堀川国広と主、そして彼女を取り巻くみんなの話。
審神者愛されです。
時系列は大倶利伽羅編が終わって、まんばが修行に行くまでの間あたり。
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《堀川国広の香とイタズラ》
「ほりちゃん、いつもありがとね。みんなのお洗濯、大変じゃない?」
「とんでもない、すごく楽でびっくりしたぐらいですよ。業務用の洗濯乾燥機が四台なんて! 仕分けもいらないし、シーツもバスタオルもいっぺんに洗って畳むだけでいいから凄く楽です」
「みんなには練度上げに集中して欲しかったから、生活はできるだけ楽にしたくて。ちょっと奮発しちゃった」
はにかんだ主人は、頬を掻きながらすこし困った顔をした。
「ごめんね、ほんとはお掃除やお洗濯も手伝うべきだと思うんだけど、さすがにそっちまで気を回すと頭ぐちゃぐちゃになっちゃって」
「気にしないでください。指揮官が雑事にわずらわされないようにするのも僕らの仕事ですから」
「ありがとうほりちゃん。すっごく助かってる。任せるね。頼りにしてる」
「はい。お任せください。こういうのは得意なんです」
胸を張った堀川国広に、主は小首を傾げて穏やかに微笑んだ。
「必要なものあったらいつでも言ってね。長谷部や博多に伝えてくれてもいいから。洗濯機もう一台あった方がいい?」
「いやいやいや、もう充分ですよ!」
「これから新しい刀も増えてくだろうし、手狭になったらいつでも声かけてね。他に何か困ってることない?」
微笑む主に、堀川国広は、にこやかに微笑み返しながら、内心でわっと苦笑した。
(わー、あるじさん本当にこういう感じなんだね……僕、業務用洗濯機がいわゆる『給料三ヶ月分』より高いって知ってるんだけど)
それが四台だ。ということは、若手男性の年収程度はかかっている、と堀川は理解していた。
しかも、本丸の運営費ではなく、どうやら主人の私財から出ているようなのだ。彼女は高給取りな仕事をしているだけで、恵まれた家柄の生まれということもなく、元々は無一文に近いらしいのに。
苦労して稼いでるんだから、もうちょっと自分のために使って欲しい。
(僕ら、あるじさんみたいな女性の手と違って、そうそう手が荒れたりしないし、桶で手洗いでも文句ないのに)
短命な人の子と違って、毎日たっぷり眠らずとも毎食取らずとも問題ない強靭な肉体を持つ刀剣男士には、人間よりずっとたくさんの時間がある。
それを主人のために使うのは惜しくないのだけれど、堀川国広の主は、その時間も惜しみたいのだという。
(気をつけなきゃなあ。僕らの主は、僕らのために何でも売っちゃうって博多くんが言ってたし)
刀剣男士たちは人間と違い、そこまで代謝が高くない。人の子が汗だくになるような暑さでも、けろりとしていることもザラだ。
だから寝具だって月に数度も交換すれば充分だし、この本丸は運営年数に比して刀数だって著しく少ない。
全刀剣男士のシーツをひっぺがしても、業務用洗濯機がこれだけあれば一瞬で終わる。後は畳んで、皆の部屋に置いておけばいいだけだ。戦の血汚れ、畑作りや馬当番で出た汚れ物や厨のエプロンまで全て回収したって、これだけの設備があればぐんと楽だ。全て手洗いさせている本丸だって多いのに。
堀川一人で全員の面倒を見ても手が足りるほどなのに、この本丸は粟田口の短刀を中心にとても協力的だから、本当に楽をさせてもらっていると思う。
「困ってること…困ってること…あっ」
「なあに? 何でも言って」
「実は、ちょっとお世話し足りないんですよね。すごく楽させてもらってるから」
この本丸では主が滞在するのは月に一度だから、月一で主人の寝具を整えておくだけでいい。
本当なら一番洗濯物が出てお世話が必要なのは人間の主のはずなのだが、それが不在なものだから、実はだいぶ世話をし足りない。ほんとに。
「? お世話したい?」
「脇差の性っていうか……兼さんのお世話はもちろんですけど、ほんとはあるじさんのことも、もう少し身の回りのこと、お世話させて欲しいんですよね」
この本丸は月に一度しか主人を迎えられないから、主のそばに控える栄誉はいつでも争奪戦だ。
そうなってくると、すごく世話を焼き足りないというか、とても構い足りないというか。
お茶出し一つ取っても奪い合いなこの本丸では、堀川のような世話好きの刀が主相手に思う存分気持ちを満たすには、本当に足りないのだ。
「そっかぁ、んんん、嬉しいけど、どうしよっかな」
主さんは細腕を組んで、一生懸命考えてくれている。
月に一度の貴重な時間を割いてくれるのは、堀川が新人なことも大きい。
だからその特権を利用して、こうして直にお世話の役目を貰おうということだ。抜け駆けともいう。まあ、闇討ち暗殺お手の物な自分としては、このぐらいはズルの内に入らないので、他の刀には悪いが許してもらおう。
「現世に来たら、一緒に家事手伝ってくれる?」
「もちろん! 喜んで!」
まんまと言質を手に入れた堀川は既に内心ほくほくだったが、一方で、主がちょっと心配になった。
この人こんなに簡単に言質取らせてくれて大丈夫かな。
「でも、現世は極めてからなんだよね」
「そうなんですよね…」
意識的にしょんぼりした顔を作る。
しゅんとした堀川に、心優しい主さんは、ふんわりと微笑んで「じゃあ、いっこ、ほりちゃんにお願いごとしよっかな」と笑った。
「お願いごとですか?」
「うん。無くても困らないけど、あったらすごく嬉しいことがいいよね。ほりちゃんにだけ特別任務、ってとこかな」
だいぶくすぐられる響きだ。
裏のない優しい人だけど、こういう言動を見ていると、だいぶ堀川のような者の扱いを心得ている気がする。天性だろうか。
「う〜ん、よし、決めた! ほりちゃん、香りを選んでくれないかな」
「香ですか?」
「うん。月に一度、寝床に焚くもの選んで、寝る時間までに部屋に焚いといて欲しいの。ぐっすり眠れて良い夢が見れるように」
わっ、と堀川は内心めちゃくちゃ喜んだ。
「ほんとですか!?」
高貴な女性の寝床に香を焚くのは、古くから行われている習慣でありステータスだ。主に比べると古い時代に生きてきた堀川たち刀剣男士には比較的身近なことで、その香を手ずから自分に選ばせてくれるとは。
こんなに嬉しいことはない。香は毒にも通ずるので、通常は侍女役の中でも最高位のものにしか管理させてもらえないものだ。新人の自分にそれを任せてくれるなんて。
