百々人が人魚になって話せなくなってしまう話。
逆人魚姫パロです。
百々人視点。
@aki_051354
これは僕への罰なのだろうか。
僕が人魚になって二週間が経った。一向に戻る気配はなく、日が経つにつれて言葉を話せなくなっていた。彼の言葉の理解も時々怪しい。単語の一つ一つはわかるのに、文章になるとその理解ができない。まるでノイズが入ったように音が脳の中で反響するのだ。
どうして人魚になったのか、はっきりとした原因は分からないけれど、多分怖かったのだ。彼と言葉を交わすことが。彼との距離が変わるのが嫌だったのだ。あの距離感が好きだった。心地よく纏う空気、柔らかに言葉を紡ぐ彼の声、そして少しだけ熱を点した表情。僕はそんな彼が好きだった。きっとそれはえーしんくんも同じ気持ちだったと思う。彼の好意は表情からよく分かっていた。――僕も彼のことが好きだったから。
けれど、えーしんくんは多分それ以上の関係を望んだんだと分かったのは、あの人魚になる前の数日前のこと。普段よりも熱の篭った瞳が僕を見つめて、心臓を鷲掴みされた気がした。彼が言葉を話すよりも先に僕は逃げた。怖かったのだ、彼が僕の気持ちを言い当てて、それであの曖昧な関係が崩れることが。それはもう本能が警鐘を鳴らすように心音がうるさかったのを今でも覚えている。
好きだとどちらが零してしまえばもっと苦しくなって、僕らの抱える問題は増えてしまう気がして怖かった。彼と向き合うことから逃げたことも、彼の言葉を理解出来なくなったことも、言葉を交わそうとしなかったことも全部。僕が選んでしまったことだ。だから僕は言葉を失ってしまったのだ。きっとこれは、僕の罰だ。
「……は、生放……の……で」
「……」
ああ、やっぱり分からない。水の中で聞いているような感覚に近いかもしれない。音が響いているのに遠くから聞こえているような、あの良くわからない感覚をこんなところで実感するなんて思いもしなかったけど。
ただ苦しそうに話している彼の表情だけしか、分からない。今にも泣き出しそうに目を伏せながら僕と目が合っているはずなのに交わっていないように感じる。それはきっと彼が隠していることを僕に悟られたくないという表れなのかもしれない。
そんな彼をぎゅうっと抱きしめては安心するように彼の心音に耳を傾けた。トクトクと聞こえる心臓が段々と早くなって、彼の「隠し事」がバレない事を祈っているのか、はたまた僕に触れ合っていることを意識しているのか声が震えている。それから少し経って、衣服が濡れることも厭わぬ彼は僕に身を預けるようにポツポツと今日の日常を話し出した。
今の僕と彼には言葉の壁がある。どうしたの? と話も聞くことも出来なし慰める術も今や持っていない。彼を好きだと思えば思うほどに人の言葉を失っていく感覚は多少なりとも自覚していた。僕の人としての言葉がまるで水に溶けてなくなっていくみたいだと思う。それでも、好きでいるのをやめることはできなかった。ふとした時の優しさにきゅんとして想いは募っていくばかりで、また彼も同じ気持ちなのではないかと期待をして、を繰り返している。いや、最近は確信を持って自覚していた。きっと、えーしんくんは僕のことが好きだ。それは態度にも、表情にも現れていた。さすがにそれは認めざるを得なかった。
「きゅいー……」
恋をするなんてぴぃちゃんへの裏切りだ。アイドルが恋をするのは暗黙のタブーであることは理解している。ぴぃちゃんは恋は好きにすればいいって言うかもしれないけど、それでもそんな罪悪感が拭えなかった。苦しい。でも溢れてくる好きが止まらない。気を抜けば好きだと零してしまいそうだった。ねぇ、どうして僕はえーしんくんに恋をしてしまったの? 好きになってしまったの?
