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Do NOT Disturb

全体公開 銀魂二次創作 2 47 24071文字
2025-09-02 07:14:30

沖田が土方を高級ホテルにゆるふわ監禁して、ドラマ見たり美味しいご飯を食べたりする話/全年齢/沖土

Posted by @bbbcde519

 スイートルームというとなんとなく高級そうなイメージがあるが、あれは単に寝室に他の部屋が続いた構造になっている部屋を指してそう呼ぶらしい。大抵のホテルの部屋はいわばワンルームスタイルだから相対的にスイートが高級な部類になるというのは間違っちゃいないが、別に豪華さが約束されているわけではない。期待させといて寝室に気持ち程度のスペースがついたショボい部屋だったなんてザラにあるんだぜと教えてきたのは松平のとっつぁんだった。どうも部屋の不味さが原因で女に振られたことがあるらしい。
 しかし今いるここはスイートルームと言われて万人が想像するものに限りなく近い。とっつぁんを袖にして帰った女もさぞ満足することだろう。
 江戸城外濠のすぐ脇に建てられたホテルの一室。いちばん手前には馬鹿でかいL字のソファと、人一人寝られそうな白い大理石のサイドテーブルが鎮座している。ソファの前方の壁に掛けられているテレビは、本庁の会議室と似たような大きさ。右手にある寝室への扉は今は閉じられていたが開けたくもならなかった。どうせ同じような瀟洒な空間が広がっていてげんなりするだけだ。
 応接エリアの先には小ぢんまりした丸テーブルと二脚のチェア。磨き上げられた窓硝子の向こうには和田倉の濠と庭園の常緑樹、高層ビルが立ち並ぶ。窓に切り取られた景色は作り物のような綺麗さで腹立たしささえ感じる。庭園や夜景を楽しみながらルームサービスを食えという趣向だろう。
 女を連れ込むというよりはプロポーズに使う方に適してそうな部屋だが、何にせよ田舎者には全く居心地が悪い。慣れない空気が支配する部屋に入る気になれず、立ち尽くした。場違いにも程度があるだろう。
 俺はなんでこんなところにいるんだ、と思う。
「気に入りませんか。仕事思い出さない方がいいと思ったんですが、将軍様のおわすお城が見えた方が良かったですかィ?」
 振り返る。廊下につながる扉のすぐそばには総悟が立っていて、まっすぐこちらを見つめている。いつもの長着に袴だが貴公子然とした見た目のせいか俺よりもずっとこの部屋に似合ってる。このまま女に結婚を申し込んでも様になるだろう、見た目だけは良い奴だから。現実逃避がしたくて普段考えないようなことを考えてしまう。
「新宿の方を向いた部屋もありやしたぜ。屯所は流石に無理だろうがかぶき町タワーはきっと見えらァ。そちらがお好みなら変えてきましょうか」
「いらねえ。一泊いくらするんだ、この部屋」
 王子様は露骨に鼻白んだ顔をして、それでもうっすらと笑う。
「あんたいくらなんでも野暮天すぎるな。スイートルームにはしゃげとは言わねえがもうちっと喜んだってバチは当たりませんぜ」
「はしゃげるかこんな居心地の悪ィ部屋」
「貧乏性だなあ土方さんは。こんな良い部屋なかなか泊まれねえってのに」
「身の程ってもんがあるだろ、無駄遣いすんな。明らかにバカ高いホテルじゃねえか」
「俺の給料も普段ろくに金使わないのも知ってんでしょ。このくらいなんともねーです」
 額の問題じゃねえと俺は言った。総悟が十八という年齢に似合わない金を持ってるのは知ってるが使い道が馬鹿げている。天人か金持ちの商人しか泊まらないような高級ホテルを取ることはないだろう。
 俺の真っ当な主張を総悟は鼻を鳴らして追いやった。
「俺の財布の心配するより、自分の身を心配したらどうですか。なんせあんたはこれから丸二日、泣いても喚いてもここから出られないんですぜ」
 そうだった。
 俺は今から総悟に二日間、監禁されるのだ。

 全ての元凶は正月のクソ忙しい時期に俺が風邪をひいて寝込んだことだった。その前の日に攘夷浪士が立て籠った宿屋で総悟が暴れ、バズーカが火災報知器を壊し、部屋の中で指揮をしていた俺はまともに水を浴びた。当のバカはちゃっかり外に出た浪士を追って水を回避した。捕物の後始末で濡れたまま徹夜したのを差し引いても、この時期の風邪は不覚だった。
 正月は近藤さんは挨拶回りに忙しく、隊の指揮をする余裕はない。俺の周りで水に濡れた数人も風邪をひき、動ける人数も少ない。その尻拭いしたのが総悟だった。奴はほとんど寝ずに三が日を過ごし、そして驚くべきことに一つの始末書沙汰も起こさなかった。いつもの無茶はなりをひそめ粛々と取り締まりや隊士の取り回しを行っていたらしい。その様子を山崎も手放しで讃えていた。「沖田さん頑張ってましたよ、アンタがいないとしっかりするんですねあの人」と。そもそもすべての元凶はあいつだろと言いたかったが口を回す気力もなかった。
 一月四日に復帰した俺は忸怩たる思いを抱えながら総悟に迷惑かけて悪かったと頭を下げた。総悟はにやつきながら「あんた俺に借りを作りましたね」と言った。うっすらと嫌な予感がした。
「代休どこで取りたい? できるだけ融通効かせるようにすっから」
「そりゃ隊士として当然の権利でしょ。アンタが俺に個人的に借りた分はそんなんじゃ返せませんぜ」
 個人的な分とは何だ、それも仕事のうちだろう、そもそも元はと言えばおめーのせいだろという反論を思いついたが口には出せなかった。原因がなんでも一年でいちばん忙しい時期に風邪をひいたのは間違いなく俺の怠慢で、明確な弱みで、情けない気分が尾を引いていた。元凶とはいえ不甲斐なさをフォローしてくれた総悟が何か望むなら聞いてやりたいという気持ちも少なからずあった。仕方ない。俺は「何がほしいんだ」と訊いてやった。
 総悟はゆっくりと、一言一句区切るように言った。
「あんたの身柄」
「は?」
「俺ァ三が日のあいだ働き詰めでした、だからあんたの身柄を三日、ください」
「おいちょっと待て、意味わかんねーよ」
「嘘ばっかり」
 本当はわかってるんでしょ。そう嘯く総悟の眼差しは口調のゆるさとは裏腹に驚くほど研ぎ澄まされていた。
「あんたを監禁してーからその権利を下せェって言ってるんですよ、土方さん」