「嬉しい! 嬉しいです! お任せください!」
「うん、お願いね。ありがとうほりちゃん、楽しみにしてるね」
主は懐から紙を一枚取り出してサインをすると堀川に手渡した。
「後で博多にお願いしとくから、これ見せてわたしの私財から出して貰って。予算は気にしないけど、安物で構わないよ。でも、よっぽど好きな香りが見つかるまでは、毎月違う香りがいいな」
「お任せください。他にご希望はありますか?」
「不寝番の警護の邪魔にならないように、本当に密やかにして欲しいな。布団に入って初めて香るぐらい弱いものでお願い」
「わかりました!」
これは本格的に抜け駆け大成功だ。
総務番長のへし切長谷部あたりが聞いたら血の涙を流して「俺に!俺に!命じて下されば!!!」と床を転げ回って悔しがること請け合いだ。彼と同じような反応をする刀はぞろぞろ思い浮かぶ。
人工の香もいいが、天然の花を使うのも悪くない。その辺りは雅を尊ぶ歌仙兼定が明るいから、大人げなく嫉妬されないように協力を仰いで抱き込んでもいいかもしれない。
(でもまずは、僕一人で選んでみよう)
胸がどきどきして、喜びで体が熱いぐらいだった。
「ずるいずるいずるいずるい!!!!!」
噂はあっという間に広がり、この本丸の初期刀たる加州清光が文字通り地団駄を踏みながら悔しがった。
「ずるい!!!!!あるじ、隠行香の邪魔になったら困るからって俺にだって普段使いの香水選ばせてくれた事ないのに!!!!!ちくしょう!!!!」
「ふふん、羨ましいでしょう?」
「この野郎!!どうせ子供の見た目とあるじの素直さにつけ込んで上手いこと言質取ったんだろ!!!これだから!!この腹黒!!!」
「なんとでも言ってください。戦は勝てばいいんです!」
「ちくしょう許せねえ!!打ち稽古三倍にしてやるからな!!あるじは華やかな花の香りが好きだよ!!」
大人げなく全力で地団駄を踏んだ加州清光は最後にそう吐き捨てて去っていった。
打ち稽古は本当に三倍になったし教育番長の公私混合もいいところだが、ああして助言もくれるあたり本当に人が良いと思う。
「よっ! 上手くやったらしいじゃないか」
洗い終えたシーツをみんなの居室に配っていたら、天井から逆さにぷらんと笑って鶴丸国永が降ってきた。
確かに誰も居なかったはずなのに、極め前とはいえ脇差の偵察と隠蔽を抜くとか、この人本当に怖いな、と堀川は内心思った。
こう見えて、『堀川国広』はどこの本丸でも十本指に入るほどには偵察も隠蔽も高い刀なのに。
「もう今日は百遍も言われましたからお腹いっぱいです。勘弁してください」
「いやいや、皮肉じゃないって。本心だぜ? やり方をご教授願いたいぐらいさ、驚いたぜ。彼女、なかなか甘えてくれないからな」
鶴丸国永はすたっと降りてきて、ひどく朗らかに笑った。
「これからが大変だなあ、堀川国広。彼女、愛されてるからな。まっ、血の気の多い連中に闇討ちされないようにな」
「洒落にならないこと言わないでくださいよ」
「あと、そうだな。彼女、腹が減るくらい甘い香が好きだぜ。逆にスパイスの効いた酒精が強い香りはあまり好きじゃない」
鶴丸国永はふわりと、ひどく優しい目をした。
とろりと溶けた蜂蜜のように甘やかな、愛情深い微笑みだった。
「良い夢が見れるようにしてやってくれ」
「よーう国広。男前が上がったじゃねえか」
和泉守兼定がそう言って、見るからにボロボロな打ち稽古帰りの堀川を笑った。
「よっ、色男。主が良い女だと大変だな」
「笑い事じゃないよ兼さん……今日は特に、巴形さんなんか稽古中に堂々と『俺に譲れ!!』って迫ってきて大変だったんだから」
「ははは! 愛されてるねえ嬢ちゃんは」
着物の裾に両手を仕舞って、兼さんは漢気あふれる笑みを見せ、色っぽく口角を吊り上げた。
「まっ、嫉妬は名誉の勲章ってな。譲る気ねえんだろ?」
「もちろんだよ」
「なら堂々としてるこった。苦労を嬢ちゃんに悟らせんなよ」
「うん」
軽やかに笑った和泉守が、ふと堀川を振り返って言い添えた。
「そういや、之定がおめーを探しに来てたぜ」
「歌仙さんが?」
「人気者は辛いねえ」
肩をすくめて面白げに笑った和泉守を見て、堀川は悟った。
ああ、あの人、僕が逃げにくいように兼さんを出汁にしたな、と。
「いいだろう、全面的に協力しよう。ただし、一つ条件を出させてもらおうかな」
歌仙兼定は、いたくにっこりと微笑んだ。
穏やかな物腰と所作に反して圧が凄い。
「予算はすべて僕の懐から出すこと。番長や番長補佐には結構な額の私的な金子が出ててね。主に香を贈る、実に雅じゃないか」
自分自身には欲のない彼女のことだ、どうせ大した額の予算も降りてないだろう?
と歌仙兼定は見てきたように言った。糸目は付けないよと言い添える。
「それが守れるなら、僕が防波堤になってやろうじゃないか。羽虫を払ってやろう」
「共犯になってくれる、そういうことですよね」
「まあそうとも言うね」
なるほどその手があったかと、他の連中が聞き付けたらさぞ悔しがることだろう。
だが、わざわざそれを開示するのは愚か者のすることだ。伏せておくからこそカードは効くのだ。
「あるじさんには言わないんですか?」
「自ら告げるなんて雅じゃないさ。思ったより予算が減ってないことに彼女が気付いた時に明かせばいい。できれば数年は気付かないでくれるといいんだがね。近侍殿じゃないが、その方が驚かせ甲斐があるだろう?」
不寝番の前田へ「おやすみなさい」と言い残して、いつも通り主は布団に入り込んだ。
枕に横顔を埋めると、ふわっと優しく甘やかで華やかな香りが漂った。
「わっ、いい香り」
「気に入られました?」
「うん、好きな香り!」
「堀川さんがずっとそわそわされてました。きっと喜びますね」
「嬉しいなあ、明日お礼言わなきゃ」
主はいつも翌朝の早朝に、軽く朝食を食べてから現世へ戻る。近侍を伴い、そのまま現世の仕事に向かうのだ。
だが、そのルーチンにまた一つ、新たな習慣が加わった。皆が見送りに来る中で、堀川に必ず一言、「素敵な香りをありがとう」と言い添えてから発つのだ。その優越感といったら。周囲の嫉妬の視線が刺さって痛いぐらいだったが、それもたまらなかった。
稽古帰りの山姥切国広が、同じく稽古明けでボロボロな堀川へ、不器用に労りの視線を向けた。
「大変だな、兄弟」
「まあね」
「だが、主は、オレたちのことをよく見てくれていると思う」
