カルみと 落ち込む話
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
それは些細な違和感だった。
仕事を終えて帰宅し、縞斑の自宅へ向かおうとしたその直後に「今日は会えそうにない」という連絡が届いたのだ。
仕事が長引きそうだから会えないという旨の連絡が縞斑から届くことは日常茶飯事で、それは仕方のないことだと神無も納得している。
しかし、いつもは仕事が終わらないと気がついた時点で早々に連絡を寄越す彼が夕方まで音沙汰がないことなど一度もなかった。
いつものように少しの寂しさを飲み込んで「わかった」と物分かり良く返事をしようとした神無の指が止まる。
「……先輩?」
それは本当に些細な、流してしまったらそのまま忘れてしまってもおかしくない小さな違和感だった。
けれど、神無の心の底で何かが叫んだ。
今すぐにでも彼の無事を確かめなければならない。名前を呼んで、抱き締めて、彼のことを安心させてやらなければならない。
そんな使命感と不安に包まれた神無は気付けば、人通りの減った真夜中の街へと駆け出していたのだ。
「なんで電話出ないんだよ……!」
何度電話を繋いでも縞斑は応答をしない。
連絡を自分と取りたくないのか、はたまた取れない状況にあるのか。そんな不吉なことを考えて胸騒ぎを覚えた神無の脳裏に、嫌な記憶がいくつもフラッシュバックする。
血濡れの両親、幼馴染、養父。大切な人たちに切先を振り下ろす腕は蝋のように白く、そこを伝う血液は鮮やかな青色をしていた。
赤と青に染まるその景色に心臓が冷えるような感覚を覚えた神無は、必死で脳裏に広がるその記憶を悪い想像だと言い聞かせて振り払う。
「大丈夫……大丈夫だから、」
まだきっと失ってなんかいない。
走って彼の元へ向かえば間に合うはずだ。
そう自分を奮い立たせた神無はようやく、二人が会う時に度々使っているセーフハウスの前へと辿り着いた。
縞斑と会う時はいつだって、人目を避けてアジトや自宅、セーフハウスで重ねるようにしている。
互いの職業柄恋人らしいデートなんてしたことがなかったけれど、それでも二人で同じ時間を過ごすことが出来るなら構わないと神無は思っていた。
そんないくつもある逢瀬の場所の中から、神無はこの場所だと確信を持って選び取っていたのだ。
なぜならこの場所は、自宅の次に神無の痕跡が残っている場所だから。自惚れでなければ縞斑も、自分に会いたいと思ってくれているはずだと信じていたかったから。
「……ただいま」
渡されていたカードキーで扉を開いて、暗い室内にそっと声を掛ける。
部屋の明かりはついていないけれど、玄関先には見覚えのある彼の靴が脱ぎ散らかした状態で転がっていた。
予想が当たったことにひとまず小さく息を吐いた神無は、彼の靴を揃えて自分の靴の横に並べると部屋へ足を踏み入れる。
「先輩……?先輩、いるんだろ?」
おそらく過敏になっている彼が身構えないように、声を掛けながらゆっくりと歩みを進める。
そうして彼の気配を辿った神無はやがて、寝室の扉の前へと辿り着いた。
部屋の中から聞こえるひとつの息遣い。浅く潜めたその音はおそらく、神無に気付かれないようにそうしているのだろう。
このまま気が付かないふりをして帰ることが縞斑の望みだと頭の隅で分かっていたけれど、神無はどうしてもそれに従うことはできなかった。
「……開けるよ」
一言断ってから扉を開ける。
途端、冷たい冬の風が神無の頬を撫でた。
開け放たれた窓から入り込む夜風と、部屋を薄く照らす淡い月の光。その向こう、翻るカーテンのそばに探し求めていた縞斑の背中があったのだ。
「先輩、」
「帰ってくれ」
安堵して近づこうとした神無に向けて、彼は振り返らないままで冷たい言葉を投げつける。
思わず咄嗟に神無が足を止めれば、自嘲するように小さく笑った縞斑が投げやりに言葉を続けた。