 散々抵抗したあと、最終的に条件付きで俺は折れた。いつでも隊と連絡は取れるようにしておくこと。緊急事態の折にすぐ駆けつけられるように、監禁場所は朱引内の宿泊施設にすること。その施設に迷惑がかかるようなことはしないこと。物理的な拘束はするな、怪我させるな、飯を食わせろ、煙草も吸わせろ、とにかく五体満足で返せ。いつだったか首に鎖をつけられてデスゲームをさせられたことを思い出すといくら条件をつけても足りない気がした。さらに細々と言い募る俺を総悟はひらひらと手を振っていなした。
「わかりやしたって。前みてーに縛ったりしねえで、飯もちゃんと食わせて、どっかのホテルの部屋の中から出さない程度の監禁なら付き合ってやってもいいって言ってんでしょ?」
 こいつらしくもなくあまりに聞き分けが良かったので驚き、俺は呑まれてしまった。よく考えたら監禁したいと言われてる時点で聞き分けもクソもない。
……まあ、そうだな」
「それでいいですぜ。俺だって休み取るんだからどーせならいいとこ泊まりてえし。場所は俺が決めますし、金も出します。あんたは全力で予定の調整をしてくだせえ。みんなには土方さんの奢りで箱根の温泉に行くってことにしますんで」
 どうしても一抹の不安は残ったが仕方なく調整をして、予定を空けられたのは二月の末だった。言い訳が苦しいんじゃないかと思いながら「総悟が正月の穴埋めに箱根の温泉連れてけってうるせえんだ」と告げたら、近藤さんは「あいつは相変わらず歳の割に渋い趣味してんな」と大笑いして俺の肩を叩いた。疑うそぶりもなかった。
「いいじゃねえか、総悟は意外とレジャーとか好きだし。二人でのんびりしてこいよ」
「なんかあったらすぐ呼んでくれ、頼むから。箱根なんてあっという間だから。すぐ帰ってくっから」
「心配性だなあトシ、気ィ使うなって。俺たちに任せとけ」
 いや言い訳さえつけば積極的に帰りたいのだと言うこともできない。お人よしの大将は有給休暇申請に快く判をくれた。きれいに押された朱色の近藤の文字にため息をつくことしかできなかった。

 一時間前、タクシーの中でどこに行くのか聞いても総悟ははぐらかすばかりで要領を得なかった。諦めて黙ると、車内はエンジン音だけが響く。俺はそれから車が行く道を覚えることだけに腐心した。逃げる時のために覚えておこうと思ったのだが、その努力は無駄に終わった。なぜなら車はいつも江戸城に行く道を通って濠のすぐ脇のお高いホテルに止まったから。
 タクシーから降りた総悟はまっすぐエントランスを突っ切ってエレベーターホールに進む。俺はその背を追いかけた。見知らぬ客がいれば絶対に声をかけてくる訓練されたホテルマンたちは俺たちをあっさりと通して「どうぞごゆっくり」と言っただけだった。総悟がどこからか取り出したカード型のルームキーをリーダーにかざすとすぐに扉が開く。乗り込みながら分かりきったことを尋ねた。
「ここに泊まるのか」
 奴は何ともないような顔で答えた。
「そうですぜ」
「チェックインは」
「もうとっくに済ませてありやす」
 屯所の近くでタクシー拾って来たのにいつの間に、と思ったがおそらく早めにチェックインを済ませた後屯所に戻ったのだろう。呆れるほど用意周到だ。
 総悟はルームキーを再度かざしながら「エレベーターはこれがないと動かせないんですぜ」と妙に上機嫌で言った。わざわざ言われなくても俺はさりげなく貼られた注意書きに気づいていた。今どきはビジネスホテルすらもルームキーがないと上階には上がれないことが多いが、高級ホテルのセキュリティは一味違うらしく、そもそもこれがないとエレベーターが来ない。高層ビルの非常階段は、非常時以外は使えないことも多い。
「ルームキーは俺が持ってる一枚きり。もしあんたがここから出たいなら俺を殺るしかないってわけだ」
「お前わざわざこういうセキュリティのところ探したのか?」
 何もボタンを押さなくとも上がっていく階数表示を見つめながら俺は問うた。
「もちろん。監禁するって言ったでしょ」
 そのマメさは別のところに使って欲しい。
 そう思うより早く二十三階に着いた。


 そして俺たちはあの居心地の悪い部屋に入ったのだ。
 未だ立ちすくんでいる俺を尻目に、総悟は荷物を放り出すとずかずかと部屋に入ってぐるりと見渡し、そのまま寝室のドアに入った。ややあって、総悟の声だけが飛んでくる。
「土方さん、来てくだせえ」
 俺もゆっくりと寝室に移動した。部屋の中央に柔らかそうなベッドが二台、俺の歩幅分くらいの距離を空けて置かれている。当然だと思いつつなぜだか無性に安心した。
 総悟は寝室に繋がった洗面所にいてバスルームを覗き込み「サウナありますぜサウナ。すごくないですかィ」と言った。
 奴が指差す方を見る、大理石で出来た大きめの浴槽とシャワー、片隅に透明な硝子で区切られたスチームサウナがある。
「お前普段は暑がってサウナなんか入らねえだろ」
「でもこーいうところにわざわざ付いてると入りたくなりやせんか」
 その感覚は分からないではない。
「まあスチームサウナならそんなに暑くもねえから、お前にはおあつらえ向きなんじゃねーの」
 ふうんと総悟は呟いてバスルームから出た。ボウルが二つも据えられた豪華な大理石製の洗面台と、洗面所の隅で存在感を放つ便器を見比べる。
「なんで高級ホテルも洗面所と便所はくっついてんだろうな」
「独立したトイレもあっちの部屋にありやすぜ。俺、一人一個便器ある生活憧れてたんでィ」
「妙なもんに憧れるな」
 総悟は寝室を通り過ぎ、どっかりとソファに腰を下ろした。奴の腰のものがなくなっていることに、その時初めて気がついた。立ったまま煙草に火をつけると、総悟が上目遣いで見てくる。
「座らねーんですか」
「お前なんでこんな真似してる?」
「こんな、って?」
「こんな無駄に高えホテルで俺を監禁するなんてどう考えてもおかしいだろ。目的を教えろって言ってんだ」
「目的、ね」総悟は意味ありげにぐるりと目線を回してみせた。「監禁して土方さんの自由を奪ったら面白いかなァって思ったんで」
 あと高えホテルって一度泊まりたかったし、こーいうところのルームサービスも食ってみてえし、ゴロゴロするのも悪くねえかなと思ったんでと総悟は澄ました顔で指折り数える。ここ泊まってる間の金は俺が持つんでご心配なく、とさえなんでもないような顔をして言ってのけた。
「分かんねえな。かける金に見合ってないだろ絶対」
「そうですかねえ、俺はあんたがビクビクしてるの見れて楽しいですぜ」
「誰がビクビクしたってんだ」
 この期に及んで刀を手放してないのが証拠ですぜと奴は両手を広げてにやりと笑った。
「俺は早々に丸腰だってのに、意気地がねえったら。まあ何言っても無駄かもしれませんがね、約束通り危害を加える気はねェんで。あんたは明後日のチェックアウトまで部屋から出なけりゃいいんだ、気楽に過ごしてくだせェよ」
「お前の約束ほどアテにできねえものもないな」
「だってせっかくの高級ホテルですぜ」
 こんな機会がないと泊まることもないし、大枚はたいてんだし、俺も楽しみてえや。土方さんの監禁はオマケでさあと総悟は言った。
……そうかよ」
 俺は自分でも驚くくらいあっさりと諦めた。俺がいくら警戒しても奴を面白がらせるだけで、それならば休みと割り切った方が良い。何か仕掛けてきたらその時はその時だ。ホテルに迷惑をかけないという約束がある以上、大事にはならないはずだ。多分。
「おい、刀掛けどこにあった」
「寝室の、ベッドと反対側の壁にありますぜ」
 寝室に戻り、下段に総悟の菊一文字RXが収まった刀掛けに村麻紗を置く。最近だと刀掛けがあるホテルも少なくなってきているという。廃刀令のこのご時世、ほとんどの客には必要がないからだ。
 俺がソファに腰を下ろすと、総悟は「あの刀掛け、取り外せるようになってんですぜ。天人からのクレーム対策で」と言った。それは知らなかった。
「天人の中にゃ刀を毛嫌いしてる奴もいるからな。幕府の関係者が来た時だけつけてんのか。よくできてるな」
「俺だったら刀掛けをコート掛けって言い張りやす」
「お前ホテルマンは向いてねーよ」
 総悟は心底どうでも良さそうに「ネトフリでドラマでも見やせんか」と言った。
「いいけど、なんか見たいのあんのか?」
「池袋ウエストゲートパーク。一回見てみたかったんでさァ」
 実は俺もちゃんとは見たことはない。再放送でチラッと見たことが何度か。
「なんでまたそんな懐かしいモンを」
「屯所じゃ見辛くねーですかアウトローの話。いちお、ケーサツでしょ俺ら」
「そうか? 別にいいんじゃねーの、フィクションなんだから。近藤さんだってこの前ルパン見てたじゃねえか」
 妙なところに気を遣う奴だなと思ったが、開始数分で理解した。一昔前のカラーギャングが大暴れしているその絵はさながら、俺と万事屋が入れ替わった時の真選組のようだった。
「これあいつらに見せたらなんか影響されそうだな……
 おまけに総悟は街のシンボルのふくろう像を盗むシーンでなんだか喜び「警察じゃなかったら俺もやってみてえ」と言い出したので、屯所で見せなくてよかったと心底思った。
 一話見終わったところで総悟が「おやつの時間ですぜ」と言いルームサービスのメニューをめくり出す。
「俺ケーキ食いまさあ。土方さん何にします?」
「あー……
 ずいと差し出されたメニューに目を走らせ一瞬迷った。甘いものは嫌いじゃないがわざわざ食うほど好きでもない。高級のルームサービスらしい値段とここの払いが総悟であることがないまぜになったから。その逡巡を見抜いたらしい奴は「チョコケーキでいいですかィ」と言った。頷くと総悟はそのままフロントに電話をかけだした。
 煙草を吸いながらその背中を見つめる。勘違いじゃなければ、俺はもてなされている気がする。あの総悟に。

