ACT4、開幕から1年おめでとうございます~!!
幼ディシーとラオとの一幕のSSです。
はじめて見たとき、ラオというキャラクターに本当に衝撃を受けまして……。
ヘンゼルとディシーの関係も好きですが、ラオとディシーの師弟関係も大好きです。
素晴らしい舞台に感謝を込めて。
@pressholiday
「ラオ」
呼ばれて、魔女は膝に縋ってきた幼い弟子を見やった。
「なあに、ディシー。魔導書を読んでいたんじゃなかったの」
「……飽きた」
ぷくっと頬を膨らませて言う弟子に、そっか、とラオは笑う。大分難しい言葉も覚えてきているが、魔導書は専門用語も多い。ディシーは賢く、魔法の飲み込みも早いが、まだまだ幼く未熟な身だ。限界を迎えてしまったのだろう。
「そう。今は針を持っていて危ないから、少し離れなさい」
言うと、弟子は素直に桃色の髪を揺らして、一歩引いてから「見てていいか?」と聞いてきた。
いいよ、と頷くと近くから椅子をずるずると引っ張ってきて、その上に腰掛けた。背もたれ付きのそれは幼い弟子には大きくて、物語に出てくる王様の椅子のように見えた。椅子の上にスカートが広がっているから、女王様の椅子か。
布をたっぷりと使い、くるりと回ると綺麗な円を描くように作られたワンピースはディシーのお気に入りで、森の奥に入らない日はいつもそれを着ている。今日もいそいそと箪笥から引っ張り出して、着こんだ後にくるりと鏡の前でターンをしているのを、ラオは通りかかった廊下から見かけていた。
椅子から落ちない位置に座っているのを確認して、ラオは針を動かす手を再開した。汗っかきの肌に合わせて選んだ綿麻の生地に、生成のレエスと白のリボン。柔らかに織られたリネンを通る針糸の感触は独特で、夏の匂いがする。
「ねえ、……、何を作っているんだ?」
「君の服だよ。それも大分傷んできたし……また背、伸びたでしょ。新しいの、欲しくない?」
「……」
言われて、ディシーは自分の服を見下ろした。
「……別に、いい」
首を振りながら、ぎゅっと服の裾を掴んだのを見て、ラオは心の中で苦笑する。本当に、子どもというのは素直だ。口は大分生意気を言うようになったが、こういうところは全然変わらず、愛らしい。
「何も、それを捨てろって言ってるわけじゃないよ?」
ラオは言いながら端まで縫い終えた糸を針に引っ掛け、くるくると回すと引っ張って留めた。縫い目が揃っていることを確認して、鋏で糸を切ると、ピンクッションに針を刺す。
「ディシー、おいで」
ラオが呼ぶと、ディシーは服の裾を掴んだまま、菫の瞳でラオをじっと見つめてきた。オレンジ色のランプを弾く瞳は澄んでいて、穢れがない。熟れる少し前の桃のようなまろい頬に、ラオは胸の奥底から溢れてくる温かなものを形にするようにして、再度弟子の名を呼んだ。
「ディシー」
弟子は、ラオの言葉に吸い寄せられるようにして椅子を降りた。長いワンピースの裾が椅子に残って、花嫁のヴェールのように伸びる。
(この子もいつか、誰かのものになるのかな)
ぼんやりと椅子から布が落ちるのを見つめていると、直ぐ近くで名を呼ばれた。
「ラオ」
「ん、……ああ、ディシー。そこに立って。真っ直ぐに」
「こう?」
言われて、ディシーは踵を揃えて背筋を伸ばした。
ラオも立ち上がると、先ほどまで縫っていた布を振って広げた。まだ完成までは遠いものの、既に服の形は出来ている。今の身長で型紙を起こしたから大丈夫だとは思うものの、確認は必要だ。