山姥切が、すっと顔を上げて青空を見上げた。
普段は俯いて顔を隠していることが多い堀川国広の兄弟だが、いつの間にか顔を上げてしゃんと背筋を伸ばしていることが増えたと堀川は思う。
それもまたきっと、あの優しくおおらかな主の影響だろう。
器用な自分のことも、不器用な兄弟のことも、等しく大切にしてくれる主人が堀川は好きだった。
「オレはそういうのはさっぱりだ。細やかなことに気を配れる兄弟にぴったりだと思う」
戦国時代、特に家柄の高い武家の武士は、戦に赴く前に髪に香を焚く習慣があった。これは虫除けの作用があり、合戦場での実利を踏まえたものだ。
故に、刀剣男士たちにとって、香を焚くという行動は非常に身近だ。頑強な肌を持つ刀剣男士たちは虫に刺されることはないし、時間遡行軍との戦いでは偵察と隠蔽の邪魔になるため香を使用することはないが、出陣を控えていない刀剣男士がお洒落や身だしなみとして髪や軽装に香を焚く習慣は存在する。
故に、自身が選んだ香りを主人に纏わせることは、刀剣男士の被所有欲を大きくくすぐるものであり、その特権をまんまと得た堀川への嫉妬の大きさたるや。
主は香水やルームフレグランスといった現代的で手軽な香りの楽しみ方を知る時代の生まれ育ちだから、刀剣男士たちがそこまで躍起になって選香役を欲しがるとは思っていなかったのだろう。でなければ、愛する皆に平等に優しい彼女は、きっと機会を均等に分け与えただろうから。
だが、一度与えた役目を取り上げるようなことはしない主人だ。今回に関しては、堀川の抜け駆けは本当に顕著だったと言えよう。
さすがに周囲からの嫉妬も甘んじて受け入れるべし、といったところだった。
「彼女は、共に過ごした時間を重んじ、古参を重宝する人だと思うが、それでも、オレたちのような新参刀にも、直に多くの役目や言葉をくれる主だ」
「うん、大事に目をかけてもらってるのがよくわかるよ」
欲しいと言えば際限なく与えてくれる、そんな主人だった。
この本丸に流れる気性は、そんな主の性格を反映してか、いつもひどく穏やかだ。
分け与え、笑い合うことを大切にし、周囲をてらいなく大事にすることを厭わない。
個性様々な刀剣男士といえど、持ち主の色合いに染まることを好む付喪神の集まりだ。刀身に映り込む主の姿で、いかようにも姿を変える。
この本丸は、のどかで、笑い声が絶えない。
彼女の無邪気な喜びと笑顔が、この本丸の春風だった。
「ああ、いつの間にか、秋めいて来たね」
歌仙が青空の下、しいたけを日干しにしながら、心地よい秋風に髪を揺らした。
この本丸は、現世と刻の流れを同じくしているが、景観の季節は完全に反転するように設定されている。
春なら秋、夏なら冬。その方が『全く異なる世界に足を踏み入れている』という感覚が持てて、思考の切り替えがしやすいとのことだった。
穏やかだが合理的な彼女らしい決め事だった。
「わっ、金木犀!?」
その日の彼女の寝室の枕元には、色鮮やかな橙色の美しい花が添えられていた。
甘く香り漂う花が目を楽しませる。
「素敵! そっか、もう秋なんだ!」
彼女は枕元に添えられた甘い芳香の花を抱きしめて、大きく息を吸い込んだ。菓子にも似た甘さが鼻腔をくすぐる。
「嬉しいな、甘くて良い香り。ほりちゃんにお礼言わなきゃ」
抱きしめた花に負けず劣らず満開の笑みを見せた彼女は、寝支度を整えて布団に潜り込もうと、花を再び枕元に置こうとして、途中で止まった。
「あれ、この花…?」
彼女は翌朝、あふれる金木犀の花を両腕に大事そうに抱えて、ととと、と走ってきた。
「歌仙、歌仙、あのね」
「なんだい、主」
「枕元にあったの。このお花ね、くれたの、歌仙だよね」
「どうしてそう思ったんだい?」
「最初はね、ほりちゃんがくれたと思ったの。とっても良い香りだったから。でもね、ほら、切り口が」
ふわりと芳香を放つ花を、彼女は掲げて下から覗き込んだ。
「皮を削って、斜めに切って、十字に切り込みを入れて、少し砕いてあるよね。これ知ってる。水揚げの枝割りだよね。花が水を吸いやすくして長持ちするんだよね。歌仙が教えてくれた。ちゃんと覚えてる」
彼女があどけなく小首を傾げた。花の中に顔を埋めるみたいに、嬉しげに彼女は笑った。
「一日しか居られない私へ贈る花に、ここまで手を掛けてくれるの、歌仙だけだよ」
「これは参ったね。こんなに早く気付かれるなんて。もう少し秘密にしておこうと思ったんだが。さすが、僕の主だ」
切り口で歌仙の仕業だと気付いた主が皆の前で詳らかにしたことで、堀川と背後で繋がってたことが白日に晒され、みんなからどっと嫉妬が集まった。
「抜け駆けは堀川だけだと思ってたのに!!!! 歌仙まで!!!!」
「あいつら裏で繋がってたのかよ!!」
「だから歌仙の奴やたらと堀川を庇ってたのか!!」
「ははっ、こりゃ驚いたな。なんでも主に贈った香の金子は歌仙の懐から出てたって話だぜ?」
「ちくしょうその手があったか!!」
「ずるいずるいずるい!!!!悔しい!!!!」
加州清光が地団駄を踏みながら悲鳴じみた声を上げた。
「俺も!!俺も!!主に贈り物したいのに!!!!身に纏うもの見繕いたいのに!!」
「彼女、形に残るものはあまり欲しがらんからなあ」
「歌仙と堀川ばっかずるい!!!!ちくしょう!!」
「さて、聞こえないね。さりげなく気遣い、知恵を回し、主人を楽しませる。これぞ臣下の本分というものじゃないか」
「〜〜〜!!!!!」
歯噛みした加州は真っ赤な顔で、悔しさのあまり卒倒しそうなツラをしていた。
「ははは、こりゃすっかり出し抜かれちまったなあ」
薬研が片胡座に肘をついて、漢気あふれる色っぽい笑みを浮かべた。
「まっ、確かに妬けるな。手ずから香かぁ、堀川や歌仙の旦那もなかなか心憎いことするじゃねえか。他の男が纏わせた香を感じながら朝の見送りせにゃならん野郎どもの嫉妬も致し方無しってな」
「だって、だって、みんながそんなにやりたがるなんて思わなかったんだもん……寝るとき枕元でちょっと良い香りしたら素敵だなーって…」
「刀剣男士は人より余程鼻が効くからな。大将には微かな香りでも、こっちにすりゃ話が違うのさ。ま、大将のそーゆー隙のあるとこ、嫌いじゃないけどな」
「うー、どうしよ…」
「なあに、簡単さ。もう少し甘えてやりゃあいい」
軽やかに薬研がパチンとウィンクした。
「そうすりゃ喜ぶ連中がたくさんいるじゃねえか」