 運ばれてきたケーキとコーヒーにはきちんとマヨネーズのボトルが一本付けられていて俺は逆に怖かった。
「お前これ頼んだのか。俺マヨネーズはちゃんと持ってきたぞ」
 というか俺の鞄には二泊の着替えと三日分のマヨと煙草しか入っていない。
 総悟はふふんと鼻を鳴らして「全部の食事にマヨつけてくれって最初から頼んでありまさァ」と言った。
「土方さん犬の餌にする前にそっちのケーキ一口くだせえ」
 フォークでチョコケーキの最初の一口を持っていくのを確認してマヨをかける。食べてみるとそのマヨは明らかにいつも食べているものとは違う味がした。
「美味いな」
「マヨが? それともケーキが?」
「どっちも」
 ケーキをつつきながらドラマの続きを見る。しばらくやいやい言っていた総悟が急に静かになったと思ったら奴は目を閉じていた。寝息すら立てていないが寝ているらしい。昔から静かに寝る奴だった。動画を停止しても身じろぎもしない。ベッドに連れて行った方がいいかとチラリと考え、そんな選択肢が浮かんだことそれ自体に驚いた。武州にいた頃、宴会で寝入ってしまった総悟を布団まで運んだせいだろうか。今やったら殺し合いに発展するだろう。
 なんだかんだ面白く見ていたドラマが止まったので一気に手持ち無沙汰になった。一応社用携帯を見たがメールも着信もなく、いよいよ暇だ。フロントに電話をすれば新聞か雑誌くらい手に入りそうだが、そこまで読みたくもなかったのでやめた。総悟にならって目を閉じて考える。
 今の所監禁されているというよりは良い宿で良い飯を奢られている。確かに鍵は持たされてないが、総悟が持ってるルームキーを奪うこともできなくはない。総悟が寝入っている今ならこっそり非常階段から降りることだってできるかもしれない。監禁というには中途半端だが、金だけはかかっている。こいつは何がしたいんだろうか。ホテル代を俺が奢らされることになる方がまだ納得がいく。
 まあ別に破産するような額じゃねえからいいか。
 そんなことを考えていたら俺も眠ってしまった。

 
 目を覚ました時、総悟はもう起きていてまたメニューを眺めていた。俺の気配に気づいた総悟は顔を上げて「あんたが寝てるから暇でしたぜ」と言った。
「おめーが先に寝たんだろ」
「そうでしたっけ?」
 すっとぼけた総悟はメニューを投げ出して、伸びをした。
「腹減ってます?」
 俺は首を振った。不規則な勤務のせいで飯は遅くなることが多い。さっき間食した上にまだ十八時だ、夕飯には早い。
「ならもう風呂入ったらどうです」
「お前が入れよ、サウナ入りてーんだろ」
 なぜか総悟は一瞬考え込んで、俺は身構えた。
「ま、そうさせてもらいやすか」
 土方さん続き見てていいですよ、あんた風呂入ってる間にそこ見ますんでと総悟は言って寝室に消えていった。言われた通り続きを再生し始め、もはや見慣れてきたオープニングを眺める。別の番組を見たっていいのに、なんで俺は素直に総悟の言うことを聞いてるんだろうか。監禁すると言われるとなんとなく主体があちらにあるような気がするから? あの廃ビルで監禁された日を思い出す。あの時と比べると自由があるから、俺も甘んじて受け入れてしまっているんだろうか。
 今日のニュースを見たら真選組が映っていて帰る口実になるかもしれない。そう思いながらチャンネルを変える気にもなれないのは自分でも不思議だった。ここに来る前は、山崎に言い含めて途中で電話をさせて強制的に監禁を終了させようかとまで考えたというのに。
 携帯はまだ、鳴っていない。

 総悟はいつもよりもずっと長風呂をして、頬に赤みを帯びて出てきた。入れ替わりで風呂に入る。スチームサウナはいつものドライサウナと違って暑くないので物足りなく早々に出てきてしまった。それでも湯の温度はちょうど良くて満足だった。俺はいつもの屯所の風呂だともの足らない。こんな熱い湯に浸かれるのは銭湯に行った時くらいだ、と湯船で足を伸ばしながら考えていてふと気付いた。総悟はわざわざちびっこ風呂に入るくらいだから熱い湯が苦手だ。この温度の湯に入れるわけがない。
「あいつわざわざ温度を上げたのか」
「なんか言いやした?」
 独り言に返答があって、思わず水音を立てるくらい驚いた。曇り硝子の扉に、見慣れた頭が丸い影が映り「なにビビってるんですか」と含み笑いの声がする。
「ビビってねーよなんでお前んなとこいるんだよ」
「ドライヤー取りに来たんでィ」扉に映った影は手に持ってるらしいドライヤーを振った。「そしたらなんか一人でブツブツ言ってたから」
「風呂がちょうどよく熱かったんだよ」と俺は言った。
「お前いつこんな熱い湯に入れるようになったんだ」
「入れるわけないでしょ、俺にとっちゃ三十九度が適正ですぜ」
「ぬるすぎだろ」
 扉越しのあいつの声はいつもの通りだった。温度は低め、ただし少しだけざらついている。その声は事務連絡のように「出る前にあんたが好きな四十二度に変えたんでさ」と言った。
 絶句した。あまりに意外すぎて。
 礼を言っても良い場面だった。だが俺が何も言えないうちに総悟は感謝を強要するでもなくさっさと立ち去ってしまう。
 とり残された俺は熱い湯船に体を深く沈めながら長く息を吐いた。
 