「今君に、顔を見られたくない」
「……なんで?」
「…………きっと最低な顔をしてるから」
部屋に立ち入った瞬間から、神無はかすかな匂いを嗅ぎ取っていた。
この部屋には似つかわしくない、けれど神無にとっては嫌でも嗅ぎ覚えのある鉄と油の匂い。
これはきっと血の匂いだ。それも、人間とアンドロイド、ふたつの種族の血が混ざり合っている。
きっと縞斑は、この場所に血の匂いが残らないように窓を開けていたのだろう。こんな季節に長い時間夜風に晒されていたら、体を冷やして風邪を引いてしまうかもしれないのに。
「……先輩、そっち行くからね」
拒絶を続ける縞斑にそう告げて、神無はゆっくりと部屋の奥へ足を踏み入れる。
縞斑はなおも全身で拒絶を語っていたが、それでもその場から逃げ出したり神無を避けることはしなかった。
途方に暮れたように立ち尽くす彼の元へ歩み寄った神無は、そっと手を伸ばして縞斑の手を取ろうとする。
ところがその指先が触れる直前、縞斑は青と赤に濡れたその手を隠すように神無から遠ざけた。
「汚れるから、触らないで」
「……汚くなんかない」
振り解かれた手のひらを一度小さく握った神無は、覚悟を決めると今度こそ強い意志を持って縞斑に触れる。
両手で縞斑の手を捕まえれば、びくりと怯えたように肩を振るわせた彼が慌てた表情で振り返った。
ようやくこちらを見た縞斑の顔はひどく疲れ果てていて、もっと早く彼の元に駆けつけたかったという後悔を芽生えさせる。
「ねぇ先輩……ひとりになろうとしないで」
「……、」
「俺は、先輩がひとりになるのはいやだ。知らないところで苦しむのも、悲しむのも、泣くのも絶対にいやなんだよ」
苦しい時に孤独を選ぶことは簡単だけれど、それではいつまで経っても沈んでしまった心を掬い上げることができない。
あの日縞斑が神無に施してくれたそれは強引ではあったが、神無が逃げ込もうとした孤独を塞いで光の元に引っ張りあげてくれた天上の蜘蛛の糸だった。
縞斑がそうであったように、神無も縞斑のことを支えていたい。ふたり呪いを分け合って、共に生きることを誓ったのだから、彼が背負う苦しみを自分も背負いたいと神無は願っていた。
「ほら、手冷えてる。一緒にココアでも飲んで温まろう」
開け放たれた窓を閉めた神無は、手を引いて縞斑をヒーターが置かれているリビングへと導く。
その手に大人しく引かれることを躊躇うように足を止めた縞斑は、それが悪あがきだと分かっていながら言葉をこぼした。
「……なんで君は、そういうところの物分かりだけは悪いのかな」
その声は縞斑が思う以上に震えていて、拒絶の姿勢を見せているが、そうされることを心の底で恐れているように感じる。
神無はそんな彼を見上げると、両手を広げて抱きしめた。硝煙と血の匂いも、それを掻き消すように強く焼きついた煙草の匂いだって、少しも気にならない。
縞斑が感情の揺らぎを隠すことなく見せてくれることが、不謹慎ながらも少しだけ嬉しかった。
「だって俺はまだガキだもん」
「っ……」
「だから何度だって、先輩のそばにいたいって駄々こねるよ」
息を呑んだ縞斑が、その言葉に導かれるようにおそるおそる両腕を持ち上げる。
神無の背に辿り着いたその両手は、最初は彼の服を汚してしまうことを躊躇うように弱々しかったが、やがて縋るようにぎゅうときつく抱きしめられた腕の中で神無は満足そうに笑った。
「えへへ」
「…………君は馬鹿だね」
「俺にそんなこと言うの先輩くらいだからな」
「……そうでなきゃ困る」
肩に押し付けられた彼の目元からじわりと伝わる熱には気が付かないふりをして、神無は濡れた声で強がる縞斑の震えが収まるまでその背を撫でることにしたのだった。
ーーー……。
「助けられなかったんだ」
並んでリビングのソファに腰掛けて神無特製の温かなココアを飲んでいるうちに、縞斑はぽつりとぽつりと今日の出来事を話し始めた。
