火車切と彼女と、彼らを見守る鶴丸国永。
火車坊って呼んで可愛がる鶴丸のじじいみが結構好きです
@fu_re_re_ra
それは、晴れやかな秋晴れの昼下がりのことだった。
彼女は楽しそうに、ぽんぽん跳ねる毛玉と戯れていた。
蹴鞠のようにぽーんぽーんと自在に高く跳ね遊ぶ毛玉と、きゃっきゃと笑い声の絶えない彼女の無邪気な追いかけっこを、一足先に離脱した火車切が団子を食べながら近くで見守っている。
はしゃいだ毛玉は構ってもらって嬉しいのか、高く跳ねては彼女の裾に入り込んだり、うなじに飛び付いたりと、彼女を翻弄してじゃれている。
彼女もくすぐったそうに「あはは!」と笑いながら、服が乱れるのも構わずに無邪気に遊んでいた。
そんな絵に描いたような平和な時間が一変したのは
毛玉に合わせて跳び跳ねた無邪気な彼女の懐の合わせ目から
薔薇色の木の珠でできた数珠が覗いた瞬間だった。
「あっ」
乱れた服の合わせ目から飛び出した、彼女を護る大事なキリシタンの数珠、ロザリオ。
それは彼女の懐から滑り落ち、たちまち宙に浮いた。
その下で毛玉が、一瞬にしてハリネズミのように全身の毛を鋭く逆立て、ふしゃあと悲鳴を上げた。
空気が凍りつき、火車切もざわりと腰を浮かせた。
「────ふわッ!!」
鋭い悲鳴が上がり、スローモーションのように落ちていく薔薇の珠飾りが、きらり、光を弾いたかと思うと
毛玉の頭上に影を落として落ちていって
「おおっと」
その瞬間、上から大きな手のひらが、ふわふわにぶつかる寸前で、それをキャッチした。
「ふう、間に合ったか」
庭の木の上にこっそり潜んでいたらしい鶴丸が、逆さに飛び出してそれを掴んだ。
薔薇色のロザリオは汚れることなく鶴丸の白い手の中に収まっている。
しかし、毛玉はぶるぶるとその場で激しくバイブレーションすると、爆発するみたいに四方八方に高速で跳ねた。
「シャーッ!!! フニャー!!!!」
「ふわ! 落ち着け、落ち着けって!」
慌てて火車切が懐に抱え込んで、ゴム毬みたいに跳ねまくるそれを服の下に抱きしめる。
「あー、あー、こいつぁすまん、驚きの登場ですっかり脅かしちまったみたいだなあ」
どこか白々しく棒読みで、鶴丸がそう言いながら、さりげなく手の中のそれを後ろにやった。
「すまんすまん火車坊、そいつを落ち着かせてやってくれないか? きみ、そろそろ休憩は終わりにして戻ろうぜ。な?」
「う、うん」
どこか有無を言わせぬ調子で肩を押した鶴丸に促されながら、彼女は振り返った。
庭の向こうで、火車切に抱き留められた毛玉が、まだ毛を逆立てたまま「シャーッ!!」と怖がるような鳴き声をあげていた。
「おっと、忘れてた。こいつを返さないとな」
廊下をしばらく行ってから、ふと思い出したように、どこか芝居かかった調子でそう振り返った鶴丸が、彼女の手の中にロザリオを返す。
「やれやれ、すまんすまん。うっかり汚しちゃいかんと思ってな、つい余計な手を出しちまった。あっと驚かせてやろうとしたのはいいんだが、ちょっとばかし驚かせすぎたみた──……」
「鶴るん」
手の中に返されたロザリオをぐっと握りしめて
彼女は鋭く顔を上げた。
「鶴るん、教えて」
「……なんのことだい?」
「鶴るん、わたしね、みんなに本当に感謝してるの」
ぐい、と鶴丸の裾を掴んだ彼女が
近付けた視線で鋭く見つめ返す。
「わたしらしくいられるように、ぜんぶは知らないままでいていいって言ってくれた。でも、今のは違うよね」
「……」
「みんなが教えてくれることだけ大事にしようって、それだけ信じるってちゃんと決めてる。けど、大事なみんなを傷付ける無知はだめだ」
「……こういうことは絶対誤魔化されてくれないよな、きみ」
がしがし、と頭を掻いた鶴丸が、参ったとばかりに視線を泳がせた。
「とはいえ、火車坊が主人に口にしてないものを、オレが独断で伝えてよいものか……」
「お願い、鶴るん」
「はあ、まあ、そうだな。きみは絶対に引かんだろうし、火車坊には悪いが、あちこち調べて回るぐらいならまだオレが教えた方がましだろう」
深々と嘆息した鶴丸が、慎重に言葉を選ぶように「あー…」「んん…」としばらく舌の上で言葉を転がしていた。
「火車坊のところの、きみが呼んでる、あの」