ぴぃちゃんのことを好きになればよかった。この気持ちが恋だったら良かった。叶わない恋のままで終わりたかった。ぴぃちゃんだったらまだ諦めが着いたはずだ。僕よりもうんと大人なぴぃちゃんは僕が手が伸ばせないくらいの光で、諦める選択肢の言い訳がたくさんある人だった。
ぴぃちゃんのそばにいるのは心地が良かった。ぴぃちゃんは僕が欲しかった言葉を本心からくれる。だから好き。でもそれは、どうしたって恋では無いのだ。僕にとって都合のいい神様みたいな存在なんだ、ぴぃちゃんは。その事を僕がいちばん知っている。恋をしているのは、僕の心の奥にいるのは、どうしたってぴぃちゃんではなく、えーしんくんなんだ。
図太い僕はえーしんくんに対して僅かな期待を捨てきれずにいて、手が伸ばせる距離の彼に恋をしている。それでいてその期待が叶ってしまうのが怖いと思っているなんてさ。……矛盾だね。
(僕は、どうすれば良かったのかな)
あんなにももがいて、葛藤して、呼吸をしづらくしている彼を傍で見ながら、それでも彼のそばにはいたいなんて。僕という人間は、矛盾ばかりだ。彼の提案を快く受け入れたのは世間からの評判ではなくて、きっと彼が匿うと言ったのもただの親切心だけでは無いことも理解している。分かっていて選んだのだ。えーしんくんが僕に対して欲を出したことが嬉しかったから。
僕は彼とどうなりたいのだろう。……分からない。結局はただ、そばに居たかっただけなのだ。こんなことになってしまったからと言い訳にしてはたったそれだけの事に嬉しくなるなんて、僕も案外チョロいもんだと思う。
(えーしんくん、好き……)
「きゅいー」
「今日……特……機……が……良……な」
浴槽の縁に腕を組んではきゅるる、と喉が鳴る。気分が良いと無自覚に発してしまうのは、猫や犬と同様らしい。こんな所でも人間らしさが失っていることに心底失笑しながら彼を見上げると、えーしんくんは一段と辛そうな表情で僕を見ていた。
「どう……百……人。……プロ……サーに会い……か?」
「きゅーい」
会いたいと聞いているのだろうか。別に会いたくない訳ではない。きっとぴぃちゃんたちも心配している。わかっているんだ、僕。会いに来てくれないのは僕に会いたくないからじゃないことも。心配しているからこそ会いにこないってことも。……でも、やっぱりちょっと寂しいと僕が思ってしまっていることも。
ここに独りでいるとぴぃちゃんや秀の声も、顔も、かけてくれた言葉さえも忘れてしまいそうだ。そしてなにより怖いのは、きっとここにえーしんくんの言葉さえも忘れてしまうことだ。泡みたいに消えて、言葉を認識できなくなることだ。このまま僕は魚になって、海に帰らなくちゃいけないのかもしれないという考えが過ぎってしまうのだ。今、彼のこの温もりさえも忘れてしまうことが、何よりも怖い。
「大……夫だ、……人」
「きゅ」
ここにいれば怖いことはなにもないからなと言うように浴槽の外から抱きしめてくる。まるで壊れ物を扱うかのような力加減の癖に、声が震えていた。ねぇ、キミはなんでそんな苦しい声でそんな言葉をかけるの? そんなことされたら僕はまたキミに寄りかかってしまうってわかっているのに。僕には今、キミしかいないんだよ。キミだけしかいない世界しか。
だからもっと嬉しそうにしてよ。楽しそうにしてよ。キミが望んだことだよ。キミと僕だけの世界はそんなにも苦しい? 辛い? 僕はこんなにもキミのことで頭がいっぱいなのに。――その分、失っているものも多いけれどね。
責任転嫁もいいところだ。話せなくなったのはキミのせいじゃなくて僕自身のせいなのにね。全部優しいキミのせいに出来てしまえたら、僕もずっとずっと楽に息が吸えたのかな。
でもそんな呼吸は、上手く生きていけないんだろうな。
◆◆◆
今日もえーしんくんは苦しそうな顔をしていた。無理して笑おうとしている顔だ。
