「太鼓鐘編」や「宴の裏で」辺りの設定が出てきます。
@fu_re_re_ra
「ごめんみっちゃん、仕事の勉強会の日取りが変わったの忘れてたや」
彼女は白衣のロングコートを羽織ると、両手をぱちんと合わせて『ごめんね』のポーズをした。
「ごめんね、終わるまでお買い物行くの待っててくれる?」
「もちろん良いよ。お医者さんって大変だね、仕事の後にも勉強会があるんだ」
毎週、金曜の夕方は、彼女の仕事が終わる時間に合わせて、厨番の光忠か歌仙、あるいは堀川や太鼓鐘など料理に心得のある者が、昼間の近侍と交代するのが定例となっている。
そうして帰りにスーパーで新鮮な食材を買い込み、一晩かけて一週間分の作り置きを用意してから帰る。
月に一度しか本丸に戻れない制約がある彼女のために。
「んと、今日のはそんな大変じゃないけど、小一時間くらい掛かるかな……ごめんね、仕込みの時間の計算狂うよね」
「気にしないで。そのくらい、なんにも問題ないからさ」
光忠は、できるだけ柔らかく微笑んだ。
ふんわりと暖かみのある光忠の態度に、彼女もまた、ほっとした微笑みを返した。
自宅にそれはそれは立派なキッチンがあるのに、使った痕跡が全く無い。必ず100%外食か出前のみ。
そんな主人の健康状態にいよいよ業を煮やした燭台切が、やっとのことで聞き出したのは、彼女がキッチンに立たないのではなく『立てない』事情。
「……キッチンに立つの、こわくて」
などと消え入りそうな声でついに白状するので、それを聞いた光忠は
「なんでそーいうこと早く言わないかな!?」
と言いながらおにぎりをめちゃくちゃ握った。
「食べたくても食べれないんだったら早く言ってよ!? それじゃあ話が全然変わるだろう!? 外食もジャンクなものも、きみがよっぽど好きだと思ってたから口出すの我慢してたのに! 明日から作りに行くから!」
「あ、えと、みっちゃん、その、……そこまでしてもらうの悪いし」
「だーめ! 僕怒ってるんだからね!? 歌仙くんと交代で週に一度現世に作りに行くから! もう決めました! 鶴さん、鶴さーん!」
まだほんの最近のことだった。
皿一つ割るだけで、殴られないように真っ青で震え上がって身体を小さくする彼女だ。詳細はあえて聞かずとも、状況はどことなく読める。
いち早く把握できなかったことが心底悔やまれる。
「貼ってあるメモの順番でレンジでチンするだけで大丈夫なようにしてあるからね」
「あの、みっちゃん、その」
「ん?」
「…………ごめん、ね、その、迷惑かけて」
「おばかさん」
しゃがみ込んだ燭台切に、ぺちっと優しいデコピンを与えられて、彼女は額をあどけなく押さえてぱちぱちと瞬きした。
「ほんとは毎日作りたいんだからね。僕ばっかり一緒にいたらみんなが悔しがるから週替わりだけどさ」
少し屈んで、彼女と視線を合わせた燭台切は、やんわりと優しく目を細めて微笑んだ。
「レンジでチンは大丈夫なんだったよね」
「……うん」
「お鍋の温め直しは?」
「誰かと、いっしょなら」
「じゃあ大丈夫だね。僕ら、きみを独りにすることなんてないもの」
「……みっちゃん」
「なんだい」
「みっちゃん」
ぽた、と彼女の足元に落ちる雫に
光忠はくしゃくしゃと彼女の頭を撫でた。
「うん」
「みっちゃぁん」
しゃくりあげた彼女が、必死に顔を拭いながらぽろぽろ落とす涙に、光忠はずっと「うん」「だいじょうぶ」「ここにいるよ」と繰り返し、寄り添い続けた。
きみは、刀剣男士がどれだけ未熟でも、迷い続けても、不完全でも、不恰好でも、ただ笑いかけてくれるのにね。
こと自分になると、どうしてこんなに笑ってくれないのかな
それから毎週、光忠は、歌仙と交代で食事を作り置いている。
ずっと申し訳なさそうにしてばかりだった彼女が、最近ようやく彼女らしく嬉しそうに
『みっちゃんのご飯が毎日食べれて嬉しい』
と屈託なくはにかんでくれるようになったばかりだ。それが光忠は、ひどく嬉しい。心から。
凛と白衣を靡かせて廊下を進む彼女の後ろに、燭台切は未顕現の状態のままふわりと浮いて付いていく。