「こんなに大事にしてもらってるのに?」
「そりゃな、大将。こっちのセリフ、ってやつさ」
「?」
「自覚無しかぁ。そうだな、たとえば、大将はいつだって、たくさん祈るだろう?」
「? うん」
「末席とはいえ神座の一角。付喪神たるもの、ああして毎日欠かさず祈りを捧げられれば、応えてやりたくなるってもんだぜ?」
「いつも護ってもらってるよ」
「無理無茶難題を叶えてやるのが神ってもんさ。もう少しわがままを言ってくれた方が、張り合いがあるんだがなあ。大将はその辺、ちっとばかし不器用だな」
薬研はそう言って自らの膝をひとつ叩いた。
「ここはどうだい、練習してみるってぇのは?」
「練習?」
「要はな、甘えられ足りないのさ。ただでさえ時間が足りないだろ? みんなそれぞれ、特別な役目が欲しいのさ」
「みんなひとりひとり、大事に差配してるつもりなんだけどなあ」
「そりゃ大将の差配は見事だが、別のお役目も欲しいのさ。ピンと来ないかい?」
「うん、少し」
「そうだな、大将は頭から入るタイプだからな、こういう角度はどうだい? オレたちは刀だ。確かに切った張ったは存在意義だが、同時に多くの役目を与えられてきたからこその刀と言える」
「多くの役目?」
「そう、時に絶対権威の象徴であり、尊い血の正統継承者の証であり、受け継がれし家宝であり、厄除けであり、美術品であり、贈呈品であり、嫁入り道具であり、枕刀であり、奉納刀であり、依代や副葬品でもあった。そんなオレたちは、主人の矛であると同時に、自分だけの役目を欲しがる。それが歴史を越えてきた刀の性質ってもんさ」
「だからな、堀川が羨ましいのさ。大将から特別な役目を貰えるのは栄誉なことだ。みんな大将から何かを任されたくて仕方ないのさ」
「薬研は、医務室を任されて、嬉しい?」
「もちろん」
「そっかぁ」
にぱぁと嬉しげに笑った彼女は、いつだって刀剣男士が喜ぶと喜び、哀しむと哀しむ。
彼女は鏡だった。いつも自分たち刀剣は、彼女の姿を刀身に映す合わせ鏡だ。
「オレっちに甘えるのは嫌かい?」
「んーん、やじゃないよ」
そう冗談めかすように笑った薬研に、彼女は拙く首を左右に振った。
「とっても嬉しい。たぶん、すごく。けど」
「けど?」
「いざ甘えてもいいよって言われると、うまく言えないけど、なんだか」
「何だか?」
「時々、頭真っ白になることあるの。どうしていいかわからなくて。変だよね」
薬研は少し目を細めて、彼女をじっと見つめた。
「大将は長いこと、一人で何でもやって来たんだろうな。分かち合うのは得意なのに、自分の何かを任せるのが少し下手だ」
「そう見える?」
「見えるぜ。俺だけじゃなく、他の連中もそう思ってるだろうな」
へにょ、とハの字に眉を落として、主は苦く笑った。
「大将はどうしたいんだ? それが一番大事だろ」
「ひとりひとり、みんな、特別扱いしたいよ」
「なら甘えてやんな。少しだけ困らせてみてもいい」
くるっとペンを回して、薬研はくいっと外を指した。
「そら、あんたの側には、そいつが上手な鶴がいるじゃねえか」
「ふっふっふ、成程、そいつはまさにオレの領分だなぁ! この鶴さんにどーんと任せるといい! もちろん驚きの案をいくらでも出してみせるぜ」
あのね、ほんとにすこーしだけ困らせて、そのあと笑ってくれるような悪戯は無いかな。
薬研藤四郎とのやりとりを伝えて、そう鶴丸に控えめに所望した彼女に、鶴丸はきししと笑った。
そうしてくるりと白裾を広げて回ったかと思うと、優美に一礼した。
「ようこそ、いかにも可愛げのあるものから割と洒落にならないものまで、なんでも取り揃えてる鶴丸印のいたずら百貨店、きみのためならいつでも二十四時間営業だぜ?」
堂々と頼もしげに胸を叩いた鶴丸は、したり顔で顎を擦った。
「うんうん、薬研藤四郎、あいつも良いこと言うじゃないか。きみはもーちょっと、オレらを困らせるべきだなぁ」
笑った鶴が、悪戯めいた軽やかなウィンクを一つ。
「で、最初のターゲットは誰だい? ……ふんふん、良いねぇ、じゃあ、こんなのはどうだ?」
鶴丸の耳打ちに、彼女はワクワクと頬を高揚させた。
「しーっ、こっちこっち」
大和守安定が、にこっと優しく笑いながら、彼女を手招いた。
「清光ならこの時間は道場に付きっきりだから」
と二人の相部屋にこっそり招き入れてくれた。
「そこの箪笥の二段目のやつと、押し入れの奥の右から三つ目が洗い替え。で、繕った少しぼろくなったやつが一番奥ね」
全部取り出して加州の着替えで埋もれた主が、ほわほわと笑う。
「ありがと、安定」
「こっちこそ。いちばんに僕を誘ってくれて嬉しい」
しゃがんでニコッと笑った安定に、彼女は「ふふふ」と花のように笑ってくすぐったそうだった。
「あいつ、根っから構ってちゃんだからさ。ぷりぷり文句つけながらなんだかんだ困らせられるの好きだよ。時々そーやって構ってやって。絶対喜ぶから」
にぱっと笑って、たくさんの着替えを抱えてとてとて走っていく。
そんな彼女の背中を見送って、安定の隣に鶴丸が並んだ。
「清光からは、よく悪戯する主だって聞いてたけど」
「ぜんぶオレが誘ったやつとオレの物真似だなぁ。彼女から所望されたのは実はこれが初めてだぜ」
鶴丸は、彼女が走っていった方へ視線を向けて、ずいぶん遠くまできた昔日を懐かしむように目を細めた。
「悪戯ってのは笑って許してくれる相手ありきだからな。彼女の場合、なかなか発想が出てこなくても無理もない。初めは今より、ずっとおっかなびっくりだったもんさ」
「彼女、その、生まれはだいぶ過酷だったみたいだって」
「ああ、そうらしい」
やはりどことなく香るのだ。彼女の点々とした足跡に、まるで纏う残り香のように。
清光や鶴丸いわく、これでもずいぶん薄くなった方なのだと。
「オレが思うに、単に彼女は経験が足りないだけだ。悪戯の潜在的な才能はピカイチだと思うぜ?」
「その心は?」
「彼女に困らされて喜ばない刀がこの本丸にいるかい?」
「それはそうだね」
常日頃の溢れんばかりの刀たらしっぷりに、思わず納得してしまった安定が「あーあ」と笑った。
「真っ先に混ぜてくれたのは嬉しいけどさ、やっぱり最初は清光なんだもんなあ」
「ふふん、そう言いながらずいぶん嬉しそうだぜ?」
「あは、ばれた? まぁ結局、僕ら鏡みたいなもんだからさ。あいつが愛されてないと落ち着かないや」
「そんなきみだから、いの一番に誘ったんだろうさ。彼女はよく見てる」
