カルみと 煙草とキスの話
シナリオネタバレなし 宿舎世界線
@popo_trpg_ss
喫煙者は、非喫煙者とのキスを甘いと感じるらしい。
過去の世界から元の世界へ戻る日の帰り際、神無三十一はそんな知識を聖心から教わった。
ひそひそと内緒話でもするように囁かれたそれに思わず赤い顔を上げれば、彼はくすくすと楽しそうに笑って「狩魔ちゃんによろしく」と手を振って見送ったのだ。
今回は偶然にも縞斑は共に過去に来ていなかったから良かったものの、戻ってからしばらく顔の火照りが冷めずディーノたちに心配を掛けたものである。
そうして新たな知見を得てから数日後。互いの仕事の休みを縫った二人は、久しぶりに逢瀬の時間を迎えることが叶ったのだ。
「……、」
照明を落とした薄暗い部屋で、画面から発される仄かな光に照らされる縞斑の横顔を神無はちらりと眺める。
二人で選んだ推理映画の物語は中盤に差し掛かり、縞斑は自身の中でも犯人を推理しているのかぶつぶつと独り言を呟いていた。
そんな彼の薄い唇に、神無は無意識に目が吸い寄せられる。
「……っ」
映画内の音響演出に驚いてはっと我に返った神無は、ぷるぷると首を横に振って考えを散らそうと試みた。
しかし、どれだけ忘れようと言い聞かせても聖の言葉は脳裏に強く焼き付いて離れそうにない。
縞斑は自他ともに認めるヘビースモーカーだ。
一日に一箱以上煙草を開けることがあると話す彼は間違いなく喫煙者であり、一方神無は生まれてこの方煙草を吸ったことのない非喫煙者である。
聖の話が本当ならば、縞斑は自分とのキスを甘いと感じているのだろうか。
そんな疑問と興味が頭から離れない神無だが、自分とのキスは甘いのか?と真正面から聞くのはどうにも気が引ける。
「……神無ちゃん?」
「ひゃいっ?!」
ふと、唐突に縞斑が名前を呼んだ。
飛び上がりそうなほど驚いた神無が慌てて視線を持ち上げれば、一度映画を止めた縞斑が心配そうに神無の顔を覗き込んでいる。
「さっきからずっと上の空で俺のこと見てるけど、どうかしたの?」
「え、いやあの、えっと……」
「何か困ったことでもあった?」
神無が言えない悩みを抱えているのではないかと、縞斑は心配するように眉を下げた。
僅かに距離が近づいて、よりいっそう近くで見えるようになった唇から目が離せなくなる。
「えっと、あの……キスが、」
「キス?」
「キスが……気になって、その」
しどろもどろと紡いだ言葉は全く意味を成さず、キスが気になるってなんだよ、と心の内で自らにツッコミを入れて神無は呻いた。
そんな神無のことを不思議そうに見つめていた縞斑は、そっと神無の手を取って引き寄せる。
油断して力の抜けていた神無がすんなりとそちらへ体を傾ければ、目が離せなかったその唇が自身の唇と重なった。
ちゅ、と小さなリップ音を立てて離れていく少しだけかさついた感触に、神無が唖然と目を丸く見開いていると、縞斑は再び首を傾げる。
「もっとする?」
考えるより早く神無はこくんと頷いていた。
だって仕方がない。目の前に甘くて美味しいスイーツが出されて、食べるなという方が難しいのだから。
反射的に頷く神無の様子を、喉を鳴らして笑った縞斑は、腕を持ち上げて神無の後頭部に手を添えて引き寄せる。
先ほどの触れるだけとは違う、呆けて開いたままの唇の隙間からぬるりと滑り込む舌の感触に、神無はぴくりと小さく肩を揺らした。
「ん……っ、ぅ」
絡めた舌先から伝わる痺れるような快感に堪らずぎゅっと縋れば、縞斑は神無の腰を抱き寄せてよりいっそう密着をする。
翻弄されるだけは悔しい神無だが、一回り以上年上の経験豊富な彼を相手に手玉に取ることなど不可能だった。
「っぁ、ん……っむ」
どちらのものかも分からない唾液をこくりと嚥下する神無の鼻腔を、煙とコーヒーの香りがくすぐる。
最初は苦いと感じていたその香りだが、今では縞斑とキスをしていると実感する幸せな感覚の一部になっていた。
両手で懸命に縞斑に縋ってキスに応えていた神無だが、やがて息が続かなくなって訴えるようにとんと彼の胸を叩く。
「ぷ……は、っ」
そっと唇を解放された神無は、すっかり酸欠になってしまった体を傾ける。
すぐに抱き留めた縞斑の腕の中で呼吸を整えていると、息ひとつ乱れた様子のない縞斑が顔を覗き込んで唾液に湿った唇を開いた。
「それで、キスがどうかしたの?」
神無の気になることとキスをすることはおそらく直接関係のあることではないと考えていたらしい縞斑は、ひとまず据え膳を食らってから改めて神無に尋ねる。
