「星の祝祭7」Webアンソロ企画作品。お題は「月夜」5章あたりくらいのサロメとパーシヴァル。
@kazane_noname
風のない夜だった。ビュッデヒュッケ城に突き刺さった船の甲板から見上げた空には見事な満月が浮かぶ。その光はまばゆく、灯りなど必要としないほどの明るさだった。
月の光は城とその周囲を照らし、眼下の湖にもその姿を反映する。
湖面でうっすらと揺らぐその光を、パーシヴァルは無表情で眺めていた。
ここにやって来たのは、ただの気まぐれに過ぎなかった。ハルモニア神聖国の進軍に対抗すべく、『炎の英雄』の名のもとに集った『炎の運び手』がこのビュッデヒュッケ城に身を寄せてはやひと月。自分たちの住む大地が脅威に晒されていることを聞きつけた者たちが次々と集結し、その勢力は日を追うごとに増しつつある。
大きな力に対抗する同志が増えるのは良い。しかし、いかんせんまっとうな寝床は足りていないのが実情だ。兵たちは数少ないベッドでの睡眠と雑魚寝を当番制にしてやりくりしており、満足な状態とは言い難い。……まあ、それでも野営地で長く過ごすよりは圧倒的に快適ではあるのだが、城内の廊下に寝転がって寝息を立てている騎士やグラスランド士族を見かけると、なんとも言えない気持ちに駆られる。
この不便はパーシヴァルとて例外ではなかった。ゼクセン騎士団のいち部隊を預かる人間として、ありがたいことに部屋は与えられてはいるが、当然一室を独占というわけにはいかない。同じく騎士団の両翼を守るボルスと同室に押し込まれ、なおかつ部屋に置かれたベッドはひとつのみときている。
はじめは交互に使うことにしていたが、日を重ねるうちに「それも味気ない」と切り出したのはパーシヴァルの方だった。
「せっかくなら、ゲームの勝敗で決めよう」という提案に、ボルスはまんまと乗ってきた。簡単なカードゲームや部屋の奥に眠っていたチェスで勝負をしかけ、しばらくはパーシヴァルが圧勝していた。だが、いつまでもボルス卿が辛酸を舐め続けるはずもなく、今日は彼に軍配が上がってしまったというわけだ。今頃、暖かいベッドで心地よい眠りの中にいることだろう。
ふたりにあてがわれた部屋には横になれるソファもあるが、寝心地が良いかと言われれば微妙だ。眠る場所を選ぶことはないが、すぐに眠る気にもなれず、気晴らしに散歩に興じることにしたというわけだ。
城にやって来てから散策はひととおり済ませたつもりだが、船から月を眺めるのは初めてだ。
水面に映る月は先ほどまでと変わらず穏やかに揺らいでいる。澄んだ空気の中で息を吐くと、頭の中に溜まったなにかが抜け出ていくような感覚に襲われた。
水に映る月は白色の光を湛える。それがゆらりと揺らいだ瞬間、パーシヴァルは不意に息を呑んだ。――揺れる光に、炎を見たからだ。
「おや、奇遇ですね」
完全なる無防備の状態で声をかけられ、やや勢い任せに振り向いた。
「サロメ、殿」
船上の少し離れたところに立っていたのは、副団長のサロメだった。疲れた面持ちで立ち尽くす手には、タオルが握られている。
「風呂、ですか」
動揺を隠しながら、パーシヴァルは薄く笑みを象る。サロメは特に何かを勘繰るでもなく頷いた。
「ええ、部隊編成について協議をしていたら、すっかり深い時間になってしまいました」
もう時刻は夜半も過ぎた頃だ。グラスランド士族の首脳陣とははじめこそ衝突があったものの、今ではそれなりに距離は縮められていると聞く。とはいえ、生まれも育ちもバラバラな寄せ集めの軍勢だ。編成をする上での苦労は絶えないだろう。
「良い月ですね」
サロメは夜空に浮かぶ満月を見上げ、しみじみとつぶやいた。