「……そっちの発案じゃなかったんだ」
「オレは一言、きみが安心できる相手をできるだけたくさん誘ってみるといいと耳打ちしただけさ」
鶴丸はからりと笑った。
「そうすりゃ悪戯する方もされる方も、彼女から可愛らしいおねだりが貰えて倍役得だろ」
「ふふ、加州くん、今日はずいぶん可愛らしいね?」
「え? ……あーっ!? ひよこのアップリケ!?」
時間が押した打ち稽古を終えて、急いで内番着に着替えて畑仕事に出ていた加州清光は、自分の背中にひよこがぴょこぴょこ列を成して可愛く歩いているのを見つけて目を剥いた。
「道理ですれ違う刀がみんな笑ってると思った!! ちょっと鶴丸しばいてくる!!」
畑から収穫したての野菜を厨に持ち込んだ清光は、燭台切に慌てて籠を押し付けて急いでとんぼ返りした。
途中で着替えようと部屋に寄って替え着を取り出したら、しかし出しても出しても出しても、どれにもぜんぶ可愛らしいアップリケが付いていて着替えられない。
「おい鶴丸ーっ! 鶴丸国永ーっ!」
「おお、加州、こりゃなんの騒ぎだい?」
「しらばっくれるんじゃねー! 一枚ならまだしも全部じゃ今日一日中これだろうが!! その無駄な情熱があったらたまには畑仕事代わりやがれ!!」
「おおっと、そいつは冤罪だぜ! 確かに少々アドバイスはしたが、なにせそいつは主からのプレゼントだからなぁ」
「へ?」
鶴丸が親指で指した柱の影から、ぴょこ、と顔を出した主に、加州は目を丸くして瞬いた。
「え、ほんとに?」
「えへ」
「すみません加州さん、僕らも手伝いました」
「主君の珍しいご用命でしたので、つい」
柱の影からそぉっと一緒に笑って出てきたのは、平野藤四郎と前田藤四郎。
清光は目を丸くして「うっわ、絶妙に怒りにくい面子!」と声を上げた。
「あ〜る〜じ〜???」
「えへへへ」
「そっちがその気なら…こうだっ!」
うりゃ、と頬っぺたを両手で潰してぐにぐにぐに、と揉み潰した加州に、次いで、好き放題に小脇をくすぐられて彼女は弾けるように笑った。
「あはははははっ! はひゃっ、あははは!」
「罰として今度俺と新しいネイル買いに行くことーっ! わかった?」
「おいおい加州、オレとはずいぶん態度が違うなぁ」
「たりめーだろてめえは前科がありすぎんだよちったあ反省しろ!」
そうして、平野と前田と、長い付き合いですぐに関与がバレてとっ捕まった安定で、最終的にみんな並んで緩めの仕付糸を一つ一つ外していった加州は、作業中ずっと、くすぐったそうに片眉を下げて笑っていた。
「それで最後の一枚ですね。加州さん、こちらへ」
「あー……いや、これは良いや」
「?」
「まったく、清光ってさ、ほんっと欲張りだよね〜」
「うるせっ」
そうして一枚だけ残されたひよこのアップリケ付き内番着は、今でも加州の箪笥に大事に仕舞われている。
「新年記念〜! 第一回、羽子板遊び大会だぜ!」
羽子板を構えて、頬に墨でハートマークを可愛らしく書かれた鶴丸国永が、ニカッと笑った。
「優勝者は長谷部から三が日明けの当番の免除だそうだぜ!」
「えー、ごほん。主のご厚意だ。希望者は気合を入れて参加するように」
「負けたやつは主に墨で悪戯書きしてもらうからな〜」
「どっちもご褒美!?!?」
すっ飛んできた亀甲貞宗が嬉々として真っ先にエントリーするので、ボードに記名した長谷部の隣で鶴丸が苦笑した。
「あー、ちなみに羽根つきは厄を『はねのける』、顔に塗る墨は鬼避けと言われているなぁ」
「そういうことだ。皆、本気を出して主からしっかり厄除けを賜ること! では開始!」
一振り一振りの顔にいたずら書きしていく主も、落書きされる側もくすぐったそうだった。
いろんな丸模様やハートや星が踊ったが、ひらがなで『あるじ』と書かれたものが一番人気だった。
「あっ、薬研いいな〜!!!」
「おう、男ぶりが上がったろ?」
「ほんとだっ、あるじさんにお名前書いてもらってる〜!! ずるい〜! 僕も僕も!!」
「まあやっぱりこれが一番テンション上がるよな」
ちなみに優勝者は亀甲貞宗だった。
勝利するたびに「またおあずけ!! ああっ、たまらない!!」と身をくねらせて叫んでいたが、最終的に優勝すると「僕だけ落書きなしで放置プレイ!? ……ああっ!!」と恍惚とした表情でひっくり返った。楽しそうでなによりだ。
「ふふ、ふふふふ」
「あれ、亀甲さん、ずいぶん男前だね」
「いいだろう? ご主人様がくれたんだ」
『たいへんよくできました』の桜スタンプを頬っぺたに押された亀甲は、非番の間中、本丸をうろうろして嬉しそうに会う刀会う刀に自慢して回った。
「いいなー、僕この前、手の甲に押してもらったけど」
「ほら、手だと畑仕事の後で消えてしまうだろう? だから手を引っ込めてニコニコ待ってみたら、頬にくれたんだ」
「亀甲さん、この前の羽根つき大会の時、主さんに落書きしてもらえなかったの残念がってたもんね」
「もちろんあれはあれでアリだったけどね!!!! 残念だったよ!! 負けたら墨で罵り文句を書いてもらおうと思っていたのに!! 来年までおあずけかな!! んんっ、たまらない!!」
「ねえ歌仙くん、これ見てみて」
「なんだい? あっ!?」
電子レンジの中に、割れた生卵が放置されている。
どろりとこぼれ落ちた透明な白身、広がった黄身。
歌仙は「まったく、誰だいこんな」とぷりぷり怒りながら、キッチンペーパーで汚れを拭ってゴミ箱に捨てようとしたのだが、予想とは異なる『ぷるんっ』とした感触に違和感を感じて「うん??」と摘んでみると、掃除するまでもなく、べろり、と容易く剥がれた。なんと作り物だった。
「!? 食品サンプルかい?」
「そうみたい。ふふ」
歌仙がレンジの中を覗き込んでみると、上にメッセージカードが貼り付けてあった。主の花押だ。
悪戯案件が発生するとほぼ自動的に鶴丸国永に冤罪が発生してしばかれるので、彼女は悪戯する時こうして可愛らしく証拠を置いていく。歌仙は眉を下げて苦笑した。
「まったく、誰かさんの影響ですっかり悪戯っ子だね、困ったものだ」
「鶴さんに比べれば可愛いものだけどね」
「鶴丸国永の場合は実際にレンジを爆発させるからね。そこまで似ないで欲しいところだ」
「おいおいおいおいなんだこりゃ!? 驚きだな!?」
鶴丸国永が目をキラキラさせて両手で光にかざしたのは、木で出来たカラクリ箱だった。