 部屋に戻ると、総悟は退屈そうにテレビを眺めていた。きちんと乾かされた髪はいつもより艶があった。いつも髪を乾かすのを億劫がりそのまま寝ることも珍しくないのに今日はちゃんと乾かしたらしい。総悟はかったるそうにリモコンを操って停止ボタンを押し、「そろそろ夕飯入りそうですかィ」と聞いた。
「ああ、ちょっと腹減ったな」
 先ほどと同じようにメニューを二人で覗き込む。ホテルに入っている格式ある割烹や寿司屋が作るらしい、うどんや蕎麦などは比較的安い、だが市価の三倍は取るだろうか。ステーキ丼や寿司の盛り合わせなんぞは驚くほどいい値段がする。それを眺めていたら武州から上ってきた頃を思い出した。蕎麦屋くらいしかない田舎と違って、このお江戸にゃおめーらのちっちゃい常識じゃ測り知れねえ店がたくさんあるんだ、信じられねえような金取られるとこもあるから間違っても飛び込みで寿司屋なんぞ行くな、出てくる奴の身なりをちゃんと見ろ、お前らとおんなじような格好したやつが出てきた店に行け、あとふぁみれすと書かれた店は値段もしれてるからしばらくはそこに行けと松平のとっつぁんにくどくど言われたことも今は懐かしい。その時は酷ェこと言うおっさんだなと思ったがすぐになかなかに正しい忠告だとしれた。将軍家とも親戚筋という生粋の殿上人のくせに、あの親父にはびっくりするほど気の回るところがある。
 そういえば真選組が発足すると近藤さんと俺は立ち振る舞いを学べと料亭に連れてかれたのだった。おどおどすると田舎モンだと舐められる、どんなに高くても驚くな、見栄を張るのも伊達のうちだ。そんな薫陶を垂れながら芸者と野球拳をして下帯一枚になって腹踊りをする上司を見て俺は「コイツについて行って大丈夫だろうか」と本気で思った。近藤さんはその帰り道「アレが江戸の粋な遊びって奴か」と熱い息を吐いていたのでバカ素直もいい加減にしろと言ってやった。忠告は効かず近藤さんは程なくしてスナックやらキャバクラやらに出入りするようになったが。困ったもんだと思いながらも見栄を張るのも伊達のうちだという言葉は妙に心に残り、俺はどんなところに行っても値段を見ても眉一つ動かさない癖がついた。
 柄にもなくのんびり過ごしたからそんな昔の馬鹿馬鹿しい思い出に引っ張られたのかもしれない。気がつくと総悟が「何一人でぼーっとしてんですか」と顔を覗き込んでいたから、素直にそんな話をしてやった。とっつぁんが腹踊りをするくだりで総悟は珍しく唇を緩めた、そういえばこいつは昔からとっつぁんの腹踊りが好きで、見るたびにおもしろそうに笑う。俺の前じゃ滅多に笑わねーくせに、という妙な感情が腹の中をよぎり、すぐに消える。
 総悟はお高いステーキ重と日本酒にすると言った。考えるのが面倒くさくなり同じ店のサンドウィッチにしようとしたら総悟が不機嫌そうな顔をした。
「土方さん、考えてもみなせえよ。あんたの残り短い人生、俺に奢られるなんて機会はそうそうないんですぜ。適当に選ぶなんて勿体ねえ」
「俺の人生を短ェって決めつけんな」
 結局俺も同じステーキ重を頼むことになった。全てを丸め込まれてる気がしないでもないが、なんで総悟が俺を丸め込もうとするのか分からない。

 ソファに座って行儀悪くステーキ重を食い、酒を飲みながらドラマをだらだら見続けた。味は文句なく美味かった。
 総悟が食べ終わったルームサービスを廊下に出しているとき、ふと窓に近づいた。とっくに日が落ちて城は見えない。代わりに高層ビルの白くやわらかな光が上品に瞬いている。同じ夜景でもピンクライトやらが混じった新宿の光景とはえらい違いだなと思いながら煙草に火をつけると、背中から肩にかけてなにかあたたかいものが当たる。
 総悟が俺の背中に張り付いて肩に顎を乗っけているのだと気づくのに少し時間がかかった。
「何見てんですか」
 総悟が問いかけてくる。漆黒の硝子越しに俺を見る総悟と目が合いかけて、逸らしてしまう。その事実に思わず息を詰めた。
「いつもの夜景とはえらい違うなと思ってたんだよ」
 俺はちゃんと声を出せているだろうか。
「当たり前でしょ、将軍様がご覧になる城下の景色ですぜ」
「そーだったな」
 いつものように会話をしながら総悟は動かない。俺も動けない。こんな時に限って、煙草が燃えるのはひどく遅い。
「土方さんは分かりやすいなあ」
 硝子に映る総悟が笑った。
「教えてあげましょうか、俺がなんでこんなことしてんのか」
 あんたを籠に入れてみたかった、と総悟は言った。
「あんたを閉じ込めて、自由を奪って、俺の意のままにできるようにして……そしたらちったあエサやる気になりやしたぜ。それが分かったのがいちばんの収穫かもしれねーや」
 昏い窓に映る奴の表情は口だけ笑っていて、俺はびっくりするほど簡単に、いつもは見抜けない奴の嘘がわかった。
「お前、それ嘘だろ」
 背中の重たくあたたかいものはぴたりと動きを止めて、肩に置いていた顎を引いた。その隙に振り向く。当たり前だが総悟の顔がとても近くにあって、振り向いてしまったことを瞬時に後悔した。
「あんた、なんでこんな時だけ鼻がきくかなあ」
 総悟は俺の目と鼻の先で破顔した。それだけ近かったのだから、俺は総悟になんだってできた。殴ることも突き放すこともできた。手を伸ばすことも頭を撫でることも、きっと。
 だけど何もしなかった。どうすればいいのか分からないから。俺は近藤さんでもこいつの姉貴でもないから。
 俺が俺として総悟に触れたことなんて、もうずっとなかったのだと、今気がついた。



 こんな高い宿のベッドなんか寝られねえよと思ったのも、あんなことがあった後並んで寝るのかよと思ったことも忘れて、布団に入って数秒で俺は熟睡した。喉元過ぎれば熱さを忘れるという諺があるが俺はそれだ。自分のこういう、妙に図太いところが総悟の癇に触るのだと理解している。
 隣からは健やかな寝息が聞こえる、まだ王子様は寝入っているらしい。枕元の目覚まし時計を見ると十一時を過ぎていた。ゆっくりと気配を殺して客間に向かい、窓辺で煙草に火をつける。寝覚めの一服はいつだって旨い。朝日を浴びる庭園を見下ろしても屯所の自室でも変わらない。
 昨夜、ちょうどここで俺の肩に顎を乗せていた総悟は何事もなかったかのようにす、と離れて「もう俺は寝ますぜ」と言ってスタスタと歩いていった。しばらく間を置いてから寝室を覗くと、手前のベッドがこんもりと盛り上がっていた。俺がもう一つのベッドにそっと入ってもそのまるい塊は動き出さずにいて、それにとても安心したのだ。
 一夜明けて、俺はあいつが寝ているのを有り難く思っている。あと数十分もしたら顔を合わせなきゃいけないというのに。
 こんな気持ちは初めてだった。思えば幾度となく殺されかけたり嫌がらせをされてきたというのに、総悟と顔を合わせづらいと思ったことはなかった。昔の総悟は俺への敵愾心をむき出しにしていて、まあ大変なことも多かったがある意味で分かりやすかった。俺はぶつかってくる小さな体を時にいなしたり時に力で押さえつけたりするだけで良かったから。長じてからは無表情になり、剣の腕は越されたし嫌がらせもますます過激になった。だが近藤さんと真選組という守るものができ、その意味で俺とあいつは同士になった。俺にとってあいつはもっとも信用のおける最強の剣だった。
 総悟だって似たようなことを思っている、と今まで疑わなかった。副長の座を狙うくせにあいつは仕事の差配を考えたり部下に細かい指示をするのが苦手だった。一方俺は人を動かすことに長けていて、誰をどこに配置すればいいのか、どう頼めば最良の結果が得られるのか直感的に分かった。だから俺への度々の嫌がらせに強引に目を瞑れば、お互いに利がある俺たちはうまくやれると、なんとなく信じていた。
 だがそれは勘違いだったかもしれない。
 煙草の灰が落ちそうになり、慌ててサイドテーブルの灰皿に押しつける。細く上がっていた煙はなかなか消えない。新しい煙草に火をつけることもできず、煙が靄となって消えるまで無意味に眺めていた。窓を開けて換気がしたかったが高層階は当然の如くはめ殺しだ。
 認めるのは癪だが、俺は今困っているらしい。何故。別に何をされた訳でもないのに。あいつが分からないのなんて出会ってから今までずっとだというのに。
 総悟に肩に顎を乗せられたくらいでこんなにもたじろぐのか、俺は。
「あと一日、どうそりゃいいんだ」
 思わず声が出て、すぐに間違いに気がついた。あと一日どころの話ではない。このホテルから出られても俺とあいつが帰る場所は同じで、職場も住所も違える予定なんてないのだ。



