくてごめんなさい。それから」
 ぐっと息を飲み込んで、もう一度しっかり視線を合わせた。
「今まで、見守ってくださって、私の意思を尊重してくださって、ありがとうございました」
 気がつけば、天元様はいなくなっていた。私の言葉は届いたのだろうか。届かせたい、というのも私のエゴでわがままだ。記憶を取り戻したからには、私は自分のエゴと向き合って、忘れずに生きていく。
「お嬢様」
 黒井と。
「理子ちゃん、帰ろう」
「ほら、帰るぞ」
 周りで支えてくれる人たちと、一緒に生きていく。

     *

 探偵の仕事には、どのようなものがあるかを知っているだろうか。代表的なものでは、行方・所在調査やストーカー調査、浮気調査に、信用調査などが挙げられる。けれど、この探偵事務所では少し違う。この探偵事務所の副所長兼探偵の夏油に依頼されるのは、主に地域の活動支援だ。
「ただいま」
 大量の野菜を含めたお礼の品を貰ってくる、推理しない探偵。
『傑、今日の午後に伊地知が来るそうだ』
 自動音声読み上げシステムを使って話す、ぬいぐるみの所長。
「スケジュール管理をしますので、そういうことはもっと早く伝えてください」
 私の世話係にとどまらず、探偵事務所でも秘書をするようになった黒井。
「傑、この荷物はどこに置けばいい」
「ああ、それは来客スペースにお願い」
「オッケー」
 何をするでもなく夏油に会いに来る五条。
……まあ、平和なのはいいことじゃ」
 そして敏腕事務員の私で切り盛りしている探偵事務所だ。
 カラン、とドアベルが鳴り、探偵事務所の戸が開く。入ってくるのは、商店街の住人か、それとも呪術高専の補助監督か。最近知ったことだが、大穴で、探偵業務を依頼してくる新規のお客さんだ。聞いたところによると、空いている階に、呪いが見える非術師のセーフシェルターみたいなものを作る予定だから、その業者が挨拶にきた可能性もある。
「こんにちは、いらっしゃいませ!」
 誰が来てもいいように、元気のいい挨拶はかかさない。
 当事務所が得意なことは、地域に根差した活動。それと副業の呪霊祓除。世にも珍しい、探偵と兼業の呪術師がいる探偵事務所を、どうぞよろしくお願いしたい。ほら、収入とか世間体とか、そういう面からも、割と、切実にの。

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