まるで入り組んだ複雑な形をした迷路のボックスような、大昔のカメラのような、丸時計を付けたタイムカプセルのような、六面の箱の表面にびっしりと謎解きからくりが仕込まれた不思議な細工だった。
一見するとどうやって開けるのか皆目見当も付かない。
よくよく覗き込んで表面の小さな取っ手模様を右へ動かすと、ロックが解除されたさらに次の取っ手が左に動く。まずはこれを無限に繰り返して少しずつ動かしていくようだ。
「こりゃ寄せ木細工の絡繰箱みたいなもんか!?」
「うん、謎解き専門店の最難関パズルだよ。えへへー、鶴るんに驚きをお土産〜」
キャメロットの試練と名付けられたその仕掛け箱を上から下まで眺め回しながら、鶴丸は目を爛々とさせた。
高速で手を動かして鶴丸は次々と仕掛けを解いていく。
「こりゃすごい! どれだけ解いても次の驚きが出てくる!!」
「わたしもチャレンジしてみたんだけど、すっっっごく難しかったぁ」
「最高難易度の寄せ木細工でも仕掛けは50回かそこらが限界だろう!? なんだこりゃ! 100手は軽く超えるんじゃないか!?」
「難易度が低い他のパズルは解けたんだけど、それはどうしても途中で詰まっちゃった。けど、鶴るんならこれぐらい歯応えがある方が」
「面白すぎるぜ!? あっこれこうか!? うおお!」
「鶴るんきっと大好きだろうなあって思って」
「さすがきみだ!! オレのことをよくわかってる!!」
夢中だった。まさに目をキラキラさせておもちゃに熱中する子供。
鶴丸が箱をくるくる回転させながら無我夢中でパズルを解いている。
「これ絡繰箱だよなあ!? ぜんぶ解いたら開くんだな!?」
「うん」
「最高に驚きだな!? あっなるほどコレか!? そうそう、こういう驚きだよな!?」
「面白い!! 面白すぎるぜ!! ぜんぶ解いちまうのがもったいないぐらいだ!!!」
「ふふ、そう言うと思った。それでね鶴るん」
「なんだい!?!?」
「ぜんぶ解けて中が開いたら、驚きが終わってもったいないじゃない? だからね、ぜんぶ解けたら、中に何か入れてもう一回みんなに驚きを仕込むのはどう?」
「きみは天才だな!!!!」
喜色満面でハイテンションの鶴丸国永は、りんごのように真っ赤に高揚した顔でそう言いながら手を止めず高速でくるくると仕掛けを解いていく。
「いいねえ! きみ、どんな驚きを仕込むんだい!?」
「メモはどうかな。イースターの時みたいに、解けた人にご褒美」
「そりゃみんな気合い入るだろうなあ! ははっ、短気な連中が壊して取り出さないか心配だな!!」
「そっか、中身だけ出しても意味ないようにするのがいいよね。うーん、あっ、いーこと思いついたっ」
「なんだい!?!?」
「それがぜんぶ解けるような人なら、難しいクイズも解けちゃうと思うんだ。だからね鶴るん、最後にその中に入れるメモに書く、うーんと難しい謎解き、後で一緒に考えてくれないかなあ」
「そりゃいい!! もちろんだ!!! 仕上げにオレの手で驚きを仕込めるたぁ最高だな!! この驚き番長にお任せあれ、だ!!」
「ふふ、ありがと鶴るん。みんなも鶴るんみたいに楽しんでくれるかなあ」
「もちろん、きみの仕掛けだ、こぞって群がるに決まってる! こうして鶴もまんまととっ捕まったわけだしな!!! ハハハ、きみは罠の才能があるぜ!!」
高らかと楽しそうな笑い声をあげて、鶴丸はハイテンションのまま笑った。
「あっなるほどココかぁ!? これだな!? こりゃ驚きだぜ!!」
「ねえ、鶴るんならその箱に何を入れる?」
「長谷部のハンコ一択だな!! きみの仕掛けなら圧し斬れないだろ!?!? 渋面でパズルを必死に解きまくる長谷部、たいそう愉快な驚きになるんじゃないか!?」
「ふふ」
カチ、と小気味良い音がして、鶴丸が目を輝かせた。
「開いた!!!!」
「……えっっ!?!?!?!?」
「開いたぜ!!!!!!! こりゃすごい!!!」
「ま、待って、最高難易度、慣れた人でも最低所要時間1時間半だよ!? 今渡して喋りながら15分くらいだよね!?」
「開いたぜ!!!!」
「ほ、ほんとに!?!?」
「開いたぜ!!!!!」
「鶴るんやっぱすっごく頭いいんだ…」
「驚いたかい!?」
「驚いたよ!? あはっ! あはははっ!!」
「さて、どうだい大将。『練習』は順調かい?」
ボードにカリカリと書き込みながら、主人の定期健康チェックをする薬研藤四郎が、二人きりの医務室でそう穏やかに問いかけた。
主人はにこりと椅子に座ったまま微笑んで「うん、ちょっとずつ」と笑み崩れた。
「この前、長谷部の旦那がハンコを取られて怒り心頭だったなあ。なんて名前だったか、ほら、あの鶴丸の旦那のパズルびっくり箱。必死にパズルを解きながら『主にこんな余計な入れ知恵をしたのは奴に決まっている! これが終わったら圧し斬って…!』って般若の顔でぶつぶつ言う長谷部、だいぶ面白かったな」
「ふふふ」
「で、ハンコを回収した長谷部がブチギレながら『鶴丸国永ぁ!!』って叫んで大広間に入ってきた瞬間、うん、ありゃ見ものだった」
鳴り響くクラッカー、紙吹雪にくす玉。
大広間に準備された『へし切長谷部、3月31日、国宝指定記念日おめでとう』の横断幕に。
たった今蹴り破った襖を足の下に、抜刀したまま、ぽかん、と長谷部は口を開けて固まっていた。
「長谷部ね、特に年度終わりは忙しい総務番長の仕事、いつもほんとうに頑張ってくれてるから。でも、仕事ちょっとお休みしてねって言っても『主、俺に何か至らない点でも…!?』ってぜったい言うでしょ。だからいっそイタズラしちゃった方が早いよねって」
「いい時間稼ぎだったぜ。おかげで難なく準備できたな」
「さすがに長谷部でも一時間以上掛かってたね。鶴るんみたいに十五分で解かれちゃったらどうしようってドキドキしちゃった」
「そいつぁさすがに鶴丸の旦那にしか無理だ」
笑いあった薬研と主が、くすくすと思い出し笑いを交わし合う。
「いやぁ、長谷部の感涙で海ができそうだったな」
「ふふふ。喜んでもらえてよかった」
「そうだなぁ。俺も見てて喜ばしいと思ったぜ。喜んでる旦那も、俺たちを巻き込んだり困らせたりするのがすこーしだけ上手くなった大将もな」
カリ、とペンが静かに音を立てる。
薬研が静かに筆を走らせるのを、彼女は見つめながらこてん、と首を傾げた。
「すこーし、かな? 実は、けっこー上手になったつもりだったんだけど」
「いんや、まぁーだまだ、さ。だって大将、あんた結局、誰かのためじゃねーか」