 三分後、腹を決めた。守りは性に合わない。こういう場合はこちらから打って出るに限る。
 そっと寝室に入る。相変わらず横に丸くなっている、その顔を覗き込んだ。こいつは居眠り中ですらいつもアイマスクをしているから、寝顔を見るのは久々だ。いや、毎日一緒にいても真正面から顔を見つめることなんてないしこいつの前で隙を見せれば鼻フックを食らうだろう。だから実は総悟の顔を間近で眺めるのは久しぶりだった。相変わらず文句のつけどころがないほど整った造形をしている。
 こいつとはじめて顔を合わせた時のことを、俺はよく覚えている。
 近藤さんに拾われてから一晩明けた朝のこと。細っちい肩に木刀を下げて門から入ってきた子どもが、道場の縁側で座り込んでいる俺にまっすぐ歩み寄りながら「なんだお前、どこのモンだ」と言い放ったのだ。声は年相応に幼いくせにやけにふてぶてしい喋り方だった。お前こそ誰だと返してやりたかったが、このガキからすれば一晩のうちにあらわれた俺が気になるのは道理だとすぐに思い直した。だが生意気そうなガキに素直に答えるのも癪だし、何より昨夜の喧嘩で口の中を切っていて痛かった。だから黙したまんま、包帯で塞がっていない方の目でじいっとそいつの顔をねめつけた。総悟は一瞬たじろいだが腹を決めたように目つきを鋭くして俺を見返した。そうやってまともに目を合わせてようやく、この子どもがえらく綺麗な顔をしていることに気づいた。
 口に出して言ったことはないしこれからも決して伝えないだろうが、俺が今まで見てきた人間の中で一番顔のきれいな男を選ぶなら文句なしでこいつになる。初めて会った時から今までずっとその番付は覆されていない。
 今のように口を閉ざしていると行動に邪魔されないから更に顔のつくりの良さだけが浮き彫りになる。すぐに起こそうと思ったのに、なんとなく珍しいものを見た気がして、まだ少しだけまるみがある頬や鼻の高さを確かめるように眺めていた。たまりかねた総悟が「何してんでィアンタ」と目を開けるまで。
 俺が入ってきた時から総悟が起きているのは気配で分かっていた。
「いつまで寝たふりこいてんだろうと思ってな」
「人の寝顔じいっと見るなんて趣味悪いや」
 顰めっ面を作るわりに声はそう嫌がっちゃいない。その証拠に総悟は目をそらしもせず「なんで起こしに来たんです?」と聞いた。
「もう昼だぞ。飯どうする?」
「なんだ、腹減ったんなら勝手に頼みゃあいいのに」
 そう言いながら総悟はすぐに起き上がった。首を回しながら「何食おっかな」と呟き、ベッドから降りる。いつもの寝汚さとは対照的と言ってもいい。表情はほとんど変わらないのに機嫌が上向いたのを肌で感じる。こんなに分かりやすく上機嫌になるやつだったのか、と変な気分になる。俺が何かして総悟の機嫌が良くなるなんて、考えたこともなかった。
 俺は総悟のことをあまり知らないのだ。あいつは姉貴と近藤さんをとても大事にしていて、俺のことはまあまあ嫌いで副長の座を狙っている、が、すぐに命を獲る気はない。
 それだけ分かってれば十分だと思っていたのに。

 沖田総悟というものを理解しようとしていた時期が、俺にもある。遠い昔の話だ。
 初めて顔を合わせた時から不穏な空気を漂わせていた総悟と俺との関係は、その後も良くなることはなかった。お互い遠慮がなくなってきて体力が尽きるまで殴り合って暴れると何となくスッキリはできるようになったがそれだけ。あの時の総悟は俺が片手で持てるくらい小さかったくせに、本気で暴れた時の急所の捉え方は末恐ろしいものがあった。ガキは人の痛みを知らないからえげつないことも平気でできる。
 思い返すのも腹立たしいが俺は一度だけ金的をまともに食らい、情けなくもうずくまったことがある。必死で息を整えながら「お前それは卑怯だろ」と口にすると、総悟は「喧嘩に卑怯もクソもねーだろ」と、俺がよく言っていた言葉を高い声で繰り返した挙句にべっと舌を出し、すたすたとどこかに行ってしまった。
 普通だったらキレていいところだと思うが、俺はその横顔にほんの僅かだけよぎった「やりすぎたかな」という色やそれ以上追撃してこなかったところに、このクソガキのかわいげみたいなものを見出してしまった。だからようやく立ち上がれるようになる頃には怒りがきれいに失せていた。
 その時は俺が気に入らないから容赦なく逆らってくるのだと思っていたが、認識が誤っていたことはすぐ知れた。少し後、総悟は俺との喧嘩を止めようとした近藤さんにも躊躇なく金的を入れて昏倒させたから。お前この前反省したんじゃないのか、と本来の喧嘩相手である俺は驚いて手を止めた。
 でも総悟はすぐに「近藤さんごめんなさい」と頭を下げた。あいつがこんなに素直に謝るのは珍しかったんだろう、うつ伏せに倒れた近藤さんもしょうがないなお前はと言って苦笑した。大分痛そうだったが。
 それに気をよくしたのか総悟はニコッと笑いながら近藤さんの肩に甘えるように顔を寄せた。近藤さんも嬉しそうに奴の頭を撫でていた。
 取り残された俺はいよいよ不思議だった。この子どもは嫌いな俺だけではなく大好きなはずの近藤さんにもカッとなったら蹴りを入れるし、かと思えばすぐに謝ってけろりと甘える。口では絶対譲らないくせに、やりすぎた時に浮かぶ反省の色はかわいげがあって毒気を抜かれる。まるで読めない。
 総悟の思考なんざ考えても無駄なのだ、と早々に俺は見切りをつけた。そしてあいつの攻撃を舐めず、真剣に回避するようになった。
 だからそれ以来金的は喰らっていない。

