みっちゃん普通に『男の人』だけど、そう見えないように猫を被ってる、という話。
前作→燭台切とゼリーのレシピが前提です。https://privatter.net/p/11678433
@fu_re_re_ra
《泣けないきみの夢見心地》
僕らの大事な主人は、いつだって花のような明るい笑顔を絶やさない。
よく笑い、嬉しげにぴょこぴょこ跳ねて、無防備に手を振る。
くるくると無邪気に変わる表情は愛らしくて、まるで小動物みたいに天真爛漫だ。
そんな彼女をみんな愛しているけれど、前からずっと、気になることが、ひとつ。
彼女は、眠りながらほろほろと泣くのだ。
(……あ)
また、だ。
キッチンで夜食の仕込みをしていた燭台切は、リビングでうたた寝する彼女の頬を伝う雫に、目を細めた。
最近は週に一度、自分か厨の誰かが交代で、一週間分の食材を買い込んで、作り置きを調理してから現世を後にするのが日課だ。
月に一度しか本丸に帰れない彼女のために。
いつもなら週末の夕方に買い出しに行くけど、現世で仕事をしている彼女は、昨夜もスーパーが軒並み閉まってしまうぐらい夜遅くまで仕事をしていたから、お休みの今日は昼間から買い出しに出掛けて、今くらいの時間にのんびりと仕込みに取り掛かっていた。
彼女は買い出しの間はいつも通り楽しそうにはしゃいでいたけれど、さすがに疲れが出たのか、光忠を待つ間にリビングのクッションを枕に眠り込んでしまった。光忠はそっと柔らかい毛布をかけてあげてから、腕を捲って仕込みに取り掛かった。
彼女の穏やかな寝息をBGMに、コトコトと今夜のビーフシチューを煮込む幸せな時間が、ふと途絶える。
背中越しに感じる眠りの気配が不意に浅くなったと思ったら、眠ったまま彼女がほろほろと涙を流し始めたからだ。
しゃくりあげるでもない。嗚咽を噛み殺すわけでもない。
体を丸く小さくして、存在を消すみたいに呼吸を抑え、ただただ、ぽろぽろと静かに泣くのだ。
丁寧に煮込んだ鍋の火を弱め、お玉を置くと、そっと気配を殺して、彼女を起こさないように側にしゃがみ込む。
ほのかにシャンプーの甘い匂いがする髪先が、小さく凍え震える肩にかかっている。
近付いた光忠にも目覚める気配はなく、彼女は声なく、ぽろぽろ泣いていた。
(たとえば、今、)
起こして、涙の理由を聞いたとしても。
きっと彼女は、どんな夢を見ていたか、忘れちゃった、と笑うだけだろう。
彼女はそういう人だった。涙はいつも誰かのためで、自分のためだけに泣く姿を、そう簡単には見せてはくれない。辛いことは無かったことにして笑ってしまう。
泣く、とは周囲に助けを求める、ということだ。
赤子はみんな泣くことを知って生まれてくるけれど、泣き続けても誰も助けに来ない、と体が学習すると赤子も自然と泣かなくなってしまうらしい。泣く際の体力消耗を惜しむ生存戦略、人の子の本能なのだそうだ。
本当はキッチンに立つのが怖いのだと、ようやく口にしてくれるまでだって、こんなに時間が掛かった。
(僕ら、こんなにずっと一緒にいるのにな)
そっと指先を彼女の目元において、優しく滑らせる。
黒い手袋の指先が、透明な涙を吸う。
きみが夢の中に招いてくれれば
どんな恐ろしいものだって斬ってみせるのに
末席とはいえ、僕らは神座に連なるものだから
叶えてやりたい、と思うこの衝動は、恐らく本能だ。
乞い願われ、泣き縋られたい、と思う。
それが無いのは、寂しい。
(けど、そう言ったらきみは、)
きっと、ほどよく縋ってくれるんだろう。自分のためでなく、僕のために。
それじゃあ意味が無い。
そんな腹立たしいぐらい哀しい器用さと不器用さが、ままならなくて、もどかしくて、愛おしい。
すくった黒手袋の人差し指に
ちゅ、と口付けひとつ。
愛しいきみ。
できることならドロドロに甘やかして
ぐちゃぐちゃに泣かせてみたい
(うんん、我慢、我慢。やっとここまで来たんだから)
あくまで紳士に、紳士に、ね。
獰猛な顔はおくびにも出さず、ごくん、と静かに喉だけ鳴らし、しゃがみ込んだまま、顎を両手に乗せて、にこっと微笑む。
(だってきみ、あんまり『おあずけ』ばっかりだから)
たまにぐちゃぐちゃにしたくなっちゃう。
ちっとも頼ってくれない、いけずなきみ。
僕はいつでもきみに呼ばれていいように
毎日整えて待ってるのに
こうして『きみの優しいみっちゃん』でいるのも楽しいけれど
それだけじゃないって、きみが骨の髄まで思い知ってくれるまで、あとどのぐらいかな。
大事に甘やかしたい、は叶えさせてくれるタイプの主だったから
残りのちょっとの悪戯心が顔を出すのは、仕方が無いと思う。
うんとイジワルするのは
逃げられないようにどろっどろに甘やかして
ぐずぐずにとろかしてからでいい
料理も人も、じっくり手を掛けて下拵えしてこそ、甘く美味しく花咲くというものだから。
「…………ん」
ふるり、とまつ毛が揺れて、彼女が身じろぎする。
光忠は、虫も殺さぬような笑顔で微笑みながら、愛しい彼女がゆっくりと夢の世界から浮上してくるのを待った。
「……う……ん……ぁ、れ、みっちゃん…?」
「おはよう。そろそろ起こそうと思ってたんだ。ご飯できてるよ。テーブル広げて、お皿出してくれる?」
「あ、うん…?」
少しぼうっと寝ぼけたみたいに、寝ぼけ眼を擦った彼女が、無防備にこくこく頷く。こんなに至近距離にいた光忠にも、ほんの少し首を傾げるだけ。
無防備で警戒心のない、可愛いきみ。
泣いていた自覚がないのだろう。目元を気にする素振りがない。
それでいい。迂闊に教えてしまったら、もう今みたいに無防備に光忠の前でうたた寝しなくなってしまうだろうから。こうして、隙だらけのままでいてくれた方が都合がいい。
僕はもうずうっと前からきみがいなきゃ生きていけないんだから
きみも僕に縋らなきゃ生きていけなくなってくれたらいいのになあ
《泣けないきみの夢見心地》