ボードのクリップに、ぱちん、と書き終えたボールペンを挟み込んでデスクに置き、薬研はくるりと向き直ると、色っぽく口角を吊り上げた。
「ま、俺たちぁ、総じて待つのは得意だ。ゆっくりやんな」
ぽん、とすれ違いざまに頭に手を置く。
薬研は眼鏡を外すと、肩越しに漢らしく笑った。
「楽しみにしてる。あんたがあんただけのために、身勝手に、泥臭く、格好悪く、自分勝手で我儘な願いを望んでくれる日を、な」
「わたしの中ではね、ほりちゃんは『香り番長』なの」
歌仙が丁寧に点てた抹茶を飲みながら、ほわっと彼女はそう笑った。
茶菓子に羊羹を切りながら、歌仙は「それはそれは、彼が喜びそうな話だね」と優しげな微笑みをたたえた。
「そして歌仙はね、香り番長を補佐してくれてる番長補佐さん」
「光栄だよ。まあ、僕は好きで好き勝手やっているだけだがね」
茶室にほのかに立ち昇る湯気。良質な茶の良い香りが鼻腔をくすぐる。彼女はにぱっと嬉しそうに笑った。
「いつもみんなのこと助けてくれて、ありがとう歌仙。ほりちゃんやみっちゃんだけじゃなく、かしゅーや鶴るんも、兼さんやまんばちゃんたちのことも、よく見ててくれて嬉しい。歌仙がいてくれて、わたし安心だなぁ」
「きみがそう望んでくれたからね。垣根なく番長たちをよく補佐する番長補佐、それがきみが僕にくれた役目の名前だ」
日頃、厨を仕切っている燭台切を補佐する形が多い歌仙だが、役職上は厨番長補佐ではなく、番長補佐。
この本丸の要の一振りである燭台切を始めとして、多くの刀を手助けしてあげて欲しい。それが彼女の願いの形だった。
「望まれることは力になるからね。僕ら刀剣男士は結局のところ、望まれたくて人前に姿を見せた神々の集まりさ」
「望まれたら、嬉しい?」
「もちろん」
それですぐ、じゃあもっとお願いする、となってくれる主人であれば話は早いのだが
彼女が口にしたのは、それとは真逆の内容だった。
「わたし、歌仙の『欲しい』に応えられてる?」
「さて、神々の要望を必ずしも人の子が叶える必要はないからね。あまり応えすぎようとしなくていい。あくまで人の子が願い、僕らが叶えるだけさ」
こてん、とよくわからなそうに首を傾げる彼女は、この国で審神者としての教育を受けていないこと、幼少期から外つ国の信仰の中に生きていること、それに生来の気性が相まって、常にねじれた危うさを秘めている。
「神々の要求は八百万、つまり際限が無い。それに応じすぎるには人の子はあまりに小さすぎる。迂闊に頷いては、その身全てを取って食われてしまうよ。あくまで人が願って、叶えてやる、その範囲が良いのさ」
「歌仙が教えてくれることはいつも、分かりやすくて、難しいね」
「きみは自分のために望むのが下手だからね」
自らも茶を一杯、ゆっくりと喉を潤すと、ゆるりと「そうだな」と歌仙は思案げに視線を揺らした。
「以前、きみが言っていたね。キリシタンの教えの中で、神の愛は海の水に喩えられると。印象的だったからよく憶えている」
「うん。かみさまの愛を受け取ることは、海の水をコップに全て入れようとするようなもの。広大で果てなく、尽きることがない。だから安心していいって」
「それを人の世に言い伝えさせた神がいたとしたら、大層慈悲深い、と思ったのをよく憶えている。それは、神の目線では示唆に富んだ警句だ」
「警句?」
「そう、神の愛は大海の水のように際限がない。人の子が望めば望むだけ器に注ごう。だが、僕らのように人に近すぎる神は、時にその加減を見誤る」
こと、とこだわりの茶器を脇に退け、歌仙はひどく静かに向き直った。
じっ、と見つめるその水色。海のように美しい瞳を、ひどく神秘的な静けさで満ちさせながら。
「注ぎすぎて器からあふれるだけならいい。だが、水圧で人の子を押し潰してしまうまで注ぐ神もいる。それは僕ら刀剣男士も決して例外ではないから」
よく覚えておいで、と歌仙はいたいけな主人に言い聞かせた。
「だから、その教えは正しい。きみは好きなだけ欲せばいい。きみさえ望めば望むだけ注ごう。ひとたび望まれさえすれば、皆喜んで注ぐだろう。むしろ、注がずにいることの方がずっと難しいから」
静寂の中、風に遊ばれた風鈴が、リィン…とかすかに鳴いた。
「だから、僕らが加減を間違いそうになった時は、きみが止めなくてはならないよ。きみは僕らの主だからね」
「…………それが、歌仙たちの望み?」
「ああ。きみを押し潰したい者など居るはずもない。付喪神はただ、時に注がずにいられないだけだから」
「やっぱり初期刀連中は頼もしいもんだな。必ずしもその本丸の初期刀でなくとも皆押し並べて、決して道を過たない」
宴ではしゃぎ疲れてすっかり寝入ってしまった主の枕に、あぐらの片方を貸しながら、鶴丸国永はそうゆったりと口にした。
むにゃむにゃと幸せそうに寝ている人の子の頭を優しく撫でながら、鶴丸は盃を少しだけ煽った。
「そう、歌仙の警告はあまりに正しい。そしてその境界を、真っ先に踏み間違う刀がいるとしたらそれは──……」
「鶴さん」
「そうだな、起こって欲しくない事は、無闇に言の葉にするべきじゃあないよな」
「そんなことは起きないよ」
「……そうだな、その前にきみが折ってくれる約束だもんな。オレはつくづく仲間に恵まれてる」
鶴丸国永は主を溺愛している。時に己を制御できないほど、深く。
歌仙兼定の警告は、間違いなくそれを視野に入れたものだろう。
仲間たちには苦労を掛けている。
それでもなお、彼女への偏愛に歯止めをかけられない己の業の深さを、自分が誰よりもいちばんよく分かっている。
ぐしゃ、と両手で前髪を握りつぶして、鶴丸は悲痛に嘆いた。
望みを口にできようはずもない。
彼女がそれに頷いてしまえば、もう取り返しがつかないからだ。
そして彼女はきっと頷く。頷くのだ。他でもない鶴丸が口にすればきっと、どんなことでも頷いてしまうから。
「これだから鶴丸国永は、初鍛刀はだめなんだ」
彼女が生まれて初めて願って鍛えた刃。最初に手ずから呼んだ神。
自分はあまりに、刀身に彼女の願いを写し取りすぎている。
刀剣は鏡。主人によって、いかようにも姿を変える。
「オレのきみ。こんなに、こんなに何でも叶えてやりたいのに。きみはほんとうに、望むのが下手だなあ」
甘美な夢だった。
破滅的で背徳的で喉が渇くような
うっとりと甘い甘い蜜毒のような夢だった。
彼女が笑う。いたいけに、生まれたての赤子のように無垢に、幸せそうに。