いつもなら彼女が仕事を終えてから警護を交代するので、白衣の後ろについて歩くのは新鮮な気持ちだった。
本丸でリラックスして過ごす、ふにゃりと笑う幼い子供のようなあどけない彼女と
こうして凛と背筋を伸ばして、颯爽と仕事に励む白衣の彼女。
その代わり様は、まるで別人のようだ。
(彼女は僕らの前で、まるで家族のように、とても心許した姿を見せてくれるけど)
だが、どこか、時折漂う
誰にも寄り掛からない
いや、寄りかかる方法が分からず、途方に暮れたような、そんな顔。
それは、こういう責任ある仕事に就いている弊害か
それともやはり、どうにも感じられない『家庭の匂い』が理由なのか。
当然、無闇に詮索する愚は犯さず、周りには聞こえない声で、光忠はそっと別の疑問を口にした。
「それより、どんなことを勉強するんだい? やっぱり病気とか、お薬のこと? 終わるまで薬研くんに代わってもらった方が喜ぶかな」
「んと、今日はね、栄養学だよ」
「料理? お医者さんって何でも勉強するんだね」
燭台切が意外そうに瞬いた。
「私は寝たきりのお年寄りも診るから。んと、ご飯が食べれなくなった、寝たきりのお爺さんお婆さんに、どんなお粥やゼリーをあげれば喉を詰まらせずに食べれるか、そんな勉強だよ」
「へえ…」
燭台切は、興味深そうに相槌を打った。
「作るのは栄養士さんだから、私は理論だけ理解しとけばいいけど、作る人はすごく大変だよね。尊敬する」
そうして、燭台切の目から見てもなかなか興味深い講義と勉強会を終えると、主がぽつんと漏らした。
「ねえみっちゃん」
「うん? なぁに?」
「わたしね、よぼよぼのお婆ちゃんになっても、歯が無くなっても、寝たきりになっても」
帰り道、彼女は遠くを見ながら、ふわっと柔らかく目を細めた。
「それでも、みっちゃんが作ってくれたご飯やおやつが食べれたら──……」
まるで、それ以上に幸せなことはない、とでも言うように。
彼女は遠い未来に少しだけ微笑んだ。
「……なんて! ごめんごめんみっちゃん、そんなこと言われても困るよね。早く帰ろ」
パッと振り返って、照れたみたいに頬を掻きながら誤魔化して、明るく笑い飛ばした彼女は、次いで、こてんと首を傾げた。
「? みっちゃん?」
光忠は自分の左胸に両手をやって、ぷるぷると震えていた。まるで恋の矢でも刺さったように。
「……ってことがあってね!!!!!」
「はぁ、それで昨日からずっとゼリーのレシピを研究してるのかい?」
猛烈な勢いで試食用のゼリーを作り続ける燭台切の後ろで、歌仙はあきれたようにごちた。
「いくら何でも気が早過ぎるだろう。来年の鬼も大笑いだよ」
「豪華にフルーツとか盛り付けて時々おやつに出すの! 基本は病人食のレシピの応用だから、日頃からどれが喉を通りやすいか知っとけば困らないでしょ!!!」
「はぁ、なるほどね」
気のない返事をしていた歌仙が「まあ、一理あるか」と洗い物をしながら頷いた。
「確かに、兵糧でも言うね。用意だけじゃなく、備蓄を時々消費して少し体を慣らすようにした方がいいって。僕らの時代には、兵糧が体に合わなくてショック死する者も時折居たから」
「そう、非常食でも言うでしょ、可能な限り日頃と同じ物を用意すれば、ストレスが小さくなって喉を通りやすいって。人間は繊細だから」
「それにしたって気が早すぎると思うけどね」
「だって!!! あんな顔で!! お婆ちゃんになってもこの先ずっと僕のご飯食べたいって! 言われたらさあ!!」
「まあ、きみの味噌汁が毎日食べたい、みたいなものだよね」
「最近やっと!! やっと!! 甘えてくれるようになったと思ったらこれだよ!? 叶えてあげたくなるじゃないか!!」
「まあ確かに、願われれば応えたくなるのが付喪神というものだけどね。それできみ、変なスイッチ押されて帰ってきたのかい……」
やれやれといった感想を隠そうともせず、歌仙は肩をすくめた。
出された試食をひと匙すくって「甘すぎるったらないね」と苦笑する。
「初期刀や近侍も大概だが、やっぱり最古参のきみもちょっと入れ込みすぎじゃあないかな……まあいいけどね……」