僕が人魚になってから一ヶ月が経った。状況はあまり芳しくは無い。僕はほとんど言葉を話せなくなっていたからだ。えーしんくんの言葉も理解出来ていない。
もう冗談を言いながら笑い合うことも出来ないのだろうか。喋りにくいかもしれないと思った時点でちゃんと病院に相談しようと言えばよかった。
やっぱりこれが僕の罰なのかな。一時の勝手な感情を選択したせいで、えーしんくんはもちろん、ぴぃちゃんたちにも心配をかけている。すべてを知らないふりして、えーしんくんのそばに居る自分にゾッとしてしまう。もう、僕は人ではないところまで来ているのだ。
「きゅう?」
えーしんくんを呼ぶために声をあげると我へと返ったように僕を見た。今にも泣き出してしまいそうな表情でこちらを見ている。かと思えばえーしんくんは浴槽の縁で突っ伏してしまった。気を失ったのかと思ってびっくりしたけれど、そういう訳では無いようだ。ゆさゆさと揺するとかすかに呻いた声は泣いているのだと理解する。
ああ、こんな苦しんでいるのに、それを見せてくれるのがこんなにも嬉しいと思うなんて最低だ。彼のその優しさに漬け込んで、ぴぃちゃんたちには見せていない部分に喜んで。本当にだめだなぁ、僕。もっと僕だけにしか見せられないものを増やしたいなんて思うなんて。溜め込んでいるもの全てを吐き出して欲しいなんて。欲張りだ。わかっている、分かっている。のに。
「……ももひと……」
もっと聴きたい。キミの声を。他の人には話せないことも全部。……聴きたいよ、えーしんくん。
たとえ理解できないとしても、それでもキミが、少しでも楽になれるなら。呼吸がしやすくなるのなら、僕は聞くことしか出来ないけれど、それでも。
突っ伏しているえーしんくんの頭をゆっくりと撫でていると無意識に口ずさんでいたのは僕の大切な曲。今は歌えないけどメロディーだけなら音にできた。ただ、なんとなく。もう一ヶ月近く歌っていない僕の声はあまり綺麗なものとは言えなかったけれど、それでもえーしんくんにはなにか響いたらしい。
えーしんくんの肩が震えていて、そんな彼の背中をそっと撫でると、彼の目尻から雫が零れていた。僕は驚いちゃって歌うのをやめてしまったけれど、啜り泣くえーしんくんの声が浴室に響いてぎゅうっと抱きしめることしか出来なかった。
それが一因なのか、えーしんくんは決壊したようにポツポツと今まで溜めてきたものを口から吐き出している。頭を突っ伏したえーしんくんが顔を上げるとポロポロと泣いていた。演技以外で泣く彼を見るのは初めてだ。静かに零れていく雫がえーしんくんの袖に染み込んでいくと、まるで懺悔をするような言葉を紡いでいく。
プロデューサー、秀、嘘。
聞き取れた単語はそれだけだったけれど、それだけで十分だった。えーしんくんがぴぃちゃんやしゅーくんに嘘をついていること、本当はわかってた。「隠し事」がなんなのか、ちゃんと分かってて僕は選んだんだよ。
えーしんくんは「人魚の姿になったと言った方が大変なことになる」から言わなかったと僕は思っていると踏んでいるんだろう。とても申し訳なさそうな表情をしていた。それからたくさんのことを話してくれたけど僕が理解出来たのはほんのひと握りの単語だけだった。苦しそうに吐き出す彼にそっとまた頭を撫でると、限界だったのかまた一層顔が歪んで、吐き出すように言葉を紡いでいく。
「……好きだ」
急に脳がクリアになった気分だった。今まで理解できなかった言葉が頭の中で弾けて急にわかったみたいな、そんな感覚。
「きゅい?」
「好きだ、好きなんだ……百々人」
「……っきゅ……」
「……すまない、百々人。お前は聞きたくないんだろうと、薄々は理解していたのに、俺は……」
欲を、出してしまった。ほろほろと静かに泣き出すえーしんくんが浴槽越しに謝罪を口にする。頭を撫でていた手をぎゅっと握られながらどうか逃げないで欲しいと言っているように聞こえる。
違う、違うよえーしんくん。僕は。
(――ああ、泣かないで、えーしんくん)
