@xxxyueyunxxx
新聞にも載り、テレビでも取り上げられたある事件がある。
トラックによる、轢き逃げ事件だ。
昼間の見通しの良い道路で、その事件は起こった。
目撃者によると、脇見運転をしていたトラックが、男性ひとりと幼稚園児の少女ひとりを轢き逃げしたというものだ。
不幸中の幸いだったのは、男性が少女を庇っていたために、少女はほぼ無傷だったということだ。
トラックの運転手は未だ捕まっていないという――
「全く、懐かしい事件だ……」
轢き逃げされた当事者である男性、黄真雅は新聞の切れ端をしまうとくすりと笑った。黄真雅というのは、この時代で過ごすための仮初の名だ。本名はジェフ――その正体は半永久的な生命を持つ異種族『魔族』である。
あの事件は、それなりに商店街では騒ぎになったらしい。――それも当然だ。ジェフは商店街で骨董品屋『清遊堂』を営んでいるし、事故に巻き込まれた少女――朝恵もこの商店街の関係者だから。
事故の後遺症は、全く無い。怪我は魔法でしっかり治している。予定外に人間の病院に入院する羽目にはなったが、それも今となっては笑い話だ。残ったものというと、長年の付き合いの知人である男、ランフォードが見舞いに持ってきてくれた本くらいのものだ。
――それだけの事件だ。犯人の逮捕についても、さして興味は無い。犯人を探すことは、魔法を使えば容易かったが、それもしていなかった。
小さな出来事として忘れてしまっても良いこの事件を、ジェフが忘れていないのには、理由がある。
――自分の行動の理由が、未だに分かっていないから。
朝恵という少女は、普段から接していた少女ではあった。何せ朝恵は、隣の衣料品店『ミヤコ屋』の娘なのだから。
付き合いやすい少女なのも認めよう。朝恵は年齢の割にはしっかりしていて、素直で、礼儀正しい少女だから。
――ただそれだけのはずなのに。どうしてあのとき、咄嗟に身体が動いたのだろう。
それが、未だに分からない。我がことなのに、理由が全然分からない。
ただ、これだけははっきりしている。――朝恵が無事だったのを確認したとき、心底ジェフはほっとしたのだ。――自分の負った怪我などどうでも良い、この子が無事で良かったと。
見舞いに来てくれたとき、朝恵はジェフのことを気遣ってくれていたが、そのとき朝恵にかけた言葉には全く偽りは無い。それも確かだ。
ただ、その行動に出た理由だけが分からない。
これは、長年の付き合いであるランフォードに尋ねてみたところで答えの出ない問いだろう。
その問いの答えがあるのは、ジェフの心の中なのだろうから。
「何度考えても、理由は未だに分からない、か……」
遠く商店街にかかる音楽の響いてくる店内で、ジェフは頬杖をついてひとり考え込む。
あの事故から、もう何年も過ぎた。当時幼稚園に行っていた朝恵は小学校に入り、日々すくすくと成長している。その成長が毎日眩しく感じるほどに。
朝恵との交流は、不思議なことに彼女が成長するにつれだんだんと心地よくなってきている。あのとき朝恵に万が一のことがあったらこの交流は無かったと思うと、未だその理由は分からずとも彼女を助けられて良かった。そう痛感する。
ジェフは仕事机の引き出しをそっと開けた。そこにあるのは、一枚の写真。――朝恵を連れて、遊びに行ったときに撮ってもらったもの。朝恵の笑顔を見ていると、いつでも心が穏やかになってくる。落ち着いてくる。
――いつかこの問いに、答えの出る日は来るのだろうか……
写真の中の朝恵に微笑ってみせてから、ジェフは引き出しを閉めた。