 ドラマの続きを見ながら朝飯兼昼飯のクロワッサンを咀嚼する総悟の口角はやっぱり上がっていて、そのせいか昔のことを思い出した。総悟が今よりもずっと素直に笑い、もっとむき出しに怒っていた頃のことを。何かの棘を踏んだようにざらついた痛みが走るのは、思い出さないようにしていた自覚があるからだ。
 あの頃の俺は、自分には決して懐かない子どもに可愛い顔で笑いかけられている近藤さんのことがほんの少しだけ羨ましかったように思う。捨ててしまった感情の名残を舐めて、その渋さに顔を顰めるような真似をするのは馬鹿のすることだ。だが今日はなぜだか、あそこで俺が何かしらの努力をしていれば俺たちの関係性も違ったんだろうか、なんてことまで考えてしまう。
 クロワッサンを食い終わった総悟が急にこちらを向いた。目が合う。
「何妙な顔してんですか」
「いや、別に」
「今日の土方さんは変だなあ」
 俺は首の角度を正面に戻しながらパンの残りを口に放り込んだ。テレビには派手な髪の男が映っている。話を逸らしたくて「こいつの髪型、終に似てるな」と言うと、総悟はちょっとにやりとした。あからさまに話を逸らしすぎたか。
「終兄さんはもっとオレンジでもこもこでしょ。つーかアフロでしょ」
「あいつ、ずっとあの髪型だけどなんでかね。昔から髪結ってんの見たことねーぞ」
「あれ以上伸ばすと髪が爆発してどーにも手に負えないって聞きやした」
 何気なく口に出した世間話に答えが返ってきたことに驚いた。総悟は「いっそもっと短くしちまえば楽なんじゃないかって言ったんすけど、それは嫌だって」と追加してくる。
「お前、普段終と何話してんだ」
 終とは古い付き合いだが、何分無口な奴なのでここ数年は声すら聞いていない。そこへ行くと総悟は昔から終と仲がよかった。近藤さんに対するような分かりやすい好意でこそないものの兄さん兄さんと懐き、終の意思をよく汲んでいた。二人がいつも何を話しているのか、俺は知らない。
 総悟は首を傾げておどけた顔でぐるりと目を回した。「何、って言ってもね。終兄さんはあの通り喋らねェから。ほとんど俺が一方的に話してんで」
「え、そうなの?」
「ええ。知らなかったんです?」
 知らなかったというより、考えたことすらない、に近い。総悟は何かを思い出すように斜め上を向いて、終兄さんとね、と言った。
「話す内容はどーでもいいことなんでさ。近藤さんがまた振られたとか土方さんが俺の罠にハマってくれたとか」
「ふうん。あいつ、なんかリアクションすんのか」
「いやあんまり」
「それ喋り甲斐ある?」
 総悟はふふんと鼻を鳴らした。「そういうこと言うから土方さんは終兄さんと仲良くなれねーんですぜ」
 そう、実は終とあんまり話したことがない。終のことは好きだ。仲間としてもその剣の腕も信頼している。だが俺は喋らない相手に、総悟や近藤さんのように無邪気に話しかけられない。相性の問題だ。だからそのまま口にした。
「仲良くねえっていうか、昔からあんまり喋らねえってだけだ。俺は雑談みてーなもんが得意じゃねえんだよ。ましてや無口な終相手だとどうしていいんだかわかんねえってだけだ」
「終兄さんはたまーに、ボードでコメントしてくれるのがいいんでさァ。アンタは山崎を側に置いてるくらいだから。口やかましくて気がまわって横から手出してでも世話焼いてくれる奴が好きなんでしょ」
 総悟はアイスコーヒーのストローをくわえながらさらに続けた。
「そんでもって年上の方がお好みですよね、甘えられるから。根本的に年下は苦手なんだなァ土方さんは」
 近藤さん、とっつぁん、山崎も、原田だってそうだ。アンタが上手くやれる奴はいつだって年上なんだよなと総悟は指折り数えた。それに、と言って伸ばした小指の名前を総悟は声にしなかったが、俺には誰の名前を言いたいのか分かっていた。ミツバは近藤さんより一つ上だった。
 昔、山崎が髪切って地味になったあたりからアイツのこと贔屓し始めたでしょうと総悟は揶揄うような声音を崩さず口にする。
「終兄さんはなんも言いませんけどね、ちょっと寂しそうな顔はしてやしたぜ。兄さんだけじゃねえ、古参のやつらはみんな面白くなさそうだった」
 俺は顔を顰める。三年も四年も前のことを蒸し返すなと言いたい。だが正直、武州から一緒に上ってきた仲間たちのそういう雰囲気は感じ取っていた。ただし一番気に入らなさそうな顔をしていたのは他人事のように語っている総悟当人だ。
「贔屓っつーか、使える男だと思っただけだ。地味で人の印象に残らないわりに人好きがするだろ、なんでも警戒せずに聞き出せる。これから浪士共とやり合うんだったら腕っぷしだけじゃあだめだと思い始めた頃だったからな」
 我ながら浮気男の弁明よろしく言い訳がましい響きだった。俺は総悟に対して何を言ってるんだとは思うが止められない。
 総悟は行儀悪く膝に頬杖をついてふうんと唸る。
「素直でアンタの言うこと聞いて頭も回るザキは腕ばっかりで脳がない俺らより使いやすかったわけだ」
「そうは言ってねえだろ、適材適所ってだけだ。それに原田なんかはすぐ仲良くなってただろ。お前だって山崎にはすぐ懐いたじゃねえか」
「はい? 誰が誰に懐いてるって?」
「夜中に突然起きて腹減ったって言い出して、張り込み帰りの山崎に用意させてただろ。忘れねえぞ俺は。人のことは言えねーだろ、お前だって年上にはすぐ懐くじゃねえか。甘ったれやがって」
 三年ほど前、真選組になりたてだった頃だ。山崎と二人、攘夷浪士の尾行から帰ったら総悟が起き出して「腹減ったからなんか食べてえ」と言い出した。我慢して寝ろと捨ておこうとした俺を尻目に、山崎はしょうがないなあと表情に出しながらも握り飯を握ってやって、土方さんも食べてくださいよ腹減ってるでしょ、と言った。暗い食堂の中、三人で立ち食いした握り飯は、具も海苔もないのに塩加減が絶妙でたいへん美味かった。
 あいつは何をやらせても卒なくこなすと言うには一段上回る仕上がりを見せるのだ。適当に作った握り飯でさえも。それは目立たないけれど確かな山崎の長所だった。その巧みさは人間関係でも発揮され、自然と増えていく隊士たちのまとめ役になっていった。一回り以上年下の上司になる総悟とも、俺よりずっと上手くやっているように見えた。
 気がついたら総悟は頬杖をやめて背筋を伸ばし、目を見開いて俺を見ていた。耳をピンと立てて何かに警戒する猫のよう。何をそんなに驚いてるのか。
「どうした? さっきからドラマ全然見てねえけど巻き戻すか?」
 途端に総悟は脱力した。ソファの背もたれにだらしなく仰向けに寄りかかって嘆息。首が無防備にそらされる。総悟の喉仏が、記憶にあるよりも目立つようになっていることに気がついた。
「あんた、なんでこのタイミングでそーいうこと言えんの?」
 見るけども、と総悟はリモコンを手に取った。なんなんだ。