キミを泣かせたい訳ではなかった。苦しめたいわけじゃなかった。罪悪感を与えたかったわけじゃなかった。――はずのに。どうもままならないね。どうしても僕たちは認識の歯車がズレてしまうみたいだ。
どうすることが正解なのだろうか。このまま何もわからないままの鈍感な良い子でいるのが楽に呼吸ができるんだろう。だって、ずっとそうしてきたじゃないか。ずっと僕が望んでいたことだ。でも、わかっているのに苦しい。キミが泣いていると胸が締め付けられてどうしようもなくて、抱き締めて慰めたくなってしまう。近づけば呼吸が苦しくなるって僕が人でいられなくなっていくとわかっているのに。
(ああ、でも、やっぱり僕は)
浴槽の縁に力を込め、意を決して身体をえーしんくんへと近づける。目尻に溜まった雫を舐めとるように唇を近づけると、彼がびっくりしたように身体を硬直させた。なんだか世界が止まったような気さえしてしまう。意外とえーしんくんってまつげ長いんだなとか、澄み切ったライドグリーンの瞳が宝石みたいに綺麗だな、とか。そんな事を考えながら勢いのままに彼の唇へと重ね、濡れた肢体も気にしせずに彼の首へと腕を絡めていた。
「も、ももひと」
名前を呼ばれる度に口を塞いで仰け反った拍子に浴槽から身を乗り出す。もう構うもんか。キミが泣くくらいなら。自分を責めるくらいなら。キミが待ち望んでいたであろう言葉を全部あげるから。
――ねぇ。僕。ちゃんと声、届いてよ。
「きゅ……」
「もも、っン、は……っ」
好き。好きだよ、えーしんくん。言葉では足りないくらいずっと前から。
尾ひれの重さで上手く立てずにバランスが崩れる。どうも水の中とは違って重力があるからか、人魚には膝という概念がないからか、えーしんくんに身を預ける形になってしまう。えーしんくんが真面目で、優しい人でよかった。当たり前のように僕の下になって浴室に倒れていくんだもの。かろうじて頭を打たなかったものの、硬い床は少し痛そうだった。何度目かのキスを交わして喉が震える。ああ、なんだか今なら僕。えーしんくんに届きそうだ。
「えー、しん、くん……」
「……っ! も、もひと……言葉が……」
「……、す、き」
久々の声はカラカラに掠れていてとてもアイドルの声とは思えないくらいだ。たった一ヶ月喋られなかった弊害はそう軽くはないようだった。それでも、彼に言葉を伝えられた。僕の言葉を思いを。びっくりした表情の彼とは反対に目頭が熱くなって頬へと雫が伝ってえーしんくんの顔に落ちていく。、
「……や、っと……届いた……」
おかしいな。さっきまで泣いていたのはキミのはずなのに。ぽたぽたと雨が降り注ぐようにえーしんくんの顔に雫が落ちていく。それは安心感からなのか、はたまた別の感情が込み上げてきたのか、気持ちが昂っている今の僕には分からない。それでも今は伝えなきゃいけない気持ちを吐き出す時間に使いたかった。いつ泡になって言葉が喋られなくなるかも分からない今だからこそ、一番伝えたいことを、たくさん。
「えーしんくん、好き」
好き。大好き。だからキミが泣かないで。笑顔を見せて。
言葉にしたいことがたくさんある。けど、それが上手く紡げない。もどかしい。苦しい。怖い。……キミもそんな葛藤をしていたんだよね。だから、これからは僕も一緒に悩ませて。
「……ももひと……」
あ。また泣きそう。崩れ出しそうな表情にまたキスを落とす。浴室に寝転がったままに覆いかぶさって深いキスを落とした。
「……俺は、まだ……百々人を好きでいてもいいのか?」
「……うん、こんな僕でも……好きでいてくれる?」
ああ。もちろんだ。弱々しくも意思の強い声が浴室に響いた。変なの。二人して泣きながらキスをしている。それでも止められない。止まらない。うわ言のように、覚えたての言葉を話す子供のように好きと零しながら唇を重ね合っていた。
あとちょっと、あと少しだけ。それを繰り返しながらあと数分、キスの嵐は止まなかった。