お題箱にいただいた「双方恋心無自覚両片思いのみずいこが相手のふとした挙動にきゅんとする」というリクエストを受けて
@a_yuuzora
水上が作戦室に入ると、視界に入る範囲には誰もいなかった。が、小さな歌声が遊び部屋の方から漏れ聞こえているのにすぐに気づいた。扉の開閉音が静かだったことと、会議室と遊び部屋を隔てる扉が閉じていたことで、声の主——生駒は水上の入室に気づかなかったらしい。
ゆったりとしたテンポで小さく紡がれる、音楽の教科書に載っている合唱曲。水上もそれを聞いたのは小学校の頃以来で懐かしく思うが、それ以上に普段の騒々しさや戦闘中に見せる凛とした気配とはまたがらりと雰囲気の違う、どこか色気のある低い歌声に水上はどきりとした。いつもだったら先に誰かがいると気付けば挨拶をするのだが、この歌を遮るのはためらわれた。
水上は遊び部屋からそっと視線を外して(生駒は遮蔽物越しの視線にも何故か気づくことがある)、そろりと足音を忍ばせながら会議室の奥にあるソファにそっと座る。
より鮮明に聞こえた歌声に、水上は素直に「上手いな」と思った。以前生駒はモテるためにギターを練習していて、いつの間にかそこそこ聴ける腕前になったどころか弾き語りまで習得していた。作戦室でリサイタルをしたときははじゃかじゃかとアップテンポでノリの良い曲を歌っていたのだが、もしかしたらこういった静かでスローテンポで声を聴かせるタイプの曲の方が合っているのかも、と思う。
二番の最後までしっかりと歌い切ったのを聞き終えて、水上は拍手をするべきかどうか迷って止めて、アンコールがないかとなんとなく遊び部屋の方に視線を向ける。
「あれ、誰かおる?」
すると水上の視線に気づいたのか生駒が動いた物音がして、すぐに遊び部屋の扉が開いた。
「ども、おつかれさんです」
「おわっ!? そこにおったんかい! 来てたんなら声かけてや」
「イコさんの歌邪魔するのもアレかなーって思って」
「え、今の聞いてたん」
「はい」
「え、ハッズ……」
「お上手でしたよ。弾き語り練習してた影響ですかね」
「ほんま? モテる?」
「それは知りませんけど」
「まあ結局ギターも披露する機会なかったし、そもそも歌上手くてモテるんやったら海なんか爆モテやろな」
「まあ、そっすね……」
海が実は密かにモテていること、そして空気が読めないのかあえて読んでないのか女子からのアプローチを海がスルーし続けていることを、水上は知っている。が、在学期間がかぶらなかった生駒の耳にまでは届いていないらしい。そして知らなくても良いとも思う。絶対面倒臭いことになるのが分かりきっているので。
「そういや、なんで一人で合唱曲なんか歌っとったんですか」
「今日すれ違った下校中の小学生が歩きながら大声で歌っとってん。近々合唱コンでもあるんかな? それ聞いとったらなんか頭から離れんようになってもーて。そういうことあるよな」
「ありますね、イヤーワーム」
「あれってイヤーワームって言うん? 始めて知ったわ。そういえば昔音楽の時間に――」
生駒の小学校の頃の思い出話を聞きながら、水上は「さっきみたい歌は今回きりにしてほしい」とぼんやりと思っていた。それが一種の独占欲と気づかぬまま。
ベイルアウトマットで仮眠していた生駒がふっと意識を浮上させると、タタタタタと何かをリズミカルに叩く音が聞こえた。隣の部屋で誰かが音ゲーでもやっているのだろうか。
できるだけそっと立ち上がり音が聞こえる方をのぞき込むと、遊び部屋のちゃぶ台で水上が私物のタブレットをせわしなくタップしている。水上の細長い指がピアノを弾くように動いているのを初めて見て、生駒はワッと賑やかな気持ちになった。
生駒は新しいものや初めて見るものが好きだ。だから、それなりに長い付き合いである水上の初めて見る姿になんだか心がソワソワして嬉しいような落ち着かないような踊りだしたいような気持になる。彼の指のきれいさを以前から羨ましく憧れに思っていたから尚更。