オレは両裾の羽根で彼女を包んで抱き締めて、彼女を自分の巣から出さなかった。
二度と開く事のない閉じられた世界に、赤ん坊みたいに無垢な彼女を永遠に閉じ込めて、オレはこの上なく満たされた心地で笑った。
彼女の頬を指先でくすぐり、無邪気にすり寄せる雛鳥を愛おしくなぞる。
とろけた蜂蜜色の瞳が、オレ以外の誰も映さないように。
大きく息を吸うと、彼女の香りで、肺がいっぱいに満ちる。
甘くて、赤子の天花粉みたいな無垢な匂い
刻を止めた魂を永久に逃さないために、耳朶に真名を吹き込んで、歓喜のままに彼女の魂に抜き身の刃で自分の名を刻もうと──……
ごきゅ、と自分の喉が鳴る音で目が覚めた。
口の中にあふれた甘い唾液が、ごくん、と喉を通る感覚で正気に戻る。
どっどっど、と心臓が早鐘を打ってうるさい。
夢見た浅ましい願望に、さあっと全身の血の気が引いて
そうして、視界の端になぜか映る
たった今夢見たばかりの見知った彼女の長い髪に
固まったまま視線をやって
夜も明けきらぬ早朝に
オレは恥も外聞もなく悲鳴を上げた。
「なあなあ、みっちゃん、今朝のあれ、結局何の騒ぎだったんだ?」
洗面所に響く水音が、まだ夜気の冷たさを残す朝の空気に溶けていく。
太鼓鐘は勢いよく顔を洗い、頭を振って眠気を飛ばした。隣では光忠が、ふかふかな柔軟剤の香りを纏ったタオルに顔を埋め、ゆっくりと水気を拭いながら「ああ、彼女の悪戯だよ」と苦笑した。
「昨日、鶴さん珍しく酔い潰れちゃってさ。彼女ってば『鶴るんのこと驚かす〜』って」
言葉と同時に、タオルの奥から漏れるくぐもった笑い声。まるで、叱ることも呆れることもせず、ただ「仕方ないなあ」と受け止めるような優しい声音だった。
「不寝番に毛利くんを連れて、お布団並べて、酔い潰れた鶴さんの横で寝支度始めちゃって」
「あー……それで夜中に目ぇ覚ました鶴さんがびっくりして、あんな潰れた蛙みたいな悲鳴上げたのか……」
太鼓鐘は手で顔を覆って、「あちゃ〜〜〜……」と嘆いた。
「なあ、みっちゃん」
「なあに貞ちゃん」
「あれさあ……うん……」
ひどく物言いたげな太鼓鐘貞宗は、まるでガムでも噛むように、もにょもにょ、としきりに言葉を口の中でこねくり回していたが、結局、深々とため息を吐くだけで何も言葉にしなかった。
「なあ鶴さん。同情はするぜ? するけどさあ。そもそも鶴さんが始めたコトっつーかさあー」
「……わかってる……もうそれ以上言わんでくれ貞坊…」
「イタズラのイの字も頭に無かった主に、あーいう悪戯のいろはを一から十まで仕込んだのは」
「オレだな……」
「甘え下手の主にああいう甘え方教えたのは」
「オレだな……」
「ただでさえ異性意識の薄い危なっかしい女の子だったのに、よりによって女の子のお風呂に適当な理由つけて何度も上がり込んで距離感バグらせたのは」
「…………オレだよ!!!! ああそうだよ全部オレの自業自得だよ!!!」
呆れ顔の太鼓鐘の隣で、頭を抱えた鶴丸がやけっぱちに叫んだ。
現世で生活する際、主は敵に見つからないよう、政府から配布された神気を通した香油を髪に塗ることになっているのだが。
まだ本丸ができたばかりの頃、鶴丸は「ちゃんと神気が髪に馴染んでるか見てやる」などという嘘八百適当極まりない名目で風呂に上がり込んだことが何度もあり、無知な彼女も疑問を持たず「じゃあお願い」と白い入浴剤を入れた湯船に肩まで浸かったまま鶴丸を風呂場に招き入れて髪を触らせていたので、鼻歌を歌う彼女の髪を鶴丸が洗ってやるのがいっとき常態化していた時期があるのだ。
うっかり露呈して他の連中に判明した際には、加州には中傷になるまでしばき回されたし、当然そのまま手入れ部屋すら使わせてもらえなかったし、光坊からもしばらくまともな飯を出してもらえなかったほど本気でめちゃくちゃ怒られた。
という事実を古参は皆知っているのだが、後から顕現したメンツは当然ながら知る由もないので、後で聞くと皆一様に「うわ」という顔をする。
特に長谷部など後で知って白目を剥いてひっくり返って、まるでこのロリコンジジイとでも言いたげな物凄く蔑んだ目でしばらく鶴丸を見ていた。
鶴丸は鶴丸で、無垢な彼女を七五三前の子供と似たようなものだと信じて疑ってなかった──という、明らかな神側の欲目に完全に無自覚だった時期であり、彼女は彼女で刀剣男士を全く異性判定しておらず、無意識の身内認識でまるで警戒しなかったのが災いして、こういう結果となった、のだが。
「俺さぁ、正直あの時点でだいぶ、鶴さんいつか何かやらかすんじゃねーかってヒヤヒヤしてたぜ」
「こうなると思わなかったんだ……というか、あの時点では全然これっぽっちも自覚が無かったんだよ……!」
「なあ鶴さん。もうここまで来たら聞くのも野暮だけどさあ、なんでそこまで行ってて娶る気1ミリもねえの?」
「オレが聞きたいぜ……」
「難儀だなあ」
細めた太鼓鐘の双眸に映るのは
ままごと遊びにすっかり入れ込んだ、羽を怪我した鳥が二羽。
どうやら金眼を理由に虐げられて育ったらしい主は、無理もないだろうが、家族というものに強すぎるほどの渇望があるようだ。
そして主にとって鶴丸国永とは、その憧憬をひどく刺激されるものらしい。
鶴丸のその、美しい金色の瞳が。
顕現の桜吹雪の向こうに垣間見えた、彼女の金色の瞳。
太鼓鐘自身がこの本丸に降り立った日、それを、見知った鶴丸や光忠や伽羅の物と一瞬錯覚したのをよく憶えている。
それほどまでに彼女の金瞳は、伊達の刀によく似ている。
たった一度。
たった一度だけ、彼女は貞宗に口にしたことがある。悪夢にうなされて泣きじゃくりなから。
鶴丸の金色の眼を見て、驚いたのだと。
ずっと欲しかった家族ができたみたいで、と。
気持ち悪いと言われたらどうしよう、と、恐ろしい夢に錯乱して泣いていた。
けれど、それきりだ。貞宗の知る限り、彼女が鶴丸へ『家族』を欲したことは一度もない。
彼女が欲せば話は違う。彼女が一言、望みを口にしてくれさえすれば。
けれど彼女は、決してそれを口にしないから
だから、鶴丸は、口にされてもいないのに、まるで、自らすすんで『親鳥』をしているみたいだ。節度を守るべき人の子と神の約束の境界を飛び越えて。
ままごとにのめり込んでいる、というなら、むしろ──……
ちらり、と太鼓鐘は、隣を見遣った。
どんどん深みに嵌っていく一方の、自分で編んだ依存の網で溺れる、自縄自縛の親鳥を。
雛は巣立っていくものなのに。