縞斑たちスパローは今日、アンドロイドの違法改造を行っている組織にアンドロイドを救出するべく向かったらしい。
ところが組織の首謀者にしてアンドロイドたちの主人である男は、彼らの自爆起動を自身の心肺停止と紐づけていたのだ。
「……誰も、助けられなかった」
結局首謀者の男は縞斑たちを道連れにすべく自ら命を断ち、契約を行なっていたアンドロイドたちは全員その場で自爆してしまったのである。
目の前で助けを求めていたアンドロイドも、本来なら法で裁かれるべきだった犯人も、全てが爆発に飲まれて跡形もなく消えた。
それだけでなく、縞斑たちを逃すためにスパローのアンドロイドも数体が犠牲になってしまったのだ。
瓦礫と化した建物跡地を探って懸命に仲間や被害者のアンドロイドのスタックを探した縞斑だったが、結局それらを難なく消し飛ばすほどの火薬を用意していた犯人たちの方が一枚上手だった。
「処理を終えて、疲れたなぁと思ったとき……真っ先に神無ちゃんに会いたくなった」
「俺に?」
「そうだよ。会って、抱きしめて、あったことを話して……自分の荒んだ心を慰めてほしいと思ってしまったんだ」
そうして神無に遅れてでも一目顔が見たいと連絡を送ろうとした縞斑はふと、自身の姿を改めて認識したのだ。
べっとりとこびりついた血液で紫に染まった両手と、鏡に映るずいぶん吊り上がった瞳の自分。そんな姿を目にした瞬間、縞斑の心臓が冷たい汗をかいた。
こんな失態を犯して、自身の手を汚しておいて、どの面を下げて会いに行くつもりだと言うのだろうか。
いくつものアンドロイドたちの未来を奪っておいて、それを考えないようにする時間が欲しいと思うだなんて、いつから自分はそんなにも弱くなってしまったのだろう。
「気がついたら足が止まって、君に連絡してた」
「それであの時間だったんだ……」
「……ごめん。何も言わずに拒絶して傷つけて、不安にさせて」
肩を落とす縞斑はきっと、落ち込んだ情けない姿を恋人に見られたくない一心だったのだ。
どうしようもなく溢れる愛おしいという感情のままに、神無は縞斑の肩に体を預けて擦り寄る。
「先輩もばかだなぁ。そんなときくらい俺のこと頼ればいいのに」
「俺が君に散々逃げるなって言っておいて、自分のことを棚に上げるわけにはいかないでしょ」
「あの時とは違うよ。先輩は前を向くために俺を呼ぼうとしたんだもん」
全てを放り出して感情を捨てようとしたあの時とは違う。縞斑はきっと、前を向くために神無に頼ろうとしたのだろう。
その違いを正確に言葉で説明することは難しいけれど、神無はせめて落ち込む縞斑が少しでも早く立ち直れるように頭を撫でてやった。
「今日一緒に寝る?」
「……頷くのを躊躇うくらいには、自分の情けなさにまったく立ち直れずにいる」
「あはは。じゃあさ、今日俺と一緒に寝て?」
「…………うん。ありがとう」
あくまで神無からの頼み事という形で縞斑が頷きやすくした提案に、申し訳なさそうな彼は小さく礼を言うとこくりと首を傾ける。
いつもなら縞斑に子供扱いされることが嫌で、少しでも背伸びをして彼の隣に並ぼうとする神無だけれど、こういうときは自分が年下に生まれてよかったと心から思うのだ。
子供が寝床に親を誘うみたいに、神無は眉を下げる縞斑の手を引いて今度こそ寝室へと歩いていく。
「明日は俺がご飯作ってあげる」
「……何作ってくれるの?」
「10段パンケーキ」
「あ……それは別に大丈夫かな」
「遠慮すんなって。はちみつ好きなだけかけていいよ」
「いやぁ…………」
数刻前の冷たい空気が嘘みたいに、暖めておいた寝室に二人は消えていった。
明日はきっと、大量のパンケーキに腹を膨らませた縞斑がいつも通りの様子でスパローに帰るのだろう。どうかそうであってほしいと、神無は小さく笑った。
終