画面上の譜面を追っていたはずの水上の視線が一瞬こちらを向いた次の瞬間、細い指先は無音の演奏をやめて停止ボタンらしきものを押す。
「おはようございます、イコさん」
「おはよ。ゲームやめんでもよかったのに」
「別に、ただの暇つぶしですよ」
水上はこうやって生駒が何かをしようとしたことに気づくと自分の作業を全部止めて生駒に注視する傾向がある。以前生駒は水上がそれを誰に対してもやっているのだと思っていたのだが、友人や生駒隊のメンバーに対しては片手間で相手をすることが結構あることにしばらくしてから気づいた。つまり、生駒が何かをすると水上が自分の行動を止めてしまう。それが今は少しもどかしい。
「さっきの続けててええよ。今何してたん? ゲーム?」
「そっすね。音ゲーです。イコさんも聞きます?」
「お、聞かせて聞かせて」
水上がワイヤレスイヤホンをしまってブルートゥースの接続を切ると、タブレットからゆるやかなピアノ音楽が聞こえた。
「イコさんこのゲーム知ってます? 聞きたい曲とかあります?」
「知らんからオススメの曲聞きたいわ」
「うーん、ほな有名曲いきますかね」
水上が画面上のプレイボタンを押すと、ゆったりとしたメロディの前奏が始まって画面奥からノーツが手前に流れてくる。それを水上の指がタイミングよくタップしていった。曲がピアノ曲ということもあってその指先は本当に音楽を奏でているようだった。目まぐるしく細かな譜面は随分と難しそうに見えるのに、水上は軽々とそれを弾きこなしている。それが本当に上手かどうかは生駒の目にはわからないが、少なくともそう見える。
ゲームに限らず水上はそういうところがある。さらっとした顔で何かをちょこちょこと進めていて、何事もないような顔で結果をだして「そんな大層なモンじゃないですよ」と謙遜するようなことが。生駒のアンテナの感度が低くてそれがどれだけ凄いことか理解できないのがもどかしくも思うし、常に予想外のことをするところが面白いとも思う。
そんなことを考えている間にタブレットから流れる音楽は大きく盛り上がり画面に流れるノーツの密度も上がる。それを的確に叩いて画面端のなにかしらの数字が加速度的に増えていく。水上の視線は真剣に画面だけを見つめている。しばらくするとサビの部分が終わってノーツの密度が下がり曲の締めに入ったなと思う箇所に入った。ここで大きく溜めてキメるのだろうな、というところで水上は画面ではなくテーブルに置かれていた生駒の手をタタタンとピアノを弾くようにタップする。
「おわぁ!!」
それに驚いて大きくのけぞった生駒に、水上は大きく目を瞠ってからくつくつと笑った。
「そんな驚かんでも」
「そら驚くやろ! さっきまでゲームに集中しとったのにこっちくるとは思わんやん!」
心臓が信じられないくらいどきどきばくばく鳴っている。画面の向こうで曲芸を見せてくれていた役者が突如こちら側に手を伸ばしてきたような、そんな奇妙な不意打ちの驚きがあった。
「あーあ、リザルトのコンボのとこ切れてもーてるやん」
「元々最序盤にフルコン逃してたんで別にええんですよ」
「そうなん?」
初めて見るゲームの画面はどこの数値が何に対応しているのかわからない。別にわからなくても見る分にはなにも困らないからいいのだけど。
「興味あるならイコさんもやってみます?」
「俺そこまで器用に指動く気ぃせえへんわ」
「慣れですよ、慣れ」
「そうなん? なあ、他にもおすすめの曲ある?」
「ほな別の有名曲いってみますか」
今度はイントロなしに、水上の指に合わせてメロディが流れる。今度はボーカル入りの曲なのか女性の歌声も同時に流れた。英語歌詞のそれは何を歌っているのか何もわからなかったけど、なんとなく耳に心地いい。有名曲と言っていただけあって、多くの人に好まれる曲なのだろう。
ただ、生駒はその曲の出来よりも水上の指が細かに動くさまを遠慮なく見つめていいこの時間がどうにも得難く貴重なように思えて心が弾んだ。