@xxxyueyunxxx
「ええと、豚肉も買えたから、これで全部かね」
買い物メモを見ながら、黒木嵐は確認する。――黒木嵐というのは、仮初の姿だ。その本性は半永久的な生命を持つ異種族『魔族』で、本当の名はランフォードという。生まれさえこの世界には無いというのが実情だが、メモを見ながら買い物を詰め込んだエコバッグを提げた姿は、ただの良い父親にしか見えない。
「よし、全部だ。――ケーキも買って帰っていいかなあ。私のお小遣いで買うなら、構わないよね」
少し行けば洋菓子店『ウィスタリア』に着く。店のある方向へと歩きだそうとしたそのとき、見知った姿が視界に入った。
「おや。あれは朝恵ちゃんじゃないか」
栗色の髪をお下げ髪にした小柄な少女が、青果店の前にいた。朝恵はこの商店街、彩花商店街にある衣料品店『ミヤコ屋』の娘で、ランフォードの友人であるジェフとは懇意にしている子なのだ。
「こんにちは、朝恵ちゃん。お買い物かね?」
ランフォードが声をかけた瞬間、振り返った朝恵の大きな瞳がぱっと輝いた。
「こんにちは、ランおじさん。今日はわたし、お母さんのおつかいなの。ランおじさんもおかいものなの?」
「私も朝恵ちゃんと一緒だね。私の奥さんのお使いなんだよ」
買い物袋を示して見せると、朝恵は納得したようであった。
「お使いなら、邪魔をしてはいけないね。私はこの辺りで失礼するとしようか」
普段なら、これで別れて終わりだろう。だが今日は、どこか朝恵の様子がおかしかった。何か、ランフォードに話がありそうな雰囲気だ。
「あのね、ランおじさん。――少しだけ、わたしの話をきいてもらってもいい?」
「私で役に立てるなら、何でも聞いてあげるよ」
ランフォードは目線を合わせると、朝恵に微笑んでみせた。
商店街の広場まで歩いて、ランフォードと朝恵は並んで座る。ようやく秋めいてきた日差しが、柔らかく差し込んできていて気持ちよかった。
「あのね、ランおじさん。――ありがとうを言える日って、少ないのね」
「おや、どういうことだね?」
「母の日と父の日。けいろうの日はあるでしょ。……でもそれだけしか、ないなって」
朝恵が小さくため息をつくのを、ランフォードは黙って見守った。話したいことを、まずは全て聞こうと。
「それで、朝恵ちゃんは何に困っているんだね?」
「学校でね。この前けいろうの日のしゅくだいが出たの。おじいちゃんとおばあちゃんにありがとうを言おうって」
「そうだったのだね。それで、どうなったのかな?」
「それは出来たの。わたし、おじいちゃんもおばあちゃんもすきだから。……でもね。一番ありがとうを伝えたい人に伝えられる日は、ないんだなって気付いちゃったの」
「朝恵ちゃんがありがとうを伝えたい相手は、誰なんだね?」
「……おにいちゃんなの」
思った通りの答えが返ってきて、ランフォードは微笑む。――朝恵が『おにいちゃん』と呼んでいるのは、ジェフのことだ。確かに、暦の上では隣人に感謝を伝える日は、無い。
「わたし、おにいちゃんにいつもしてもらってばかりなの。うれしいこともだし、たすけてもらったりも。――わたし、おにいちゃんに、ありがとうがしたい……」
――朝恵ちゃんに色々してもらっているのは、ジェフの方だと思うけどね……ランフォードは声には出さずに考える。朝恵ちゃんと接するようになって、ジェフは少しずつ、変わっている。当の本人は全く気付いていないようだが。
「そうだったのだね。そんな朝恵ちゃんに、私からひとつ教えてあげよう」
ランフォードは一拍おいてから、口を開く。
「あのね、朝恵ちゃん。――暦には無くても、いつでもありがとうを伝えに行って良いのだよ」
「……ほんとう?」
「私はそう思うよ。何かをしようと思った日、それがいつでも記念日なんだよ。朝恵ちゃんのありがとう記念日を作ってしまえばいいのではないかな」
「わたしの、ありがとうの日……おにいちゃんの、めいわくにはならない?」
「全くならないと思うよ。むしろジェ……真雅は喜ぶのではないかな」
朝恵は当然ながら、ジェフの仮初の名である黄真雅という名しか知らない。なので慌てて訂正したが、どうにも真雅と呼ぶのには慣れないランフォードだったりする。
「めいわくにならないなら、わたし、やってみるね。おにいちゃんに、何をあげたらいいかなあ」
「朝恵ちゃんの好きなものをあげたらいいのではないかな。きっと真雅は何でも受け取ってくれるよ」
何せジェフは、バレンタインデーに朝恵に貰ったチョコレートを、なかなか食べられなかった前科がある。勿体無いのだと言って。朝恵に貰ったものなら、きっと何でもジェフは大切にするはずだ。
「わたしのすきなもの……お花とお手紙でもいいと思う?」
「すごく良いと、私は思うよ」
「じゃあわたし、帰ったらお手紙をかいて、おにいちゃんにありがとうを伝えに行くね。ありがとう、ランおじさん。わたしの話をきいてくれて」
朝恵が元気よく立ち上がって帰っていくのを、ランフォードは手を振って見送った。
「――朝恵ちゃんに手紙をもらった瞬間のジェフの顔を、見たいものだね」
そんな野暮な真似はしないが。きっとジェフは、ランフォードの見たことのないような顔をするはずだと考えるだけで、なんとなくうきうきしてくる。
「さて。私もそろそろ帰ろうか。やっぱりケーキを買ってね」
ランフォードは立ち上げると、洋菓子店のある方へとゆったりと歩き出したのであった。