「ブラス城から眺める月も良いですが、ここから見る景色も悪くない。戦時中とは思えませんな」
「ええ、本当に」
同意して頷くが、パーシヴァルが見据えるのは夜空に浮かぶ本体ではなく、水面に映る月だ。風のない中、穏やかに揺らぐそれはどこか炎のゆらめきに似ている。色こそ違えど、故郷を焼いたあの炎のよう。頭の片隅に押しつけて考えないようにしていたあの日の光景が一気に蘇り、胸がざわめく。
「ここでの暮らしはいかがですか」
「新鮮なものも多く、楽しいですよ」
なにとない雑談に、うまく対応できているとパーシヴァルは内心で自負する。このあたりは、得意とするところだ。
「ですが、ブラス城がときに恋しくなったりもしますよ」
「それは違いない」
正直なところ、この城での暮らしもブラス城での生活もそれぞれに長所があり、どちらも悪くはない。多くの兵たちも初めはブラス城に戻りたがっていたが、今ではビュッデヒュッケ城名物のレストランや酒場の虜になっている連中もいる。
「まあ、私の場合、どこでもそれなりに順応できる自信はありますから、大丈夫ですよ」
努めていつもの調子で笑んで見せる。対するサロメは言葉を発することなくパーシヴァルを見据えていた。
「……あの、なにか」
その視線に含みのあるなにかを感じ、パーシヴァルは尋ねる。サロメはすぐに返事をすることはせず、歩み寄ってパーシヴァルに並んだ。
「明朝、正式にお伝えしますが、明日からしばし、あなたに新たな務めをお願いしたいと思っています」
「新たな務め?」
「ええ。リザードクランに急襲されたイクセの村の視察と、復興支援の遠征です」
授けられた命に、パーシヴァルはハッとして視線を向けた。少しだけ高い位置から送られる目線は、決して鋭くはないが射抜くような力がある。
「私に、ですか」
「あなたしか任せられる人間はいない、と思っています」
――イクセの村が自分の故郷であることをサロメは知っていた。いや、彼は騎士団に所属する者のことであれば、ある程度の情報は知識として記録している節がある。それほどに、サロメの記憶力は凄まじいものがあった。
「良いのですか。大きな戦いが控えているというのに」
問うと、サロメは視線を再び夜空の満月に向けて頷いた。
「確かに、大きな戦の最中にひとつの村に意識を注ぐのは間違っているかもしれません。ですが、そのひとつの村に目を向けることこそ、自分たちの愛する大地を守ることになるのではないかと、彼らと話していると感じてしまいまして」
「彼ら?」
「ええ、グラスランドの人々とです」
きっぱりと言うサロメの表情は相変わらず疲労感たっぷりだが、その顔はどことなしかすっきりとしている。ビネ・デル・ゼクセの評議会との会議を終えた後ではまずお目にかかれない顔だ。
「我々は、もっと身近なものに執着しても良いのかもしれません」
「……そうかもしれませんね」
すとんと、胸になにかが落ちる。故郷をないがしろにしていたわけではない。だが、「大きな戦の中で被害を受けたひとつの村」として頭の隅に追いやってしまおうとしていたのも事実。それは、大局を見ての判断というよりも、あらゆるものから目を背けてきた結果に過ぎない。それを、この男は感じ取っていたのかもしれない。
「――我らが副団長には、敵いませんよ」
「私は己の務めを果たしているだけですよ」
軽く交わした笑声が、静かな夜に響く。
それから再び月に目を配る。サロメは空の月を、パーシヴァルは水に映る月をそれぞれに見据えた。
「……いい月ですね」
「ええ、本当に」
水の月に向けて、パーシヴァルは噛みしめるようにつぶやいた。
風ひとつない夜闇の中で揺らいだ月は、白く、穏やかに輝いていた。