そんな下心に正直な縞斑の思惑に気づく余裕のない神無は、まだ熱い自らの唇に手を当ててぽつりと呟く。
「……俺とのキスって、あまい?」
想定外の質問に、ぱちりと縞斑が目を瞬いた。
いたって真面目な様子の彼に返す最適解が分からなかった縞斑は、思うままに答えようと考え直して言葉を続ける。
「それは……うん。神無ちゃんさっきプリン食べてたし、カラメルの味がしたかな」
その言葉を聞いた神無は、ぴしゃーん!と雷に打たれたような衝撃を受けて大きく身をのけぞった。
「そうじゃん……そうじゃん!そもそも俺いつも甘いもの食べてるんだから甘くて当然じゃん!?」
「……うん?」
聖から情報を得たときは晴天の霹靂のような衝撃を受けた神無だったが、よくよく考えてみれば常日頃から甘いものを食べている彼にとって甘い匂いがすることは当たり前だ。
ひょっとすると聖はそれまで見越して、自分を揶揄っていただけなのではないだろうか。そう肩を落とす神無の百面相を眺めていた縞斑は、不思議そうに首を捻る。
「どうかしたの?」
「……聖先輩が、煙草を吸う人は吸わない人とのキスを甘く感じるんだよって教えてくれたんだけど…………」
「あー……そういうこと」
ぽそぽそと小さな声で打ち明けられた話を聞いた縞斑は、呆れたように小さく眉を寄せて頭を掻く。
過去の世界で暮らす聖心という男は、縞斑の恋模様について神無に何かと世話を焼いていたらしい。
ゲイを公言する彼にとって、初めて男を好きになって戸惑う神無はよちよち歩きのペンギンのようで可愛くて仕方がないのだろう。
普段は豊富な経験を元に的確なアドバイスをする彼だが、時々純粋な神無のことを揶揄うときがあった。
「まったく……今度彼の恋人にきつく躾けてくれって文句を言わないといけないな」
「……?」
「神無ちゃんも、彼に律儀に感想を話す必要はないからね」
「え、で……でも、」
試してみてねと笑って送り出された以上、次に会った時は実験結果を報告しなければいけないのではないか。そう言いたげな神無の様子に思わず頭を抱えそうになった縞斑は、彼の顔を覗き込んで強く言い聞かせる。
「神無ちゃんは、いつも甘いもの食べてるって彼にバレていいの?」
「え、」
「彼に話せばきっとあの世話焼きな宿舎責任者の耳にも入るだろうし……そうしたら甘いもの食べ過ぎだって制限されちゃうかもしれないよ?」
それを聞いた神無の顔色がさっと青くなった。
神無が過去の世界で厄介になっている宿舎は、帰代変という責任者が食事などの健康面を特に厳しく管理しているのだ。
万が一にもそんな帰代の耳に『神無はいつも甘いものを食べている』という話が入れば、きっと彼は過去にいる間だけでも神無の健康を気遣って糖分摂取を制限することだろう。
それは神無のためを思った行動だと頭では理解しているが、過去の世界でしか食べることができない駄菓子や食べ歩きを逃すのはいただけない。
「よ、よくない……!だめ!!」
「そうでしょ?だから彼にこのことは内緒。いいね?」
こくこくと何度も頷く神無を見てほっと小さく息を吐いた縞斑は、安心するように彼の背を撫でる。
「ほら、映画見よう。覚えてないところから巻き戻していいから」
「うん……えっと、確か調査の途中の……」
映画に意識を戻してリモコンを手に取る神無を横目に、縞斑はどうにか上手く言いくるめることができたと内心胸を撫で下ろしていた。
聖に神無がいつも甘いものを食べていることがバレるなど今更だ。そんなことをしなくとも聖はとっくに気がついていることだろう。
それより問題なのは、そんな頻繁な糖分摂取と同等にキスをしているということを聖に察知されることだった。
そんなことが聖に知れたら、きっと散々揶揄われるに違いない。どんな考えも見透かすような彼の眼差しが、縞斑はどうにも苦手なのだ。
「はー……緊張したらお腹すいた……」
「冷蔵庫にプリンあと一個残ってなかった?」
「そうだ!お楽しみに取っておいたやつ!」
そんな縞斑の苦労などつゆも知らず、神無は安心した様子で頬を緩めてぱたぱたとキッチンへ駆け出す。
神無は果たして、あちらの世界で上手く聖をやり過ごせるだろうか。甘いものを取り上げられるという勘違いを抱えた彼が簡単に白状するとは思えないが、おそらく縞斑の入れ知恵は見破られることだろう。
「煙草止めてみるか……?」
思わず呟いた独り言は、幸か不幸か冷蔵庫を開けた神無の呑気な歓声にかき消されて消えるのだった。
終