 残り三話のドラマに加えてスペシャル版まで見終わるともう窓の外はとっぷりと日が沈んでいた。俺の右横でソファに体を投げ出して座っていた総悟はリモコンに手を伸ばしてテレビを消し、そのまま天に向かって伸びをし、ついでに足も大きく開いて俺の領土を侵食しながら「わりとよかったですねィ」と言った。どうでもよさそうな語調だったがとても気に入ったらしいことは表情で分かった。煙草に火をつけながら、面白かった、名作だけあるなと返した。総悟とはドラマの趣味だけは割と合うのだ、昔から。
「土方さんさあ」
 唐突に総悟が声を出した。いつもよりもわずかに大きい声で。
「僻んでンの?」
「は?」意味がわからなかった。「何に」
「山崎とか、あとたぶん、万事屋の旦那とか、かな」
 さっき俺が年上にはすぐ懐くって言ってたけどさァ、年上の中で、自分だけ懐いてもらえなかったって、僻んでそーな顔してた。
 そう言い切った総悟はソファの背もたれに肘を置き、目をわずかに眇めて俺を睨む。さっき猫を思わせた表情はもうどこにもない。眼差しの鋭さは戦場にいる時のそれだった。そういう顔をされると俺は咄嗟に逃げてしまう。考えるより先に、回避する術が身についている。
……いやお前、敬語使えよ」
「逃げ腰にも程があらァな」
 静かな罵倒が部屋に響いた。奴の苛立ちの目盛りがじりじりと上がっていくのが手に取るように分かる。お前、周りに誰かいる時はわりと気ィ使って敬語だったんだな。それも気づかなかった。率直にいえば勘弁してくれと思った。無意識に体を退けたらしい、その分だけ距離を詰めた総悟が、俺の袖を掴み、引いた。答えるまで逃さないと言っているような気がした。大したことのない拘束なのに、なぜだか振り解けない。
 それは監禁と名が付いたこの部屋とよく似ていた。
 奴は子どものような声で俺の名を呼ぶ。
「教えてよ、土方さん」
 今も昔も、と思う。
 俺はお前のことなんて何一つわからねえよ。何を考えてるのかも何を喜ぶのか何に怒るのかも、よく分からない。考えないようにしてやり過ごしていたけれど、否応なしに間近で相対しているこの部屋では、それも難しいらしい。
 吐息をひとつ溢して、煙草を灰皿に押しつける。誤魔化しはゆるさないとでも言いたげな突き刺すような視線を横顔あたりに感じた。俺は仕方なしに体を右に向けて、奴とほぼまともに顔を突き合わせる。テレビが消された部屋はかなしいほどに無音で、逃げ場はなかった。
「僻みって言うなら、そうかもな。お前に懐かれたかった時も、あったから」
 昔。総悟がもっと小さくて、素直で、ミツバと近藤さんへの好意と俺へのムカつきを全身で表現できていた頃。あの頃の俺は確かに、このガキに好かれたかった。
「勘違いすんなよ、昔の話だ」
 総悟は動かない。
「なあ、お前、俺になんて言わせたいんだ」
 無言。
「お前、俺になんて答えて欲しかった?」
 どんな俺だったら、お前は。
 とっくに諦めては、いる。総悟と出会って十年、ただの田舎のバラガキだった俺たちは真選組になった。同門のちびすけに懐かれたかったなんて甘い感傷はまとめて武州に置いてきている。何よりも先に、守らなきゃいけない大将と掟がある。だけど、今、この部屋には俺たちしかいない。
 問いを口に出した時、俺の中のどこかで、軋んで動かなかった歯車が噛み合った音が確かに聞こえた。
 総悟の目の青がすうっと濃くなって、一瞬のうちにその目の奥で何かが弾けて消えた。俺はその色をきれいだなと思った。相変わらずこいつの内心は分からなかったけれど。
 総悟は掠れた声で「……別に、ねーですよ、そういうの」と言った。
「そーかよ」
「アンタがアンタである限り、俺は」
 総悟はしばらく押し黙って、顔を上げる。
「土方さん、ガキの時の俺、かわいかった?」
「まあな」
「懐かれたかった?」
「昔はな」
 ふーんと言って総悟はちょっと首を傾げた。ほんの少し嬉しそうではあった。俺は案外、今でもお前のことをかわいいと思ってるよ、とは言わなかった。癪だから。



 今日の一番風呂をもらって総悟と入れ替わった後、俺はベッドに寝転びテレビを見た。ニュースを一通り見て、テロも真選組の話題もないことを確認して電源を切った。桂も高杉も、それから組の奴らもおとなしくしていたらしい。結構なことだ、暴れるなら俺たちが戻った後にしてくれ。
 そんなことを考えていたらいつの間にか寝てしまっていたらしい、気がついた時には総悟の顔が目の前にあった。もう少し正確に言うと奴は俺と向き合うように真横で寝そべっていた。顔が近い、びっくりするほどに。
……何してんの」
「なんも」総悟はちょっと笑った。「気ィ抜きすぎでさ」
「なんもねーのに人の顔至近距離で覗き込むのかおめーは」
「あんただって今朝俺の寝顔見てたでしょ」
 またサウナに入ったらしい総悟は近くにいるだけでぽかぽかと暖かかった。むしろ熱い。
「お前サウナ入ったろ」
「うん。俺あれ気に入りやした。屯所にも作ってくだせえ」
「そんなとこに経費使えっかバカ。スーパー銭湯でも行ってろ」
 けちだなあと総悟は頬を膨らませる。俺は思わずその白い頬を左手で軽くつまんだ。ガキの頃の喧嘩でよく引き延ばしたそれは、相変わらず柔くてよく伸びた。すぐ振り払われると思ったのに、総悟はすごく微妙な顔をしながら大人しく頬を揉まれている。まあもう触る機会もないだろうからむにむにと触り、解放する。総悟は怒りもせずぼんやり、俺の左手の先を目で追う。その瞬間、もう一度歯車が嵌る音が聞こえた。
 お前、俺のこと案外好きなんだな。
「土方さん、寝ぼけてんですかィ」
「いや? お前はもう眠そうだな」
「うん、ねみい」
 王子様はいつもとうって変わって素直に頷いてそのまま目を閉じかける。寝るなら自分のベッド行けよ、と言うと渋々といった調子でごろりと俺の方に寝返りを打ち、勢いのまま俺の上に乗ってくる。細身とはいえ男の体、腹の上に乗られると重い。げ、と思ったのも束の間、そのまま寝返りを打ち続けて俺の体から降りていく。腹に肘が当たって結構痛い。
「なんでお前はわざわざ俺の上を通っていくんだよ」
 セミダブルのベッドの端に辿り着いてむっくり起き上がった王子様は「人のほっぺ散々揉んだお返しでさ」と言って笑った。そのまるい頭はそのまま隣のベッドに倒れ込む。俺は手を伸ばしてライトを消してやった。
 暗闇の中、総悟がつぶやいた。
「遅寝ができんのもあと一日かァ」
「何時に起きる?」
「何時でも。チェックアウトは十二時だから、ゆっくりできやすぜ」
「うん」
 おやすみなさいと総悟は律儀に挨拶して、すぐに寝息が聞こえ始めた。寝つきがいいやつ。
 総悟の寝息はとても安らかで、それを聞きながら眠るのは気分が良かった。不思議なほどに。
 


 
 早寝したおかげかきっちり九時に目が覚めた。何度か瞬きをしてそっと体を起こすと、隣から「おはようございやす」と声が聞こえた。隣のベッドに顔を向けると白いシーツの間からぱっちりと空いた両目が見える。
「ああ、起きてたのか」
「今しがた」
 後ろ手にベッドヘッドを探る。煙草の箱を見つけて一本咥える、が更に隣にあったはずのライターの感触がない。振り向いて探そうとした時、カチリと音がする。見上げるといつの間にか立ち上がった総悟が火のついたライターを持っていた。
「床に落ちてやした」
 ほんとかよと思ったがわずかに煙草の先を動かすと、総悟がそっとライターを差し出した。その手の動きをやや警戒していたが、奴は火が移ったことを確認して大人しく蓋を閉める。ゆっくりと一服。
「お前、ライターの付け方知ってたんだな」
「バカにしてんでしょ。俺、吸ったことあるんですぜ」
 俺は驚いて危うく煙草を落としかけた。
……てめ、未成年だろ、」
「今更ァ? 散々飲酒は見逃しといて。でも一本だけですぜ」
「どこで買ったんだよ」
「買うわけないでしょ、アンタの部屋にいくらでも転がってるのに」
 総悟はひらりと片手を振った。言うとおり、飲酒も別に褒められた話じゃない、だが喫煙は明らかに俺の影響だからバツが悪い。だから「一本だけなんだな」と念を押す。
……煙草、どうだった?」
「世の中もっと美味いものがあると思いやした」
「人のやつパチっといて言うことかよ」
「でも土方さんはたまんなく好きなんですよね、ま、それも分かるなって感じ。なんかこーいうコトワザありますよね、なんだっけ」
 えーと、と思い出そうと総悟が上を見るより早く、閃いた。
「蓼食う虫も好き好き?」
「そうそれ。よくわかりやしたねィ」
 俺がよく言われる言葉だ。なんか分かってしまった自分が悔しかった。
「おい、もう吸うなよ」
「へい、今は」
 と総悟は言った。なんとなく含みを感じたが気づかないふりをした。