「ふわちゃん?」
「そう、それだ。ただの猫だとは思ってないよな?」
くりくりとした大きな目玉を持つ黒い毛玉。
子猫というには小さく丸っこくて、手足と尻尾をどこかに隠したその生き物。
ざらざらした舌と鳴き声、仕草は確かに猫に似ているが、子猫と呼ぶには珍妙で、明らかに体のサイズに合わない量をぺろりと喰らう大喰らい。一方で、どこかで拾い食いでもしてきているのか、用意された食事を何日も食べずにけろりとしていることもある。
「この国に古来、不可思議な刀の物語が数多くあるように、化け猫の逸話も今日に数多く存在するが……その内のひとつに、香の煙や数珠で退治される化け猫の話がある」
「退、治?」
「僧が霊験あらたかな数珠をぶつけたところ、なんでもその化け猫は目玉が飛び出して死んだらしい」
それが意味するところを、素早く理解した彼女は真っ青になって両手で口を押さえた。
「そんな、じゃあ、もし当たってたら、」
ひゅっと息を呑み、ぶるぶると真っ青で震え出した彼女に、鶴丸は慌てたように「あー、あー、だから言いたくなかったんだ」とそのまろく小さな肩を抱いてなだめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、わたし、そんなつもりじゃ」
「もちろんわかってるさ、オレだけじゃない、火車坊だってそうに決まってる」
「大事なお守りだったから、それが誰かを傷付けるなんて思ってもみなくて」
ひどいショックを受けたような顔で、青ざめた唇を震わせた彼女は、口元を押さえながら、ふらりと足元をよろつかせた。
鶴丸は「おっと」とふらついた彼女の肩をキャッチして支えた。
「どうしよう、次からは、家に置いてきた方が」
「いや、それは賛成できない。そいつはきみを護る力の強い祓い具だ。悪いものを寄せ付けない」
着の身着のまま本丸にやってきた彼女が、最初に持ち込んだものはごくわずか。
数少ない私物がこのロザリオ。彼女は危うくこれで九死に一生を得たことが幾度もある。
「この前のこともある。火車坊のところのには悪いが、このまま肌身離さず身に付けておいた方がいい」
「でも! でもでもでも…っ」
彼女は目の縁に涙をためて、ぱっと鶴丸を振り返った。見上げてくる彼女の哀しみに溺れた眼に、鶴丸はいささかたじろいだが、それでも鶴丸は意見を変えなかった。
「優先されるのは常にきみだ。な?」
固く言い含めるように、じっと彼女を見つめた鶴丸に、彼女は苦しげに顔を歪めると、俯いた。
「……教えてくれて、ありがとう鶴るん」
ぐしゅ、と目元を擦った彼女は、たちまち踵を返した。
駆け出した彼女に慌てたのは鶴丸の方だ。
「きみ、どこへ?」
「石切丸のところ!」
「ふわちゃん!」
慌てて走り込んできたその声に、カリカリと煮干しを齧っていたふわふわは、ぴゃっ!と跳ねた。
ふしゃーと低く唸って、毛並みを逆立てて火車切のフードの中にビクビクと素早く隠れてしまう。
困ったように視線をうろうろさせた火車切に近付くことをせず、彼女はすぐに両膝を折って廊下に座り込んだ。それ以上は許しなく近付かないという意思表示だ。
「怖かったよね、恐ろしかったよね、ごめん、ごめんなさい、ごめんねふわちゃん」
繰り返し謝罪する彼女に、火車切の方が動揺したようだった。
「……え」
「ふわちゃんは数珠が苦手でひどい怪我をするかもって教えてもらったの。前に毛利ちゃんがロザリオと数珠は似たようなものだって言ってた。怖かったんだよね。ごめんね、怖い思いさせてごめんね」
はっと息を呑んだ火車切。彼女は首から下げた紐をゆっくりと引いた。
「ほら、石切丸に教えてもらってね、わたしじゃないと開けられないようにしてもらったんだ」
お守り袋に包まれた、その巾着袋。
どうやら結び目が封じになっているらしく、特定の手順を踏まなければ開けられないようになっているらしい。
「これならもう、ぶつかることないよね。怖い思いさせてごめんねふわちゃん。ごめんね。知らなかったの。ごめんね」
おず、とフードの陰から目玉を覗かせた毛玉は、ちら、ちら、ちら、と何度も顔を出しては引っ込めてを繰り返した。