ラオは弟子の前に立ち、改めてその小さな身体を見た。まだまだラオの胸の辺りまでしか身長はないが、初めてラオの元を訪れたときからは倍くらいに大きくなっている。手足の成長に体重が追い付いていない感はあるが、その分鹿のようにしなやかだ。この小さな身体が、森を風のように駆け、少しの凹凸があれば太い木の上まで登れることをラオは知っている。──そう、痛いくらいに。
桃の髪はいつの間にやら伸びて、耳の下でくるくると巻いていた。少し前、余りにも癖が強く、櫛が通らないのに腹を立てたこの子の要望に合わせて短く刈ってしまったが、このまま髪を伸ばすのか、短い方がいいのか聞いてやらなければ。長い髪なら小さい花を沢山に、短い髪なら大ぶりな花を飾ろう。どちらを選んでも、この桃色にはよく似合う。
「ディシー」
ラオが鶸色の目を向けると、ディシーは両腕を持ち上げ、真っ直ぐに伸ばした。ラオがディシーのために服を仕立てるのはこれが初めてではなく、都度サイズ合わせにこうして両腕を広げることをディシーは把握していた。いい子だね、とラオは頷いて、持っていた布をディシーの肩に合わせて当てた。
「うん、バッチリ」
「ラオ、これ……」
「夏用のワンピース。それと同じようにギャザーを沢山寄せたからね。ターンすると、きっと綺麗に広がるよ」
好きなんでしょう、と続けると、少し決まり悪そうにディシーは目を逸らしたが、それでも新しいワンピースが嬉しいのだろう。唇の隅っこが笑みを隠せないでいる。
「襟と裾にはレエスもつけるけど、その分引っ掛けやすくなるから気を付けるように」
「! 絶対に破かないようにするから」
ばっと師匠の顔を見上げる菫に、ラオは苦笑を返すと、ぽんぽんと肩を叩いてやった。
ディシーは顔を緩めると、自分の身体に当てられた未完成のワンピースを抱きしめる。
「レエスって、それ? リボンも?」
「そう。襟はレエス編みで作ったから、後でね」
「襟まで? すごい、絵本で見たお姫様のお洋服みたいだ……」
ディシーはくるりとワンピースを自分の方に向けると、長年恋焦がれたこいびとのようにそれを抱きしめた。
「お姫様、は言い過ぎだね。そんな凄いものじゃないよ」
「そんなことない! こんなお洋服まで作ってしまう、本当にラオの手は凄い魔女の手だ。なんでも生み出す魔法の手」
ディシーは手を伸ばし、二回りほど大きいラオの手に触れた。
「魔法なんて……」
ラオは、子どもの手が乗せられた、自分の手を見た。
(私は、もう、魔法を滅多に使えない。この手で地道に作業することしか、できないのに……それでも、凄い魔女と、この子は呼んでくれるのか)
通常の方法での魔力の補充 を受け付けなくなった身体は、魔法を使うたびに死の方向へと針を進めていく。だから、ラオは今の生活のほとんどを魔法に頼らずに送っていた。
質素に、慎ましく、堅実に。
それは初めに教わる魔女としての心得ではあるが、それをラオは、つい最近になるまで意識してこなかった。
(でも、この子はきっとそういうわけにはいかない。私に弟子入りしてしまったばっかりに……)
ラオは小さく首を振ると腰を落とし、作りかけのワンピースごとディシーを抱きしめた。
「わぷ、なんだ、ラオ、突然っ! 私はもう小さい子どもじゃないんだぞ」
「ふふ、知ってるよ」
小さく暴れる身体を抱きしめる腕に力を籠め、じんわりと伝わる身体の温かさを噛み締める。
「知ってるって、わかってないだろう!」
「ごめん、ごめん」
耳元で叫ばれ、ラオは眉を顰めながらディシーを解放した。
まだ不満げに睨みつける弟子の顔を見つめ、ふと思う。それは言葉になり、ラオの唇を動かした。
「魔法を教えてあげようか」
「魔法?」
ディシーは目を瞬かせ、ことん、と小さく首を傾げる。