 窓際の丸テーブルをこの滞在中初めて使った。
 向かい側に座る総悟の髪が朝日を反射して透けるように光っているのを眺めながらマヨをかけたオムレツを口に運んだ。総悟は懸命に箸を動かして有名な料亭のすき焼き膳をぱくついている。朝っぱらから元気なもんだ。こいつの胃袋の強さにはほとほと感心する。
 視線に気がついたのか、総悟がふと顔を上げた。
「なんです?」
「朝からすき焼き食ってる奴初めて見たなと思ってる」
「はァ。屯所の食堂じゃ食えませんからね」
「なあ、どうだった」
「美味いですぜ」
「いや、すき焼きじゃなく」言葉に詰まる。「……この二日、どうだった。お前は、満足したのか」
 総悟の目的が分からない以上、どこに満足があるのかも測れないのだ、俺には。
 総悟は水菜をいい音を立てて噛んで飲み込んでから、そうですねえ、と似合わないゆったりとした声で話し出す。
「なんかね、最初はぜってー満足なんてしねーだろうな、虚しくなって帰るんだろうなって思ってたんでさァ」
「は?」さすがに驚いた。「そう思ってたなら、なんでこんなことしたんだよ」
「ダメかもって思いながら、それでもやってみたい時ってあるでしょ」
「ねえよ」
「あんたはそうかもね」総悟は箸を置いてうっすら笑った。「目的に向かって筋道立てて突っ走るのが得意だから。あんた、自分のやりたいことがはっきりしてて、それ以外は全部無視できるから」
 でも、俺はあんたを閉じ込めて、俺がどう思うのか試してみたかった。無駄かもしれねえけど、それでも、と総悟は言った。
「今はわりと、スッキリしてますぜ」
「そうか」
「うん。たけえホテルも泊まってみるとおもしろかったし、ベッドはふかふかで寝心地いーし、トイレも個室があるし、ドラマもゆっくり見れたし、サウナもよかった。飯美味かったし」
 それ、どれも俺がいなくても変わんねーだろ、とは言わなかった。総悟の心情はやはり俺にはよくわからなかった。それでもその言葉には嘘がないように思えた。だから俺も本心から答えた。
「なら良かったよ」
「うん。ありがとうございやした」
 総悟は笑った。滅多に見られないその表情が目に焼きついたようにちかちかと瞬く。俺も案外楽しかったよ、とは言えなかった。こういうところがよくないのかもしれない。
 最後の一枚の牛肉を食べ終えた総悟は「やっぱ〆にケーキ食おうかな」とメニューを眺め始めた。
「土方さんも食いやす?」
……食べる」

 のんびりモンブランを食っていたらチェックアウト十五分前になっていた。モンブランのかけらを口の端につけたままの総悟は刀二本を寝室から取って帰ってくると俺に村麻紗を差し出し、「んじゃ、行きましょうか」と言った。
「総悟、口の端についてるぞ」
「マジでか」
 表情を変えずにモンブランのかけらを取って口に放り込みながら総悟は歩き出す。俺も後を追った。
 丸二日間開かれなかった扉は、総悟の手によってあっさりと開かれる。エレベーターを待ちながら、そういえば一度も逃げ出そうとは考えなかったなと思った。来た時はあんなに居心地が悪かったのに不思議なものだ。
 一階に降りる。総悟が「ちょっと待っててくだせえ」と言い残してすたすたとフロントに向かう。一瞬、本当にいいのか、と言いそうになって止める。総悟が望んだことなんだから俺が金を出す必要はない。
 だがどうにもこうにも気まずい。ロビーのソファに深く腰掛けて息を吐く。煙草を取り出したかったが、灰皿を置いてないロビーで吸わない良識くらいは持ち合わせている。フロントで何かやり取りしている総悟の背中をあまり見ないように、飾られた豪華な生花を無意味に眺めたりしたがどうにも間抜けくさい。
 そこら辺を行き過ぎるホテルマンには俺と総悟が連れであることはバレている筈で、奴らには年下の男に高額なホテル代を払わせている俺がどう映るだろう、と思う。どこぞの万事屋みたいにガキにお守りされてるロクデナシに見えるんだろうか。というかそもそも男二人でホテルに二日間泊まって一歩も外に出てないってどうなんだ。これについてはもう今更過ぎるので考えないことにした。怖いから。
「お待たせしやした」
「おー……
 戦場以外で総悟の顔を見て安心することがあるとは思っていなかった。
 正面のエントランスに向かって並んで歩を進めながら、俺は「どっかで温泉まんじゅう買っていかねえと」と言った。
「偽装工作ですかィ。四越デパートにあるかなあ。そういや箱根で何してたことにします?」
「下手なこと言えねーから、温泉入って飯食って旅館でだらだらしてたことにするしかねーだろ」
 総悟は思いっきり顔をしかめた。
「えー、土方さんと二人きりで二日間過ごしてたってみんなに言うの、なんかヤだ」
「ふざけんな事実だろ、つーか全部お前が言い出したんだろ!」
 言い争いながらドアマンの横を通り過ぎて外に出る、総悟は立ち止まって大きく息を吸い込み、梅の匂いがしやすぜ、と言った。そう言えばなんとなく肌に当たる風が柔らかいような気がする。
「それにしても久々の娑婆の空気は美味いなァ」
「警察が出所ごっこすんなよ、しかもこんないーホテルの前で。ほら行くぞ」
「へーへー」
 東に向かって歩き出す。少し離れたところで総悟は急に振り返り「あんなホテル泊まること、もーないだろうなァ」と呟いた。数歩進んだところで俺も足を止め、ついでに煙草を出して火をつけた。振り仰いだ石造りの高級ホテルは青空に映えて眩しかった。
 泊まりたきゃまた来ればいいんじゃねーのと返すか、無駄遣いすんなと説教するか迷い、そのどちらも選べなかった。
「そーかもな」
 総悟はホテルから目を離さずに、「あんたも少しは楽しかったですかィ」と早口で問うた。
 さっきは黙っていたのに、そう正面から聞かれると、逃れようがない。
「楽しかったよ」
 ふうんと興味なさげに吐き捨て、総悟は踵を返して俺に追いついてきた。行きますぜとつまらなさげに言う口角は、確かに上がっている。
 そのかわいげに免じて、温泉まんじゅう百二十個の勘定は、俺が出すことにした。




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読んでいただいてありがとうございました!
合意のある監禁、というネタは友人からいただいて書かせてもらったのでした。特大の感謝。本当にありがとうございました。
普段とは違う環境で、分からないことを再確認したりちょっと分かり合ったりする二人を書けてとても楽しかったです。

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2025/10/19スパークで、こちらの話を再録+おまけ書き下ろし2P程度を加えた本(A5二段組34〜42P前後)を頒布する予定です。

部数アンケートに協力いただけると大変助かります。よろしくお願いします!

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