やがて、ふんふん、と鼻を鳴らすと、ぽーんと地面に降りてきて、とたたた、と這うとやがて縁側に登ってきて、もう一度ふんふん、と匂いを嗅いで、彼女の膝をぺろ、と舐めた。
鼻を押し付けて、ぺろ、ぺろ、と舐める毛玉。
彼女はほっとした面差しで、そっと顔を近付けると毛玉に向けてゆっくりと瞬きを繰り返した。
ゆっくりと両目で瞬きするのは、猫のキスと呼ばれる愛情表現のメッセージ。
じぃ、とまんまるの目玉でそれを見つめていた毛玉は、やがて同じようにゆっくりと両目で瞬きして、ぽーんと彼女の肩に乗ってくりくりと鼻を押し付けた。
「許してくれるの? ごめんねふわちゃん、ごめんね、ありがとう」
涙を浮かべながら頬を擦り寄せて毛玉を抱きしめた彼女に、ふみゃあ、と甘えるように毛玉がぺろぺろ舐めた。
成り行きをどこか呆然とした調子で見守っていた火車切が、遠慮がちに近付いてくる。
彼女は毛玉を手で支えると「火車ちゃんも。ごめんなさい」とそう言って、深々と頭を下げた。
土下座せんばかりに低頭した主人に動揺したように、火車切は慌てて両手を右往左往した。
「あの、えっと、その、俺も、ごめん。ちゃんと言わなかった、から……」
火車切は、尻すぼみにそう口にしながら、何かに怯えたように恐る恐るこう尋ねた。
「えっと、ふわ、数珠、だめって、……誰に」
「鶴るん。鶴るんは、あまり言いたくなさそうだったけど、わたしがどうしても教えてってお願いしたの」
「あの、…………他、に………なに、か」
聞いた? と。
まるで、怯える子供のように、恐る恐る、そう口にした火車切に
彼女はゆっくりと顔をあげて火車切を見つめると、ゆっくりと左右に首を振った。
「数珠や香の煙がだめだって。普通の猫とは違う、って言ってた」
「……それ、だけ?」
「うん」
明らかにほっとした顔をした火車切に、彼女はもう一度深々と頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
火車切ははっとして、慌てて「俺も、その、半分くらい悪いから」と近付いて取りなした。
慌てて頭を上げさせようと肩に触れた火車切の手に、彼女がそっと触れる。
「前にお話ししたよね。火車ちゃんが、教えてくれることだけ、信じるって」
「……うん」
「話したくないことは話さなくていいよ。でも、知らないせいで、火車ちゃんやふわちゃんを傷つけることがあるなら、とても、怖い」
火車切の手を、彼女は両手でそっと包み込んだ。まるで祈るように。
「それだけでいいの。教えて欲しい。大事にする仕方を、教えて欲しいよ」
彼女が去った後、火車切はどこか、ぼうっと立ち尽くしていた。
その隣にゆっくりと背後から、姿を現した鶴丸が並んだ。
「…………知って、たんだ」
「すまんな火車坊。なにぶん、平安の世からあるとな。見聞きしてきたもんも無駄にあれこれ多くてなぁ」
火車。別名を化車。
古くからこの国の至る所に逸話が残るその正体は
死体を喰らいにくる猫又の化け猫と言われている。
葬儀の夜に遺体の横で寝ずの番をする風習は現在でも各地に色濃く残っているが
その理由の一つは、この化け猫に死体を喰われないようにするためであるとされている。
「何も教えずに自分であれこれ調べられる方が不味かろうと思ってな。だいぶぼかしはしたが……」
「……ごめん……ありがと……」
「悪いなあ、火車坊。見ての通り彼女、どうしても誤魔化されてくれなくてな」
鶴丸が教えたことだけでも、もし彼女が本気で調べようと思えば、真実に辿り着くのはそう難しくないだろう。
火車を斬る刀。その名は、魔除け。
けれども、魔除けと魔は、表裏一体、非常に近しい。
毒と薬が紙一重であるように。火車切とその供が、こうして分かち難いように。
「あのひと、何も知らなくて、だから」
ぐしゃ、と表情を歪ませると、火車切はフードの端を引き下げて、震え声を出した。
「知ったら、俺たちのこと、もうそばに置いてくれなくなるかも」
「怖いよなあ」
鶴丸は、安易に応とも否とも言わず、ただそれだけ、ひどく優しい声で返すと、フードの上から火車切の頭を撫でて慰めた。
「大丈夫だ、なんて無責任なことは言えんが……少なくとも今、彼女はこうして、きみらを等しく大切にしたいと思ってる。それだけは、疑わんでやってくれ」