「そう。……さっき自分で言ったでしょう。『こんな服が作れるなんて、凄い魔法』だって」
「え……」
ディシーは抱きしめた作りかけのワンピースを見下ろし、そして自分が今着るワンピースの裾を持ち上げた。
「私にも、作れるのか」
「練習すれば、きっとね。……ちゃんと身に付くかは、ディシー次第だけど」
「やる! 教えて、頑張るから」
小さな手がラオのブラウスの袖を掴む。ぎゅっと力が籠められた手に、ラオは鶸色の目を細めた。
(魔法を使わなくとも、この子が立派に生きていけますように)
ラオは立ち上がると、作りかけのワンピースを受け取り、弟子に笑いかけた。
「これが出来上がったら時間が出来るから、少しずつね。初めはハンカチを作るところから……」
* * *
「ディシーさんの手って本当に魔法の手ですよね」
「うん?」
ディシーは青い刺繍糸を布に潜らせる手を止め、顔を上げた。
すぐ傍にほっかむりした家事手伝い兼自称弟子がいて、内心少し驚きながらも、ディシーは首を傾ける。
ディシーはただ刺繍をしていただけで、特に魔法は使っていない。
「魔法は使っていないが」
「それですよ、それ」
ヘンゼルが目で手元を指してくるが、ただ針糸と刺繍枠に嵌った布があるだけで、魔方陣も何もない。
「?」
「だから、その、刺繍」
「これか?」
ディシーは刺繍枠を持ち上げて、家事手伝い、もといヘンゼルにそれを示す。
「そう、それです。凄いですよ、今にも動き出しそうなんですもん、その蝶々」
ヘンゼルの色違いの目が見つめる刺繍枠の真ん中で、青と緑、金の糸が幾重にも重なって、一匹の蝶が生まれようとしていた。
「別に、魔法なんかじゃない。街の大きな仕立て屋に行けば、これくらいの刺繍が出来る職人は沢山いるだろう」
「でも、僕にはできないですもん。“自分が出来ないことが出来る”のは、僕にとっては魔法みたいなものですよ」
「ふうん……」
ディシーは頷きながら、糸の長短と向きで光沢と模様が浮いた蝶の羽を見た。
(魔法、ね……)
──凄い魔女の手だ。なんでも生み出す魔法の手。
魔法を教えてあげよう、と言った師匠の手が示して見せたのは、地道な努力と繊細な作業の繰り返しだった。手を抜けばすぐに綻ぶ、近道などない、神経を使った細やかで時間のかかる作業。だが、ただの糸が花や蝶に、四角い布が美しく曲線を描く様は、その過程を知らなければ、魔法のように見えるのだろう。ディシーがラオの作る服を見て、そう思ったように。
「そうだな……お前、魔女の弟子、なんだったか?」
「へ? ええと、はい、そうです」
箒を握って背筋を伸ばす外からの迷い子に、森の魔女は微笑んで見せた。
「箒に乗ったり天候を操る魔法は無理だが、お前にも使える魔法があるぞ」
「え」
目を見開いてディシーを見つめる色違いの目に、ディシーはほら、と刺繍枠と針を持ち上げて見せた。
「これも魔法なんだろう? ……まあ、使えるようになるかはお前の努力次第だが」
無理にとは言わないが、とディシーが首を振ると、「やります」と思いのほかはっきりとした答えが耳に届き、ディシーは改めてヘンゼルの顔を見た。
そこにあるのは照れや苦笑ではなく、真剣をそのものの表情で、ディシーは目を瞬かせた。
「是非教えてください」
「お前……」
ヘンゼルを見つめるディシーに、ヘンゼルは大切なことを告げるように、唇を動かした。
「だって、それは心を繋ぐ魔法でしょう?」
一本の細い糸が布を繋ぎ、一つの形を作っていくように。
「僕たちの奇跡は、僕の服を直してくれた……ディシーさんの、その魔法から生まれたんですから」